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私立第三新東京幼稚園A.D.2007



第二十四話 卒園式


「おはよう.」
「!…冬月先生…おはようごさいます.」
第三新東京市内にある某研究所,背後から声を掛けられたゲンドウは彼にしては珍しく驚きの表情で声の主に向き直る.ゲンドウの視線の先にはグレーの髪に痩せ形の男が立っていた.彼の名は冬月コウゾウ,第三新東京市内の大学で教鞭を振るう傍ら,ゲンドウ達の勤務先で研究プロジェクトの一つを推進する立場にあった.

「ユイ君は・・・ああ,今日はシンジ君の卒園式か・・・ということはキョウコ君も?」
「ええ.残念ながら.」
「・・・そうか.」
冬月はゲンドウの同僚であるユイとキョウコについて尋ねる.ゲンドウはニヤリと笑って冬月に答えた.冬月は苦笑いを浮かべる.

「あれから8年・・・早いものだな.」
冬月は懐かしむように昔を振り返る.過去にユイとキョウコは学生として彼の研究室で学んでいた.優秀であるかつ研究室の学生仲間にも人気のあった二人が結婚すると分かった時,学生達の間で大騒ぎになったものである.ゲンドウに至っては半ば犯罪者扱いだったし,冬月も優秀な研究者を一度に二人も失うことを嘆いていた.・・・後者については結局二人共研究職に復帰したので彼の杞憂に終わったのだが.


−*−


「・・・『かきつばた組』.相田ケンスケくん.」
「はいっ.」
私立第三新東京幼稚園では集会場で卒園式が執り行われていた.「かきつばた組」の担任シゲルが園児の名前を50音順に読み上げる.名前を呼ばれてケンスケは返事と共に起立した.

『ついにこの日が来てしまったわね.』
マヤは「かきつばた組」の園児達が一人一人立ち上がっていくのを席から見ながら今日の卒園の日を実感していた.幼稚園の先生として今年初めて赴任し受け持って来たクラスの最後の日だけにマヤの感じるところは大きかった.

『明るく送り出さなくっちゃねっ.ミサトさんの時みたいに.』
紺のスーツ姿で園児達の姿を見届けながらマヤはミサトが幼稚園を去った日のことに思いを馳せていた.



「・・・今日はみんなにちょっと残念なお知らせがあります.みんなと一緒に『お勉強』してきたミサトお姉さんが今日で最後になります.」
学芸会が終わって振替休日後の火曜日の朝,マヤは研究生のミサトが幼稚園を去るということを園児達に知らせていた.

「え〜っ!?ミサトおねーちゃん,いなくなっちゃうのお?」
「え?え?」
「うそぉ!」
「そんなのいやっ.」
「(ぼ〜)・・・・・・・」
マヤの話を聞いて「さくら組」の園児達が声をあげる.クラスの半数の園児が驚きの声をあげ,3分の1の園児がそのことを嫌がり,何人かの園児は何が起きたのか良く分からないといった様相だった.

「ミサトぉ,いくなよ〜.」
「ミサトおねえちゃん!」
「いかないで….」
「やだやだやだ〜.」
「ごめんね〜こればっかりはどうしようもないのよ.」
それから間もなく,クラスの園児達から次々と彼女を引き留める声があがる.この数ヶ月の間でミサトはその気さくな性格もあいまって園児達の中にすっかり溶け込んでいた.ミサトは複数の感情が入り混じった顔をしながら園児達を宥めていた.

「みんな,静かにして.ミサトお姉ちゃん,困ってるわよ.」
園児達の様子を見てマヤが間に割って入る.マヤは園児達に穏やかな口調で語り掛けた.マヤの言葉に園児達も少しだけ静かになった.

「だあってえ〜.」
「なんでだよ〜.」
マヤに言われて少しだけ大人しくなった園児達だったがそれでも事が事だけに騒ぎはまだ続いていた.

「ごめんね〜みんな.でもちょっち,お姉さんの話を聞いてくれないかな?」
ミサトが園児達に半分「お願い」をするかのように話し掛ける.ミサトの仕草に騒いでいた園児達も次第に静かになっていく.

「・・・みんな,ありがとう.」
ミサトは園児達に一言礼を述べた後,話を続けた.

