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26からのストーリー


第十八話:赤の予感






「2人とも学校行くんでしょ!」

お茶を注いでいる大人しそうな少女とそれをのんびりと啜っているボウッとした少年に元気のいい声が飛ぶ。

「行くけど・・・・行きたい訳じゃないし・・・眠いし・・・・どうでもいいような・・・」

晴れきった空の広がる碇家の朝に似つかわしくない眠そうな声。
口にした台詞もどこか淀んでいる。

「あんたの都合なんかどうでもいいの!さっさと支度しろって言ってるのよ!」

痺れを切らしたように再び張りのある声が七割ほどをシンジに、三割はお茶っ葉を入れ替えているレイに向かって飛んでいく。

「でもさぁ・・・・今日休まない?」
「・・・・あたしが本気で怒る前に支度終わらせなさいよ、シンジ」

今日の空のような瞳に雷雲が満ちていくのを感じ取ると大人しく支度を始めることにした。

「もういい加減にしなさいよね。今日から新学期なんだから」

惣流アスカ・ラングレーが毎週月曜日に繰り返す朝の光景。
お陰でシンジもレイも遅刻という恥をかかずに済んでいる。
そして碇家の主婦、ユイも子供達を追い立てずに済むので実に楽だ。

だからといって忙しくないわけではない。
いつまで経っても動こうとしないロクデナシはもう一人鎮座していた。

「あなた、そろそろ支度して。遅刻しても構わないの?」
「ああ・・・・その内にな」

忙しい原因は湯飲み片手に新聞紙に目を落としたまま微動だにしない。
仕事に行かなくてはならない身の上ながら優雅なことだ。

「レイ、もう一杯茶をくれ・・・・渋い奴だ」

彼女がお茶っ葉を入れ替え終えたのを目聡く確認すると早速一番に湯飲みを差し出す。

「あなた!新聞しまってさっさとしないと確実に遅刻するわよ」

ゲンドウは目の前に新聞紙を広げ妻のきつい視線を遮ろうとするが、たかが新聞紙十数枚では無理なようで居心地が徐々に悪くなる。

やがて耐えきれなくなると、ようやく椅子から腰を上げ足もとの黒色の鞄を手にした。
その傍らでも同じように椅子から腰を上げようとしている者が居る。
ゲンドウと同じように時間がせっぱ詰まった2人。

「行こうか・・・綾波」
「そうね・・・・」





シンジが学校と言うものと関わってから一度たりとも『新学期初日』を喜んだことはない。
月曜日も嫌いだがそれに輪を掛けて嫌いだ。
別段学校に行きたくないわけではないのだが、夏休みのだれきった生活から戻るのには多大なる労力が必要らしい。

「何かだるいね・・・・」

シンジは駆け抜ける風にも街路樹の深い緑にも何ら感銘を受けることなく、曇りガラス越しのようなぼやけた顔でぼそっと呟いた。
だが生憎と長年一緒に住んでいる少女はそんな愚痴を一蹴してしまう。

「バッカみたい!毎回毎回良くそんな同じ事が言えるわね。あんたがどんなに嫌がったってカレンダーは進むんだから!」

アスカとしては今更丁寧に答えるつもりはないようだ。
確か小学校の時も六年間同じ台詞を休日開けに呟いていたような気がする。

学校が嫌いなわけではなく、朝早く起きて着替えて支度するのが死ぬほど面倒に感じているだけなので深刻な悩みとは100万光年程離れていた。
「アスカって・・・・知ってるけど・・・・意地悪いね。ねえ、綾波」
「何よそれ!自分がだらけてるだけでしょう!?一年中脳味噌が腐ってるくせに。ねえレイ」

ねえと言われても困ってしまう。
ハイでもイイエでもそう簡単には答えられない質問だ。

「・・・・・よく解らない」

2人と目を合わせないように自分の靴を眺めながら、もっとも当たり障りのなさそうな答えを述べるとお地蔵様のように沈黙した。

実に40日ぶりの通学路。
一月前と何も変わらない光景だが新鮮に映るのは学校に行くという目的があるからだろうか。
学生服の姿がめっきり減っていたこの通りも今朝は40日前と同じ光景になっている。
違うといえば彼らの顔がどことなくけだるそうだ。

長い休みの中では目的のない日々が結構あった。

暇な日々とも言う。

シンジに「だらけている」と一喝したアスカだったが彼女とて毎日気を張りつめて生活していたわけではない。
それなりに怠惰な日々を楽しんでいたりするのだった。

暇ではあったが退屈ではない。
3人で居た時間は砂が流れ落ちるようにあれよあれよという間に流れ去っていった。

指一本動かす間も瞬きする瞬間にも。

「所詮シンジなんて何の疑問も持たないで漫然と同じ日常を繰り返してるだけだから進化とか発展とか無縁なのよ。きっとあんたって人類の栄達とは別の流れの所に住み着いてるんだわ」

朝起きたときと何ら変わらない表情のシンジに、意地悪そうに笑みを浮かべ一気にまくし立てた。
昔から誰と取っ組み合いの喧嘩をしても口喧嘩をしても負けたことはない。 さっきから何を言っても生返事でまともな答えが返ってこないのだ。
「そうだね」とか「ふーん」で、たまに口を開けば欠伸ぐらいしか出てこない。

のれんに腕押しのようなシンジにアスカは物足りなかったのだろう。

「あんたってナマケモノと一緒よ。きっと進化の過程から取り残されちゃったのね・・・・あーあ、なんて可哀相なシンジちゃん」
「さっきから絡むね・・・・きっとアスカって口だけ進化したんだよ」

まだ昨夜の夢がこびり付いている眼を擦りながらも、ようやく反撃するだけの思考力を回復したようだ。

「大体なんでそういつも口うるさいわけ?人のことなんだからどうだっていいじゃないか」
「えっらそうに!バカシンジなんかあたしが放って置いたら道の脇で腐ってるに決まってるじゃない」
「・・・・放って置いて欲しいなぁ・・・」

