「こ、ここは?・・・・」
アスカがつぶらな瞳を開いた時、流れ込んできた来た景色は虚無であった。
広大な宇宙空間を彷徨っているような感覚。自分がどこにいるか分からない。地に足が着いていることさえ自覚できない。所々にぼんやりと発光している箇所があって何とか視界は確保されているが、いつまで続くかを保証してくれるものは何もなかった。
蛍火のようについては消え、消えてはつくぼんやりとした光はアスカの不安を一層かき立てた。
「気が付いたかい?」
アスカの背後から聞こえてきたのは場違いなくらい陽気な声だった。
「か、加持さん!」
振り返った先には、フワフワと浮遊しながら寝っ転がっている加持リョウジの姿がある。加持は透明なハンモックに寝転がっているかのように快適そうだ。頭の後ろで両手を組み、鼻歌を口ずさむその姿は、高原の別荘地に避暑に来ているようだ。
「何してるんですか?加持さん」
「見れば分かるだろう?寝ているんだよ」
加持は呑気な仕草だけでなく、言葉でもアスカを絶句させた。
「寝ているってそんなことをしている場合じゃないですよ!!」
アスカは暴走したシンジの姿を思い浮かべると泣きそうな声になった。悲鳴に近い声に昼寝を中断させられた加持は、ヤレヤレといったような表情を見せた。加持はしばらく無精髭をさすった後、腕を解いてアスカの隣に降り立つと安心させるように両肩にたくましい手をおく。
「大丈夫さ。ここは静かだし邪魔する物はない。昼寝には最適さ」
加持は片目をつぶってみせた。だがアスカの視線は落ち着くことがない。虚空に目を踊らせながら方は小刻みに震えている。
「こ、ここはどこ何ですか?」
「さあ?どこだろうね。こっちが訊きたいくらいだよ」
加持の陽気な声は冷静さを欠いてはいなかったが、開き直っているだけのようにも聞こえる。アスカの不安は加速していくばかりだった。
「まあどこかの虚数空間の一つだろうね。正確な座標も分からないから確かなことは言えないが」
アスカが余りにも不安そうな顔をするので落ち着かせるように言った加持だが、言葉の内容を聞けば落ち着くはずがなかった。
「出れないんですか?」
「まあ、出れないことはない。だが闇雲に出ようとするのは危険だ。どこにつながっているか分からない虚数空間だからな。出た先がマグマ溜まりだったり、深海の底だったりしたら目も当てられないからな」
加持はそう言うと両手を広げて見せた。
加持と自分はこのままどことも知れない暗黒の世界を彷徨わなくてはならないのだろうか?アスカは喩えようもない不安に襲われていた。
「どうして加持さんはそんなに冷静なんですか?」
「助けが来るからさ」
「助け?」
いたずらっぽい調子の加持の言葉をアスカは怪訝な表情で聞いた。ここがどことも知れない虚数空間であることは、先程加持が話した。行方不明であるのにどうして助けが来ることができるのだろう?アスカは矛盾した加持の言葉に不安をかき立てられた。
「そんな顔するなよ。美人が台無しだぞ」
「だって・・・・・」
「心配するな。奴ならきっと俺達を見つけてくれるさ」
加持はもう一度アスカの肩に手を置いた。
シユイィーーーン
突如として漆黒の空間が割れる。
軽やかな足取りで降り立ったのはアスカの肩ぐらいまでしかない子供だった。白銀のマントで全身を覆い隠している。頭の部分にもターバンのように白銀の布が巻かれており、露出している部分は掌と顔くらいのものだ。
「奴とは酷いじゃないか。せっかく助けにきたのにそんな言いぐさはないだろう」
白銀の衣を纏った子供は声変わりしていないトーンの高い声で加持に言い放った。てくてくとこまめに足を動かして側までくると、エメラルドのような瞳を輝かせて値踏みでもするかのようにアスカを見回す。
「腰に差しているのはEVA02だね。そうか君が惣流アスカか」
アスカはしばらく呆気にとられていたが、明らかに年下の容貌をしている子供のつっけんどんな言い方に腰に手を当てて怒りだした。
