アスカはシンジの手を引っ張りながら走り続けていた。
取りあえず母のいた所に向けて引き返していたものの、いっこうにその姿が見える気配はない。
距離も方向も判然としないこの空間では、果たして本当に母の居場所に向かっているのかも確かめようがない。
アスカはぴたりと足を止めた。
「うわっと、アスカどうしたの?」
急にアスカに停止され、転びそうになるシンジ。
見るとアスカは額にシワ寄せ一点を見つめていた。
「ばたばた探そうとする必要あるのかしら・・・人同士が溶けているんならそんなことしなくても・・・・」
「アスカ?」
「そうか、感じればいいのよ・・・・シンジ、アンタ何を望むか考えた?」
「え、それは・・・」
「答えが出たら教えて。ママにも聞かせてあげなきゃ」
言いながらアスカは自分の周りに他者の意志を感じ取ろうと精神を集中させ始めていた。
「ママ・・・・」
・・・・・・・・・ンジ君・・シンジく〜ん」
アスカは何者かの心が次第に近付いて来るような感じを覚えた。
母ではない、しかしこれはアスカの良く知った人のものだ。
「ミサト・・・」
こちら向かって息も荒そうに駈けて来るミサトの姿が虚空から湧き出た。
後ろにおまけの様にマコトを引き連れて。
「シンジ君!アスカ!」
「ミサトさん!」
驚くシンジめがけて突進して来るミサト。
そのままの勢いでシンジに飛びついた。
「シンジ君!!」
激突に近い感じでミサトと接触したシンジではあったがその衝撃は今一つはっきりしない。
自分とミサトとの境界が認識しにくくなっている。
それは肉体だけでなく精神も同様だった。
シンジの心に触れたミサトの心が激情を伴って流れ込んできた。
「シンジ君、会えた、やっと会えたわ!良かった!」
シンジが感じたのは歓喜の叫び、そしてもう一つミサトの中に溜まって破裂せんばかりの想いだった。
「シンジ君、シンジ君にどうしても伝えなきゃいけない事があるの!カヲル君や、アスカや、シンジ君や、レイや・・・・なにより私の気持ちを!」
「そうか・・・・みんな・・・」
シンジは既に理解していた。
ミサトの心から流れ込む想いを感じて。
「みんなあなたに会いたがっていた。もう一度、形ある人のままで!私もよ!こんな中途半端な状態でなくはっきりした形で・・・」
「・・・・・・」
ミサトも感じていた。
シンジの心が喜びに震えるのを。
流れ込む喜びの心に満足しながら微笑みをみせる。
「待ってるのよ、あなたを・・・」
「みんな・・・ありがとう、ミサトさん」
アスカにもミサトの心は流れ込んでいた。
それによるシンジの心の変化も感じている。
今がシンジに望みを決めさせる頃合かもしれない。
そう思った時、アスカは新たな人の意志の存在を感じた。
しかも数がかなり多い。
「センパイ、センパイ、センパイ・・・」
「え〜い、あなたさっきからそればっかりじゃない!離れなさい」
「リツコさん逆さまだ・・・・」
「ここは・・・?ユイ君はおらんのか」
リツコ、マヤ、シゲル、冬月・・・・・それだけではない、他のネルフの職員達もいるらしい。
このあたりの空間に溶けつつある人々のざわめきを感じる。
こんなに多くの人と混ざり始めた事実にアスカは次第に不安が膨らんでゆくのを感じた。
「このままじゃ・・・・」
ミサトとシンジがうまく分かり合えたのも、溶け合い方が不完全だからではないだろうか。
こんな都合の好い状態がいつまで続くか分かったものではない。
何もかもみんな溶け合って完全に一つになってしまったら自分は自分でいられるだろうか。
「はっ」
アスカは更に別の方から来る意志を感じ取った。
二つ・・・いや、もしかしたらそれ以上かも。
はっきり数が分からないのは溶け合っているからだろうか。
突然シンジが叫び声をあげた。
「母さん!!・・・・・父さん?」
「なんですって?」
別の方向から来た意志とはシンジの両親だったのだ。
アスカはシンジと共に近付く二人の姿を見上げた。
巨大な初号機がシンジに向かってゆっくりと歩を進めて来る。
胸のあたりに掲げた両手には大事そうに掴んでいるゲンドウの姿があった。
そのゲンドウは初号機の手からはみ出ている首と足先を不様にばたつかせ、必死の抵抗を試みていた。
「ユイ、勘弁してくれ〜!」
「あなた、いいかげん観念して下さい」
傍らに浮かぶ白衣姿のユイはゲンドウをなだめながら下方を見下ろした。
ユイとシンジの視線がつながった。
「母さん・・・・」
「シンジ・・・」
初号機が足を止めるとユイはふわふわと白衣をなびかせ下降してきた。
両腕を広げ、微笑みながら、シンジを目指して。
誘われるようにシンジも両手を伸ばした。
ほとんど記憶にない筈の母ではあったが不思議と戸惑いはなかった。
彼女はエヴァの中にあってずっと自分を守ってくれたのだから。
母と子の手が互いの体に触れ合った。
「母さん!」
「シンジ・・・シンジ!ごめんなさい、何もしてやれなくて・・・本当にごめんなさい!」
母の心がシンジに流れ込んだ。
躊躇なく受け入れるシンジ。
「!?」
流れ込んできた感情はシンジを当惑させるものだった。
謝罪の気持ち、後ろめたさ、自己嫌悪・・・・
「母さん?」
(この人がシンジのママ・・・・・)
アスカはシンジを抱き締めるユイをじっと観察していた。
彼女にとっては初対面の人だ。
アスカはさりげなく近付くとユイに触れた。
「!・・・・・アスカ・・・さん?」
「そう・・・アンタもママと同じなのね・・・」
「・・・・」
「母親は母親らしい事しなくちゃね」
「そうね・・・ありがとう、アスカちゃん。シンジが随分世話になっちゃって・・・」
「か、母さん、何言ってるの?」
「堅苦しい挨拶は抜き!それでどうするつもり?」
「そうだったわ、それでは・・・」
「ユイ君!」
冬月が歩み寄り、ユイに声をかけた。
「あら冬月先生、お久しぶりです。今取り込み中ですので話は後で」
「そ、そうか・・・・」
すごすご引き下がる冬月。
ユイは初号機を見上げた。
「さあ、あなた。来てください」
「待ってくれ〜!!」
もがくゲンドウを掴んだ手がシンジ達の元に降りてきた。
シンジの心に緊張が走る。
自分にとって父の存在は恐れの対象であり、最近では憎しみの念すら抱いていた。
わだかまりはいくらでもある。
その父が母の仲介とはいえ、自分と接触せんとしているのだ。
シンジの目の高さまでゲンドウの顔がきた所で、握られた手がゆっくりと開かれた。
そのままシンジの手前までずずいと前進する。
手のひらの上で四つん這いになったゲンドウの、恐怖に引きつった顔がシンジの目に飛び込んで来た。
二人の視線が交わった。
「・・・・・」「・・・!」
慌ててゲンドウは背を向けて初号機の手に張り付いた。
「ユイ、お願いだ〜!!」
「と、父さん?」
シンジは異変に気付いた。
父の様子がおかしい。
自分の知っている父のイメージと今の父の雰囲気と違和感がありすぎるのだ。
自分に背を向け母に何事か叫んでいる父にはいつもの恐さと威圧感はなく、弱々しささえ感じられる。
(もしかしたらあっちの世界の父さんじゃ・・・いや、いくらあっちの世界の父さんでもあそこまでは・・・)
困惑するシンジの心に微弱な感情が漂い流れてきた。
「これは!?・・・」
恐怖に怯え、震える、あまりに脆い・・・・・
「さあ、シンジ・・・父さんに・・」
「あっ!?」
ユイが促した時、シンジは驚愕の声をあげた。
この脆弱な心の持ち主が眼前の父だと気付いたのだ。
「そんな!父さん!?」
「そうよ。この心は父さんのもの・・・さあ、父さんに触れなさい」
「母さん!!」
「うそじゃない、本当の事よ。この人の心は元々こういうものだったの。シンジが生まれる前から、ずっと・・・・」
「そ、んな・・・・・」
「さあ、行きなさい」
ユイは唖然とするシンジの背を押した。
抵抗する事なくシンジの足が前に出る。
合わせる様にゲンドウの肩が震えた。
シンジは怯えの情が更に大きくなるのを感じながら初号機の手に足を乗せた。
「シンジ!来ないでくれ・・・・」
背を向けたまま震える声で呻くゲンドウ。
何故にこんなに弱々しいのだろうか?
