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ウイイーー・・・・・・ン
液晶表示板の中の赤い数字が変わって行く。
2・・・3・・・4・・・・・5・・・・・・・
チン!
その数字が6を表示した時、身体にかかっていた重圧が消えた。
「・・・・・・・・・・・・・。」
僕は無言でエレベーターを降りた。
白色灯に照らされたマンションの廊下。
右手に、幾つも並ぶ部屋の扉を、左手に、第三新東京市の美しい夜景を
望みながら、僕は無人の廊下を独り歩く。
『碇』
そう表札の掲げられたドアの前で、僕は歩みを止めた。
ズボンのポケットを無意識の内に探り、苦笑する。
部屋のカードは失くしてしまったんだっけ。
後で手続きをしておかないとな。
ええと。
どうやって自分の部屋の中に入ろうかと思案に暮れていると。
パシュウン。
柔らかな音を立てて、隣の部屋のドアが開いた。
そこから見慣れた住人が顔を出す。
「あら、お帰りなさい、シンちゃん。遅かったわね。」
「ミサトさん・・・・・・・・・。」
いつもの刺激的な格好のまま、ミサトさんは歩いて来た。
「シンちゃん。夜遊びは良い子のする事じゃないわよ。
シンちゃんはまだ中学生なんだから。
・・・・・なあんて、あたしが言っても 説得力ないか。」
「いや、あの・・・・・・すいません。遅くなって。」
「んーん。いいのよお。危ない事さえしなければ、別に何時に帰っても。
ちゃんと連絡いれてくれたしね。」
「・・・・・・・・・はい。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・シンジ君?」
「は、はい!?」
僕はいきなり”シンジ君”などと呼ばれて焦ってしまった。
彼女が僕の事をこう呼ぶ時は真剣な話の時と決まってる。
・・・・何か、勘付かれたかな?
僕は慌てて自分の身の周りをチェックする。
身体の汚れは拭ったし、服もいつもの制服をきちんと着てる。
通学に使ってるナップサックも背中に背負っている。
疑われる心配はないはずだった。
「・・・・・・どうしたの、シンジ君?」
「え、な、何がですか?」
僕はちょっとどもりながら答える。
嘘を吐いたり、とぼけたりするのが不得手な自分の性格を呪った。
「いえ、何だかシンジ君、元気ない顔してるから・・・。」
「そ、そんな事ないですよ。」
「何かあったの?」
「いいえ、何も?」
「・・・・・・・・・・。」
彼女は僕の顔をじっと見つめると、やがていつもの表情に戻った。
「ごめんね。なんか気になったもんだから。
シンちゃんがそう言うなら、あたしの勘違いかな。」
「そ、そうですよ。」
「そうね。ね、今からでもあたしんトコ来る?」
「いや、今日は疲れちゃいましたから、ゆっくり休む事にします。」
「そ。じゃ、お寝み。」
「おやすみなさい。」
彼女は自分の部屋へと戻って行く。
中へ入ろうとする直前に、彼女は振り向いた。
「そういえばシンちゃん。さっきね。アスカから電話があったの。」
「・・・・・・惣流から?」
「ええ。」
ミサトさんは、『惣流さん』ではなく『惣流』と言った僕に気付いたらしいけど、
何も言わなかった。
「・・・・・何て、言ってました?」
「別に。他愛ない世間話よ。一時間ぐらい、だらだらとね。
色んな話したけど、シンちゃんの話題だけは振って来なかったわね。アスカ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「意識的に、シンちゃんの話題を避けてるようで、
それでいてシンちゃんの事聞きたがってるのが分かったわ。」
「・・・・・・・・・・。」
「だからね。アスカに『シンちゃんはまだ帰ってないわよ。』ってわざと
教えてあげたら、『べ、別にあいつの事なんか聞いてないでしょ!』って。
その後すぐに電話は切れたわ。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「何かあったの?アスカと?」
