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Project E

第二十一話

「私も好きだから」



 「今日の北海道は寒冷前線に覆われ寒い一日になるでしょう。石狩、宗谷、後志地方には大雪警報が出ています。特に山間部では強く吹雪くことがあるのでスキーなどにお出かけの人は注意が・・・・・」


 ブチッ


 わざとらしさが残る天気リポーター。朝の番組に出てくる若い女性などは特にそうだ。若いことと顔立ちがある程度整っていることしかとりえがなく脳味噌は空っぽ、少なくともそう認識されていた。不機嫌そうにテレビのスイッチを消したリツコには。
 だが窓の外はリツコが小馬鹿にしたリポーターの言った通りの風景にになっている。別に彼女の力ではないのだが、気にくわないことは確かだ。リツコは忌々しげに煙草に火を付けた。
 大地が震えている。険しい谷間を吹き抜けてきた強く重い風が、降り積もった雪を巻き上げるとそんな感じがする。視界は白一色に染まり、耳には地鳴りの音だけが入ってくる。

 「悪くないわね」

 15階のスィートルームの一室から外を眺めたリツコはそう思った。吹雪の向こうに見える山並みは、不思議な奥行きをもって白いヴェールに隠されている。止めどなく流れていく雪の残影。
 大きめで肉厚のガラスでできている窓は、景色を一枚の風景画に仕立て上げていた。題名はなんてつけよう。氷の屑、吹雪の魔術、白き幻影。
 通俗的すぎる、味気もない。リツコが思い浮かべた題を何度も消して、自分の文学的センスのなさに辟易しながら推敲を重ねていると扉が開く音がした。

 「なに悠長なことしてるのよ。朝の集会が始まるわよ。今日はスキーが中止になったことを生徒達に話さなくちゃいけないんだから」

 「分かってるわよ、ミサト」

 リツコは焦る様子もなく、ゆっくりと白い煙を吐き出した。目の前をたゆたっている煙草の煙が風景画にもう一枚のヴェールをかける。どんよりと沈降していく煙が視界から消え、ミサトがもう一度催促の声を掛けるとリツコは煙草をもみ消して立ち上がった。
 ついに風景画の題は思い浮かばなかった。彼女以外の人間にとってはどうでもいいことであったけれども。




 「カ、カオル君。実は言いいことがあるんだ」

 「どうしたんだい、シンジ君?血相を変えて」

 「カオル君は選択は僕に委ねられているって言ったよね。で、でも僕はアスカもレイも暁さんも誰も選べないんだ」

 「男の胸は三人もの女性を受け止められるほど広くないよ。君は誰かを選ばなくてはならない。そうしないと物語が終わらないんだよ」

 「どうしても誰かを選ばなくてはならないの?」

 「それがこの小説における君の存在意義だ。とびきりの美人が三人、男にとって至福の悩みじゃないか?」

 「で、でも僕はっ!」

 「僕は?」

 「じ、実はカオル君のことが好きなんだ!」

 「・・・・・シンジ君」

 「神秘的な鳶色の瞳。吸い込まれるような目元にナイフのように鋭い眉。僕はカオル君を見る度に背筋がゾクリとするんだ。この胸の高鳴りはもう誰にも止められないよ」

 「シンジ君。ここまでひっぱてきてやおいエンドで終わったら、作者はには誹謗中傷メールが届くどころか、めぞんから追い出されてしまうかもしれないんだよ。それも覚悟のうえかい?」

 「ぼ、僕はカオル君と一緒になれるならあとのことなんて考えられないよ!」

 「・・・・分かったよ、シンジ君。君がそこまで決心していたのなら僕には返す言葉が見つからない」

 「カ、カオル君!じゃあ!!」

 「ここにシャトー・マルゴーの89年物がある。”偉大な年”である89のマルゴー。深い赤は大地の力と太陽の恵み、作り手の全身全霊が籠もった証。重厚な香りに宿る天使の歌声はまさに貴婦人の血と評するにふさわしい。これを飲み交わしたら、一緒に手首を切ろう。傷口には残りのマルゴーを注ぐ。死の芳香は貴婦人とともに僕らを包み込むだろう。マルゴーと共に死のう」

