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妖精の憂鬱
第四話 それぞれの夜 アスカ編



「はあぁ」


アタシは、ベッドに寝そべりながら、今日何度目になるか分からない溜息をつ

いた。


「なんか悩み事でもあるの?」


食事中もしていたらしく、ママにそう言われてしまった。


悩み事・・・・・か。


やっぱりあの事を思い出したせいかな。


「・・・・・バカシンジ」


思わず呟いてしまった。

何年ぶりだろう、この名前を呼んだのは。

心の奥に閉じ込めていた記憶。

思い出したくないのに。



でも、もう駄目ね。

あの娘がいるから、あいつの面影を持ったマナがいるから。


「まだ・・・・・謝ってないんだよね」


アタシはそう呟くと、ここ数年忘れていたはずの記憶を探る。




アタシとシンジは、近所の裏山に登った。

嫌がるシンジを無理矢理連れて行ったんだっけ。

別に、今考えれば大して危ない場所ではなかったけど。ただ、アタシ達はまだ

ホンの子供だったから。


「ねえ、あすか、そろそろかえろうよ」
「だめよ、もうすこしたんけんしてからよ」
「でも・・・・・」
「だめったらだめ、アタシのいうことがきけないの!!」
「そ、そんなこと・・・・・」


シンジが帰ろうって頻りに言っていたせいで、意地になったアタシはドンドン

奥に進んでしまった。

そんなときだった、アレがアタシ達の前に現れたのは。

いま考えれば、それこそ笑い話かもしれない。

そうアタシ達の前に現れたのは、一頭の大きな犬だった。

でも、今に比べて体の小さかったアタシ達にとって、それは熊にも等しい存在

だったのだ。


「ぐるるるるるるる・・・・・」
「・・あ・・・あ・・ああ・・」
「な・・・な・・な・・・・・」


アタシとシンジは、恐怖に震えている事しかできなかった。


『死ぬ』


アタシは、冗談抜きでそう思っていた。

普段、シンジを守ってあげる等と言っていたくせに、この時は指一本動かすこ

とが出来なかったのだ。

そして、うなり声をあげながらそれが、ゆっくりとアタシの方へ近づいて来た

のだ。

アタシの頭の中は完全に真っ白になってしまった。

何も考えられない。

ただただこの場から逃げたかった。


『助けて!!』『死にたくない!!』


そんな単語が、頭の中を駆けめぐる。

そしてそんな思いは、アタシにあんな行動をとらせた。


「い、いやゃゃゃゃー!!!」


アタシは凄まじい叫びを上げると、シンジを突き飛ばして逃げたのだ。


「あ・・あす・・・・・ぐっ・・・!」


シンジの苦しげな声が聞こえたが、そんなことは関係なかった。

アタシはとにかく走った。

あれから逃れる為に。

無我夢中になって。

大事なモノを置き去りにしてしまった事にも気付かずに・・・・・。


「はあ・・はあ・・はあ・・・・・し、しんじ?」


どれくらい走ったのだろう、あの時の年齢を考えれば、実際は大した距離じゃ

なかったのかもしれない。

でも、アタシにとっては永遠とも思える距離だった。

体力の限界まで走り、ふと気付くとシンジがいなかった。


「し、しんじ・・・しんじ・・・」


その時になってやっと気付いた・・・・・自分のした事に。


「しんじ・・ひぐっ・・しん・・じ・・ぐすっ・・・」


アタシは、怖くなって泣き出してしまった。

犬に対するのとは違う恐怖。

シンジが死んじゃったかもしれない。

そんな考えにとりつかれたアタシは、慌ててあの場所に戻ることにした。



『アタシがまもってあげるから』



「・・・しんじ・・・ひっく・・・ぐすっ・・・」


何もできなかった、それどころかシンジを盾にして逃げたのだ。

アタシは、涙で歪む視界の中懸命に歩を進めた。



そして・・・・・。

もう犬はいなくなっていた。

そこには、顔を押さえて蹲っているシンジがいるだけだった。


「・・・し、しんじ・・・だ・・だいじょうぶ?」
「・・・・・ううっ・・・・・いた・・・い・・・」


シンジの苦しそうな声を聞いて、アタシは駆け寄った。


「しんじ?」
「・・・うう・・・あす・・か・・・?」


そういって、顔を上げたシンジを見てアタシは凍り付いた。

押さえている左眼から、すごい量の血が流れていたのだ。


「・・あ・・・あ・・・し・・・・ち・・ちが・・・」
「いた・・いよ・・・あす・・か」


殆どパニック状態になっていたが、何とか最低限のことは出来た。

肩を貸しシンジを支えるようにして歩き出す。


「・・・うう・・・うう・・」


シンジは必死に痛みをこらえていた。

いま思うと、普段から泣き虫だったシンジが、何故あんな痛みに耐えられたの

だろう。

泣き叫んでもおかしくなかったのに・・・・・。



『アタシを心配させないため?』



こんな時、元気付けて上げなければいけないのは解っていたが、アタシは何も

言えなかった。

いや、言いたくなかったのかもしれない。


『醜い』


いま心からそう思う。

でも、この後アタシのとった行為はもっと最低だった。


「シ、シンジどうしたの!!」
「か・・かあ・・さ・・ん」
「待ってて、いま救急車呼ぶから」


シンジのママはものすごく慌てていた。

五分ぐらいするとサイレンと共に救急車がやってきた。

シンジは担架に乗せられ、付き添いとしてシンジのママが一緒に行った。

アタシもついていこうとしたが、後からアタシのママと来なさいと言われたの

で、その場に残ることになった。

そして急いでママに知らせに行こうとしたが、サイレンの音で気付いたのかす

でに玄関を出てきていた。


「アスカ、何があったの!!」
「ま、まま・・・し、しんじが・・・しんじが怪我したの」


アタシは怯えた。


「どういう事なの?」


そして・・・アタシは嘘をついた。


最低の嘘を・・・・・。



「あ、あのね、しんじが、う、うらやまに行きたいって・・・言うから・・・
しょうがなく・・・あたしがつれてったの・・・・そしたら・・・おおきい犬
がでてきて・・・・・しんじにおそいかかって・・・それで・・・あたしまも
ろうとしたんだけど・・・でも・・・」
「裏山には行っちゃ駄目って言ってたでしょ!!」
「だ、だって・・・しんじが」



違う!!!



