TOP 】 / 【 めぞん 】 / [河井継一]の部屋に戻る/ NEXT









「シンジ・・・・・・・・。」
リビングに寝っ転がって小説なんか読んでいた僕に、声がかけられた。
声音から、誰の声であるのかすぐに判別出来た。
数え切れないほど聞いてきた声だ。
「どうしたの?惣流。」
僕は振り向いて答える。
彼女はホットパンツにタンクトップといういつもながら目のやり場に困る
格好をしていた。
陶磁器のように白く、滑らかな肌が惜し気も無く晒されている。
ちょっと屈みでもしたら、胸の先端まで見えてしまうのではないかと僕はいつも
期待・・・・・・・・いや心配している。
こっちのマンションに居る時は、いつもミサトさんに普段着を貸してもらっている
らしいけど、どうしていつもこんな格好をしているんだろう。
僕や、ミサトさんの前でしかこういう服装はしていないのだけど、
もしも他の、男の前でこんな格好をしていたら、僕は苦しさのあまり
悶死してしまうかもしれない。
ともかく、それくらい僕みたいな初心な少年には刺激の強い格好なのだ。
こればっかりは、毎日毎日見ていてもけして慣れる事がない。
「シンジ・・・・・・・・・・・。」
彼女はもう一度僕の名を呼ぶと、膝を崩した形で隣に座ってきた。
自然と僕も身を起こし、彼女と肩を並べる。
「?」
僕は目でどうしたの?、という質問を飛ばす。
彼女は、少し身を固くして俯いた。
心なしか顔が赤いような気がする。
「シンジ・・・・・・・・・・・。」
声音が、少し変わった。
どこか、甘い感じを漂わせる切ない声。
彼女は俯いたままそっと、呟いた。
「・・・・・・・・・・・・。」
「え?」
僕は聞き返した。
惣流の声は、小さすぎてとても聞き取れるものではなかった。
彼女はさらに深く俯き、再び呟いた。
「・・・・・・・・・・・・・好き・・・・・・・・・・・・・・・。」
「え?」
僕は再び同じ声をあげる。
「シンジ・・・・・・・・・・・あたし、シンジの事が好きなの!」
思い切ったようにいう彼女。
その言葉の意味に僕は赤面した。
「ちょ、ちょっとアスカ・・・・・・・・。」
「今迄ずっと隠してたけど、好きなの!シンジ!
 もう、寝ても覚めてもシンジの事が頭から離れないの!
 もう苦しくて、黙っていられないの!
 ・・・・・・・・・・お願い、助けて・・・・・・・シンジい・・・・・・・・・・・。」
「ア、アスカ・・・・・・・・・・。」
「シンジい・・・・・・・・・。」
彼女は戸惑った表情を見せる僕に唐突にしがみついて来た。
柔らかい身体の感触と、なんとも言えないいい匂いが僕を刺激する。
「シンジい・・・・・・・・・・。」
再び、甘えるように僕の名を呼び、僕の首筋に顔を埋めた。
そんな彼女がたまらなく愛おしくて、僕の理性は欠片も残さず溶け崩れた。
「アスカあ!」
がばあっ。
僕はアスカに答えるべく、彼女の身体をこちらからも思いっきり抱きしめ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・られなかった。
抱きしめようとした彼女の身体は、僕の両腕をすっと通り抜けていた。
あたかも何もないかのように。
彼女の身体は陽炎のようにゆらゆらと揺れたかと思うと、やがて
ふっと掻き消えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
僕は今迄の人生で最高の自己嫌悪に陥っていた。
さっきまで僕の傍らで甘い言葉を囁いていた惣流の姿は、実は僕が魔術で
作り出した幻覚だったのだ。
幻覚と言っても単に光だけを操っているものではなく、触覚、聴覚、
嗅覚、さらには味覚までも生み出すかなり高度な幻覚だ。
その幻覚に、僕は自分の望む通りの事を喋らせ、望む通りの行動を
させていたのだ。
僕の心は日本海溝よりも、いやマリアナ海溝よりも深く落ち込んだ。
明日会った時に惣流の顔をまともに見れそうにない。
「何やってんだろ・・・・・・・・・・・僕・・・・・・・・・・・・・。」





 


僕のために、泣いてくれますか(第拾壱話)


 