 「し、心中するっていうのかい?」

 「そうだよ。ここまで来たらそれしかないだろう。恐れることはないよ。死とは生の鮮やかなる帰結。華麗なる生には華麗なる死が伴う。昏く冷たい冥府への道程も、君と二人暖め合いながら進めばウェディングロードと変わりないさ」

 「カオル君!」

 「シンジ君!」




 ガチャリッ


 朝の集会を終えて部屋に戻ってきたトウジとケンスケは部屋に入るなり目を点にした。同時に胸の辺りを押さえてこみ上げる吐き気に耐える。

 「渚・・・・、おまえ朝礼にも出んで一体何をしとるんや?部屋に一人きりで」

 「おや鈴原君、相田君、おかえり」

 「おかえりじゃないじゃろ。朝っぱらからけったいな一人芝居見せおって。ほんまに胸くそ悪いわ」

 「もう少し文学的感受性に富んだ表現はできないのかい?せっかく来るべきシンジ君とのエンディングシーンの練習をしていたというのに」

 「バカなこと言っとらんでその酒瓶をしまえや。それからテーブルから降りんかい。行儀がなっとらんわ、おのれは」

 カオルは部屋の中央にあるテーブルにのっかりワインボトルを掲げていた。トウジはきつい一瞥を投げかけると寝室の扉を開けた。荷物をあさっているような音がする。残されたケンスケはうんざりした。

 「そう言えば、相田君。さっき僕が考えた”マルゴーと共に死のう”というセリフは珠玉の一言だと思わないかい?題字に値するね」

 「過程を見てないからよく分からないけど、多分題字にはならないぜ。何しろ俺の”脇役にも人権を”すら題字にならなかったんだ。所詮俺達脇役の言葉は題字に値しないのさ」

 「随分悲観的だね。でも一つだけ言っておくよ。僕と君は決定的に違う」

 カオルの微笑が強くなった。ケンスケの背筋には何か悪寒のようなものが走る。常に奥の手を秘めているような笑み。普段より口元が歪んでいるようにも見える。ケンスケはそれが悪い予感の前兆のように思えた。

 「何してるの?もう朝御飯の時間だよ」

 静かな緊張感を解きほぐすかのような声がする。扉を半分だけ開けて顔を覗かせたのは洞木ヒカリだった。

 「おはよう、ヒカリ」

 「あ、・・・・・おはようカオル君」

 ヒカリは憑かれるように鳶色の瞳にしばらく見入った後、顔を伏せた。溶けるように垂れ下がった頬、他のものは一切映っていない目、微かに開いた唇から覗く濡れた舌。三秒ほどだった。ヒカリがそういう顔をしたのは。
 顔を伏せることができたのはヒカリがそう望んだからではなく、カオルが視線を逸らしたからだ。カオルは意味ありげな視線を一瞬だけケンスケに向けた。

 「やっと見つかったわ。ワイのふりかけ」

 「用事は済んだのかい?トウジ君」

 「ああ、ふりかけ取りに来ただけやからな。ワイは朝メシにはこれがないと食が進まんのや」

 「そうかい。じゃあ行こうか」

 カオルは何気なくトウジの方に手を回した。そしていぶかしがるトウジを尻目にそそくさと部屋を出ていく。ケンスケは眉をひそめながら、やや離れて背中を追った。
 破天荒なラブコメであるProject Eがなぜこんなに重くなるのだろう。カオルと作者は何を考えている。もう一つの連載と感性がリンクしてしまったのか。
 関西人が納豆が食べられないのはなぜだろう。慣れの問題だけだと言うが。関西弁が伝染するのはなぜだろう。とりわけ北海道人に。
 答えのない命題を考えながらケンスケは歩き出した。おそらく大家さんが納豆に関してはコメントをつけてくれることを期待しながら。




 この日の予定は市内観光に変更された。昨日シンジとアスカが遭難未遂にあったこともあり、天候不順ということでスキーは中止になった。第一中学林間学校の一行はバスに揺られて札幌の中心部まで来ている。

 「いい?4:00にここに集合だからね。もし何かあったら携帯で私に連絡するのよ。では解散」

 札幌の中心部を東西に貫く大通り公園の一角にバスは止められた。最終日の午前中に行われる予定だった市内観光が繰り上げられたのは、作者が他に展開を思いつかなかっただけという説もある。ただ生徒達は、そんなことはお構いなしに駆け出していった。