そんなたわいのない朝の清々しい会話をレイは右の耳から左の耳へと受け流しながら、それでも『3人の登校風景』の中にごく自然に溶け込んでいた。

そして同じ目的の場所へと共に足を向ける。

レイは学校が嫌いではない。
3人共に過ごせる場所ならどこでも良いのかもしれない。

今の生活、今の時間がレイには貴重に思えていた。





第三新東京市立第一中学校構内は蜂の巣を突っついたような騒ぎが、どの教室でも展開されている。

久しぶりに見たクラスメートの顔に僅かな時間照れくささを感じていたが、それでもあっという間に話すべき事が頭の中に充満していき、我先にと夏の出来事を互いに報告し合う。

「なあ、俺宮崎行ったんだぜ。えっと土産は・・・・」
「ねえ可奈子、本宮君と一緒に映画行ったでしょう、あたし街で2人見ちゃったぁ」
「すっげー日焼けしてんじゃん、それって火傷じゃねえか?」

以前会ったときより黒くなった顔があちこちに見られる。
あちこちからひっきりなしに沸き上がる笑い声と話し声。
そんなざわめきが静まるのは担任の教師が教室に来てホームルームを始めてからだ。

大抵の場合、それで落ち着きを取り戻し、ホームルームを経て体育館で行われる始業式へと望む。

ところが2年A組は「大抵」の中に含まれないらしい。

「ねえねえ、みんなどこ行ったの!?何かいいことあったぁ?」

ただでさえ騒々しいこの教室をさらに煽り立てるのは、机の上に座り込み可愛い生徒達の夏休みの様子を片っ端から報告させいる担任教師だった。

「なに?沖縄だぁ?中学生のくせに生意気よう!あたしなんか此処に釘付けだったのにぃ」

こんがりと真っ黒に焼けている男子生徒を捕まえていかに楽しかったかを報告させると、その後は手当たり次第に聞いて廻る。

生徒達からも我先にとミサト先生への報告がなされた。

「でね、一緒に映画行ったんだけどすぐ寝ちゃうのよ!ひどいと思わない?」
「駄目だったよ・・・誘ったけど忙しいって言われて・・・」

悲喜交々な報告はミサトの好奇心を大いに満足させる。
更に山のように抱えている生徒達からの土産物も大いに満足させてくれた。
兎にも角にも「怪我をした」「事故を起こした」などの報告がなかったのはさらに満足だった。

さて、そんな人の輪から少しはずれた場所の机ではアスカ、レイ、ヒカリの3人は夏休みの出来事を互いに話していた。

「で、どうだった新潟?人沢山いた?」
「ううん、保養所のプライベートビーチだったから空き空きよ!ね、レイ」
「そう・・・・空いてたみたい・・・」
「それよりヒカリはどうなの?何か進展有った?」

好奇心が煌々と輝く蒼眼に頬を赤らめ、少し後ろの席に目を向ける。
そこには自分達と同じように3人で朝のホームルームの時間を満喫している者達がいた。
そのうちの一人にほんの数秒だけ視線を固定する。

「・・・・・一緒にどこか行ったの?」

大きく見開かれたアスカの瞳からは好奇心が遠慮なくあふれ出している。

「ねえねえ、どこ行ったの?プール?海?それとも買い物??」
「ちょっと!アスカ・・・声大きいって・・・内緒なんだし・・・・それに妹さんも一緒だったし・・・・そんなんじゃないんだから」

語尾が教室のざわめきに消えていく。
真っ赤になって俯きながらヒカリはさも楽しそうなアスカを制した。

もっとも彼女らにとって極秘扱いの内緒話ではあったが、同じ様な話はこの教室の中にさっきからあちこちで飛び交っているのだ。

少し耳を澄ませば幾らでも飛び込んでくるだろう。

「良かったじゃない・・・・あたしにはあのボンクラのどこが良いか良くわかんないけど・・・」

アスカは幾分の苦笑と共に好意にあふれた笑みを浮かべる。
親友の想いが少しでも相手に伝わったのなら良いではないか、素直に喜ぼうと思う。

一方、その「相手」は他の「ボンクラ共」と無駄話をしている。

「ほなケンスケは新横須賀行っただけかいな・・・その土産がこれかい・・・・」
「何だよ、それは滅多に手に入らないんだぜ。NATO軍正式採用の対戦車用ライフルの実弾なんか掘り出し物だよ」

トウジは目の前に掲げた鈍く光る鉄の塊をしげしげと眺めた。
手のひらには収まりきれない長さの薬侠に当たればさも痛そうな弾頭が付いている。

こういう物にどれほどの価値があるかは知らないが一応ケンスケの好意によるお土産らしい。

「のう・・・シンジ、これどないして使うんや?」

弾頭の先端の先には同じようにこの土産物を持て余し気味のシンジがいた。

「さあ・・・取り敢えず飾るとか・・・・」
「何だよ、少しぐらい喜べよ。男のロマンだぜ、ホントは150ミリ砲弾も有ったんだけど高くてね」

そんな物何処に飾るのか、幸いにも男のロマンを貰い損ねた2人は思わず顔を見合わせた。

「しかしすごかったぜ、空母は格納庫まで見せてくれたしなぁ・・・・いやぁ、実に良かった」

記憶を反芻し悦に入ったような表情を浮かべるケンスケ。
よほど楽しかったのだろう、結構なことだ。

シンジもトウジも彼の趣味に同調する部分はないが、それに水を差すような真似はしない。

「ま、何よりやな。シンジは新潟行ったんやろ?」
「うん、浜辺は空いてたし・・・結構良かったな」
「いいなあ、シンジは。だけど他の奴に言うなよ・・・惣流に綾波、この2人と泊まりで海に行ったなんて・・・・帰りに闇討ちに遭いそうだからな」

トウジとケンスケは今更なのでからかう気にはならないが、アスカとレイに好意を寄せている面々にしてみればシンジなどは八つ裂きにしたってまだ足りないだろう。

不満そうにシンジが何かを言おうとした瞬間、けたたましくチャイムが鳴り響きホームルームの時間が終わったのを告げた。

「じゃあみんな、体育館に行って始業式よ。パっと行ってパッと帰っちゃおう」

2年A組担任教師は残念そうに告げると早速教室から追い出しに掛かる。
そして彼女を取り囲んでいた生徒達もあちこちで輪を作っていた生徒達もまだ話足りないながらもその腰を上げた。