父に対する恐怖が不思議なくらい消え去ってしまい、その心を知ってみたいという気持ちがシンジの胸に沸き上がってきた。
シンジは答えを求めるようにゲンドウに向かって歩を進めていった。
「お願いだ・・・・来るな・・・シンジ〜!」
彼の悲痛な懇願に呼応する様にシンジは手を差し出し、ゲンドウの丸めた背に触れた。
父子の感情が交錯した。
シンジの顔に浮かぶ緊張感がみるみる抜け落ちていった。
「・・・・・・父さん・・・・父さんも僕と同じだったんだね・・・・・・」
ゲンドウは何も答えずに震え続けていた。
「父さんも、僕が恐かったんだ・・・・・」
「・・・・・うう」
「僕に酷い仕打ちをしたのも・・・逃げていたからなんだ・・・・・もっと早く知っていたら・・そうすれば・・・・」
「うっ・・・お・・・おおおおおおお〜〜」
絶叫が響き渡った。
心を閉じ、今まで隠し通してきた自分の何もかもを息子に知られてしまった父の絶叫が。
滝のように涙が流れ落ちていた。
生まれて初めて我が子の前で、恥も外聞もなく涙を流す姿を彼はさらしていた。
「父さん・・・・」
流れ込んでくる父の強烈な激情を受け止めるシンジの目からも涙が溢れ出ていた。
もはや恐怖の対象でなくなった父を温かく見つめながら。
「あなた・・・」
ユイが相変わらず初号機の手にへばり付いているゲンドウの顔を覗き込んだ。
「さあ、シンジに謝ってください。こっちを向いて。シンジ、ちょっと降りて」
「う、うん」
言われるままにシンジが手から降りると、初号機がゲンドウの張り付いた手のひらを返して軽く上下に振った。
往生際悪くしがみついていたゲンドウだったが堪えきれず、べちゃりと地面に落っこちた。
落ちたゲンドウに駆け寄り上から覗き込むシンジ。
「父さん」
「っシンジ!」
涙でずるずるになった顔を怯えに強張らせ、目を背けるゲンドウ。
シンジは再び父の背に触れ囁いた。
「父さん、もういいんだよ・・・僕と同じと分かったから・・・それなら仲直りできるよ・・・」
「あなた、シンジを見て。ちゃんとあやまってください」
「・・・・・」
恐る恐るゲンドウは振り向いた。
妻と息子の優しい笑顔がそこにあった。
それが自分に向けられたものであると知り、ゲンドウは遂に観念した。
今から自ら死を選んでも回避しようとした事をやらねばならないのだ・・・・・
ゲンドウの身体がその緊迫した心を表現するかのように小刻みに震え出した。
口が痙攣するように動き、か細い声が絞り出された。
「シンジ・・・・・・シンジ、すまなかった」
「父さん!」
シンジは父の身体に腕を回した。
あれほど嫌っていた父なのに、今はこうして抱きついているのが心地よいくらいだ。
必死の思いで謝罪の言葉を絞り出し、抜け殻となってしまったゲンドウはシンジにされるがままになっていた。
ユイが二人の肩に手を置いた。
「あなた、よく言ってくれました。それでこそ父親ですわ。シンジ、もう大丈夫ね。父さんと仲良くやっていけるわね?」
「うん」
シンジはユイにうなずいて見せた。
ゲンドウはまだ放心状態だ。
「母さん、ありがとう。母さんのおかげで父さんの本当の心が分かったよ」
シンジの言葉に母の表情が陰る。
彼女の脳裏に怒りの形相のレイの生首が浮かぶ。
「えっそれは・・・・それは私の力ではないわ」
「だけど・・・」
言いかけた時シンジは新たな意志を感じた。
意志の感じる方を見た。
初号機の両肩のあたりに二つの光の固まりが現れ、次第に人の形を作りながら降下して来る。
「碇君・・・・」
「シンジ君」
「綾波、カヲル君!!」
「レイ!あや〜・・・」
アスカは思わず目を伏せた。
現れたカヲルは学生服姿だったがレイは一糸まとわぬ全裸姿だったからだ。
そんなことは気にも止めずシンジは二人に駆け寄っていた。
シンジはまずカヲルに向き合った。
「カヲル君!会いたかった・・・・会って謝りたかった!君を殺してしまった事を・・・・」
泣き出さんばかりの表情で謝罪するシンジに対し、カヲルはまぶしい位の笑顔で応えた。
「いいんだよ、あれは仕方ない事だったんだから・・・そんな事より・・・」
レイが言葉を引き継いだ。
「碇君・・・・どうするの?」
「えっ?」
「もうすぐここは何もかも溶けてしまうわ。どこまでが自分でどこからが他人なのか分からない曖昧な世界になってしまう・・・」
「君がぎりぎりの所で精神を持ち直したからサードインパクトの進行がのろくなっている。でもいつまでも時間がある訳ではないんだ」
「だから・・・・今ここで答えを出さなければ、碇君」
「そうか・・・」
アスカがシンジの隣に立った。
シンジにそそがれる四つの紅い瞳をアスカは青い両の瞳で見た。
どちらかというと深刻さが感じられる紅い瞳側に対し青い瞳には余裕の輝きが宿っている。
「大丈夫よ、シンジはもう答を見つけてるから」
「アスカ・・・」
振り向くシンジにアスカはにんまりと笑いかけた。
「でしょ?」
「うん・・・」
「だったら言っちゃいなさい!」
「分かったよ・・・・僕は何もかも一つに溶け合うより・・・元の人の形に戻りたい」
「他人の存在を今一度望めば再び心の壁が全ての人々を引き離すわ。でもまた他人の恐怖が始まるのよ」
「うん・・・・そうだね。でも僕は分かったんだ。他人が恐いのは僕だけじゃない!」
「ATフィールドが君や他人を傷つけてもいいのかい?」
「僕は自分が傷付く事を恐れてきた。だけどそれは自分の事しか考えてなかったんだ。僕も他人を傷付けている事を考えることができなかった」
シンジはアスカを見た。
アスカは頷いた。
シンジが話した事はさっき二人が通ってきた道だった。
もはやシンジの望みが自分の望みとずれを生じさせることはない。
彼の言いたい事を黙って聞いていればいい。
「お互い傷付け合っていたんだ。その先に一歩進めば分かり合う事もできる。何もかも分かる訳じゃないけど。だから・・・」
「そうか・・・・分かったよシンジ君。君の気持ちはしっかり聞かせてもらった」
「碇君・・・・私のした事は正しかったのかしら・・・?」
「綾波?」
シンジはカヲルからレイに視線を移した。
彼を見るレイの瞳には僅かに陰りがさしている。
「自分を犠牲にしてでも碇君の力になりたかったの。だけどそれは結局碇君を傷つける事になった。だからサードインパクトが起きた・・・・・・あの子のほうがずっと碇君のために一生懸命だった・・・・私の力にさえなろうとしてくれた事もあった・・・なのに・・・」
「綾波!言ったじゃないか、傷付いたっていいって・・・僕を傷つけても、綾波は逃げたりしないでここにいる。それで十分だよ。僕が望めばもとに戻るんだから気にする必要ないんだ。だから自分を責めちゃだめだ」
「レイ、失敗は成功の元ってね。アンタがよかれと思ってやったんだから誰も怒りはしないわよ。自分の事しか考えないで行動するよりずっといい!」
「そう・・・・ありがとう碇君、アスカ・・・・」
レイは表情から不安を消し微笑みを見せようとした時、ある事に気付いたシンジとアスカが同時に顔を見合わした。
「あの子?」「あの子って・・・」
怪訝に思った二人はそろってレイに振り向いた。
にこっ
「うわあ!」「ひっ!」
四分の一に切ったスイカの形に口を開いた、はち切れんばかりのレイの笑顔が二人に襲いかかった。
あまりの驚きに思わず抱き合うシンジとアスカ。
サードインパクト直前に見たものと全く同じものだが、二度目でも衝撃は変わらない。
レイの傍らのカヲルまであっけに取られて凝視していた。
抱き合ったまま動けない二人にミサトが近付く。
「取込み中申し訳ないけどもういいでしょ。いつまでも驚いてるヒマはないの。シンジ君さあ望んで、願って、元の人の形を!この曖昧な状態、淀んだ空気を吹っ飛ばすくらいに!!」
肩で支えた夫を引きずりながらユイがシンジに歩み寄る。
「シンジ、元にもどったら父さんと仲良く暮らすのよ。できるわね?」
「うん、わかってる」
ユイはゲンドウを見るとにっこり微笑んだ。
「あなたもいいわね?」
「・・・・・・」
「いつまで惚けてるんですか!」
「はっ」
「あなた、シンジはあなたを愛してくれます。だからあなたもシンジを愛してあげてください。やり方なんか考えなくていい。その気持ちさえもっていればきっと伝わります」
「ユ、ユイ〜・・・」
「もう逃げる必要はないんです、あなた」
「で、できるのか、俺なんかに・・・・」
自信などかけらの無さそうな表情でゲンドウは弱々しく呟いた。
それを見るユイの笑顔の中に、有無をも言わせぬ力強さが加わる。
「で・き・ま・す!」
「・・・・・うううおお・・・」
「泣いてどうするんです?」
「うっう・・・・」
「心配ないわよ、あなた。シンジも聞いて。すべての生命には生きていこうとする心がある。生きていこうとさえ思えば、どこだって天国になるわ・・・幸せになるチャンスはどこにでもあるわ。太陽と月と地球がある限り大丈夫。だって生きているんですもの!(・・・・・ふう〜、この台詞、父さんを食い殺してたら絶対言えなかったわね!危なかったぁ〜)」
(か、母さん?)