 「ねぇ、シンジ。私ポプラ並木を見に行きたい」

 「あそこは地味に立入禁止よ。それに大学の正門から歩いて20分以上かかるわ。私は1時間近くも雪の中を放浪するなんて嫌よ」

 「なら、アンタはこなければいいじゃん」

 「それよりシンちゃん、サッポロビール園に行かない?寒い中で生ビールっていうのもなかなか風情があるわ」

 「綾波さん!中学生なんだからお酒なんて飲んじゃだめでしょ!」

 「じゃあラーメン横町に行きましょう、シンちゃん」

 「バカね、アンタ。あそこは地元の人間はほとんどいかないのよ。おいしいわけないじゃない」

 ガイドマップを覗き込みながらレイを睨み付けたアスカは怪訝な顔になった。アイスブルーの瞳にはいつものメンバー以外の人物が二人映っている。シャギーを入れたショートカットの三笠ヨウコと豊かな黒髪を寒空に流した暁カスミは、あろうことかシンジと親しげに談笑していた。

 「ちょっと、なんでアンタ達二人がここにいるのよ?」

 「別に、自由行動なんだからいいじゃない」

 咄嗟に言い返すのはヨウコの役目だ。カスミは細い肩を振るわせているだけである。カスミもトロい方ではないのだが、自然とこういう役割分担が成立していた。

 「そうだよ、別にいいじゃないか」

 ケンスケはすでにシャッターを切っていた。やや下からのアングルで向かい合うアスカとヨウコ、その後ろにいるカスミをフレームにいれる。シンジを映さないのと舞い降りる粉雪を収めたのは手慣れたものだった。

 「本当にアンタは節操がないわね」

 「いいじゃない、アスカ。人は多い方が楽しいわよ」

 「まあ、ヒカリもこう言ってることだし今回は特別に許可してあげるわ」

 別にアスカに許可してもらう必要はないわよ、ヨウコはその言葉を飲み込んだ。わざわざ波風を立てることもない。
 結構な人数になったシンジ達は地図を片手に歩き出した。とりあえず、北海道道庁の赤煉瓦を見た後、雪印パーラーでアイスクリームを食べるというのがプランである。ポピュラーすぎる気もする。その後は行き当たりばったりの予定だ。
 昼間から町中を闊歩する中学生の集団は目立つ。制服を着ていれば修学旅行だと一目で分かるがシンジ達は全員私服だった。
 セカンドインパクト後の気象変動で常夏の国となった関東地方にある第一中学には冬用の制服がない。学ランも一応販売されていたが購入する生徒は一人もいなかった。
 色とりどりの服装をした女性陣は文句なくかわいかったが、とりわけ仲間内を驚かせたのが一人、怪訝な視線で見られながら異彩を放つ者が一人、男性陣から出た。
 周囲を驚かせたのはトウジである。彼はジャージを着ていない。ユタ・ジャズのオフィシャルコートとキャップを被り、エアマックスを履いているのでスポーツファッションには変わりないがいつもの黒ジャージではない。
 肌と一体化しているのでは、と一部では囁かれている黒ジャージでは北海道の寒さに耐えられないだけであったが、新鮮さを感じさせたことだけは確かだった。
 一方、異彩を放っていたのはなんとスーツを着込んだカオルだった。ブリティッシュスタイルの黒のストライプ、3Bで中一つ掛け、モード調ではなく緩やかにシェイプされた正統派のスーツである。
 シャツとネクタイもグレーとブラックでまとめ、足下のモンクストラップブーツと上に羽織ったカシミアのトレンチコートも黒。肌に黄色みが全くないカオルは、まさに全身モノトーンだった。

 「しかし、おのれはなんでそんなけったいな服装をしとるのや?」

 「けったいなとは失礼じゃないか。盛装と言ってくれないかな。正装じゃないことに注意して欲しいね」

 「訳分からんことぬかすな。ワイには音声しか聞こえんわ」

 「それにしてもトウジ君、そんな格好をしていたら黒ジャージ同盟から抗議を受けるんじゃないかい?」

 「そんな組織知らんわい。役に立たない団体は行政改革で潰してしまえばええんや」

 「行革とはタイムリーなことを言うんだね。しかし行政改革は難しいよ。改革をするにはトップに権限を委ねなければいけないのに、日本人は権力の集中を基本的に悪だと見なしている。”会議は踊る。されど進まず”状態だよ」