「・・・・・・・・・・・。」
「話したくない事なら無理に話す事無いけどね。」
「・・・・・・喧嘩・・・・・・したんです・・・・・・・。」
「喧嘩?」
「はい。」
僕は学校での事を手短に語った。
「ふうん。それでか。シンジ君の元気無かったのは。」
「え、ええ。まあ・・・・・・・。」
「ま、とっとと仲直りしちゃう事ね。
喧嘩が出来るようになったのは大きな進歩だけど、
それでも喧嘩してそのまんまじゃあ駄目よ。」
「・・・・・はい。」
「よろしい。じゃ、ね。今度こそお寝み。」
「はい。おやすみなさい。」
パシュウン。
ミサトさんは部屋へ戻った。
それを見届けると、僕はちょっと躊躇った後、自室のドアにそっと触れる。
パシュウン。
電子制御で、脇のスロットにカードを入れなければ開く事の無い筈の
気圧式開閉のドアは、あっけなく僕を室内へ迎え入れた。
「・・・・・・・・ふう。」
なんとか誤魔化せて良かった。
本当の心配の種を、何とか気付かれずに済んだようだ。
たとえミサトさんでも、いや、ミサトさんだからこそ、
あの事を知られる訳にはいかない。
僕が。
魔法使いである事を。
僕のために、泣いてくれますか(第六話)
「・・・・・・・・・ふう。」
僕は溜め息をつくと、読んでいた本を閉じた。
軽く伸びをしながら、周囲を見渡す。
同室の人達は、皆静かに読書に勤しんでいる。
室内は空調が効いており、外の暑さとは別世界の様子を呈していた。
書物独特の心地良い匂いが微かに漂っている。
こんなに長い時間本を読み続けるのは最近は無かった事だ。
それだけ忙しかったんだな、と僕は思う。
ここは、市立図書館だった。
2011年に創設され、まだ歴史はないものの、その蔵書の数と上質の設備は、
市民に十分過ぎる憩いの場所を提供している。
そして僕もしばしばここを利用していた。
最近は随分足が遠のいてしまったけど、以前は三日と空けずに
ここに通っていた。
その頃の僕には、本を読む事くらいしか時間を使う術が無かったのだ。
僕がその頃読んでいた本というと、まず歴史小説があげられる。
前世紀に亡くなってしまっているけど、150年位前の日本の歴史を中心に
執筆していたある作家の著作が多々あり、僕はそれらを愛読していた。
それから、恥ずかしい事ではあるけど、僕は童話を読む事もよくあった。
”オズの魔法使い”や”ナルニア国物語”など、ファンタジックな世界に魅せられ、
自分が童話の世界の住人になった事を夢想しては陶酔していた。
しかし今、僕が読んでいた本、そして、机の上に置かれたもう三冊の本は、
そういった本とは違った。
魔法に関する書。
さっき言った様な童話の世界とは異なり、僕達の住む、この世界の
魔法に関しての。
それから、歴史の資料集。
これは15年前の悲劇、
”第二次関東大震災”についての記録。
僕は朝からこの図書館にやって来て、この時間------午後三時までずっと
それらの本を貪り読んでいたのだ。
昨夜は、結局一睡も出来なかった。
あまりの事に気が高ぶって、睡魔が襲う暇など全く無かった。
どうしたらいいんだろう。
魔法使い。
そう。
僕は魔法使いになってしまったのだ。
いや、間違えた。
”魔法使い”とは魔法の才能を持つ人間の呼称だから、
『魔法使いだった』というのが正しい。
ともかく僕は圧倒的な力を持つ魔法使いなのだ。
そう。
例えば、その気になれば。
今この部屋で黙々と読書をしている人々。
彼らを一人残らず、悲鳴をあげさせる事もなくあっさりと
殺してしまう事も出来る。
また、例えば。
僕は今日、ここまで自転車で来たけれど、そんな煩わしい事をしなくても、
空間を飛び越えて一瞬にして辿り着く事も出来る。
昨夜僕が旧東京から第三新東京市へ帰って来た様に。
本来なら長く、苦しい勉学の果てにやっと扱えるようになる高度な魔法を、
僕はまるで歩いたり、喋ったりするのと同じくらいに易々と使いこなしていた。
僕が光を望めばそこには光が生まれ、炎を望めば炎が現れた。
一キロも向こうで会話をしている人々を観察する事も出来たし、