安堵の表情を見せている母を見つつ、シンジは額に汗していた。
何故なら今の溶けかけた状態では、心の中で考えた事も口で言ってるのと大して変わらないからだ。
とにかく今のは深く考えないほうがいいだろう。
なんとかかんとか気を取り直してシンジは母に尋ねた。
「でも・・・・・母さんはどうするの?」
「人が神に似せてエヴァを造る。これが真の目的かね?」
何時の間にか冬月がユイの前に立っていた。
ユイは微笑みながら答える。
「はい。人はこの星でしか生きられません。でもエヴァは無限に生きていられます。その中に宿る人の心と共に・・・・・例え50億年経ってこの地球も月も太陽すらなくしても残りますわ。たった独りでも生きて行けたら・・・・それはとても寂しいけど生きていけるなら・・・・」
「人の生きた証は、永遠に残るか・・・」
彼女の真意を知ったからか、やっとちゃんと会話ができたからか、満足そうに笑う冬月の前でユイの体がふわりと浮き上がり始めた。
支えられていた体がずり落ち、ゲンンドウはうろたえながらユイを見た。
「ユイ!」
「あなた・・・」
ユイはゲンドウの体を突き飛ばした。
倒れ込むゲンドウの体をシンジが受け止めた。
「幸せになって・・・二人とも・・・約束よ」
「ユイイイ〜!」
上昇していくユイに手を伸ばし、必死に飛びつこうとするゲンドウだがもはやとどく距離ではない。
着地しそこね地面にべちゃりと落っこちた。
そんな不様な父を後ろからいたわる様に抱き締めながら、シンジは母の姿を見上げていた。
母は初号機の胸のあたりまで上昇し、停止した。
初号機に接触するとその中にユイは取り込まれていった。
こんどは初号機が巨体に不釣り合いな軽やかさで上昇を開始した。
シンジはこの母との別れが、もはや二度と会えることのない永遠の別れだという事を知った。
万感の思いを込めて、シンジは母へ語りかける。
「さよなら、母さん」
上昇を続ける初号機の姿は次第に小さくなってゆく。
シンジをはじめ、皆がその様子を目で追っていた・・・・・・
きらりっ
初号機の上昇する方向の遥か先に、微かに光がきらめいた。
きらめきは紅い光の矢となり、高速で落下して来た!
「
さ
せ
る
か
あ
あ
あ
あ
あ
!!
」
ばきゃあああああああああああああああんん!!
初号機の脳天に真紅の閃光が突き刺さり、一本角がへし折れた。
頭の窪んだ初号機は今まで上昇してきた方向を数倍の早さで逆戻りしていった。
ぐわしゃっ!!
脳天から地面に突っ込み一瞬停止すると、初号機はゆっくりと傾いていった。
ずず〜ん・・・・
倒れた衝撃で初号機の胸部からユイがぽろっと吐き出された。
「きゃっ!」
悲鳴と共に地面に尻餅をつくユイ。
「あいたたたた・・・・」
尻をさすりながらユイが起き上がろうとした時、真横で衝撃が響いた。
ずん!
「ひっ」
振動でまた尻餅をついた。
恐る恐る横を見ると、そこには初号機にはえている筈の角がぐさりと突き立っていた。
「な、何・・・・?」
状況を把握しきれずにうろたえながら辺りを見回す。
眼前には角を失った初号機が仰向けに転がっていた。
「!」
その時、ユイの全身がぞくりと震えた。
背後に異様に強烈な、押さえ付ける様な威圧感を感じたのだ。
ユイはそろそろと後ろに振り返ると、視線を少しづつ上に向けていった・・・・・
・・・・・そこには異常なまでの迫力を発散させ、仁王立ちで自分を見下ろしている真紅の巨人の姿があった。
巨人が腰に両手をあてた時、ヒステリックな怒号が轟き渡った。
「何が人の生きた証は永遠に残る、よ!!ワタシの立場はどうしてくれるのよ!!」
上昇する初号機の真上から飛来し、脳天にカカト落としを食らわせ撃墜したのは弐号機だったのだ。
弐号機の胸の辺りから女性の姿が浮き出てきた。
赤毛気味の茶色いショートヘアに青の瞳、そして白い肌にやや東洋的な作りの顔だち・・・・
ゆっくりと下降して来るその女性にアスカが駆け寄る。
「ママ!」
尻餅ついたままのユイにはシンジとゲンドウが走り寄った。
「母さん!」
「ユイ〜!」
キョウコは地に舞い降りると、胸に飛び込んで来たアスカをしっかりと受け止めた。
さっきの凄まじいまでの勢いはかき消え、母親らしい優しい笑みで娘を抱き締めている。
アスカは母の胸に顔をうずめながら伝えるべき事を言葉にした。
「ママ!アタシ何を望むか分かったよ!」
喜々として報告する愛娘にキョウコは栗色の髪をなでさする事で応えていた。
アスカがうずめた顔を離して母を見上げた。
キョウコは憂いを込めた蒼い瞳でアスカを見下ろす。
キョウコの唇が震えた。
「アスカ・・・・・ワタシを殺して・・」
「ママ!?」
唐突な母の言葉にアスカの表情が凍り付く。
しかしキョウコは笑みをたやさずに言葉を続けた。
「今すぐでなくていい。アスカが大人になって結婚して子を産んで・・・・・孫の顔をワタシに見せてくれてからで。その後にワタシに人としての寿命を与えてちょうだい」
「ママ・・・・」
「人は限りある命を精一杯生きるから人でいられるの。永遠に生きるなんてそんなの人じゃないわ!ましてや・・・・人類がいなくなった後に、人の生きた証なんかあってもなんの意味も価値もないわよ!!」
キョウコは横目でジロリとユイを睨んだ。
ユイの額のあたりに青い縦線が何本も浮き上がった。
彼女から発散される威圧感にユイは既に呑み込まれかけていたのだ。
キョウコはアスカを抱き締めつつ、ユイに向かって重厚な足取りで歩み寄り出した。
ユイの脇にいるシンジもその威圧感にびびりながら近付いて来る母子の姿を凝視していた。
平和な世界で会ったキョウコでは見る事がかなわなかった、恐ろしいまでの迫力をみなぎらせたこの世界のキョウコ。
恐いはずなのにシンジの心に不思議な親近感が広がっていく。
この恐さは随分前から慣れ親しんで来た恐さだ。
(この人・・・アスカに似てる!)