「マヤ先生のおっしゃった通り,今日でみんなとお別れになるわね.みんなと別れるのは私も寂しいわ・・・」
園児達の前に立ったミサトは軽く握った右手を胸に当てながらいつになく静かに語る.語る言葉に一区切りついた所でミサトは目を閉じた.それからまた目を見開いて話を続ける.

「・・・でもね,みんながここを出て小学校に通うように私も行かなくちゃならないの.…そう,私もね.お別れは寂しいけれどこれは避けられないことなの・・・」
「ミサトぉ・・・」
「ミサトおねえちゃん・・・」
片手を胸に当てたままミサトは真剣な面持ちで話していた.ミサトの言葉は園児達には少しばかり難しいものだったが,ミサトの表情を前にして園児達もただ彼女の名前を呟くのみだった.教室全体がしんみりとした雰囲気になる.

「・・・なーんてね♪ みんな,そんな難しい顔しないのっ.別に死に別れるんじゃなんだからっ.」
突然,これまでの真剣な表情とは一転してミサトは今までのことを茶化すかのような態度を取る.ミサトの変化に園児達は戸惑いの表情を浮かべる.

「そうそう.実は私,4月から『先生』になるのよん♪ いいでしょ〜.」
ミサトは明るい口調で話を続け,最後にはニヤリと笑みを浮かべていた.さっきまでの真面目な顔はいったい何だったのかというくらいに.園児達は当惑の表情を浮かべていたが我に返った何人かが抗議の声をあげた.

「ミサトぉ!」
「ミサトおねえちゃん!」
「ひっどーいっ.」
「ミサトおねえちゃんのバカァ!」
「ゴメンネ,みんな.お姉さん,やっぱりこーゆーのは苦手なのよん♪」
口々に抗議の声をあげる園児達にミサトは両手を合わせ「許して…ね」といった感じで謝る.そんなミサトに声を上げていた園児達も「しょうがないなあ」といった顔をして次第に静かになっていった.



「鈴原トウジくん.」
「はーい.」
マヤが回想する間にもシゲルは園児達の名前を次々と呼び続ける.起立する園児達の水色の制服の胸にはお手製のお花とリボンが括り付けられていた.

『でも,やっぱりしんみりしちゃうな.』
マヤは膝の上で両手を組みながらミサトが幼稚園を去った時の回想を続けた.



「・・・それじゃ,ミサトさんに花束を渡しましょう.男の子と女の子一人ずつがいいかな.渡したい人は手を挙げてね.」
「はーい.」
「はい.はーい.」
ミサトの挨拶が終わってマヤは予め用意した花束を取り出す.それからプレゼンターを園児達から募集することにした.マヤの呼びかけに園児達から次々と手が挙がる.

「それじゃ,男の子は・・・」
マヤは園児達を見回しそっぽを向きながら手を挙げているタカシに気がついて思わず笑みがこぼれる.

「タカシ君にやってもらいましょ.女の子はレイちゃん,お願いね.」
マヤはタカシと控えめにそっと手を挙げていたレイを指名する.タカシはずんずんと,レイはてくてくと前に出て行きそれぞれマヤから花束を受け取った.

「ま,がんばれよな.ミサトぉ.」
「ありがとう.タカシ君.」
生意気な口を叩きながらタカシはミサトに花束を突き出した.ミサトはタカシの不躾な言い草を気にすることも無く笑顔で花束を受け取った.

「…はい.ミサトおねーちゃん.」
「ありがとう.レイちゃん.」
レイは手にした花束をそっとミサトに渡す.ミサトは花束を受け取ると空いている手でタカシとレイの頭を順番に撫でる.タカシはミサトから顔を逸らしながらレイはもじもじしながらミサトの「頭なでなで」を受けていた.

「・・・はい.最後に4月から先生になられるミサトさんにさよならをしましょう.」
タカシとレイが席に戻るのを待ってからマヤは園児達に向かってミサトと「さよなら」をしようと話す.

「ミサト先生,さようなら.」
「ミサトせんせい,さようなら.」×多数
マヤは最後にミサトを“先生”と呼んで別れの言葉を紡ぐ.マヤの言葉に園児達は口を揃えそのまま復唱した.

「はい.さようなら.でも“先生”はちょっち…痒いわね.」
園児達に“先生”と呼ばれたミサトはむず痒そうに園児達に挨拶を返し,マヤの方に「やってくれたわね」という視線を向ける.マヤは確信犯的な顔でミサトの視線を受け止めていた.