 「小難しい理屈はよう分からん。あ、ほれ。ぼやぼやしてると置いていかれてしまうで」

 しばらく歩く内に、自然と隊列ができていた。一番前はアスカとレイに挟まれたシンジ。シンジの背後には影を踏むかのように付き従うカスミがいて、その隣にはヨウコ。ケンスケは忙しく動き回りながら撮影を開始しており、最後尾にカオル、ヒカリ、トウジが並んでいた。
 粉雪がちりちりと落ちてくる。HOTEL・SEELEのある山間部は猛吹雪だったが、都心部の天気は粉雪がゆっくりと舞い降りてくる程度だった。

 「粉雪はいいね。きめ細やかな女性の柔肌のようだよ。手のひらで受け止めようとすれば溶けてしまう。恋の駆け引きに似ているね」

 カオルは手のひらを寒空にかざして立ちすくんだ。一人で悦には入っている姿は、小綺麗すぎる詩人。カオルは魂の叫びを放つ者にしては透明すぎた。


 ブッブッッブッーーーーーー!!


 「まったく不快だね、クラクションというものは。リリンの文化における詩の対極に位置するものだよ」

 赤信号に挟まれた交差点の真ん中。眉をひそめたモノトーンの彫像がヒカリとトウジに担ぎ出されるまで、けたたましいクラクションは鳴り響いた。




 「シンジ、どこ行くの?」

 「あ、ちょっとトイレに行って来る」

 シンジは気の抜けた声でそう言ってから席を立った。空になった椅子の前には食べかけのドリアと脱力感が残されている。風邪が完治していないことも手伝ってシンジの顔は少し痩せて見えた。


 コツコツ


 チョコレートパフェを口に運んでいたカスミは、まばたきをしてから左に顔を向けた。

 (ほら、カスミもトイレに行っておいでよ。そうでもしないと話せないよ)

 間髪入れずに耳打ちしてきたヨウコに、カスミは目を大きく見開くことで答えた。どうして?添えられていたバナナシャーベットを口に入れたままの表情はそう言っていた。

 (この席配置じゃ碇君まで届かないよ。何のために一緒に連れてきたと思ってるの?ほら、早く!)

 ヨウコは意識的に強面を作った。そうでもしないとこの控えめな少女は動かない。雪印パーラーでの席順も、カスミがぼやぼやしていたせいでシンジとはかけ離れた場所になってしまっていた。

 「アスカ、次はどこに行くの?」

 ヨウコはシンジを追ったカスミを覆い隠すように席を立ってアスカに近づいた。アスカカの手元にはガイドブックが広げられている。

 「そうねぇ、時計台が近くにあるけどみんな行っているだろうし。他の人が行っていないようなところを探しているんだけど」

 アスカは店内を見回して眉をひそめると軽く手を広げた。バスを降りた地点からそう遠くない所にある雪印パーラーは、第一中の生徒に占拠されていると言ってもいい。客の半分以上は知った顔だ。

 「ならタクシーを使う?終日チケットを買えば遠出できるんじゃない?」

 「そうね、お金の心配はないし、そうしようか?」

 林間学校に行く前日、アスカはゲンドウにAMEX GOLD CARDを渡されていた。シンジも持っているもので限度額は1000万、ゲンドウはお小遣いだと言っていたが額は多すぎた。アスカは少し逡巡したが、ユイも勧めるのでありがたく受け取ることにした。
 そしてもらった以上は必要な分だけ活用させてもらう。アスカには受け取ってから一月以上経つのに、使用額が未だに一万円そこそこのシンジのようなせせこましい感性はない。旅行を最大限に楽しむためなら遠慮なく使わしてもらう、それがゲンドウとユイに対するアスカなりの礼儀だ。