「い、いきなり現れて人を呼び捨てにするとはどういう了見なの?年上の人間に対する礼儀を教えて上げましょうか?」
プリプリした口調で言ったアスカの言葉に反応したのは怒鳴られた少年ではなく、傍らでおもしろそうに見ていた加持である。加持は額に手を当てるとクスクス笑い始め、白銀の衣を着た少年も連鎖反応的に笑い出すのを見るとついには大声で笑い始めた。
「か、加持さんまで笑い出して何よ!!」
「悪い悪い。でもアスカ、こいつはここにいる人間の中じゃ、ずば抜けて年上なんだよ。こう見えても400年以上は生きている」
「生きているという表現は正確ではないけどね」
加持の言葉を継いだ少年はひとしきり笑うと、大きめの瞳をアスカに向けた。振り向くと同時に頭巾に入れていた頭髪が一房墜ちる。色は着ている衣をややくすませたプラチナブロンドであった。
「あんた一体何者?」
「僕?僕はヴェルド。ヴェルド・ラーン」
北欧系の顔立ちをした少年はそう言うと瞳を目一杯開いて首を傾げた。
アスカはヴェルド・ラーンという聞き覚えのある単語を記憶ファイルの中から引っぱり出す。シャルロットに教わった様々なことの中でヴェルド・ラーンという言葉は何度か登場していた。
「あ?!」
瞬きを二回する間にアスカは正解にたどり着いた。八旗衆の軍師格で白銀の旗将。史上名高いクルクシュートラの決戦の作戦指揮をとった稀代の知将。あのシャルロットが眉をしかめて「いけすかない奴」と評していたくせ者。
それがこんな少年であったとは・・・・。
アスカは驚きの色を隠せなかった。
「アンタ、本当に何百年も生きてるの?」
アスカは数ある疑問の内、最初に思い浮かんだものを口にしてみた。
「だから言っただろ。正確には生きてるわけじゃないって」
ヴェルドはそう言うと右手を白銀の頭巾にやって首を振りながら布をはずした。露わになったヴェルドの額には深い森を思わせる宝玉を宿した額かざりがついている。
「それは?・・・・・」
「これもEVAだよ。僕の肉体に関する時間はこれのおかげで400年以上前から止まっているんだ。このEVA12、時空の額冠のおかげでね」
ピッコロのようなヴェルドの声は、黄昏のように暗い空間に実際以上の音量で響きわたった。
第25話
親子
「姉さんの子供にしては随分としつけがなってないな」
ヤマトは愚痴っぽく吐き捨てながらも戦闘態勢は崩さなかった。長大な光の刃を宿した槍を慎重に構えて間合いをとる。一瞬たりとも気を緩めることはできない。目の前にいるのは凶暴な獣だった。
シンジは両手をダラリと垂らして死霊の叫びのような息を吐きだしている。瞳に宿っているのは純粋なる狂気。全身から発散しているのは破壊への衝動。手にしているのは無の大剣、EVA01。
常人なら見ただけで失神してしまいそうな空気の中で、ヤマトはいぶかしげな視線をシンジに投げかけている。
「狂を制すには狂をもってなすということか?それともこれは”運命の子”としての覚醒状態ではないのか?」
ヤマトは測りかねていた。これは神のシナリオ通りの出来事なのか、それとも偶発的に起こったことなのか。目の前の少年は目覚めた”運命の子”なのか、アラエルの歌で一時的に狂わされただけなのか。
ギシィンッギシィンッギシィンッ
考える間はなかった。何の前触れもなく突進してきたシンジは、いきなり凶刃を振り下ろした。慌てて受け止めたヤマトの額には冷たい汗が浮かんでいる。狂ったような大剣を受け止める度に光の槍が悲鳴を上げた。
神々の分身であるEVAシリーズ。決して破壊されることはないと言われるEVAがきしんでいる。
ただ剣を振り回すだけのシンジの攻撃。剣筋はワンパターンであっても威力は桁外れだった。EVAシリーズの中でも戦闘能力の高い08とUN軍最強と謳われるヤマトの技量。どちらかが少しでも欠けていたら今のシンジと渡り合うことは不可能だったに違いない。