「それじゃね.みんな.」
ミサトは笑みを浮かべ,いつも通りの軽い調子で教室を後にした.



『あれはちょっとやり過ぎちゃったかな?』
マヤの顔に苦笑が浮かぶ.園児達が帰った後,ミサトに捕まったマヤは彼女にさんざん逆襲されたのである.

「洞木ヒカリちゃん.」
「はいっ.」
シゲルの声におさげの女の子が立ち上がる.それから数人の園児の名前が呼ばれて「かきつばた組」の卒園の儀が終了した.

「・・・『さくら組』.綾波レイちゃん.」
…はい.
自分の受け持ちのクラスになってマヤは立ち上がった.それからレイの名を読み上げる.名前を呼ばれたレイは小さく返事をして立ち上がった.


−*−


「晴れて良かったですね.」
「ええ.本当に今日は暖かくて助かりましたわ.」
春の陽射しが降り注ぐ中,幼稚園の中庭で園児達の保護者同士で取り止めの無い会話が交わされる.式典が終わって園児達とその保護者は中庭に出て思い思いの場所で佇んだり写真を撮ったり会話にいそしんだりしていた.

「・・・先生にはお世話になって,息子も幼稚園に楽しく通うようになったんですの.ほんにありがとうございました.」
「いえ,そんな・・・大したことは・・・」
「マヤせんせー,いっしょにしゃしんとろーよーっ.」
園児の保護者の一人がマヤに挨拶する.お礼を言われてマヤは当惑の表情を浮かべる.そんな彼女に別の園児がマヤの手を引っ張った.

「カツヤくん,そんなに引っ張らないで.あ,11時半に集会場で『お別れ会』が始まりますので時間になったらお願いしますね.」
「はい.分かりました.」
マヤは手を引っ張る園児に柔らかい口調で諭すと今まで話していた園児の一人の保護者にこれから行われる「お別れ会」の連絡をする.ここでの「お別れ会」とは卒業式の後の「謝恩会」に相当するもので子供達はお菓子を食べて,大人達は歓談をするというものであった.

「マヤ〜こっちこっち〜.」
「こらっ.先生になんて口の利き方してるのっ!」
「あいてっ.」
「シゲルさまぁ,いっしょにとりましょうっ.」
「青葉先生,お願いします.」
「いえ,その,僕は『お別れ会』のお知らせに廻らないと・・・」
マヤとシゲル,それに他の年長組のクラスの担任が「お別れ会」の連絡に歩き回っていた.中庭では「さくら組」の園児の一人がマヤを呼び捨てにして母親に拳骨をもらったとか,シゲルが一部の園児に妙な慕われ方をして困惑したとか,今の「仕事」から横道に外れるような光景があちこちで展開されていた.恐らく「お別れ会」が始まる時間は予定より少し遅れることだろう.もっともこの手の行事ではある程度の遅れが出ることを折り込んでスケジュールが立てられているものだが.

「マヤせんせーい!」
「あら?マナちゃん,一人でどうしたの?」
園児の一人が一際元気な声でマヤを呼ぶ.マヤが振り返るとそこには茶色がかった髪のショートカットの女の子が立っていた.マナである.

「マヤせんせい.マナ,おねがいがあるの.」
「何かな?マナちゃん.」
「あのね・・・」
マナはマヤに「お願い」があることを口にする.マヤは屈み込んでマナの次の言葉を待った.


−*−


「きれいにとってよねっ.ママ!」
「はいはい.」
栗色の髪の女の子が元気な声で母親に写真を綺麗に撮るよう要求する.彼女の右手はちょっと気弱そうな男の子の左手と,左手は空色の髪のおかっぱ頭の女の子の右手とつながっていた.アスカとシンジ,それにレイである.

「はい.笑って.」
アスカの母キョウコが幼稚園の建屋の前で手をつなぎ並び立つ三人をカメラに収める.そばでシンジの母ユイとレイの母メグミが一連の光景を見守っていた.

「こんどはレイがまんなかよっ.」
「…シンジくん,さきにまんなかにはいって.」
「レイちゃんがさきでいいよ.」
「レイ!こーゆーときは『れでぃーふぁーすと』といっておんなのこがさきなのよっ.」
「…そうなの?」
「そうよっ.」
次に誰が真ん中に入るかで話を始める三人.先に真ん中に入ることをためらうレイにアスカは「レディーファースト」などという言葉を持ち出す.この状況でその言葉が当てはまるのかどうか疑問だがとにもかくにもレイがおずおずと真ん中に入っていった.

