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「終焉の果てに」第拾六話 真実の行方

 

 

 

 

「うわあああああああああああああああ!!!」

 

 

リビングに、シンジの絶叫が響きわたった。

目覚めの叫びが……

 

 

アスカは、とっさにシンジを抱きかかえる。その腕の中、シンジは何かに怯えるように震え、極限まで開かれた彼の目の瞳孔は小さくなっていた。頭を抱え、歯を噛み鳴らし、アスカの腕の中で怯えるシンジ。

「シンジ!!シンジ!!シンジ!!シンジ!!シンジ!!シンジ!!シンジ!!」

アスカには、彼の名前を呼ぶことしかできなかった。

 

 


 

ミサトの携帯が鳴る。

その内容は、秘守モードでかかってきた。

今、このモードでかかってくる内容はただ一つだけ。

「シンジ君の記憶が目覚めたそうです………」

辛い報告が、他の面々に伝えられた。

「すぐにシンジ君を病院に運んで!」

リツコは、あらかじめ待機させておいた職員に指示を出す。

「シンジ………」

「あなた………」

ゲンドウの握りしめられた拳から、血が滴り落ちた。

 

 


 

アスカは、リビングでシンジを抱きかかえ、彼の名前を呼び続けた。

その声は、次第に叫びへと変わっていく。

ドアが突然開く。

救急隊員達が、シンジの元へ来てアスカからシンジを引き離そうとするが、アスカは、決してシンジを離そうとしなかった。

隊員達は、二人をそのままキャリーに乗せ、救急車へと運び込む。

病院に着くまでの間、シンジはただ怯え、アスカはずっとシンジの名前を呼び続けた。

病院に着き二人はそのまま、前の303号室に運び込まれる。そこには、ゲンドウ、ユイ、ミサト、リツコそしてキョウコの5人がいた。

アスカは、ベットの上に運ばれても決してシンジを離そうとはしなかった。幼い子供を守る母のように……

「アスカ……」

キョウコが娘の名前を呼ぶ。

「あたしは、シンジのそばを離れない!ずっと一緒にいる!」

「分かったわ。私達は外にいるから、何かあったらすぐに呼ぶのよ。」

大人達は、病室の外へと出た。皆一様に重い表情を浮かべていた。

アスカに抱かれたシンジは、頭の中で相反する二つの記憶の渦に捕らわれていた。

 

 

 

僕は誰なの………

碇シンジは誰なの…………

僕は僕。

作られた僕。

僕の上に僕が流れ込んできた。

あのパイロット、知ってる。

カヲル君、僕が殺した人。

知らない人、敵。

アスカ、僕の好きな人。

僕を好きになってくれた人。

僕を憎んでいる人。

綾波レイ。

僕の大事な妹。

母さんのクローン。仲間。

碇ゲンドウ、僕の父親。

僕を愛してくれる父親。

僕を捨てた人。

碇ユイ、僕の母さん。

優しい母さん。

死んだ人。

ミサトさん。

僕の上司、優しい人。

僕の家族、大切な人。

僕は誰なの。

僕は碇シンジ。

みんなが必要としてくれる人。

みんなを殺した人。

僕は何?

僕は誰?

僕は誰?

僕は誰?

僕は誰?

僕は誰?

僕は誰?

僕は誰?

僕は誰?

僕は誰?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

ボクハダレ?

…………………………

…………………………

…………………………

…………………………

僕は幸せだった

みんながいて

アスカがいて

幸せだった

生きていたかった

守りたかった

僕は不幸だった

みんなを殺して

アスカに拒絶されて

不幸だった

死にたかった

守れなかった

みんなに大切にされて

みんなに大切にされなくて

みんな見てくれて

みんな見てくれなくて

みんな愛してくれて

みんな愛してくれなくて

みんな優しくしてくれて

みんな優しくしてくれなくて

怖い

全部怖い

みんな怖い

僕が怖い

人を傷つける僕が怖い

人を傷つけた僕が怖い

だから

僕は僕を殺そうとした

僕を殺そうとした

殺そうとしたんだ

生きること

苦しいこと

悲しいこと

辛いこと

僕は生きることが楽しい

楽しいんだ

だから戦う

守るために戦う

僕はどっちなの?