「また勉強にスポーツにとこれからは充実した時間を過ごすように日々心がけ、そして自分自身を鍛えることを忘れずに思いやりと優しさに満ちあふれた人格を形成すると共に誰にも好かれる事が肝要ではあるが、それにも増して人を尊敬する心が大事なので・・・」

体育館の壇上では校長が悦に入った表情でマイクを握りしめている。
実に40日ぶりの演説だ、つい熱も入ってしまうのだろう。

「リツコゥ・・・どういうのを育てりゃいいわけぇ?」
「白くて丸くて毛の生えた柔らかい6本足の生き物でいいんじゃない?・・・きっと喜ぶわよみんな」

その席に座っている2人の教師、葛城ミサト先生と理科担当の赤木リツコ先生はたいそう不機嫌な様子であった。
長話に付き合うのが大嫌いな上にその内容が全く意味不明とあっては面白くないことこの上ない。

壇上に駆け上がって校長をけ飛ばしてやりたいがそう言うわけにも行かないので、無駄口の一つや二つや三つぐらいは簡単に出て来るというものだ。

「要するにアレね、校長は問題のない万能人間が欲しいのよねぇ」
「給料の要らない従業員、逆らわない部下、問題起こさない生徒って昔から人気有るのよ。最近では大人にならない子供なんかもお母様方に好まれるみたいね」

皮肉にもならないと自笑しながらリツコは壇上の校長を見やる。
自分達の地上での勤務先は「学校」であって「工場」ではない筈だ。
何故に画一の規格で育てなければいけないのか、そんな物を要求するのか。

「何処か病んでるのよ。育てることが出来なくなった・・・・種族として後継者を残せなくなってるような気がしない?10年前より、5年前より時を追うごとに」
「ちょっとう・・・なに大げさな事言ってんのよ?たかが新学期の挨拶ぐらいで」

途端に深刻な話を始め同僚をミサトは一笑した。
幾ら何でも話が飛びすぎているような気がする。

どうもつまらない話を長時間にわたって聞いているとくだらない考えが頭の中にはびこるようだ。

「ほんとね・・・・どうでも良い事ね」

リツコは苦笑しながら前を向いた。
あまり教師が無駄話に熱中するのは生徒の手前ばつが悪い。

・・・・全くあたしも何考えてるのかしら・・・・

秀麗な顔に儚げな笑みが浮かぶ。

自分の本業はあくまでも特務機関NERVの科学者であって教師ではない。
此処にいる2人の中学生だけに用があり、他の生徒まで気にするつもりはなかった。

ましてや教育論などどうでも良い・・・・その筈だったのだ。

・・・・慣れって怖いわね・・・・

体育館でリツコより真面目そうに校長の長話に付き合っている生徒達を眺めた。
自分は担任ではないし、そう生徒達になつかれているわけでもない。
それでも彼らは目の前で成長し、リツコは此処に来てからそれを見てきた。

情が移ったとは言わない、だが今まで単なるおまけでしかなかった『教師』と言う仕事に何となく輪郭が見え始めていた。

「ミサト・・・・・いいわ、やっぱり」

何かを言いかけた彼女を不思議そうにミサトは眺めたがすぐに正面を向く。
向こう側から鋭い視線を学年主任が放っていたからだ。

・・・・ミサト、生徒に嘘を付くってどう思う?・・・・





無数の欠伸と共にようやく始業式は終わりを告げた。
まるで永遠とも思える演説はようやく終わり、解放された生徒達は背伸びをしながら半分ほど眠った脳味噌を活性化させる。

一学期終業式と同じ光景が二学期始業式でも繰り返されたが特別なことでもない。

「ふぁぁぁ、シンジ、お昼どうするの?」

アスカもさすがにただ聞いているだけの時間が苦痛だったらしく背骨を伸ばす。

「どうって、あ、トウジ達とゲーセン行くよ。お昼は外で食べるって母さんに言っておいて」

この後の掃除で今日の学校は終わるので午後は自由だ。
もしかしたら学校帰りの寄り道は休みの日に遊びに行くより楽しいかもしれない。

「ま、そう言う訳や。シンジ借りるで、悪う思わんでやぁ」
「ちょっと、何であたしにいちいち断るのよ!」

トウジのにやけた顔がその真意を明らかに物語っている。
「せやかて何も言わんとシンジ連れていったらこいつが後で惣流にゴッツウいじめられるやんか」
「何よそれ!別にシンジなんかいじめないわよ!」

それはあくまでもアスカの主観であって苦笑しているシンジにしてみれば別の意見があったに違いない。

「3時頃には帰ると思うから・・・・いいかな?」
「はん!好きにすれば!けど帰ってもおやつなんかぜーーーーーーったいないからね」

蒼い瞳が垂直二等辺三角形で睨み付けるとプイッとそっぽを向いた。
不機嫌さは隠さない。

早く終わったからどこかにレイとシンジ3人で食事にでもと思っていたのだが予定は未定で終わってしまった。
そして眼の端をつり上げ諸悪の根元、今世紀最大のタワケ、水筒に沸いたボウフラ達を視界に映す。

ヘラヘラとシンジと3人でじゃれあっているトウジ、ケンスケは背筋に冷たいものを感じたかもしれない。

「のうシンジ、相変わらず惣流に言わんと遊びにも行けんのかいな・・・・情けないでぇ、わいは」
「仕方ないだろ、昔っからそうなんだし。それに怒ると・・・暫く祟るし・・・」

どういう風に祟るかトウジは良く知っている。
そもそもがこの2人とは幼稚園の時からのつきあいなのだ。
そのころからシンジは何をするにしてもアスカにいちいち「お伺い」を立ている。

それが悪いとは言わないがトウジとしては些か情けなさ過ぎると思う。
小学校の頃2人を前にそう言ったことがあるがそのときは当人よりアスカの方が怒っていた。

『そんなの鈴原なんかに関係ないじゃん!!余計な口出さないでよ!!!』

それ以来その言葉に従うようにしている。
アスカが本気で怒ったというのもあるが、それ以上にもっとせっぱ詰まっているような感じがした。

アスカに関しての事情はほんの少しだけだが知っている。

トウジ自身にとってはつまらない冗談でも彼女にとってはそれでは済まないと思うこともあるのだろう。



今ではさすがにそんなことはなく、こうしてジロ目で睨み付けられ言葉によらない抗議を受けるだけで済む。
今回の場合どうもシンジを連れ出すことに異議があるらしいが、さすがにそこまで気にしたくはない。