僕の名前は碇シンジ。 第三新東京市第壱中学校の二年生。 14歳。 見た目はさえない少年だけど、僕は何を隠そう魔法使いなのだ。 それも、天才と呼べるほどの。 そして、その有り余る魔力を一体何に使っているのかと言うと・・・・・・・・・・。 まあ、ご覧の通り。 自分で自分が情けなくて死にたくなる。 ここは、マンションの六階の、僕の部屋。 どんな些細なものであろうとも、魔術を勝手に使用する事は、法によって 禁じられている。 それのみか、僕は自分が魔法使いである事を周囲の人間にひた隠しに しているので、なおさらこんな場所でこんな魔術を使うのは危険な事だ。 しかし夜、独りの寂しさから惣流の事を想い浮かべ、たまらなくなった僕は 罪悪感にさいなまれながらもついつい今迄我慢していた事をやってしまった。 こうして冒頭の恥ずかしい羽目になってしまったわけだけど。 「アスカあ・・・・・・・・・・。」 僕は切なさと共に彼女の名を呼んだ。 普段人前では惣流、と呼んでいる僕だけど、独りの時にはファーストネームで 呼ぶのが最近は常だった。 可愛いよ・・・・・・・・・アスカ・・・・・・・・・・。 僕は胸ポケットから写真を取り出した。 惣流の写真。 僕がまだ惣流と仲良くなっていず、友達も居なくて孤独にさいなまれていた頃、 ケンスケから譲ってもらったもの。 彼女とこうして半同居のような生活を送るようになってからも、この写真は 僕にとって大切な宝物だった。 普段は大事に寝室の机の中に仕舞ってあるのだけど、今は彼女の幻覚を 少しでも忠実に再現するために、こうして持ち出していた。 どこか、遥か遠くを見通しているような、写真の中の彼女の瞳。 あの頃は彼女が見ている、あるいは見ようとしているものが分からなかった けど、今はなんとなく分かる気がする。 それが、僕が魔法使いとして目覚めたためであるのか、それとも 彼女と心の距離が縮まったためであるのかは分からないけど。 寝室へ行き、名残惜しさと共に写真を机に仕舞ってしまうと、僕はリビングへ 戻る。 その時。 ピンポーン。 呼び鈴が鳴る。 ミサトさんかな? 今日は学院の同僚達と飲み会をするという連絡があったから、きっと ぐでんぐでんに酔っ払っているに違いない。 彼女の酒の強さは半端ではないが、酒量もそれ以上に半端でないので、 彼女が本格的な飲みを始めると、かなりひどい酔い方をする。 ついでに言うと、酒癖の悪さも半端ではない。 少なくとも部屋の中で汚物を撒かないようにお願いしますよ。 僕はしょうがないな、という感じで玄関を開けた。 「やっほおお。シンちゃあん。たっだいまああ。」 予想通り。 彼女は女優かモデルと言っても十分に通用する美しい顔と身体を思いっきり 弛緩させ、白い肌を真っ赤にしていた。 ミサトさん一人だけで帰ってきたのかと思ったら、もう一人そこに立っていた。 その人はミサトさんとは対照的に、さっぱり酔った様子はなく、足元の おぼつかない彼女を支えている。 その人は、女性だった。 年齢はミサトさんと同じくらいだろうか。 ミサトさんとは全く違うタイプではあったものの、美人と言っても一向に 差し支えない容姿だった。 一見して、学究肌の人物だと思う。 知性を感じさせる顔つきに、ほんの少しきつさというスパイスをかけた感じ。 僕自身の女性の好みからは大分外れているけれど、魅力的である事には 変わりない。 ただ・・・・・・・・・・・。 どうして、髪を金髪に染めているんだろう・・・・・・・・・。 どう見ても彼女は欧米系ではなく、日本人にしか見えなかった。 それはその眉が黒い事からも明らかだった。 「あの、いいかしら?」 その彼女が初めて口を開いた。 「あ、はい、どうも、すみません。」 自分の思考に入り込んでいた僕は、慌てて彼女と一緒にミサトさんの身体を 支えて部屋の中に連れ込んだ。 「ううーん。」 ミサトさんはいつのまにか半分睡眠状態だ。 「どうしましょう。どこかに寝かせてあげましょうか。」 「そうですね。僕の寝室を使わせておきましょう。」 二人で共同でえっちらおっちらと彼女の肢体を運ぶ。 脇の下を肩に担ぎ、ひきずるようにして僕のベッドまで運び、布団を掛けて 落ち着いて眠らせてあげる。 「んんー。もう飲めないよお。むにゃ・・・・・・・・・・。」 ちょっとした労働に疲れてしまった僕とは対照的に、ミサトさんは至福の表情 で夢の世界へ旅立っていた。 苦笑する僕。 「ここまで運ぶには苦労したわ。悪いけど、ちょっとここで休ませてくれる?」 金髪の女性が言った。 僕に否やはない。 「ええ。もちろん。お茶、煎れますね。」 「コーヒーをお願い出来るかしら。」 「はい。いいですよ。」 僕達は二人でキッチンへ移動した。 彼女をテーブルの、いつもミサトさんが座る席に着かせ、僕はコーヒーを 煎れるためにヤカンに火をかける。 共同でミサトさんの身体を運ぶ、という作業をしたせいか、人見知りする僕も 彼女に対する警戒心はほとんどなかった。 「すいませんね。ミサトさん、飲み出すと止まらないから。 ここまで連れて来て下さってありがとうございます。 彼女に替わってお礼言っておきますね。」 それを聞くと、彼女は少し口元をほころばせた。 「ふふ。ミサトからあなたの事は聞いているわ。 ミサトはあなたの保護者を任じているようだったけど、これじゃどっちが 保護者か分からないわね。」 「いえ、ミサトさんにはいつもお世話になっていますよ。 ほんとに頼り甲斐のあるお姉さんて感じで。 ・・・・・・・あの、ミサトさんの、同僚の方ですよね?」 「そうよ。学院”GEHIRN”の教師、赤木リツコ、よ。 はじめまして。碇シンジ君。」 「はじめまして。