「別に逃げてる訳じゃないって。…そんな事ないわよ。良い? もう切るから。」
溜め息をつきながら角張った電話の受話器を置く彼女の隣で、金髪でショートカットの、知的な印象の女性が笑いながら声をかけた。
"You seem to have a phone call every day, Misato."
"Yeah. And it's definitely not from my boyfriend."
電話を切った女性…美里は、ルームメイトのエリカに今朝も乾いた笑顔を見せていた。
"You do NOT have any boyfriend." エリカはテレビのリモコンを各局のチャンネル−と言っても4つしか無いのだが−をパチパチと切り替えている。The
Big Breakfastがアニメのコーナーになったので、他局をチェックしだしたらしい。
"Nein."
"Shame on you. You are so cute, Misato. You can make any boyfriend,
if you wanted."
日本人はドイツ人みたいな大人の恋愛は出来ないのよ。
美里はあくびを漏らしながら頭の中で反論した。何…8時半? …向こうは夕方の4時か。世間話の相手は近所で見つけてよね、全く…
イギリスのウィンザー市は、ロンドンから鉄道で40分程度の所にある街だ。人口は…美里は良く知らないが、まあ10数万とか、そんなレベルだろう。住んでいる分には実感が湧かない物だが、この辺りは一応イギリスでは高級住宅街の一つとされているらしく、実際ローバーやシトロエンに混じってロールスロイスをちょくちょく見かけたりもする。まあ、それなりに便利だし、悪い街ではない。
…悪い街ではないのだが、車が無いと結構辛い。海外に出ると日本の電車網がいかに高度に発達した物か良く分かる。日本食料品店、大規模なスーパー、隣町で買い物が便利なスラウ、どこに行くにも車があれば数十分だが、鉄道(電車ではないエリアの方が多い)では…
美里は小田原の実家に預けっぱなしの「愛しのアルピーヌちゃん」の事を思うと涙が止まらない。かもしれない。
そんな事を怪しげな英語でルームメイトのエリカに説明しながら、美里はWindsor English Instituteにいつものように徒歩で「登校」して来た。
その学校は美里とエリカの住むフラットから15分程度の場所にあり、市の中心地といえば中心地、外れといえば外れのロケーションである。…つまり、駅前の商業地域と住宅地の境界付近に立地しているのだが、何しろ市街地が小さいので「中心地」から歩いて10分とかからない場所だったりした。「学校」と言っても規模は小さく、場所はニューススタンドの2階、総生徒数確か17人位、総教師数3人という語学学校だ。
美里とエリカは雑談をしながらその雑居2階建ての階段を上り、「学校」というか教室に辿り着いた。
"Hi!" 美里の現在所属する「上級」教室には、既にエンリコとジャンニの2人のイタリア人が座っていた。例によってTime Outをめくっている。
"So another new week begins."
"Right..."
冗談めいたエリカの言葉に、一同は苦笑する。
"Hey, Misato, did you enjoy last week end?" 眼鏡をかけ、イタリア人というよりはドイツ辺りが似合いそうな落ち着いた雰囲気の青年のエンリコは美里に聞く。
"Mmm, yeah, not too bad. I did love Erika's dancing! It was so great!"
"Hey, stop, Misato!" 踊り出す美里をエリカが笑いながら止める。
"Yap, Erika dances very well." 短めの黒髪に黒い瞳で、日本人だと言っても通用しそうな容貌の女性、ジャンニは真面目に頷いた。
"Hi, every one." ソバージュでどことなく可愛らしい雰囲気の女性が教室に入って来た。東洋系だ。
"Hi, Okhee." エリカが返事をする。
美里、エリカ、エンリコ、ジャンニ、オッキ。以上で上級クラスの生徒は全員揃った。そして…
"Hi." 金髪で眼鏡をかけた女性がテキストブック片手にやって来た。先生のジェニファーだ。
"Enrico." いつも微笑んでいるジェニファーは声をかけた。
"Yap."
"Did you enjoy last week end?" 月曜日の朝は、間違いなく全員がこの質問をされるのだった。
オッキと2人組みになって、互いのプリントを採点しあう。美里は思った。
何て言うか、珍しい国から来た生徒程熱心に勉強するのね。逆にドイツ、日本、イタリア辺りから来た生徒は物見遊山的要素が強くて。
"Good job, Okhee. Just except of this one." 美里はフレーザル・バーブ−日本語で言うなら、「動詞句」か?−の穴埋めのうちの一問を指差す。
"Ah...is it 'with'?" オッキが上目遣いに尋ねる。
"Correct. Rather than 'take up for'." 美里は微笑んだ。ちなみにオッキの採点した美里のプリントはバツ印がオッキのプリントの6倍あった。つまり6問間違えたのだ。
ジェニファーは腕時計を確認して、パンパンと手を叩いた。
"All right! See you in afternoon!"
午前の授業は終了、待望の昼休みだ。
美里、その他ほとんどの生徒達がダベリ場と化している「キッチン」に向かう。キッチンと言っても料理が出来る程のスペースがある訳ではなく、ただ魔法瓶2つとインスタントコーヒー、マグカップなどが置いてあるだけだ。美里達生徒は、ここで他クラスの生徒に一言声をかけてから昼食に繰り出すのが日課となっていた。
"Hi, Maya."
"Hello, Misato." 短い黒髪の日本人女性が美里を見て微笑む。日本人同士で羞恥心無く英語で会話できるようになれば、一人前の世捨て人だ。
「今日はまた混んでるわね。」美里はまだ完全には日本を捨てきれてはいないようだった。
「…ええ、今日また新入生が…See you!」自分の同級生、クラウディアに手を振る摩耶。
「え、どこどこ。何人(なにじん)?」せいぜい10畳のキッチンなので、どこという程の事はなく、すぐに奥で緊張気味に座っている2人の東洋人を美里は見つけた。
「日本人?」
「ええ。日本語学校に通ってて、これから1ヶ月だけここにいるそうですよ。」
「も学校夏休みだもんね。初級?」
「2人ともウチ、中級です。」
「ほぇー。」
"Hi."美里はイタリア人達をかき分け、2人の日本人の前に立った。椅子に座った2人のうち1人はおとなしそうな男の子で、もう1人は眼鏡をかけた、これもおとなしそうな女の子だった。2人とも中学生だろう。
英語で話す事に慣れていないのか、男の子の方がオドオドと口を開いた。
「あ、あの…ジャパニーズ?」
「……そ。私はジェニファーのクラスの美里っていうわ。はじめまして。あなた達の名前は?」
「あ、ぼ、僕は真嗣、碇真嗣です。」
隣の女の子は更に人見知りが激しいようで、真嗣が肘で突つくとようやく口を開く決心をしたようだった。
「私は、山岸真由美と言います。」
「よろしく。シンジ、マユミ。」美里は2人の目線に顔を下げ、ニコっと微笑み、英語風の呼び捨てで声をかけた。
真嗣と真由美は少しほっとしたかのように顔を緩めた。
「よろしくお願いします、美里さん。」
「…よろしく、お願いします。」
「今日初めて来たのよね。…じゃあ、一緒にお昼食べる?」
「あ、はい!」2人は頷いた。
「マヤ、Ben!」美里は脇で話し込んでいた、いつも昼食を一緒にとる2人を呼んで、ウィンザーの中心地に繰り出した。
美里達は喋りながらウィンザーの事実上の大通りと呼べる坂道を上がっていた。周囲には時計屋やCDショップ、ドラッグストアや小さなデパート等がある。
「マックにします?」
「んー。良いんじゃない? 別に。」
美里は前を行く摩耶に返事をした。
「その後でW. H. スミス寄りたいんだけど。」
「そうですか。...Yeah, we gonna have a lunch at McDonald's. 5 people
are a little too many for that sandwich stand, I think.」
自分の隣を歩くトルコ人の女性、ベン・サハンに説明をする摩耶。
美里は自分の隣にいる2人の中学生に微笑んだ。
「どう? 教室は。」
真嗣と真由美は目を合わせる。当然のように真嗣が答えた。
「大変です。皆が何言ってるかも分からなくて。…質問の答えじゃなくて、質問そのものが何を聞かれているのか分からないですから…」
「最初は皆そうよ。」
美里の声に真嗣はほっとしたようだった。
「…そうですか。…美里さんも、最初はそうでしたか?」
「そりゃ誰だって最初は、ね。特に日本人なんて、聞いたり喋ったりするのは殆ど習ってないでしょ?
最初は出来なくて当然よ。」
「あの…」
美里はようやく口を開いてくれた真由美に最大限に優しく微笑みかけた。
「何、真由美ちゃん。」
「いつから、ここにいるんですか?」
「住みだしたのも学校に来たのも4月からだから、もう4ヶ月近くになるわね。最初はクラスも人口少なかったんだけど、やっぱり夏場になってからわっちゃり増えだしたわね。えっと、摩耶ちゃんと同じクラスなのよね、サムの。」
真嗣は律義に頷いた。
「あ、はい。」
「今、何人いるの? 中級は。」
「ええと…」 答えに窮する真嗣を見て、美里は前に声をかける。
「摩耶ちゃん。」
摩耶は振り返った。「はい?」
「中級クラスって今何人いるの?」
"What?"
"How many students are in our class, she said." ベンに説明する摩耶。
"That's...Maya, Beate, Alex, Claudia, Maria, me, and those 2 new fellows."
"So...8人か。8人です。"
「多いわねえ…」
上り坂の終点は、ウィンザー城の目の前の通りと直交していた。この通りのみは観光スポットとして、日本人もよく見かけるエリアだ。まあ、そもそもイギリスではどんな田舎に行っても日本人はちっとも珍しくはないのだが。
数年前の火事で黒ずんでしまったものの、巨大な石造りのウィンザー城は数メートルの芝生を挟んで目の前にそびえ立っている。車道を挟みこちら側は、マクドナルドやピザハット、みやげ物屋等が多分にこじんまりと並んでいた。
「ま、一ヶ月もいれば大分慣れるようになるわ。要はね、英語って、勉強出来る出来ないの問題じゃなくて、ガイジン相手に強気で居続けられるかどうかの度胸の問題なのよ。」
「は、はあ…」
あまり納得していなさそうな返事の真嗣と、口を開けたままの真由美。
「それは美里さんだけですよ。」摩耶が失笑しながら、マクドナルドのドアを開けた。
エリカは腕組みをして、軽く詰問をするように美里の前に立った。
"Misato."
"Mmm-hmm."
"Why you always take such bad foods? It's totally bad for your health."
"Tastes good."
美里はTescoのマイクロウェーブのピラフを食べながら、エリカに反論する。いや、そもそもイタリア人や摩耶辺りなら「おいしい」という部分を既に問題にするのは確実なのだが、あいにくエリカはそういった物を一度も口にした事がなかった。
"And those trays not recycled at all."
"I know I'm a bad woman."
"Ah, so." エリカは溜め息をついた。"I'll sleep. You wanna TV turned
off?"
"No, I'll watch. Gute Nacht."
"Oyasuminasai."
エリカは両手を上げて、寝室へ消えた。
美里は横目でテレビを見た。ITVの何かのトークバラエティ−未だに名前や内容は知らない−が流れている。
ピラフを食べ終えた美里はプラスチック製の瞬間湯沸かし器でお湯を沸かし、インスタントコーヒーをいれる。
軽く飲んで、美里は既にテーブルに持って来ていた、表紙に「1997」とだけ書かれている大学ノートの日記帳を開いた。
8月7日 今日は普通。しかし雑談中に、実はオッキがかなりのクセ者だと判明。何でもアイドルに目が無いらしく、スマップのコンサートにいつか必ず行くと語っていた。何か、結構簡単にかないそうな夢ね。
8月8日 金曜午後は恒例のゲーム大会。いつも終わってから「一応学校なのに、こんな事で良いのかしら」って反省する。…っていう事を摩耶ちゃんに言ったら、「美里さんらしくないですね」って驚かれた。摩耶ちゃん、覚えてなさい…
で、明日はお楽しみのシンちゃんちのディナーにお呼ばれ。真由美ちゃんと摩耶ちゃんも一緒。…私がオマケか。
8月9日 今帰って来た所だけど、いやー、真嗣君のお父さんってインパクト強いわ。中性的なシンちゃんとは似ても似つかないコワモテの人だった。でも、奥様には頭が上がらないみたい。唯さんって言うんだけど、彼女はとっても良い人。真嗣君はお母さん似なのかしらね。唯さんからは何と口紅まで頂いちゃったわ、ラッキー。
…それにしても、久々にまともな食事にありついたわ。ここ数ヶ月ずっと、朝シリアル、昼サンドイッチ、夜マイクロウェーブって生活だったもんねえー。つくづくイギリスって…金欠の時なんか、チョコバー1本が昼ご飯だったりしたし。うーん、料理が出来る人って偉大だわ。
昼間はロンドン。例によって職探し…で、ま、いつもの通り実りの無い半日だった。一応日本語教師の免許持ってるんですけどねえ…働きたいならよその国へ行け、か…
8月10日 なあってエリカってぜんぜないん。どや
な。
8月11日 まだ気持ち悪い…上の無し、無し! また飲み過ぎたか…ちょっち自己嫌悪。エリカに「こんな奴がルームメイトで良いのか」って聞いたら、「良いボディガードになるから問題無い」だと。真面目な顔で言うな。
学校では、マリアはまたボケてた。でもお昼にイタリア勢と一緒にブーツだ何だ覗くと、やっぱり彼女達はセンス良いのよね。イギリス人とは大違いで。でも、女の子6人位の中に真嗣君がぽつーんといるのは、ちょっと悪かったかな。
しっかしどうしてこう寒いのよ。一応真夏でしょ? 今日なんて15度よ、15度!!
ジェニファーは「今年は猛暑だ」とか言ってるけど、神経疑うわね。 暖房入れっぱなしの猛暑なんて、絶対おかしいわよ。
8月12日 特に無し。
8月13日 日本なら今頃お盆で休みだよね…まあ、ここに居るのが休みみたいなもんだし、別にいんだけどね。
クラウディアは明後日が待ち遠しいらしい。何でもエクスカージョンの後でドイツから来た彼氏と会うらしくて。彼女、あんまりそういう雰囲気じゃないけど、やっぱ女の子なのよね。真由美ちゃんなんかはどうなのかな。もしかしてシンちゃん辺り…明日聞こうっと。
美里は意外に達筆な字で13日分の日記を書き、ページを閉じた。
「うっ…冷めてる…」
美里はマグカップを置き、レンジでチンしようかしばらく悩んだ。
翌日
美里と摩耶、真嗣、真由美、ベンの5人は例によって昼食に繰り出していた。毎日マックなのも何でしょう、という(主に摩耶とベンの)主張により、5人はサンドイッチをBootsで買い、例の通り−美里は勝手に「城前通り」という名前をつけている−の城壁側の数メートルの芝生ゾーンのベンチを占領して食べていた。
「ちょっちさぶくない? It's cold here!」
"Yes...but …えっと…お昼 is まだ OK." 摩耶が腕をさすりながら答える。
"Burrrr! Coffee tastes good for such a day." ベンがオーバーなアクションで笑った。
ベンは恐らく30代程度の女性だ。特別な美人ではないが落ち着いた性格で、真嗣のいる中級クラスではとっつきやすい生徒の1人だ。
日本人だらけの中に1人トルコ人がいるのを当初真嗣は不思議に思ったが、WEI唯一のトルコ人はどのグループに行っても外人になってしまうのだという事に真嗣は気づいた。…いや、そもそも日本人はイギリスでは外人なんだよな。英語学校が、そもそも外人だらけの場所な訳だし、つまり…
「どったの?」美里が真由美を挟んだ向こうの真嗣に聞く。
「あ、いえ、別に…」真嗣は何故か恥かしげにうつむいた。
「また考え事してたんでしょ。」
「あ、うん…」隣の真由美の言葉に頷く。
真由美は美里に笑った。
「碇君は、いつもこうなんです。自分の考えにいつでも入り込みがちで…」
「山岸さんだって、そういう所あるじゃないか!」
「う、うん…」ややムキになった真嗣の抗議に、少し焦点の外れたような目で曖昧に頷く真由美の顔を美里は面白そうに眺めていた。
"What?"
"14 years old is somehow a difficult age."
美里の言葉をどう理解したのか、ベンは"Yes."と頷いた。
昼食を終え、一行は午後の授業の為に狭い階段を上っていた。
たまたま自分達が5人の行列の最後尾になったのを見た美里は、前の真由美を手で止めた。
「ね、真由美ちゃん。」
「はい。」
不思議そうに目を上げる真由美。
「真由美ちゃんって今、好きな人居るの?」「女を超えた女(エリカ談)」の美里は単刀直入に真由美に尋ねた。
「は…何ですか、いきなり。」
「いや、いるのかなーって、気になっちゃってさ。だってほら、真由美ちゃんってすっごく可愛いから男の子がほっとかないっしょお?」
真由美は冷淡にならないぎりぎりの範囲で無表情に答えた。
「…何言ってるんですか。別にいないですよ。」
「本当? 大丈夫だって! それに日本語で聞いてるから、誰にもバレないわよ。」
「そんな事言って、碇君や摩耶さんが聞いてたらどうするんですか。…あ」
「ふーん。碇君や摩耶さんが聞いてたら、困るんだ。」
墓穴を掘った真由美は固まった。
「ほうら、吐いちゃえば楽に…」
その時救いの女神が現れた。
"Oh, you 2 are bad girls! Don't be late, now we'll have an afternoon
class, get ready!" ジェニファーが冗談めかして言いながら2人の横を通っていった。
いつも微笑んでいる、美里に言わせるとそれだけに全面的に信用出来ない部分のあるジェニファーは、振り向いて美里に言う。
"Don't be a bad student. Your boyfriend will be anxious."
"My boyfriend?" 思わず聞き返す美里。
"Shinji, I meant. Wasn't he?" 美里は眉を上げた。
"Ah... yeah, he IS one of my servants."
"All right. Don't make your servant afraid, Mistress."
"Right. I'll go." 疲れた様子で返事をする美里。
「じゃ、またね。」
「ええ…」真由美が浮かない表情で中級クラスの教室に向かうのを見ながら、美里はやや口を尖らせた。
マツイの安っぽいステレオからタイマーでセットされたラジオが鳴り出して、真嗣は金曜日の朝がやって来た事に気づいた。
「ふあ…ふあああ。」
パジャマから着替えたものの、まだ意識もはっきりしていないような状態で真嗣は階段を降りていた。
碇家の借りている家は、少なくとも日本人の感覚で言えば広大だった。寝室が4つ、トイレと風呂が2つずつ、大きな居間に倉庫のような部屋に、キッチンに、遠すぎて普段は使わない食堂に、まだ余っている部屋がいくつかある。真嗣の父、源道の職業は別に社長や医師等ではなく、あるエレクトロニクス企業のエンジニア…肩書きで言えば加工技術課長、でしかない。実は余り覚えていないのだが、真嗣も幼い頃は住んでいた東京の実家は、車庫も無い小さな2階建てだそうだ。唯がよく「こんな家に住めるなんて夢みたいだわ。」と言うのを聞くと、真嗣は「日本の家って、そんなに酷いのかな」と何年後かの日本に帰った後の事が少し心配になるのだった。
だいたいこの家だって、暖房の調節が難しいし防音は悪いしシャワーの出も悪いし、広い以外はあんまり取り柄も無いと思うけどな…
真嗣は長い道のりの末キッチンに辿り着き、エプロン姿の唯に挨拶をした。
「おはよう、母さん。」
「おはよう真嗣。ほら、あなたももう早く食べて下さい。」
源道は朝食そっちのけで日経新聞の国際版を読んでいる。
「ああ。」
真嗣は源道が1回も新聞を下げない内にトーストを食べ終わってしまった。
「ごちそうさま。」
真嗣はまだ学校まで一時間近く余裕があるので、その間する事が無い。宿題はとてもではないが朝起き掛けに出来るような内容ではないので必ず夜寝る前にすますようにしているし、英語のラジオで一時間は潰せない。日本語の本・雑誌は高いのでそんなに持っていないが、英語の本・雑誌は読んだら眠くなりそうだ。夕方から朝にかけてのみ放送する日本語のテレビを見る為に衛星放送に入っているので、MTVやCNNやたくさんのドイツ語のチャンネル等見ようと思えば見れるのだが、真嗣はどうも父のいる居間でテレビをつける勇気が湧かなかった。
そこで真嗣は、毎朝ただぼうっとしたり、チェロの調律をしたり、この時間だけは比較的休みらしく過ごしていた。
今日の真嗣は、一言で言うとぼうっとしていた。厳密には、ただぼうっとしていたのではなく今日の予定を頭の中でプランニングしていた。
30分近く経って、真剣な顔で真嗣は「良し。」と呟くと、歯磨きをしたり髪をとかしたりする為に洗面所兼トイレ兼風呂場に向かった。
今日はジェニファーは仕事の用で来れないらしく、サムと初級クラス担当のクリスティがバスの前、つまり教会脇の歩道で話し込んでいた。
午前10時。生徒達もバス前に集まりだした。皆歩道に座っている。
美里はエリカがドイツでやっていた合気道の話にアバウトに相槌を打ちながら、目の前の通りを車が走っていくのを眺めていた。
"You are still sleepy, Misato." エリカは微笑みながら眼鏡を上げた。
"Mmm-hmmm?"
"Or you don't wake up till your boyfriend arrives..."
美里はスニッカーズを喉に詰まらせた。
「ごほっ、ごほっ。Hey, don't be ridiculous! I'm an adult woman, you
see? How can I think 14 years old boy as a boyfriend!」
エリカは目を細めて頬杖をつく。
"Who said anything like your boyfriend is 14 years old?"
"Ahem. Mmmm... あ、I, I just said so cos I thought what'ya talkin'
'bout is a Japanese boy found in this school, so..."
"I see. You are looking for a Japanese boy found here..."
「えりぃかぁ!」
頬を膨らませる美里に、おどおどした声がかけられた。
「ぐ、ぐっどもーにんぐ。」
"Oh good mornin', Shinji." エリカは微笑んだ。
"Good morning."
"Good morning, Mayumi."
「あ、おはよ、真嗣君、真由美ちゃん。」真嗣は美里が、彼女にしてはぼーっとした表情なのを少し不思議に思った。
"Are you sleepy?" 美里に聞く真嗣。
"Yeah, she is." 答えたのはエリカだった。
"Everyone's sleepy at morning..."
「もう10時ですよ。」 "It's already 10 o'clock!" 呟く美里に、真嗣とエリカの声がハモった。
夏場で生徒数が増えたとはいえ、それでも総数で20人に満たない一行は、バスの中で思い思いの席を陣取る。バスのドアがようやく開き、生徒達が入りだしたのを、エビアンのキャップを閉めながら美里は横目に見た。
真嗣が同級生のドイツ人のアレックスと話し込んでいて、真由美が取り残されているのを確認した美里は、にっこりと真由美に声をかけた。
「そろそろバス、乗りましょうか。」
1人で歩道にたたずんでいた真由美は戸惑いながら返事をする。
「あ、ええ…」
生徒達が全員バスに乗った事を確認して、クリスティが今日はオックスフォードに行く事、これから着くまでトイレが無い事、着くまでは皆好きにしていて良い事等を伝える。
元々オーストラリア出身で、どういった血が入っているのか分からないがどこか東洋人にも見える女性のクリスティは運転手に頷いた。
"Yes."