「シンジ、今日は勝負だぜ。通信の奴あそこのゲーセンにやっと入ったんだ」
「あ、そうなんだ。でも最近あんまりやってないんだよなぁ・・・」

負けたときの言い訳をそれとなく臭わせておく。
この3人の中では自分が一番ゲームが下手なのは自覚しているのだろう。

「せやけどなかなか出せへんでえ、あれでブービーなんて成績は」
「うるさいなぁ、今度は勝てるよ。・・・たぶんだけど」

子供っぽい会話の内容に呆れているアスカのことなどすっかり忘れてしまったように、シンジ達は教室に付くまでの間その話題に夢中になって行ってしまった。





第三新東京市立第一中学校は一クラス35人前後、一学年二クラスという構成だ。
全国的な人数の平均では少ない部類に入るが極めてと言うほどではない。
彼らの世代はセカンドインパクト直後の出生率の著しく低下した時期に生まれたため『Precious Children(貴重な子供達)』などと呼ばれたこともある。

セカンドインパクトが直接、間接的に原因となった全世界規模の少子化現象だ。
全世界の人口がパーセンテージで示せるほどの死者を出した厄災だ、当然起こりうる現象だろう。

勿論彼らは生まれたばかりなのでその頃の記憶など何処にもない、彼らが持っているのは二、三年たって復興し始めた日本の姿からだ。
その後小学校に入学する頃には日本大半の地域で復旧作業はあらかた終えていた。

その際に国連から優先的に援助を受けられたことは大部分の日本人が知らないことだ。

だからシンジやケンスケ、トウジ達の年代は『復興時の苦労』などとは無縁でいられた。
だがあの時の光景が焼き付いたモニターのように消えない世代というのもいる。



「リツコ、何見てんのよ」
「・・・・別に、楽しそうにしてると思って」

彼女の視線の先には丸めた雑巾をほうきのスティックで互いに打ち合っている子供達の姿があった。
何処のクラスの男子生徒か、掃除の時間中ずっとそうやって遊んでいる。

「何処のクラスの子かしら、担任のいい加減さが手に取るように判るわね」
「どれどれ・・・・・ゲッ、鈴原君に・・・・相田くんに・・・・シンちゃんまで」

3人の担任が誰なのかリツコは当然知っていて口にしたのだろう、ほんの少しだけの笑みを浮かべると窓辺に手を着き再び彼らを眺めた。

「あの子達なりの苦労はあるんだろうけど・・・・少し羨ましくない?」
「まーね、あたしもそう思わないでもないけど時代が違うしねえ・・・・」

彼らと同じ歳の頃『全世界の悲劇』を体験したのだ。
今のように遊ぶことはおろか、その日一日を過ごすのにすら苦労を強いられた時代だった。

それだけに今の景色はまぶしい。
窓から時折吹き込む風に乗って掃き掃除をしている受け持ちの生徒達の笑い声が響いてくる。
苦労を知らない子供達の笑い声は明るい。

「平和で静かな日々・・・・もう少し長く続けば退屈な日々になるわね」
「いーんじゃない?危険で緊張に満ちた日々なんてお互い飽き飽きしてる身の上じゃない」

昔は避難民として、今は人類の驚異への最前線で。
15年前からは想像もできないほど復興した日本でミサトとリツコは二つの世界を見ている。

廃墟と復興。

表向きの平和と隠された危うさ。

その両面で生きている彼女達。
今の世の中が白々しい作り物の世界に見えることがある。

事実の見つからない現実の街。

「リツコ・・・・あんた今の生活に不満てある?」

何気ない一言は思いの外、彼女を考え込ませた。
暫し細い顎に手を当てて何か考え込んだようだったが走り回る生徒達を眺めている内に考えがまとまったのだろう。

「不満は取り敢えずないわね。探せば幸福だって思えるものがあるみたいだし」

ミサトも理科準備室の窓から一階を見下ろすと、さっきと同じように遊んでいる中学生がいた。
それがリツコの言ったものなのかどうかは計りかねたが、多分今自分と同じものを見ているのだと思う。

ただリツコの台詞としては余りにも奇異に思えるのも事実だ。

「・・・・さてと、あの子達にさっさと掃除させないと終われないからちょっち行って来るわ。午後っから本部に顔出すんでしょう?」
「ええ、でもその必要ないみたいよ。ほら・・・」

さっきまで楽しそうに遊んでいた3人を叱りつける声が響いた。





「レイ、それも籠に入れて。後は・・・タマネギはあるんだっけ?」
「うん、豚肉もあるし・・・・あ、ウスターソースが切れてるからそれもお願い」

ヒカリのぶら下げている籠の中にはそのほかにも冷凍のグリンピースやタケノコなどが入っている。

「アリガト。綾波さんも酢豚食べられるよね。何か嫌いな物ある?」
「レイは大丈夫よ、家で何でも食べてるから」

アスカに太鼓判を押されたレイ。
確かに好き嫌いはないようで今まで碇家で出された食事で食べられなかった物はない。

それを認めるように頷くと蒼銀の髪が静かに揺れる。



今日のお昼は洞木ヒカリ宅で一緒に食べる、掃除も終わり帰るだけとなった教室でそう提案したのは誰だったろう。
午後の予定は急遽そう決まったのだがレイはいつの間にか「一緒」の中に含まれていたらしい。
特に誘われたわけでもなく自ら望んだ訳でもないのだが、何も口にしなくても何も言われなくても当然のように一緒の中にいた。

家に電話してそのまま一緒に買い物しているのでアスカもレイも制服姿のままだ。

「でも綾波さんの口に合うかな?あんまり期待しないでね」
「大丈夫だって。レイ、本当に美味しいんだから」

少し照れくさそうな笑みがヒカリの顔に浮かぶ。
だがアスカに言わせれば「この世でおばさまの次に料理が上手」なんだそうで全幅の信頼を置いているようだ。
レイは両手に抱えたピーマンと人参を籠の中に入れると何となく辺りを見回した。