ギィーーーン
雷鳴がとどろき火花が散る。ヤマトは全身の力を使って打ち合うと、鍔迫り合いの最中にシンジの顔をのぞき込んだ。
「本当に姉さんの子供か?・・・・」
顔立ちは似ていた。とがった顎に連なる線のような細い輪郭。いつもなら描線のような眉と下がり気味な茶褐色の瞳がシンジの顔を形作るが、今現在ヤマトの目の前にいるのは別人である。
つり上がった眉に狂気の焔を宿した瞳。口から吐き出される障気にも似た破壊の波動。全身の毛穴から立ち上る鬼気。
どれをとってもユイを連想させるものではない。ヤマトは長い間離ればなれになっている姉を知悉しているわけではなかったが、目の前の子供が清楚な姉とかけ離れていることだけは間違いない。
「あの男の血が流れているせいか」
脳裏に浮かんできたのは髭を蓄えた鉄仮面だった。常に相手を威嚇するようなギョロリとした眼球が不快感を誘った。ヤマトにはどうして姉が結婚を承諾したのか未だに分からない。地上界にはまともな男はいないのかと思ったくらいだ。
「グルゥゥゥーー」
シンジは獣のようにうなると剣をふりほどいて後ろに下がった。臆したわけではない。再び突進する勢いをつけるためだ。ヤマトは猛牛を前にしたマタドールのような気分になる。剣を固く握りなおして身をしならせるシンジの動作は砂埃をあげて角を振るわせる牛に似ていた。
ヤマトは思考を中断させた。目の前の相手は悩みを抱えながら戦える相手ではないらしい。不都合なことはとりあえず全部ゲンドウのせいにすることにしたヤマトは、槍を構えなおした。
「魔力数値をあと2ポイント落として、精神転移装置をスタンバイ。やるわよ」
地上での喧噪は遺跡内部には届いていなかった。アラエルの歌もシンジの狂気もヤマトの闘気も神々が創り出した壁が遮ってしまっている。
リツコの元だけには文字化された情報が届けられていたが、他の職員は地上で激闘が繰り広げられていることを知らない。朝から実戦部隊が各所に配備されていたことから、何かがあることは察知しているだろうが、あくまで推測の域を出ていなかった。
「赤木博士。準備完了しました」
オペレーターの事務的な報告が返ってくる。レイが力を収束させ、シンジがディラックの海を表出させた時には裏返っていた声は元の無機質なものに戻っていた。
謎が多い古代遺跡の捜索では行方不明者が出るのはいつものことであり、転移魔法に失敗して虚数空間に飛ばされる人間は珍しくない。レイとシンジが振るった圧倒的な力には度肝を抜かれたが、精神体のサルベージ作業などは彼らがいつもこなしている作業だ。
行方不明者の捜索において最も困難を極めるのはその発見であり、一度捕まえてしまえばその後はそれほど難しい作業ではない。手順は確立されているし、必要な装置も揃っている。
「魔力注入開始。精神体を補足しなさい」
リツコの声は少し尖っていた。いつもの通りと言えば、そういうことになる。動揺を押し殺し、確実な作業だけを心がけていたら、リツコの声は自然と角が立ったものになった。
(ん?)
リツコの背筋に違和感が走った。完璧な味付けの料理に違物が混入しているような気分。
「索敵モニター、次元維持装置、精神転移装置をもう一度チェックして」
「赤木博士、チェックなら・・・・・」
リツコの目がオペレーターを刺した。いかなるものも受け付けない絶対零度の視線。オペレーターはその先を言うことができなかった。
「了解しました。各部、総点検し報告を入れよ」
たじろいだ声が実験場に響きわたる。無言の迫力は何も知らない一般職員達を凍り付かせた。
「こちら次元維持装置。出力正常、異常なし」
「精神転移装置の再チェック終了。予定通りです」
「第1から第8モニター異常なし」
「第9ー第16モニター、チェック完了。異常は見受けられません」
リツコは眉をしかめながら次々と入ってくる報告を聞いた。
(気のせい?神経が張りつめているからかしらね?)