僕が意識を向けるだけでテレビやエアコンはその機能を果たさんとした。
ともかく、僕にとって世界は変わってしまった。
この世に僕の願いを妨げるものはなかった。
魔法はあらゆる不可能を現実とする力なのだ。
しかし。
だからといって僕はこの状態を手放しで喜んではいられなかった。
あまりにも大きな事のため、現実味がないと言う事も理由ではあったけど、
あまりにも不可解な事が多すぎる点が、僕に不安を掻き立てさせた。
僕は昨夜、部屋で頭を抱えつつ、自分なりに疑問点を整理してみた。
(1)、何故僕は昨夜、第三新東京市から旧東京まで一瞬にして移動したのか。
(2)、何故、旧東京はあんな状態だったのか。
(3)、何故今迄僕は、自分が魔法使いである事に気が付かなかったのか。
こんな所だろうか。
まず(1)だけど、これに関してはどうにも答えが出せそうもない。
僕は今朝再びあの繁華街を訪れてあの路地にも入ってはみたものの、
その出口は何の事はない普通の通りだった。
旧東京など影も形もない。
空間の歪みに飲み込まれたとか何とか幾らでも推測は出来るだろうけど、
そんな事に意味はない。
続いて(2)。
これまで旧東京に関しては報道管制が敷かれていた。
(建前は”自主規制”という事になっていたろうけど)
しかし僕は昨夜はっきりとその様子を見た。
生命の姿の見えない死の世界。
一般のイメージ通り、全く復興の手の入らない廃虚。
そして。
悪魔。
はっきりと確認したわけではないけど、旧東京全域に、ああいう悪魔が
無数に跳梁している事を僕は確信している。
何故悪魔がいるのか、という事はさておいても、
これによって政府の出した命令はほとんど納得できる。
あの事実を伝える事によるパニックがどれほどのものになるか。
第二次関東大震災が如何なるものだったかは、肝心の資料が
当たり障りのない物ばかりで、とても僕の疑問に答えるものでは無かった。
最後に(3)。
これは僕自身に直接関わる事だけに、最も切実な問題だった。
少なくとも日本では、赤ん坊が産まれた時には、その子供が
魔法使いであるか否か”鑑定”されるという風習が昔からあった。
百年以上も前ならば、なんらかの理由で自分が魔法使いである事を
教えられずに育つ、あるいは鑑定そのものを受けずにいたという事もあり得、
僕のように年を重ねてからある日突然魔法使いとしての自分を
見つけるという事も有り得た。
しかし近代に入り情報化社会になってからは、そんな事はまず有り得ない。
子供は必ず鑑定を受け、魔法使いであるか一般人であるか、
はっきりと戸籍に記入される。
僕は自分の戸籍を見た事もあるけれど、そこに”魔法使い”の一語はなかった。
何故なのか。
理由は想像もつかない。
ともかく、分からない事だらけだった。
はっきり言って僕にはこれ以上どう調べればいいのか分からない。
想像を絶する魔力を手にはしているものの、それをどう扱えば
自分の望む情報を手に入れる事が出来るのか考え付かなかった。
・・・・・誰か、信頼の置ける人に相談しようか。
そうも考えた。
しかし、トウジやケンスケは相談しても、親身にはなってくれるだろうけど
力になってくれるかどうかは怪しい。
そうなれば同じ魔法使いであるミサトさんや惣流に相談する事が
ベストではある。
しかし、それは躊躇われた。
トウジ、ケンスケも同じだけど、あまりにも僕の生活と密着しすぎている。
無論皆口が堅いので、他人に漏らすような事は絶対に無いだろうけど、
彼らの誰かに話す事は即、今の僕の生活が壊れる事になる。
このまま黙っていれば、少なくとも表面上は今迄通りの生活を送る事が出来る。
しかしミサトさんに話してしまえばミサトさんとの、
惣流に話してしまえば惣流との、生活の変化を意味する。
その変化がどのようなものかは分からない。
ひょっとしたら万事うまく行くかも知れない。
しかしそれでも僕は不安だった。
今の生活を壊したくない。
やっと、手に入れたのだ。
僕の、居場所を。
・・・・・・父さんに、相談する?