遊びと材料の買い出しの明確な差のない買い物をする自分達3人、その他にはお昼前の買い物に忙しい主婦が大半だ。
家では子供達が待っているのだろう、ソーセージやハンバーグのパック詰め、唐揚げや豚カツの総菜物が籠の中で揺れている。

レイとアスカはいわゆる『スーパーの総菜物』を食べたことがない。

普段の食事で十分すぎるほど満足しているせいもあるが、ユイが今まで一度も買ってきたことがないのだ。

何時も作りたてのおかずが彼女達を待っていた。
特にアスカなどは小さい頃からそれが当然だったので総菜を買っている主婦を見るとつい「手抜き」という単語が頭をかすめてしまう。

「じゃあ、レジ行って来るね。そっちで待ってて」

籠を手にしたヒカリはレジの最後尾に並ぶと大人しく順番を待つ。
アスカ達は大人しく出口付近で会計が終わるのを待つことにした。

「ヒカリの手料理ってすっごく美味しいんだから。楽しみにしてなさいよ」

アスカはまるで我が事のように友人の特技を自慢する。
彼女にしてみれば「ヒカリの手料理」を食べられる立場にいることが自慢なのだろう。

「・・・・・アスカは・・・作らないの?」
「あたし?だってヒカリやおばさまの方が全然上手だモン。役割と特技は効率よく分担する!それって基本じゃない。料理は上手な人に任せてあたしは食べるほう専門でいいの」

どことなく都合のいい詭弁に聞こえなくもないが筋は通っていなくもない。
彼女とて料理を作れることは作れる。
以前にハンバーグを作ったことがあり、そのときは結構好評だったのだ。

だが作るより自分に作って貰ってそれを食べる方がもっと好きだ。

『商品』ではない手料理。
だから出来合いの『総菜物』を買う主婦をあまり好意的に見ていないのかもしれない。

「レイ、あんたこそどうなのよ。何か作れるの?」
「・・・・出来ないと思う、教えて貰ったことないもの」
「そう・・・じゃあ、今度一緒に作らない?おばさまに言えば何か教えてくれるわよ」

料理が出来ないことは悪い事じゃないと思う。
しかし教えて貰ったことがないというのは寂しいことだと思う。

レイの過去についてアスカは殆ど知らない。
どんな風に育ってきたのか、何を見てきたのか。

「作るのも結構面白いわよ。シンジなんか何でも食べるし・・・おじさまはちょっとうるさいけど」

「お待たせ、じゃあ、家行こう」





「ほなシンジ、始めるで」

駅前のゲームセンターは学生達で結構込み合っていた。
どの学校も今日は午前中で終わったのだろう。

食事はその辺のファーストフードで済ませて後は街中をぶらつくか彼らのようにゲームセンターで暇を潰す、それが彼ら学生のごく一般的な過ごし方のようだ。

『メンバーカードヲオイレクダサイ』

合成音声がシンジを急かす。
手にしているのは『NetWar』と刻印された水色の小さなカードだ。

今からやろうとしているゲーム『ASSAULT・4』は日本各地のゲームセンターに置いてある同型のゲーム機と回線で結ばれている。
ゲームをすれば東西南北津々浦々のプレイヤーと同じ画面上でプレイできるらしい。

今最も人気のあるゲーム機だ。

ルールは簡単でCGで描かれた架空のフィールドの中で難しい名前の付いたロボットを動かし見知らぬ誰かの操縦するロボットを撃破しその数を競う。

細かい参加人数は判らないが専門雑誌が出るほどの人気だから、万単位の人がこのゲームを楽しんで知るだろう。

シンジがカードを入れると網膜投射式のディスプレーからアルファベットの列が映し出される。
やがてゲーム機の操縦席に座った彼らは現実の風景と見まごうばかりに描かれたCGの空間の中へと誘われた。

今の時間は日本各地で学生が街を出歩いているらしくこの瞬間の参加人数は10856人らしい。

殆ど間をおかず何処かで爆発音が響き、それが引き金になったように様々な情報がゴーグル型のモニターから飛び込んでくる。

飛び交うミサイル、弾丸、レーザー。
被弾し燃え上がる機体。
その全てが架空の存在だ。

映像と音響、振動だけが現実として感じ取られる奇妙な空間。

ケンスケはその中で自らの操る機体を自在に動かし2機目の機体をロックオンしている。

「・・・・逃げるなよ・・・・当たれ!当たれ!当たれ!!」

一方トウジは誰かに追いかけられ電脳空間を必死に逃げ回っている。
まだ一機も撃墜はしていない。
今彼を襲っているのはトウジより経験を積んだ手練れだろう。

「卑怯やで!!後ろから卑怯や!!後で覚えとれや!!」

今シンジの視界はスローモーションだった。
彼の襲いかかってくる相手は撃って下さいと言わんばかりにゆっくりと近づいてくる。
右に左にと高速回避運動させながらなのだろうが今のシンジに対しては意味がない。

先に攻撃を仕掛けたのは相手だった。
誘導ミサイルを数発発射したらしいが、それを軽く交わすとシンジは標準をその機体をすれ違いざまに屠る。

これで8機目だ。

自ら作り出した赤と黄色の閃光を眺めている内に奇妙な気分にとらわれる。
これと同じ光景は現実の世界でも自分が作り出す物だ。

まがい物の輝きと本物の閃光。

ただどちらも直接触れることは出来ない、偽りと虚像。

「シンジ何処や!!わいを助けい!!」

それを眺めて突っ立っているだけのシンジにヘッドフォンから通信でトウジの救援を呼ぶ叫び声が飛び込んできた。

「あ、ちょっと待って」

冷静に返答するとボタンを操作してトウジの居場所を探す。
地図に赤い点で示された場所はすぐ近くらしい、モニターでもその姿を見つけられた。

どうやら4機に追いかけられているようだ。

「・・・・しょうがないなぁ」

すぐさまその間に割り込むとコンピューター処理限界の反射神経で片っ端からロックオンする。
多分相手の機体では警報が鳴り響いたろう。だがそれに対応するまもなく閃光に包まれていった。