「レイちゃーん,もうちょっと顔を上げてねー.撮るわよー.」
先程に引き続きキョウコがシャッターを切る.真ん中に入ってもじもじとしているレイにキョウコは優しく声を掛けていた.

「・・・さいごはシンジ!アンタがまんなかにはいるのよ.」
「うん.アスカ.」
「レイっ.」
「…なに?アスカちゃん?」
「ちょっとこっちにきて.…シンジはそこでまってて.」
「…うん?」
「?」
三人を仕切るアスカ.アスカはシンジに真ん中に入るよう指示すると今度はシンジから少し離れてレイを呼び寄せる.アスカの言動にシンジとレイは少し戸惑っていた.

レイ,(ごにょごにょごにょ・・・)
え?でも・・・
いいから・・・ね.
アスカちゃん・・・
そんなむずかしくかんがえないのっ.レイっ.
う,うん・・・
レイを呼び寄せたアスカは顔を寄せ小声でひそひそ話を始める.アスカが切り出した話にレイはためらいの仕草を見せる.困った表情を浮かべるレイにアスカは一押し二押しで話を進めていた.

「おまたせっ.ママ!シンジ!」
「・・・・・」
話が終わってアスカは元気良くシンジのもとに戻っていく.対照的にレイは無言である.シンジの左側に立ったアスカは右手をシンジの左肩に,右側に立ったレイは左手を右肩に置いた.

「・・・・・それじゃ,撮るわよ.アスカ,レイちゃん,もうちょっと寄って.」
それから少し間を置き,キョウコはカメラの用意をする.キョウコの指示にアスカとレイはシンジを中心に体を寄せた.

「はい,笑ってー.」
カメラを構えたキョウコはファインダを覗いてシャッターを切りに入った.カメラを前にシンジはにこにこと微笑んでいた.

むにゅっ(さわっ)

キョウコがシャッターを切った瞬間,シンジは頬っぺたに妙な感触を覚える.シンジの左頬はアスカの右手で思いっきり引っ張られ,右頬にはレイの左手がそっと当たっていた.

「なにふんだよぉ.あふかぁ〜.(なにすんだよぉ.アスカぁ〜.)」
・・・・・・・
頬を引っ張られたままシンジはアスカに非難の声を上げる.レイは顔を真っ赤にして黙り込んでいた.

「ちょっとレイっ.ほっぺたひっぱんなきゃだめじゃない!」
アスカちゃん・・・わたし,やっぱりできない.
「てをはなひてよぉ.あふかぁ〜.(てをはなしてよぉ.アスカぁ〜.)」
シンジの抗議をよそにアスカはレイを責める.先程の内緒話はシャッターを切る瞬間に二人してシンジの頬っぺたを引っ張ろうというアスカの提案だった.アスカの非難をレイは困った顔で受け止めていた.一方,シンジはアスカに頬を掴まれたまま声を上げていた.

「いい絵が撮れたわよ.シンちゃん.」
「おかーは〜ん〜.(おかーさ〜ん〜.)」
茶化すようにユイが声を掛ける.ユイは笑っていた.母親に茶化されてシンジは何とも言えない哀しげな声を出す.シンジはアスカに頬を掴まれたままだった.

「ぶぅ〜.」
アスカには頬を引っ張られ,ユイには茶化されてすっかりシンジは拗ねてしまっていた.

「な,なにすねてんのよ.シンジ.」
「・・・アスカのバカぁ・・・.」
「こ,これぐらいですねるなんてきもったまがちいさいわねえ.」
「どうせぼく,きもったまちいさいもん・・・.」
すっかり拗ねてしまったシンジを前にアスカはちょっとうろたえる.アスカは少しは悪いとは思いながらも出てくる言葉は素直なものではなかった.

「シンジくん.…シンジくん.」
「・・・・・」
レイがシンジに呼びかけるがシンジは黙ったまま応えなかった.応えないシンジにレイの表情が悲しいものに変わる.