どれが本当の僕?

本当の僕なんてもう無いの?

僕はどれなの?

僕は

僕は

僕は

 

 

 

「シンジぃ……シンジぃ……シンジぃ……シンジぃ……シンジぃ……シンジぃ……シンジぃ…………」

アスカは、優しくシンジの頬を撫でていた。

シンジの瞳の焦点が徐々にあってきた。

シンジの口から呟きが漏れる。

「………僕は………僕は………僕は………………僕は………………………」

「シンジ!!!!」

アスカの悲鳴にも似た叫びに、病室の外にいた大人達が駆けつける。

「アスカ!シンジ君は!」

ミサトは、真っ先に駆け込みシンジの様子をうかがった。

ほっと安堵のため息を付く、アスカの声の調子にシンジがまた自殺を図ろうとしたのかと思ったからだ。

シンジの様子は、幾分落ち着いているようだ。先刻までの様子とは明らかに違うことが見て取れた。しかし、まだアスカの腕の中で震え続けているのには、変わりなかったのだが。

「シンジ……」

ユイは、悲痛の表情を浮かべ、シンジの頬に触れようとした時、シンジが口を開いた。

「………母さん…………僕はどっちなの…………

 ……………アスカ………僕は誰なの……………

 ……………誰が………………本物なの…………

 ……僕は………どうなったの……………………

 ……………僕に………何をしたの………………

 …………僕は………どうなったの………………

 ……あなたは…………誰なの……………………

 …………なぜ……母さんなの……………………

 ………………教えて………教えてよ……………」

シンジの今の状態は、明らかに記憶の混乱が見られた。前の記憶と新しい記憶にある人物関係は違いすぎていた。また、彼自身も死のうとしていた自分と生きようとしていた自分があり、それぞれ全く異なる二つの記憶とそれに伴う二つの心は彼の中で葛藤を繰り返していた。ただ、以前のようにすぐに死へと走らなかったのは、まがい物にしても生きたいという気持ちが彼の中で大きくなっており、それが死への引き金を引くことを止まらせていたためだ。ある意味、彼にとって良かったことなのかもしれない。ただ、死を望む自分が本当の自分だと知ったら、生を望む自分を消してしまう可能性はあったのだが。

「私が説明しよう。」

ゲンドウはユイの前へ行き、シンジと向かい合った。

「父さん………」

「シンジ、ゼーレのエヴァが進攻してきたことは覚えているな。」

「うん…………」

「ゼーレの目的は、初号機を奪い、もう一度インパクトを起こし、人類を再び一つにすることだった。

 我々は、今度はそれを防がねばならなかった。もはや、人類を一つにする事は、我々にとって意味をなさなかった。

 ゼーレの進攻を知ったのは、攻撃の僅か2時間前だ、既に敵のエヴァを乗せた輸送機は飛び立ち、手の打ちようがなかった。

 弐号機は、惣流君をサルベージしたために、全くシンクロしなかったのだ。

 初号機は、ユイをサルベージしたために、本来ならシンクロしないのだが、サードインパクト時の影響で、お前とならシンクロすることが分かっていた。お前が、サードインパクト時に初号機と一体になっていたためだ。

 我々の取るべき手段は一つだった。

 唯一、エヴァとシンクロできるお前に、都合のいい記憶を流し込み、戦わせた。

 そして、ゼーレの連中に勝った。

 お前の記憶操作は時間がなかったため、不完全なものとなった。

 本来の記憶を完全に消す時間がなかったために、無理矢理、新しい記憶を上書きしたのだ。

 これが真実だ。」

「………………じゃあ、みんなを殺して死にたがっていた僕が本当の僕なんだね……………」

「そうだ。」

「………そうなんだ………」

『……やっぱり僕は、誰にも好かれてなんか無かったんだ……………

 夢みたいな記憶だな………

 みんなに愛されて、

 みんなに必要とされて、

 みんなを守った僕。

 嘘の僕。

 本当は臆病で狡い僕。

 僕は道具としてしか、必要とされていなかったんだ。

 人ではなく道具。

 ただの道具なんだ。

 分かった。

 だから死ぬことも許されなかった。

 まだ、必要だから。

 たくさんの人を殺したのに……………

 僕は死ぬことのできない。

 僕は生きることもできない。

 ただ流されるだけ………

 心なんていらない………

 あれば、辛いだけ。

 悲しいだけ。

 壊れるだけ。

 もういらない…………

 いらない………………』

シンジはもう死を望まなかった。その点だけ見れば、彼の記憶を変えたことは有意義なことではあった。彼の持つ逃げる性癖が、ぶつかり合う心の葛藤から彼自身を救った。彼は逃げた。死を望むことからも生を望むことからも、逃げ出した。彼の魂は急激に凍てついた。