・・・・・・赤木、さん。」 「リツコでいいわ。」 「はい、リツコさん。よく、惣流やミサトさんから話を聞いてますよ。 この業界ではかなり名の知れた方らしいですね。 よく論文なんかも発表されてるみたいで。」 「ありがとう。・・・・・・他に何か、ミサト達から聞いてるかしら?」 「え、えーっと・・・・・・・・・。」 ミサトさんや惣流が彼女に関して言っていた事を思い出す。 どう考えてもそのまま伝えるわけにはいかないものばかりだった。 「と、とっても生徒想いの、優しい先生だって・・・・・・・・。」 「嘘ね。」 彼女は言下に否定した。 やっぱり通じなかったか。 「どうぞ。」 「あ、ありがとう。」 僕はスティックの砂糖とミルク、スプーンを添えてコーヒーを出した。 自分の分のカップを持って、僕は彼女の向かいに座る。 リツコさんは何も入れず、ブラックのまま口をつけた。 「あら、美味しい。」 ちょっと表情を動かす彼女。 なんだか、嬉しい。 「ありがとうございます。二人からも、誉められるんですけどね。」 「コーヒー一つでこれだと、噂に聞くシンジ君の料理というやつも、かなり 美味しいんでしょうね。」 「そ、そんな事も聞いてるんですか?」 「ええ。いつもミサトが自慢そうに話してるわ。美味しい手料理の話をね。 君が作った御弁当を皆に見せびらかしながら毎日食べてるわ。」 「ミ、ミサトさん・・・・・・・・・・・。」 なんだか恥ずかしさと嬉しさとで顔が赤くなった。 「それにしても・・・・・・・・・・。」 リツコさんは部屋を見渡す。 「随分奇麗に片付いてるのね。とても男の子の部屋とは思えないわ。 ミサトやアスカが掃除するはずがないから、みんなシンジ君が してるんでしょ?」 「ええ・・・・・・。まあ、何て言うか、性格がこうですから・・・・・・。 男のくせに家事ばっかり上手になって、ちょっと恥ずかしいですね。」 「そんな事はないわ。きっとシンジ君は将来いい旦那さんになるわよ。」 「・・・・・・・・褒め言葉ですよね・・・・・・・・それ・・・・・・・・・。」 「もちろんよ。」 ・・・・・彼女は、僕が今迄付き合ってきた人達とは大分タイプの違う人だった。 僕の周りに居た人達は、皆表情も、感情も豊かだ。 ミサトさんにしろ、惣流にしろ、トウジ、ケンスケ、マヤさんにしろ。 加持さんはちょっと静かな感じはあったけど、大袈裟な表現はしないまでも 自分の感情をそれなりにストレートに表している・・・・・・と思う。 しかし今僕の前に居る女性は、あまり表情が動かない。 何だか、自分の心を探られないようにと、どこか感情を押し殺しているような 所があった。 この業界も、他と同じく色々とあるものらしいから、その辺の関係で 腹の探り合いのために身につけたスタイルなのだろうか。 それとも彼女の性格そのものなのか。 しかしけして他人に対して無感情である訳ではないらしい事は僕にも 何となく分かる。 彼女にいきなり会ったのなら僕もこんな彼女に対してちょっと距離を 置きたいと思ったかもしれないけど、さっき僕の寝室でミサトさんの寝顔を 見ている時の彼女の表情を見ているから。 手のかかる妹を見ているような優しい、表情。 ミサトさんが彼女の事を親友と呼んでいる理由が分かるような気がした。 「学院の、男連中からは、シンジ君の名前はかなり有名よ。」 「ええ?な、何でですか?」 「なにしろ学院の美女二人と共同生活してる男って言われているからね。 ミサトやアスカのファンも、本気で惚れてる男も多いから、シンジ君にとっては 学院は鬼門ね。」 僕は背筋が寒くなった。 只でさえ学校でも結構嫉妬の視線で見られる事が多いのに。 「あ、いえ、二人、じゃないわね。三人か。」 「はい?」 「新しく、マヤも加わったからね。」 ああ。 そういえば、この間ミサトさんと惣流が、二人してマヤさんを学院へ 連れてったのだ。 学院なら、マヤさんの姿を見る事が出来る魔法使いがそれこそ何十人と居る。 たくさん友達が出来たと、彼女は子供のように喜んでいた。 だけど一番大切な友達はやっぱりシンジ君よ、と恥ずかしそうに言っては 居たけど。 こういう事は僕が真っ先に気付いてあげないといけない事だったのだけど。 まだまだ気配りが足りないな、と反省した事を覚えてる。 「マヤさん、どうですか?楽しくやってるようですか? 当人や、惣流達からも聞いてはいるんですけど、やっぱり心配で。」 「ええ、もちろんよ。最初は皆物珍しさと彼女の容姿に興味を持ってたみたい だったけど、最近は本当の意味で彼女は人気が高いわよ。 あの通り澄んだ性格してるしね。」 「そうですね。」 彼女の心の温かさに関しては僕が一番良く知っている。 「今では大体男達の勢力は四つに分裂してるらしいわ。」 「勢力?」 「女に対しての、よ。四強が出揃って、まあそれなりに面白い状態に なってるわ。下らない事だけどね。」 「四人って・・・・・・・・・。 ミサトさんと、惣流と、それからマヤさんと・・・・・・・・後、誰です?」 リツコさんは、僅かにぴくりと眉を動かすと、静かに自分を指差した。 しまった。 一瞬、彼女の表情に本気で怖い物を感じ取って、僕は凍った。 「あ、ああ、やっぱり、リツコさんだったんですか。」 「別にいいのよ。別に。 勢力の中でも、私の方は少数派らしいしね。」 あああ。 折角和やかだった雰囲気が、何だか冷たい。 僕は何とか雰囲気を変えようと話題を探す。 「さて、と。」 リツコさんは残っていたコーヒーを飲み干すと、席を立った。 「コーヒー、御馳走様。美味しかったわ。 長居しても何だから、そろそろ行くわね。」 「あ、もう帰るんですか?もう少しゆっくりして頂いてもいいんですけど。」 