あたしは心の中で叫んだ。

あの傷は犬に襲われて出来たんじゃない。

アタシが突き飛ばしたから怪我したんだ。



そう、最初から分かってた。

シンジが蹲っていた側の木の幹に、血がベッタリと付いていたのをアタシは覚

えていたのだから。

でも、アタシはその嘘を突き通す事になった。

その後病院へ行ったとき、シンジのママからシンジの左目が、もう一生見えな

いと知らされたからだ。



『アタシのせいで?』

『アタシが無理矢理裏山へ連れて行ったから?』

『アタシが突き飛ばしたから?』

『全部アタシが悪いの?』



やめて、やめてよ!!



そしてシンジもアタシの嘘につきあったのだ。

何故?



思えば、シンジとアタシの仲は、あの時から壊れていったのかもしれない。

それとも・・・アタシだけがそう思っていただけなのか。

一応お見舞いには行った。

でも、ほとんど会話らしい会話をしなかった。

いや、出来なかった。



シンジの左目は義眼になっていた。

そして、その瞳の色はアタシと同じ色だった。

シンジが羨ましがっていた瞳の色。

綺麗だねって言ってくれた色。


「ほら、あすかとおんなじいろだよ」


嬉しそうにそんなことを言っていた。

彼奴は、あの事について何も言わなかったし責めもしなかった・・・・・。

でも、アタシにはそうは思えなかったのだ。シンジの左目に入った瞳の色は、

アタシを責めているようにしか感じられなかったのだ。



謝らなければいけなかったのに。

たとえ周りの人間には、嘘をついたままだったとしても。

シンジにだけは謝らなければいけなかったのだ。

アタシがなかなか言い出せずにいるうちに、その機会は失われてしまう事に

なった。

仕事の関係とかで、海外に行ってしまう事になったのだ。

アタシは空港まで見送りに行った。

それが最後のチャンスだったのに、またもやアタシは何も言わなかった。



そして、アタシはまだ謝れずにいる。といってもあれ以来彼奴に会ったこと

はないのだが。

そういえば、最後のシンジの表情がやけに印象に残っている。

寂しそうな顔をしていた。

実際、別れを惜しむ人はああいう顔をするものだろう、でも・・・・・。


『どうして謝ってくれないの』


以前、義眼を見せられた時のようにアタシは、『責められてる』そう感じて

しまったのだ。

そしてシンジは行ってしまった・・・・・。



最後の最後まで彼奴は、あの事について一言も触れなかった。

彼奴の優しさかな・・・・・?

違うような気がする。

彼奴自身、あの事から目を逸らしたかったのかもしれない。

目を失ったことではなく、アタシに裏切られたことから・・・・・。

シンジはアタシを信頼していた。

自惚れでなくそう思う。内気で友達のいなかったシンジにとっては、アタシは

本当に掛け替えのないモノだったはずだ。

アタシだけがシンジの友達だったはずだ。



でも、本当は逆だったのかもしれない・・・・・。

アタシにとってシンジが掛け替えのないモノだったのかもしれない。

今でこそ、ヒカリ、レイといったような友達がいるが、あの頃のアタシには、

シンジ以外友達と呼べるような人はいなかったのだから・・・。

みんなアタシを見て、『気持ち悪い』『変な色』そんなことを言っていた。

シンジだけがアタシの事を、アタシの瞳の色や髪の毛を誉めてくれたのだ。


綺麗だね・・・・・って。





「・・・・・バカシンジ」


もう一度会いたい。

会って謝りたいよ。

知らないうちに涙が溢れてくる。






明日から毎日マナに会うんだ・・・・・。

あの娘の笑顔は、アタシにとっては苦痛にしかならない。

いま彼奴に会えば、ちゃんと謝れるはずだ。

だけど彼奴はいない・・・・・。

でも、あの笑顔だけはある。


「罰・・・・・なのかな」


あの時謝れなかったアタシへの罰。



『・・・・・ゴメンね・・・・・』


彼奴に会うまでは、決して口にしないと決めた言葉を、心の中で呟きながらア

タシは眠りについたのだった。


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ver.-1.00 1997-05/21公開
ご意見・感想・誤字情報などは kazukun@mxv.meshnet.or.jpまで。

 葵さんの連載、『妖精の憂鬱』第四話の公開です。

 アスカが逢いたくて逢いたくて、そして・・・逢いたくない”彼奴”

 二人の心に大きな傷を作り、
 二人の間に大きな溝を作った過去の出来事。

 アスカを苦しめている事故。

 シンジはアスカを恨んで許していないのでしょうか?
 それともそれはアスカの杞憂なのでしょうか?

 二人の出会いがどんなことを起こすのでしょうか?
 ・・・・それ以前に、二人は出会えるのか?
 

 明るい学園物とは別のハードな側面でした。

 訪問者の皆さんの心にもこのエピソードは衝撃を与えたと思うのですが・・・
 今の貴方の心を葵さんに伝えてあげて下さい。


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