バスは目に見えて茶色の煙を出しながら走り出した。
美里は隣の窓際の真由美に話し掛けていた。
「しおりとか、作れば良いのにね。」
「…有っても、英語でしょうし…」
「そうよね、読めないわよね。」美里は両手を頭の後ろに組んだ。
「…オックスフォードって、行った事ある?」
窓の景色を眺めていた真由美は微笑んで振り返った。
「無いです。どういう所なんでしょうね。」
「うーん…大学は、やっぱきれいよ。きれいっていうか、建物がとにかく古くて立派。街自体は、まあ普通の地方都市なんだけどね。」
真由美は瞳を広げた。
「凄い、行った事あるんですか。」
「いや、だから、別に大学とは関係の無い用事でね。」美里は苦笑しながら姿勢を直した。
「うん、まあ、悪い所じゃないのよ。」
「楽しみですね。」
「そうね。」
真由美は一通り喋りおわると、また道を眺める。
バスは大きめのラウンドアバウトをぐるりと周り、スラウへの国道に入った。まだ一応高速道路ではないが、既にバスのスピードは80キロ近くになっているように思われた。
「真由美ちゃんは真嗣君の事どう思ってるの。」美里は何やら文庫本を取り出している真由美に本の題名でも聞くかのように聞いた。
「は…え?」真由美はきょとんとした表情で美里を見る。
「仲が良いのは当然でしょ。学校から2人で、夏休みを同じ場所で過ごす位な訳だから…」
「そんなのじゃないです。」真由美は後ろの方の席に乗っている真嗣や摩耶に聞こえないように、ひそひそ声で抗議をした。日本語の会話は目立つのだ。少なくとも日本人には。
「うん?」眉を上げ、促す美里。
「うん…仲は、良いです、けど…良い人だとも思いますけど、別にすごく仲が良かったり、親友だったりする訳じゃないです。ただ偶然住んでいる場所が近いから。」
「珍しいわよね、日本語学校に行ってる子供のいる家族でアクトン近辺以外に住んでるって。」
真由美は微笑んだ。
「でも、車で行けば、学校もせいぜい30分でつきますよ。」
「送って貰ってるんだ。」
「はい。」
「M4に乗っちゃえば速いもんね。」美里は頷いた。
「ええ、ですから、ちょっとお刺身が食べたくなったり週末に買い物がしたくなったりするとすぐロンドンまで行っちゃいますから。」
「駐車とかは?」
真由美は考え込んだ。
「ええと…良く分からないんですけど、中心部に行く時は、リージェントストリートの裏手…あの、いぎりす屋、とかある所に公園というか広場があって、その周りは駐車が出来るんです。路上に。」
「え、じゃあただなの?」
「…どうでしたっけ…」
「多分メーターが有るんでしょうね…いぎりす屋って言うと…」
「オックスフォードスクエアの近くでリージェントストリートなんです。」
「へえー。」
相当興味をそそられて来た美里だが、ここで本来の目的を思い出し慌てて話の方向転換をする。
「あ、まあそれはともかくさ。近所なんだから、真嗣君の家とも交流とかあるんでしょ。」
とってつけたように質問をする。
「…ええ…まあ、何回か、碇君の家族と私で日帰りの旅行に行ったりとかは。」
「旅行って?」
「ドライブです。ハンプトンコートとか、グリニッジとか、」
「レゴパークとか。」ごく近所の施設を冗談ぽく口にする美里。
「ああ、そこはないです。行かれた事ありますか?」
「私も無いわ。…じゃ、十分2人は仲が良いって事じゃない。」
真由美は穏やかな顔だが、高速道路に入ったらしい景色をずっと眺めていた。
「何でそんな事言うんですか。」
美里は真由美の座る側の窓から前の椅子に目を戻し、椅子に付いている灰皿をいたずらに開け閉めした。
「別に。」
「…」
「……真由美ちゃんが真嗣君の事特別に考えていないのなら、私が貰っちゃおっかなーと思って。」
真由美はその、眼鏡のレンズを通じて多分に大きく見える2つの瞳を美里に向けた。
「冗談よ。」美里は笑って手を振った。
オックスフォードの中心地は茶色のすすけた古めかしい建物が背後に控える通りだった。つまり美里の目には他のイギリスの街と何の差がある訳でもないという事だ。唯一この街が他の街と異なるのは自転車をそこかしこに見かける事だが。もちろん日本の駅前の壮絶さとは比較にならない。空は曇り、いつ雨が降ってもおかしくないという「素晴らしい」英国日和だった。
"So we're free till 1 o'clock?" 確認するベアーティにクリスティが頷いた。
"Exactly. At 1 o'clock we gather again here. Ah, in front of that statue,
say." 数メートル向こうにある石造りの碑を指差すクリスティ。
"Ah, so." ベアーティの声をきっかけに、生徒達は40分の自由時間を過ごすべくそれぞれ分散する。
英語学校の建前としては、こういった街を観光する事で教室を出た英語使用の場を持つ、という事であり、即ち出来れば異なる地域出身の生徒同士で、いや、別に日本人同士でも構わないのだが、とにかく英語で他の生徒と会話をしながら歩くのが望ましいという事になる。しかし今日の美里は今一つそういった気分になれず、摩耶にもエリカにも声をかけず逃げるようにそこの車道−彼等は車道に挟まれた広場のような部分に居た−を渡り、革ジャンに両手を入れながら1人で歩き出した。
「あの、美里さん。」
美里が振り返ると真嗣が居た。
真嗣はいつものように少し肩に力の入った表情で言う。真嗣が自分から何か言う時は、大概は肩に力が入っているように見える。
「あの、一緒に歩きませんか。」
少し上目遣いで当たり前の事を聞く。
「うん。」美里はほんの少し目を大きくした後、顔を綻ばせて頷いた。
2人はオックスフォードの街並みを歩いていた。2人が今いる場所は近くの小さなショッピングセンターで、遊歩道沿いにドラッグストアや文房具店等が並んでいた。
美里は自分の気分が良く分からなかった。気分は良いといえば良かったし、悪いといえば悪いような気がした。それはつまり、今、目の前で自分の事を不思議そうに見ているこの少年と自分が一緒に居る事が、嬉しいのか不愉快なのか自分で判断がつかないという事だった。
「どうしたんですか、美里さん、今日は黙って。」自分の事を棚に上げて真嗣が聞いた。
「ん? んー、ちょっちね。 ふふん。」
真嗣は美里の顔の動きに合わせ少し首を傾けた。
「学校は、慣れた?」
「はい。あの、最初は緊張しましたけど、慣れれば何とかなりました。」
「慣れちゃえば、ね。私も最初は緊張しっぱなしだったわ。」
「美里さんが…ですか。」
「気になる言い方ねえ。」
「あ、す、すいません。」
「良いのよ。んー、だって最初はそもそも、こんなにたくさんの外人見るのが始めてだったもん。」
真嗣は苦笑いをした。
「そんなもんですか。」
「そりゃそうよ! 真嗣君は昔っから外国暮らしだったから実感無いだろうけど、普通の日本人にとってはまずどこでも外人だらけなのが驚異なのよ!」
「は、はあ…」
「でも慣れちゃうと。たまに日系のデパートとかに行って日本人ばかり見ると、却って違和感を感じるようになるのよね。」
「慣れ、ですね。」
「んん。」
2人は遊歩道のベンチに座っていた。真嗣は隣の大きい女性と数センチあけて座っているはずなのに、何故か彼女の体温が感じられるようで少し耳を赤くした。
「今日、朝、思ったんですけど、ロンドンって良いラジオ局が少ないですよね。」
美里は顔を上げた。
「そう?」
「ええ、そう思います。」
「…ああ、渋めのポップが好きな人とかはそう思うのかもねえ。うーん、したらVirgin
Radio辺りとか?」
「…XTCのシャツですか、渋めのポップって。」
「うん、分かった?」
「ええ。」2人は笑い合った。
「あれは、母さんの趣味なんです。僕も刷り込まれてますけど。」
「え、そうだったの? 結構お母さんお若いのねえ。」
「コンサートとかあると、父さんを置いていっちゃいますからね。」思い出したくない、といった表情で真嗣は眉を潜めた。
「へえー。じゃあ真嗣君はどんなの聞くの?」
「うーん、内田有紀ちゃん、とか…」
「…それは、ロンドンのラジオでかける局は少ないでしょうね…」美里は微笑みながらも、やや顔を引きつらせた。
「後、エルビス・コステロとか、Mr.チルドレンとか。」
「内田有紀とコステロねえ…」
「馬鹿にしてますね。」真嗣は笑った。
「でも、結構切なくて良いんですよ、有紀ちゃんのバラードって。」
「ふーん…」美里は真嗣の様子に少し食指をそそられたようだった。
「じゃあ、今度CDでも聞かせてくれる?」
「もちろんです。美里さんは、どこの局を聞きますか?」
「そねえ、大体Kiss FMか、BBC Radio 1かなあ。CapitalはCM多すぎて駄目ね。ゆっくりしたい時はJazz
FM。英語のヒアリングにはLBCよね。」
「え、ええ。」
「ああそうそう、後本当はChoice FM聞きたいんだけど、電波弱いからウィンザーだとよく聞こえないのよね。」
「はあ…」
「だから、ロンドンに出た時とかは聞いてる事もあるわ。」
真嗣は美里の言葉で思い出したように尋ねた。
「そういえば…仕事は、見つかりそうですか。」
「無理ね。限りなく不可能に近いわ。」断言する美里。
「そうですか…」
「…無理って事は無いのよね。ただビザが、限りなく難しくて。もうちょっと英語が話せるようになったら、スチューデント・ワーキング・ビザで取りあえずバイトを始めてさ。んで、ゆっくり考えようかなー、なんてね。」
「じゃあ、学校辞めちゃうんですか!」
「しばらくはそれは無いわ。それは、ちゃんと学校に行ってないと働けないっていうシステムだから。まあ、学校を働く場所に合わせて変える可能性はあるわよね。」
「あの…」
「何?」
「美里さんって、今付き合ってる人とかいるんですか?」
美里は真嗣を見た。見たが、まず自分の固まった首の動きを自然に見せる事の方で精一杯だったので彼がどういう表情をしているのかはよく分からなかった。
「ん、何でそんな事聞くの?」美里は笑ってみせた。
「…いや、何となく、いるのかな、と思って。あ、いやなら良いんですよ、別に、言わなくても。」
「おばさんをからかいたい?」美里は独特の表情で、足を組んで頬杖をついた。
「いや、そんな事、ないです! 全然! …すいません。」
おばさんという言葉を否定するでもなく真嗣は呟いた。
「…いたわ。来る前はね。こっちに来る時に振ったわ。」
美里の言葉に真嗣は眉を潜めた。
「何で…ですか? 別にこっちに来るからって、振らなくても…」
美里は真嗣の言葉に微笑んだ。
「振った、っていうか…ふっきった、っていうべきかな。ばっかな男でさ。」
美里は自分の胸の十字架に手をかけた。
「危ない事が大好きで。…最後は、事故で…死んだから。」
その日の体感温度は摂氏40度を越えていた。
イアーウイスパー越しにも耳をつんざく轟音が何度も通り過ぎる中、美里達は観客席のうえに取り付けられた大きな液晶モニタに映し出される映像をただ呆然と眺めていた。
あの時私は何も出来なかった。事故現場からピットは遠いから何も出来ないのは当然と言えば当然だし、検死によれば最初にクラッシュした時点でアイツは即死だったそうだから、その後燃え上がった火がどうこうって問題じゃない。っていう話は、何度も聞いた。
ミッション系統のトラブルでステアリングのコントロールが効かなくなったそうだ。大破した後での調査で、全ては推測なのだが。
最終的に死亡事故にまで発展した原因は、ドライバーの不可解な行動、という結論になっていない結論で決着した。皆自分達の生活があって、その一点は譲れない部分だった。
それで…結局あのバカが私に残した物といえば、自責の念と、捨てたいのに捨てられない3枚の写真と、この小さなロザリオだけだった。
「…すいません…」
黙ったまま十字架を触り続ける美里に真嗣は言った。
「良いのよ、本当に言いたくない事ならわざわざシンちゃんに話したりしないわ。もう8年も昔の話よ。」
真嗣は美里が迷わず「8年」と言った事に気づいた。
「はい…」
美里は苦笑した。
「私の不幸話なのよ! シンちゃんがクヨクヨしてどうすんの。だから、そのバカはもうこっちに来る前に振ったんだから。」
「はい。」
「だ・か・ら、今は私はフリーよん。純真な中学生に、いろんな事を教えてあげるなんていうのもよろしくってよ。」
「はい…」
美里は真嗣の様子に軽く溜め息をついた。あるいは自分の不用意さに対して。
美里は立ち上がって微笑んだ。
「そろそろ集合の時間ね。戻りましょっか。」
「…はい…」
真嗣も立つ。
「美里さ」「真嗣く」
「あ、どうぞ。」
「あ、いえ、何でもないです。」
「ホントに?」
「はい、本当に、何でも。」
「…そう。」
革ジャンの女性とセーターの少年は普通の車道沿いの歩道に出た。 湿った天気はつくづく夏とは信じがたい物だった。
「美里さんは?…」
「…いやー、好きな人って言うから、じゃあシンちゃんはどうなのかなー、って思って。やっぱり今時の子は進んでるのかしらん?」
予想通りに顔を赤らめて抗議をする真嗣の様子に、美里はほっと息をついた。
「そ、そんな事、ないです。特に、好きな人とか、いませんし。」
「へえー。」
「何ですかその返事。」
「べっつにい。ただ、真由美ちゃんが聞いたら悲しむかなーっ、てちょっと思っただけよん。駄目よ女の子泣かしちゃ。」
「別に山岸さんは良い友達なだけですよ。それだけです。」
美里は真嗣の冷静な口調に少なからず戸惑った。
「ふーん。そう。」
30秒位歩いて真嗣が美里に心配気に聞く。
「やっぱり今日の美里さん、静かですよ。」
美里は再び溜め息をついて、ポケットに両手を入れたまま肩を上げた。
「女性にはそういう日もあるのよ、真嗣君。」
「…あ、す、すいません!」
「分かればよろしい。」真嗣に見えないようにチョロっと舌を出す美里。
2人は集合場所に戻った。
美里はエリカと一緒に歩いていた。
"Did you get tired?"
美里はエリカの声に機嫌悪そうに答えた。
"Why. Do I look pale?"
"No, but quiet."
"Is it something strange for me to be quiet."
至極当然といった表情で頷くエリカ。
"Yeah, it is, no doubt."
"Erika..."
2人の話し声にサムが近づいた。
"Shhhh!"
"Oh, sorry."
ガイドはまず道を歩きながらオックスフォードのシステムについて説明する。それぞれの授業が別カレッジで行われるので授業の合間には生徒達は急いで自転車を漕ぐのだ、とか、彼等の寮は寮ごとに雰囲気が異なり、非常に門限の厳しい所もあれば寛容な所もある、だとか、この建物は17世紀、あれが15世紀の物だ、とか。
小さな道をいかにもお上りさんな一行は歩いていた。
"This is a beautiful place."
"YOU think so, Erika?"
"What."
"I think your country is even more beautiful than this city."
エリカは肩を上げた。
"I don't know. Yeah, my country's beautiful but it's the beauty of
nature. Not like historical buildings or so, you see."
"Mmm-hmmm."
ガイドツアーは終了し、一行はカフェテラスで昼食を取る事になった。
美里はエリカと話しながらセルフサービスのトレイにブラックのコーヒーとドロドロに甘そうなスコーンを2切れ載せていた。
"1,80."
レジの女性の声にお金を出す。
"Where will we go."
美里の声にエリカが周囲を見回す。
"Ah, we can sit on there." エリカの指差す方向に、窓際の4人用のテーブルが空いていた。
「あの…」
「ん、何、真嗣君。」
"Can I join?"
美里とエリカは少し驚いた風に顔を見合わせ、微笑んだ。
"Yes, of course. "エリカは優しく微笑んだ。
3人はそれぞれのトレイを持って席についた。
"So. Do you enjoy this excursion?" 快活に聞くエリカ。
"Ah, yes. Very interesting."
"That's good." 真嗣の答えに微笑む。
"You've been here before, Misato."
"Ah-hah." 無愛想に窓の景色を眺めていた美里はエリカの声に顔を戻した。
"Yeah, beautiful city, isn't it." エリカは非協力的な態度の美里に若干ムッとしながら話す。
3人は静かにそれぞれの飲み物を口にした。
"What kind of drink Japanese people have, in general?"
"Ah, maybe coffee is the most popular, but we also drink red tea and
oriental green tea as well."
"I see." 「コーヒー」の発音がおかしいのだが、美里の英語に慣れているエリカは真面目に答える真嗣に頷いた。
"Hmmmm." 美里が息をついた。
我慢できなくなった真嗣は美里に聞いた。
「やっぱり、美里さん」
「大丈夫よ。…心配して一緒になってくれたの?」
「いや、別にそういう訳じゃ…」
"Mmm, I see."
"You see what?" 美里が呟く。
"Oh no, I didn't mean anything like bothering you."
真嗣はそう言いながら紅茶を飲むエリカにやんわりと抗議する。
"Erika, I think you misunderstand something."
"Ah so? Misunderstanding what?"
"Erika. I've a talk with you later."
"Oh, thank you so much Mistress."
「あの…」
「何?」
美里は微笑んだ。
「その…」
「ん?」
「えっと…」
「…」
「ああ、その…」
「だあ、もう好い加減はっきり言いなさい! おっとこのこで…ふぐ」
「美里さん、静かに聞いて下さい!」美里の口を押さえる真嗣。エリカは2人の妙な日本人を面白そうに眺めた。
「…ふう、何、一体?」
「あの、僕、前から言おうと思ってたんですけど、その、美里さんが、えっと、好き、なんです。」
エリカは美里のトレイからスコーンを拝借してパクついていた。
「私も好きよ?」
「分かるでしょう? そういう意味じゃなくて、その、美里さんの事が…」
自分でも何故かは分からないが、美里はふいにおかしくなって笑ってしまった。
「え? いや、冗談、よね? んもうシンちゃん女性をからかうのも大概に…エリカあ!」
"What? Did I bother anything?"
"Where's my strawberry featured cookies?"
"I know nothing about cookies. I do know you've bought some scones,
though."
「あ、あの、冗談、じゃ、ないんです。」
「真嗣君?」
「本当です。美里さんの事を考えると、その、いてもたってもいられなくなって、その、こんな子供が何言ってるんだって思うかもしれないけど、美里さんがいると、もう、他の事が頭に入らなくなって、あれ?
僕何言ってるんだろ、だから、その…」
美里は真嗣の可愛さに、テーブル越しに彼を抱きしめたい衝動に駆られた。もちろんそれは恋愛感情とは全くの別物であるはずだった。
「ありがとう、真嗣君。」
真嗣は美里を上目遣いに見た。
「取りあえず座って。…でもね、真嗣君。その…こんなおばさんと付き合ったら、後で後悔するわよー。真嗣君まだ若いんだからさ、これからだって好きになる人いくらでもいるだろうしね、」
「でも…僕は、美里さんを見た時、その…美里さんしかいない、って思ったんです。綺麗で、優しくて、いつも明るくて…」
本当は始めて見た時「女神」に見えたのだが、それは真嗣の羞恥心のリミットを遥かに越える単語であった。
「真嗣君…それは私の一面しか知らないという事よ。私だっていつも明るかったり優しい顔を見せてる訳じゃないわ。」
残念な事にエリカは日本語を理解しないので、ここで美里に「綺麗は否定しないのか」と聞く事はなかった。
「ええ、僕も今日美里さんの違う一面を知りました。でも僕は、そういう面も含めて、美里さんの支えになりたいんです。…僭越ですけど。」
「気持ちは嬉しいわ、真嗣君。でもね、悪いけれど、私も、あなたに私が支えきれるとは思えないわ。」
真嗣は顔を上げた。
「悪く思わないでね。でも、やっぱり年が離れ過ぎてると思うし…うん…真嗣君にそういう感情は持った事無いから。」
「年齢なんて、関係無いです。」
「関係無い事はないわ。私は…とっても気になるな。真嗣君には、まだ分からないかもしれないけど。」
未だにクロワッサンに全く手をつけていない真嗣は、ホットチョコレートをまずそうに飲み干した。
「シンちゃん位ハンサムな男の子なら、学校の方でも引く手あまたでしょう?
ほら、ねえ? 結構柱の影から見守ってたりとかさあ」
真嗣は居心地悪そうに顔をしかめた。
「真由美ちゃんとか、結構真嗣君とお似合いなんじゃない?」
「美里さん!」
美里は真嗣の声に話を止めた。
「僕は、美里さんじゃないと、駄目なんです! …他の女の子の話なんか、しないで下さい!」
真嗣は立ち上がると、カフェを出て行った。
「真嗣く」エリカはお茶を飲みながら美里の肩を止めた。
"No, not now. You don't seem succeeded to calm him down now, cos you
also are upset. If you wanna talk to him, YOU calm down first then have
a talk later. Understand?"
美里は自分の肩に置かれたエリカの手を叩いた。
"Verstanden. Mmm, thanx, Erika."
"Not at all."
"But don't think like my scones are paid for this."
"I don't quite get it. By the way..."
"What?"
"I suppose you'd better prepare some excuse for the incident to other
students, Mistress."
"Stop calling me Mistress, man."
"My name is Erika Reist, you seem to forget."
"What happened?"
"Mmm... I guess some quarrel have held."
"Yeah, but what subject? It was in Japanese, wasn't it?"
"Yap. Mmm... maybe, religious theme like comparing Buddhism and Shintoism
or so."
"I see! So that's a very controversial theme in Japan, I guess?"
"Mmm."
真由美はマリアに曖昧に頷いた。
エリカは溜め息をついた。もちろん同居人のせいである。エリカは土日は可能な限り外に出るようにしているのだが、それでも週によっては特に予定も無く、天気が悪いので近所をぶらつく気も起きないといった日もある。そういった日はエリカは一日好きな音楽を聴いて過ごすのだが、今週は邪魔者がステレオを占領中だ。
その邪魔者は何かと溜め息をつき、イギリスの観光ガイドを開き、昼間からラガーの缶ビール−彼女が日本食料品店で買い溜めした物だ−のプルリングを開いていた。
目が飛んでるわね…日本人の女の子も、恋愛は一緒のようね。
エリカはこれはこれで面白い見世物ではあると思った。
「ふう。」息をつく美里。
エリカはしばらく美里を観察していた。彼女の目はきょろきょろと宙をさ迷っていて、顔の表情も、落ち込んだり微笑んだり難しそうな顔になったりころころと変わった。
マヤやマユミならともかく、ミサトがこんな表情するとはね…
テーブルの方の椅子に座っているエリカは、小さなソファに座るミサトを頬杖を突きながら眺めていた。
ただそれでも、何も言わず手や体は全く動かないので、エリカも好い加減退屈になってきた。
耐え切れなくなったエリカはミサトに声をかけた。
"I didn't think you'd listen to those kinds of Rock music."
"Neither did I." 答えたくないと答える美里。
"Why are you holding that book?"
美里はエリカを怪訝そうに見た。
"What a strange question you ask. I'm reading this. Did ya think I'm
trying to eat this?"
"Kind of. At least, you don't seem reading it. From a few minutes ago,
you've never turned the page over, neither moved your eyes upon the page.
So I asked."
「ふう。」
"Mmm-hmmm?"
美里は笑ってエリカに手を振った。
"So? So what. I was just quietly listening to a radio."
"The radio station which you've never happened to listen before."
"So! I... I just wanted to... 気分転換って何て言うんだっけ…change
the mood, you see."
"OK."
エリカは美里に近寄り、肩を叩いた。
"I'm always appreciating you, Misato. I'm at your side."
"What's up, Erika?"
"I won't blame you for taking fancy to the boy whose age is less than
half as yours."
"Erika."
美里はエリカの方に振り向いた。
"I know you are very kind and intending nothing to offend me, but in
fact I don't have any kind of such a romantic mood to him. You understand?
I do like Shinji... but, he's just a boy! Not a man."
"Be honest."
"I AM honest!."
"I don't mean so, not to me but first, be honest to yourself. These
days, you are not really behaving as you ordinary do, Misato."
"I'm all right."
"Misato."
"..."
"Why are you upset? If you find the love towards him, that's so nice
thing. What are you afraid of?"
"No, I... I don't mean so."
"Mean what."
"...Hmmm."
"Be honest to yourself."
美里は溜め息をつき、エリカの手を握った。
"I'm not sure... Am I lying to myself, Erika?"
"That's the thing you judge."
"But he's... he's just a boy. He's just a boy. Even less than a half
of my age."
"Yap, but a good boy."
"No, that's not enough in Japanese sense."
"Why! Doesn't Japanese culture allow you to have a love when both are
consented?"
"Does YOUR culture allow it when it's the one between a grown adult
and a junior high school student."
junior high schoolなんて私の国には無いわよ、とエリカは思った。
"If consented, it does. At least I allow."
"Hmmm. OK. Thanx Erika, but again I'm not sure. I... I just don't understand
my feeling. I AM glad somehow, I don't think anyone would feel offended
when someone told you about his love, but, you know, ah... mmm... no, I
can't explain but I just don't understand."
"It's not the problem with English, is it?"
"No."
"But you can't explain BECAUSE you don't understand yourself."
"Mmm-hmmm."
"So." エリカは美里の前に動き、椅子に座っている彼女の目線まで顔を下げた。
"The solution's simple. Confirm your mind with him."
"Confirm?"
"Yeah. Go look movies with him, go to a swimming pool over there, go
to London, whatever makes you confirmed about your feeling."
"You mean having a date with him?"
エリカは「ふふん」と肩を上げた。
"You can say so in other words."
"Wwwhaattt!? I..." エリカは人差し指を美里の口に置いた。
"And check out your feeling. As your friend, I strongly advise you
to do so. If you didn't feel anything exciting or romantic, then he's just
a friendly little kid. If you enjoyed, then, well, I would try to be more
honest to myself, if I were you."