 「ねぇ、アスカ。それなら小樽まで足を伸ばしてみる?それとも郊外でいいとこ探してみる?」

 心持ち大きな声はこっそり席を離れた親友に対する盾。他人の世話ばかり焼いている自分への僅かな、本当に僅かな寂寥。
 ヨウコは身を乗り出してプランを練り始めた。せわしなく身振り手振りを交えながら口を動かす。一瞬だけ心に巣くった寂寥を追い払うために。
 カオルはテーブルの一番奥でハーブティーを飲んでいた。店内の喧噪に端正な眉をひそめがら。一人だけ離れた所にいるカオルの目にもヨウコの心に巣くう微量の侘びしさは映らなかった。カスミの少し前に、隠れるようにして席を立った空色の髪の少女は見えたけれども。




 「ふぅ・・・・・」

 用を足した後。顔を洗ったシンジは鏡に映る自分の顔をまじまじと見つめた。オレンジ色の蛍光灯に照らされた顔は、いやに陰影がはっきりしていて頬がくぼんで見えた。首を動かし角度を変えても、もう一度顔を洗ってみても変化はない。

 「情けない顔だな」

 シンジの瞳は沈んでいた。黒目と白目の境界もぼんやりしていて、毛細血管が浮き上がっている。鏡に映る血走った眼球はシンジをより一層落胆させた。

 「僕は一体誰を選べばいいんだよ?」

 鏡の中の自分はもちろん答えてはくれなかった。それどころか声まで反射してきて逆に問いかけてくる始末だ。
 アスカが好き。以前確認したその気持ちは、破天荒なレイの求愛と伏し目がちに懇願するようなカスミの瞳によって訳が分からなくなってしまった。高台の公園でKissした記憶もどこか朧気だ。
 夜も昼も関係なく繰り広げられるアスカとレイの戦いは、シンジをへとへとにさせる。シンジの脳神経はアスカ、レイ、カスミの三人によってずたずたに分断されてしまった。それに追い打ちを掛けたのが昨晩のカオル。シンジの頭はミルク粥のようにドロドロになって正常な判断などできなかった。

 「こんな時、加持さんならなんて言ってくれるんだろう?」

 悩んだ時に最も適切なアドバイスをくれる長髪の男はそばにはいない。その頃、加持はシンジの相手をするよりも自分の身を守ることに忙しかった。自称”素晴らしい装置”を使い切れず、リツコの機嫌を損ねていた加持は保身に精を出していた。
 この日、ネルフの特別調査室の面々はリツコの下僕と化すことでマッドサイエンティストの恐怖から逃れようとしていた。シンジの監視が薄かったのも、加持がホテルに残ったリツコにマッサージをしていたのもこのためだ。

 「僕は一体誰を選べばいいんだよ?」

 シンジは手を拭きながら同じセリフを繰り返し、トイレを出た。

 「悩む事なんてないわ」

 木目調の床とにらめっこしていたシンジは、急な声に顔を上げた。

 「私と生きていこうと思えばどこだって天国になるわよ。だってシンちゃんには私がいるんですもの。幸せになるチャンスはどこにでもあるわ」

 シンジは呆然としていた。レイが目の前に立っていたせいではない。エヴァの全てのセリフの中で最も感動的ともいえるユイの言葉が、こんな陳腐に、しかも話の展開とは余り関係のない箇所で、それもトイレの前で使われるとは思わなかったからだ。

 「あ、綾波・・・・・」

 「何?シンちゃん」

 レイは珍しく自然に笑っていた。作為的な冷笑ではなく、華やかな顔で。しかしユイを彷彿させるその微笑みもあまり役には立たなかった。

 「よ、よくも裏切ったな!よくも読者の期待を裏切ったな!そのセリフはここぞ、という時にしか使わないというのがエヴァ小説のお約束だろ?それをこんなところで使わなくてもいいじゃないか。父さんも前に言っていた。一度言ったセリフは価値が落ちるって。それを、それを・・・・・」

 シンジを一応主役の義務感から怒りに震えていた。顔を紅潮させ、レイを睨み付けている。それでもレイが動じる様子は全くなかったが。

 「私ができることといったらこれくらいしかないわ」

 レイはポケットからハンカチを取り出した。シンジの顔にはまだ水滴がついている。レイは音もなく近づくと、ハンカチをシンジの頬に当てた。
 またしてもミサトのセリフを使い捨てたレイにシンジはカチンときた。「やめてよ」と声を裏返しながらふりほどこうとする。ただし、シンジにはそれができなかった。ハンカチからにじみ出る甘い香りを嗅いだ瞬間、身体は所有者の精神から切り離された。薄れゆく視界に映るのは怪しげな冷笑。まどろみの中に寒気を感じながらシンジは崩れ落ちた。

