TOP 】 / 【 めぞん 】 / [ディオネア]の部屋

そこはあまりにも暗い病室だった。
誰もいない、何もない、窓の外は暗くて何も見えない。
枕元の治療機器、ベットとそこに寝ている一人の少女がこの部屋の全てだった。

無機質な電子音だけがこの部屋の音だった。

少女は青く静かな瞳を宙に向けたまま身動きしようとしない。
ただそこにいるだけ。
何も感じない、何も見えない、何も話さない。

存在としてあるだけ。

・・・・それでいいの・・・このまま消えるの・・・あたしは・・・・

その想いを現すように彼女の腕はひからび、瞳に光はなく、その頬は大きくやつれていた。
それは彼女が望んだこと。





読み切り







寝ているアスカの元に見舞いは誰も来ない。
医師や看護婦すらここには来ない。
ただ機械だけが彼女を見守っている。

それが自分には相応しい、この暗い病室で彼女はその事に満足していた。
ゆっくり少しずつ消えていく。
誰もそれを看取ることなく気が付くことなくその存在が消える、それで良かった。

扉と窓には開かず鍵がかかり誰も入ることも彼女が外に出ることも出来ない。

その筈だった。

・・・・・何よあんた・・・・

黒真珠のような瞳が二つ誰にも用のない誰からも必要とされないアスカを見つめているのだ。

・・・・・何であんたがこんな所にいるのよ・・・・

それは何も答えず、ただ彼女を見つめている。
アスカはそれを知っていた。
彼女が未だ『生活』という物をしていた頃、共に暮らした生き物だ。

・・・・ペンペン、どうやってここまで来たのよ・・・・

鍵の掛かっている鉄の扉は誰も通していない筈なのに。
だが一羽のペンギンはかつての面影が全くない彼女の顔をジッと見つめている。

・・・・何見てるのよ、そんなに面白い?・・・・

久しぶりに胸の中がざわつく。
この病室に入って初めて感じた感情は『苛立ち』

・・・・あっち行きなさいよ!このバカペンギン!・・・・

言葉が出ない。口は開かず、表情も変わらない。
言い様のないもどかしさに包まれた。
追い払おうにも両手は干涸らびたまま動かない。
かつては巨大な体に身をやつし大地を駆け巡ったというのに。

そんな彼女を一羽のペンギンはただ見つめる。
その黒い瞳からアスカは何の感情も見つけられなかった。

哀れんでいるのか、堕ちた自分を嘲っているのか、それとも消えるのを待っているのか。
どこかに行ってしまうこともなく目をそらすこともなくペンギンは朽ちかけた彼女の側を離れなかった。






朝と夜は判らない。
何時寝て何時目覚めたのか判らない。
時間はアスカに必要なかった。暗い窓からは何も判らない。時を告げる者は誰もいない。
だから自分が暗い部屋に居る事を知った時が目覚めたときなのだろう。

いつもはそのまま何も感じることなく再び眠りの海に消えるまで僅かに心臓を動かすだけだ。

・・・・あんた、未だ居たの?・・・・

枕元に居る黒い鳥。
だが昨日とは少し違っていた。
さっきから盛んにその羽でアスカの顔を撫でているのだ。
おかげで目が覚めてしまった。

・・・・暇そうね、あたし何かじゃなくて他の人の所でも行けばいいじゃない・・・・

表情は動かず声も出ないが窪んだ目でようやく伝える。
今まで何も触れなかった顔に柔らかい羽の感触を感じた。

・・・・柔らかい羽ね・・・・

心地いい。
そしてもっと触りたい。
昨日苛立った事が嘘のようにこのペンギンの存在を認めた。

・・・・あたし、手が動かないのよ・・・・

それだけではない、首も、顔の筋肉も、体も足も何も動かない。
そんな彼女をペンギンは労るように撫でた。

その度に彼女は手を動かしたい衝動に駆られる。

・・・・ペンペン、あたしの手に触ってよ、動かないんだから・・・・

話しかけたい、だが口は閉じたままだ。

・・・・ねえ!あたしの手に触れてよ!動かないって言ってるでしょ・・・・

ペンギンは首を傾げただけでキョトンとした目を彼女に向けると再び羽で顔を撫でる。
その羽毛は彼女の顔と心を和らげた。
不安に揺らいだ胸が落ち着く。

不安?