リツコは5秒ほど目を閉じた。髪をかき上げると深呼吸をし、興奮の色を消した瞳を開ける。
「こちら本部、赤木。再チェックご苦労。作業を続行します」
違和感は気のせいではなかった。だが今のリツコはそのことを知らない。リツコが唇を噛みしめながら後悔するのは作戦終了後、しばらくしてからのことであった。
それは儀式だった。
上半身を垂直に保ち、股関節だけ動かして歩く。扉から正確に50cm離れた地点で足を止め、手首を180度だけ返してドアノブを回す。部屋に足を踏み入れて三歩目で立ち止まり、きっちり五秒間だけ瞳を閉じると静かに瞼を開く。
男は妻をこの部屋に移してからずっと同じ事を繰り返してきた。機械のように寸分の狂いもなく、数年の間、ずっと。
この日もそうだった。特務機関ネルフ司令官・碇ゲンドウは、昨日も一昨日もその前の日もしていたように立ち止まると黒目がやけにどぎつい瞳を閉じた。
シュイーーーンシュィーーンシュィーーン
だがこの日、ゲンドウの司会に飛び込んできた光景は今までとは違ったものだった。ゲンドウの鋭い視線の先に横たわるユイの身体が僅かに発光している。身体の内側から漏れているような光は穏やかで、部屋全体を包み込むようだ。
白い長衣を纏ったユイは、様々な魔法装置に囲まれ簡素なベットに横たわっている。これらの複雑な装置はゲンドウ自らが持ち込み、整備した。サルベージ計画の責任者であるリツコもこの部屋には入れない。
ユイが安置された部屋に入ることを許された人間は、ゲンドウの他には僅かに二人。すなわち六分儀ゲンシュウと冬月コウゾウだけであった。
正確にはもう一人いる。シンジだ。
シンジにはその資格がある。泣きながら「母さんを返して」と行った息子にゲンドウは何もできなかった。ゲンドウはこの部屋に来ることを禁止しなかった。それでもシンジは一度しか母に対面していない。一ヶ月ほどにゲンドウに連れられてきたきり何も言おうとはしない。
ゲンドウも沈黙を守った。
息子に言いたいことは山ほどある。できることなら説明してやりたい。手をついて謝りたい。
だがそれをすれば全てを語らなければならなくなる。EVAという武器を持たされ、世界を背負わされた14歳の少年に、重すぎる真相を話すことはゲンドウにはできなかった。
有る程度打ち明けなければならないことはある。しかしそれはユイが帰還してからのことだ。ユイが戻ってくればシンジのショックも和らぐであろう。母という存在がわだかまりを洗い流してくれるかもしれない。それまでは疎まれたままでいい。
ビーーーッビーーッビーーッ
部屋の隅にある魔法玉が赤く点灯している。リツコからの合図だ。ゲンドウはユイの傍らにある魔法装置を再チェックすると、コンソールに無骨な指を走らせ、リツコに準備が整ったことを返信する。
ユイの身体が輝きを増す。ゆっくりゆっくりと、だが確実に。
ゲンドウの謹厳な口が僅かに開いていく。食事と命令を出す時以外開かれることがないと、部下達に揶揄されているほど口が。
ユイの身体が浮き上がる。光を増しながら。
ゲンドウの頬が緩んでいく。固い巌のような表情が崩れていく。
ドクンッ
ドクンっ
ドクンッ
力強い鼓動が聞こえる。
光に生命の輝きが宿る。
暖かみのある光のシャワーが、部屋全体を、ゲンドウを包み込んでいく。
輝きは最高潮に達しようとしていた。
そして、今。
・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・
「あなた・・・・・」
ユイの瞼はゆっくりと開かれた。口を半開きにしたゲンドウはヨタヨタとした歩調でかけより、ただ歓喜の表情で顔を振るわせている。
「ただいま、あなた」
ゲンドウは泣き崩れた。まるで赤ん坊のように涙を流し続けた。ユイは10年ぶりに動かすか身体を不器用そうに動かしながらゲンドウの髪をなでていた。魔法装置に囲まれた寝台に横たわったユイの胸の上で泣き続けているのは、冷徹な軍司令官ではなかった。
「老けたわね、あなた」
しばらくしてら顔を上げたゲンドウに対してのユイの第一声はこれであった。ゲンドウが虚を突かれて呆然としている間に、ユイは上半身を起こした。細胞一つ一つの動きを確かめるかのようにゆっくりとした動作で最初に首を、次に肩をそして腰を、最後に膝を動かしたユイは立ち上がるとゆっくりと深呼吸をする。