「シ〜ンちゃん.」
「・・・・・」
「シ〜ンちゃん.」
「・・・・・」
「・・・そんなに拗ねないのっ.」
「うわっ.」
怒ってしまったシンジに今度はユイが話し掛ける.黙り込んでしまったシンジをユイは背後から両脇に手を入れて抱え上げた.ユイに抱え上げられてシンジは思わず声を上げる.

「怒ってるの?」
「・・・・・」
「怒ってるの?」
「・・・うん.」
「…そう.笑っちゃってごめんね.シンちゃん.」
シンジを抱きかかえたユイは体を密着させ頬を寄せる.最初はいやいやをしていたシンジだったが,ユイの繰り返す問い掛けにシンジはこくんとうなずいた.返事を聞いてユイはシンジを地面に降ろしてシンジに謝った.

「…ごめんね.シンジくん.」
「そんな,おこんないでよっ.」
おずおずとレイが謝る.そしてアスカもまた俯きながら話していた.

「・・・うん.」
シンジの顔から険が取れる.アスカとレイの思わぬ所業によって変な顔を撮られ,拗ねていたシンジだったが少し落ち着いたようだ.

「シンジくんが真ん中でもう一枚,撮るわよ.アスカ,レイちゃん,今度はいたずらしちゃ駄目よ.」
「わかってるわよっ.ママ.」
・・・はい.
キョウコがカメラを構え直す.さっきのことで釘を刺すキョウコにアスカは明るい声でレイはうなずいて答えた.それからシンジを中心に三人並んだ姿をキョウコはフィルムに収める.

子供達だけの写真を撮った後はそれぞれの親が交代で子供と一緒になって撮影を続けた.


−*−


「撮りますよー.」
中庭の別の一角では白衣姿の20代前半の女性が活発そうな女の子の園児の後ろに立って撮影に臨んでいた.にこにこ顔の園児とは対照的に女性の方は顔が少しばかり引きつっていた.白衣の女性はこの幼稚園の保健医であるリツコ,園児はマナである.マナがマヤにねだった「お願い」とはリツコと一緒に記念写真に写ることだった.

「赤木先生,肩の力を抜いていいんですよ.」
「そんなこと言われたって『笑って』と言われてすぐ笑えるもんじゃないわよ.」
カメラを持つマナの母の傍らで立っていたマヤがリツコに話し掛ける.それに対しリツコは眉間にしわを寄せ答えていた.

「私がカメラ,苦手なの知ってるでしょ?伊吹先生.」
さらに一言,リツコは付け加える.愛想笑いといった類の振る舞いにあまり縁の無いリツコにとって記念写真とは苦手なものだった.また,カメラに撮られること自体も彼女はあまり好きではなかった.それでいながらこうしてマナと一緒にカメラの前に立っているのはマナとマヤの「お願い攻勢」にリツコが根負けしたからである.その辺もまた彼女の性分であった.

「あかぎせんせーい!」
マナがリツコと一緒に写真を撮ってもらっているところへ男の子の声がする.マヤとその場にいた全員が声の方向に視線を向ける.視線の先にはシンジとアスカとレイ,それにそれぞれの保護者達がマヤ達の方へと歩み寄って来ていた.

「あ〜,シンジくん.アスカちゃん.レイちゃん.」
「なにやってたの?マナちゃん?」
「あかぎせんせいときねんしゃしんとってたのっ.」
「きねんしゃしん?マナ.」
「そうっ♪」
シンジ達はマナのもとに歩み寄りマナに尋ねる.シンジ達の問い掛けに対しマナは楽しげに答えた.マナはその物怖じしない性格のおかげかリツコに対する苦手意識は全く無かった.

「ねえねえ,シンジくんたちもいっしょにとろうよっ.」
「うん.いいよ.」
「いいわよ.」
「…うん.」
マナは一緒に記念写真を撮ろうとシンジ達を誘う.シンジ達3人に異存は無くマナの言葉にうなずく.マナと同様にシンジ達3人もまた「白衣の悪魔」リツコに対する苦手意識は無く,特にアスカとシンジはリツコに対してとても好意的だった.

「こんにちは.赤木先生.いつもシンジがお世話になりまして.」
「こんにちは・・・いえ,私は保健医としての勤めを果たしているだけですので・・・」
シンジ達とマナが話をしている一方で,大人達は大人達同士で挨拶を交わす.お世話になった礼を言われるとリツコは「仕事」として勤めを果たしているに過ぎないと答えていた.