ユイの手前で止まると、キョウコはアスカに語りかけた。
「人としての寿命を終わらせる時が来るまで、ワタシ達は地球の衛星となってアスカ達を見守っていく事にするわ。いいわね、ユイさん!!」
「はっ??」
「はっじゃない!一人でいるより二人のほうがいいでしょ!アンタみたいなのでもいないよりましよ!!一緒にくるのよ!!」
「あ、でも私は・・」
「永遠に生きるなんてそんなの化け物よ!」
ぐさっ
「一緒にくるわね?!」
ぎろりっ
「・・・・・はい」
キョウコに凄まれたユイは成すすべなく同意してしまった。
もはやこの時点で二人の力関係は決定してしまったようだ。
そんな二人の様子をゲンドウは唖然として見ていた。
(ユ、ユイがこんなに怯えて、いいように言われて・・・・こんなユイ見た事ないぞ!どうしてしまったんだ、ユイ?・・・・)
ゲンドウの中では完璧とまで言えたユイのイメージが今、一人の女性の手により無惨に壊されまくっている。
ゲンドウ同様唖然としている冬月の横で、ミサトが呆れながら二人の母親のやり取りと眺めていた。
(わちゃ〜、これじゃアスカとシンジ君の関係と同じじゃない!親子二代でこの有り様とは・・・)
額に手をあてミサトは顔をしかめる。
「か、母さん・・・」
あまりに情けない母の様子を見兼ねたシンジは庇うように前にでた。
「あの・・・」
「あら〜初めましてぇ♪」
自分に声をかけるシンジを見てキョウコの声のトーンが急に変わった。
予想もしない猫なで声で話し掛けられ、眼をしばたかせるシンジ。
「あなたがバカシンジね!」
「は?」
「アスカが世話になってるわね。これからもアスカを頼むわね〜、バカシンジ」
「バ、バカシンジって・・・」
「ママ何言ってるのよ!」
「いーじゃない。早く人としての寿命が欲しいのよ。孫の顔が見たい!」
「だから何言ってんの!?ママ!」
「取りあえずキープしときなさい」
「マ、ママ!?」
「時間がないのよ」
「わっ!綾波?!」
突如目の前に出て来たレイに驚きまくるシンジ。
「さあ、早く本気で願って!碇君の望みを!何もかも溶け合う前に」
「そ、そうだったね・・・」
正論だった。
必要な事だったのかどうかはともかく随分時間を食ってしまっている。
願わねばならない。
自分の望みを。
シンジはレイをじっと見つめた。
彼女ははかな気な面持ちで紅い瞳をシンジに向けていた。
シンジの心にレイの感情が流れ込んでいった。
それは寂しさに彩られた胸をつまらせるような思い・・・・・
「・・・綾波・・・・お別れなの?」
「・・・・」
「綾波はこれからどうするの?カヲル君も!教えてよ!」
「・・・・・碇君、私達の身体は、アダムとリリスの身体はサードインパクトによって崩壊してしまったの」
「そんな!・・・・」
絶望的なレイの言葉に、シンジの身体中に電気が走る。
何もかも元のままに戻すつもりでいたのに。
元通りに出来ると思ってたのに。
望んでも彼らは助からないというのか。
もう会えないなんて・・・・
「悲しまないで・・・・・」
レイはシンジの背に腕をまわした。
彼女にしては大胆すぎる位に。
驚くシンジの身体に優しい、穏やかな、包み込むような感情が広がっていった。
「綾波・・・・」
「限られた寿命を精一杯生きるから人なのね。だったらこれが私の寿命なんだわ。私は精一杯生きたわ。碇君のために。私は寿命を終えられる・・・人として!だから私は今とっても嬉しいの・・・・・」
「でも・・・・それでも僕は綾波に生きて欲しい!」
諦めきれるわけがない。
二人と死に別れとなると分かっていて、このまま人の形を望むことなどできない。
苦悶の表情で心を取り乱すシンジの肩にカヲルがそっと手を置いた。
「シンジ君、諦めてくれないか」
「カヲル君!」
「僕らにはもう身体がないんだ。だから・・・・・」
「身体ならあるわよ!」
「えっ?」
背後からいきなり聞こえた声にシンジ達が振り返った。
そこには弐号機の胸の辺りに浮かぶキョウコの姿。
「あなた達エヴァと融合しなさい。そうすれば生きられるはずよ!」
いきなり突拍子もない提案を聞かされレイもカヲルも驚き、声も出せない。
キョウコは言葉を続けた。
「もともと使徒からエヴァを造ったんだから出来るはずよ。それにどうせ地球の周りを月みたいにぐるぐる回るならにぎやかな方がいいわよ。あなた達こっちに来なさいよ」
やっとキョウコの提案を理解したレイの表情が曇る。
「でも・・・私は精一杯生きたわ。寿命を無理矢理伸ばしていいの?」
「いーわよ、そんなもの」
こともなげに答えるキョウコにこそっとユイが尋ねる。
「キョウコさん、限られた命を精一杯生きるから人だったんじゃ・・・」
「うるさいわね!いちいち細かいのよ、生きられるならそれでいいのよ!!」
「はい・・・」
縮こまるユイ。
こうなると理屈よりパワーだ。
「碇君・・・・・」
「綾波・・・・」
「碇君、それでいいの?そこまでして私に生きて欲しい?・・・・」
「・・・・・うん。僕はどんな形でも綾波に生きていてもらいたいんだ!カヲル君にも!」
「レイ!」
レイの背後から声が飛んだ。
今だレイに抱き締められた状態のシンジの肩がびくりと震える。
そろ〜っと振り向くとアスカが腰に手をあてて睨んでいる。
「レイ、アンタとはいっぺん決着つけなきゃならないようね・・・だからそれまでは生きてもらわなきゃなんないの!」
睨んでいるというのにその瞳は限り無く優しい。
レイはアスカの言った単語をぽつりとつぶやいた。
「決着?・・・」
「今は分からなくていいわよ」
アスカからレイに向けて流れ出る感情にぎすぎすしたものはひとつもない。
そのことに誰より安心したのはシンジだった。
ほっとため息をつくと、カヲルに目を移した。
「カヲル君も、いいよね・・・」
「いや、しかし僕は・・・・」
「ええ〜い、まだるっこしい!!」
いらついた叫びと共に弐号機が動き出し、両手をずずいと伸ばすとレイとカヲルを掴んだ。
レイを強引にひっぺがされたシンジがうろたえながら叫ぶ。
「あ、綾波!カヲル君!」
ユイが慌てて上昇し、初号機に乗り移った。
「キョウコさん、何を・・」
「いいのよ、時間ないんだから!」
カヲルが弐号機の手の内でもがきながら叫ぶ。
「ち、ちょっと待ってくれ!僕は便宜上カヲルになってるけど実質的にはアダムで・・」
「やかましい、こっちゃアダムのコピーよ!はいユイ、アンタはリリス、ワタシがアダム!」
初号機の手に無理矢理レイを渡す弐号機。
おっかなびっくり初号機が受け取ると、キョウコはアスカを見下ろした。
「これでよし!アスカ、それじゃワタシら地球を回るからね」
大慌てで二体のエヴァにシンジが駆け寄る。
「待ってよ!!僕が望んで決めるんだよ!勝手に進行させないで!母さん、なんとか言ってよ」
「えっ、私?」
シンジに頼まれ目が点になるユイ。
もちろんユイになんとか言える訳がない。
ユイはキョウコに言う代わりにシンジに言う事にした。
「シンジ、レイの身体は元々初号機からサルベージされたものなの。だからもう一度サルベージすればレイの身体を造り出せるはずよ。サードインパクトの後始末が終わって落ち着いたらまたこっちに来るわ。その時にレイをサルベージして」
「母さん・・・」
「カヲル君にも同じ事が出来るかもしれない。いえ、出来るわ。その日が来るまで待っててあげて」
「碇君・・・・」
初号機に握られたレイがシンジを見つめている。
真紅の瞳を潤ませ、問いかけるように。
シンジもレイを見つめ返す。
「綾波・・・」
「待っててくれる?碇君・・・・」
アスカがそっと近寄りシンジの背を押した。
シンジが振り向く。
「アスカ?」
「言いなさい、アンタの気持ちを・・・・」
「うん・・・・待つよ!綾波、カヲル君!!だから必ず戻って来て!約束だよ・・・」
レイは顔じゅうに微笑みを広げると、こくりと頷いた。
「ありがとう、碇君・・・」
シンジも笑顔を返す。
「レイ!アタシにも言わせて」
アスカも微笑んでいた。
「アンタはもう人形じゃない。そしてアンタには可能性があるわ。人間らしさを成長させる可能性が。戻って来たらアンタと一緒に笑って泣いて怒って喜んでみたいのよ!そして・・・なによりアンタとケンカしてみたい!!あの子、みたいにね」
「アスカ・・・」
「待ってるわ。そんな日が来るのを・・・」
「アスカ、ありがとう・・・」
「カヲル君!」
シンジはカヲルに視線を移す。
「カヲル君も待ってくれるよね?」
カヲルは観念したように苦笑いして見せた。
「分かったよ、シンジ君。また会おう・・・いずれ近い内に」
「よおっし!これでOKね?じゃあワタシ達は行くわよ!!」
キョウコが号令をかける。
弐号機がカヲルを持ってないほうの手を初号機に差し伸べた。
「ほれユイ、そっちにレイ持ってちゃ手を繋げないでしょ!」
「あ、はいっ」
慌てて初号機がレイを持ち替え弐号機と手を繋いだ。
二体の巨人の身体が浮き上がりだした。
弐号機の胸のあたりに浮かぶキョウコが手を振った。
「アスカ〜、また会いましょう!」
アスカも力一杯手を振り返した。
「ママ〜、またね〜!」
往生際悪くゲンドウが叫ぶ。
「ユイ〜〜!」
「あなた、今度私が戻って来たときはシンジと一緒に出迎えてください」
「ユイ・・・・」
「返事は?」
「・・・・・」
「あなた!」
「う・・・・わかった・・・」
「シンジ、父さんを頼むわね。まだまだ頼り無さそうだし・・・」
「分かったよ、母さん・・・・また会おうね。綾波、カヲル君、待ってるよ!」
「シンジ君、また会おう」
「碇君・・・アスカ。また会う時を楽しみにしているわ。向こうの私にもよろしくね」
「OK、レイ!戻って来た時会わせたげるわ。バイバイ、またね!」
上昇する初号機と弐号機がどんどん小さくなってゆく。
今度こそ撃墜されることなく。
そしてこの別れはしばし別れであって永遠の別れではない。
万感の思いを込めてシンジは彼女らに語りかけた。
「母さん・・・カヲル君・・・綾波・・・今度会った時はきっとみんな幸せになろうね・・・」
シンジを初め、皆がその姿を眼で追っていた。