10年ぶりに自分で吸い込んだ空気の味は異常に冷たかった。ユイは吐き気を催すような仕草を見せると方膝をついた。
「ユイッ!」
駆け寄ったゲンドウの前に白い手のひらが示される。
「私は大丈夫よ。でもこの感覚・・・・・」
「あなたシンジは?シンジはどうしてるんです?!」
「こっちの世界に来ている。今ではEVA01の適格者だ」
「そうじゃなくて、今どこにいるんです?!」
ユイの肩は震えていた。ゲンドウは大きく目を見開く。
「碇だ。発令所、現状を報告せよ」
部屋の隅に置かれた緊急用の魔法通信器をひったくるように取ったゲンドウの声は冷めていた。
「どうした?発令所」
ゲンドウは五秒ほど待ったが応答はなかった。珍しく焦れたゲンドウが荒い声を出そうとした瞬間に、伊吹マヤの震えた報告が飛び込んでくる。
「こ、こちら発令所、伊吹ですっ!」
「現状を報告しろ」
「そ、それが・・・・」
「落ち着け」
「は、はい。報告します。さきほど複数の使徒による攻撃がありましたが何とか撃退しました。しかしその後、計測不能のものすごい力を持った二つの物体が衝突を始めました。現場との連絡が切断されており、詳しいことは・・・・・」
プツンッ
突然回線が切れた。マヤの強ばった声は途中で吹き飛んでしまった。
「ゲンドウか?」
通信器を叩きそうになったゲンドウの背筋が伸びる。唐突に聞こえてきた声は威厳に満ちていた。六分儀ゲンシュウの声室は通信を通しても損なわれることがなかった。
「はい」
「ユイはどうした?」
「問題ありません。今ここに・・・・・」
「・・・・そうか」
ゲンドウの表情は少しだけおだやかなものになった。憑き物が落ちたようにすっきりとした顔になっている。
「シナリオが狂った。”運命の子”の突然の覚醒だ。鳥天使アラエルの精神攻撃が中途半端にシンジの逆鱗に触れた。現在はヤマトがなんとか防いでいる」
和やかな空気は一瞬にして血の色に染まった。
「っ・・・・・・」
「おまえとユイの力が必要だ。いきなりだがユイの方は大丈夫か?」
「はい。大丈夫です。すぐに行けます」
答えたのはゲンドウではなかった。あらかじめ用意されていた衣類に見つけ、すばやく着替えなおしたユイは通信マイクに割り込んだ。
「すまんな、ユイ。本来なら儂が後始末をしなくてはならないのだが、おまえがいない間にすっかり役立たずになってしまった」
「いえ、元気なお声が聞けて嬉しいですわ、おじいさま。ではのちほど」
ユイは細い指を伸ばすと通信スィッチをオフにした。気を引き締めるように髪を振るわせ、深呼吸をしたユイは凛々しい顔を夫に向ける。
「どうしたんです?あなた。いきましょう」
ゲンドウは呆然としていた。急転を告げる外の事態にではない。目の前にいるただ一人の女性のあまりに見事な行動に目を奪われていたのだ。
「お、おまえ身体の方は大丈夫なのか?・・・・・」
「大丈夫ですよ。それよりはやく案内してくださいな。私はここがどこだかよくわからないんですから」
「あ、ああ、そうだったな・・・・」
ゲンドウは手早くドアを開けながら、傍らにいる妻の顔を見ずにはいられなかった。しかしユイの引き締まった顔を見たら、和らいでいた気持ちはどこかに吹き飛んでしまった。事態は急を告げている。
「待ってろよ、シンジ」
短く呟いたゲンドウの声には冷静さが戻っていた。ただしその声は特務機関ネルフ司令官としてのものではない。一人の父親としての宣言だった。
ギシィンッ!!
透明な大剣と光り輝く槍がぶつかり合う。彼らが衝突する度に、空は轟音に震え、ほとばしる火花は雷となって荒れ狂った。
「っく・・・・・」
ヤマトは本気で闘っている。瞳に狂気を宿らせたシンジは剣を闘いの中でどんどん強くなっていった。最初の頃は隙だらけに見えた。少なくともUN軍最強と謳われるヤマトがその気になればいつでも首を飛ばすことができた。
しかしシンジは激突を繰り返す度に無駄な動きが少なくなっていった。相手であるヤマトの動きを取り入れて爆発的な勢いで強くなっていく。すぐ前の激突の剣さばきなどは、ヤマトの目から見ても完璧であった。
ハゥゥゥーーーハゥゥゥーーーー
獣のような低いうなり声と全身から立ち上る破壊への衝動は相変わらずだが、呼吸するごとに動きが洗練されていくようだ。フェイントなどは使わず、一分も無駄のない動きで最短距離を最速で斬る。剣と槍の違いはあるが、シンジの戦闘パターンはヤマトそのものだ。
ギシィンッ!!