「・・・一緒に写真,どうですか?」
「いいですわよ.霧島さん.」
「私が撮りましょうか?」
「赤木先生,かまいませんか?」
「・・・ええ.」
マナの母がユイ達を記念撮影に誘う.言葉は違えども母娘共に同じことを切り出していた.承諾するユイ,カメラマンを買って出ようとするキョウコ.メグミに可否を尋ねられてリツコは苦笑半分で答えていた.

「はい.並んで〜.」
キョウコがシンジ達4人とリツコをフレームに収める.笑顔の子供達とは対照的にリツコの顔は引きつっていた.カメラに向かって笑顔を作らなければならない,リツコにとってその不文律はどうにも馴染めないでいた.

「代わりましょう.惣流さん.」
「・・・すみませーん.お願いします.」
子供達とリツコの撮影が終わった後,マヤが撮影を代わろうと申し出る.キョウコはマヤに頭を軽く下げるとカメラを渡して子供達の方に向かった.今度は子供達と親達,引き続きリツコがカメラの前に並んだ.

「・・・・・」
子供達の後ろに並んだユイはふと右隣のリツコの顔に視線を向ける.カメラを前に厳しく引きつった顔.何の気無しにユイはリツコの顔に右手を伸ばした.

むにゅっ

次の瞬間,リツコはユイに頬を引っ張られていた.

「!・・・な,ななななにを!?」
突然の出来事にリツコは驚きの声を上げる.それからユイの顔を見て口をパクパクさせる.完全に虚を衝かれたリツコであった.

「い,いきなり頬を引っ張って,何ですか!?い,碇さんっ.」
「・・・だって恐い顔してるんですもの.赤木先生.」
再び声を取り戻したリツコは驚き半分腹立ち半分でユイと向かい合う.それに対してユイは自分の思っていることをしれっと言葉にしていた.確かにリツコの顔は引きつっていて険の入ったものだったが,それを見て頬を引っ張る行動に出るユイはかなり大胆である.実際,キョウコを除く周囲の大人全員がユイの行動に唖然としていた.

「そ,そんなのわた・・・」
「おかーさん!」
リツコがユイに反駁しようとしたその時,下の方から鋭く甲高い声が上がる.ユイとリツコが下を見るとそこにはシンジが怒った顔でユイを見上げていた.

「ほっぺたをひっぱるなんてひどいよっ.おかーさん!」
シンジは怒っていた.アスカによってさっき変な顔を写真に撮られたことをまだ根に持っていたようである.思わぬシンジの態度にユイは目を瞬かせた.

「どうしたの?シンちゃん?プリプリしちゃって.」
「おかーさん,あかぎせんせいにへんなかおさせるんだもん!」
ユイはシンジに尋ねる.シンジは彼にしては珍しい鋭い口調で答えた.

「あら?シンちゃんは赤木先生のことが好きなの?」
「すきだよ.だってあかぎせんせい,やさしいもんっ.」
シンジの非難に対してユイはリツコのことが好きかと尋ねる.ユイの問い掛けには「からかい」が半分含まれていたがシンジはそれには気づかず素直に答えていた.

「それよりおかーさ・・・」
「・・・もういいわ.シンジくん.ありがとう.」
ユイに話を逸らされたシンジだったが話を忘れてはいなかった.話を元に戻そうとしたシンジだったが,リツコがシンジの背後から肩に手を置き彼の動きを止める.シンジが振り向きリツコを見上げる.リツコは目を伏せ軽く息をつく仕草の後,シンジの肩を軽く叩いた.

「・・・失礼しました.」
「いいえ.仏頂面は自覚してることですから.」
改まった口調でユイがリツコに謝る.それに対してリツコは苦笑いでいかにも「わかっていることなのだけど」と言いたげな顔でユイに応えていた.

「それじゃ,撮ります.」
それからまた列を組み直してカメラの前に4組の親子とリツコが立つ.リツコの表情は先程に比べて心なしか柔らかく感じられる.マヤは肘を固定してカメラを構えるとシャッターを切った.

「もう一枚,撮りますね.」
一呼吸置いてからマヤは再びシャッターを切った.

「いい表情でしたよ.先輩.」
カメラをマナの母親に返したマヤはリツコに話し掛ける.幼稚園ではリツコのことを「赤木先生」と呼んでいるマヤだが今は思わず学生の頃から使っている「先輩」が口をついて出ていた.マヤの言葉にリツコは一瞬,戸惑うような表情を見せた.