そんな考えが一瞬浮かび、僕はすかさず否定した。
誰が、あんな男に。
どうしたら、いいだろうか。
誰か、いないだろうか。
今の僕の手助けをしてくれるような。
協力者が。
「やっほー、リツコ。精がでるわね。」
突然部屋のドアが開き、能天気な声が響いた。
またか。
赤木リツコは溜め息をついた。
勝手に部屋に入って来るな、と言っても、彼女の愛すべき親友は、
けしてその約束を守らなかった。
ノックをするように注意しても聞かず、それならと
”施錠”の魔法をドアにかけても、親友はあっさりと魔法を破ってしまう。
既にあきらめてはいたが、彼女は言わずにはいられなかった。
「いきなり入って来ないで。ミサト。危険な実験をしてる事だってあるんだから。
ドアの張り紙、見えなかった?」
「んー?張り紙い?無かったわよ、そんなの。」
「そんなはずはないわ。立ち入り禁止とはっきり書いてあるはずよ。」
「無かったって。」
ミサトはそう言いながらドアの外を覗き込む。
そして。
「あ、あれ?あった。ちゃんと、立ち入り禁止って。」
「でしょう。あなた、どこに目をつけてるの?」
「い、いやあ。あたしって、昔っから自分に都合の悪いものは
見えなかったりするのよねえ。」
便利な性格をしている。
リツコは思った。
「で、何の用なの?ミサト?」
「いや、別に、特別用ってわけじゃ・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「ただ、ちょっと顔を見に、ね?」
「・・・・・・・・・。」
自分の目が険悪になっていくのが分かる。
第三新東京市唯一の魔導学院、GEHIRN。
そこの一室を彼女は自分の研究室として占有していた。
10メートル四方はある部屋。
幾つも並ぶ机の上には、怪しげな数式や魔法語の書き殴られた紙が
散りばめられ、ビーカーや試験管の中で毒々しい色の液体が沸騰し、
先人達の残した偉大な書物が積まれている。
リツコは、いままさに一週間の準備をかけた魔道実験を行わんとしていたのだ。
その気勢を削ぐかの様なタイミングで唐突に入って来たミサト。
リツコは胸の奥からマグマの様にこみあげる熱い物を感じた。
「ウフフ。ミサト?」
リツコは優しく微笑んだ。
しかしミサトはその微笑みに何を見たのか、顔をひきつらせた。
「な、なに?リツコ?」
「ねえミサト。あなた、これからあたしの世紀の実験を特等席で見たくない?」
「ど、どういう事なのかな?」
「つまりね。あたしの実験の栄えある第一号の実験台になってみない?
って事なの。」
「つ、つつしんで辞退させていただきます・・・・・・・。」
「あーら、そおお?そんな遠慮しなくてもいいのに。」
「じゃ、じゃあ、失礼するわね、リツコ。あたしこれから授業あるし。」
ミサトはそろりそろりと後退りして、部屋から逃げるように出ていった。
「ふう。」
リツコは溜め息をついた。
椅子から立ち上がると、部屋の隅に置かれている姿見の前に立つ。
そこには白衣を身に纏った若い女性の姿があった。
『30歳は、若いと言える歳よね。』
彼女は自分で自分を無理矢理納得させる。
ミサトの様な、犯罪的と言えるほどのプロポーションでは無いものの、
十分に女性を感じさせる魅力的な体つき。
クール・ビューティーという言葉がこれほど似合う女性は他にいないだろう、
と彼女は自分の顔を見る度にそう思う。
左目の下の泣き黒子がチャームポイントだ。
しかし。
これまで彼女に言い寄る男は皆無だった。
『何故?』
彼女は自問する。
『・・・・・・やっぱり・・・・・これなのかしら。』
彼女は一つの結論に行き着いた。
『でも、このセンスを理解出来ないなんて、
やっぱり世の中の男共は馬鹿ばっかりね。』
彼女の髪は、金色に染め上げられていた。
ついでに言うと、眉毛は黒いままだった。
「ただいま・・・・・・・っと。」
僕は自室のドアの前に辿り着いた。
管理人に部屋のカードを紛失した旨を伝えて、予備のカードを預かった。
別に今の僕にカードなど必要ないのだけれど、使わないと怪しまれる。
シャッ。
ドア脇のスロットにカードを滑らせると、僅かな時間と電子音の後に、
パシュウン。
ドアは開いた。
背中のナップサックが重い。
僕は早く荷物から解放されるべく、早足で居間へと入って行く。
そして。
僕は見た。
そして。
驚きに目を見開いた。
「やっと帰って来たわね、バカシンジ。」
聞き慣れた声が鼓膜を震わせる。
「な・・・・・なんで惣流がここに居るんだよ!」
「なによ。来たいから来たのよ。悪い?」
「ど、どうやって入ったのさ!」
「あたしにかかればあんな電子ロックなんてちょちょいのちょいよ。」
「!」
どうやら昨夜の僕と同じ手段で進入したらしい。
「ま、待てよ!魔法を勝手に使う事は犯罪だろ!