「……もういいです。しばらく一人にしてください。」

「シンジ?」

少し様子の変わったシンジに、アスカが疑念を抱いた。全員、同じ思いを抱いた。

「大丈夫です。僕は死んだりしません。だから一人にしてください。」

「分かったわ。」

急に変化したシンジを疑念に感じながら、大人達は病室の外に出て、それぞれの場所へ帰った。

部屋の中には、シンジを抱いたアスカと、アスカに抱かれたシンジの二人きりだった。

「惣流さん、もういいですよ。」

「そ、そう…………」

少し名残惜しげにアスカはシンジを離した。

ベットの上で並んで座る二人。

短い沈黙の中、アスカは何を話していいのか分からなかった。

その沈黙を破ったのはシンジだった。

「惣流さん、すいません。

 命令とはいえ、僕の側に付いていてくれて。

 もういいですから。」

「えっ……………」

『シンジ…なに言ってるの…』

「嫌いな人の側になんていたくないでしょう。

 司令には、僕が言っておきますから。」

「そんなことない………」

アスカはその時、シンジの目を見た。其処にあったのはただの空洞。虚ろで何も写していないガラス玉だった。

「シンジ……どうしちゃったの……」

「別にどうもしないですよ、惣流さん。」

シンジは無機質な表情を浮かべる。

………ゾクリ………

アスカの背中に悪寒が走った。

アスカにはシンジが人形のように見えた。

感情を持たない人形。

アスカが最も嫌っていた人形。

「ねえ………シンジなの?」

「僕は碇シンジですよ。」

人形の笑みを浮かべるシンジ。アスカが好きだった、シンジの暖かい笑顔ではなく、爬虫類のような冷たい笑み。

アスカの脳裏に忌まわしい記憶がフラッシュバックする。

癒されたはずの心が壊れていくような感じがした。

「いやーーーーーーーーーー!!!」

アスカは、逃げ出した。

病室を飛び出し、夢中で走った。

シンジから、過去から、少しでも離れたかった。

 

 


 

モニターを見ていたユイは、シンジの元へ向かった。

病室を出るとき、シンジに何か異質なモノを感じていたが、その場はアスカに任せ病室を出た。

その後、病室の監視モニターを見ていたのだが、アスカが何かに怯え逃げ出してしまった。原因は、確実に息子であることが見て取れた。

同じ所にいたキョウコは、既にアスカを追いかけている。

息子に何があったのか、まだ彼女は知らなかった。

病室に入ってみたモノは、ベットの上でじっと座っているシンジだった。

少し様子がおかしいが、それほど奇妙な印象は受けない。

「シンジ。」

ユイがシンジに呼びかける。

ゆっくりとユイを見るシンジを見て、ユイは息子の異変に気が付いた。

心が見えない。

「なんですか。」

凍てついた声。

人形のような顔。

生気のない瞳。

ユイは、こみ上げる嘔吐感を必死に押さえた。

分かっていた結果なのだが、その結果をまざまざと見せつけられて、自分が犯した罪を悔いた。シンジには、人間を感じることが出来なかった。

「あなたのことを、なんと呼んだらいいんでしょう。僕の母ですよね。」

「…………母さんって呼んでくれない……」

「分かりました。」

「…………シンジ……」

「これから、僕はどうするんですか。」

「検査をして異常がなければ、家に帰ることになるわ。」

「家ですか。葛城三佐の所ですね。」

「……そうね。

 シンジ…今日、私の家に来ない?レイも待っているわ。」

「命令でしたら。」

「命令なんかじゃないわ。母さんとしてのお願いよ。」

「分かりました。」

「………検査を受けに行きましょう。」

「はい。」

ユイはシンジを連れて、検査を受けに行った。

シンジは、肉体的には多少の疲労は見られるが問題はなかった。精神状態も、ある意味で非常に安定していた。

 