 「っふ、シナリオ通りね」

 レイは膝を崩したシンジを抱え上げた。細い身体に似合わぬ剛力でシンジを担ぎ上げたレイは身を翻した。

 「シ、シンジ君に何をしてるの?!」

 レイはシナリオにはない乱入者に目を細めた。作者が作り上げた全くのオリジナルキャラのくせして生意気な女。最近では、名前だけとはいえ、他の部屋の小説にゲスト出演もした。作者にくるメールを盗み見しているレイは、実は「カスミを応援します」という意見が一番多いことも知っている。

 「はやくそっちを持ちなさいよ」

 レイはシナリオを変更した。肩に担ぎ上げていたシンジを下ろすと腕を取って肩を貸す体勢になり、カスミを冷ややかに見た。

 「えっ?!」

 「はやく」

 結局カスミはレイに言われるままにシンジに肩を貸した。事情はさっぱり分からないし疑問はつきないが、ほのかに薫るシンジの体臭はカスミの思考能力を奪い去った。

 (シ、シンジ君がこんなにそばにいる!あれ、シンジ君なにかフレグランスつけてるのかな?それともこれは綾波さんの匂い?)

 混乱しているカスミと気を失ったシンジは、レイに引きずられるようにして歩いた。レイはトイレの脇にある従業員用の扉を開くと、何事かとあわてふためくスタッフを無視して通用口をでた。ビルの裏手に出ると携帯電話を取り出し、片手で起用に操作した。

 「あ、お父様?私だけど至急SAPPORO CENTRAL SEELEのスィートを押さえてくれない。あと数分でホテルにつくから。え、何が起こったって?ケース11よ。地下駐車場にタクシーをいれるからあとの手配はお願いね」

 妖しげに微笑んだレイは携帯をしまいこむと片手をあげ、丁度通りかかったタクシーを拾った。




 カスミは困惑していた。トイレから出てきたシンジに何て声を掛けようか、と思い悩んでいる内にレイに抱えられたシンジが出てきて後はレイが言うがまま。
 訳が分からない内に店を出てタクシーに乗り、豪華なホテルの地下駐車場に入ったと思ったら今度は直通エレベーターに押し込まれた。ノンストップで上昇していくエレベーターには相変わらず表情を変えないレイと気を失ったままのシンジがいる。
 タクシーに乗り込んでしばらくした辺りから正常な思考能力を取り戻していたカスミだが、巨大な氷壁のような顔をしているレイに掛ける言葉は見つからない。


 チンッ


 カスミの悩みなど考慮しない無情な音が鳴った。足を止めたらシンジが地べたに投げ出されてしまうので仕方なく歩く。レイは2501とプレートが打たれた部屋の前で立ち止まるといつの間にか持っていた鍵を取り出し扉を開けた。

 「あ、あの・・・・・」

 スィートルームのセミダブルベットにシンジを下ろしたカスミはたどたどしく口を開いた。

 「もう帰ってもいいわよ」

 「え?」

 「帰ってもいいと言ったのよ。ここからはあなたは必要ないわ。運ぶのを手伝ってくれてありがとう」

 感謝の心が1mgも含まれていない声でレイは言い放った。

 「シ、シンジ君は?」

 「シンちゃんはこれから私と大切な用事があるのよ。あなたは邪魔だわ」

 「シンジ君を残しては行けないわ」

 カスミはタートルネックセーターの胸の辺りを鷲掴みにした。震え出す心を鼓舞するために。頑張れ、自分で自分に言い聞かせた。

 「あなたはもうふられたじゃない」

 レイの言葉は痛烈だった。あと三秒自分を励ますのが遅ければ、カスミはすごすごと部屋を出ていったかもしれない。それでもあの高台での出来事が明瞭に蘇ってくる。思わず口から溢れ出た告白の言葉。その後に来た沈黙。夕陽に照らされた傷心。