ましてこんな事に使うなんて、見つかったらどうなるかわかんないよ!」
「見つかんなきゃいいのよ。」
彼女はあっさりと言う。
僕は呆然とした。
あのミサトさんでさえ魔法の実生活での使用は謹んでいる。
つまりそれだけ社会的に魔法という物が危険視されており、
その罪も大きいものなのだ。
それを、彼女は・・・・・・・・。
「いつから、来てたんだよ。」
僕はぶっきらぼうに言う。
昨日の喧嘩の仲直りをしなければいけない、という考えは既に
僕の頭に無かった。
「昼ごろよ。あんたにお昼を作らせようと思って来たのに、あんたもミサトも
居ないから、しょうがない勝手に上がってたのよ。」
「・・・・・・・よ、4時間も僕の部屋にいたの?」
きまぐれな惣流の事だ。退屈して居間だけじゃなく、寝室とか
プライベートな所にまで入り込んでいるに違いない。
ベッドの下にある本なんて見られでもしたら・・・・・・・。
「や、家捜しなんてしてないだろうね!勝手にそこら辺の物あさったり!」
「な、何にもしてないわよ!あんたの寝室なんて見て何が面白いのよ!
あたしはずっとこの部屋で瞑想に耽ってたのよ。」
「・・・・・・そ、そう。」
僕は一安心した。
彼女はこういう事で嘘は言わない。
見ていれば堂々と
『見たわよ。文句あんの?』
と来るだろう。
しかし彼女が怒鳴る時、ほんの一瞬頬を紅潮させて言葉に詰まったのは
気のせいだろうか?
「・・・・・・・で?四時間も僕を待って、どうするつもりだったわけ?
これからお昼を作らせようってわけじゃないだろ?」
「そうね。あたしがここに来たのは、あんたがあたしに
言いたい事があるんじゃないかと思ったからよ。」
「言いたい事?僕が?惣流に?」
「そうよ。ほら。わざわざ部屋まで来て待っててやったんだから
とっとと言いなさい。」
「な、何だよ、それ。訳が分かんないよ。」
「あんたってほんとに素直じゃないわねえ。
ごめんなさいって一言謝れば許してやるのに。」
「なっ!」
僕は怒りを通り越して呆れてしまった。
どう考えても僕は悪くない。
わがままな惣流が悪いのに、どうして僕の方が謝らなきゃいけないんだ。
勝手に部屋の中に入られていた事も手伝って、僕の精神は臨界点を
突破してしまった。
「別に謝る事なんて何もないね。言う事があるのはそっちの方じゃないか?」
「な、なによ、それ。」
「ごめんなさいってね。
ちゃんと頭を下げれば昨日の事は水に流してやるよ。」
「なんですってえ!」
怒色満面。
「なんでこのあたしが、
あんたごときに、
謝んなきゃいけないのよ!」
「そんな事も分かんないのかよ!一級魔術師だろうが大卒だろうが、
自分の非も認めらんないようじゃ、最低だよ!」
「あんたはあたしの下僕でしょうが!
下僕はご主人様の言う事に素直に従ってればいいの!」
「何が下僕だよ!そんなもん知るか!『惣流お嬢様。わたくしもうあなた様について行
けそうにありません。
お暇を頂きたく存じます。』
ほら!これでもう関係ないね!」
「!」
惣流は僕の言い放った言葉に、ぷるぷると拳を震わせた。
殴って来るか?
もちろんわざわざ殴られる義務はない。
ひょい、と躱してやるつもりだった。
「シンジの・・・・・・・・・。」
惣流が呟く。
「シンジの・・・・・・・・・・・・・・・。」
来るか?