"You are not me."
"But I'm your friend."
美里は微笑んで頷いた。
"Right. ...Thank you."
エリカは笑いながら立ち上がった。
"And I don't wanna be bothered having a gloomy room mate on all the
week-end."
"Yeah, right." 美里はビールを一気に飲み干した。
気づくと、ピットの裏手に駐車されたキャンピングトレーラーのベッドで横たわっていた。
筑波の夏は当然蒸し暑く、いくらカーテンを閉めても耐えられる物ではなかった。だから私は暑くて起きたのだ。
…もう7時か。
私は何故か身震いをした。
昨日のアイツ、何であんな事言ったんだろ。
私は小さなポケット(小物を置くスペース)から銀色のロザリオを取り上げた。
十字架の前でやる事じゃないわよね。
「これが最後かもしれない…か。」
彼はちょくちょく訳の分からない事を言う男だった。最初は意味ありげな言葉で女を引っかける為の小道具かと思った(実際ヤツは殺してやろうかと思うほど浮気をした)が、どうもそれだけではないと言う事に最近の私は気づきだしていた。
私があの悪魔…あるいは大馬鹿野郎、に騙されたのは、大学に入学したての頃、事故死した親友の葬儀に出席した時だった。考えてみればそれも不謹慎な話だ。
律子は同じ高校から進学する予定だった友人で、私とは妙な関係だった。私は勉強はそこそこに、部活に力を入れていた。バレーボールだ、一応県大にも出場している。
一方彼女は勉強の成績は「ほぼ」トップクラスだが、体育だけは平気でさぼるというある意味不良な生徒だった。…と言っても、クラスでの彼女の言動は基本的には優等生然としていた。
会った当初、私はまだ心の病気が抜け切れず情緒不安定で、常にクールに見えた彼女が羨ましかった部分もあるかもしれない。
とにかく、会った当初、つまり1年生の時は私たちは反目しあった。具体的に言葉の応酬等がある訳ではないが、視線や態度でそういった感情は容易に伝わる物だ。
だから彼女と親友になったのは再び同じクラスになった3年生の時からだった。
律子に相談を受けたのだった。しかも恋愛の。当時私は、何故か周囲の友人達から「恋愛のエキスパート」という評価を受けていた。何故かは今も分からない。多分、表面的な明るさや男っぷりのよさでそう言われていただけだと思う。下らない。
私は律子も私の事をそう思っているのかと聞いたが、彼女は否定した。
「それは噂でしょう。あなたは結構純粋なタイプだと思うわ。」
「分からないけど…だとするなら、何で私に聞くのよ。あんた、私が嫌いなんじゃなかったの。」
彼女は鼻で笑った。やっぱりイヤな奴だと思った。何で私の周りにはイヤな奴等しか集まらないんだろう。
「そうかもね。でも、あなたは聡明で、率直で…そうね、何か私の第六感に訴える存在感があるのね。」
「何か変な物でも食ったんじゃないの。」
「まあ、そんなところね。」
やっぱりこいつは嫌いだ、とその時は思った。
相談はある男についてだった。ごく簡単に言ってしまえば彼女は学校でも有名なプレイボーイに恋してしまったのだった。それで、まあ、私にとっては所詮他人事なので、私は「告白だけでもしてみたら」と好い加減なアドバイスをした。
数日後、私は驚くべきニュースを耳にした。彼女と彼が放課後一緒にいる所を目撃された、というのだ。私は彼女が彼の毒牙にかかってしまった事をやや気の毒に思い、これからは嫌な奴でももうちょっとまともなアドバイスをするようにしよう、と心に決めた。
ところが、彼女と彼はうまくいったらしく、気をよくした律子はたまにだが彼とのデートに私を誘うようになった。プレイボーイの彼が何故「学者」と言われている彼女と続いているのか皆が、私も含めて、不思議がったが、確かにたまにお邪魔をすると2人の目は本気で愛し合っている者同士の目のように思われた。
当時まだ初心だった−という事にしておく−私は、本当の恋人という物はこんな目をする物なのだな、と感心した。その頃から、私と律子は2人でも遊ぶようになった。と言っても既に3年生なのでどこへ行ける訳でもない。実際に会うよりは、むしろ電話で話していた時間の方が長かったかもしれない。
月並みだが、相手の事をよりよく知ると、意外と孤独で、純粋で、良い奴なのだという事が分かるようになってくる。多分に気まぐれな部分はあるが、彼女は他の多くの「友人」達のような「裏」が無かった。…彼女に裏はあるのだが、少なくとも私を利用しようとしたり私を影で悪く言ったりする性質の物ではないという事だ。別に何の証拠がある訳ではないのだが、私自身そういった変わり身の速い女達を内心嫌っていたので、彼女が相談しに来た時に言った「第六感」という物が私にも備わっている2人の共通項のように思われた。
…そうだろうか? 私は本当に変わり身の速い女達と違っただろうか? いつも表面の気持ちを隠してにへらーとしていないと安心できないのが当時の私だった。今もまだそこから抜け切れていない。本当の私なんて、恐くて表には出せない。
彼氏がどうという話は別にして、そういう意味では私はいつも毅然とした彼女に憧れていた、というのが本当なのかもしれない。
最初に嫌っていたのも彼女が優れていたからだった。ただそこには彼女なりの苦悩がある事を知り、私は彼女の友人になった。
相手にも問題があると知って初めて友人になれる? 私は何てイヤな奴だろう。
その次に現れた「私は本当に裏表の無い人間なのか?」という疑問は常に私を苦しめ続けたが、それでも何とか自分を誤魔化し誤魔化し、私は彼等との付き合いを続けた。
律子が死んだのはその年の年末のある夜だった。
何年だったか…サザンオールスターズの「メロディ」という曲がヒットして、よくラジオ−当時はJ-WAVEなんて無かったから、FM東京だ−で聞いた年だった。
だから私は未だに桑田圭祐の歌声は聞きたくない。
その日は日曜日で、2日早いクリスマスイブを3人で祝う予定だった。私はいくら何でもそこまで無粋な事はしたくないとゴネたのだが、あるいは2人は「勉強が忙しいから24日は無理だ」などと言っておいて24日の夜も会うつもりだったのかもしれない、そこまでは知らない。
私は彼女が死んだ事をアイツから聞かされた。彼はシンプルな十字架のデザインのネックレスを私にくれた。
「本当は律子に渡すつもりだったんだけどな。」彼は笑っていた。
何故私が素直にそれを貰ったのかは今思えば不思議だ。ただ、私はその時、表面的には笑っているのにその奥で彼が泣いているのがはっきり見えたので、彼も本当の意味で裏の無い真摯な人間なのだと思ったのを覚えている。律子の男を見る目は間違っていなかったのだ。
彼女の家はクリスチャンだった。
彼女自身がどれだけ信心深かったかは私はかなり疑問だ。基本的にクールで懐疑的な理系の彼女が、神に祈りをささげる絵は想像しにくい。しかし一応は彼女も洗礼を受けていて、葬儀も教会で行われた。
その時私は彼に、私が貰った物はロザリオと言って祈りの時に用いる、キリスト教における数珠のような物だと教わった。また随分と宗教的な物を形見にした訳だ。
そして彼は葬儀で、本当に声を上げて泣いていた。
私が彼に男として惹かれだしたのはその時からだった。私はまた、不幸な人間を好きになったのだ。私は…
私は朝イチで唸りを上げるエンジン音ではっきり目を覚まし、簡易ベッドから起き上がった。
エンジン音といってもサーキットを走る車ではなく、整備中の音だ。
「止め止め。ダークな事考えたってテンション下がるだけだわ。大体最中にヘンな事言うからよ、あのバカが。」
私はパンパン、と頬を両手で叩き、頭を振った。
それでもあの時のアイツの目は妙だった。第六感? …下らないわね。
私がオレンジ色のツナギへの着替えを終え、そっとキャンピングトレーラーから出て、何食わぬ顔でピットに来ると、既に他のスタッフ達は予選用のマシンの調整に取り掛かっていた。
「調子はどう?」
エンジンをチェックしている松本君に話を聞く。
「ああ、美里さん。こっちは両車とも問題無いんですけどね、571はどうもミッションの繋がりが気になりますね。後、天気も問題です。」
「雨?」
「ええ。降水確率が20パーセント。」
「何か中途半端で嫌ね。まあそれ位なら問題無いでしょ。」
「重量は計算どおり、問題ありません。」
「ドライバーは?」
「571の方でしょ? 気になりますか…っつ! 一々足踏んづけなくても良いじゃないですか!」
「ここだ、葛城。」
アイツは私を下の名前で呼ぶ事は無かった、律子の時とは違って。
「何潜り込んでんのよ。」
「整備に決まってるだろ? こうやって見ると、相変わらずりりしいなあ、葛城は。」
私は思わず松本君に聞いた。
「こいつ何かあったの?」
「いつも通りに見えますけど?」
「そりゃそうさ。俺はいつも通りだ。」
アイツは車の下から出てきて立ち上がり、真剣な顔で言った。
「愛しているよ、葛城。これだけは本当の気持ちだ。」
私と周りのクルーは思わず吹き出した。
「やっぱりこいつおかしいわよ。」
「そうかもしれませんね…」
「葛城、君の気持ちは正しい。引け目を感じる事なんか無いんだ。俺と君は心から愛し合っている、それで正しいのさ。」
皆私達の事を知っていたとはいえ、彼の言葉に呆気に取られている。何か後ろめたい事…があったとしても、こんな事を言うような気の効いたヤツじゃない。私も彼の様子に本気で心配になりだした。
「ねえ、あんた、どこかに頭ぶつけた?」
「ん、まあ、そんなものかもしれないな。」アイツはいつものように笑った。
「ただ、今言っておくべきだと思ったんでね。」
その日の彼の予選走行は上々の滑り出しだった。その時点までで6位にマークし、最後のトライで更に上のランクが期待された。
私は手持ちのストップウォッチで彼の車が目の前を通過するのを今遅しと待っていた。
…何であのバカ、「このロザリオは律子だけじゃなく俺の物でもある」なんて言ったのかしら…
私は慌ててそんな考えを打ち消した。
間を空けて、同じ車種で色だけ違う車達が轟音を上げて過ぎ去って行く。紫の車影はまだ見えない。
「うーん。このタイムで見えないようだと、ランクアップは無理ねえ。」
「ですね。」
それから10秒経っても彼は来なかった。
私と他のクルー達は怪訝そうに互いを見た。
それから20秒経っても、30秒経っても彼は来なかった。
私達は慌ただしく動き出した。
「何があったの?」
「分かりません、緊急信号、発信されていません!」
「一体何があったのだ!」
「まさか、クラッシュ?」
「さあ、今朝からマシンが文句を言ってましたから、マシントラブルの方が可能性は高いかもしれません。」
「皆落ち着け! 何も無く、途中から流しているだけかもしれんし、まずは本部の発表を…」
「あ」その時私ははるか向こうにある大型液晶モニタを見て、息を
"Misato! Are you all right?" 息を飲みながら起き上がった美里にエリカは心配気に近づいた。
美里は呆然とした顔つきで、目をしばたかせた。涙が右頬をつっと流れた。
美里は返事も出来ず荒く息をついていた。
エリカは午前3時の暗闇の中でも、美里の顔が普段に比べ青白いのがよく見てとれた。
"Yeah, take a deep breath." 少し深呼吸を始めた美里を見て頷くエリカ。
"You saw a terrible nightmare."
美里は無表情に首を振った。
"No, it was a reality."
"Misato..."
美里はまだ自分が震えている事に気づいた。
"Yeah. Ah...thanx, I'm getting better. Yeah it was, it was a nightmare
but... it was a nightmare of the real thing happened in my past."
"Don't say no more."
首を振るエリカ。
"No, I'm a bad woman, I..." 美里はこぼれ続ける涙をぬぐった。
"You aren't. I'm at your side. You've a right to be happy, Misato."
ゆっくりと言いながらエリカは美里を抱きしめた。
"Thanx. Thanx. Thanx..."
美里は顔を赤くしながら泣き続けた。
真由美は真嗣の腕を自分の腕で押した。
「ほら。憧れのお姉様が来たわよ。」
真嗣は彼女に抗議しようとしかけたが、日本語の会話を聞いていた彼女に今更何を言っても無駄なので口をつぐんだ。
真嗣は何とか口にした。
「おはようございます。」
「おはよう、真由美ちゃん、真嗣君。」いつものように美里は微笑んだ。
真嗣が何か声をかけようとする前に、美里はさっさと自分のクラスルームに行ってしまった。さっさとと言っても、別に普通のスピードで歩いているだけなのだが。
「振られたわね。」
冷淡に宣告する真由美を軽く睨むものの、真嗣も否定はしなかった。
エリカはさすがに普段よりも気遣わしげに美里をちらちらと見ていた。
美里と組んでテーマについての互いの意見を述べる演習をしていたジャンニはエリカの視線に気づき、きょろきょろと2人の顔を見回した。
"Anything happened to you 2?"
"Yeah, kind of." クラス最年少のジャンニに答える美里。
"What?"
ジェニファーは彼等がテーマから離れた話をしだしているのに気づいたが、とにかく英語で喋るのが第一目的なのでいつも通り放って置く事にした。課題さえやってくれれば後は何を話そうが勝手である。
"You feel all right now?"
心配気に尋ねるエリカに美里は苦笑しつつ答える。
"Yeah, I'm all right! I'm in a perfect good condition." 両手を広げる美里。
"What? What happened?"
"Ah..." エリカはようやくジャンニに気づき、口ごもった。
"Well, ah... it's the matter of adults." エリカは美里の言葉に頷いた。
"Yeah. It's not the subject for young girls, I'm afraid."
"Oh, thank you very very much. For your kind censoring." 怒って皮肉を言う調子で首を振るジャンニ。
"Never mind, Gianni."
"Wrong usage of the word." ジャンニは半分笑いながらエリカに言い返す。
"Ah so?"
頃合いを見計らって、ジェニファーが手を叩いた。
"Time's up, girls! Now we are going to hear each of your opinions about
vegetarianism. Are you for, or against, and why? from Erika..."
"Actually, I got heavily drunk yesterday and so Erika's worried."
"Aaa." 囁く美里にジャンニは頷いた。
「どうかしたの?」
摩耶は目に見えて沈んでいる真嗣にきょとんとした。どうやら彼女は真嗣とミサトのカフェでの会話の内容を知らないらしい。
「いえ、何でも無いです…」
"Speak in English." いつもの注意をサムから受ける2人。
"Really?"
"Yes, I'm OK."
"Is it so?"
"Yes."
「うーん…」
真嗣は笑った。
"I am. Don't I look OK?"
"No. You look somehow, tired, I think."
"I ...don't know." 教科書に目を戻す真嗣。
"So you aren't OK."
"Maybe..."
"He isn't." 2人は口を挟んで来た真由美の方を向いた。
"But please don't care. It's... it's the problem of us. We ourselves
will うーん…think about it, but you don't have to."
摩耶は口を尖らせた。
"Ain't I a friend of you 2?"
"You are." "You are." 声を揃える真嗣と真由美。しかし真由美は冷静に続ける。
"But please don't care. It's our problem, not yours."
何か気づいたらしい摩耶は小声で真嗣に聞いた。
「彼女と喧嘩したのね?」
「あ、あ…ええ、そうです。でももう大丈夫ですから。」頷く真嗣。
「駄目よ彼女を怒らせるような事しちゃ。親友なんでしょ?」
「あ、はい、すいません…」
"Ahem." 冗談っぽく咳払いをするサムに2人は再び静かになった。
真嗣は坂道沿いのCD屋でCD、テープ、ヴァイニル3種類並んだそれぞれのジャケットをゆっくり歩きながら眺めていた。真嗣は、自分は普段気にもとめないようなジャンルのCDの前で止まり、それを手にとって裏側のクレジットをしばらく眺めた。
やがて真嗣はその下の棚の同じジャケットのテープの方を手に取り、レジへ持って行った。
真嗣が店を出ると、丁度道の向こう側の歩道を赤いジャケットの女性が歩いていた。真嗣は慌てて道を横断し、Bootsに入ろうとしたその女性を大声で呼び止めた。
「美里さん!」
美里は、彼女にしては浮かない顔で振り向いた。
「ああ、真嗣君。」
呼び止めたは良いが特に話す話題の無い真嗣は数秒逡巡したが、彼女の脇に目をつけた。
「何、買ったんですか。」
「ん、Radio Timesよ。テレビの番組表。」
「はあ。」
美里はようやく、ほんの少しだけ微笑んだ。
「真嗣君は何買ったの? アワ・プライスの袋って事は…テープ?」
「あ、ええ。」真嗣は頷きながら、ビニールバッグからがそごそとテープを取り出した。
美里はぽかんと口を開けた。
「ジャングル・ブラザーズ?」
「ええ。美里さんの趣味にちょっと合わせようと思って。」
「まあ、確かに、嫌いじゃないけど…わざわざ買わなくたって…」
「衝動買いです。」
真嗣は嬉しそうに答えた。
「衝動、買いねえ…」
「…あの…」
「何?」
テープをがっちりと握り締めながら、真嗣は道を眺めて呟いた。
「この間は、すみませんでした、色々失礼な事言って。」
「…ううん。シンちゃん怒らせたのは、私が無神経な返事の仕方したからよ。謝らなきゃいけないのは私の方だわ。」
「そんな。そんな事、ないです。…ただ、」
美里は真嗣の顔を見た。彼の顔はとても幼く、同時にとても男らしかった。
「ただ、子供扱いしないで下さい。」
美里が何か言う前に、真嗣は自分で自分の言葉をおかしく感じたようだった。
「…いや、違うな、子供だから子供扱いはされても仕方ないと思うんですけど、その、でも、子供でも、誰かを真剣に思う気持ちは大人と変わらないと思うんです。だから、そういう意味で、その…対等に扱って欲しいんです。」
「子供扱いするなって事ね。」
「ええ、まあ、そういう事です。」真嗣は苦笑した。
「でも、あなたは子供よ。…極端な話、今のあなたに私を養う力がある訳じゃないし。」
「いけませんか。」
「…」
真嗣は美里が今までに見せた事の無いような難しい表情を見せるのに驚いた。
「…いけなくは、ないけど…」
それは、平気で借金を頼むどっかの馬鹿よりは遥かにマシよ。
「僕は真剣に美里さんの事が好きなんです。その…」真嗣は何かもう一つ彼女に迫る言葉を言おうとしたのだが、何も思い付かないので口ごもってしまった。
「それに、思い上がった言い方かもしれないけど、真嗣君の私への思いはただの年上の女性への憧れなんじゃないの?」
真嗣は目を伏せた。
「…分かりません。…そうかもしれません。でもそれじゃいけないんですか。」
美里は悲しみとも怒りともつかない妙な表情で真嗣を見つめた。
「僕は、正直、憧れと「本当の恋愛感情」の差は分かりません。…僕はただ、美里さんが好きで、夜、寝る時にベッドに横になっているとふと美里さんの事が浮かんだり、そうすると、その日の美里さんの喋ってた声が頭に再生されて響いて来たり、無性に美里さんの笑顔が見たくなったりするだけです。難しい事は、僕には分かりません、けど…それだけじゃ、駄目ですか。」
自分を見る真嗣の視線から美里は思わず目を背けた。
「ねえ、真嗣君、その…それは私を親友として慕ってくれている、っていう事じゃないの?」美里は呟いた。
「毎日夜寝る前に親友の姿が浮かんで来たりはしません。」真嗣は弱く笑った。
2人はBootsの入り口の端で、黙ったまま互いの足元辺りを見続けていた。
「…そんなにいじめないでよ。」
美里はごく小さな声で呟いた。
「え、何ですか?」
「…ううん、ごめんなさい。何でもないわ。」
美里は顔を上げた。真嗣が彼女の顔を見た時、彼女は既にいつものように微笑んでいたが、真嗣はそれがややぎこちないような気がした。
「エリカに言われた、事なんだけどね。」
美里は建物の壁によりかかりながら、声のトーンを不自然に上げた。
「1回シンちゃんとデートしてみろって。受ける受けないは別として、それ位はするのが礼儀だって、彼女は言ってたわ。」
真嗣は少し美里を心配そうに見た。
「別に、無理はしなくても良いんですよ?」
「私も、分かんないわ。無理してんのかもしんない。」美里の口調に真嗣も少し頬を緩めた。
「…嘘々、別に無理はしてないんだけどね。」
「でも、美里さんが乗り気じゃないなら、別に僕は…」
回りくどい言い方の苦手な美里は段々面倒臭くなって来た。
「ああ、もう、弱々しいわねえ。さっきまでの強気はどこ行ったの? こっちからデートに誘ってるんだから、これをきっかけに引っかけよう位の気持ちで場所とか時間を決めちゃえば良いのよ!」
「あ、す、すいません…」
「どう? どっか行く?」
「僕は、美里さんさえいればどこでも良いです…」
真嗣は呑気に顔を赤らめた。
「はあ…」美里はおでこを押さえた。
「じゃ、どこも行く必要はないわね。それじゃそろそろ午後の授業も始まるし…」
美里はよっかかっていた壁から身を起こし、歩き出した。
「あ、ちょ、ちょっと待って下さい!」
「何、真嗣君、まだ何か用?」
「あ、あの、じゃあ、今度の土曜日、えーっと…昼の10時、セントラルステーションで待ち合わせ、してくれますか?」
美里は微笑んだ。
「早いに越した事はないわ。9時にしましょ。」
「あ、は、はい!」
真嗣は頷いた。
「ああ、それから、ジャングル・ブラザーズとかなら私が何枚かCD持ってるから、聞きたくなったら私に言ってくれたら良いわ。」
2人は歩き出した。
「はい。…美里さん。」
「何?」
「…やっぱり、何でもないです。」
「何よ。」
「あ、あの…有り難うございます。」
美里は振り向いていた顔を前に戻した。
「真嗣君ってどっか変ね。」
「そうかも、しれません。」
それから2人は、言葉を交わす事も互いを見る事もなく学校まで歩いて行ったが、2人とも何かおかしそうに頬を緩めていた。。
8月19日 そろそろビールが切れて来た。前は摩耶のステイ先のブライトさんに頼んだけど、今回は唯さん辺りにJ.