やがて彼女らの姿は小さな二粒の点となり、視界から消失した。
シンジはしばらくエヴァが消えた場所をじっと見上げ続けていた。
「シンジ・・・」
シンジの隣で同じ所を見上げているアスカが囁く。
「うん・・・・」
言いたい事は分かっている。
いつまでも感傷に浸っている場合ではない。
やらねばならない事が残っていた。
「シンジ君、さあ望んで!」
ミサトが二人の前に立った。
「自分のために、そしてこの世界のみんなのために。そして向こうの世界の友達にまた会うために。さあ!」
「はい!」
力強くシンジは答えた。
表情を引き締めるとシンジは静かに喋り始めた。
「僕は・・・・いつも怯えていた・・・他人に傷つけられるのが恐くて・・・・人の顔色ばかりうかがっていた」
「ち、ちょっとちょっとシンジ君!」
予期しない事をシンジが言い出したため、ミサトは慌てて突っ込もうとする。
「時間がないから望みを・・・」
「待ってミサト!」
ミサトが伸ばしかけた手をアスカが制した。
「シンジは本当の気持ちを言おうとしている・・・アタシが聞きたいと言ったのよ」
「いつも逃げていたんだ・・・・独りっきりで・・・・それがとてもさびしいくせに・・・心の壁が恐くてどうする事もできなかった・・・他人と分かり合えるなんて信じられなかった。信じてもいつか裏切られるんじゃないかと怯えてた。だけど僕だって人を傷つけていたんだ!誰だって傷付いているのに僕は自分だけ被害者みたいな顔してアスカにすがろうとした。独りにしないでって・・・・だけどアスカは言ったんだ!独りが恐いのは自分だけじゃないと!そして心の壁の内にある自分の痛みを僕に見せてくれた。だから僕もどんなにみっともなくても自分自身をさらすよ・・・たとえ人の形を取り戻した後でも!嫌われても傷付いてもかまわない。それを恐れたら僕は前に進めないから・・・・・」
シンジの独白を傍らでじっと聞いていたアスカは小さなため息のかけらを吐いた。
今シンジが言った事はアスカには分かっている事だった。
これ以上突っ込んだ言葉は出そうにない。
彼がバカシンジだったのを忘れて変に期待を持っていたようだ。
まあそれもいいかもしれない。
考えてみればアスカも自分自身の本音はさらしてもシンジ個人への気持ちは吐き出してなかった。
それに今シンジが言ったように、たとえ人の形を取り戻した後でも自分自身をさらす事に価値がある。
ならば現在の人が溶け合いかけた状態で、シンジの自分に対する気持ちを知り急ぐ必要はない。
楽しみはとっておこう。
人の形を取り戻してからか、それともレイが戻って来てからか・・・・・
(それはちょっと気が長いか・・・)
アスカは小首をかしげると、再びシンジの言葉に耳を傾けた。
「この人同士が溶け合った淀んだ空間には僕は居たくない・・・ここは僕を僕でない者にしてしまおうとする・・・・・・・だからこんな所・・・・・・・」
シンジの脳裏にある言葉が浮かんだ。
その言葉はごく自然にアスカの心に伝わった。
二人の声がユニゾンした。
「あっかんべぇ〜!」「あっかんべぇ〜!」
二人は顔を見合わせた。
今度は笑顔がユニゾンする。
「よおっし、シンジ、仕上げ!!」
「うん!」
シンジは大きく息を吸い込むと天を仰いで声をはりあげた。
「僕は望む!元の自分の形に戻る事を!この世界の人々を再び人の形にもどす事を!たとえ心の壁が互いに傷つけ合う事になっても・・・・それでも望む!!」
その時、シンジの立つ空間が大きく揺れた。
地球という球体の上に大樹のごとくそそり立ち、黒き月に手をかざす少女の形をしたもの・・・・
背中にはその身体と同様真っ白な12枚の羽が、大樹から伸びる枝のごとく広がっていた。
彼女の顔には非人間的な、人形のような笑みが張り付いている。
サードインパクトが引き起こってから彼女はずっとこの状態で立ち尽くしていた。
異変は唐突に起きた。
彼女の顔に張り付いていた人形の笑みに暖かみがわき上がり、情感に満ちた明るい笑顔に変化したのだ。
彼女は身を反り返らせると、首筋から真っ赤な血を吹き出し始めた。
それでも彼女の顔からは満足そうな微笑みが消える事はなかった。
彼女は役割を終えたのだ。
サードインパクトを引き起こす役割を、そして魂の入れ物としての役割を。
事態の終息と共に彼女の身体は崩れ去り、やがてその欠片を大地に降り注がせる運命にあった・・・・・
シンジの身体全体が淡い青白い輝きを放ち出していた。
その輝きはシンジを中心に他の者にもどんどん広がっていく。
「これは・・・・」
シンジは自分の手を見てその輝きを確認しながら、この空間の雰囲気が次第に変化していくのを感じていた。
それまであった空気の淀んだ感覚が弱くなってきている。
それに今まで自分の心の中に無遠慮なまでに流れ込んで来る他人の感情が、潮が引くように遠のいていくのが分かる。
シンジは自分の身体をつつむ輝きが心の壁である事を知った。
「そうか・・・・ATフィールドがまた人の形を作ろうとしているんだ・・・・」
シンジはアスカを見た。
「始まったね」
「ええ・・・・」
頷くアスカを見つめながらシンジは彼女から流れ込む感情が、ついさっきと比べ格段に減少しているのを確認した。
曖昧だった人と人の境界が明解なものに戻ろうとする。
すぐ隣に立っているのに、シンジはアスカとの距離がどんどん離れていくような気がした。
それは事実そうなのだろう・・・・・
シンジは周りの人達を見回した。
父、ミサト、冬月副司令、リツコ、マヤ、マコト、その他の人々・・・・
彼らから流れ込む感情ももはや微弱なものになりつつある。
やがてすべての人々が心の壁を取り戻し、完全に他者となる。
そしてそれをシンジは選んだのだ。
不安は消せはしない。
しかし希望だって間違い無くあるのだ。
シンジをつつむ輝きが増してきた。
合わせるように他の者達の輝きも強くなってゆく。
この空間全体が光で満たされていった。
「!?」
突然アスカの身体がすべる様にしてシンジから離れ出した。
慌ててアスカはシンジの腕を掴んだ。
「何?」
うろたえるアスカの手をシンジは握り返すと辺りを見回した。
「あ!」
見ると回りの人達の間隔がだんだん広がり始めている。
その身体をつつむ青白い輝きが増すのに比例するかのように。
「そっか・・・ATフィールドが人と人を区分けし始めたのね・・・」
「そうか・・・」
「シンジ君!」
どんどん距離が広がりゆく中、ミサトが手を振りつつシンジに叫んだ。
「ありがとう、シンジ君!あなたのおかげで人は未来を持つ事ができる。元に戻ったらまた会いましょう。サードインパクトの打ち上げパーティーでもやらかしましょ、ね!」
「ミサトさん、また後で〜!」
冬月もミサトに続いた。
「シンジ君、君のおかげで人類は救われた。心より感謝するよ」
「はい」
ゲンドウはシンジから視線をはずし、弱々しく俯いていた。
「父さん〜!」
ぎくっ
「戻ったら一緒に暮らそうね」
どきっ
「シ、シンジ・・・・・」
「約束だよ〜!」
(・・・・・ユ、ユイ・・・俺に力を・・・・)
益々弱々しく俯くゲンドウ。
遠ざかっていくゲンドウを冷ややかに眺めながらリツコが呟く。
「なんて情けない・・・なんで今までこんなのに・・・これマヤいつまでしがみついてるのよ!!みんな離れていってるのに!」
「センパイセンパイ、離れたくないんです〜!!」
マコトが叫び、ついでにシゲルがぼそっとつぶやく。
「ミサトさん〜待って下さい〜!」
「なんでもいいや・・・戻れるんだし・・・」
シンジはアスカとつないだ手を引っ張る力がどんどん強まるのを感じていた。
もはや手を離したほうがいいのだろう。
人と人がATフィールドで区分けされようとしているのだ。
その力に逆らう理由はない。
「アスカ、もう手を離してもいいんじゃないの?どうせまた後で会えるし」
「そうね・・・そうだ、ついでに願っときなさい!アンタとアタシが同じ場所で元にもどれるように」
「うん」
「きっとよ!」
心の壁の輝きがいよいよ強くなり、二人は青白色の光の塊となった。
やがて二つの光の塊は反発する磁石のように勢い良くはじけ飛んだ。
黒き月に紅い筋が刻まれた。
最初はスイカを4等分したような、そして更に子午線と経線を描くかのごとく細かく筋が刻み込まれていく。
刻まれた筋からは血の様な液体が滲み出て、身を反り返らせた天使の身体に滴り落ちた。
やがて黒き月は四散し、紅い霧となって広がっていった。
霧の一粒一粒が光を放ち始め、十字の形となった。
それは一つに溶けた人々が再び人の形を取り戻すための儀式だった。
十字の光は地球をめざして一斉に降り注いでいく。
エヴァ>
微笑みをたたえて身を反らせたリリスの身体が崩れ出した。
首がちぎれ落ち、腕が引き裂け、背骨がへし折れ・・・・・
「気持ち悪〜い!・・・」
アスカがいかにも不快そうに胸をさすりながら声を漏らした。
窓の中に映し出される光景に耐えられなくなり、顔をそむける様にしてカヲルを見た。
「これのどこがうまくいったのかもしれない、よ!!期待したのよ、本気で!」
怒り心頭で問いかけるアスカに対し、あくまで冷静な面持ちでカヲルは答えた。
「これはまだ僕の推測でしかないけど・・・・さっき黒き月が破裂して赤い霧が吹き出した。それが更に光となって分散し、地表に降りていった。これは一つに溶けてしまった人々が再び個体に戻る過程を表しているんじゃないだろうか?光の一個一個が人だと考えれば・・・」
「だとしたら・・・向こうの世界の人間はみんな元に戻っているって事なの?!」
アスカの問いにかぶせるようにシンジも聞いた。
「だったらアスカや僕や綾波も戻って来ているの!?カヲル君!」
「それはこれから確かめないといけない。しかし希望はあるんだ!窓を使って光の十字の舞い降りた場所を探そう。まずジオフロントの辺りを調べるんだ。レイ君、手伝って!」
「うん・・・」
無造作に頷きながらレイは自分の窓に見入っていた。
三人はレイの窓の景色をうかがう。
そこには・・・・
「ひっ!なによこれ!?」
微笑みを浮かべ、赤く染まった空をゆったりと落下しているリリスの生首!