僕は身構えた。
しかし、彼女は。
「シンジの馬鹿あ!」
殴って来る、と思っていた僕は、突然の彼女の体当たりに反応出来なかった。
「うわっ!」
惣流は僕を突き飛ばすと、そのまますごい勢いで部屋から飛び出していった。
「な・・・・・何だよ・・・・・全く・・・・・・・・・。」
僕は呆然と彼女の出て行ったドアを見つめた。
どうしよう。
追いかけようか。
ちら、と考えたけど、思い直して止めた。
ここで追いかけたら、彼女に何か言わなければならない。
そしてその言葉は、自分の非を認めてしまう事だけだ。
冗談じゃない。
誰が、謝るもんか。
ずきり、と胸が痛んだけど、僕は気を取り直した。
そうだよ。僕は彼女なんかに構ってる暇はないはずだ。
僕は今自分の事で手いっぱいなのだ。
とりあえず今は図書館で借りて来た本を、何冊も読まなくちゃいけない。
いずれも魔道の本ばかり。
普通の図書館であるために、さほど専門的な物は置いていず、ときたま
あっても”貸出禁止”だったり”研究機関関係者以外、閲覧禁止”となっていた。
まあ、今はいいだろう。
とりあえずは初心者向けの魔道書を読もう。
僕の魔力はあまりに強力すぎる。
きちんと制御できるようになるためにいちから勉強しないといけない。
よし、始めるぞ!
僕はナップサックから、
”たのしいまほう”
を取り出した。
prrrr..........prrrr..........
部屋の電話がコールを響かせた。
はっとして本から目を上げると、すでに外は夕焼けの残照も
消えゆかんとしていた。
本に夢中になっていたな。
僕は受話器を手に取った。
「はあい。碇ですけど。」
「あ、シンジか?」
受話器の向こうから響いて来るのは僕の大切な友達の声だった。
「どうしたの、ケンスケ?何か用?」
「あ、ああ。実はな、シンジ。
俺今”ちびっこ公園”に居るんだけどな・・・・・・。」
ケンスケはここからほど遠くない、小さな公園の名前を口にした。
「・・・・・・惣流が居るんだよ、ここに。」
「・・・・ああ、惣流と一緒なんだ?」
僕は彼女の名前に少し反応してしまったけど、努めて平静な声で返した。
「いや、一緒、ってわけじゃないんだ。ふっと公園によってみたら、
ブランコのとこに惣流が居てさ、・・・・・・最初声掛けようとしたんだけど、
どうも声かけられる様な雰囲気じゃないんだよ。今物陰から携帯で掛けてる。」
「雰囲気・・・・・・って惣流、どんな感じなの?」
惣流なんて知るか!と電話を切ってしまいたかったけど、なんとなく
気になってしまって、聞いた。
「それなんだけどな・・・・・・その・・・・・・・。」
「何?」
「・・・・・・泣いてんだよ。」
「え?」
「泣いてんだよ。惣流の奴。」
「な、何で惣流が泣いてんのさ!」
「俺に分かるわけないだろ。ただ、何となくお前のせいで泣いてんじゃないか、
って思ってさ、電話してみたんだ。お前ら昨日の喧嘩の後、仲直りしたのか?」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
僕は呆然とした。
あの惣流が泣く、などという事がどうにも信じられなかった。
惣流はいつでも、傲慢で、高飛車で、勝ち気で、
両の足でしっかりと立っていた。
ブランコに腰掛けて独りで泣いてるなんて、まるで普通の女の子じゃないか。
・・・・・・・・・・・・・。
!
普通の女の子。
そうだ。
僕は彼女のどこを見ていたんだ。
惣流の表面的な所だけを見て、
自分で勝手に憧れて、
勝手に腹を立てて。
彼女の本当の姿に一度も目を向けた事がなかった。
『シンジの馬鹿あ!』
僕を突き飛ばして部屋を飛び出していった彼女の姿がリフレインされる。
そう。
あの時惣流は、自分なりに仲直りを求めていたんだ。
素直でない性格が災いして、とてもそうは見えなかったけど。
しかし。
きちんと彼女を見ていさえすれば、彼女の本心は理解出来たはずだ。
わざわざ僕の部屋まで足を運んでくれた事。
無人の部屋で4時間も僕の帰りを待っていてくれた事。
・・・・・僕は、馬鹿だ!
「おい、シンジ。シンジ。どうしたんだよ。黙りこくっちゃって。」
僕は受話器から漏れる声に我に帰った。
「あ、ありがとう、ケンスケ!教えてくれて!”ちびっこ公園”だったよね!」
「あ、ああ。そうだけど。」
「ありがとう!この借りは絶対返すから!」
僕は受話器を置いた。
早く、行かなきゃ!