A.センターまで付き合って貰うように頼もうかしら。本当は栄陽紅も…ってまあ良いや。
8月20日 今日も又ビデオを見たんだけど、何かシャイロックの顔のみ印象に残っちゃって。特殊メイクよね、完全に。話は、何か単純っていうか、当時の人には面白かったかしれないけど、クリスマススペシャルで今の子供向けに放送するような話なんかしらね。うーん。
真由美ちゃんはストラトフォード・アポン・エイボンに行った事があるらしいけど、「つまらない所ですよ」ってクールに言ってた。
8月21日 真嗣君が意識しちゃって、話し掛けて来てくれない。私もか。ばっかねえ、もうすぐ三十路の女が何やってんのよ。あー、もう考えたってしょうがないわ。それからベアーティとエンリコ、あんた達カン良すぎ。
8月22日
昼休み、美里は今日も用事があると言って1人になり、マックで手早く食事を済ませ、20分程度で自分達の学校に戻って来ていた。当然そんな時間に教室にいる生徒は他には誰もいない。
美里は何かいらいらしながら、手持ちのシャープペンシルをひらひらさせたり、鼻の下に挟んで遊んだりしていた。
それも飽きると、美里は頬杖を突きながらじっと自分のクロノグラフを眺めた。それから教室に貼ってあるイギリスの地図を見て、盾の紋章の一覧図も眺めた。
美里が溜め息をついて伸びをしていると、静かな足音とドアの開閉音が廊下越しに聞こえて来た。
美里は立ち上がり、自分の教室の隣、中級クラスの教室のドアを開けた。
学校の文庫(と言っても校長先生の部屋のただの本棚なのだが)から借りていると思われる英語の本を手にしていた真由美は珍しそうに顔を上げた。
「どうしたんですか、美里さん、こんな早くに戻って来て。」
真由美は優れて美人という訳ではないが、美里は彼女の時折向ける真っ直ぐした視線が何故か苦手に感じられた。
彼女の視線は、どこか律子のそれと通じる物が有るように思われた。
「う、うん。ちょっと、真由美ちゃんと話したくって。遠足の時位で、後、あんまり真由美ちゃんとちゃんと話した事ってなかったでしょ。」
真由美はほんの少し微笑んで、向き直った。
「…ええ、私、人と喋るのが余り得意じゃありませんから…良くない事だとは思っているんですけど。」
美里は真由美の隣の席に座った。
「いつも喋ってる人間が偉いって事もないけどね。」
2人は笑った。
「お話って、何ですか。」
「う、うん。話って程の事でもないんだけど…」美里は頭を掻いた。
「…碇君の事、ですか。」
「う、うん…」美里は手を置いた。
静かな教室にたたずむ2人は非常に対照的な2人の日本人だった。1人は物静かで姿勢が良く、小柄でクールな性格。もう1人はうるさくて姿勢が悪く、大柄で感情的。外国人から見たら2人は同じ国の人間に見えるんだろうか、と美里は少し思った。
壁を見つめる美里の様子を横目で見ながら、真由美は話し出した。
「私にとって、碇君は大切な友人です。でも、別にそれ以上の何かがある訳じゃありません。遠慮されているんだったら、気にしないで良いです。」
美里は真由美に向き直った。
「真由美ちゃん…」
「断るにしても、付き合うにしても、私の事は気にしないで下さい。美里さんと碇君の問題ですから。」
美里はまた真由美の視線から逃げた。
「…でも、真由美ちゃんは、それで良いの? もし、もしよ、仮に私と真嗣君が付き合うとして、真由美ちゃんはそれで納得出来るの?」
真由美は眉を上げた。
「だから、彼はただの御近所ですから…」
美里は頭を振った。
「私には、そうは見えなかったな。真由美ちゃんが真嗣君を見る目はそんなんじゃなかった。」
「そんな事、ありません。」真由美も美里の視線から目をそらした。
「正直になろうよ。分かるのよ。私も長年女をやって来てるとね。そういう目は、一発で読み取れる物なのよ。」
読み取りたいかどうかという意志に関わらずね、と美里は頭の中で続けた。
真由美は本を置いて、溜め息をついた。
「良いでしょう。もし、仮に、私が碇君を好きだったとして。美里さんはどうされるんですか。私への遠慮という理由で碇君の告白を断りますか。」
「…あの、うーん…」
真由美は微笑んだ。
「美里さんが私達の事を思ってくれているのはとても嬉しいです。でも、変に遠慮するのだけは止めて下さい。もし仮に私が碇君の事を好きだったとしても、それで遠慮はしてほしくないんです。」
「真由美ちゃん?」
「私達は美里さんから見たら子供かもしれません。でも、本当に人を思う気持ちには、年下も年上も関係無いでしょう?」
美里は思わず笑った。
「どうしました?」
「…真嗣君も、おんなじような事言ってたわ。子供扱いするなって。」
「…そうですか。」
「そう言うけどさ。」美里は姿勢を崩した。
「そんなに世の中、簡単な物じゃない、ですか?」
美里は真由美の顔を見て、微笑んだ。
「今時の子供ってどうも生意気で好きになれないわ。」
真由美も頬を緩める。
「すみません。」
「…分かった。じゃ、少なくとも遠慮だけはしないようにするわね。」
美里は席を立ちあがった
「美里さん。」
「何?」
真由美は彼女にしては珍しく、一旦口にしてから、更に話すのをためらっているようだった。
「それで、今、美里さんは碇君の事をどう思いますか。」
美里は少し困った表情を見せた。
「正直言うとね。…良く分からないわ。」
真由美は意外に肯定的な返事にやや驚いたようだった。
「…私と、同じですね。」
「…そうなんだ。」
美里は座っている真由美の目線に顔を近づけた。
「じゃあ、真由美ちゃんも子供だからって遠慮はしないでね。もし真嗣君の事が気になるようだったら、おばさんの事なんか気にせずガンガンにアタックなさい。分かった?」
「…分かりました。」
真由美は微笑んだ。
"Did you see any nightmare last night?"
"Nay."
美里はエリカが朝不機嫌に、眠たそうにしているのを見た事が無かった。いや、彼女が特に寝起きが良い訳ではない。単に美里が悪すぎるのだ。
"Is it interesting?"
"Mmm. Not bad."
美里はエリカの読んでいるDaily Mailに胡散臭げに顔を近づけた。彼女は時々朝の散歩の途中に新聞を買ってくる。学校の下のニューススタンドには確かドイツ語の新聞も置いてあったのだが…一応上級クラスにいるとはいえ、わざわざ英語の新聞を買って読むというのは美里には理解不能の酔狂な行為だった。
"Are you gonna be out today?" エリカは目を上げた。
"Yeah."
"Good."
エリカは単語にボールペンで線を引いた。
"Actually, I also will go to London today. Shopping with Claudia."
"Really."
"Mmm."
エリカはおいしそうにコーンフレークを食べている。
"Ah... Erika."
"What."
"Actually, I... I'm not going to London today. But to Brighton."
エリカは顔を上げた。
"It's a bit hard trip. God bless you."
テーブルに腰を下ろし、美里は軽く手を上げた。
"Thanx. But I don't mean so. Well, ah..."
"What's up."
"Ah, yeah, all right, I confess, actually, I'm gonna have a date with
Shinji."
エリカの手が止まった。彼女は美里の顔を見た。
"...Oh."
"Yeah."
"Really. ...So."
エリカはまたコーンフレークを食べだした。
"So you won't necessarily come back home this evening."
"Wwhaattt! Erika, no kidding!"
"I do mean it. What's wrong? It's nice to be there, really."
美里は一瞬冷蔵庫に目が行ったが、まだシャワーを浴びていないのでビールは我慢する事にした。
"Erika. ...Phew. OK. I guess you don't know the fact that he lives
with his Japanese family."
"Ah, so. Mmm-hmmm? Then you've got to get 'it' in a day. Ah. It's a
little more challenging, isn't it."
完全にからかいモードに入ったエリカに美里は据わった目で頷いた。
"Get what."
エリカは肩を上げた。
"I daren't directly say it. But, yeah, I think you love it."
"Very embarrassing for polite Japanese girl."
"Then not you."
エリカはテーブルに座る美里の腰を払いのけるジェスチャーをした。2人は笑った。
"Erika."
"Mmm?"
"I... I try to confirm my mind today. And... I just wanted to say thank
you."
"Past tense?"
"Hmmm. No. Thanx, Erika."
"You're welcome." エリカは微笑んだ。
シャワーを浴びに向かった美里にエリカは声をかけた。
"Misato."
振り返る美里にエリカはニッと笑った。
"Good luck."
美里は笑って手を振った。
恐らくイギリス人の感覚では、必要の無い駅は止まらない、という非常に合理的なダイヤなのかもしれないが、ある駅に、ある鉄道は止まりある鉄道は止まらない。はっきり「急行」や「普通」の区別があればそれでも構わないのだが、特にそういった説明は駅のパネルには見当たらないし、実際2、3種類ではきかない、と言うより全ての便が好き勝手に止まったり止まらなかったりするのだろう。だから、常に今来た列車が自分の行きたい所に止まるのかどうか、表示のモニタを目を皿のようにして見なければならない。
よくイギリス人は自国を卑下する時に「鉄道のダイヤの不正確さ」をあげる。それも確かに問題なのだが、まあラテン諸国などに比べれば気にするほど酷いものではない。ただ問題は、不正確さではなく分かりにくさなのだ。
ウィンザーには2つの駅がある。セントラルとリバーサイド、どちらも支線の終点だ。セントラルの方は名前の通り中心地にあり、例の「城前通り」に面している。何故か駅の中に蝋人形館があり、かなり観光づいている駅ではある。一方リバーサイドはそこからテムズ川方向に向かって3、4分歩いた所にある駅で、こちらはセントラルに比べるとこじんまりとした、素っ気無い駅である。ただ、こちらに来る鉄道車両−もちろん電車ではない−は新しい。どれ位新しいかと言うと、ドア脇のボタンを押す事でドアを開ける事が出来る位新しい。そして日本の電車並みに車両がきれいである。
セントラルに乗り入れる鉄道の方は、汚い。そして各席にこれでもかと付けられたドアは手動式で、駅に着いたら自分で窓から外に手を出して、ガチャンとノブを下げて開ける事になる。
美里はブライトン、というよりまずロンドン、に行くにはどちらの駅から行った方が速いのか、実はよく知らないのだが、その汚い車両の数分間(1駅目のスラウでその支線は終わる)が好きなのでいつもセントラル駅を利用していた。
午前9時のウィンザー・セントラル・ステーションは透明のアーケード式の屋根から光が漏れ、徐々に前の通りも賑やかになりつつあった。
駅を行く人々はその相当の割合を観光客が占めるようで、ドイツ語やイタリア語の会話が時折美里の上を通り過ぎて行った。
美里はふと、胸のロザリオを手にした。
美里は彼等に悪いと思ったり、許してくれるか、と考えたりはしなかった。ただ、アイツが見ていたら、私をどう言うんだろう、と美里は考えた。笑うのか、怒るのか、励ますのか。どれもありそうだし、どれもありそうにない。これがまだ見合いを勧められたあの誠君とかならともかく、14歳の中学生の場合の彼の反応は一体どうなるのか、美里にはちょっと想像が付かなかった。
彼女は何となく、律子なら何だかんだ言って応援してくれるような気がした。
彼女はロザリオを握り、胸に押し当てた。金属製のそれはひんやりした。そして彼女は十字架から手を離した。
「美里さん。」
日本語の呼びかけに、美里はにっこりと顔を上げた。
「でも、やっぱりおかしいですよ、こういうのって男の人が決めるもんなんじゃないんですか。」
真嗣は口を尖らせた。
「別にそんな法律はどこの国にもないわよ。あら、やーね、真嗣君性差別主義者?
今時大変よー、そのスタンスで生きていくのはー。」
「…美里さん、一々話が極端です。」
「やだわあ、「美里さん」だなんて。「美里」って呼んでちょうだい。」
エンジン音のうるさい鉄道の2等車の中で、真嗣は顔を引きつらせた。
「美里さん、既に酔っ払ってます?」
「失礼ねえ、大切なデートの日に酔っ払ったりする訳無いでしょう? そりゃ、朝に一缶位はいったけど…」
「いったんですか!?」
真嗣の勢いに美里は頬を膨らませた。
「何よお。大人のデートってもんを分かってないわねシンちゃん、普通の日本人女性は、デート前の朝は取りあえず缶ビール一杯位はいくもんなのよ。」
「そんな訳ないでしょう。」
「そんな訳有るの。ハレの日は身を清めろって言ってね…お母さんから聞いた事とか無かった?」
真嗣は少し真面目な顔になった。
「…日本だと、そうなんですか。」
「そ。ま、シンちゃんは日本暮らしの経験が短いから知らなくても仕方ないけど、普通の日本人はそうする物なのよ。」
まだかなり首を傾げつつも、真嗣は取りあえずその事はそれ以上突っ込まない事にした。
「まあ、良いですけど…あの、でも、すいませんでした、今日は付き合ってもらって。いつも土曜日は職探ししてるんですよね。」
「こっちの方が楽しいから良いわ。」
美里は微笑んだ。
「僕も楽しいです。」
「…」
車窓は美里にとってはかなり見慣れた、例の何も無いだだっ広い芝生だった。一体何の土地なのだろう。…恐らく上流階級の私有地なのだろうが、使用目的はあるのだろうか?
「食べる?」美里はさっきからつまんでいたプリングルスの缶を真嗣に差し出した。
「ええ。…それで、本当にどこに行くんですか。」
「い・い・と・こ・よ。」
ウインクをする美里に真嗣は半ば嬉しそうに溜め息をついた。
2人は当然まずスラウで乗り換え、次にアーリング・ブロードウェイで地下鉄に乗り換えた。
「で、このDistrict Lineでヴィクトリア駅まで行って、そこでまた乗り換えね。」
「ロンドンが目的地じゃないんですか?」
真嗣は美里に尋ねた。
「恋人同士のろまあんてぃっくなムードには、もっと別の場所の方が良いでしょ。」
「はあ…」
真嗣は1つの吊り玉に両手でつかまる美里を見た。
「あの…」
本当に平気なんですか。
「何?」
真嗣は目をそらした。
「いえ…」
「何よ。」
「あ、あの…やっぱり、デートなんだから、何か楽しい事言わないと駄目なんですよね。」
「ん、まあ、悲しい事よりは楽しい事の方が良いもんなんじゃないの?」
美里は肩を上げた。
「2人だと駄目ね。こういう移動時間にトランプのゲームとか出来ないじゃない。」
「美里さん、それはデートでする事じゃないと思います。」
「そう? 私はやったわよ?」
2人じゃなかったけどね。
「え、そうですか?」
「まあね。…今思ったんだけどさ。どうもデートっぽい雰囲気にならないのは、私達が電車を乗り継いでいるからよね。」
「電車?」
「ん、ディーゼルディーゼル。やっぱりデートって、車でさ。密室の男と女!じゃないと駄目よ。」
「密室はともかく、まあ、そうかもしれませんね。」
「国際運転免許証って結構簡単に取れるらしいからさ。今度のデートの時は私、レンタカー、ドライブするわ。」
真嗣はしばらく黙って美里を見、微笑んだ。
「そうですね。」
「うん。」
地下鉄は地上から地下部分に入った。
ロンドンに関わらず、殆どのヨーロッパの大都市において、駅は即ち終着駅である。東京で例えれば、大阪行きの駅、長野行きの駅、新潟行き、東北行き、茨城行き、千葉行きとそれぞれバラバラの駅から発着するような状態だ。山手線のような便利な環状線は本来は存在しない。
しかし現在では地下鉄に環状線があるので実質これは当てはまらない。それでも、地上の建物は全て終着駅になっているというのは心理的にとてもロマンチックな効果があるように美里には思われた。
「私って外国コンプレックスなんだと思うわ。」
ロンドン、ヴィクトリア駅の地上に上がって来た美里は何となく呟いた。
「そうなんですか?」
「日本人は皆そうよ。それが日本の伝統だもん。」
「…」
「いや、何かこういう所にいるだけで、綺麗だな、と思ったり格好良い、って思ったりするもんなのよ。ただの駅なんだけどさ。」
目で「何で急にそんな事言うんですか?」と問い掛ける真嗣に美里は答えた。
「良い事じゃないですか。良く見える分には。」
「ま、ね。」
美里は駅構内を速いスピードで歩いていたが、真嗣の様子を見てペースダウンした。
「摩耶さんも美里さんも、歩くの速いですね。」
「そう?」
「ええ。摩耶さん神戸だから、関西の人が速いのかと思ってましたけど…」
「日本の人が全般的に速いのね、多分。」
「何で速いんですか?」
「うーん、日本の駅が大きいからじゃない?」
「ここよりも大きいですか。」
美里は笑った。
「そりゃ、ロンドンなんて、東京に比べたら何もかも小さいわよー。街も、駅も、何でもね。」
「はあ…」
「便利さで言ったら東京に優る街なんて無いわ。何でもおいしい物は食べられるし、日曜日に買い物出来るし、イギリスで買える物は、ほぼ何でも間違いなく東京でも買えるからね。そうそう、CDだってそうよ。イギリスの音楽だって、ロンドンより渋谷で探した方が速くて確実なんだから!」
「へえ…」
「…でも、東京は、しばらく、戻りたくないな。」
歩きながら、真嗣は美里の顔を見た。告白してから、真嗣は美里のこういった顔を何回か見るようになっていた。真嗣は嬉しくもあったが、彼女がこういう顔の時、自分に何が出来るのか、自分に何か出来るのか、分からなかった。
「悲しい思い出があるから、ですか。」
「そうじゃないわ。うん…それもあるかもしれない。でも、それはそんなに問題なんじゃないと思う。」
美里は立ち止まった。
「東京に居るとね、休むっていう事が許されないのよ。皆一生懸命仕事して、残業重ねて…まあ、私は結構休んでたかもしんないけど。うーん…今の私には、何だか居辛い街になっちゃったわ。かといってロンドンがそんなに良いかっていうと、それもよく分かんないんだけどね。」
美里ははにかんだ。
「やあね、何か変な話しちゃって。真嗣君がいると、私、何か変な事喋っちゃうみたい。」
真嗣は真摯に答えた。
「何にも変じゃないですよ。」
「ん、ありがと。」
2人はそれきり黙って歩き出し、大きな発着表示板の前に辿り着いた。
「…さ! これで最後の1本よ! ブライトン行きは…と。」
「ブライトンに行くんですか。」
「うん。」
美里はやはり、何か恥ずかしそうに微笑んだ。真嗣は美里の事を「可愛い」と思わず感じ、何故かそれが不謹慎な考えのように思われて慌てて頭を振って考えを打ち消した。
「あれ。シンちゃん、何赤くなってんの。かーわいい。」美里はニターッと笑い、肘で真嗣を突ついた。
「美里さんだって、何か今、ちょっと赤くなってましたよ。」
「私は乙女だから恥じらうのは当然よ。」
「その年で乙女、ですか。」
「…6番ホームで14分発だってさ、さ、行くわよ。」
美里は頭に食らった拳骨の痛みに顔をしかめる真嗣を引きずりながら6番ホームへと向かった。
駅の周囲の建物が茶系ではなく白っぽい事に、2人は目を見あわせた。
「南欧みたいな感じじゃない?」
「ええ、まあ。」
美里は真嗣の様子に問いただした。
「…何よ。」
「結構、普通の街ですね。」
「それはね、真嗣君、思ってても口に出しちゃいけない事なのよ。」
「…すいません。」
美里は街並みを見回した。
「まあ、ウィンザーがそれだけ良いとこだって事よね。お城の前でハンバーガー食べる事に慣れると、そういう感覚って麻痺するんじゃない。」
「そうですね。…でも、このままこの通りを真っ直ぐ行けば海なんですね。」
「地球の歩き方」の地図を見ながら言う真嗣。
「そうね。まあ、とにかく、ここに来たら海よ。で、何か腹ごしらえしましょ。」
「そうですね。」
真嗣は美里の左手を怪訝そうに見た。
「…何ですか?」
「手よ。」
「は?]
「紳士は、淑女をエスコートするのが当然でしょ?」
「…手をつなげって、言ってるんですか。」
「ダイレクトに言うとそうなるわね。」
「美里さ…」
美里は真嗣が言いおわる前に真嗣の右手をがっしりとつかみブライトンの駅前の通りを大手を振って歩き出した。
彼等が10分程歩くと、向こうに海が見えて来た。
「さっきの時計台を折れると一応繁華街なんですね。」
「うん。結構賑わってる街ね。」
「何か、気分だけでも暖かい南国の感じで、って事なんでしょうね。」
「イギリス人って南国コンプレックスよね。」
「ええ。そう思います。」
2人は笑い合った。
2人は駅からの真っ直ぐの坂道を降りきって、砂浜沿いの大通りに出た。
観光シーズンの最盛期だけあって、「イギリスの湘南」のビーチはウインドサーフィンの帆がたくさん並び、日本人も含め観光客もたくさん繰り出していた。湘南と違う所を上げるとするなら、そうは言ってもまだ人口密度に余裕が見られる事と、実際の気温は摂氏20度弱しかないという事だった。
それでもイギリスにしては珍しい晴天で、この場まで来ると文句を言い続けて来た2人も顔が緩んでくるのを押さえる事はなかった。
「良い天気ね。」
「…良い所ですね。」
「そりゃ、私が見立てたんだから。」
「そうですね。」
真嗣は彼にしてはアクションの付いた動きで深呼吸をした。
「水着、持って来たら良かったですね。」
「この寒い中泳ぐ気?」
驚く美里に真嗣は笑った。
「そんな、充分あったかいじゃないですか。」
「寒いわよ! …まあ、私も本当は水着を持って来て、シンちゃんにこのグラマラスなバディを見せてあげたかったんだけどねー。」
「そ、それはどうも。」
美里はふと思い出して言った。
「ああ、そういえばここ、近くにヌーディストビーチがあるらしいわよ。だからそこに行けば2人とも…」
「あ、あの、お昼もう食べちゃうんですよね。どこで食べましょうか。」
声のトーンが一つ上がった真嗣が美里の言葉を遮った。
「…多分ゲイのお兄さん達の裸が一杯見られるんじゃないかしら。」
「…え?」
美里は住所だけ書いたメモを取り出した。
「えっとね。一応目を付けてる所はあるんだけど、この時間だからねー、駄目だったらフィッシュ・アンド・チップスね。」
「あ、は、はい。分かりました。」
2人は海沿いの道をしばらく歩き、やがて"REGENCY"と看板の出たレストランの前で止まった。
「あ、大丈夫ね。すいてるすいてる。」
「何かまた、結構小さいですけど…」
「大丈夫だって安心なさい。」 真嗣にウインクを返す美里。
やがて、屋内の席−屋外の椅子もあるのだが、寒がりの美里が嫌がった−に座った美里と真嗣の前に、大きなロブスターの皿と魚のスープと、1本の白ワインが運ばれて来た。
美里は「どう?」と言わんばかりに真嗣の目の前で指を振った。
真嗣は難しい表情を見せた。
「…ロブスターの分は、払いませんからね。」
「ばっかね。これ位おごるわよ。」
真嗣はしばらく不満そうに考えていたが、やがて頷いた。
「そうですね。じゃあ、お言葉に甘えて。」
「ちょっと待って。」
「何ですか?」
美里は黙ってワインの入ったグラスを指差した。
「…え?」
「レディにだけ飲ませるなんて失礼でしょ。」
「え、え?」
美里は逆さまに置いてある真嗣のグラスを戻し、ワインをとくとくと注いだ。
「ちょ、ちょっと待って下さい、いくら何でもこれは、」
「大丈夫よ、車で来てる訳じゃないんだから。」
「車とか、そういう問題じゃ。」
「全部飲まなくても良いから、ちょっと口付けて見なさいって。」
悪魔の囁きを口にする美里。
「それじゃ、2人の前途を祝して、かんぱーい!」
「…かんぱ…い…」
真嗣は恐る恐るワインを口にして、一口で顔をしかめた。
「どう?」
「…良く分かりませんけど、飲み物としておいしくないような気がします。」
「んー、シンちゃんには大人の世界はまだまだ遠いわね。ま、良いわ。じゃあ、コーラにしましょ。」
「あ、お願いします。」
「おーい、コーラ!」
美里の日本語の呼びかけに真嗣は崩れ落ちた。
2人はそのレストランで食事をすませてから、海沿いの道をのろのろと歩いていた。車道の向こうはきらびやかなッショーウィンドウやホテルが並んでいる。
「で、あれが、パレス・ピアーですね。」
海に突き出た奇妙な「宮殿風」の埠頭を指差す真嗣。
「…美里さん?」
美里はオックスフォードの時のように、両手をジャケットのポケットに入れ、真嗣を見ていた。
「…どうか、しました?」
「…ううん。…そ。あれが、ブライトンのシンボルマークなんだって。」
「何か、不思議な建物ですね。」
「で、あそこの付け根まで行くと水族館が有って、そこからミニ鉄道に乗る事が出来て、乗ると遊園地に行ける訳よ。で、もっと向こうにヌーディスト。」
「…詳しいですね。」
「熟読したもん、ガイドブック。」
「遊園地行きたいですね。」
美里は溜め息をついた。
「子供ねえ…」
真嗣はほんの少しムッとした。
「…じゃあ、美里さんはどこに行きたいんですか。」
美里はふと素になって呟いた。
「…水族館…」
「水族館ですか?」
「ペンギンが、見たい…」
「分かりませんけど、多分居ないと思いますけど…」
「そっか…」
がっくりと肩を落とす美里。
「あ、でも、じゃあ」
「じゃあ、遊園地行きましょ。」
「あ、でも」
「遊園地!」
「…分かりました。」
美里は改めて海を眺めた。
「ここって、多分夜来るともっとロマンチックで良いんでしょうね。」
「そうなんですか。」
太陽の光の眩しさに美里は目を細めた。
「うん。この埠頭とか、多分電気がつくんでしょ。」
真嗣はクスリ、と笑った。
「…夜景なら、僕もいい所知ってますよ。」
「そうなの?」
「ええ。今度教えます。」
「ふーん。」
2人はそのまましばらく黙って海を眺めていた。
「…ここから日本は遠いわね。」
「さあ…12時間座っていれば着きますよ。」
「……雰囲気壊すな。」
美里は振り向いた。
「じゃ、遊園地行ってみましょ。」
「ええ。」
おもちゃのような浜辺沿いのミニ鉄道に乗り、彼等は遊園地に着いた。そこには観覧車や、射的等のゲーム、さほど大きくない範囲をぐるぐると回るジェットコースターの原形のようなアトラクション等があった。
2人は特にゲームを色々と回った。見事なまでに景品は得られなかったが、美里はこういった事が好きらしく相当本気でゲームに熱中した。
"Oh, sorry. Please try again."