ひょっとして怒って帰るんじゃないかと心配になる。 「いえ、いいわ。明日も仕事だし。 これから家へ帰って色々とやらなきゃいけない事もあるしね。」 「そうですか。」 玄関へ歩く彼女。 僕はその後を追うようについて行く。 ヒールを履くと、すぐに出て行くのかと思っていたけど、彼女はなかなか 玄関のドアを開けない。 僕の顔と、全身を何だか値踏みでもするかのようにじろじろと見た。 「な、何ですか?何か、ついてます?」 視線がくすぐったくて、僕は両手で自分の顔や身体にあちこち触れる。 「いえ、その・・・・・・・・・・・ね。」 リツコさんは、何となく奇妙な表情をした。 そして、次に彼女の放った言葉は、僕の精神を間違いなく凍りつかせた。 「あなたって・・・・・・・・魔法使い・・・・・・・だったかしら?」 !! 僕は今迄に無いほど動揺した。 まさに、不意打ち。 刑事コロンボに『あのー。すみません、もう一つだけ・・・・・・・。』というやつを やられた犯人のような気分だった。 動揺を表情に出さぬよう、必死で顔をコントロールする。 「な、何でですか?僕は普通人ですよ。 どういう訳か魔法使いが二人に精霊の友達まで居ますけど、僕自身は 魔法使いでもなんでもありませんよ。」 「そう・・・・・・よねえ。なら、私の勘違いかしら。」 「そ、そうですよ。だってミサトさんからも聞いてますでしょ?」 「ええ・・・・・・・。ごめんなさいね。変な事聞いて。じゃあね。お寝みなさい。」 「は、はい。ま、またいらして下さいね。今度は夕食御馳走させて もらいますから。」 「ふふ。楽しみにしてるわ。」 パシュウン。 彼女を外に置き、ドアは閉じた。 電子ロックをかけ、僕はどっとドアに背中をもたせかけた。 心臓がバクバク言っている。 今更冷や汗だか油汗だかがどっと全身から溢れた。 な・・・・・・何なんだ!? 何で、どこから、ばれたんだ? 通常、魔法使いと、そうでない人間とは、通常の視覚では見分けがつく事は ない。 見分けるためには、普通とは違う特殊な”感覚”によって相手の魔力を 認識するしかないのだけど、僕は自分の魔力を完璧に隠蔽している筈だった。 今迄ミサトさんにも、惣流にも一度として疑われた事はない。 二人とも魔術師としてかなり優秀な筈だから、隠蔽には自信をもって良い筈 だった。 ところが、彼女は。 ・・・・・しかし、危なかった。 ひやりとはしたけれど、何とか誤魔化す事が出来た。 とりあえず安心だ。 僕は深く、大きく、溜め息を吐いた。 しかし。 その安堵が、一時的な物である事を、僕はすぐに知る事になる。 翌日。 学校が終わり、僕は惣流と一緒に帰っていた。 彼女は今日学院の授業のある日なので、途中で別れる事になるけど。 商店街を二人肩を並べて歩く。 「シンジ、今日の御弁当はちょっと寂しくなかった? なんか野菜ばっかりだったわよ。もっと肉類増やしなさいよ。」 「え、で、でもあれでも栄養とか考えたらああなったんだよ。 それに、惣流ってダイエットとか考えないの? 女の子って皆蛋白質とか脂質とかを採り過ぎないように気を付けてるもんだ と思ってたけど。」 「馬鹿ねえ。そんなのはあくまで一般人よ。 あたしクラスの美貌になると、そんな日々の努力なんてものは必要ないの。」 「はあ。」 「なによその溜め息は。もっとあたしという人間を理解しなさい。 そうでないといつまでたってもあたしの完璧な下僕にはなれないわよ。 ・・・・・まあ、あんたみたいな凡人に、天才のあたしを理解するなんて 一生かかっても無理かもしれないけどね。」 惣流は自信たっぷりに笑う。 僕はそんな彼女を眩しく見つめる。 「・・・・・・・ううん。」 僕は呟いた。 「ん?」 聞きつけた惣流が不思議そうな声を出す。 「・・・・・・いつまでかかるかは分からないけど・・・・・・でも、いつか、きっと、 惣流の事、全部理解出来るようになりたい・・・・・・。いや、なる・・・・・・・。」 「ちょ、シンジ・・・・・・・・・・・。」 彼女の頬が、ほんのりと朱に染まった。 「あ、あたりまえでしょ。せいぜいあたしの下僕として、日々の努力を 怠らないことね。」 「うん。」 素直に答える僕。 そんな僕に、さらに赤みを増す惣流の頬。 不思議な感じだった。 何だか、最近彼女の事が今迄よりもさらに、さらに愛おしい。 惣流を、温かく、優しく、包み込んであげたい。 彼女が、僕の事を大事に思ってくれている事は分かる。 しかしそれが一人の男としてそう思っているのか、それとも友達としてそう 思っているのかは分からない。 今迄は気になって仕方なかったそれが、最近はあまり気にならない。 無論、昨夜僕が恥ずかしながらやってしまったように、僕の事を恋人として 認めてくれればそれ以上の事はない。 だけど、もしそうでないとしても、僕のやるべき事、やりたい事は変わらない。 ずっと、彼女の事を見つめ続けるのだ。 ずっと、彼女の事を守り続けるのだ。 好きだから。 初めて見た時から、ずっと、惹かれていたから。 ・・・・・・きっかけだったのは、先日のマヤさんとの事件だった。 あれ以来、僕は色々と考える事が多かった。 男と、女。 僕と、アスカ。 僕と、マヤさん。 まだまだ、はっきりした答えは出ない。 でも、二人とも僕にとって一番大事で、一番好きな人だ。 そう思うと、すっきりしてしまった。 毎日必死だった惣流との付き合いに、少しだけ余裕が出てきたような 気がする。 わざわざ彼女に睨み付けられなくても、彼女の望んでいる事がすぐそれと 分かる。 ご機嫌取りとか、そういうのじゃない。 ただ、何度も言うけれど。 僕は、彼女が好きだから。 ただ、それだけだ。 沈黙が、落ちた。 