僕は、弾丸の様に部屋を飛び出していった。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ・・・・・・・・。」
息が切れる。
心臓が割れる。
僕は公園への道をひた走っていた。
さほどの距離でもなく、特別急な坂なども無いけれど、
運動不足の僕の身体にはかなりきつい。
もちろん魔法を使えば一飛びで行く事も出来るし、身体を一時的に
陸上選手もかくや、というほど強化する事も出来たけど、
僕はそれをしなかった。
他人に気付かれたらまずい、という事もあるけど、もう一つ理由があった。
罰。
そう。
これは罰なんだ。
惣流の事を考えず、自分の事ばかり考えていた僕への。
だから僕は、苦しみに喘ぎ、汗を滝の様に流しながら走らなくちゃいけない。
僕は、走った。
走る事が、僕の彼女への償いだった。
そして。
僕は公園へ辿り着いた。
その名称からも分かる通り、ここは決して大きな公園じゃない。
砂場に、ブランコ、滑り台・・・・・・・・・。
昔懐かしい遊具が置かれ、休日ともなれば朝から夕方まで子供達の姿が
絶える事はない。
しかし、今は。
すでに日は落ち、星が瞬く時間。
幾つかの街灯の灯かりが燈され、そこに何匹もの蛾が集まっている。
当然子供たちの姿など見えなかった。
僕は真っ直ぐに、ブランコの方を見る。
居た。
惣流が。
ケンスケの話した通り、彼女はブランコに腰掛け、俯きながら
僅かにその身を揺らしていた。
惣流・・・・・・・・・。
僕は、それを見ただけでどうしようもなく心が締め付けられた。
乱れた呼吸を整えつつ、僕は一歩、一歩、彼女の元へと近づいた。
街灯が彼女の足元に、短い影を作っている。
惣流・・・・・・・・・・・。
やがて僕は、そこへ辿り着いた。
「惣流・・・・・・・・・・。」
僕はゆっくりと、声をかけた。
彼女は、初めから気が付いていたのか、ゆっくりと顔をあげた。
「・・・・・・・・・・・。」
涙は、流してはいなかった。
しかし普段蒼い輝きを放つその瞳は赤かった。
「・・・・・なによ、バカシンジ。何しに来たのよ。」
呟く様に、しかし気丈に言い放つ惣流。
それでもほんのわずかに鳴咽が混じっているのは止められなかった様だ。
僕が、彼女をこんなにしたんだ。
その事実が僕の胸に針のように突き刺さった。
気が付くと僕は言葉を放っていた。
「・・・・・・・・・ごめん。」
僕の声は震えていた。
油断したらその途端に、涙が溢れてしまいそうだった。
「・・・・・・なにがよ。」
あくまでぶっきらぼうに答える惣流。
「その・・・・・・・さっきの、部屋での事・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「ほんとは、あんな事言うつもりじゃなかったんだ。
ほんとは、惣流と仲直りしたくて、したくて、
それなのに僕は・・・・・・・・・・・。」
「今更、何言ってんのよ。」
彼女は冷たく言い放った。
僕はビクン、と身体を震わせる。
「もう、いいの。あんたなんて。あんたなんて、いらない。
あんた意外にも、いくらでもいるもの。友達も、召し使いも。」
「そ、惣流・・・・・・・・。」
「さっさと目の前から失せてよ。・・・・・いや、いいわ。あたしが行くから。」
彼女はそう言ってブランコを降りた。
そのまま歩き去ろうとする惣流。
僕は激情が胸に溢れるのを感じた。
「待って!」
僕は彼女の左腕を掴んだ。
喉も嗄れんばかりに叫び、骨も砕けよとばかりに右手に力をこめた。
「・・・・・い、痛いわね。放しなさいよ、バカシンジ。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「放しなさいって、言ってるでしょ!」
「いやだ!」
僕は叫ぶ。
ビクン、として動きを止める惣流。
「いやだ・・・・・・放さない・・・・・・。」
僕は泣いていた。
失いたくない。
その言葉が僕の心を支配していた。
失いたくない。
何一つ、失いたくない。
やっと、手に入れたもの。
どんな事をしても、放さない。
「シ、シンジ・・・・・・・・・・・。」
惣流が、かすかに、呟く。
「惣流・・・・・・捨てないで。
僕を、捨てないで。
惣流がいなくなったら、僕は・・・・・・僕・・・・・・・・・。」
かっこ悪い。