驚く三人をよそにレイがしみじみとつぶやいた。
「サイズは違うけど私そっくりだもん。見届けたいじゃん・・・・」
(見届けたくない〜!そんなの!)
自分の巨大生首を感傷的に見届けるレイの感性にとてもアスカはついていけなかった。
とにかくあんなものが映っているレイの窓で向こうの世界のシンジ達を探す気にはなれない。
「シンジ、あたしはカヲルの窓で調べる。シンジはレイのほうでやって!」
「えっ?」
「えっじゃない!わかったわね?」
シンジはレイをちらっと見た。
「おーい、だいじょうぶー?」
レイは窓の中の生首に声をかけていた。
首だけで大丈夫もないだろうとシンジが思った時、リリスの生首に変化が起きた。
にこっ
「うわっ!」「きゃっ!」「あっ」
腰を抜かさんばかりに驚くシンジとアスカとカヲル!
首だけのリリスが例のスイカ口笑顔を見せたのだ。
レイは窓に映るリリスの笑顔を紅い両の瞳をうるませながら見つめていた。
「この様子なら・・・・みんなもきっと無事だよね!」
平和>
打ち寄せては引いていく波の音が聞こえる。
なんだろうこの音は・・・・
頬を生暖かい風が撫でる。
なんだろうこの感触は・・・
次第に波の音の満ち引きのリズムがしっかりと聞き取れるようになってきた。
風の感触が自分と周りとの境界線を認識させた。
ここはどこだろう・・・・・
意識がだんだんはっきりしてきた。
そうだ・・・・戻りたいと願ったんだった・・・
シンジは目を開いた。
白色の満月が煌々と輝き、その周りに無造作にちりばめられた星々。
何故か赤い一条の線が虹の様にかかっていたがシンジは気に止めなかった。
「もう夜なのか・・・・」
自分はどうやらどこかの波打ち際で寝転がっていたらしい。
シンジは天を向いていた顔を横にゆっくりとひねった。
視線が下がるほどに、夜の黒がほの暗い朱へと変化していった。
まだ夕空が残っているようだ。
しかしその色はシンジの記憶にある夕焼けの色とはやや違って見えた。
むしろ使徒との戦いでさんざ見てきた血の色と言ったほうがしっくりする。
彼の視線が地平線まで下がった。
大地に横たわる巨大な欠片と目が合った。
それはかつてリリスと呼ばれた者の頭部だった。
「・・・!」
シンジは息を呑んだ。
彼女の顔の左半分が欠けていたにもかかわらず、その表情がスイカ口を開いた満面の笑みであると認識できたからだ。
逃げる様にしてシンジは視線を移動させた。
地平線から水平線に景色が切り替わり、真っ赤な海が広がっていた。
海はシンジのいる真っ白な砂浜に向けて小さな波を送り出していた。
海の真ん中に制服姿の少女が無造作に立っていた。
少女はシンジを憂いを込めた瞳で見つめている。
シンジの鼓動が高鳴る。
少女はシンジに柔らかな、つつみ込む様な笑顔を見せた。
シンジは大きく眼を見開き、次いで瞬かせた。
僅かな瞬きの後、再び見た海にはレイの姿は消えていた。
シンジは大きく息を吐いた。
(普通の笑顔だった〜・・・・)
安堵したシンジはある事を思い出した。
人の形を取り戻す前に望んだ事・・・
彼は上体を起こしながら泉の反対側を見た。
そこには望んだ通り、彼の傍らで人の形を取り戻したアスカが横たわっていた。
制服姿のアスカの右手から肩にかけて白い包帯が巻き付いていた。
その有り様を見てシンジはロンギヌスの槍でアスカが腕を負傷した事を思い出した。
シンジは自分の肩を見た。
自分も肩を槍に貫かれたのに包帯どころか傷一つない。
いったい何がそうさせたのかは分からないが、今考えても仕方ない事なのだろう。
シンジは再びアスカの包帯姿をながめた。
レイの包帯姿なら何度も見ているが、恐らくは初めて見るアスカのこんな姿は違和感と共に妙な新鮮さを感じさせた。
不謹慎な考えだがアスカの包帯姿もそれなりに似合っているとシンジは思った。
包帯の次は顔をながめる。
彼女は無表情に眼を見開いたままだった。
シンジはそろそろ這い寄るとアスカの顔を覗き込んだ。
そっと手を頬に触れてみた。
「・・・・・・アスカ」
小声で囁いたがアスカに変化はない。
時が止まったかのように表情を凍り付かせたままだ。
「アスカ?」
その無反応さ加減に異変を感じたシンジの顔に不安が過る。
よく考えてみれば、彼女の身体に巻き付いている包帯の量からしてもかなりの怪我ではないだろうか。
うろたえつつシンジはアスカの身体にまたがると、両肩を掴み揺さぶり出した。
「アスカ、大丈夫?!アスカ!」
無事に元にもどれる筈だったのにどうしてこうなるんだろう。
冷静さを失ったシンジはただただアスカの身体を揺さぶり続けた。
シンジの焦りに合わせる様にアスカの首が空しく左右に揺り動かされる。
「アスカ!おきてよ!!」
シンジの不安が恐怖に変わろうとした瞬間、アスカの蒼い瞳が動いた。
激しく揺さぶられていたにもかかわらず、彼女の視線は真直ぐにシンジを射抜いていた。
アスカを揺さぶるシンジの手が止まった。
二人の視線が一つになった。
沈黙の時間が流れていく・・・・
包帯の巻き付いた手が音もなく持ち上がった。
持ち上がった手はゆっくりと、しかし確実にシンジに接近していった。
シンジの顔に手が触れた。
はっとするシンジの頬を、まるでその感触を確かめる様にアスカの手が撫でさすっている。
やがてその手は頬から首筋まで這い進んでいった。
シンジは自分の体を這うアスカの手の感触に金縛りとなり、ただされるがままになっていた。
背中まで回った所で手の動きが止まった。
そのままシンジの体を引き込もうとする。
しかし硬直したシンジの体は動かない。
逆にアスカの上体が起き上がり出した。
アスカの顔がゆっくりとシンジに近付いてきた。
いつの間にか無表情だったアスカの瞳が潤んでいる。
シンジは息を呑んだ。
このまま近付けば顔と顔がくっ付く、というか唇が・・・・
シンジの鼓動がけたたましいまでに高鳴ってゆく。
眼前でじわじわとアスカの顔が広がっていた。
シンジの視線がアスカの口元に釘付けになった。
あと1cmで・・・・・数ミリで・・・・くっ付いてしまう!