惣流が、黙ってしまう。 しかし、歩み続ける僕達の身体の距離は、さっきよりもほんの少しだけ 近づいていた。 prrrrrr.......prrrrrr.......。 突然、僕のポケットから電子音が響く。 携帯が着信したらしい。 飾り気の何も無いそれを取り出すと、僕はアンテナを引っ張って耳に当てる。 「・・・・・・・・・はい・・・・・・・・・・・。ええ、はい・・・・・・・・・。」 二人で歩きながら、会話する僕。 通話を終え、携帯を仕舞った僕に、彼女は聞いてきた。 「誰から?」 「ん。ミサトさんからだった。ちょっとリツコさんが僕に用があるんだって。 だからこれから、惣流と一緒に来て欲しいとか言ってた。」 「リツコが?あんたに何の用があるのよ?だって昨夜初めて会ったんでしょ? そう言ったわよね?」 「うん・・・・・・・何でも、マヤさんの事で聞きたい事があるらしくって。 まあ、精霊の事はともかく、マヤさん自身に関しては僕が一番良く知ってる つもりだし。」 「ほほお。大した自信だ事。 さすが、マヤに主人として認められただけの事はあるわねえ。 妬ける妬ける。」 「あ、い、いや、その。そういう事じゃ、なくってだね。つ、つまり・・・・・・。」 「ううん。いいのよお。仲良くして下さいな。あーあ。あっつい、熱い。」 「う・・・・・・・・・・。」 前言撤回。 やっぱり惣流と余裕を持った付き合いは、僕には一生出来そうに無い。 「ここが、”学院”かあ。」 僕はその建物を見つめた。 惣流達の話で、何度も聞いてはいたものの、実際にここに来るのは初めてだ。 僕は以前、”学院”を称して、学習塾、と表現した事があった。 そして、それは建物の外見に関しても正しい表現だった事を知った。 六階建てのビル。 真新しく、清潔感を漂わせる、明るい雰囲気のそれ。 魔導学院、という言葉のイメージから、何か暗く、渋いものを想像していた 僕は、ちょっと意外だった。 出入りしている人達も、外見は全く普通の人と変わらなかった。 小学生らしい子も居たし、大分年配の人も居る。 無論その内のほとんどの人に、それなりの魔力が潜んで居る事を僕は感じる。 「じゃ、入りましょうか。」 惣流がさっさと出入り口へ向かう。 僕は少し躊躇った。 「どうしたのよ。早く、来なさいよ。シンジ。」 「いや、その・・・・・・・いいのかな?ほんとに、入っちゃって。 魔法使いでない僕なんかが入ったら、なんか言われるんじゃないかな?」 「んー。まあ、確かに学院て場所は、普通の人が中に入る事をあまり良しと しない所があるけど。でも、今回はそこの教師が直々に呼び出したんだから、 別に気にする事ないんじゃない?」 「そ、そうかな。」 僕は恐る恐る彼女の後について学院の中へ入っていった。 念には念をいれて、自分の魔力の隠蔽を濃くする。 何しろここには僕の正体を見破れる人間がわんさと居るのだ。 注意しすぎるという事は無い。 昨夜リツコさんに半分見破られかけた事が僕の心配に拍車をかけていた。 そして。 もう一つの心配事は、すでに明らかに形になりつつあった。 ひっきりなしに浴びせ掛けられる視線。 ひそひそ、という囁き声。 そう。 ここでは僕は有名人なのだ。 僕の顔を知っている人は居ないだろうけど、惣流と一緒に入ってきた事を 考えれば、僕が何者であるか想像する事は難くない筈だった。 「・・・・・・・・・・・・・。」 真っ直ぐ、自信を持った歩みを続ける惣流に対して、僕はそんな周囲の反応に こそこそと歩く。 僕は目立つのが嫌いだ。 いつだったか、小学校の頃に何を間違ったか全校生徒の前で自分の作文を 読まされるはめになって、その時には地獄を見てしまった。 今思い出しても恥ずかしくて死にそうになる。 「あんたにはここは不案内だろうから、リツコの部屋まで付き合ってやるわ。 感謝する事ね。」 「うん。ありがとう。」 「・・・・・・・・あれ?ミサト?」 階段を上がって、二階へと辿り着いた僕達の視界に、人の姿が映る。 それは、惣流の言う通り、ミサトさんだった。 しかし、いつものおちゃらけた雰囲気ではなく、真面目な表情。 今朝の二日酔いの彼女からは信じられないほどの変わり様だった。 いや、真面目な表情・・・・・・というよりは。 緊張した面持ち。 そう表現するのが適当だったろうか。 緊張している? あの、ミサトさんが? 気付けば、彼女の側には一人の人物が居た。 ミサトさんは、その人物と会話をしているようだった。 その人物をじっくり観察し、僕と惣流とは、一様に訝しげな表情を浮かべた。 その人。 それは、男だった。 しかし、年齢は随分若い。 160センチちょっとのミサトさんよりも、頭一つ分くらい身長が低かった。 ひょっとすると、僕と同年代くらいだろうか。 「魔法使い、ね・・・・・・・・。あれ・・・・・・・・・。」 うん、と相づちを打ちそうになって慌てて口をつぐむ。 僕もその少年の魔力を感じ取ってはいたけれど、普通の人間である僕に、 彼を魔法使いだと看破出来る筈が無い。 彼は、なかなか・・・・・・というか、かなり整った顔立ちをしていた。 美少年系のアイドルグループに所属していても全く不思議と思わない。 銀色の頭髪が目を引く。 しかしその少年の外見とは裏腹に、彼の表情は妙に大人びていた。 物腰、態度、それらに関しても、どこか少年らしさに欠けた。 落ち着き過ぎている。 そして、恐らくは倍ぐらい年齢を重ねているミサトさんが、そんな彼と緊張し、 冷や汗さえかきながら会話をしているのだ。 見れば見るほど異様な光景だった。 僕らは、じっとその場から動かずその様子を眺める。 やがて。 会話を終えたらしく、少年はミサトさんから離れた。 