「助かったでえ・・・・せやけど偉い上達したのう」

燃え上がる機体を眺めながら助かったトウジは感心したように呟く。
かつては数千人が同時に行うこのゲームでブービーと言う輝かしい戦歴の持ち主のシンジだが今日はまるで別人のようだ。

「おい、2人とも手伝ってくれ!相手がチームだ」

ケンスケの要請に応えるように2人とも機体を彼の元へと向けていった。

「ほれトップパイロット、補給物資だ」

ケンスケの差し出すコーラを受け取ると乾いた喉を湿らせた。
集中してやっていたため3人とも喉がからからだ。

「せやけどあのシンジがなぁ・・・・山でもこもって訓練したんか?」

あのシンジに助けられた2人としては自信喪失も甚だしい。
何か特別な理由、たとえば夏休み中ずっとこのゲームをしていたとか何か特別な操作方法を知っているなどがなければ納得できそうにない。

「そんな訳ないだろう。今日はちょっと調子が良かっただけだし」

一応謙遜はするが実のところ理由は彼らの思うように「特別な物」があった。

「この記録なら来週号の『ASSAULTマガジン』に載るぜ、景品来たら見せてくれ」

このゲームの専門雑誌の名を上げた。
毎週トップランキングの記録を残したプレイヤーネームを雑誌に載せるのだ。
週間のトップ、月刊トップ、年間トップと記録を競わせその都度景品が貰える。
当然年間ランキングのトップが最も良い賞品を貰えるのだ。

「この記録やったら・・・・年間は絶対行くでえ!せやったら景品は分け前として1/3づつやな」
分けようのない景品だったら貸して貰えばいい。
そんな打算がトウジの頭の中を駆けめぐる。
「26機撃墜4機中破、この記録は抜けないなあ」

今年はまだ8機が最高記録、去年のトップは15機撃墜だった。

「もういいよ、景品来たら見せるから。そろそろ出ようよ、少し疲れたし」
「せやな・・・・目が疲れとるし・・・妹も帰ってくる時間やしそろそろお開きにしよか」

時計はまだ3時を少し廻ったくらいだがトウジは帰ってくる妹の面倒を見なければならない。
そう言う立場なのだ。

「俺、まだ寄る店あるからさ。じゃあな、また明日」
「おう、わいも買い物してから帰るから。夕飯のオカズ買ってかな妹にドヤされるよって・・・・また唐揚げやったら怒るやろうな」

生憎と料理のレパートリーが目玉焼きとカレーしかないトウジはよく総菜のオカズで済ます。
最近では温めるだけのレトルト食品も種類が豊富なのでメニューが貧困になることはない。
最近では父親の帰りも遅いので殆どレトルトに頼っている。

「じゃあ、また明日」

シンジは今日の戦果を記録した水色のカードをほんの少し見つめるとつまらなさそうに帰路についた。


このカードには本名も住所も入っていない。
従って景品など届くわけもない。

ミサトに言われているのだ。
外に出たら名前、住所を必要な限り出さないようにと。

それがシンジの立場だった。





「このクッキーヒカリが焼いたんでしょ?すっごく美味しいわよ」

アスカとレイは3時のお茶の時間を手作りクッキーを頬張っている。
昼食の酢豚は一欠片も残さず食べ終え、その後は雑誌を眺めながらの雑談で過ごしていた。

今年の秋の流行はどんな洋服か、今度のバーゲンは何時か、新しくできたレストランは美味しいか。

あっという間に3時になってしまったが今度は美味しいクッキーがやって来たのだ。
文句など隅々まで探しても見あたらない。

「そう、良かった。ちょっとクリーム入れてみたけどしつこくなかった?」

3個目を口に入れていたレイは小さく頷いて飲み込む。
4個目もきっと食べるだろう。

3人ともほぼ同時に紅茶を口にした。

「でもヒカリって凄いわよね。なんでも作っちゃうんだモン」

美味しいお昼ご飯に美味しい三時のおやつ、もはや尊敬のまなざしでアスカはヒカリを見つめる。
別に食べ比べたことがあるわけではないが、その辺の主婦よりずっと上手だと信じて疑わない。

「そんなことないわよ。やってる内に覚えただけだし・・・・」
「だってさっきなんか総菜いっぱい買い込んだオバサンが一杯だったじゃん、あんなの手抜きよ手抜き!」

人の家の食事事情を「手抜き」と決めつけたアスカにヒカリは苦笑だけ浮かべた。
彼女にとって「手作り」というのは相当に価値のあることなのだろう。

多分両親のいる自分には判らぬ程。

酢豚も平らげ5個目のクッキーを手にしているレイもそれは同じらしい。

「上手だと思う・・・・みんな喜ぶと思う・・・」

多分誰かが喜ぶことを出来るのは良いことなのだろう。
レイは誰かを喜ばせたことがあったかどうか。

・・・・・何もできないもの・・・・

何も教わっていない、何も知らない。
今持っているのは「役目」とそれを実行するための知識、才能でも特技でもない。

今まで誰かを喜ばせる必要性すら知らなかった。

みんなではなくアスカやシンジ、「友人」のヒカリだけでも喜んで貰えるようなことが欲しい。

それを見つけたい。

「あたしにも・・・作れるの?」

恐る恐るヒカリに訪ねた。
消えるようなか細い声で、何もできない自分を悲しむように訪ねた。

赤い瞳はクッションを見つめたまま伏せている。
自分の手の中には何もない。

色々なモノをくれたシンジやアスカに少しでも喜んで貰えるモノを返したい。

・・・・今まで貰ったこと全部嬉しいから・・・・

「簡単よ。綾波さんならすぐに覚えちゃうわ。今度一緒に作ろうね」

余りにも弱々しいレイの様子が気に掛かる。
今にも消えてしまうほど儚い、まるで夢の中の少女のようにすらヒカリには見えた。

「そう・・・・ありがとう・・・」

どことなく照れくさそうにヒカリは笑ってアイスティーを飲む干す。
グラスはアスカとレイのお土産だ。

ブルーのグラスで手作りらしく厚みがあり少し歪んだ形が面白いとアスカが選んで買ったのだ。
ヒカリも気に入ってくれたらしく早速今使っている。

「ヒカリ、レイの料理ってあたしが食べるんだからちゃんと教えて上げてよ」

冗談なのか何か心配しているのか微妙なところだ。
いずれにしろ食べるつもりではいるのだが、どうせなら美味しい物が食べたい。
「さてと、そろそろバカシンジ帰ってくる頃ね・・・・あたし達も遅くなるから帰るね」