美里は係のおじさんの言葉に口を尖らせた。
「これ絶対インチキよお。景品の底接着剤でとめてるんじゃないの?」
「…美里さん。」
「何?」
「子供ですね。」
美里はピストルを真嗣に向けようかと思ったが、周りの目があるので思いとどまり、ピストルを備え付けのホルダーに差し込んで射的場を離れた。
「…もう止め止め。…どうも腕が鈍ってるわね。」
「鈍ってるって、昔何かやってたんですか。」
「ゴム鉄砲でね。」
真嗣は不思議そうな顔をした。
「やだ、もしかして知らないの、ゴム鉄砲!」
「何の事ですか?」
「うぅ、そうか、知らないのか…」
「え、何なんですか?」
「ゴムの玉を使用したマシンガンの事よ。法的に銃ではないから、一般人の所持が認められてるの。」
嘘八百を真面目な顔で言う美里。
「モデルガン、みたいな物ですか。」
「ううん、もっと強力。十分殺傷力があるわ。」
「そんな物、使ってたんですか。」
不安気な顔になる真嗣。
「昔はね。色々危ない事もやったから…」
「美里さん。」
真嗣は美里の前に立った。
「これからは、ゴム鉄砲は持たないって、約束して下さい。」
「…え?」
「そんな、危ない物、持たないで下さい。もし、美里さんに怪我でもあったら、どうするんですか。」
「…御免。」
美里は真嗣を抱きしめた。
「…」
「分かったわ、約束する。これからはゴム鉄砲は使わない事にするわ。」
「あ…う…はい…」
真嗣は目の前の2つの膨らみに返事をした。
数秒後、美里は真嗣を解放した。
「どうしたの、顔真っ赤よ?」
「…」しばらく地面を見ていた真嗣だったが、やがて口答えをした。
「…美里さんも、少し赤いです。」
美里は実際少し赤い顔で、微笑んだ。
「……観覧車に、乗りましょうか。」
「あ……ええ…」
真嗣は両手を合わせて上に伸ばしながら彼の前を歩いていく美里を少し不思議そうに眺めた。
小さく、かつシンプルな観覧車に2人は乗り込んだ。
美里は左手を口や鼻を隠すように置き、一種の頬杖をついた状態で外を眺めていた。
「海ね。」
「そうですね。」手を自分の腿の辺りに置いた真嗣はじっと美里の様子を見ながら答えた。
「…きれいな、街ですね。」
「そうね。良いとこだったでしょ。」
「ええ、第一印象よりは、ずっと良かったです。」
「そりゃ良かった。」
「……真嗣君…」
美里はその体勢で海を見続けたまま、音で聞こえる位の震えた息を吐き出した。
真嗣は美里が喋る気になるまで、たっぷり10秒程待った。と言うより自分はここで何を言うべきなのか、良く分からないのだった。
美里は真嗣をちら、とだけ見た。
「私、言ってない事があるの。…本当はね、今日、こうやって真嗣君とデートして、自分の気持ちを確かめようと思ったの。…エリカの入れ知恵でね。…でも、やっぱり分からないわ。何か…特に今日とか、変な感じが、凄いして。」
「変な感じ?」
美里は真嗣に真っ直ぐ向いた。
「真嗣君が…触れては行けない物のような気がするのよ。一番簡単に言うと。」
真嗣はゆっくりと頷いた。
「それは、僕も、美里さんに時々感じます。…凄く綺麗な時とか。」
美里は思わず笑った。
「凄く綺麗な時があるの。」
「ありますよ。今日も、うーん、ええ、何回かありました。」
「そういう時は口に出して言う物よ。」
「そうですね。」
「…じゃあ、それは、「好き」っていう感情なのかな?」
「多分そうだと思いますけど…良くは、分かりません。」
美里が思っていたのは、「こんな感情は今まで持った事が無い」という事だった。アイツの時は、こんなじゃなかった。何だろう、これは、じゃあ、「背徳のシチュエーション」にでも燃えてるのかしら?
だとしたら、下らない女…
いや、思い出した。本当は、あったんだ。アイツの時も…
最初は、あの教会の時は、そうだった。
アイツの様子ですぐに忘れさせられただけで、アイツの時も最初はそうだった…
「真嗣君。」
「はい。」
「真嗣君は、あんまり口がうまい方じゃないわよね。」
「…すいません。」
「……真嗣君。」
「はい。」
「本当に、こんなおばさんで良いの?」
「…怒りますよ。」
「…」
「…」
「真嗣君。」
「…はい。」
美里は顔を上げた。
「私、自信が無いの。私が好きになる人は皆不幸になるの。皆、皆、いなくなっちゃうの。ううん、多分、私が、不幸が好きなんだと思う。だから、私が好きな人を不幸にするの。でも、それは嫌!
そんなのはもう嫌なの! 真嗣君、分かる? 自分が好きになった人が目の前で不幸になっていくのを見る気持ちが。私、真嗣君を好きになってしまったら、真嗣君を不幸にしてしまいそうで恐いの!
そんな…もう、そんな物は見たくないの!」
「美里さん…」
「でも多分好きなの。そういう不幸な人間を見るのが好きなの、変態なのね。多分それが快感なんだわ。だから、私の周りの人たちは皆いなくなるのよ。だって、それが私の望んだ事なんですもの。私にはそれがぴったりなのよ。でも、嫌なの、もう失くしたくないの!
もう失くしたくない。もう失くしたくないの。でも、失くしてしまいそうで、恐いの…」
「大丈夫ですよ、美里さん…」
真嗣は立ち上がって向かいの席でうずくまる美里を抱きしめた。
「…でも、好きなの…」
観覧車は一周を終えつつあった。
4人がけの対面式シートの向かいに美里さんが座り、首を横に傾けている。思いっきり足を伸ばしているので、たまにこっちに足が触れる。
美里さんの横には、美里さんがブライトンのケーキ屋さん…チョーキーウォーキー…何だったか、凄く変な名前のお店、で買ったエリカや摩耶さんへのお土産の袋がある。
僕と美里さんって、どういう風に見えるんだろう。一番順当な所で、姉弟(きょうだい)?…にしては、あんまり似てないか。…でも、イギリス人から見たら顔の区別なんかつかないんだろうな。
僕は、その…とんでもなく思い上がった考えである事は間違いの無い所だとは思うんだけど、何と言うか、今日美里さんは、セントラルに来た時から、何か覚悟を決めて来ていたような気がした。…もちろんそれは、エッチな意味ではなくて…それもあったかも分からないけど…何と言うか、とにかく包み隠さず本当の美里さんを、一瞬だけ、僕に見せてくれたような気がした。
そして本当の美里さんは、とても可愛い−こんな事本人の前では恥ずかしくて絶対に口に出せないけど−人で、でも、同時に何かに傷ついて、今でも脅えているように見えた。
あるいは僕は、そういった「脅えている」美里さんが「可愛い」と感じたのかもしれなかった。としたら僕は女の人をいじめる事で、えっと…征服欲、を満たしている最低な奴なのかもしれない。…いや、それが最低なのかも本当の事を言うと僕には分からない。仮に僕がそうなのだとしても、美里さんならそんな僕でも微笑んで抱きしめてくれるような気がする。
…結局僕はちょっと若い母親が欲しいだけなんだろうか…僕は何だか美里さんの安らかな寝顔を見るのが辛くなって、何回か見た車窓にまた目を移した。
もしそこまで美里さんは全部計算して、演技をしているんだったら凄いかもな、と僕は思い付いたが、美里さんにそこまでの計算能力はとても無いように思われたので−という評価も本人には絶対言えない事だけど−すぐにその考えは捨てた。
僕がマザコンの、えっと、いじめる方はサド…だったっけ?ではなく、なおかつただの巨乳マニアでもないとするなら(…少し自信が無くなって来た)、僕がそもそも美里さんを好きになった理由は、多分、彼女の正直さと言うか、率直さだった。…まあ、後から理由を付けているだけなので本当はどうかは分からない。でも、多分、そうだと思う。
美里さんは、それは、普段はちょっと、いやかなり、うるさいし、がさつだし、ずぼらだし、好い加減だし、もうすぐ30になるとは信じられない−これも本人の前では言わない方が良さそうだ−人だけど、でも、実は皆の事を考えていて、うんと…何と言うか、皆に好意を持っている優しい人なのだと思う。
…だから、僕はそんな美里さんの好意を都合良く勘違いしてしまったのかもしれない。僕は今まで、女の人と積極的に付き合った事が無かった。もちろん話をする事位はあるにしても、美里さん程色々と親切にされた経験は無い。…だから勝手に勘違いをして、迷惑をかけているだけなのかもしれない。
…そもそもそういった美里さんの「親切な態度」という物は、もしかしたら脅えた彼女のとった回避行動であるのかもしれないとすら言えた。美里さんは自分が嫌われる事を恐れて、自分が「失う」事を恐れて、皆に嫌われないように好意を振りまいているのかもしれなかった。
ここまで考えた時点で、僕は何だか馬鹿馬鹿しくなってきて考えるのを止めた。
とにかく、嘘でも…いや、嘘じゃ困るんだけど、美里さんも、僕の事を「好きだ」と言ってくれて、僕は美里さんが好きで、それで良いじゃないか。もし、美里さんの日本での過去に、傷になるような事があったんだとしても、ここでそれを忘れられる位楽しい思い出をたくさん作れば良い。…あんまり自信は湧かないけど。
でも、何だか逃げてるかもしれないけど、20ウン歳の美里さんが抱えている物に14歳の僕が対処する方法なんて、それしか無いんじゃないかと思う。
魚の小骨みたいなイガイガ感が残ったまま、僕は今度こそ本当に考えるのを止めた。
前を見ると、美里さんはいつのまにか起きていて、僕を見てニヤニヤと笑っていた。
「何、難しそうな顔してんのよ。ママへの言い訳?」
「…あ…いや、別にこの時間だったら、ロンドンまで買い物に行って来た、で別に問題は無いですから…」
「ふーん、つまんないの。」
「美里さんの方こそ。エリカに今日は、聞かれるんじゃないですか?」
「まあ、まず「何でこんな早くに帰ってきたの」って聞かれるのは必至ね。今朝だって、「じゃあ今日は泊まるの?」とか、「今日中にモノにしちゃいなさい」とか何とか言ってたから。」
僕はエリカさんは凄く真面目なイメージがあったので、「エリカよ、お前もか!」と少し思った。
「なーに溜め息ついてんの。」
「いや、まあ、良んですけど。」
「えっ、シンちゃんってば大胆ー。いやだ、今日中に私をモノにするつもりだったのね?」
「な、何でそうなるんですか! な、だ、それ、主語が入れ替わってるじゃないですか!」
「ふーっ、もう少しで襲われる所だったわ。全く男って奴は…」
「あの、美里さん。」僕は耐え切れなくなって口にした。
「ん?」
「あの…あの、すっごく生意気な事言ってるかもしれないですけど。…無理、しないで下さいね。」
美里さんはいつものように微笑んだ。
「それ、分かったような口きいてて、すっごく生意気。」
「す、すいません…」
それから、凄く軽い調子で答えた。
「…分かったわ。愛しいダーリンの言う事ですもの。あんまり無理はしないようにするわ。その代わり。シンちゃんも、無理は、しないでね。」
「僕は、別に、特に無理は…」
「そう? …なら、良いわ。」
美里さんはそう答えて微笑みつつも、どうやらあまり納得はしていないようだった、
ガー、とエンジン音を鳴らして走っていた列車はウィンザー・セントラル駅のアーケード内に滑り込みつつあった。
僕と美里さんは立ち上がった。
「後、さ、あの…とりあえず、学校の皆には私達の事は内緒ね。」
「はい。」
僕は別に言ってしまっても良いような気もしたが、やっぱり母さんや父さんには言う勇気はまだないし、美里さんがそう言うなら従おうと思った。
美里さんは窓を上げ、外のドアノブに手を伸ばした。
「私、これ好きなのよ。」
僕は不思議に思って聞いた。
「ドアを開けるのが、ですか?」
「真嗣君ってつくづく外人ね。これってかなり変な開け方なのよ。っていうか日本じゃ電車のドアは全部自動で開くしね。」
美里さんはドアを開けた。僕達は駅に降り立った。
「美里さん、ホームシックなんですか?」
美里さんは僕の言葉に意外そうな表情を見せ、少し考え込んだ。
「…」
やがて美里さんはニッと笑った。
「私はシンちゃんさえ居れば、どこでも良いわあ。」
僕は美里さんの顔を見上げた。
「…美里さん。…無理は…」
「大丈夫。それにこれは本当の気持ちよ。今は一秒でも長く真嗣君といたいの。」
「…美里…さん…」
美里さんは僕を抱き寄せ、口にほんの軽くキスをした。
そうだ、そういえばデートなのにキスをしていなかった。僕は甘い香りと体温に包まれながら、また間抜けな事を考えていた。
「あの…美里さん…僕はいつも、美里さんのそばにいます、から…」
美里さんは無言で更に僕を強く抱きしめた。
僕の美里さんへの愛し方は実はとても歪んでいるのかもしれない。…そして、もしかしたら美里さんの僕への好きになり方も歪んでいるのかもしれない。でも、とにかく僕と美里さんが互いに好きだと言う事で、全ては許されるような気がその時はしていた。
語学学校と言う物は常に何かうかれていて、お祭りをしているような場所に真由美には思われた。それは別に悪い事ではないし、そういった環境で英語力がつくのなら、それに越した事はない。真由美はさほどの自覚は無いものの、それでも少しは自分の英語力が上達しているようにも感じた。
しかし、周りが楽しげな環境であればあるほど、周りのクラスメイト達が良い人達であればあるほど、真由美は自分の不機嫌な顔や人付き合いの悪さに憂鬱になるのだった。
少なくとも友人として、真由美は真嗣と美里が好きだった。特に真由美にとって真嗣は、自分と似た人間であり、だから彼の存在は彼女にとって彼女がこのままでいても良いと言いという一つの保証−それを恋愛感情と捉える程真由美は楽天的ではなかったが−であった。
そのため、真由美はここ1、2週間、真嗣と美里が妙によそよそしいのを不愉快に感じていた。
2人とも演技が下手だ。碇君はまだしも、美里さんまでどもっているのはどうした訳か。
それより何より問題なのは、何故私が不愉快になっているかだ。
真由美は少なくとも答えの一つは分かっていた。真嗣に「抜け駆け」されたからだ。その意味では真由美は自分の偏狭な心が何よりも不愉快だった。
しかし真由美は、果たして自分の感情がそれだけで説明出来るのか少し疑問だった。それは自己弁護の為の思い付きなのかもしれないし、正直真由美にはそんな思いが本当にあるのかすら自分で疑わしかった。真由美の演技力は、自分に対しても、少なくとも真嗣や美里よりは上なのだ。
しかしそれでも、真由美は真嗣に恋をしているのかもしれなかった。
もうちょっとただの御近所でいたかったな…こんな学校、来なきゃ良かった…
真由美の本は知らない内に閉じていた。
「これで、最後の授業ね。」教室に来たのは摩耶だった。
「…そうですね。」
「…どうだった、ここは。」摩耶は床を指差した。
「短い間でしたけど、楽しかったです。」
「若い子は吸収力が違うわよね。真由美ちゃんも真嗣君も、英語はあっという間に抜かされちゃったわ。」
にっこりと笑った。
「そんな事ありません。…私は、若いのは嫌かもしれません。」
真由美はニコリともせず答えた。
「あ、そんな事言っちゃ駄目よ、女性にとって若さは宝石よりも貴重な物なんだから。」
摩耶は廊下の方を見て人がいない事を確認する。
「…「若いのは嫌」なんて、美里さんの前で言ってみなさい。どうなる事か分からないわ。」
真由美はようやく少し笑った。
「…そうですね。すいません。」
「…あ、でも、美里さんってとっても若いわよね。ちょっと憧れちゃうな…何か美容法とかあるのかしら…」
「…」
「何?」
摩耶は楽しそうな顔の真由美に尋ねた。
「ストレスを溜めない、っていうのはあるかもしれないですね。」
「あはは、そうね。美里さんって悩み少なそうよね。って、結構酷い事言ってるわね、私達。」
「ええ。」
摩耶さんは演技に気付いていない…もしかして、気付かない方が普通なのだろうか。
「でも、最近の美里さん、少し様子が変わりませんでしたか?」
摩耶は不思議そうに真由美を見た。
「え、そう? 特に私には…それより真嗣君が最近、何かおかしくない?」
「彼はいつもおかしいですから…」
言い切る真由美に摩耶は苦笑した。
「あら、そうなの? …でも、何か、時々1人で何かぶつぶつ言ったりしてない?」
「いつもの事です。」でも、最近ひどいですけどね。
「…そう。」
摩耶はふと、楽しそうに思い出し笑いをした。
「そういえば。ベアーティが秘密の話だって言うから何なのかと思ったら、"I
think Misato and Shinji definitely loves each other!"って言うのよ。」
「…そうなのかもしれませんね。」
「そうね、そうならうまく説明が付くわよね。」
"What kind of topic did you talk?" アレックスと真嗣が教室に入ってきた。
摩耶は真由美に笑いかけた。
"Mmm... we talked about how good student you are, Shinji."
"And how bad student Maya is."
"Alllexxxx!!"
"Mmm, thank you." 摩耶の冗談に気の無い返事を返す真嗣。
摩耶はふと思い出して真由美に聞いた。
"By the way, do all the students know about tonight? Where do we go,
when do we meet..."
茶色の髪の、やや子供っぽい雰囲気のドイツ人青年のアレックスは真嗣と顔を見合わせ、少し真面目な顔になって答えた。
"Guess so. We can say that now here, And in Jennifer's class, Erika
and Misato will tell to others."
"Yap. Misato said all the students of her class would be there. So...
only 2 absents. Beate and Ben." 真嗣が頷いた。
"OK." 摩耶は手帳を開いた。
"So, 8 o'clock, at Swan. All right?"
"Say that again when all the students had come."
"OK." 摩耶はアレックスに頷いた。
"Cheers!" パブの一角を占領した外国人達は、ビール(若干名コーラ)のグラスを上げながら声を揃えた。
"Don't get drunk badly." エリカが美里に生真面目に忠告する。
"Don't be afraid! Have you ever seem me heavily drunk?"
美里の言葉にエリカは少し考え込んだ。
言われてみれば、仮に酔っ払い的な態度でも、それはミサトが本当に酔っているものとは限らないわ。だってミサトの言動は常に酔っ払いと紙一重だから…
エリカは頭を抱えた。
"Well, ah... Never mind."
"Mmm?"
"Did you enjoy the month in the school, Shinji?" 柔らかい物腰の眼鏡の少女、クラウディアが真嗣に聞いてきた。
"Yes. It was very interesting and... I could find many good friends
here."
さほど親しくない相手なだけに模範的な答えを返す真嗣。
"And you've got your English improved. That's impressive."
"Yeah." クラウディアの言葉に頷くエンリコ。真嗣は微笑みながらも、「美里さんのクラスの人がどうやって僕の上達を知るんだろう」と心の中で突っ込んだ。
向かいに座る真由美はしばらく1人静かにコーラを飲んでいたが、ずっとそうしているのも逆に目立つと思われたので、隣でやはり話さず飲んでいたオッキに声をかける事にした。
"Where do you come from?" 真由美は自分で、最後のお別れの飲み会で聞く質問としては相当間抜けだなあと内心失笑した。
それでもオッキは真由美の声に嬉しそうに顔を向けた。
"Korea."
"Right, but which part of."
"Seoul. Apkoojung-dong."
"Ap..."
"koo, jung, dong. It's in a... southern area of the city."
"Ah-hah. All right. When did you come here?"
"From April. Just same as Misato. ...Oh, here she comes."
ラガーの1パイント瓶を片手に上機嫌の美里が真由美や真嗣達の座るコーナーにやって来た。人数が人数なので彼等はある程度散らばっている。
「どう真嗣君、真由美ちゃん、楽しくやってる?」日本語で聞く美里。
「は、はあ…」「…」
かなり「上機嫌」らしい美里は構わず続ける。
「真由美ちゃん、オッキの名前はもう聞いた?」
「は、はあ?」真由美はオッキと目を合わせた。「オッキは、オッキでしょう?」
「ああ、そりゃ、そうだけど… Okhee, will you write down your name in
Chinese letter?」
"All right. Ah... I'll tell you my name and address, right?"
"Ah, please." そういえば学校でもベン、クラウディアと既に住所と電話番号のメモを交換していた。慌てて自分の手帳とボールペンをバッグから差し出す真由美。
"All right. Kim... Ok... -hee." オッキはメモにきれいな楷書で「金玉姫」と書いた。
"From Misato, I heard my name looks somewhat sexy, is that right?"
微笑むオッキ。
真由美は数秒固まった。
酔っているのか、美里やエリカの席の方から、マリアが声を上げる。
"Look, Misato's worried about her boyfriend!"
オッキの隣にいたジャンニが、鋭いイタリア語で何やら向こうのマリアに注意をする。
"Cosa c'entra questo adesso! ...Oh, Misato, I'm sorry."
美里は笑って返事をした。
"No, never mind. I do understand jokes."
真由美が真嗣を見て言った。
"But it's not joke. You ARE her boyfriend, aren't ya."
「山岸さん…」何か言おうとする真嗣を美里が制した。
"No. He is my friend, but not boyfriend. It was a little impolite thing
to say, Mayumi."
真由美はあくまで微笑む美里をちら、と睨んだ。
"I just want you to be polite to him." 真由美はそれだけ言うと、コーラに口を付けた。
"She IS polite!!" 真嗣が向かいの真由美を睨み付けた。
「あ…真嗣君、真由美ちゃん?」
真由美は真嗣の勢いに驚いたように彼の方を見たまましばらく黙っていたが、やがて下を向いて呟いた。
"Ah... so. OK. If you think so, so, then, ...No problem."
"Oh, ...sorry, I, I didn't mean to blame you, but ah... I just wanted
you to know."
"I know, Shinji."
真由美は顔を上げた。
"Misato."
"Mmm-hmmm."
"Now you said, Shinji is NOT your boyfriend, is that right?"
「山岸さん!」 "He isn't."
美里の声に真嗣は口を止めた。
"You don't love him."
"Though I do like him."
"I understand."
"Let's dance, Misato!" 向こうの席からエリカが美里に助け船を出した。
"Ah, yes!" 美里は真嗣達の席を離れ、空いているスペースへと逃げていった。
美里はエリカと踊り場で社交ダンス風の妙な踊りを披露して、イギリス人達から喝采を浴びている。
"She's cute." 真由美は、美里を見ながら真嗣に言った。
"What do you mean by that."
"Why. Why do you become angry."
"Ah, Mayumi..." エンリコが苦笑しながら真由美に声をかける。
"I'm not angry at all. I just asked you what-you-mean-by-that."
"I said 'she's cute'. That's all. What kinda 'meaning' would you expect
by that. She's cute! Fine!"
"Hmmm."
"Don't you think she's cute?"
"..."
「…臆病ね。」
……私何言ってんの。
オッキが微笑みながら真由美に聞いた。
"...Mayumi, wanna try some pies?"
"...Yap."
"Let's go."
真由美は頷き、2人はカウンターの方へ注文に行った。
"Where are you looking at."
何故かチークダンスを踊りながら、エリカは美里の耳元で囁いた。
"Mmm. Sorry."
"Why be sorry. Why do you try to hide it."
"...I explain it later."
"...I don't understand Japanese love."
"Mmm. Neither do I."
"...I see."
パブのオーナーがベルを鳴らした。閉店時間だ。
「えーっ、もう帰るのーっ!」
"Right, we gonna go back home now." 美里の日本語に的確な答えを返しながら肩を叩くエリカ。一行はパブから外に出る。
深夜の外は摂氏10度台で、オレンジの街灯に邪魔されながらもいくつか星が見えた。街灯と言っても郊外なので1、2本だけだ。
真嗣は結構な風の吹くパブの駐車場で、生徒達と別れの言葉を交わしていた。
アレックスは真嗣と握手をした。
"Bye."
"Goodbye."
"I call you later."
"Yeah."
マリアは真嗣の頬にキスをした。
"Goodbye, Shinji."
「ぐ! …ぐっばい。」真嗣は無節操に顔を赤らめた。
エンリコとジャンニはその後ろから軽く手を振った。
"Goodbye, Shinji." "Bye."
"Goodbye."
オッキは握手をした。
"Goodbye."
"Goodbye."
クラウディアも握手。
"Goodbye."
"Goodbye. Say goodbye to Beate."
"Yap."
摩耶。
「じゃあね、真嗣君。美里さんをよろしくね。」
真嗣と、隣でやはり生徒達と挨拶をしていた真由美は意外そうに顔を上げた。
「…冗談よ。」摩耶は笑った。
「…ああ…」
「じゃあね。これプレゼント。」摩耶は真嗣に一枚のクールミントガムを渡した。
真嗣は微笑んだ。
「ああ、どうも。…それじゃ。」
エリカは真嗣を抱きしめた。
"Shinji. Goodbye. But I don't really feel I won't see you any more."