今の僕は、どうしようもなくかっこ悪かった。
でも、どんなにかっこ悪くても良かった。
彼女を繋ぎ止めるためなら、どんな情けない姿も出来た。
「シンジ・・・・・・・。」
惣流は、微かに頬を染めて僕の方を見つめていた。
「シ、シンジ。ちょっと、いいから、放しなさい。」
「いやだ。どこへも、行かせない。」
「・・・・・・ど、どこへも行かないから。
だから、放しなさい。腕、痛いから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
僕は、恐る恐る彼女の腕を放す。
彼女は、自由になった左腕を痛そうにプラプラとさせた。
「ああ、痛かった。」
「ご、ごめん。大丈夫?」
「そんな事言うくらいだったら最初っからしなきゃいいでしょ。」
「そ、惣流、その・・・・・・・・・・。」
僕は彼女をじっと見つめた。
「・・・・・・・・・・。」
惣流はつい、と僕から目を逸らすと、言った。
「しょ、しょうがないわね。あんたが、そこまで言うんなら、
またあたしの下僕としてこきつかってやってもいいわよ。」
「ほ、本当!?」
「あ、あんた、あたしの言う事が信じられないって言うの?」
「そ、そんな事ないよ!あ、ありがとう、惣流!」
「な、涙でぐしゃぐしゃの顔を近づけないでよ。
ほら。これでも使いなさい。」
彼女はそう言ってハンカチを僕に渡した。
受け取って涙を拭う僕。
「言っとくけどそれで鼻かんだりしたら殺すわよ。」
「し、しないよ。」
危ない。
危うく殺される所だった。
「・・・・・・さて、と。」
やっと僕の感情が納まって来た頃。
彼女は気を取り直した様に言った。
「じゃあ、改めて主従関係が構築出来た事だし。
ちょっとした通過儀礼を行わなくちゃね。」
「つうかぎれい?」
「そうよ。ほら。」
彼女はそう言って、自分の右手を僕の方に差し出した。
握手?
と一瞬思ったけど、それにしては変だ。
惣流は手の甲を、僕の方に向ける様に出している。
な、なんだ?
戸惑う僕。
「ほら、早くしなさいよ。まさか分かんない訳じゃないでしょ?」
惣流はちょっと悪戯っぽく笑った。
僕はそれを見てますます分からなくなる。
なんだろう?
なんだろう?
僕は迷った。
思考がぐるぐるとそこら中を回る。
まだ悪魔を相手に戦っている方が気が楽だった。
「ほおらあ。早く。」
・・・・・・あ。
僕はようやく彼女の言わんとする所を理解した。
頬が、熱くなる。
「わ、分かったよ、惣流。
・・・・・・やるよ。」
「ん。」
彼女は改めて右手を差し出す。
僕はその手を恐る恐る取ると、その場に跪いた。
そして。
ちゅっ・・・・・・・・。
かすかに、右手にくちづける。
さながら姫君と、それに服従を誓う騎士の様に。
僕が手を放して立ち上がると、彼女は少し恥ずかしそうに俯いて、
左手で右手をそっと包み込んだ。
「こ、これで儀式は終わりよ。
もうあんたがいやだと言おうがなんだろうが、
一生あんたはあたしの下僕なんだからね。」
「う、うん。」
少し、沈黙が落ちる。
しかしそれは、けして不快なものではなく、
お互いの心を、身体を、包み込む様な沈黙だった。
「じゃ、じゃあ、帰るわよ!
とっととあたしのために夕飯作りなさいよ!」
「うん!分かった!腕によりをかけて作るからね!
何か、リクエストはある?」
「リクエスト?そんなの決まってんでしょ!」
「あ。そうだったね。」
「そうよ。今迄で一番美味しいのを作んなきゃ駄目だからね!」
「「ハンバーグ!」」
僕と惣流さんは同時に声に出した。
そして、二人で思い切り笑った。
・・・・・・今だけは、忘れよう。
魔法の事も、旧東京の事も。
今はただ、彼女との時間を、
宝石の様に美しい輝きを持つ時を、
大事に守っていきたい・・・・・・・・・・・・・・・・。
河井さんの『僕のために、泣いてくれますか』第六話、公開です。
普通の女の子の部分。
勝ち気で高飛車なアスカの"普通の女の子"の部分。
それに気付いたシンジ・・・
超絶的な魔法使いとしての力を手に入れたシンジですが、
人の部分は今日、今、一歩成長ですね(^^)
アスカちゃんもいつの間にか
素直さを出せるようになった・・・・・のかな?
さあ、訪問者の皆さん。
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