 

ユイは、そのままシンジを自宅に連れて帰ることにした。

帰り道、ユイが時々話しかけるが、シンジの答えは無機質なモノだった。

とても親子の会話とは思えないやり取りを続けるうちに、ユイ、ゲンドウ、レイの住むマンションへと着いた。

既に21時をまわっており、レイは帰ってきているはずだ。

ユイがドアを開ける。

「ただいま。」

ユイの声が聞こえると、リビングの方からレイの声が聞こえてきた。

「お母さん、おかえり。」

レイがいることを確認したユイは、外で待つシンジに声を掛ける。

「シンジ、少しそこで待っていてね。」

「はい。」

ユイがリビングへ行くと、レイはいつも見ているドラマを見ていた。

「お母さん、遅かったのね。私、晩御飯自分でつくって食べたから。」

「レイ……シンジが来てるの。」

「兄さんが!」

レイはあわてて玄関に向かおうとするが、ユイに止められた。

「レイ、聞いてちょうだい。」

「なに?」

ユイのただならぬ様子に、不安を覚えるレイ。

「シンジは………あなたの知っているシンジではなくなったわ………」

「どういうことなの……」

「ゼーレの進攻の際、シンジに別の記憶を植え付けて、初号機で戦わせたの………

 そして……シンジは変わってしまった……」

「……碇君を変えたの……ねえ、お母さん!」

レイは、シンジのことを「碇君」と呼んでいた。彼女がいつも心の中で呼んでいるように。

「ごめんなさい……ごめんなさいね……

 私達が植え付けた記憶と前の記憶と、二つの記憶を持ってしまって…シンジは……変わってしまったの……

 人形みたいになってしまったの………

 ごめんなさい…レイ……ごめんなさい……」

「………碇君に会ってみる。お母さん、呼んできて。」

「………分かったわ。」

ユイは、シンジを待たせている玄関へと向かった。その足取りは重い。

「シンジ、あがって。」

「おじゃまします。」

「碇君………」

「こんばんは、綾波さん。」

「シンジ、レイはもう綾波レイではなくて碇レイなの、あなたの妹なの、だからレイと呼んであげて。」

「分かりました。」

レイはシンジを見て、恐怖を抱いた。レイに感情を教えてくれた碇シンジは、ここにいなかった。

『これは誰なの?

 これが碇君なの?

 どうして?

 感情がまるで無いみたい。

 昔の私………

 昔の私を見ているみたい。

 どうしたの、碇君。

 どうしたの?』

「い…兄さん………どうしたの?」

悲しげにレイは、シンジに問いかける。

「分かったんですよ。」

「なにが……分かったの?」

「僕は、所詮、道具にすぎないことが。」

「碇君!!

 違う!!

 あなたは人間よ!!

 道具なんかじゃない!!

 私に教えてくれたじゃない!!

 私も昔、そんな風に考えていた…でも、碇君が、お母さんが、私を変えてくれたの!

 お願い!優しい碇君に戻って!!!」

「レイも同じだったじゃないですか。」

レイには、シンジの答えがレイ自身の存在も否定するように聞こえた。今まで自分の築き上げていた物が崩れるような感覚。最も信頼を寄せていた人に裏切られた感覚がレイを襲った。

「私は変わった!!

 もう人形じゃない!!

 道具じゃない!!

 私は人間なの!!

 私は人間なの!!

 人間なの!!

 人間なのよ……………」

「シンジ!!」

レイの狼狽ぶりを目の当たりにして、ユイは思わずシンジの頬を叩いた。

シンジは微動だにせずユイのビンタを受ける。

シンジは変わらない。

冷たい目でユイを見る。その目にユイは恐怖を覚えた。

「もう用事はないですね。それでは失礼します。」

そう言い残し、シンジはこの家を出ていく。その足取りには、躊躇や後悔など微塵も感じさせなかった。

『私は、息子を化け物にしてしまった………感情のない化け物に…………』

ユイは呆然としていた。レイに会わせれば少しでも変わるかもしれない、そんな儚い希望は微塵に砕け散り、後に残されたのは、虚しさと後悔だけ。

「……碇君を返して……

 ……碇君を返して……

 ……私は人形じゃない……

 ……私は人間なの……

 ……お母さん……

 ……私…人間だよね……

 ……変わったよね……」

レイは、ユイにしがみつき泣いていた。ユイは、レイを抱きしめ泣いた。二人の脳裏にシンジの笑顔が浮かぶ、失ってしまった笑顔が。

静寂の中、二人に泣き声だけが響いていた。

 