もっと遊んでいたいがそろそろ4時になる。
ヒカリの兄弟ももう帰ってくる時間だ、共働きの両親を持つヒカリもそろそろ夕飯の支度をしなければならない。
大学で何が忙しいのか知らないが帰りの遅い姉と小学校の陸上部で5時過ぎにならないと帰ってこない妹のお陰でその役割がいつの間にか決まってしまった。

「じゃあ、また明日ね。それとお土産アリガト」

そのグラスの中にクッションから腰を上げた2人を透かしてみる。
深い蒼の中にいる2人は深海の魚のように見えた。










バスの車窓に映し出される赤い景色。
連なるビルの群は玩具のようにすら見える。

「赤い街だ・・・・」

車内にはシンジ一人しかいない。
ちょっとした時間の隙間だろう、後少しすれば帰宅時間になった会社員で溢れかえる車内も非現実的なほど静かだ。

振動とダミーノイズだけが響く空間。

ただぼんやりと外の景色を眺めていると自分だけ時間の流れから取り残された気分になる。

街中を忙しそうに歩く人の群。
通り過ぎる車。
立ち並ぶ街路樹。
ゆっくりと過去へと流れていく。

シンジはガラスの内側からただそれを眺めているだけ。

『次は松菱前、松菱前。文英堂にお越しのお客様はこちらでお降り下さい』

不意に流れる車内アナウンスが一瞬だけ現実に引き戻す。
シンジだけに流れるアナウンス。

バス停から乗る人もそこで降りる人もいない。

ほんの少しスピードを落としたバスはやがて加速し、次のバス停を目指す。

再び振動に身を揺らし深く座席に腰を降ろした。

赤い街中を駆け抜ける一台のボンネットバス。

その外の景色をただ眺めている内に奇妙な感覚がまとわりつく。

・・・・僕が動いてるんだろうか・・・・街が動いてるんだろうか・・・・・

シンジにはその差が感じられない。
流れ去る景色、もしかしたら周りが動いて自分が取り残されているのかもしれない。

現実はどちらなのだろう・・・・

窓の外に見える景色、だが今見えるそれは本物なのだろうか。

ガラスを隔て手を伸ばしても触れることの出来ない『映像』

もし窓を開け外へ出てみれば其処には何も無いのかもしれない。

高層ビル群も街路樹も行き交う人々も。

今乗っているバスは何処へ向かうのか、自宅?それすらも赤い幻想の中に転がっているただの欠片かもしれない。

着いた先には・・・・いや、行き先すらないのではないか?

今あるのはバスに乗る自分。

赤い光の中にいるシンジと呼ばれた自分。

ただそれだけ・・・ただそれだけ・・・・

『ちょっと!何やってるんだ!!窓から身を乗り出さないで下さい!!』

車内アナウンスは録音された音声ではなく運転手の物だった。

『早く椅子に座って!・・・・ったく、何やってるんだ・・・』

最後の方に微かな苛立ちの混じった注意にようやく我に返った。

「済みません・・・・・・何やってるんだろう・・・」

大きなため息と共に窓を閉め椅子に腰掛ける。
気が付けば半分ほど窓から身を乗り出していた。

風圧で乱れた襟元をなおしながらよく判らない自分の行為に半ば呆れている。
一瞬、この外の景色がさっきまでやっていたゲームとなぜか重なっていた。
もう少しそのままだったら車外に墜ちて此処が紛れもない現実だと言うことを病院のベットで確認できただろう。

運転手が怒るのも無理はない。

『次は佐鳴台、佐鳴台。お降りの方は降車ボタンでお知らせ下さい』

ボタンを押すシンジの指先にいつもの見慣れた景色が映り始めた。
そしてバス停のすぐ近くに見慣れた人影が二つ。

窓から身を乗り出すようなろくでもない客の希望でも、このバスの運転手はちゃんと止まってくれた。





「ばーーーーーーーーーーーーーーーか!」

鞄の角で同じ家に住む少年の頭を幾度も小突く。
呆れるしかないではないか、バスの窓から身を乗り出したなどとは。
あまつさえそれをわざわざ報告する辺り、シンジの頭の中は何処か抜けているとアスカは心底思う。

「ホントだよ、良く分かんないうちに・・・・・痛いなぁ」

墜ちていればそんな程度では済まないだろうに。
アスカに小突かれた頭の痛みは現実のモノだ。


「あんた、今度から鎖で椅子に縛り付けてからバスに乗んなさいよ・・・・ホント、情けない・・・」

やれやれと言った表情のアスカのすぐ隣には心配そうなレイがいた。
何か言いたげではあるが言葉が見つからない。
ただアスカの様子からしてそう大仰なことではないのだろう。

いや、何も知らないアスカは単にふざけて身を乗り出したとしか受け止めていないのかもしれない。

レイもその場に居たわけではないので良くは判らないが、少しだけ引っかかっている。

「でもさ、なんでバス停なんかに居たの?」
「・・・・そうねえ・・・女の感て奴かな。何となくそんな気がしただけ」

適当な言葉をアスカは口にした。
ぶらぶら歩いている内に何となく来てしまったのだ。
お陰でシンジのバカさ加減に十分呆れることが出来たわけだ。

「碇君・・・・お土産あるの・・・」

レイは鞄から白とピンクのクッキングペーパーで丁寧に包装された包みを取り出した。

「どうしたの?それ」
「今日ヒカリんちでご飯食べてね、そのときのおやつ。レイが気利かせて持ってきてくれたんだから」

クッキーがよほど気に入ったのだろう、レイはヒカリに頼んで更に焼いて貰っていた。
勿論シンジへの土産だけではなく自分の分もちゃんと取ってある。

白い指がリボンの端を摘みゆっくりと開くと香ばしい香りが漂ってくる。

「いい匂いだね。・・・一個ちょうだい」

きつね色にこんがり焼けたクッキーは心地よいほどの食感と豊かな甘みを彼の口の中にもたらした。

「美味しかったから・・・・貰ってきたの・・・」
「レイったらさぁ、いきなりもっと頂戴って手出すんだモン。すっごく恥ずかしかったわぁ」

当人は全くそんなことは感じなかったようで、新たに焼いてくれたクッキーを大事そうに受け取っていたのだ。
アスカにしても何処か誇張した言い方なので実際に恥ずかしかったかどうかは疑問だ。
もしレイが欲しがらなければ自分がシンジの分を頼んだだろう。