ここに来てからそんな物無かったのに。

一度揺らぎだした心はその揺れを徐々に大きくしていく。

・・・・何よ、この部屋・・・随分暗いじゃない・・・・

朝かどうか判らない。
自分一人しか居ない部屋だからそれで良かった。
時間のない部屋。

・・・・ペンペン・・・・未だ居たんだ・・・・

ホッとしている自分にアスカは驚いていた。
薄暗い部屋の中に蠢く黒い影を見つけると手を伸ばそうともがいた。

・・・・動いてよ!なんで動かないのよ!・・・・

苛立つ。
悔しい。
自分の腕すら動かせないのか。
全てが止まったこの部屋で彼女の心はざわめき立った。
何も動かない部屋でアスカの心だけが蝋燭の炎のようにユラユラと揺れる。

「ちくしょう!」

毛布をはね除け、叫び声を上げた。
一羽のペンギン以外に初めて何かが動いた。
単調な電子音以外に初めて音がした。

「・・・・・ペンペン、こっちに来てよ・・・・・」
アスカの伸ばした手から逃れようともせず、ペンギンはその細すぎる手に身を任せる。
「やっぱり柔らかいんだ・・・それに暖かいね」
想像していた通りの感触をアスカは楽しんだ。

以前はなんの苦労もなく触ることが出来たのに、今はやっとの思いで触れた。
首を曲げ身を任せているペンギンを見つめる。
この薄暗い部屋の中にあって二粒の黒真珠は迷うことなく彼女を見つめ返していた。
最初見たときは判らなかった。
だが今は判る。

その丸い瞳にはアスカを心配するような思いが詰まっている・・・・・

彼女にはそう感じられた。







朝かも知れない。
ペンギンの羽が告げた時間だから朝なのかも知れない。
いずれにしても自分の意志ではなく他の者によって起こされた時間なのだ。
だからこれでいい筈だ。

「おはよう・・ペンペン」

ゆっくりと身を起こし変わり果てた上半身にペンギンを招く。
瑞々しくピンと張った絹のような肌は艶も張りも失っていた。

「昔より座り心地悪いかもね」

もしかしたら心も同じくらい痩せてしまったかも知れない。

何もかも否定された。
唯一の役目も否定された。
その場にいることも否定された。
自分は無能じゃない、そんな思いも否定された。
自分は必要されている、そんな思いも否定された。
自分は選ばれた、そんな思いも否定された。
そして彼女は自分を否定した。

過去の記憶に縛られ始めた彼女に重みが加わる。
暖かい重み。

「ペンペンはなんで元気なのよ?こんな所にいてもつまらないでしょ?」

平然を装いながら訪ねてみる。
そんなアスカの問いにペンギンは羽を羽ばたかせて答えた。
ここに居たい、そう告げるように頭を擦り付ける。

「あんたはいいわね、悩んだ事なんて無いでしょ?」

なら自分は悩んでいたの?

「悩んだわよ!死ぬほど悩んだわよ!」

違うわよ。
何も悩んではいないのね。
誰にも必要とされなかったからでしょ。

「だったら何だって言うのよ!それでもあたしは頑張ったわよ!」

頑張ってないわ。
誉めて貰えなくなったから逃げたのね。
必要とされなくなった事を認めたくなかったのね。

「そんなこと無い!あたしは逃げなかったわよ!あいつとは違う!!」

誰かを否定しなきゃ居られない。
誰かと比べてでしか自分が判らない。
誰かより優れていなければ自分を認められない。

「何が判るって言うのよ!!・・・・・あたしに優しくしてよ・・・お願いだから・・・」

判るわよ・・・・
全ては一つだから
全ては同じだから
全ては元に還るから・・・・・

気が付けばアスカは両目から涙を流している。
ペンギンはキョトンとした目で叫んでいた彼女を見つめていた。
慰めるように再び甘えるような仕草を見せる。
その頭を何度も撫でながらアスカは嗚咽を漏らした。







朝が来た。
窓の外の景色は良く判らない。
だがぼんやりと明るく部屋の中に淡い光をもたらしている。
この部屋が白一色なのも意外に広いのも初めて知った。

「ペンペン?あんた何変な格好で歩いてるのよ?よたよたって・・・・具合でも悪いの?」

明るくなった部屋でアスカが見た物は不格好な歩き方をしている同居ペンギンの姿だ。
小股でチョコチョコと床の上を歩きアスカの近くまで寄ってきた。

「あんたどっか行ってたの?・・・・・・・・何よそれ?」

青い瞳と視線を合わすと下を向きモゾモゾ顔を動かす。
ピョンとヒレの付いた黄色い足を動かすと白く丸い物が転がった。

「?・・・・卵?あんたお嫁さん居たんだ!へえ・・・・」

アスカは思わず感心したようにしげしげとべットの上から覗き込んだ。

「ねえ、持っていい?少し触らせて」

ペンギンの反応を見ながら手を伸ばすが彼は一向に気にした様子もなく、むしろ彼女の手が伸びてくるのを待っているようでもあった。

アスカの手に暖かい卵が触れた。

「このままじゃ冷えちゃうわね・・・・これでいいかな?」
両手でそっと包み自分自身と毛布で両手を覆う。
生命の宿りし卵は彼女の両手の中でいずれ世に出るであろう時を待っている。
そんな卵を眺めアスカは不思議な気分になった。

この病室の住人はこの間まで消えることを望んだ。
消えてなくなり無に還るのを望んでいた。
だが今はその両手に新たに生まれる命を抱えている。

・・・・この子も辛い思いしなきゃいけないのかしら・・・・

自分がそうだったからか?