"Neither do I."
"...Be nice to her."
真嗣は黙って頷いた。
"Answer?"
"...Yeah."
"OK. ...Sayonara."
「サヨナラ。」
"Misato."
エリカは後ろに立っている美里を呼んだ。
既に寒い駐車場に残っているのはエリカ、美里、真嗣、真由美の4人だけだった。
「…じゃあね、真嗣君。」
「ええ。」
「…じゃあね、真由美ちゃん。」
「…ええ。」
「学校は来週から?」真嗣に聞く美里。
「ええ。」
「じゃあ、今年はほんとに休みが無かったのね。…頑張ってね。」
「…美里さんも。」答える真嗣。
「真由美ちゃんもね。」
「…ええ。」
「じゃ。」
握手もせず、手だけを振って美里は去ろうとした。眉を上げて何か言おうとするエリカの前に真由美が声を発した。
「…美里さん。」
「…何?」それでも美里は微笑みを作っていた。
「それだけですか。」
「え? …御免、何かあったっけ、真由美ちゃん。」
真由美は自分がつくづく嫉妬に燃える嫌な女に思えて、少し言葉にするのをためらっていたが、やはり我慢が出来なかった。
「…私は、今まで、美里さんの事が好きでした。男勝りな所も、明るい所も、美人な所も、全部憧れてました。
美里さんなら、…美里さんだから、碇君を諦めても良いと思った。…でも、今の美里さんは嫌いです。」
「…山岸さん?」呟く真嗣。
「そんなに恥かしいなら、止めれば良いじゃないですか。子供とそういう関係なのがそんなに恥かしいですか。」
エリカは会話の内容は全く分からないながらも、内容を察し冷静な目で様子を見守る。
「真由美ちゃん、違うの。そういうんじゃなくてね、本当に私と真嗣君は」
真由美は美里の頬を打った。
「…」
「…見損ないました。………さよなら。」
真由美は1人家に帰って行った。
「ちょっと! 山岸さん!」走って追いかけようとする真嗣を美里は止めた。
「美里さん! あんな事言われてて黙ってて良いんですか!」がっちりとつかんで話さない美里から真嗣はもがく。
美里はしばらく黙っていたが、やがて低い声で呟いた。
「…本当の事よ。」
「美里…さん。」真嗣は美里の手からようやく自由になったが、もう真由美を追おうとはしなかった。
"She had tears in her eyes." エリカは腕組みしながら言った。
"I see..."
「美里さん、大丈夫ですよ。僕がついてますから。」
うずくまる美里を抱き寄せる真嗣を、エリカは冷ややかに見つめた。
"Don't be so indulgent to her, Shinji."
"What? Indulgent?"
"Don't spoil her, I mean. She's a grown adult. If an adult makes mistake,
she should reflect on it, rather than be kindly embraced, you see."
"You are very cold, Erika."
エリカは眉を上げた。
"It is she who had been cold to you."
"Aren't you Misato's friend?"
"...Hope I am. I tried to be at her side. Tried to understand, but"
真嗣は頭を振った。
"No, I don't want to hear your words no more."
エリカは肩を上げた。
"...OK. See you, Shinji."
"Bye."
"Hmmm."
エリカは1人で帰って行った。
真嗣は体を丸め続ける美里を優しく抱きしめ続けた。
「大丈夫ですよ、美里さん。僕がついていますから。寒くないでしょう。」
美里は返事をしなかった。
「美里さん、少し歩きましょう。」
真嗣の声に美里は顔を上げた。
「何処へ。」そこまで恐い声で聞かなくても良いじゃないですか、と真嗣は内心苦笑した。
「良い所ですよ。」
2人は20分弱歩いていた。
「ねえ、何処へ行こうとしてるの? うん、こっちって真嗣君の家の方向よね。」
「ええ、その通りです。」
この時間、既に2人の歩く道に車や人の影は無い。ロンドンはまだしも、ここの夜は非常に早い。ただオレンジ色の街灯が遥か向こうまでぽつ、ぽつ、と連なって、街はひっそりと寝静まっている。
「嫌よ、こんな時間に御邪魔したら、御両親に悪いわ。」
「「誤解」もされますね。」いつも美里が使う言葉を口にする真嗣。
「…そうよ。」
「大丈夫です。家に行ってる訳じゃないですから。」
真嗣は美里に微笑みかけた。
やがて2人は坂道を登り始めた。真嗣の家はこの坂道の行き止まり、つまりこの丘の一番上に位置している。何か楽しそうに早足で歩く真嗣の後を美里は重い足で追いながら、真嗣の両親に自分をどう説明しようか頭を悩ませ始めていた。
「美里さん。」
真嗣は立ち止まり、美里に振り返った。
「真嗣君、やっぱり私、今日は…」
「ここが目的地です。」
「え?」
美里は真嗣が向いた右手を見た。
そこは丁度、家や林の無い地点で、丘からウィンザーやイートンや、スラウや、更に向こうまでの光が広がっていた。
美里は国道のオレンジの街灯が遠くまで1個1個はっきり点として確認出来るのが、何となく不思議だった。目の前を平行に走る道は…メイデンヘッドへ行くあの道よね、当然。だから向こうへ真っ直ぐ進んでるのがM4直通の道で…だから、あれはM4だ!
凄い、M4まできれいに一直線に見える。
イギリスの高速道路は、深く黒い海の中を縫って走るオレンジの糸だった。
言葉を失い景色に見入る美里に、真嗣は少し誇らしげに声をかけた。
「見せたかった夜景って、ここです。」
「又、随分と近場ね。」美里は憎まれ口を叩きながら、自分が寒さや悲しさとは別の意味で震えているのを自覚した。
「でも、綺麗。…有り難う。」
「美里さん。」
真嗣の顔の表情はあまり良く見えなかった。この付近は街灯すら殆ど無い。だからこそ夜景がよく見えるのだ。
しかし声の雰囲気から察するに、真嗣は美里にいつものように優しく微笑みかけているように思われた。
「何、真嗣君。」
「確かに、山岸さんやエリカも、美里さんの事を真剣に考えてるんでしょうし、彼女達の言う事が絶対に間違っているとは、言えないかもしれません。…でも、とにかく僕は美里さんが好きで、美里さんは僕が好きで、その…うん、だから、それだけははっきりしている事だから、あの、美里さんは、何も思い悩む事は無いと思うんです。…ああ、駄目だなやっぱり自分でも何を言ってるんだか、さっぱり分からないや。」
美里は真嗣を抱きしめた。
「…あの…どうも、美里さんの前だと、舞い上がっちゃって、何をどう言うべきか分からなくなっちゃって。」
「私も。」
美里は真嗣の頭の上にそっと自分の頬を寄せた。
「そう言った事には、大人も子供も無いのかしら。…私が子供なだけかな。」
「良いじゃないですか、子供で。」
「真嗣君。」
暗闇の中、2つの影はしばらく動く事がなかった。
「…ほ、本当ですか?」
真嗣はサンドイッチを頬張りながら声を上げた。
ほんの数メートル先まで上陸してよって来ている白鳥達が、長い首をゴムホースのようにぐにゃりと曲げた。
同じくサンドイッチを頬張る美里が答える。
「本当よ。うん…まあ、あくまでスチューデントとしてだし、そんなたいした事じゃないのよ。ただ、これからの仕事次第では、ビザの枠が何とかなるかもしんないって。そこは日系企業が絡んでるから。…まあ、多分無理だと思うんだけど。」
9月のウィンザーは…別に8月と変わりは無かった。そもそもまだ真嗣がWEIを卒業‐と呼んでいいのだろうか‐して一週間しか経っていない。
ここテムズ川は美里が気に入っている昼食場所だった。ウィンザー側の川岸は確かにきちんと公園らしく整備されていて、コンクリの岸にベンチがたくさんあり、遊覧船乗り場等もあるのだが、それだけにそこは人も多くて落ち着けない。そこで橋を渡って対岸のイートンに行き、そこから横道をしばらく行って川岸の空き地に座るのだった。…例によってここも間違いなく私有地なのだろうが、美里は誰にも咎められた事が無いので平気で座っている。もしかしたら、イギリス人から見たら彼女はとんでもない事をしているのかもしれない。しかしこちら側の岸はコンクリなどではなく、本当にただの芝生と雑草の茂る土がそのまま川に沈み込んでいて、たくさん浮かんでいる白鳥達が目の前でゆっくりと足を掻いたりするのだった。だから美里に言わせると、こちら側に来ない向こう岸の観光客達は「素人」であるらしい。
ちょくちょく家庭用のボートが行き来し、そのうえ観光客用の遊覧船まで運行されているのだからここの川幅は実はかなりあるはずだ。それなのに川が非常に小さく感じられ、向こう岸がすぐそこに見えるのは、日本の川のような広大な遊水地、堤防が存在しないからであった。
ロンドン付近では見渡す程に広い川幅のテムズも、ここでは感覚としては小川か、用水路のように見えた。
そして座る2人の向こうにはウィンザー城が顔を出し、こちら側を振り向くとイートン高の塔らしき建物が見える。観光的にもここは申し分ないと美里はいつも自慢するのだった。
真嗣は声を上げた。
「凄いじゃないですか!」
「あんがと。」
真嗣は美里の様子に怪訝そうにしたが、ふと嫌な事に気がついた。
「…もしかして、そのセカンダリー・スクールって、ウィンザーじゃないんですか。」
「…うん。」
美里はサンドイッチを食べるのを止めて、真嗣の方を見て頷いた。真嗣の前だとこんな寂しそうな顔も素直に出せる自分が、美里は嬉しいような気持ち悪いような何とも判断のつかない気持ちだった。
「…どこ、なんですか? ロンドン?」
「…ううん。」
美里はわざわざ水筒に入れて持ってきた番茶をカップに注ぎ、真嗣に手渡した。
「飲む?」
「あ、どうも…」
美里は予備カップに自分の分を注ぎ、暖かそうにそれを両手で抱えた。
「ロンドンじゃないわ。」真嗣は自分の腿に触れる美里の手に気付き、優しくその上に手を重ねた。
「…グラスゴーよ。」
「…グラスゴー?」
「…スコットランドよ。」
真嗣は美里の顔を見た。美里は真嗣を見つめたままじっと動かなかった。
真嗣はそれまで美里の手の上に置いていた自分の左手を、美里の背中に回した。
美里は真嗣に少し体を寄せた。
真嗣はその体勢のまま、右手に持ったカップの番茶を見つめた。
「どうしても行くんですか。」
「どうしても行って欲しくない?」まるでその答えを期待するかのように美里が答えた。
「…そういう訳じゃ…」
何故か美里はその言葉に息を漏らした。
「…」
「美里さんが行きたいのなら、仕方ないから…」
「私じゃなくて、真嗣君はどう思うの。」
真嗣は声を上げた。
「それは! 行かないで欲しいですよ! でも、それが美里さんの夢だったんでしょう?
日本語の先生としてこの国で働くっていうのが。」
「夢なんかじゃなかったわ。」
美里はもう少し真嗣に寄りたかったが、自分の体重で真嗣を潰してしまいそうだったので傾けていた姿勢を元に戻した。
「日本から逃げたかっただけ。憧れの外国で暮らしてみたかっただけなのよ。でも…イギリスに残る為には働かなきゃいけないし。そうしなかったら実家から日本へ強制送還されちゃうしね。」
美里は寂しげに笑った。
「でも…でも、スコットランドだってここから見れば別の国よ。」
真嗣は美里の髪がくすぐったかった。
「どっちにしても真嗣君とは離れちゃうわね。」
「じゃ、じゃあ、僕がグラスゴーについて行けば、」
「真嗣君。…それは真嗣君のすべき事じゃないわ。分かっているでしょう。」
「だって、美里さんは、僕と一緒に居たいんでしょう? …いや、僕が美里さんと一緒に居たいんです。」
「じゃあ真嗣君、学校はどうするの? 向こうに日本語の学校なんて無いのよ。」
「…別に、普通のイギリスの学校に行けば良いじゃないですか。英語だって勉強したし。」
「…」
「ねえ、そうしましょうよ、美里さん。」
「駄目よ。」しかし美里は、心なしか嬉しそうな表情になったようだった。
「美里さん!」
「それは真嗣君、日本人としての義務教育を放棄するという事よ。…日本人として、それがとてもリスキーな事だというのは分かるでしょう。だからと言って、絶対に日本語の学校の方が良くって、現地校が駄目だと言う訳じゃないわ。もしあなたがイギリス人として生きる道を選ぶならむしろ現地校で学ぶべきでしょうし、その他にも何か特殊な技能を学んだりとか、特別な事情で日本語学校を辞めるというのはありうるでしょう。でもね真嗣君、好きな人が遠くに行くからというだけじゃ、理由として不適切だわ。」
「適切ですよ!」
「私が許しません。」
いつのまにか、真嗣の左手は美里の背中から外れていた。
「…美里さん…」
「許して、真嗣君。…私のせいで、真嗣君の人生を狂わせたくないの。真嗣君にはまだ、可能性が一杯あるわ。それを私のせいで歪めたくないのよ。」
「…」
「やっぱり、これをきっかけに、」
「美里さん!」
「…御免なさい。」美里は泣き崩れた。
「…すいません。」
白鳥達が、あまり上品とは言えない鳴き声でがなりあっていた。
「…皆に内緒にしていたのも、僕を気遣ってくれていたからですか。」真嗣はふと、呟いた。
「最後の金曜日、パブで飲んだじゃないですか。それで最後、皆が僕と山岸さんにさよならって言って。あの時、摩耶さんが折り畳んだメモ用紙をガムに挟んで僕に渡してくれてたんです。「真嗣君と美里さんは最高のカップルだから、恥かしい事なんか何も無い、幸せになって」っていう内容でした。…どんなに隠しても、分かるもんなんだな、って思って。」
美里は驚いたらしく、口をやや開いたが、声は出さなかった。
「僕は日本の事はよく知りませんけど、それでも美里さんの心配はよく分かります。僕はまだ自分がどう生きるか決めてませんし、想像もつきません。…日本語学校に、通います。…でも、もう美里さんとの事を隠すつもりもありません。」
美里は反論しようと口を開いたが、うまい言葉がみつからず、やがて諦めたように首を振って微笑んだ。
「何も、恥かしい事はありませんから。」真嗣は繰り返した。
「…それに、何かエッチな事をした訳じゃありませんし…」
真嗣としては、この一言で美里がいつもようにからかい半分の冗談でも言ってくれる事を半ば期待していたのだが、美里はただ黙って頷いた。
「美里さん?」
美里は突然真嗣の顎をとり、無理矢理に口を開かせ舌をねじ入れた。
真嗣は一瞬、呼吸困難になったかのように手を上げたが、やがておずおずと、美里の肩に手を回した。
2人はしばらくお互いの舌を絡め合っていた。
やがて美里は口を離した。
「御免なさい、真嗣君、これ位のエッチな事は許して。」美里はふふ、と笑った。
許すも何も、エッチな事は、想像だったら、あの、いや、だから、僕は男だから、そういう欲求は当然ある訳で、その、えっと、
「…ああ…はい…」
真嗣は呆然と呟いた。
「…あの、出来るだけ休みの日には、会いに行きますから。あ、後、お金を溜めて、パソコンを買いましょう。そうすれば、あの、何だっけ、電子メール?っていうので、いつでもお互いに連絡が取れるんでしょう?
あ、でも、高いですよね、パソコンって、じゃあまず、その前に携帯電話を買った方が」
「真嗣君。」
「あ、はい。」
「愛してる。」
「…は…あ…あ、はい、僕も。はい。」真嗣は喉を鳴らした。
「愛してます。」
美里はそれきり泣き出しそうな顔になり、また真嗣に体を傾けた。
真嗣は美里の重さに潰れそうになった。
冬のロンドンは陰鬱だった。真嗣はつくづく「こんな時期に外出するもんじゃないよな」と思ったが、それでも北のグラスゴーよりは遥かにましなんだろうな、と思い返した。
しかし寒い…寒い、暗い、風強い、人少ない。真嗣はユーストン駅構内でダッフルコートに両手を突っ込みながらじっとしていたが、やがて屋内なのに吹いている隙間風に耐えられなくなり、柱の陰に隠れた。
真嗣は軽く溜め息をついたが、やがて何かおかしくてたまらないかのように頬を緩め、顔を下げた。
こうやって会うのも、もう3回目か…
美里は疲れが自分の顔に表れていないか、心配だった。肌の荒れだけは、如何ともしがたい物がある。中学校での仕事は意外なほど面白い。子供達も日本の子供のようにヒネていないし、多分日本における外国人英語教師よりは余程歓迎されている事だろう。
美里はある日…ハロウィンの夜、パーティーになった日だが、また結構な酒を飲んで酔っ払い、生徒達の前で自分の「パートナー」について語りだしたのだった。別に自分から勝手に言い出したのではない。確か、エマが「ミサトの彼氏は日本にいるの?」とか質問したのがきっかけだ。
皆がその「彼」の事を知らないし、これから知る事もないだろうという気楽さも手伝って、美里は気持ち良くのろけだした。
"He's in London. ...Windsor, to be exact."
"English?"
"No, Japanese. Very kind boy."
「あいしてます、か?」
「愛してますよ。」
"Whooop!!"
"But aren't Japanese men arrogant?"
"I dunno. Mmm, well, he isn't."
「彼、は、格好良いですか。」
美里は「簡単な日本語」でどう答えれば良いか、しばらく悩みだした。今ならジェニファーやサムの悩みが良く分かる。
「格好良いです。そして、可愛いです。」
"Mean he's 'pretty'?"
"Mmm, 'cute'. Haven't I mention he's just a boy?"
蜂の巣を突ついたような騒ぎになる教室で美里はワインを一気に飲み干した。
美里はそんな事を思い出しニヤニヤと笑いながら眠っていた。美里の乗る列車はユーストンにもう少しで到着しつつあった。
「じゃあその健介君っていうのが主犯な訳ね。」
「主犯…まあ、そうですね。」
「いたずらすんのも大概にしなさいよー。教師の目から見るとね。授業の進行を妨害する生徒はいくら呪っても呪い足りないわ。」
「呪い、足りないですか。…教師ね。」
美里は立ち止まり、眉を上げた。
「何か言いたそうね。」
「い、いえ、別に、全然。美里先生。」
「皆ミサトって呼び捨てよ。まあ、英語なんだから当然だけどね。」
1ヶ月ぶりに会った美里と真嗣は、ユーストンから徒歩でオックスフォードストリート方面に南下していた。
「お腹すいたわー。シンちゃん何かおごって。」
「もう夕方ですよ。こんな時間になるまで何にも食べてなかったんですか。」
非難めいた目を向ける真嗣。
「だってシンちゃんと一緒に食事がしたかったんだもん。」
「は、はあ…でもこの辺のレストランとか、いや、そもそもロンドンのおいしいレストランとか、僕さっぱり分からないんですけど。」
「シンちゃん、女の子デートに誘ってそれは無いでしょう?」
「「誘い」ましたっけ? …うっ」
美里は立ち塞がり、猫のような目と口で真嗣をじーっと見つめ、明らかにからかいの口調でわめき出した。
「やだ! 何でも良いからおごって! おごってくれなきゃあばれーるー」
「わ、分かりました、分かりました、じゃあさっそく夕食にしましょう!」
「ぐふ。シンちゃん大好きー。」
人目も気にせず、真嗣に抱き付く美里。
「はいはい、分かりましたから。 …でも、この辺レストランなんか無いですよ。」
彼等が歩いている道は、大英博物館やロンドン大学がすぐそばにあるのだが、雰囲気はむしろオフィス街のそれであった。
少し普通に戻った美里は手を顎に当ててしばらく考え込んだ。
「確か、向こうのトテナム・コート・ロードの方は食べる所あるんじゃないの。」
「…そうですか。じゃあ、こっちを渡りましょうか。」
それから数十分、道を歩き続けた(そして美里のグラスゴーのフラットの愚痴を聞かされ続けた)真嗣は、ふと立ち止まった。
どこをどう迷い込んだか、彼等はほとんど裏道といって良いような通り−時折Telecom
Towerのつくしが見える−をさ迷っていたが、あるオフィスビルの1階がイタリアンレストランになっていた。"VILLA
CARLOTTA"という名前らしい。
「で、困った事にそのアマンダって子がまた良く出来るのよ。」
「美里さん。」
「ん?」
真嗣は自分の横に手を広げて微笑んだ。
「ありましたよ、レストラン。」
美里は思わず苦笑した。
「し、シンちゃん、多分ここ結構すると思うわよ。」
「良いですって、毎日来る訳じゃないんですから。」
「駄目よ! や、ごめん、さっきのは冗談。シシケバブのスタンド辺りを指したつもりだったの。こんなまともな「レストラン」の事を言ってた訳じゃないからさ。ね、シンちゃんこんな所で食事したら破産しちゃうでしょ。」
「良いじゃないですか、破産したって。」真嗣は静かに言った。
「折角久しぶりに会えたんだから、楽しみましょうよ。」
美里は一瞬言葉を失い、真嗣の顔を見た。
「うん、でも、充分楽しいからさ、真嗣君さえ居れば、ね、」
「大丈夫ですって、美里さんイタリアン好きなんでしょう?」
真嗣は美里を引っ張った。
「…はいはい、降参。分かったわ。」
美里はレストランに引きずられていった。
さんざん遠慮した割に充分食べてるじゃないですか。
と真嗣は思いつつも、その一言を言葉にする勇気が湧かなかった。いつもの事だ。
美里はかなり量のあるパスタを余りその場にそぐわない勢いの良さでがっつきながら、真嗣に聞いた。
「ねえシンちゃん。」
「はい。」
「…本当に良いの、こんなとこ。」既に入った時点で美里は自分が払う事を内心決めていたのだが、それにしても堅実な真嗣にしては思い切った場所に入るので意外に思ったらしい。
「大丈夫ですって。」真嗣は笑いながら答える。
「…何か、今日シンちゃんいつもと違う。」
「美里さんも。」
「違う?」
「ええ。」
2人は同時に飲み物−1人はワイン、1人はコーラ−に手を付け、同時にグラスを置いた。
「浮かれてるのかな。久々に会えたから。」
「…そう、ですよね。」美里は真嗣の静かな様子にやや目を上げたが、やがて「んん。」と軽く返事をした。
真嗣は呟いた。
「本当に、会いたかったです。本当言うと、今日…まだ1時間も経ってませんけど、ベタベタしているだけでも、何か本当に嬉しくて。」
美里は顔を上げて微笑み、何を言おうか考えながらゆっくりと話し出した。
「さっき、冗談で「おごって」て言ってたのはさ。うん…何て言うか、今日は私にとって、1ヶ月間頑張った自分への御褒美の日っていう感覚が頭の中であってね。月に一度だけ、こうやって真嗣君に会いに来てさ。それで、何でもない話とかして。シンちゃんの顔見て、同じ息吸って。…そういう、御褒美の日だから。…真嗣君。私も、会いたかった。」
真嗣は少女のようにはにかむ美里の顔を少しぼうっと眺めていたが、「吸う」という言葉で何か思い出したようだった。
「美里さん、最近禁煙してますか。」
「どうしてそういうムード壊すような事言うのお。」美里は再び、目の前の皿の攻略に乗り出した。
「…やっぱり駄目だったんですね。」
「やっぱりとは何よ、やっぱりとは。こちとら禁煙挫折歴15…コホン、10年強だって言うのよ。シンちゃんは喫煙者の苦しみなんか、分からないんだわ。」
「い、今、15って言いませんでした…」
「じゅ!…」立ち上がらんばかりに声を上げた美里の前に、陽気そうなイタリア人のボーイがやって来た。
"Sorry." 軽く上に上がるアクセントで微笑み、美里のSecondiの皿を置いて行った。
真嗣と美里はしばらく互いを見詰め合い、笑い合った。
真嗣は自分のパスタを切り刻みながら、呟いた。
「…美里さん。愛してます。」
「…どうしたの、真嗣君、今日やっぱり変よ。」
真嗣は美里の声に鼻息を漏らし、自嘲気味に頷いた。
「でしょうね。自分でもそうだと思います。」真嗣は美里の顔を見た。
こんな大人の綺麗な女性が、自分を好いてくれているというのは、普段意識しないが、考えてみれば奇蹟的な事であった。真嗣はふと、美里に最初に会った日の事を思い出した。キップの良いお姉さんが、−と呼ぶには少し年が行き過ぎているようにも思えるが−目の前に歩み出て来た。何だか自信に満ち溢れた態度で、正直真嗣は「恐い」と思った。
こんな可愛い人だとは、思ってなかったな。
「しーんーちゃん。」
美里は真嗣の目の前で手を振った。
「あ、す、すいません。ぼーっとしちゃって。」
話題が無くなったのか、それからしばらく、2人はお互いに黙ったまま食事を続けた。
美里はふと思い出したかのように聞いた。
「……真由美ちゃんとは、仲良くやってる?」
真嗣は答えずに、ナイフで大きな四辺形のパスタを切った。
「…エリカとは、連絡とってますか?」
美里は答えずに、まだ残っていたサラダをフォークで刺した。
「…」「…」
「真由美ちゃんは、真嗣君の事を好きだし、私の事もちゃんと考えてくれた上で怒ったのよ。それだって、もう4ヶ月…3ヶ月か、3ヶ月も前の事じゃない。真由美ちゃんの言った事は間違ってないのよ、真嗣君。毎日学校で会うんでしょう?