 

 

アスカは、自室で震えていた。

シンジが怖かった。

ただ、純粋に怖かった。

アスカの隣でキョウコは、心配そうに娘を見つめていた。その手は、アスカに握られている。そこから伝わる、アスカのただならぬ怯えがキョウコの胸を締め付ける。

キョウコがアスカを見つけたとき、アスカは道の真ん中で、怯える子猫のように震えていた。それからキョウコのそばを離れようとはしなかった。なにも話さず、ただ震えていた。

自宅に帰ってからは、幾分落ち着いてきたが、いまだ強い恐怖に捕らわれているのがよく分かる。

「アスカ、何があったの?」

キョウコは、幾度目かの問いかけをする。

「………シンジが…………シンジが…………」

アスカが初めて口を開いた。しかし、漏れるのはシンジの名前だけ。

「シンジ君がどうしたの?」

キョウコは、努めて優しくアスカに問いかける。

やがて、怯えながらも、アスカはゆっくりと語りだした。

「………シンジが、おかしいの……人形みたいなの……怖い………シンジが怖い……

 ………シンジが笑うの………怖い………怖い………

 ………シンジじゃない……アレは誰なの………シンジ………」

キョウコは、アスカの話から、シンジが感情を無くしていることを知った。知ったところで、どうしようもないことだったのだが。

そんな中、隣のドアが開く音が聞こえた。

ミサトは、ゼーレの攻撃の後始末で、しばらくは帰れないほど忙しい。そうなると、後はシンジしかいない。キョウコは、シンジに会ってみることにした。写真で見る限りは、優しそうな少年であったシンジ。しかし、今はアスカがこれほど怯えるほど、変わってしまった少年。アスカのためにも、一度会っておく必要があった。

「アスカ、ママ今からシンジ君に会ってくるから、一人でいられるわね。」

シンジという言葉を聞き、ビクッと震えるが、アスカはゆっくりとうなずいた。

キョウコは、一度アスカを抱きしめ、隣家へと向かった。

 

 

インターホンを鳴らす。

中から抑制のない声が聞こえた。

「どうぞ、開いてますから。」

不用心だが、今のシンジには、他人などどうでもいい存在だった。

「おじゃまします。」

暗闇の中、荒れたリビングに少年がいるのが、ぼんやりと見て取れた。

「電気をつけていいかしら?」

「どうぞ。」

短い承諾の後、キョウコは明かりをつける。少年の姿が浮かび上がった。

「始めまして、アスカの母の惣流キョウコ・ツェッペリンです。」

「始めまして、碇シンジです。」

キョウコは、シンジを観察した。

確かに彼には、感情が抜け落ちている様に見て取れた。

生理的嫌悪さえ感じる。

「なんでしょう。」

「別になんでもないわ。

 ところでシンジ君。」

「はい。」

「アスカが、あなたに散々ひどいことを言ったみたいね。私から謝らせて貰うわ。ごめんなさい。」

「別にいいですよ。

 惣流さんが僕の嫌っていることを知っていて、僕は側にいたんですから。

 惣流さんが言ったのは、当たり前のことですよ。」

「でも、アスカがあなたに言ったことは、許されることではなかったはずよ。」

「僕の方が、酷いことをしてきていますからね。

 当然の報いですよ。

 惣流さんは、それを気にして僕の側にいてくれたんですか。

 僕は、何も気にしていないと伝えておいてください。

 そうすれば、嫌いな人の側にいる必要もないでしょうから。」

「アスカは、あなたのこと………………」

キョウコは、言い止まった。これは、自分が伝えるべき事ではない。娘が伝えるべき事であった。

「惣流さんがどうかしたんですか。」

「別になんでもないわ。」

「そうですか。」

キョウコは気が付かなかったが、シンジは少し他人に対して反応を見せた。彼の以前の気持ちを考えれば、当然だろうが。

「あなた、今日はここにで寝るの?」

確かに、今のこの部屋の荒れぶりは凄まじい物があった。

「はい。」

簡潔にシンジは答える。気にもしていない。

キョウコは少し考え、何か思いついたようだ。

「ちょっと待っていてくれるかしら。」

「いいですよ。」

 