そして階段の方へ・・・・・・僕らの方へと近づいて来る。 「失礼。」 彼がそう言うと、僕は何となく気圧されて下り階段への道を開ける。 銀髪の少年は、僕をちら、と見つめると、そのまま一階へ下っていった。 全てを見透かしているかのような、深い、漆黒の瞳。 彼の目を思い出して、僕は少し怖い物を感じた。 まるで底の見えない瞳。 「ねえ、どうしたのよミサト。さっきの誰? うちの生徒・・・・・・・・じゃないわよね?」 惣流が早速ミサトさんに問い質している。 ミサトさんはやっと僕らの存在に気がついたらしい。 緊張を解き、安堵の表情を浮かべる。 「ああ、アスカ。シンジ君も、いらっしゃい。」 「ね、誰よ?さっきの奴。なんかすかした奴だったけどさ。 随分緊張して話してたみたいだったけど。」 僕も知りたい。 妙に彼の事が気に掛かった。 「ん・・・・・・あの人はね、監査員よ。」 「かんさいん?」 問い返す僕。 「そ。あちこちに存在する”学院”を調査して、そこで行われている活動が 適当なものであるかを判断する人。 あたし達とは違って、親方日の丸よ。 いやもう怖いったら。」 「へえ。」 僕らは同時にそう答える。 僕は彼が手に提げていた黒い鞄を思い出した。 あの中に、いわゆる”閻魔帳”というやつが入っているのだろうか。 「でも、随分若いですねえ。まだ義務教育も終えてないような感じなのに。」 「あのランクの魔法使いに、外見なんて意味無いわよ。」 そりゃそうだ。 「ま、とりあえずあたし達には関係無いわね。じゃ、リツコのとこ行きましょ。」 「う、うん。」 もう一度彼を見たいという感情もあったけど。 まあ、僕には関係無い事だ。 惣流の言う通り、そう思うと僕は彼女の後を尾いていった。 ・・・・・・しかし。 この時の僕の認識は、まだまだ甘かった。 彼は、後に僕の人生に重大な関わりを持って来る人物だった。 数奇な運命によって、僕は彼と再び出会う事になるのだが、 それはまた別の話。 「いらっしゃい。よく来てくれたわね。シンジ君。」 僕をここまで案内した後、『じゃ、あたしはこれから授業あるから。』と言う 惣流と別れ、僕はリツコさんの部屋を訪れた。 僕を認めると、リツコさんは立ち上がって僕にねぎらいの言葉をかける。 僕は彼女に勧められるまま、並べられた机の一つの椅子に腰掛けた。 ・・・・・凄い部屋だな。 詳しい描写は避けるけど、一言で表現すれば、 マッドサイエンティストの部屋 というやつだろうか。 惣流が、リツコには気をつけなさい、と言っていた意味が何となく分かった。 この部屋の中に佇むと、彼女の姿がそら恐ろしく感じられる。 リツコさんは僕と相向かいに椅子に腰掛けた。 「あの、僕に、何の用なんでしょうか?ミサトさんの話では、何でもマヤさんに ついて聞きたい事があるそうですけど・・・・・・・。」 部屋の中には、僕と彼女と二人きり。 マヤさんの姿は見えなかった。 リツコさんは、含み笑いをすると、腕を机の上に置いて、両手を組んだ。 「・・・・・・・・・・・。」 何だ。 僕をじっと見つめる彼女。 う・・・・・・・・・・・。 その目を見て、僕の背筋は凍った。 別人が、そこに居た。 昨夜、僕のコーヒーを飲んで、美味しいと言ってくれた彼女は、 寝入ったミサトさんを優しく見つめていた彼女は、 そこに居なかった。 冷徹な瞳。 さっきの監査員の彼と同質の目。 人間を、人間と認めず、一つの肉塊として認識する目。 彼女から放たれる魔力は僕と比べれば微々たるものではあったが、 その精神は完全に僕を圧倒していた。 空調の効いた部屋の中、僕は汗を感じた。 そして、彼女は。 言った。 「・・・・・・・あらためて、いらっしゃい。よく来てくれたわ。碇シンジ君。 いえ・・・・・・・・”ウイザード(魔術師)”君?」 !! 昨夜に倍する驚愕。 「な、何を言ってるんですか?リツコさん?」 僕はとぼけた。 しかしそれはとぼける、などと呼べるものではなかった。 見る人間が見れば僕の動揺は明らかに見てとれた筈だった。 彼女は再びふふ、と含み笑いをする。 「いい加減、おとぼけは止めてもらおうかしら? よくもまあ自分が魔法使いである事を周囲の人間に隠し通せたものね? あのミサトやアスカの目をあれだけ長い間騙せた事は驚嘆するわ。 今も魔力の隠蔽は完璧のようね。 くやしいけど私にはさっぱり感知出来ないわ。」 「・・・・・・・・や、やっぱりリツコさんの言う事が分からないんですけど・・・・・。」 「ふふ。あくまでとぼけるつもりね。まあいいわ。ゆっくり説明してあげるから。」 「・・・・・・・・・・・。」 「まず、ね。君に昨夜、初めて会った時、実はほんの僅かに、魔力を 感じ取ったの。 本当に、僅か。 それと言われなければ全く気付く事の無いような、微細な匂いのようなもの。 最初は、ミサトのそれと勘違いしているのか、と思ったのだけど、 どうにも気になって頭から離れなかったわ。 私はね。 少しでも気に掛かる事はどうあってもその答えを探したくなる性分なの。 今回は、それが生きたわ。」 唇を僅かに噛む僕。 ひょっとして、幻覚を作った時の魔力の痕跡が残っていたのか。 僕は自分の不注意を呪った。 「そして帰りがけにちょっとしたカマをかけてみたの。そうしたら見事に 引っかかってくれたわ。嘘やとぼけるのが随分下手な性格らしいわね。 シンジ君? で、帰った後すぐに、私は自宅のコンピューターで役所のデータを 覗いてみたわ。勿論あなたの戸籍を調べたのよ? 残念ながらそこには私の望む単語・・・・・・・”魔法使い”という言葉は 無かったわ。だけどその代わりに、ちょっとしたものを見つけられたけどね? ・・・・・・・・・ふふ。