再び大気が割れた。下で戦いを見守るシャルロットとカオルも魅入られたように空を見上げている。それは一旦後方に下がった使徒達も、本部まで後退してきた作戦行動部隊も同じ事であった。
街の東側で睨み合い続けていたバルバロイの民と冬月でさえも固唾を飲んでいる。戦いは全てシンジとヤマトに収斂しているように見えた。天を引き裂き、大地をひっくりがエス様な二人の激突はネオトウキョウにいる人間全ての注意を惹きつけていた。
例外は一人しかいなかった。
その人間は女性であった。彼女は厳重な警備をかいくぐりネルフ本部に侵入すると真っ直ぐ地下を目指した。鉄壁に見える警備にも必ず穴があるものだ。ましてネルフ本部ビルは彼女が設計を手がけた建物でもある。侵入するのはたやすいことだった。
コツコツコツコツコツッ
地下遺跡に降りた侵入者は剛胆にも姿を隠してはいなかった。途中、何人かの警備員や開発部スタッフとあったが、彼女と目を合わせた瞬間、彼らは一様に魂の抜け殻になり果てた。廊下に響くヒールの音だけが妙に大きかった。
ガチャッ
B−3ブロックの一番奥にある部屋の血ビラは唐突に開いた。入ってきたのは白衣に片手を突っ込んだ女だった。かぶるようなショートカットに濃いめのルージュが目をひく。
「ごきげんよう」
部屋の中にいた三人の保安部職員と二人の医療スタッフはその言葉だけで気を失った。女に口元だけで笑っただけなのに。
「こ、これは・・・・・」
「あらあら、なかなかタフね。あれで気を失わないなんて大したものだわ」
かろうじて最初の一撃に耐え抜いたのは奥の椅子に腰掛けていた保安部の一人だった。屈強な体格をした男は全神経を奮い起こして立ち上がろうとするが、身体は言うことを聞かない。視界もすでに曇り気味だ。
白衣の女は鼻歌でも歌っていそうな足取りで彼の横を通り過ぎていく。部屋の一番奥にはベットがあり、一人の少女が横たわっていた。死んだように眠る空色の髪の少女。女は少女を確認すると鼻だけで笑った。
「あなたも眠りなさい」
警備員が聞いた最後の言葉だった。視界が薄暗くなっていく。最後に飛び込んできた女の唇は青紫色に見えた。
「シンジ!」
ユイがシンジと生き別れになったのは、シンジが3歳の時である。当然の事ながら14歳になった息子の顔をユイは知らない。
母親とは不思議なものだ。どんなに離れていても。どんなに長い期間会わなくても自分の子供はすぐに判別できるらしい。ユイは上空で自分の弟と火花を散らす息子を仰ぎ見ながら走った。
地表に出るまで何本もの長い通路を走ってきたのだが、ユイには疲れはなかった。10年ぶりに合わさった身体も自然と動く。もしかしたら一度だけ対面した肉体がシンジの事を教えてくれているのかもしれない。
「戻ったの?ユイ!!」
シャルロットが駆け寄ってきた。後ろには透けるような肌に鳶色の目をした少年もいる。肉体に関する時間が止まっていたユイは当然だが、この二人も10年前とほとんど容姿が変わっていない。
ユイは律儀に立ち止まると頭を下げた。挨拶はそれで終わりだった。ユイは凛々しい顔を上に向ける。上空ではユイの双子の弟と息子が凄絶なる戦闘を続けていた。
「止めなさい!シンジ!!」
強大な意志を含んだユイの声は不思議とよく通った。魔法により拡声されていたわけではない。風の精霊達がみずから響かせたような声だった。
「姉さんっ!」
ヤマトは一瞬だが声に注意を奪われた。隙のない鉄壁の構えに僅かなほころびができる。シンジはそれを逃さなかった。
ドゴッ!!