 

キョウコは自宅へと戻り、アスカの元へと向かう。

「アスカ、今から、シンジ君と会える?」

アスカは何も言わず、ただ俯いていた。

「葛城さんの家ね、あまりにも荒れているから、今日ね、シンジ君うちに泊めてあげようかと思ったんだけど………」

「…………ママと一緒だったら……シンジに会える………」

アスカが小さく呟いた後、キョウコは満足げにうなずいた。

「じゃあ、シンジ君呼んでくるわね。それとアスカちゃん、シンジ君と会ってもあまり感情を爆発させないで、ゆっくりと優しく接してあげて。」

アスカが頷くのを見届け、キョウコはシンジの元へと向かった。

 

 

シンジは相変わらず、リビングでソファーに座っていた。

「シンジ君。」

「はい。」

「今晩ね、家に泊まりに来ない?アスカもあなたのこと待っているから。」

「惣流さんは、僕に会いたくないと思いますが。」

「そんなこと無いわよ。ダメかしら?」

「惣流さんさえよければ。僕はどちらでも構いません。」

「そう。

 なら、今から家に来なさい。

 とりあえず、着替えの準備をしてきなさい。」

「はい。」

そう言って、シンジは自分の部屋へと消えた。

「焦ってはいけないわね……ゆっくりと、シンジ君に感情を取り戻してもらいましょう。

 後で、ユイさんにも連絡を入れて、みんなでゆっくりやれば………きっと……………」

キョウコは、部屋を見渡す。

「はあ………しかし、葛城さん、どんな生活しているのかしら。」

あまりの惨状にため息が漏れた。

キョウコは、シンジが準備をしている間、少し掃除することにした。

掃除にかかろうとした時、その張本人が帰ってきた。

「ただいま………シンジ君、いる?」

伺うような、ミサトの声が聞こえた。

「葛城さん。」

「あれ、キョウコさん。どうしたんですか?」

不思議そうな顔をして、突っ立っているミサトに、キョウコの叱責が飛ぶ。

「どうしたも、こうしたも、こんな所にシンジ君一人おいておけるわけがないでしょう。」

「す、すいません………………」

ミサトは、どうもキョウコには頭が上がらなかった。肉体的年齢では、キョウコの方が少し若いが、そのプレッシャーみたいな物にミサトは弱かった。ちなみに、ユイにも逆らえないミサトだった。