「そうね。だって辛いことばっかりだったもの・・・・・」

違う道を歩けるかも知れないじゃないか?

「あたしも違う道歩ければ良かったと思うわ・・・・・でも」

人は戻れない。
でも違う道に足を踏み出せるはずさ。
そう望んで足を動かせばいい。

「どこを歩けばいいかわからないわよ・・・道が見えないのよ」

少しだけ目を開ければ良いんだ。
そして何かが見えるまで歩けばいい。

「怖いわよそんなの。またあんな思いするのは嫌!」

少し周りを見てみればいい。
少し音を聞いてみればいい。
誰か居るはずだ、アスカの側に・・・
誰か呼んでるはずだ、アスカの名前を・・・







「ペンペン!あんたの卵でしょ!少しは自分で暖めなさいよ」

ベットの下でごろっと横になったまま動こうとはしない一羽のペンギンを睨みつける。
時折アスカとチラッと目を合わせるが後はずっと眠ったままだ。
呆れる彼女を気にもしていないらしい。

「無責任よあんた!あたしが寝るときどれだけ苦労してると思ってるの!?」

この卵を預かって・・・・押しつけられてからどれほど経ったろう。
気にならなかった時間が流れ始めた。

何回寝て起きてを繰り返したのか、時計が欲しいと思った。

眠るときには卵を押しつぶさないように、起きているときには卵が冷えないように。
今彼女は白い卵のために懸命だった。
そんなアスカをペンギンは見つめるだけで何もしようとはしない。

だからアスカが懸命に暖めていた。

「飼い主に似て無責任ね!・・・・・みんな何で来ないの?」

もしかしたら今気が付いたのかも知れない。
この部屋には自分一人しか居ないことに。

・・・・寂しいな・・・・

鉄の扉は未だ一度も開かれていない。
ガラスの窓は鍵の掛かったままだ。

立つのがやっとな状態でアスカは扉まで歩くとノブに手を掛けた。

「開かない・・・何でよ!」

機械的な音がするだけで扉は壁になったまま開こうとはしない。

「開けてよ!誰か開けてよ!」

弱々しい腕が扉を叩く。
誰かに来て欲しい、誰かにいて欲しい。

扉は彼女の叫びをその暑い躰で遮っていた。







動いた。
窓から朝焼けが見える。
その事に気が付くまもなくアスカは両手に全神経を集中していた。

卵が動いた。
中から何かが叩くようにその丸い体を振るわせた。

「生まれるの!?ペンペン!ペンペン!生まれるわよ!こっちに来て」

唯一の同居人の名を呼んだがその姿はどこにもない。

・・・・どうしたらいいか判らないわよ・・・どうしよう・・・・

誰でもいい、側にいて欲しい。
無事に生まれてくるのか?
生まれたらどうすればいいのか?