ヤマトは咄嗟に槍をかざした。シンジの一撃は必殺のタイミングであったが、ヤマトの対応もまた速かった。EVA01の透明な刃はヤマトの身体には届かなかった。プラチナ色の杖に阻まれて尖った音をたてただけだ。
それでも体勢を崩して受けたヤマトの方もただではすまない。奔流のような勢いの払いを吸収しきれなかったヤマトは吹き飛ばされて地表に激突した。
「シンジっ!!」
もう一度ユイの声が響きわたる。
狂気を瞳に宿したシンジは小うるさそうに声の主を見下ろした。錯綜する視線。母子の10年ぶりの対面は凄絶なものだった。
「そんな子供に育てた覚えはありませんよ!!」
ユイがシンジを養育したのは3歳までである。だが10年間ディラックの海を漂流していたユイの中では時間が止まっている。ユイにとっては目の前にいるのは半年前に別れた我が子だった。
「いい加減にしなさい。それ以上暴れるなら・・・・・」
ユイはそこで言葉を区切った。周囲を圧する鬼気を放つシンジに一歩も引くことなく睨み付けると神聖語を紡ぎだした。
「母なる神よ 偉大なる慈悲の力もて 猛々しき心沈めた給え 荒ぶる気を大地に溶かし この地に静謐をもたらさんことを」
繊細な指先が神聖魔法陣を描き出す。周囲から力が集まりだした。風の精霊も、火の精霊も、水も大地も、生きとし生けるものがユイに力を貸しているようだった。
「光浄裁」
ユイが唱えたのは相手から戦う気力をそぎ取り、争いを鎮める神聖魔法である。確かに高度な技ではあるが、今のシンジに対して果たして効果があるかははなはだ疑問だった。
「グゥワワワッ!!!」
突如としてシンジは苦しみだした。身体の毛穴という毛穴から蒸気が立ちのぼる。呪文が効いていたのか、母の叱責が効いたのかはよくわからない。ユイの光浄裁は確かに膨大な魔力をもって放たれたが、他の人間が使った魔法ならはたしてどうだったのだろうか?
シンジは頭を抱えて苦しみだした。麻薬の禁断症状に苦しむ人間のように苦悶の表情を浮かべる。手からはEVAがすり落ちた。透明な大剣は腕輪になってシンジの腕に収まることなく、剣の姿のままで地表に落下していった。
突如としてゲンドウが走り出す。
EVA01が突き刺さった地点目指して。EVAを回収に行くことが目的ではない。ユイが発した光に包まれて力を蒸発させているシンジはいずれ落下してくるであろう。力つきた息子を受け止めるのは父親の役目だった。
「ギャルルゥゥッ!!」
シンジの中の狂気が断末魔をあげた。精力を使い果たしたシンジは待ち受ける父親目指して真っ逆様に落ちてくる。
ザッ
シンジがゲンドウの腕の中に落ちてくることはなかった。落下途中のシンジを受け止めたのは背中に白い羽根をはやした天使だった。いつの間にか現れた鳥天使アラエルはシンジを片手で抱きかかえると、真下にいるゲンドウ目がけて衝撃波を放つ。
シャキーーーン
EVA01の宝玉が蒼く輝き出す。地面に突き刺さっていたEVA01は、咄嗟に引き抜いたゲンドウの腕の中で一瞬だけ輝きだした。
「ほう、未だに適格者としての能力は失っていないのか」
「シンジを返せ!」
愚かな問いかけだった。
だがゲンドウは発せざるを得なかった。鳥天使アラエルの飛行能力を考えると奪い返すことは不可能であることをゲンドウは知っていたからであった。半ばシンジに向かって呼びかけたような言葉である。父はここにいる、帰ってこい息子よと。
「さらばだ」
ゲンドウはEVAを振るった。だがEVA01は何も答えなかった。さっきの宝玉の輝きは気まぐれであったのか?歯ぎしりをしながら上空を見上げるゲンドウにEVAは何も答えてはくれなかった。
シンジを小脇に抱えたアラエルは一瞬の内に消えていた。飛び去ったというより消え失せた。ゲンドウはまたも何もできなかった。10年前、妻を失いかけた時と同様に。
「シンジーーーーーーっ!!」
ゲンドウの叫びは悲しく空に響いた。
絶望に打ちひしがれたゲンドウが発令所に戻ってきたのは夕刻になってからだった。潮が引くかのように魔族も使徒も消え失せた。シンジとともに。
顔にはすでに鉄仮面をつけているゲンドウだが、焦燥の色は隠せない。ミサト、リツコの顔色は最悪だ。
何も知らされていないマヤ達、中級職員もただならぬ事態を感じ取っている。ゲンドウらが戻ってくる前から大事が起こっていることは分かっていたのだが、司令席に鎮座する六分儀ゲンシュウの威厳が疑念を封じ込めていた。