御近所なんだし、もう仲直りしないと。」
「彼女は、僕の事避けてますから。何か言おうとしても、すぐ逃げて行っちゃうし。…美里さんの方こそ、エリカは親友なんでしょう?
それは確かに最後の態度は少し厳しかったけど、彼女は凄く理性的だし、今からでも手紙なり電話なりすればちゃんと答えてくれますよ。」
「彼女は結局、外人だから、ん…日本人とはそういった、感性が違うのよ。」
「美里さん、本心じゃない事言ってますね。…目で分かります。」
美里は溜め息をついた。
「そういう真嗣君はどうなのよ。相手は日本語が通じる上に、毎日会ってるんでしょう。…私のせいで、真嗣君を歪めたくないって、前にも言ったじゃない。」
「…食べます?」
小食な真嗣はもう好い加減同じ味のパスタにうんざりしてきたので、自分の食べていたパスタの皿を美里の側へ動かした。
「ん、サンキュ。」美里はそれを当然のように受け取った。
「別に…もう、良いでしょう、どうだって。」
美里は真嗣の声に手を止めた。
「…良い訳無いでしょ。」
美里は優しく言った。
「何度でも言うわ。彼女も真嗣君の事が好きなのよ。友達としてじゃなく、男の子として、ね。」
「…そんな事は無いですよ。」
真嗣は顔を背けた。
「本当よ、本人から聞いたもの。」
「う、嘘でしょう。」
「本当よ。」
真嗣は美里の顔を見た。
「ん、まあ、自分のデートの時にこんな事話すのもなんなんだけどさ。真由美ちゃんと喧嘩別れしたままっていうのは私も悲しいな。ねえ、じゃ約束しましょ。私はあの時の事ちゃんとエリカに謝る。だから真嗣君は、真由美ちゃんと仲直りして、後、私が「御免なさい」って言ってたって彼女に伝えて。」
真嗣は溜め息をついた。
「…もう、今更、そんな事したって、しょうがないじゃないですか。」
美里は苛立って来た。
「真嗣君!」
「もう、今更…だって…遅いですよ、そんなの…もう、どうでも良いじゃないですか…」
美里は真嗣の様子がいつもと違う理由が、久しぶりに会ったからというだけではない事にようやく気付いた。
「真嗣君、どうしたの。何?」
「…美里さん、僕、色々と、楽しかったです、本当に。」
「真嗣君?」
「…帰るんです、僕、日本に。」
真嗣は呟いた。
「え?」
美里は自分の首が震えるのがはっきり分かって、自分で少しおかしかった。
「じょ、冗談よね? や、やだなあ真嗣君、もう、そうやって又私の反応見て楽しんでるんでしょう!
大人をからかうのも好い加減にしてよねー、ほんっとに。ね、もう、分かったわ。降参降参。真嗣君いつからそんなに演技がうまくなったのー?
もう、ほんとに、や…」
真嗣は答えずに、もう気の抜けているコーラをゆっくりと飲んでいた。
「や…」美里は呟いて、首を横に振った。
「…1ヶ月前から、急にそういう話が出て。「帰るかもしれない」って。…茨城の工場の方で新しいプロジェクトが立ち上がったとか言って。詳しい事は知らないですけど、それで、」
「…いや…」
「僕も僕だけでもこっちに残れないかって言ったんですけど、それこそ理由が無いし、父さんも母さんも怒るという以前に相手にもしてくれなくて、」
「…いや…」
「日本語学校ですからね。例えば立教辺りなら、こっちに残るのも一つの選択だけど、公立の中学校でこっちにいる意味はないって、まあ確かにそれはその通りだし、」
「…いや…」
「22日にこっちを発って、日本に帰ります。でも、美里さん、僕は」
「嫌! そんなの嫌! 何でいつも、いつも失くなるの? もう失くしたくない!
もう嫌なのよ! 真嗣君までいなくなったら、私……………どうして…手を離すの…」
真嗣は美里の右手を自分の両手で挟んだ。
「大丈夫ですよ、美里さん、僕はここにいますから。…日本に行ったら、すぐに手紙を出します。僕は浮気なんてしませんから。美里さんの方こそ、」
「…嫌、そんなの、嫌なの…」
「…」
「…嫌…嫌……嫌…」
真嗣はハンカチを差し出した。美里は無言でそれを受け取った。
向こうの席のイギリス人老夫婦がこちらを見て話している。
美里はまだ涙を拭い、鼻をすすっていた。
「…僕も結構泣きましたけど…それでどうなる訳じゃないですから…」
美里は静かになり、ハンカチを置いて、自分の右手を真嗣の手の上に置いた。
「指輪でも買っておけば良かったですね。」
美里は赤くなった目をしばたかせながら頷いた。
彼女はそのまま自分と真嗣の手の上におでこをつけて、動こうとしなかった。
2人は近くにあるヴァージン・メガ・ストアのフロアを歩いていた。
美里はまだ赤い目をしばたかせながら微笑んだ。
「何か、欲しい物、ある?」
レストランでは結局真嗣は強引に押し切り、本当におごってしまった。美里はあるいはそれで少し引け目のような物を感じているのかもしれなかった。
「うーん…何か、聞いて欲しい物は、ありますか。勉強します。」
美里はようやく少し元気になったようだった。
「そうね。お勧めはね…アンダーワールド、スクエアプッシャー、ダフトパンク、プロディジー…」指を上げて数え出す美里。
「…何か、全部名前は聞いた事あります。Top of the Popsとかで。」
「CD持ってくれば良かったわね。」
美里は鼻を一すすりして、微笑んだ。
「変なおばさんよね、私って。」
「でも、凄く、綺麗です。」
「ありがと。」
美里の笑顔に真嗣は目を開いたまましばらく止まっていたが、わざとらしくショルダーバッグからごそごそと何か取り出した。
「あ、そ、そうだ、あの、美里さんから見たらアイドルなんて趣味悪いって思うかもしれないけど、1回聞いて見てください、これ。そんなに悪く、ないですよ。」
真嗣は内田有紀のCDを美里に手渡した。
「ちょ! こういうのはCD屋の中で受け渡しするもんじゃないでしょうが。」
「あ、す、すいません…」
「…まあ、日本の音楽なんか、ここに置いてある訳無いから疑われる事も無いか。」
「Japanese Discっていうコーナーがあるから何かと思ったら、洋楽の日本盤なんですもんね。」真嗣は笑った。
「ボーナス・トラックとかの曲で日本盤でしか聴けない奴があるから、マニアが買うんでしょ。」
「でも日本の音楽を聴きたい、っていうイギリスの人は、いないんですね。」
「うーん、まあ、そうね。テクノ関係はそうでもないけど…あれは、言葉が無いからね。」
「へえ…じゃあ、こっちで有名な日本人とかもいるんですか?」
美里は肩を上げた。
「好きな人達の間ではね。」
「じゃあ、結構凄いじゃないですか。…ここにあるかもしれませんよ。」
「あんまり無いと思う。そういうのは、専門店に行かないと。で又専門店も小さいから、結局どこ行っても無いのよ!」
「じゃあ、人気無いんじゃないですか。」
「ううん、日本人に限らず、どのアーティストもそんななの。チャートに入るようなメジャー物は別よ。でもそれ以外は、ほんとに駄目ね。」
首を振る美里を真嗣は面白そうに見上げた。
「はあ…」
「真嗣君は良いわ、日本のCD屋は、こっちよりよっぽど使えるから。向こうでも勉強して。」
「…はい。」
「これ、ありがとうね。」
美里は内田有紀のCDを自分のバッグに入れた。
「真嗣君が…恋しい時は、これを聞く事にするわね。」
「…はい。」
美里はいつも、何か恥かしい事を言った後は声のトーンが1つ上がるのだった。
「私、別にテクノしか聞かない訳じゃないのよ。」
「はい。」
「そうねえ…じゃ、ビョークでも買おうか。」
「あ、それも聞いた事あります、名前は。」
美里はニコッと笑った。
「よろしい。」
美里は真嗣の手を引いて歩き出した。
美里は真嗣が歩きにくい位に彼の腕を組んでぴったりとくっついていた。
2人は冬のオックスフォード・ストリートを歩いていた。イギリス人達は一般にどんな変な格好、変な様子の相手も無視して通り過ぎる。他人に迷惑をかけない限り、自分とどんなに違う価値観の人間も許容、あるいは無視をする…イギリス流の個人主義である。
そして彼等の態度はもちろんこの奇妙な2人に対しても例外ではない。しかしここでは日本人も多いので、結局真嗣は縮こまっていた。
「ねえ、真嗣君。」
「はい。」
「真嗣君は…」
「…」
「ううん、何でもない。」
真嗣はちょっと怒った風に微笑んだ。
「何ですか、美里さん。」
「いや、うん…いつだったか、「真剣に思う気持ちに大人も子供も無い」みたいな話真嗣君がしたわよね。あの時、私、多分結構ショックを受けたと思うのね、良い意味で。あれが…うん…私が真嗣君を好きになった、一つのきっかけかもしれない。」
「…」
「あの時の真嗣君、とっても格好良かった。」
「…どうしたんですか。」
「別に。ふと思っただけ。」
真嗣は照れ隠しに口を開いた。
「…多分、あの時は、何か、美里さんがどこまでも大人で、僕なんか全然相手にしていないように見えたから、それで、単に腹立たしかったと言うだけで…」
「ふうん…今は?」
「今は…美里さんにも弱い所があるって分かったし、それは、今は少し離れちゃいますけど、僕は必ず美里さんの所にまた来ますから、それが、その、何年後になるかは分かりませんけど、」
「真嗣君…」
歩きながら、美里は真嗣をぎゅっと引き寄せた。
「ねえ…真嗣君は、私とエッチな事をしたいと思った事はある?」
「…美里、さん?」
美里は真嗣の前に立って、肩に手を置いた。
「ね、エッチしよう。そうすれば、真嗣君が離れても、私…」
真嗣は呆気に取られたように見ていたが、美里が震えているのだけは何としてでも自分が止めなければならないように思われた。
「………分かりました。」
真嗣は手を上げ、通りをゆっくり流していたタクシーを止めた。
運転手はもう60は越えていそうな、気の良さそうなおじいさんだった。
"Where would you like to go?" 運転手が助手席の窓を開けて聞く。
"Ah..." 真嗣は美里の顔を見た。
"The Connaught, please."
"Hotel of The Connaught? OK."
2人はタクシーに乗り込んだ。
「一度行ってみたかったホテルなの。」
美里は真嗣に説明した。
タクシーは渋滞のオックスフォード・ストリートを早々に抜け出し、マルボロ・ストリートという裏道に入っていた。
「美里さん…」
「何、真嗣君。」
「何で、あんなに驚いたんですか。僕が帰る事。」
「…」
「その…今すぐに言わないでも良いです。でも…」
「…」
「…何でもないです。すいません…」
「…真嗣君…」
「はい。」
「今すぐには、言えないと思う…」
真嗣は頷いた。
「言いたくなった時で、良いんですよ。」
「ごめんね、真嗣君…」
「謝る事じゃないですよ。」
真嗣は肩に乗る美里の頭を撫でた。
ホテルの「デラックスダブル」の部屋は、白い壁とシックな赤系統の椅子、絨毯で、落ち着いた雰囲気だった。
トランクもスーツケースも無く、ただ2つのショルダーバッグだけの客は、あるいはこの、規模は小さいもののかなり高級なホテルには、不似合いなのかもしれなかった。実際ポーターも顔にこそ出さないが戸惑っているようだ。
「ここって、本当に結構良いホテルじゃないですか。」多分に値段を意味して言う真嗣。
「下らない事言わないの。私が払うわ。」
「そうして貰えると助かります。もう破産してますから。」
2人はぎこちなく笑い合った。
「シャワー浴びてくるわ。」
美里は軽く手を上げて、風呂兼トイレ兼洗面室−こんな高級ホテルでもそれは変わらない−に入り、アクセサリーを取り始めた。
まずイヤリングを外す。それからロザリオ。
美里はしばらくそのロザリオを眺めて、それから鏡の向こうの自分を見た。
美里は自分が何をしているのか良く分からなかった。美里はもう一度ロザリオを見つめた。
美里はしばらくそのまま動かなかった。
美里は何かを確認するかのようにもう一度顔を上げて、鏡の自分に近付いた。
美里は鏡の向こうの女性が、何故こうも悲しげなのか最初分からなかった。…悲しげ? 違う。不安なんだ。少なくともこの国では何か失った事がある訳でも無いのに、失くしそうで不安な顔をしてるんだ。
楽しいの、それが?
楽しいの?
興奮する?
気持ち良いの?
面白いの?
快感なの?
嬉しいの?
これはマゾヒズム? 違う、一種のナルシズムね。
美里はふと、明日が自分の30歳の誕生日だった事を思い出した。
私が悲劇のヒロインの気持ちに浸るのは、まあ、勝手だけど、それに真嗣君を巻き込んで良いの? あんたにとって真嗣君はおもちゃなの?
美里は自分の唇に指を触れた。
ブルジョワ…唯さんから貰った口紅…
…まだ、真嗣君、子供だったんだ…何で忘れてたんだろ…まだ、中学生じゃない…私、何て事を……一応中学校の講師なのに…
美里は呆然と洗面台に両手を置きながら、肩で息をしていた。
美里は顔を上げた。
私、何て事をしようとしていたの。
私に真嗣君を好きになる資格があるの?
真嗣は美里がシャワーを浴びた様子が全く無い事にやや驚いた顔を見せた。
「真嗣君、御免なさい、私、」
「じゃあ、今日は止めましょうか。」
「…うん…」
真嗣は微笑んだ。
「良いですよ、気にしないで。僕は美里さんといられれば、それだけで良いですから。」
「…どうして…」
「え?」
「どうしてそう優しいの。…どうしてそう優しいのよ! …どう…」
真嗣は美里を抱きしめた。
「大丈夫ですよ。」
「ううん、良くない。これじゃ駄目なの。これじゃ駄目!」
美里は真嗣を振りほどいた。
「御免なさい、真嗣君。今まで、とっても楽しかった。」
「美里さん?」
「あの…愛していたの、それは、本当の気持ち、今でも、そう。…でも、やっぱり駄目なの!
真嗣君が日本に帰るのだって、それを分からせる為に神様が決めた事なんだわ。」
「美里さん!」真嗣は恐らく生まれて以来最も大きな声で叫んだ。
「御免なさい。…さよなら。」
美里は荷物をまとめて、封筒−多分お金が入っているのだろう−だけ残して出て行った。
真嗣は口では大きな事を言っていたが、結局自分が何も出来なかった事に何よりショックを受けていた。今の美里に口で何を言っても聞いてくれそうに無いし、全く情けない事に、力は向こうの方が圧倒的に上なのだ。真嗣は首を振りながら、無意味にぐるぐると室内を歩き回った。
「じゃ、どうすれば良いって言うんだよ…」
真嗣はようやくそれだけ口にした。
ばっちり化粧も終えた唯は、コンパクトを畳んだ。
「結局この家は、真嗣が9歳の時からだから…もう5年?
随分速いものですね、あなた。」
「ああ。」
「デュセッルから数えたら10年ですわね…日本は変わったかしら。」
「そうだな。」
唯は源道のいつも通りの返事に機嫌を損ねる事もなく、廊下に顔を出して2階の方へ声を上げた。
「真嗣! 置いてくわよ、速く降りてらっしゃい。…ほら、あなたも煙草を吸いだしたりしないで、もう本当に出ないと、間に合いませんよ。どうしてこう、うちの男達はのろのろのろのろと…」
最後の手荷物をボストンバッグに詰め込んだ真嗣が部屋から顔を出した。
「準備出来たよ、母さん。」
12月22日だった。
美里は今日は起きたい気分では無かったが、充分寝ていた以上当然今日も起きてしまった。
カップボードの上には、生徒達がつたない字で綴った日本語の作文がファイルされている。
グラスゴーの朝は暖房が入ってはいるものの、底冷えした。
美里はリモコンをとり、何度も聞いたCDの再生ボタンをまた押した。
真嗣はいかなる時でも威厳というか、不機嫌そうな顔を崩さない我が父が不思議だった。それも今みたいに、運転席に鼻歌を歌う唯が座り、源道が助手席で、真嗣が後ろのシートという妙な状態であっても父は腕組みをして、口をへの字に曲げ続けているのだった。真嗣は何回か、かなり酔狂な気分の時に、思い切って「父さんの何処が良いの?」と唯に聞いた事があったが、そのたびに数時間に渡って「お父さんの可愛らしさ」や「お父さんの男らしさ」について講義を受ける事になるので、今では絶対にその疑問だけは口にしないように心がけていた。
彼等の乗る車内では、いつものようにXTCのテープががんがんに流れていた。
実はウィンザーからヒースローは非常に近い。というか、ヒースローはウィンザーとロンドンの中間地点に位置するのだ。真嗣の家から、10数キロで空港なのである。それに比べると、同じロンドンの空港でも、現在彼等が向かっているガトウィックは別方向になり、50キロ近くの距離になってしまう。しかし時速50キロで走れば一時間で50キロ進む事が出来るこの国では、それ位は実感としてそれ程遠い距離ではないかもしれなかった。そして高速道路では、唯は愛車を軽く時速100キロで飛ばしていた。
M4、M25、M23と順調に飛ばして来たメタリックブルーの91年式プジョー405(これも唯の趣味だ)はフォルテホテルの入り口を横目に、空港へのインターに入った。
泣きたくなる、泣きたくなる…
直球過ぎるわよね、という感想を抱きつつ、美里はその痛々しいボーカルの曲のみをリピートの指定にして、いつものようにテレビを消音でつけた。
しかし美里は、数秒でテレビを消した。
美里は少し、散歩しようと思った。
運送業者の為の紙をサンバイザーに挟み、プジョーから降りた唯は愛車の天井を叩いた。
「いよいよこの国ともお別れね。」
「ああ、そうだな…真嗣、荷物だ。」トランクから真嗣のボストンバッグを取り出し、手渡す源道。
「あ…うん。」
「唯。」
「あ、ありがと。」
「問題無い。」源道はそそくさとトランクを閉め、駐車場から出発のターミナルへと歩き出した。
唯は曇った空を見上げる真嗣を微笑みながら見ていた。
美里は今日も曇りの空を見上げた。
イギリス人の同僚の話では、ウィンザーがイギリスを代表する高級な街であるとするならグラスゴーはイギリスを代表する柄の悪い落ちぶれた地方都市であるらしかった。
実際ここは小田原と比べれば寒いし、貧しいし、汚い街だ。街を代表する大きな工場群は、全て窓の割れた廃虚である。
しかし美里は、グラスゴーが取りたてて他のイギリスの街に比べて悪い所だとは感じなかった。少なくとも子供たちは素直だし、同僚達も皆良い人達だ。自分の勝手な行動にも嫌な顔一つせずに理解を示してくれた。
美里は白い息を吐きながら、コートの襟を立てて歩いた。
"Virgin Atlantic, flight number VS900, will soon depart. All the passengers
are required to be on board. Virgin..."
唯と真嗣はお互いを見て、立ち上がった。出発ロビーの他の客達もそろそろ動き出し、入り口の前に列らしき物を作り始めている。入り口にはイギリス人と日本人のスチュワーデスが数分前から立っているが、まだ入り口は開いてはいないようだ。
「さあ、あなた、そろそろ行くわよ。」
「…ああ。」
そう言いながらも、源道はわざわざ空港にまで持ってきていた新聞をまだ畳む気配はなかった。
美里はWoolworthで買い物をしていた。シリアルに、マイクロウェーブに、安いモルトウイスキー。全国チェーンの店のブランドで味が異なるとも思えないのだが、こちらのウイスキーはイングランドで飲むより格段にうまいのだ。本当は美里はこれを買う為だけにここに来たのだが、女として最後のプライドがあるらしくそれ以外の食料品も言い訳程度に買い込んでいた。
「…当地における23日の天気予報は晴れ、予想最高気温は10度。降水確率は0パーセントとなっております。」
2列がけのシートでは、当然真嗣は1人押し出され、親の後ろの席にやって来た。そこには、既にイギリス人のビジネスマンが座っていた。
"Excuse me." 真嗣の声に軽く微笑むビジネスマンの横で、真嗣はディスクマンのみ入った小さなバッグを両手で大事そうに抱えながら通路側の席に座り、"Play"のボタンを押した。
美里は家に戻り、またCDの同じ曲をかけながらウイスキーをストレートで飲んでいた。
やはりする事の無い美里は、結局またテレビをつけた。この時間はニュースをやっているらしい。
音を消しているのでよく分からないが、やがてニュースで派手な日本のクリスマスの様子がリポートされていた。
美里はずっと唇をかみ続けていたが、画面の映像に少し微笑んだ。
State of emergency, how beautiful to be. State of emergency, is where
I want to be...
機内は「夜」とされる時間帯になったらしく、照明は落とされ、いくつかの座席の読書灯と床の非常灯のみが光を放っていた。
真嗣はまだ眠る気分ではなく、CDの同じ曲を何度もリプレイしていた。
美里は自分の酒に強い体質がたまに恨めしい事があったが、今日は間違いなくそんな日だった。さっき買って来たウイスキーをもうストレートで空けてしまった美里は、ふと窓に駆け寄り、どんよりと曇った空を見上げた。
美里はようやく、今日が律子が死んだ日であった事を思い出した。薄情な物で、美里はこんな夕方になるまでずっと彼の事しか考えていなかったので律子の事を忘れていたのだ。
美里は向こうの化粧台に、ブルジョワの口紅とともに置いてあるロザリオを眺めた。
律子の復讐…
下らない発想に美里は自分で笑った。そんな訳無いじゃない。私が勝手に騒いで、勝手に終わらせただけじゃない。
これで良かったのよ。
そう。
もう全部、これでおしまい…
真嗣は飛行機のドアから、じゃばら状に移動する廊下の上に足を踏み出した。
真嗣は何となく、潮っぽいじっとりとした妙な匂いが辺りを包んでいるような感じがして、やがてこれが日本の匂いなのだと気付いた。
真嗣は日本に到着した。
美里は目を覚まして、顔をしかめた。
どうやら飲んだまま眠ってしまったらしい。美里は時計を確認する…朝の7時だ。
美里はそれから数時間、最後の荷支度をしていた。
美里は家を出た。
もうこの家に戻る事もない。
グラスゴーという街は確かに裏ぶれた田舎かもしれないし、美里がここにいた期間は数ヶ月でしかないけれど、こうやっていざ離れるとなるとやはり寂しい物だった。
「…バイバイ。」
美里は自分のフラットに手を振って、近くの地下鉄の駅に向かって歩き出した。
美里はグラスゴーのセントラル・ステーションからロンドン行きのインター・シティに乗り込んでいた。
列車の車窓は美しい山々−イングランドでは絶対に見られないような−を映し出していたが、美里はそれには構わず難しい顔で各種チケットの確認をしていた。
ゴー、と例の結構うるさいエンジン音を上げながら、インター・シティは牧草地帯を突っ切っていた。
美里が暇つぶしの為に買ったDaily Mailのクロスワードを辞書を駆使しながら解き終える頃、既に時計は5時を示し、美里の乗る列車はもうロンドンのベッドタウンの住宅街に入りつつあった。
美里は「新聞にはこういう使い方もあるのね。」と少し納得しながら辞書などを仕舞いだした。
美里はユーストン駅に降り立った。
美里はユーストンから歩いて数分とかからないブルームスバリーのB&Bに今日は既に予約を入れていたが、どうせ荷物も殆ど無いのだからしばらく街をぶらぶらしようと考えた。
美里はイギリス最後の夜、今まで「忙しい」という理由で行かなかったような店を全部見て回ろうかと考えたが、クリスマスイブの前日に当たる今日は、イギリス人達は家で静かに過ごす事を決めているようで、かなりの店は既に閉まってしまっているようだった。既に夕方の6時になっていたという事もある。
「詰まらないの。」
通りを歩きながら、美里は口を尖らせた。
美里はイギリスに8ヶ月近くも住んでいながら、実はハロッズにも大英博物館にも行った事が無いという変な日本人だった。この時間では既に中には当然入れないのだが、美里は建物だけでも見て回ろうと考えた。何しろこれからは、ふと見たくなっても簡単に見る訳にはいかなくなる。
レストランなど一部の店を除き殆どの店は既に閉まった。逆にクラブ関係が開くにはまだやや早い。美里は何をするでもなく、クリスマスの近付いた夜のロンドンをただぶらぶらと歩いていた。
人通りはそこそこで、また非常に寒くもあるのだが、クリスマスの街の電飾はとても華やかだった。
あるいは東京などに比べて電飾以外の明かりがかなり少ない、つまり街が眠るのが早いという事も、電飾のきらびやかさを強調しているのかもしれないと美里は少し思った。
美里は少なくとも、「イブだから」男といたい、24日の夜はどこぞのホテルで男と…といった考え方は自分は持っているつもりはなかったし、それどころかそういった画一的な感覚が大嫌いだった。
キリストは自分の誕生日にそんな事をして欲しいなんて、望んだのかしら…と考えるのは、自分がいつも十字架をぶら下げていて、まるで自分がクリスチャンであるかのような錯覚が生まれ出していたからかもしれない。そもそも信者でもないのに十字架をぶら下げているのも、本当はおかしい事ではあるのだが。
ただ、単純に、とてもきれいでロマンチックな景色は、好きな人と共有したいものだ、という気持ちは美里も理解が出来た。
美里は気付くとウォータールーの橋の上にいた。ここでのテムズは充分大きな川で、橋から水面までも数十メートルはある。そしてここから眺めるロンドンの夜景は、腹が立つ程に美しかった。
恐らく日本人がロンドンの景色と言われて10人が10人とも思い浮かべるであろうビッグベンと国会議事堂が遥か向こう岸にライトアップされている。
もう夜の11時だった。11足す8は…19。向こうは朝の7時だ。
美里がふと気付くと、自分はナショナル・シアター近くの電話ボックスでボタンを押しているのだった。
010-81-80-32…
そうだ、これは手紙に書いてあった真嗣君の携帯の番号だ。一度読んでそのまま捨てたはずなのに、何故覚えていたんだろう?