ミサトから初めてあなたの事を聞かされた時に、 気が付くべきだったわね。碇、なんて苗字、そうそうあるものではないしね。 本当に驚いたわ。まさかあなたが、”あの”碇ゲンドウの息子だったとはね。」 「・・・・・・別に、父親が誰であろうと、関係無いじゃないですか。」 僕は吐き捨てるように言う。 彼女は満足そうに続けた。 「そうね。たしかに、関係無いわ。それに、あの人の息子であるという事は、 誇れる事ではあれ、忌むべき事ではないわ。 だから、私はこの事に関しては、まあ面白いとは感じたけど、君にどうこう 言うつもりはないわ。 ・・・・・・・問題は、この後よ。」 ・・・・・分かるわけがない。 どうしたって、僕が魔法使いである証拠など、あるわけがない。 産まれた時の”鑑定”の結果、僕は魔力を持たぬ普通の人間であると 判断され、そしてあらゆる情報において、僕は普通人であると 登録されている。 大丈夫な、筈だ。 「私はね。その後、ふと閃いて、ある場所の情報を覗いてみたの。 どこだと思う?」 「・・・・・・・・さあ・・・・・・・・・?」 「図書館、よ。」 「は?」 「図書館よ。市立図書館。そして、そこの貸出記録をちょっと 閲覧させてもらったのよ。・・・・・・誰の、貸出記録かは、分かるわよね?」 「!!」 この、馬鹿! 僕は自分の馬鹿さ加減にほとほと愛想が尽きた。 そうだ。 図書館には、僕が借りたあらゆる書物の内容が完全に残されている。 借りる時こそ知り合いに見られないように、と注意してはいたものの、 そこまでは考えが及ばなかった。 「驚いたわ。普通人である筈のあなたが、ある日を境に、今迄借りていた本とは 全く毛色の違う物を借り始めていたんですから。 ・・・・・・・・どれも、魔道書ばかり、ね。」 「く・・・・・・・・・。い、いえ。それは、説明がつきますよ。」 「へえ?聞かせてもらいましょうか?」 「つ、つまり、その・・・・・・惣流に、頼まれたんです。」 「へえ。アスカにねえ?」 「ええ。惣流は、あの通りの性格ですから、図書館へ行く事を面倒臭がって、 よく代わりに魔道書を借りに行かされたんですよ。」 「ふううん。じゃあ、アスカ本人に、聞いてみましょうか? 彼女がシンジ君にそういった事をさせた事があったかどうか? そうして困るのは、あなたの方じゃないの?」 「ぐ・・・・・・・・・・・・・・・・!」 僕は万策尽きた事を知った。 がっくりとうなだれる僕。 勝ち誇って彼女は続けた。 「ここまで分かってしまえば、後は簡単。 ”知っていそうな人”に問い質せばいいわ。」 その言葉と同時に、一人の人物が、す、と一つの壁を通り抜けて部屋の中へ 現れた。 「マヤさん・・・・・・・・・・。」 マヤさんは、申し訳なさそうに俯いていた。 「ごめんなさい・・・・・・・シンジ君・・・・・・・・・。 最初は何とか誤魔化してたんだけど・・・・・・・・・さっきシンジ君に言った事と 同じ事を聞かされて・・・・・・・どうにもならなくて・・・・・・・・。」 「・・・・・・いえ・・・・・・マヤさんのせいじゃありませんよ。 不注意だった僕が悪いんですから。」 「・・・・・・・認めるのね?シンジ君?自分が、魔法使いである事を?」 「・・・・・・・・はい。」 「まあ、年齢の割にはなかなか頭も回るみたいだけど、まだまだ駆け引きに おいては大人には敵わないわね。シンジ君?」 「・・・・・・で、どうするつもりですか?」 「どうするって?」 「この事を知って、一体どうしようって言うんですか?確かに僕が一番 知られたくない事を知られてしまいました。 でも、僕みたいな子供を脅迫して、どうするつもりですか? お金なんてありませんよ。」 「別に、あなたから金を取ろう何て事は考えないわよ。」 「・・・・・じゃあ、ひょっとしてこの事をきっかけに、僕の父に近づこうという 考えですか?でしたら、無駄な事ですよ。もう、調べてあるんでしょ? 僕と、父との関係がどんなものか?」 「あなたのお父さんにはちょっと興味があるけれど、そんなつもりはないわ。 シンジ君。あなた自身から、口止め料を頂くつもりよ。 勿論金ではなくて、もっと別の形でね?」 「う・・・・・・・・・・・。」 人体実験、という単語が浮かんだ。 彼女なら、やりかねない。 しかしそれを言われても、僕には拒否出来まい。 主導権は完全にあちらの物だ。 「・・・・・では、シンジ君?口止め料の、内容を言わせてもらうわ。 あなたに、拒否権は無い。分かるわね?」 「く・・・・・・・・。・・・・・・・・はい・・・・・・・。」 僕は俯いたまま。 恐ろしくて、彼女の表情を見られなかった。 「口止め料の・・・・・・・・・・・。」 どくん、どくん。 心臓が早鐘を打つ。 「内容は・・・・・・・・・・・・・・・。」 どくん、どくん、どくん、どくん。 「明日から、毎日私にもミサトと同じ御弁当を作って来る事。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ?」 一瞬、彼女の言う事が理解出来なかった。 「な、何ですって?」 「聞こえなかったかしら?私にも御弁当を作って来てって言ってるの。 ミサトの奴、毎日毎日私に見せびらかしに来るのよ?シンジ君の御弁当。 そのくせ、一度として食べさせてくれた事は無いんだから。 私だけじゃないわ。学院の誰にも、ミサトは食べさせてくれないの。 だからね。私は誓ったの。 きっと、羨む方じゃなくて、羨ましがらせる方に回ってやろうってね。」 「は、はあ・・・・・・・・・・・・・。」 な・・・・・・・・・・・・何て子供っぽい人なんだ! あれだけ心配していた事が、馬鹿みたいだった。 