 「だ、だけど」

 「もしかして、まだシンちゃんのこと好きなの?」

 カスミは何も言えなかった。言葉が出てこなかった。

 「黙っているところをみると答えはyesね。でもそれじゃただのストーカーよ。一方的な愛なんて、もたらすのは破滅と悲劇だけよ」

 それならおまえがしているのは拉致監禁だ、と突っ込んだのは読者の48%と作者だけだった。今のカスミはそれどころではなかった。戦っているのはレイではなく、自分。逃げ出したくなる、諦めてしまいたくなる、まだ伝えたいことがたくさんあるのに絶望してしまいそうな自分の心。
 確かに自分はふられた。シンジは好きな人がいると言った。「惣流さん?」と聞き返すと無言で頷いた。その夜は泣き明かした。辛かった。胸が張り裂けそうだった。でも忘れられなかった。
 昨晩カオルは妙なことを言った。「選択は君に委ねられているんだよ」と。シンジは苦しそうだった。明らかに悩んでいた。風呂からアスカとレイが戻ってきたので続きは聞けずじまいだった。

 「多分、碇君は誰も好きというレベルに達していないんじゃないかな?アスカのことが比較的好きだけど、まだ恋未満。カスミにもチャンスがあると思うよ」

 相談したらヨウコはそう言った。シンジの辛そうな顔を心配しながら眠った。後ろめたいような気もしたが、素直に嬉しかった。自分にもまだチャンスがあるかもしれないと分かったら。諦めないと決めたから。

 「私はシンジ君が好き。あなたや惣流さんがどう想おうと関係ないわ」

 レイは、見た。自分に最短距離で突き刺さってくる目を。揺るぎのない黒い瞳は、レイの緋い瞳に衝突してきた。視線の鍔迫り合い。どちらも引かなかった。



 ドゴッンッ!!



 轟く爆音。ホテルの外壁の一部が吹き飛んだ。窓ガラスが舞い散り、煙とともに壁際の調度品が崩れ落ちる。
 レイとカスミは窓から離れた位置にいたので爆風にバランスを崩す程度で済んだ。さらに離れたところで失神しているシンジも無事だ。


 ズシャッ


 爆発があけた穴から黒い影が飛び込んでくる。頑丈なロープを端に付けた鉄矢は向かい側の壁にしっかりと突き刺さった。
 くくりつけられたロープがピンと張ると続けざまにもっと大きな影が飛び込んでくる。ロープを伝う滑車を握りしめたアスカは、紅茶色の髪をなびかせながら部屋に突入してきた。

 「ぬかったわねレイ。シンジには探知機を飲ましてあるのよ。それに狙撃が可能な見晴らしの良い部屋をとるなんて油断もいいとこだわ」

 滑車の勢いを殺すために前回り受け身を取りながら飛び込んできたアスカは、軽くほこりを払うとゆっくりと立ち上がった。

 「さてアンタ達、こんなところにシンジを連れ込んで一体どういうつもり?」

 アスカの声は低く重く、そして恐ろしげに響いた。津波が来る直前に引いていく波の音。不気味な静けさ。

 「別に。シンちゃんと一つになろうとしただけよ」

 レイは寸分のためらいもなく火に油を注いだ。言い訳という単語はレイの言語ファイルにはないらしい。

 「何を考えてるの?!肉体だけ結ばれたって心が結ばれていなければしょうがないでしょ!アンタは恋愛をする資格なんてないわ!!」

 「子供ね。肉体感覚でつながらないと分かり合えないことだってあるのよ。SEXを繰り返すことで相手の深い所に触れることができ、さらに強い結びつきが得られるような恋愛だってあるわ。身体なら素直に反応して分かり合えるのに、言葉にすると表層的になってしまう。だから私はシンちゃんを肉体ごと求めるの。結局、愛だ恋だというものは言葉だけでは表現できないものなんだから」

 津波のようなアスカの言葉を、レイは平然と受け止めた。カスミにはレイが言ったことはよく分からない。意味が分からないわけではないが実感がない。ただレイにはレイなりの正当性があることは理解できた。