「・・・ところで,『お別れ会』の方はいいの?伊吹先生.」
「あ.いっけなーい.・・・霧島さん,碇さん,惣流さん,綾波さん,もうすぐ『お別れ会』が始まりますので集会場へ急いでください.」
それからリツコは眉をひそめ,マヤに「お別れ会」のことを指摘する.リツコに指摘されてマヤは本来の仕事を思い出し慌てる.マヤは4組の親子に「お別れ会」の開始が迫っていることを知らせた.

「あら?もうそんな時間?それじゃ行きましょうか.」
「マナ.行くわよ.」
「はーい.ママ!」
マヤに知らされて,ユイ達は「お別れ会」の会場である集会場への移動を始める.シンジ,アスカ,レイ,マナの園児4人が先行し保護者4人は後からついて行く形になった.

「シンジ!マナ!レイ!あのたてものまできょうそうよっ.」
「え〜っ.アスカ,あしはやいからしょうぶになんないよ.」
「さいしょっからあきらめるんじゃないのっ.いくわよっ.」
「あ〜まってよぉ〜.」
アスカはシンジ達に会場の建屋まで競争しようと持ち掛ける.アスカと違って足の遅いシンジは嫌がるがアスカは強引に競争を始めてしまった.慌てて後を追いかけるシンジ.また,マナもレイも走り出していた.

「そんなに慌てて走ると転ぶわよー.シンちゃん.」
「気をつけるのよ.レイっ.」
後ろから子供達を見ていた4人の母親のうち,ユイとメグミが自分の子供に声を飛ばす.この辺は息子(娘)の運動神経を考慮してのことだろうか.

「いっちばーん!」
「アスカちゃん,いきなりはじめるなんてずるーい!」
「はぁはぁはあ・・・.」
「・・・はぁはぁ.(すーっ,はぁーっ.)」
「ママー!おばさま!はやくはやくーっ!」
建屋の入り口にはアスカ,マナ,シンジ,レイの順で到着した.一番に着いて上機嫌のアスカ.スタートのことでアスカに抗議するマナ.元気な二人とは対照的に息の上がっているシンジとレイ.アスカは後ろを振り返り,後からゆっくりと歩いて来るキョウコ達に手を振っていた.


−*−


「・・・先輩は行かないんですか?」
「私が行ったら子供達逃げ出すわよ.」
「それは・・・そうですね.」
4組の親子が立ち去った後,マヤとリツコがその場に残っていた.自分が「お別れ会」に行ったら子供達は恐がるだろうと言うリツコにマヤは思わずうなずいてしまっていた.

「・・・はっきり言うわね.」
「す,すみません.」
「いいわよ.事実だし.」
「先輩.今も,子供・・・苦手ですか?」
リツコは苦笑いでマヤに応える.マヤは申し訳なさそうな顔をするがリツコは左程気にしていない様子だった.それから,マヤはリツコに「子供」についてどう思っているかを尋ねた.マヤに尋ねられてリツコは数秒間黙り込んだ.

「・・・そうね.子供って我が侭だし,うるさいし,鬱陶しいし,すぐ泣くし,まったく疲れるわ.・・・でも,無邪気で素直な姿を見るとついつい頬が緩んでしまうわね・・・反則だわ.」
「先輩・・・」
リツコは以前マヤに尋ねられた時と同様に子供の嫌な点を列挙する.だが,嫌な点を列挙してから一呼吸後にはリツコはちょっと引っ掛かる言い方ながらも子供の可愛い面を認めていた.リツコの答えにマヤの顔から思わず笑みがこぼれる.

「・・・早く行きなさい.『お別れ会』,始まるんでしょ.」
「ええ.それじゃ,行ってきますね.先輩.」
「いってらっしゃい.マヤ.」
マヤの顔を見て何となくこそばゆいものを感じたリツコはマヤを会場へと追い立てる.マヤはにっこりと微笑んで素直にリツコの言葉に従った.会場へ向かうマヤの後ろ姿を見送り,それから会場の建屋の中にマヤが入っていくのを確認するとリツコは自分の持ち場である保健室へと戻り始めた.