「せ、先輩・・・・」
「悪いけど少し黙ってて。考えをまとめたいの」
メインモニターの前にある自分の席に座り込んだリツコは足を組んで煙草に火を付けた。二,三口眉をしかめながら吸うと灰皿に押しつけて消す。こめかみに手を当てて目をつぶる姿は、マヤがはじめて見るリツコだった。
マヤは作戦行動部隊長の席に視線を走らせた。デスクに頬杖をついたミサトも固まっている。駆け寄ったマコトとシゲルも何も聞かせてもらっていないようだ。マヤの目に気が付いたシゲルは力無く首を振る。
ビシュンッ
突然の出来事であった。
索敵モニター以外作動していなかった発令所の魔法装置が動き出す。
「マヤッ!」
「ち、違います!私じゃありません!!」
あわててコンソールに飛びついたマヤは忙しく指を走らせる。
「クラッキングです!発令所の魔法機器の制御が効きません!」
「そ、そんな!このプロテクトは?!」
リツコは驚愕した。本部の魔法機器に対するプロテクトはリツコ自身がしかけたものだった。破るのは不可能といってもいい。
「まさか?!」
リツコの予感は不吉なものだった。リツコのプロテクトを突破できる人間。考えつくのは一人しかいない。
「ごきげんよう、皆さん」
メインスクリーンに現れたのは陰影がはっきりした顔をした女だった。鼻の影になった口唇が異様に暗く見える。喪服をやけに色っぽく着た未亡人を連想させるような顔だった。
「母さん・・・・・」
「久しぶりね、リッちゃん」
返ってきた音声は過剰に甘かった。リツコは胃液が逆流しているような感覚に襲われた。
「ユイさんは助け出せたらしいわね、ゲンドウ。一応謝辞を述べておくわ」
スクリーンを占拠した占拠したナオコは皮肉たっぷりに目線を上げた。冷ややかな微笑は発令所最上部に座ったゲンドウとゲンシュウに向けられたものである。厳しい顔つきをした二人の男は重い沈黙を守ったまま口を開こうとはしない。
「あら、ゲンシュウ閣下もいたのね。久しくお見かけしていませんでしたのにご挨拶が遅れて申し訳有りません」
「用件は簡潔に言え。そう教えなかったか?」
「申し訳ございません。何分、最近は人と会うことが少なくなっているもので。不調法をいたしました」
「無粋な連中とつきあっているせいじゃな」
ゲンシュウの皮肉も痛烈であった。モニターの映ったナオコはやや頬を固くした。
「そうそう、本日いきなりうかがったのは閣下に”紫紺”の旗をお返ししようと思ったからですわ。私には不釣り合いなものになってしまいましたものね。その代わりと言っては何ですがネルフからある物を頂きました」
画面は急に引いた。それまで顔のアップのみが映っていた画面が切り替わる。ナオコの全身を収めるようなフレームになった。
「っ・・・・・・」
発令所の人間は息を飲んだ。ナオコの小脇に抱えられているのはグッタリして動かない空色の髪の少女がいた。
「頂いたという表現は適切でないかもしれませんね。返してもらったと言い換えましょう。レイは元々私が創り出した物ですから」
ナオコは口元だけで笑った。端正な顔立ちが卑猥に歪む。ナオコは冷徹な微笑を浮かべたまま丁寧に頭を下げ、そして画面から消えた。
「制御がこちらの手に戻りました。クラッキング先のスキャンを開始します」
「無駄よ!」
コンソールに走らせたマヤの手が止まった。うつむいたまま発せられたリツコの声は悲しく響きわたった。
沈んでいく空気。
凍り付いた時間。
重い心。
長い一日だった。
MEGURUさんの『ジオフロント創世記』第25話、公開です。
レイがさらわれた・・・
紫唇に (;;)
シンジも連れ去られた・・・
鳥男に (;;)
アスカも虚数空間にいる今、
ネルフ本部はずいぶん手薄になってしまいましたね。
ヤマトと復活したユイさんがその穴を十分に埋めていますね。
それでも適格者3人が離れていることは大きいな。
ヴェルドとかいうのがアスカと加持を救い出してくれそうですが、
前話のあとがきで物騒な話があったし、すごく心配(^^;
激しく錯綜する登場人物達。
その辺りの資料も同時にUPしておきましたので、
ご一読を(^^)
さあ、訪問者の皆さん。
大作を書き続けるMEGURUさんに感想メールを送りましょう!