緊張感に耐えきれず、シンジは目を瞑った。
「出てこ〜い、見てるんでしょ!」
天にも届かんばかりの叫び声に脅かされ、シンジは目を見開いた。
目と鼻の先に、空に向かって睨んでいるアスカの顔があった。
事態が飲み込めず唖然とするシンジ。
困惑するシンジをよそに、相変わらずアスカの顔は空に向けられている。
シンジは怪訝そうにアスカにならって空を見上げた。
突如二人の視線の1mほど先の中空から振り乱された栗色の髪が飛び出し、次いで取り乱した表情の少女の首が突き出てきた。
「あ、あんた、わざとやってたのね!なに考えてんのよ!こっちは必死で捜しまわっていたのに!!」
「ふーんだ、止めもせずにじーっと覗き見していたくせに!唾でも呑み込んでいたんじゃないの?」
「な、なんですってえ!」
アスカはシンジの手を引っ張りながら立ち上がり、自分と同じ顔の生首に向き合った。
むっとした表情でにらむ蒼い瞳とからかう様な表情でにらむ蒼い瞳が交差する。
その様子を傍らでおろおろとながめる黒い瞳。
「どうせ覗いてるんだろうから、ちょっと驚かしてやったのよ」
「なによそれ!サードインパクトが起きてこっちは本気で心配してたのよ!一生懸命さがして見つけたのに、何ふざけてんのよ!」
生首の両脇から更に二本の腕が生え、胸を張って立つアスカに伸びた。
「アスカ、待って!」
アスカの生首の左横からシンジの上半身が生え出ると伸ばされた腕にしがみついた。
次いで右横からカヲルの上半身が現れた。
「アスカ君、落ち着いて。とにかくみんな無事だったんだから」
「やっほー!」
シンジにしがみ付かれもがくアスカの真上からレイのにぎやかな笑顔が突き出てきた。
「二人とも無事で良かったねー!」
「レイ、あたしの上で騒ぐな〜!シンジ、離しなさいよ!」
「だから落ち着いてって」
「わかってるわよ!何もしないって」
シンジはアスカの腕をそっと離した。
手が自由になったアスカは拳をにぎった。
その様子にアスカが鋭い眼を向ける。
「なによ、まだやる気?」
「・・・・・・・・いえ、いいわ・・・」
にぎった拳が下ろされた。
首と腕だけの少女の顔から険しさが抜け落ちていった。
「悪かったわね、怒ったりして・・・・」
さっきとはうって変わった控えめな声で謝られてアスカは面喰らってしまった。
「ア、アンタどういうつもりよ!どうしてそんな物分かりいいのよ?」
うろたえるアスカを見るアスカの瞳が潤み始めた。
視線をシンジに移すと彼女は静かにつぶやいた。
「よかった・・・・二人とも戻って来てくれて・・・・」
「ア、アスカ?」
こんどはシンジがうろたえる番だった。
彼女の熱い眼差しで見つめられて。
困惑する二人に凛とした声が響いた。
「アスカ君だけじゃない。僕らみんな同じ気持ちだよ」
二人はカヲルを見た。
彼特有の華やかさを伴った笑顔をカヲルは二人に投げかけている。
カヲルだけではない。
レイも例のはち切れんばかりの笑顔で、シンジも喜びの満ちあふれた笑顔で、もちろんアスカも・・・
カヲルは皆の気持ちを代表するようにシンジとアスカに言った。
「よく戻って来てくれたね・・・・・・お帰り」
カヲルの紅い瞳から、およそ彼の笑顔には不似合いとも思える銀の滴が溢れ出し、頬につたい落ちていった。
波打ち際の真っ白な砂浜に向かい合って立つ少年少女達。
制服姿の少年と、同じく制服姿に片腕に包帯を巻いた少女が並んでいる。
その向いには白い患者着に片方の肩がギプスで盛り上がっている銀髪の少年。
その右側には紫色のプラグスーツを着た少年と赤いプラグスーツ姿の少女。
左側には制服姿の、いるだけでなんだかにぎやかそうな少女。
住んでいる世界で二人と四人に分かれている。
「まず謝っておかないといけないね」
カヲルは笑みを消すとシンジを見て重い口調で話し出した。
「僕のミスでサードインパクトが起きてしまった。それを阻止するのが僕の役目だったのに・・・」
「止めてよ、カヲル君!!僕らは戻って来れたんだからもういいじゃないか!それに・・・本当にサードインパクトを止めるのは僕の役目だったんだ」
「しかし・・・」
表情を曇らすカヲルを見かねたようにアスカが口をはさんだ。
「え〜い、なに湿っぽい話してんのよ!アタシもシンジもそんな事気にしてないわよ!終わった話じゃないの、でしょ?」
「うん、そうだよ」
「サードインパクトは起きてしまったけど、それを乗り越えた事がアタシ達には価値のある事だったのよ」
「価値のある事・・・・」
「そうなんだ、カヲル君。アスカに随分助けてもらったけど」
シンジはアスカを見て申し訳無さそうにはにかんだ。
すかさずアスカがはずんだ声で相槌を打つ。
「そ〜なのよ、どこへ行ってもバカシンジなんだから」
軽くシンジの頭を小突くアスカ。
その様子にカヲルは以前の二人には見られないゆとりの様なものを感じた。
サードインパクトを乗り越えた事がそうさせたのだろうか。
価値ある事・・・・何があったのだろう?
「ねー、なにがあったの?」
いかにも興味深そうにレイが聞いた。
カヲルの疑問とかぶっているとは知る由も無い。
アスカが片眉をぴくりと動かす。
「アンタこそアタシんとこのレイに何したのよ?にこっと笑うわ、アンタに比べて自分はろくな事してないと落ち込むわ、いったい何をやらかせばそうなるのよ!」
「あれ?さっき突っ込んだ時は会ってないはずだけどなー」
「なんですってえ?」
カヲルが二人を止めた。
「まあまあその辺にして。今は取りあえずの別れの挨拶の時なんだから・・・」
「別れ?!」
五人が同時にカヲルに目を向けた。
カヲルは五人の当惑の視線に微笑で答えた。
「だから取りあえず、だよ。サードインパクトが終わったから僕らの仕事も終わりだ。僕らはそれぞれの世界に戻りそれぞれの生活に帰る。だけどだからと言って会えないわけじゃない。会いたきゃ何時でも会えるんだから。それに後始末も必要だしね。ゼーレはまだ存在するんだからまた色々仕掛けて来るだろう。その時には僕らは喜んで力を貸すよ。シンジ君、アスカ君、お互いに一段落ついたら、今度は純粋に自分達だけのために会う事もできるだろう」
カヲルは右側に立つシンジを見た。
「まずはシンジ君、君からだ・・・」
促されてシンジは半歩前に出た。
少し照れたような面持ちでシンジとアスカを見ると、たどたどしく喋り始めた。
「・・・二人とも戻って来てくれて本当にうれしいよ・・・これから先も大変かもしれないけど、君たちならやっていけるよ・・・頑張って!」
同じようにはにかみながらシンジが答えた。
「うん・・・頑張るよ。ありがとう・・」
「何同じ顔で照れ合ってるのよ。表情まで合わせてど〜すんの?」
呆れるアスカに声が飛んだ。
「いいじゃない、シンジらしくて」
「何ですってえ?」
声のしたほうをアスカは睨んだ。
そこには当然、自分と同じ顔をした自分のプラグスーツを拝借している少女が立っている。
ただ違ったのは彼女がシンジ達同様照れながら笑っていたことだった。
「さっきはごめんなさいね。そりゃ覗かれてたら口付けられないわよね」
「なぁにぃ〜!」
「シンジ、あたし達が見てなかったら絶対あんたにキスしてたわよ、この子」
「ええっ!?」
顔を真っ赤にして驚くシンジ。
シンジとほぼ同時に顔を真っ赤にしたアスカががなり立てた。
「こらシンジ、真に受けるな〜!あれはアンタを驚かそうとしただけよ!!」
「もう覗かないから思う存分やりなさいよ」
「この!」
アスカは愉快そうに笑うアスカに掴み掛かった。
怒り顔と優しい笑顔が接触した。
「アンタね!・・・」
「よくシンジを連れ戻ってきてくれたわね。ありがと」
「っ?!」
「あたしじゃ無理だった。あたしは結局別世界のアスカだから・・・」
「何言ってんのよアンタ!」
「何もできなかったの。でも・・・シンジが・・・ううん、シンジとあんたが戻って来てくれて本当にうれしかったのよ!」
予想とは違った事を口にするアスカにアスカは困惑してしまう。
自分の知っているもう一人の自分とは、思いきり踏んづけまくってやりたくなる程憎たらしい奴であるべきなのに。