春の柔らかい陽射しが中庭を歩くリツコを包み込む.それから間もなく拍手と子供達の歓声が集会場からリツコの耳に飛び込んで来た.「お別れ会」の始まりだ.リツコはちらっと集会場の方へ振り返り再び保健室へと歩いていく.リツコの顔に微かな笑みがこぼれる.同じ頃,会場では園児達がお菓子の山を前に「いただきます」を待っていた.

「はらへったー.はよ『いただきます』にしてーな.」
「トウジぃ・・・.」
「すずはらっ.おぎょうぎがわるいわよっ.」
「あかぎせんせい,どうしたんだろーねー?シンジくん?」
「・・・うん.どうしてみんなあかぎせんせいのこと,こわがるのかなあ.」
「…しょうがっこうもみんなおんなじクラスになれるといいね.」
「ぜったい,いっしょになるわよっ.レイっ.」
トウジが,ケンスケが,ヒカリが,マナが,シンジが,レイが,アスカが,他の子達もテーブルの上のお菓子を前にやいのやいのと言葉を交わす.

「本当にあっという間ね.シンジがアスカちゃんによく泣かされたのが昨日のことのようだわ.」
「ユイ,それ,幼稚園入園以前の話でしょ.でも,ほんと早いわね.」
『・・・卒園おめでとう.レイ.』
ユイ,キョウコ,メグミ,そして他の保護者達もまた目の前の子供達を見ながら思いに耽る.もっと小さかった頃の思い出,今の成長,各々の親の思いは様々である.

送り出す大人達と送り出される子供達.
成長の喜びと別れの寂しさが入り混じる卒園の日の幼稚園だった.


(私立第三新東京幼稚園A.D.2007 完)

公開1998+04/13
お便りは qyh07600@nifty.ne.jpに!!

1998/04/11 Ver.1.0 Written by VISI.



筆者より

最終話「卒園式」です.前回の後書きの通り,4月にずれ込みました(苦笑).冒頭の冬月ですが「研究」といっても「アダム」とか「EVA」とかの類とは全く縁の無いものです.そもそもここの作品世界では「その様なものは無い」という設定ですので(「エバン」はあるけど−笑).念のため補足しておきます.

連載を無事完結できてほっとしています.時節にこだわりながら(←さすがにもう無理です)一年間書き続けてきた物語でしたので私の思うところは多々あるのですがそれを書くとそれこそSS一本書くぐらいのエネルギーを使いそうなので止めておきます(笑).短く書けば「一年間良くやった」と「一年間やっててこの程度かい」の思いの比率が7:13(細かい−笑)といったところでしょうか.また,「ラブコメ」あるいは「LAS」を期待された方には御期待を裏切る展開だったかと思います.(ちなみに,私は「レイ×シンジ」な人ですがこの物語に関しては将来誰と誰がくっつくかは全く決めていません.もっともそんな遠い将来を書くことは恐らく無いとは思いますが.)

それはさておき,話自体は「ベタ」でありながらEVA小説としては毛色の変わったこの物語を毎回受け取ってくださり暖かいコメントを付けてくださった大家さん,そして最後まで読んでくださった読者の皆様に深く感謝いたします.特に更新毎に感想を送ってくださった方々には本当に心から御礼申し上げます.こうして物語を最後まで書き終えられたのも皆様のお手紙あってのことです.

最後になりましたがもしこの物語を気に入ってくださったのならご感想をお寄せくださると大変嬉しいです.もし,その際に最も印象に残っているエピソードを教えていただけるとなお一層喜ばしいです.是非ともお願いいたします.m(_ _)m

誤字・脱字・文章・設定の突っ込み等は,
までお願いします.






 VISI.さんの『私立第三新東京幼稚園A.D.2007』最終話、公開です。



 大きくなったのは背だけではなく。
 大きくなったの子供達だけでなく。


 一年間で色んなことを経験して、
 みんなみんな大きくなったよね(^^)


 アスカとシンジの二人で始まって、

 マヤ先生が、
 悪ガキ組が、
 ぷりちーレイちゃんが(*^^*)
 ヒカリトウジケンスケが
 保険医リツコさんが、
 研修生ミサトさんが、
 パパママsが、

 どんどん登場して、
 みんなみんな魅力的に動き回って、

 今日は卒園式。



 ここでも、みんなみんな!

 最後まで ほわほわ〜 感が満杯♪
 決まりましたね☆




 さあ、訪問者の皆さん。
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