判らない、泣きそうな顔でアスカは辺りを見回した。

「誰か来てよ!生まれそうなのよ!この子もう殻から出たがっているのよ!」

懸命な叫びはどこにも届かない。

・・・・いいわよ!あたしが居てあげるから!・・・・

何もしてやれないかも知れない。
助けることもできないかも知れない。

だが望んでやることは出来る。
この小さな命が現れることを望んでやれる。
自分がそうして欲しいからこの命にもそうしてやれる。

・・・・あたしはここにいたいの。病室じゃなくてその外に。だから一緒に外に出よう・・・・

「いま殻取ってあげるね・・・・なんで?何で外れないのよ・・・」

それはアスカの仕事じゃないよ。
自分で外して外に出るんだ。

「なんで?手伝ってもいいじゃない!」

大丈夫よ。
もう一人で出られるから。

「でも・・・・」

大丈夫だ。
大丈夫よ。

もう一人で歩けるだろ。
もう一人で歩けるから。

アスカ、もう大丈夫。

「ペンペン!どこ行ってたのよ!?あんたの卵が今孵る・・・・・・」

今まで一緒にいたペンギンはアスカを見つめた。
丸く、黒真珠のような瞳を彼女に向け安心したように背を向ける。

そして小さな羽を広げた。

「なに?どこ行くつもりよ・・・・」

ペンギンは鳴いた。
たった一声鳴くと窓は開け放たれた。

短く小さな羽を羽ばたかせるとペンギンは飛んだ。
朝焼けの空に向け黒く飛べない鳥は病室を蹴り飛び立っていった。

そしてもう一声、別れの挨拶のようにアスカに向けて鳴くとその姿は赤い光に消えていく。

「ペンペン・・・・・あ、出てくる!・・・」

アスカの両手にある卵は今、その殻を割った。

アスカの視界は眩しいばかりの光に包まれていった・・・・・・・・・・・・

















「先生!A−12号室の患者の意識が回復しました!」

















目を覚ますとそこは病室。
窓の外には鬱蒼と茂った森が見える。
枕元の電子音だけでなく廊下を行き交う人の足音、誰かの話す声、そして・・・・

「アスカ!!・・・・・・良かった・・・・・もう・・・起きたんだ・・・」
「全くこの子はいつまで寝てるつもりよ・・・・本当に・・・・・」

少年と女性の涙混じりの声。

「シンジ・・・・ミサト?・・・・あたしは・・・・」

眩しいばかりの光に包まれ目を細めるとそこには見知った顔があった。

「ここは・・・・あたしが居てもいいの?」


カレンダーを見ると目を覚ましてから一週間の時が流れている。
青い瞳にゆっくりと光が戻りつつあった。

「ねえ、ミサト。いつ退院出来るか知ってる?」
「あーん、あんたみたいなのは根性から叩き直さなけりゃ退院できないんじゃなーい?」
「ミサトさんてば・・・後一月もすれば体力が戻るからそれからだって」

シンジは苦笑を浮かべながらスプーンですくったヨーグルトをアスカに差し出す。
パクッと口に頬張ると美味しそうに飲み下した。

「あーあ、退屈よ。何か面白い事してよ」
「よく言うよ、散歩でもしたら?車椅子持ってこようか?」

外見はともかくいつもの彼女に戻りつつあるのを見て取ると二人は安堵の息をもらす。
心さえ戻れば体はすぐにでも良くなるだろう。

そんなアスカの記憶に一羽のペンギンが浮かんだ。
この二人が顔を出すまで側にいてくれたペンギン。

「ねえ・・・・ペンペンは?今度連れてきてよ。お礼言わなきゃ」

二人は顔を見合わせると言いづらそうに口を動かす。

「アスカ・・・ペンペンね、死んじゃったのよ・・・病気でね。洞木さんも一生懸命観てくれたんだけど・・・」


青い瞳に大粒の涙が溢れこぼれていく。
幾粒も幾粒もポロポロと真珠のように転がっていく。
声は出ず、微動だにしないままアスカは泣いた。


・・・・・バカペンギン、飛べないくせに・・・・空飛ぶからよ・・・・


ゆっくりとベットの上から降りようとするアスカにシンジは手を伸ばした。
「アスカ・・・・」
「手を出さないで・・・今は・・・一人で立てるから、一人で歩けるから・・・・」

窓際までおぼつかない足取りでゆっくりと、だが一人で歩く。
二人の見守る中、ようやく窓にしがみつき、開け放たれた窓から入ってくる外の風に髪をゆらした。

・・・・ずっと側にいてくれたものね。あの卵から何が生まれたかわかるわ・・・・

ペンギンが暖めていた卵、自分が受け取った卵、そこから生まれた者。

・・・・あたしが生まれたんだ。ペンペンあたしの事連れてきてくれたのね・・・

細い腕で何もない、だがアスカには感じることの出来る何かを抱きしめた。
手に涙がこぼれ落ちていく。

青く晴れ渡った空に顔を向けると大事な言葉を口にした。

側にいてくれたペンギンのために。
自分のために寄り道してくれたペンギンのために。

空を飛んで去っていった飛べない鳥のために。

「あたしはもう大丈夫よ!」



ver.-1.00 1997-09/29公開

何かどうぞ


 ディオネアさんの『卵』公開です。
 

 良いですねぇ
 上手いですねぇ(^^)

 沁みますね
 響きますね
 

 疲れているときは一本の作品を読む力もなくて、
 休み休みコメントを書いているんです。

 今日などはそういう日なんですが、
 一気にここまで来れました・・
 

 久しぶりに☆を付けようと思いました(^^)
 でも、ディオネアさんは黄名前・・
 印を付けるのは黄名前以外なんですよね。。

 この当たりの制度、改革の必要ありです。
 組織票も動いているみたいだし (;;)

 ああ、いかん!
 愚痴が出た(^^;

 

 

 さあ、訪問者の皆さん。
 ストレス溜まりまくりの私をケアして下さったディオネアさんにメールを送りましょう!


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