これでは勝手が違う。
「ななな何よ!アンタいつからそんなキャラクターになったのよ?!」
「あたしはあたしよ、いつも通りよーだ」
「うそつけ〜!」
二人の間にレイがひょいと顔をつっこんだ。
「あのねーアスカはねー、碇君とアスカをを助けに行けなくて泣いてたんだよー、碇君の胸で」
レイの言葉に穏やかだったアスカの表情が急変した。
アスカは目の前のアスカと同じくらい顔を真っ赤にしてレイに突っ込む。
「レイ!あ、あんた何抜かすの!!」
「はいそこまで!」
カヲルが割って入り二人のアスカを分けた。
にっこり笑って二人の顔を見比べた。
「要するにお互い自分の世界のシンジ君が合ってるって事だよね」
まだ何か言いたそうなアスカ達をカヲルは制した。
「言いたい事聞きたい事、色々あるだろうけどそれはまた会う時の楽しみにしておこう。長々と別れを惜しむのがいいとは限らない」
「そーだよ、渚君なんか病院から脱走してるんだから」
レイのフォローにカヲルは苦笑した。
「脱走って・・・レイ君、君も別れの挨拶をしておかなきゃね」
「あ、うん!アスカ、ずっと親友だよ。そーだ、碇君!今度会ったらデートしよ!」
「え〜!!」
満面の笑顔から発射されたあまりに唐突なレイの言葉に驚きまくるシンジ。
平和な世界側のシンジとアスカもあっけに取られ声も出せない。
数瞬の沈黙を破ったのはエヴァの世界側のアスカだった。
「そう・・・諦めてはいなかったのね。まあそれもアンタらしくていいか。そうだ、アタシん世界のレイがアンタによろしくねって言ってたわ」
「えー、ほんと?」
「またいつか会わせてあげるわ」
「やったー!」
「もういいね。それじゃあ・・・・」
カヲルは手を差し出しシンジの手を握った。
「さあ、みんなも・・・」
握手された手にアスカが手を乗せた。
次いでレイが、そしてシンジとアスカが手を乗せた。
重なり合った手の上に小さな光がきらめいた。
煌めきはどんどん成長し、八角形の形を作っていく。
輝く八角形が人の背くらいの大きさになった時、カヲルは静かに握られた手を離した。
重なり合った手がくずれるとレイも手をかざし、同じ位の大きさの扉を作り出した。
カヲルはレイに言った。
「僕は自分の病院に合わせる。レイ君にシンジ君とアスカ君をまかせるよ」
「うん!」
二つ並んだ青白く輝く八角形の扉が帰るべき場所を映し出した。
カヲルが扉に向き合った。
残る三人もそれにならう。
「カヲル君・・・」
後ろからシンジが名残惜しそうに声をかけた。
カヲルはゆっくりと振り向いた。
「シンジ君・・・・近い内にまた会おう!」
彼は恐らくそれまで14年間の人生のなかでも、会心の一撃ともいえる最高の笑顔をシンジに贈った。
カヲルに続いてレイ、シンジ、アスカの笑顔が二人に向けられる。
「碇くーん、アスカ!またねー!!」
「二人とも仲良くね」
「シンジ、また会いましょ。それからあんた、あくまでケンカしたいってのならまた相手したげるわ」
「ふん、そりゃ楽しみね。その時までそのプラグスーツは預けとくわ」
言い返しながらアスカは手を振り出した。
「バイバイ、また来なさい・・・・」
シンジも手を振っていた。
「みんな・・・・ありがとう・・・」
二人に背を向けてカヲルが、レイが、アスカが、シンジが扉を通り抜けていく。
四人を見送るシンジの笑顔から涙が一筋流れ落ちた。
「また会おうね・・・・」
二つの八角に縁取られた扉の向こう側で彼らは二人に向き合うと手を振り返した。
八角の扉がどんどん縮小していく。
やがて扉は光の点となり消失した。
シンジは扉の消えた場所をしばらくの間見つめ続けていた。
焼け焦げた様な紅い空と地平線がシンジの眼に映っていた。
「帰っちゃったわね・・・」
すぐ耳のそばで声がした。
前を見たまま答える。
「うん・・・」
「じゃ、そろそろ行くわよ」
「うん・・・・」
緩やかな風が吹いた。
砂浜に白い包帯が風に流され、生き物のようにのたくっていた。
シンジはアスカに向いた。
アスカは右手を差し伸べていた。
「大丈夫なの?」
「見てよ、きれいなもんでしょ。傷一つないわ」
差し出された腕をじっと見つめるシンジ。
さっきまでの包帯はなんだったんだというくらいの、張りのある健康的な白い肌。
自分の腕を観察しているシンジにアスカは怒った顔を作って見せた。
「いつまで見てるのよ。なんでアタシが手を出してると思ってるの?」
「え?」
「アンタ男でしょ。エスコートしなさい!」
「あ・・・わかったよ」
仄かに微笑んだシンジはアスカの手を取った。
「行くよ」
「ええ」
頷き合うと二人は波打ち際に背を向け歩き出した。
砂浜に足跡を刻みながら。
手を繋いだ二人は慌てる様子もなく、しかし着実に歩を進めていった。
白い包帯が砂浜を後にする彼らに対し、名残りを惜しむように揺れ動いている。
彼らの背中がどんどん小さくなっていく。
もはや打ち寄せる波の音も届かなくなるくらいに。
やがて二つの人影は二粒の点となり・・・・そして砂浜から人の姿は完全に消え去った。
そこに人がいた証として足跡だけが砂浜に残されていた。
海から一陣の風が吹いた。
ひときわ大きな波がわき立つと岸をめざして勢い良く突き進んでいった。
砂浜におおいかぶさった波は残された足跡を跡形もなく消し去っていった。
二つの世界における二つの世界の住人の冒険は終わった。
シンジアスカの大冒険?
終局じゃあ〜
という事で最後は映画版の間違い探しになってしまいました。
これのために映画版に近付けたともいえます。
エヴァの世界のシンジ達中心になったのは仕方ないですね。
彼らは自力で乗り苦難を越えていかないといけないし。
最初はある理由で全11話にしようと考えてたけど途中で話が膨らみ困りました。
1話当たりの量を増やす事で対応しましたがそれもその10で限界を越えて弱った弱った。
この話の設定は話を広げようとしたらいくらでも広がるのですが、そうしたらいつまで経っても終わらないので必要最小限の話だけにしようとしたのです。
それでいてこんなに年月かかってるんやから・・・しんどかった。
この作品書いてる間、色々な方から感想のメールを頂きました。
励みになりましたし、作品がメールに影響を受けるという事もありました。
とにかく感想メールを贈ってくださった皆さんにこの場を借りて感謝いたします。
おおきに〜。
さて、このシンジアスカの大冒険?の基本設定ともいえる、どこでもドアで二つの世界を行き来するという設定、結構使いでがあると思います。
という事でこの設定は今後フリーとさせて頂きます。
御自由にパクってください。
別にパクりたくも無いかも知れんけど(笑)。
それではまたいつかどこかでお会いしましょう。
ver.-1.00 2000/09/06公開
御意見御感想誤字脱字等諸々の事は・・・・ m-irie@mbox.kyoto-inet.or.jp まで
えいりさんの『シンジアスカの大冒険?』その11、公開です。
ついに完結!
2年超の連載作、ついに大団円っ
自分一人で乗り越えることもすばらしいけど、
仲間に助けられてってのもすばらしい。
助けてくれる仲間がいるってのがすばらしい。
盛り上がったり落ち込んだり、
盛り返したと思ったらドツボにはまったり、
結局サードインパクトを起こしちゃったけど・・・
アスカに、
平和世界のみんなに、
そしてEVA世界のみんな−−−
シンジ
シンジを救ったアスカ
アスカにその力を与えたみんな−−−
すばらしかったです〜
EVAレイちゃんも
EVAユイさんも
EVAキョウコさんも
大団円で満足です☆
ゼーレの残党等、まだまだ悶着の種は残っているけど、
大丈夫だよね。
自分たちも、
EVA世界の皆も
そしてそして、平和世界からの助っ人もいるし、だいじょーぶっっ
そのうち、逆にEVA世界から平和世界を助け行ったりもできるようになるさ♪
おめでとうです!
さあ、訪問者のみなさん。
完結っえいりさんに感想メールを送りましょう!
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