「ところで、シンジ君、帰ってきているんですか……」

「そのことなんだけどね……」

キョウコの顔に影が落ちる。それを見て取ったミサトの顔にも、同様に影が落ちた。

「シンジ君、後で呼びに行くから、しばらく部屋で待っていてね。」

「はい。」

シンジに呼びかけた後、キョウコはミサトの方へ向き、リビングへと呼び寄せた。

「葛城さん、シンジ君のことなんだけど…」

「やっぱり酷いんですか?」

「ええ……完全に感情を失っているわ。

 まるで人形のようね。

 私も始め見た時、ゾッとしたもの、あそこまで酷いのは、私も見たことがないわ。」

「そうですか……ユイさんが電話をくれた時も、ユイさん…かなり取り乱していましたから……」

「ユイさんが?」

「ええ、はじめシンジ君を家に連れて帰ったらしいんですけど、レイと何かあったようで……」

「明日、落ち着いたら、私が電話してみるわ。」

「お願いします。」

「葛城さん。シンジ君にね、ゆっくりと普通に接してあげて、あまり急だと彼が拒絶するかもしれないから。」

「はい。」

「それと、今日、葛城さんも家に来る?みんなで話しましょう。」

「いいんですか?」

「いいですよ。それとここも掃除しないといけないわね。人が住む所ではないわよ。」

「はあ……すいません。」

「じゃあ、葛城さんも着替えの準備をしてください。」

「はい。」

ミサトが部屋に消えると、キョウコはシンジの元へと向かった。

「シンジ君、キョウコだけど入っていい?」

「いいですよ。」

シンジが承諾したので、キョウコは部屋に入った。

シンジは、ベットの上でじっと座っていた。彼は微動だにしなかった。

「シンジ君、準備終わった?」

「終わりました。」

「今、葛城さんが準備しているからもう少し待っててね。」

「葛城三佐が帰ってきているんですか。」

「そうよ、葛城さんも今夜家に泊まるのよ。

 それと、シンジ君。」

「なんでしょう。」

「葛城さんのこと、「葛城三佐」と呼ぶのはやめた方がいいわよ。」

「命令ですか。」

「違います。

 これは私からの忠告よ。

 そうね…昔は、なんて呼んでいたの?」

「ミサトさん、ですけど。」

「ならそう呼ぶ方がいいわ、分かった。」

「はい。」

「キョウコさん、シンジ君、準備できましたー」

二人の耳にミサトの少し抜けた声が聞こえてくる。

「じゃあ、行きましょうか。」

「はい。」

キョウコに連れられてシンジはミサトの元へやってきた。

「こんばんは、ミサトさん。」

「こんばんは……」

シンジを見たミサトは、ゾッとした。目の前にいたのは、彼女の優しいけど気の弱い、可愛い弟ではなかった。キョウコの言ったとおり、人形だった。キョウコからの忠告がなければ、ミサトは取り乱していたかもしれない。シンジに接したことがなかった、キョウコだからこそ冷静に対応できたのであろう。

ミサトは、なるべくいつもどおりにシンジに話しかけた。

「そいじゃあ、シンちゃん、お泊まり会に行きますか。」

「分かりました。」

ミサトは、無理にはしゃいでいるようだった。そうでもしないと、重い現実に押しつぶされそうになった。

 

 

三人は、アスカの待つ家へと入っていた。

「ただいま。」

「おっじゃましまーす。」

「おじゃまします。」

「それじゃ、とりあえずリビングでくつろいでいてね。」

ミサトとシンジは、リビングへと向かう。キョウコは、アスカを呼びに行った。

「アスカ、入るわよ。」

アスカは、ベットの上でじっとうつむき膝を抱えて座っていた。

キョウコは、アスカの隣に座ると、アスカの手を取り、アスカに話しかけた。

「アスカ、シンジ君と葛城さんが来たの。

 シンジ君のことなんだけどね。

 みんなでゆっくりと優しく接してあげれば、いつか、感情を取り戻すと思うの。

 ただし、昔のシンジ君に戻るとは限らないわ。

 人は絶えず変化していくものなの。

 アスカだって、ママが帰ってきてから変わったでしょ。

 シンジ君、きっと感情を取り戻すと思うわ。

 アスカはシンジ君のこと好き?」

アスカは小さくうなずく。

「そう、それじゃあアスカも好きな人のために頑張りなさい。

 シンジ君は、きっと治るからね。」

「……うん……シンジ、治るの?」

キョウコに訴えるような目で問いかけるアスカ。その目は涙で赤く染まっていた。

「きっと、大丈夫。

 アスカ、頑張りなさい。」

「……うん。」

「そろそろ、行きましょうか。

 その前にアスカは、顔を洗ってきなさい。

 好きな人の前に行くのに、そんな顔をしてちゃダメよ。」

「分かった。」

二人は部屋を出る。

シンジの元へと……………

 

 


NEXT
ver.-1.00 1997-11/10公開
ご意見・感想・誤字情報などは samon@nmt.co.jp まで。

 

更新ペースが落ちてきていますね。

ちと、がんばらんと…………(^^;;;

でわ、次回「第拾七話 彼のために」で、お会いしましょう。

 


 佐門さんの『終焉の果てに』第拾六話、公開です。
 

 1歩進んで2歩下がる。

 元が強引な1歩だっただけに
 反動がどうしようもなく大きいですね。

 シンジ本人だけでなく
 上手く行っていった上手く行きかけていたレイとアスカにも・・

 

 

 さあ、訪問者の皆さん。
 佐門さんに感想を送りましょう!


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