 「盗人にも三分の理とはこのことね。でもアタシには通用しないわ」

 アスカも少しもためらうことなく言い返した。レイは鋭い視線を受け止めた後、それをカスミに流す。この子にも言ってあげなさいよ、そんな目だった。

 「なんでアンタがここにいるの?」

 一瞬カスミは答えが見つからなかった。トイレの前からのことを長々と説明しだしても始まらない。

 「私も好きだから、シンジ君が」

 言葉あわせの会話は成立していなかった。だが心の会話は成り立っていた。アスカは揺るぎのないカスミに驚きつつも動じた様子はなかった。

 ぶつかり合う三つの視線。譲れない心。

 壊れた外壁から吹き込んできた粉雪も三人にはちっとも寒く感じられなかった。雪も彼女達を避けるように降り積もっていく。

 時に林間学校三日目、6月3日

 少女達の熱い思いを受け止めきれない少年の14回目の誕生日まであと三日。果たして決着がつくのかは作者もよく分からなかった。全ては舞い散る雪のように。当初の構想などは淡く溶けて水になる。物語は終わらない。




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ver.-1.00 1997-11/25 公開
ご意見・ご感想・誤字情報などは meguru@knight.avexnet.or.jpまで。

 Project Eの二十二話です。物語終わらないって一体?最近カスミが僕の手を放れて勝手に動き出したために収拾がつかなくなってきました。本来なら全二十話の予定だったこの話もすでにカオス状態。一気に書ききらなかったことがこういう結果を招きました。
 最近活躍のカスミ。「名前のモチーフは某超有名エヴァHPの天使?」という質問がかなり前にきたことがありましたが違います。カスミはえっとあれ、何だっけな。今思い出しているんですけど・・・・・。かなり昔に読んだ姉の少女漫画。風邪を引いて何日か寝込んで家にある漫画を全て読破した時に・・・・・。
 そうだ「星の瞳のシルエット」?なんか違うような気もします。確かその漫画の主人公は沢渡香澄。香澄の字が違うかもしれません。相手役は確か九住君。あれ、これも字が違うかも。音にすると「くずみ」下の名前は智という感じが使われたことしか覚えてない。どなたか思い当たる作品を知っている人がいたら教えて下さい。確か花と夢コミック、だったかな?そもそも花と夢コミックなんてあるのか?これも記憶違いか?今度本屋行って確かめてきます。少女漫画のコーナー行くの恥ずかしいけど。
 あ、それから大家さん。ケンスケのふりで納豆に関するコメントを強要するような描写がありましたが気にしないで下さい。別にどうでもいいですよ。なら最初から入れるなって?それしか思いつかなかったんです。すいません。
 それではまた


 食べられるとは思うんですよ。納豆。その気なれば。

 1:
 納豆=関東の食べのもの。
 関東=東京

  なんてイメージがあるんです。
 

 2:
 基本的に大阪人はアンチ強者なんですよ。

 権威嫌い
 権力嫌い

 偉い奴嫌い

 なもんで、東京嫌い。と(^^;

 
 で、「1:」+「2:」

 納豆嫌い。

 偉そうな奴らの食いもんなんか認めてやんない(爆)
 

 −−−
 

 「2:」はちょっと違うかな・・

   権威ひけらかす奴嫌い。
   権力振りかざす奴嫌い。

   偉そうな奴嫌い。

 ですか。

 東京が一番なのは分かっているけど
 ”一番ずら”している部分が気にくわないのだ(^^;

 

 

 

 更に個人的には(ここまでも十分個人的ですが)

   読売反吐が出る
   ナベツネはさっさとスポーツ界から手を引いて欲しい。
 

 と、ここまで書いてなんですが・・・
 

 あとがき曰く「別にどうでもいい」なのね(^^;

 勢いで書いちゃったよ・・・
 恥ずかしいなあ(笑)

 

 

 

 

 MEGURUさんの『Project E』第二十一話、公開です。
 

 「納豆嫌い」でいっぱい
 

 一気にLASエンドに向けて突っ走る気配を見せたProjectですが、
 混迷してきましたね。
 

 強行レイと、
 復活カスミ。
 

 かき回すキャラが元気に独り立ちした今、
 収集を付けろと言うのは難しい?!
 

 このままカオスっているのもそれはそれで面白いぞ(^^)

 

 む、無責任なコメントだm(__)m

 

 

 さあ、訪問者に皆さん。
 ペースが上がってきたMEGURUさんに感想メールを送りましょう!


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