「あの・・・・・・・ほんとに、それだけで、いいんですか?」 「そうよ。一体、どんなお願いされると思ったの?」 「い、いえ・・・・・・・・。」 言えない。 まさか人体実験なんて。 !! 僕は、ふと閃く物があった。 先程まで絶望の淵だと思っていた場所が、不意に現状を打破する突破口 である事に気が付いた。 何度も、何度も考え続け、僕はそれが素晴らしい計画である事を 最早疑わなかった。 「あの・・・・・・・・・リツコさん・・・・・・・・。」 ゆっくりと、僕は話し掛けた。 上機嫌だった彼女は、僕の声音に何を感じたか、訝しそうな視線を向ける。 「何?もう一度言うけど、あなたに拒否権は無いのよ?」 「いえ・・・・・・・。そんな話じゃありません・・・・・・。 喜んで、リツコさんの御弁当、作らせてもらいます・・・・・・・・。 僕が言いたい事は、つまり・・・・・・・・・。」 僕は、言った。 「リツコさん・・・・・・・・・・・。僕と、取り引きしませんか・・・・・・? もう一つ、取り引きを・・・・・・・。」 「?」 更に訝しむ彼女。 今迄黙っていたマヤさんも、何を言い出すのかといった表情をする。 「何の、事?どんな取り引きよ?」 「僕は、今非常に困っています。 何故かと言うと、僕はある情報を手に入れたいと考えているんですけど、 残念ながら僕にはその情報を入手する術が無いんです。 人脈もなければ、コンピューターの知識もありませんから。 ・・・・・・ですから、そういった事に長けたリツコさんの力を 御借りしたいんです。」 僕の脳裏に、旧東京の廃虚が浮かぶ。 「シンジ君?取り引きというものは、お互いに代償を差し出す事によって 成り立つのよ?私の、メリットはどこにあるのかしら?」 「メリットは、あります。」 僕は腹を決めた。 毒を食らわば・・・・・・・・・・。 「リツコさん・・・・・・・僕の事を、研究してみたいとは、思いませんか?」 「はあ?」 面食らった顔をする彼女。 「僕も、いつまでも自分の正体を周囲に隠し続ける気はありません。 ですから、いつか僕が自分の正体を明かしてもいいと思った時、 その時に、リツコさんが、僕を研究した成果を、自由に発表して構いません。」 「ちょ、ちょっと、シンジ君? 悪いんだけど、あなたが魔法使いである事を調べたのは、純粋に御弁当の ためなの。学術的な興味は、別にないのよ。シンジ君に頼まなくても、 私の研究に付き合ってくれる魔法使いは、この学院の中にも、 幾らでも居るわ。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 僕は、周囲の気配を探る。 少なくとも、部屋の中にはリツコさんとマヤさんしか居ない事を確認し、 そしてカメラの類も備え付けられて居ない事を確かめた。 大丈夫だな。 僕は、微かに、口の端を歪めて、笑った。 その僕の表情に何を見たのか、二人の表情が凍り付く。 「「シ・・・・・・・シンジ君?」」 同時に、僕の名を呼ぶ二人。 僕は更に笑みを深くした。 「これでも・・・・・・・・・・。」 「え?」 恐る恐る、といった感じで聞き返すリツコさん。 「これでも・・・・・・・・・・・僕は、研究するに値しませんか?」 そう言い放った刹那! 僕は、自らの魔力を解放した! 「!!・・・・・・・・・・・・きゃ、きゃああああああああ!」 「シ、シンジ君!?」 絶叫する二人。 しかしあらかじめ部屋の周囲にそれと判らぬ様張り巡らせた結界のために、 二人の叫びは部屋の外に漏れる事は無い。 「な、な、・・・・・・何なの!これは!」 リツコさんの驚愕の叫び。 それも、もっともだった。 普通人にはけして知覚出来ないであろうが、魔法使いと、精霊である 二人には、僕から解き放たれた魔力が、ほとんど物質的な力を持って 感じられた筈だった。 恐らく、突如として台風の真っ只中に放り込まれたような衝撃を味わったに 違いない。 しかも、これでもまだまだ僕は自分の魔力をセーブしていた。 「こ、これが・・・・・・・シンジ君の、・・・・・・・・・・シンジ君一人の 魔力だと言うの・・・・・・・・・・・・”これ”が!!」 冷静沈着な筈のリツコさんの、恐慌状態。 さっきやりこめられた仕返しが出来て、僕はちょっと満足する。 「・・・・・・・・・・・・・・・・。」 僕は、始めた時と同様に、唐突に魔力の放出を止めた。 ・・・・・・・・二人は、茫然自失の面持ちだった。 ぺたん、と二人揃って床に腰を落としている。 僕は含み笑いと共に、リツコさんにもう一度同じ問いを発した。 「どうでした・・・・・・・・・・? これでも、僕は研究するに値しませんか・・・・・・・・・・・?」

 


NEXT
ver.-1.00 1997-09/27公開
ご意見・感想・誤字情報などは kawai@mtf.biglobe.ne.jp まで。

 河井さんの『僕のために、泣いてくれますか』第拾壱話、公開です。
 

 MADリツコさん・・・

 お茶目〜〜・・・なのか?!

 手間暇かけて、
 頭使って、
 駆け引きをして、
 脅しまで使って、

  ・
  ・
  ・

 危ないことをしての目的が・・・弁当(^^;
 ミサトに自慢されるのが悔しいからって・・・・うむ、お茶目だ(^^)
 

 自らを実験材料に差し出してまでも得たい情報。
 どうなって行くんでしょう・・

 そんなことをしている時間があるのだったら、
 幻覚の呪文を教えて!(爆)

 
 
 さあ、訪問者の皆さん。
 りっちゃんを茶目茶目に書いてくれた河井さんにメールを送りましょう!


TOP 】 / 【 めぞん 】 / [河井継一]の部屋