美里は頷いた。
そうだ、私は真嗣君を失くしちゃいけない。彼を失いはしない。不幸にもさせない。私が人の不幸が好きな変態女なんかじゃない事、証明してやる。
私には真嗣君が必要だ。
美里は唾を飲み込み、呼び出し音に目を閉じた。
1分間が過ぎた。
美里は受話器を置いた。
美里は笑いが止まらなかった。一体自分は何をしているんだろう。
そんな、自分から振っておいて今更、何をやっているのよ。全く…
良かった。真嗣君が電話に出ないで。そうしたら又勘違いする所だったわ。
…真由美ちゃんには、悪い事をしちゃったけど、真嗣君も真由美ちゃんも、まだ若いから、これから幾らでも恋愛は出来るわよね。
だから…何も…問題は……
やだ、何で…涙が…出て来るのよ…バッカじゃないの…一体あんた、どうしたいのよ…どうしたいわけ、結局……何、中学生相手に、本気に、なってんのよ…おかしいんじゃないの……もう…ほとほと、愛想が、尽きるわよ……本当に………
美里はコンクリートの花壇のような場所に腰掛けて、声を上げて泣いていた。
風の吹く摂氏3度の夜だった。
美里は自分の感情を時間が解決してくれる事を充分知っていた。
そしてそれをやはり恐れているのは、どこかでまだ終わっていないと信じたいからであると思われた。
美里はくしゃみをした。半分風邪をひいてしまっているらしい。それはそうだ、昨晩あんなに遅くまでただぶらぶらと寒い街を歩いて、風邪をひかない訳がない。
美里はヒースロー空港内の出発ロビーに立った。
美里は日本に帰る便の名前をチェックし出した。
9ヶ月は、過ぎてしまえば短いが、色々な経験が凝縮されていて、9ヶ月前、初めてイギリスに来た時の事は遠い昔の事のように思われた。
あの頃は、私もそれこそ真嗣君並みにあがってたわよね。
美里は微笑んだ。
だって全部英語なんだもんねえ。初めてバージス校長と会って、で、そのまま授業に出ろって言われて。最初だから、クリスティか。まあすぐにサムのクラスに変わったんだけど…
…で、もう内心半泣きの状態だったところで、摩耶ちゃんに声かけられて。あの時位「助かった」と思った事は無かったわ。
それで、何事も無く順調に勉強が進んではいたんだけど、そのうち段々ダレて来てたりもしたのよね。それで、夏になって、
…止め止め。
美里は頭を振りながら、キャセイパシフィックのカウンターでチケットとパスポートを見せ、さげていたショルダーバッグをベルトコンベヤー入り口に乗せた。
"Only this one?" 香港人の受付の女性が微笑む。
"Yes." 皆に手紙書こう。摩耶ちゃんにも、ジェニファーにも、ジャンニにも、オッキにも、ベンにも、クラウディアにも…エリカにも。
"OK. Have a good flight."
"Thank you."
美里は微笑んだ。
出発までは相当余裕があった。グラスゴーを早めに出なければならなかったので泊りにしたが、飛行機が発つのは夕方の6時。手続きを考えても、まだ数時間はある。
美里は自分は結局逃げ回っているだけなのかと少し思った。
ううん。結局私はこっちで、観光気分で遊んでいただけだから。日本から逃げる事を止めただけだから。
別に、真嗣君の国から逃げる訳じゃ…
何で…
何でそうなるの…
何でその名前を出すのよ…
真嗣君…
"Hi."
「あ、あの…ジャパニーズ?」
「……そ。私はジェニファーのクラスの美里っていうわ。はじめまして。あなた達の名前は?」
「あの、僕、前から言おうと思ってたんですけど、その、美里さんが、えっと、好き、なんです。」
「…でも、好きなの…」
「…ねえ、そういう事は…気になんないの。」
私は彼が死ぬ数週間前に聞いた事があった。
「そうだなあ。」アイツは伸びをした。
「まあ、最初は気になったかもな。やっぱりりっちゃんに悪いっていう感覚は、どっかにあったさ。でもな葛城。結局は、自分のその時の気持ちに正直になる事が一番真摯な態度なんだと思うぞ。その時々の自分の判断に自信を持つ事さ。」
「…そうか。」
「うん、まあ、俺は、御婦人方の要求には逆らえないだけさ…」
「何その言い方。あんたもしかして、「また」どっかの女のケツ追い回してるんじゃないでしょうねえ!」
「それは君の感知する所では無いだろう?」
「な、ぬ、な、な、な、何ですってぇ!!」
「僕は、美里さんは過ちも犯すし、完璧な人ではないと思います。」
真嗣君は私の視線に縮こまったようだった。
「す、す、すいません、失礼な事言って。でも、続きがあるんです。」
「続きを聞きましょ。」
「はい。…で、確かに時には間違いを起こす事もあるでしょうけど。でも、うーん、いつも、その、自分が本当にやりたい事、やるべき事を見る事が出来たら…自分に嘘をつかない、って言うんですかね、そうすれば、多分、報われるんじゃないかと思うんです。」
「ふーん…」
「そんな事、ない、ですか。」
「良く分からないな。」
「そう、ですか。…その、つまり…美里さんは自分のやりたいようにやっていいって事です。」
「そういう事なの?」
「うーんと、多分。」
「ふーん…」
私はそれを否定した。
「御免なさい。…さよなら。」
そして…
律子の復讐?…
そして。
私は受話器を置いた。
そして私は待合室のシートに座りながら、またポケットティッシュで涙を拭っていた。
何だろう。これだけ涙腺が弱くなったのは、年のせいかしらね…
真嗣君…
美里はふとロビーの向こうに真嗣を見付けた。
美里はとうとう自分が幻覚まで見るようになった事が、ショックというよりは滑稽でおかしくなった。あ、面白い。向こうもこっちを向いて驚いた表情してる。
美里は自分が夢を見ているのか、気が狂ったか、どこかで死んでしまったのか、何だかさっぱり分からなかったが、幻覚でも何でも良いから真嗣にもう少し近付きたかった。いや、そんな事はたやすいはずだ。だって幻覚や夢なら、全部私の思い通りのままになるはずでしょ?
結局アイツや真嗣の言う通りだった。私が悪いんじゃない。…いや、私の悪い所ももちろんたくさんあるんだけど、私はそれを気にし過ぎてた。私は、その時々の自分の好きな人をもっと真剣に大事にすべきだった。それは、別に相手に過保護になれっていう意味じゃない。ただ、相手を一人の対等なパートナーとして、尊重し、愛するべきだった。
…現実の世界でも、もっと早くにそれに気付けば良かった…
美里は自分の目の前に真嗣が息せき切って駆け寄って来るのを見て微笑んだ。
そう。私の思った通りの真嗣君だ。服はあの青いトレーナーに、靴は、そう。これこれ。白のスニーカー。ぜえぜえ言ってる。それはそうよ。私の真嗣君は、言う事だけは大きいくせに、体力全然無いんだから。
「美里さん…ですよね?」
美里は少し、吹き出しながら答えた。
「そりゃそうでしょ。」
真嗣は美里に抱き付いた。
「美里さん! 結婚して下さい!」
結婚…か。良いわね、現実じゃ物理的に無理だもんね。ふふ…でも、私料理なんか出来ないもんな…
「あ、あの、僕、料理とか、結構自信あるんで、」
へえ…真嗣君が作るんだ。それなら問題無いわね。で、どこに住むの?
「あの、昨日、僕、と父さんと母さんで、一旦成田まで帰ったんですけど、いや、赤羽の自宅まで帰ったんですけど、着いて、あの、着く前から、ずっと美里さんの事考えてて、」
そういうのは良いから…住む場所は?
「それで、その、やっぱり、僕は絶対に美里さんと一緒になりたいって、あ、あの、すいません、勝手に決めちゃって、でも、その、この前の美里さんは目が嘘をついてるって思ったんで、」
美里は眉を潜めた。
「それで、その、あの、父さんは怒って、僕の事を2発思いっきり殴って、でもそれだけで、後は勝手にしろって言って、あ、でも、母さんの方が一言だけ「後でじっくり話し合いましょう」って笑ってて、そっちの方が、何か、恐かったかな、」
え?
「それで、その…とにかく、何としてでも美里さんに会いたくて、たまたま全日空のキャンセルのシートがとれたんでそれに乗って、時差ボケなのに朝6時から家出てまた成田まで行って、大変だったんですけど、」
嘘。
「ほら、それに…有紀ちゃんのアルバムまだ、返してもらってないし。…そ、それで、とにかくここに今ついて、これからグラスゴーまでコーチで行こうかと思ってたんですけど、たまたま今インフォメーションデスクを探してたら美里さんに似た人を見付けて、」
真嗣は返事の無い美里が心配になった。手を離し、見ると、彼女は自分を見詰めたまま微動だにしていない。
「あ、あの…美里さん?」
美里はしばらくためらっていたが、やがて声を口に出した。
「…嘘、でしょう?」
「…何が、ですか? ……あ、結婚は、本気です。それは、冗談なんかじゃありません。」
美里は何かを言いたいのだが、どう言うべきなのか分からない、といった風にしばらく口だけを動かした。
「え、…あの…本当に、真嗣君、なの?」
「え、…多分…」間抜けな答えを返す真嗣。
「だって…夢…じゃ…ないの?」
真嗣はゆっくりと、暖かい微笑みを美里に見せた。
「夢じゃ、ないですよ。」
美里はゆっくりと、恐る恐る、真嗣を抱きしめた。
「あったかい。」
「…あの…本当は何かプレゼントの一つも渡すべきなんでしょうけど、なにしろ急だったから、今渡せる物は何にも無いんですけど、」
「1個有るわ。」美里はゆっくりと自分の唇を指差した。
「…あ、」真嗣は頷くと、美里の顔に近付いた。
美里は目を閉じた。
真嗣の震える息がかかってきた。そして、熱い体温と、唇の感触。舌のざらついた、舌触り。
口を離し、美里は目を開いた。
「真嗣君。」
「はい。」
「本当なのね。」
「…はい。」
「夢じゃないのね。」
「ええ。」
美里は胸の十字架に手をやった。
「真嗣君。」
「はい。」
「本当に、こんなおばさんで良いの?」
真嗣は少し笑って、何度も頷いた。
「もちろん。」
「私、料理出来ない。」
「僕が出来ます。」
美里は再び十字架に目を下げた。
「…真嗣君、真嗣君は、クリスマスって、どう思う。」
真嗣は首を傾げた。
「え、さあ…僕はクリスチャンじゃないですから難しい事は分かりませんけど……子供の頃とか、サンタからプレゼントを貰えたから、それでわくわくする気持ちって言うのは未だに残ってると思いますけど。」
「私はずっとクリスマスが嫌いだったの。…8年前から。」
「…」
「でも、その前は私もそういう気持ちがあったと思う。」
「これから良い思い出を作れば良いんですよ。」
「………うん。」
「大丈夫ですよ。」
「…ありがとう。」
「…」
「真嗣君。」
「…はい。」
「メリー・クリスマス。」
「…メリー・クリスマス。」
真嗣は美里に微笑み返した。
「真嗣君。」
「はい。」
「……会いたかった。」
美里は真嗣にきつく抱き付いた。
そして離れようとしなかった。
ヒースロー空港は、例年通りの静かなクリスマスイブを迎えようとしていた。
「あう、うぅ、う、うぅ…終わった、ようやく終わったよう…」(;;)
「ぬあんなのよこれはぁああ!!」
ぐしゃっ。
「ぼぐっ、いきなり暴力に訴えるのは止めて下さいよ! っていうかあんた出てないだろ!!」
「だから天誅を加えてやってるのよ! 良い事、エヴァ小説とは、即ちあたしの小説。もっと言えば、あたしとシンジとのLAS小説のみが、正当なエヴァ小説として世の中に認められているのよ、分かった?」
「お、とうとうカヅさんは諦めたんですか。」
「まあね。結局、年相応の恋愛をしろって事よ。まあ、例えば、例えばの話よ、現実にはそんな事、ずえったいに有り得ないにしても、たーとえーばシンジがファーストとラブラブになるっていう話も、少なくとも年齢が合っているという一点に置いてのみは承認出来る訳。少なくとも、シンジとミサトの組み合わせの話みたいなのに比べればね。」
「うう。」
「しかもこれ、後味悪くない?」
「何でですか? 最後は美里と真嗣がくっついてめでたしめでたし、じゃないですか。」
「けどさあ、結局美里は駄目女のまま何の成長の跡も見られないし、仕事も家も無い状態で「会いたい」とか言ってる場合?
大体真嗣だってこれ、絶対心の不安定な時期の気の迷いに決まってるわよ。この2人で続く訳無いわ。」
「アスカ様って、どうしてそういう核心かつブチ壊しな言い方するんですか。」(^^##
「結局これって要はあ、「ショタコンミサっちゃん奮戦記atクリスマス」じゃない、だらだらだらだら続く。」
「違います! 「チルドレンの留学inキーホルダー風味」です!
だらだらだらだらだらだらだらだら続く。」
「おんなじ事でしょっ!」
「…もう、最後の空港のとこが何回も書き直しでシンドかったー…うまく合う便がなかなか無いんだもん…調べるのにどれだけ時間がかかったか…」
「あんた労力のかけ方間違ってるわよ。(^^;
とにかく、これからはシンジとあんな酔いどれホルスタイン十勝3.5牛乳を合わせる話なんかだけは止めてよね。」
「なーんか言ったかしらん、アスカ。」
「「あ゛」」
「ア・ス・カちゃん。後でお姉さんからゆーーーっくり話があるわあ。でもまずは、」
バキッ、ゴスッ、カキーン
「ぐはあっ、い、いきなり何で攻撃するんですかあ!」
「上の美里とか言う能無し変態女、まーっさか私の事だなんて言わないでしょうねえ。」(^^##
「え、あ、え、いや、あの、違います、全然違いますです、はい。」
「ミーッサト! 話分かるじゃなあい。」
「それはそうよ、だって、私だったらシンちゃんに告らせた時点でそこで錯乱して振るなんてヘマは絶対しないもんっ。」(^^)b
「あ゛?」(--;
「弐号機パイロット、そこから離れて。」
「あ、レイちゃん」
ピシッ
「「「ふぎゃーっ」」」
「あ、ふぁ、ふぁ、ファースト、ATフィールド張る時は事前に言いなさいよね!!」
「弐号機パイロット、そこから離れて。と12文字前に言ったわ。」
「多分にレイタ入ってるわね。」(--;
「弐号機パイロット、それからネギ男、そこにいるのは葛城三佐では無いわ。」
「「え?」」
「何も書いていないネギ男を裏工作で黄色に保ち、佐門さんに中傷メールを送り付け、山一證券を破綻させてバームクーヘンを我が物にするリトアニアの裏大名よっ!!」
しゅるるる、すた。
「(ひそひそ)ヘボ(←作者の事らしい)、ファースト、そろそろ修理が必要なんじゃ無いの?」
「(ひそひそ)最近アスカ様の勢力が強すぎるから壊れたんじゃないですか?」
メキメキメキ。巨大化するミサトロボ。
「「え、えええーっ」」
「クソッ。スグニミヤブラレタカナノデスネー。シンジダッシュケイカクシッパイナノデスネー!」
「な、何なのこの読みにくい奴は!!」
「ワタシハエリーカナノデスネエ。」
「「あんた日本語喋れたんかい!!」」
ふぉっふぉっ。笑うミサトロボから降りてくるエリカ。
「トウゼンデスネ。シンチャンノタメニイッパイベンキョウシタデスネ。ソレハアナタ、トテモクルシカタヨ。デモヴィヴィアンガンバタヨ。」
"Bist du Idiotin?"
「ア、アノ…っていうか本当は日本人だから…」
「「あ゛ー」」
「全然後書きとして収拾つかなくなってるんですけど…」(;;)
「元はと言えば、あんたがオリキャラ出し過ぎるのが悪いんでしょっ!
あたしも出てない癖に!」
「私も出てない…」
「それはしょうがないでしょ! 留学させたら周り外人だらけになって、日本人は少ないんだから。」
「つまりエヴァ小説として、本質的に問題があるってー事よね。」
「そ、そんな。」(;;)
ぴしっ
「オウ、ノー!!」
「隙を見てロボを破壊したわね。」
「みっしょんこんぷりーと。じゃ」
パタパタパタ…
「オウ、マイ、ガー」
「あんた日本人なんでしょ。このニセ外人が…」
「あ、アスカ様とおんなじですね!」(^^)
「あ゛ぁぁぁぁぁ!!!」
ばきっがすっがすがすがす
「きゅーーー」
「(ぬー)何か、フラン研さんって、皆をいじめてますよね。」
「(ギョッ)ヒカリ! どうしたの、又? 別にこれ、出てなかったわよね?」
「(あなたもよ、アスカ…)ちょっと一言言いたくなってね。」(^^;
「言ってやりなさい、このひねくれ系マイナー派閥代表に!」
「いや、あの…皆をいじめるのは、止めて欲しいなって思って。だって、キーホルダーではアスカをいじめて、海辺の生活では私やレイちゃんで、今度はミサトさんでしょう?」
「女にコンプレックスが強過ぎて、Sに走るパターンね。しかもアニパロ小説で。ああもう陰湿の極みだわ、気持ち悪いのよ、ぺっぺっ。」(--#
「…」(既に昏睡状態)
「ま、まあまあ。だから、今度書く小説では、もっと愛を持って書いて欲しいなって。特に、ついに結ばれた事だし、やっぱりこの先の海辺は綾波さんと(ぽっ)…」
「あー、もしもし?」
「(ぽっ。ぼー……ぽっ。イヤイヤ、ぼー、うふうっ、ぽっ、ぼー…)」
「おーい…ちょ、ちょっとヘボ、どうすんのよ、本当に!」
ぱちっ
「あ、あれ、私は誰、ここはとこ?」
「悪いが君には生き返って貰うよ、フラン研君。」
「へ、変態ナルシス同性愛者!」
「妙にPCな言い方しても全く無意味だと思うけどね。」(^^;
「(聞いてない)おい、ヘボ、とにかくこのダラダラSSはあたしとシンジのラブラーブな話に書き換えよ、良いわね?」
「え?(いいや、面倒臭いし…) ええ…」
P.S.
…という夢をアスカは見た。
隣のシンジは、心配そうにアスカの事を見ていた。
「どうしたの? うなされてたよ?」
「あ…シンジ…変な夢見ちゃって…」
「奇妙な夢?」
「そこまで長いもんじゃないわシンジ、でもそれでも、錬金術師最終話の半分位はいってるかなり長い夢だったわ。」
「htmlにする長さじゃないね。」
冷や汗をかくシンジ。
「でも心配ないよマイハニー、僕はいつでも
ドカグシャボカズガガスッ
「ま、まだ書き途中じゃないですかあっ!」
「夢落ち禁止!!」(--##
「ところでフラン研君、僕が君を生き返らせたのには訳があるんだ。」
「え? えーっと、どんな御用件で御座いましょう。」
「簡単な事さ。この小説には、もっとこう、耽美な物が足りないのではないかい。」
「お前もそんなんかい!!」
「…それアスカ様のせりふじゃないと思いま…ぐはあっ」
「どうやら今のエヴァ小説のトレンドはジェンダー論らしいからねえ…年齢コンプレックスなんて下らない保守的観念にとらわれる人物の話よりは、マイノリティの性嗜好に苦悩する背徳の激愛を描いた方が、「自分はセンスが良く、性差別主義者でもない、多様な価値観を許容する寛容な人間だ」と自分の事を思いたいエヴァ小説読者の評価が得られやすいのではないのかい?」
「(アスカ様といいカヲル君といい、何故そこまで悪意のある言い方になる?)はあ…でも…こんだけ書いちゃって今から直すっていうのも…」
「…実は…この前悪い噂を耳にしたんだ。僕の管理する分譲住宅内に最近、めぞんのある電波作家の毒電波を受信する作家が現れて、ダークな小説を発表しているというんだよ。…もちろん僕はそんな噂は信じてはいないけれどね。」
「……え゛?」('';
「ふーん…誰の事かしらね…」(-,-)
「僕もアスカ君も、シンジ君の幸福を祈って止まないという点においては意見が一致するだろうからねえ。…別に君を疑う訳ではないが、もし君が僕の分譲住宅の治安をみだす輩に手を貸すようであれば…ふっふっふっふっふ…僕は良い店も知っているからねえ…何、見た目なんて気にする事はないさ。どんな醜男でもマニアはつく物だよ…」(^_^)
「な、ななな何か違う話になってませんか。」
「(…ここでこいつをとっちめておけば、後めぞんに残る障害は綾波光に佐門位のもんね!
…ちゃーんす。)確かに非正常自己愛同性愛者の言う事にも一理有るわね。」
「誰やそれ。」
「「さあ、どうする?」」
「どうって…いや、その…」
「「さあ!!」」
「うっ……」
がそごそ。
「あ、あのー、カ、カヲル様はこんなのはお好きで…」
「フッ、あんた、使徒を物でつろうだなんて…」
「許す!」
「うおおおおおおおいいいいい!!!!」
「有り難うございます!(ぐっふっふっふ…)」
「今日はこんなところ。」
「こら、勝手に閉めるんじゃないわよ!」
「プラス30度の世界。そこではバナナ獲れ放題。」(^^)b
「閉めの言葉に入るなあああ!!」
ひねくれ派閥を結成、めぞんの悪(灰汁?)を牛耳るフラン研に正義の刃は降りるのか!? 次回、「踊るマジカル大奥」に、君もフュージョンせよ!!
フラン研さんの『Xmas』公開です。
ミサトとシンジの15年の差がみえたり、
その差が見えなくなったり、
ミサトの大人さが出たようで、
時にはシンジの方がしっかりしているよう感じたり、
やっぱり15年の差がいかんともしがたいものだと思えたり、
そんなものはって思えたり、
空港で再び出会う二人に、
グッと来たり・・・
ドラマですよね。
話の内容に比して、
実に陳腐な言葉しか出てこない自分が恥ずかしい(^^;
クリスマス記念SSに
アスカxシンジ
レイxシンジ
そして
ミサトxシンジ
一通り揃いました(^^)
さあ、訪問者の皆さん。
ファイルサイズ最大記録を更新したフラン研さんに感想メールを送りましょう!
この質の高さに量なんて関係ないですよね(^^;