「もう、あんまり食べないでよ。後は家に帰ってからお茶入れて食べればいいじゃない」

バス停のある通りから少し入った住宅地にある『自分達の家』まで約5分。

街路樹の落とす影とその隙間から漏れる夕日がアスファルトに縞模様を作る。

アスカの足は赤色のアスファルトの上だけを軽く飛び跳ねて行く。

深紅の鍵盤の上で踊るように赤く染まった髪を揺らしながら何か曲を紡ぐかのように、見え始めた帰るべき家に向かった。





「あと30分ぐらいでご飯炊きあがるから少し待ってなさい」

ユイから発せられた無慈悲で容赦ないお言葉は夕飯が出来上がった頃だろうと階段を駆け下りてきた3人に投げかけられた。
既に「今晩は焼き肉だって」と言う情報が手伝いをしようとしたアスカによってもたらされているので胃袋はそれに供えて拡張準備されている。

野菜と肉と鉄板の準備は終わっているのだがご飯がまだ炊きあがっていない。
その辺りは「あと30分で帰る」と電話してきたゲンドウと無関係でもないだろう。

「・・・・父さんの分は取って置くから・・・」

ユイには聞こえないように口にしたので叱られることはなかったがお預けが解ける事もなかった。
渋々、やれやれ、無表情と三者三様の顔をした3人は空腹をあと僅か我慢すべくTVを付けた。

『第三新東京市問題に関する質疑で大山市長は今後とも国連軍との連携を持って危機管理に当たりたいとの・・・』
『今日の『名所訪問』は仙台の松島・・・・』
『・・・・続いては電話料金の改定が三社間でまとまったニュースを・・・』

チャンネルを幾ら変えても興味ある話題には出会えなかった。
そうなると気になるのは互いの様子だ。
レイはさっきからヒカリに借りた料理の本を熱心に読んでいる。
舌平目のムニエル、豚の生姜焼き、湯豆腐などページをめくる度にバラエティーに富んだ写真が出てくるが、どれ一つとして彼女に作れるモノはない。
だが何となく作れるような気分にはなるらしい。

「ずいぶん楽しそうじゃない。なんか作れそうなのあった?」

作れそうなのは沢山ある。

「あたしね、そのカチャトラって言うの食べたいな」

アスカの指先には鶏肉をトマトで煮込んだ料理があった。
この料理が特に好きというわけではないが鶏肉とトマトと香辛料を入れて煮込めば作れるので失敗する可能性は低い。

と、アスカは思うがはたして。

「なら・・・・これにする・・・」

早速その項目を熱心に読み始めた。

やがてアスカの視線はぼうっとTVを眺めているシンジへと移る。

「シンジ、それちょっと見せて」
「何・・・って何だよ!くすぐったい!バカアスカァ!」

お尻のポケットの盛り上がりに興味を引かれたのだろう。
いきなりシンジを背後から押し倒すと馬乗りになり、ポケットに手を突っ込んでそれを引っぱり出した。

「重いよ!デブアスカ!」

いとも簡単に押し倒されたとあって些か悔しい。

「誰がデブよ!」

抗議の声を上げながらもシンジの学生ズボンから抜き取った水色のカードを眺めた。
それには今日の彼がモニターの中で上げた戦果が記録されている。

「何のカード?レンタルショップ?」
「ゲームの奴・・・そうだ、今日ね、あのゲームでトップ取ったんだ。其処にNO.1って入ってるだろ」

「あのゲーム」をアスカが思い出すのに時計の秒針が半周ほど動いた。
シンジから以前に聞いたことはあったが興味がなかったのでとっとと記憶から削除していたらしい。

「ああ、前になんかそんなこと言ってたわね。ビリだったんじゃないの?」

彼の言うように焼き付け式の順位欄にはゲームに殆ど興味のないアスカには訳しようのないアルファベットと、やけに派手な「1」と言う数字がラメ色に輝いている。

「あんたが一番??似合わないわよ、そんなの」
「何だよそれ。凄いと思わないの?確か・・・・アクセス5800の中のトップなんだから」
「たかがゲームで何が凄いって言うのよ?あーん?ほれ、何とか言ってみなさいよ」

体の向きを変えシンジの頭を指先でくすぐる。
白い指に彼の黒い髪が巻き付きそれはやがて五本の指全てに絡んでくる。

「引っ張るなよ・・・・」
「偉そうにいうからよ。こんなモンで喜んでガキなのよねぇ、いつまで経ってもさ」

ひらひらと指の間でカードが舞う。
アスカにとっては何の価値もないただのプラスチックの板だ。

そんなモノはすぐに放り出すと今度はシャツの匂いをかぎ始めた。
何しろ夕飯になるまで何かしていないとお腹が大騒ぎし始めてしまう。
ゲームの記録カードなどではその時まで間を持たせることは出来そうにない。

「シンジ、お風呂入った?」
「ん?まだだよ・・・・何だよその目」
「不潔!バッチイ!!ばい菌だらけ!!もう、さっさとお風呂入ってよ」

途端にシンジから飛び降りると帰ってから未だに着替えないシンジのシャツをはぎ取りに掛かる。
エースパイロットがどうのと言うより風呂に入っていない方が遙かに重大だ。
「バカ!何するんだよ!!」
「帰ったらすぐお風呂に入れって言ってるでしょ!上がる頃にはご飯炊けてるからさっさとしなさいよ!」

9月と言ってもまだ泳げるほどの気温だ。
面倒くさがって着替えすらしていないシンジをリビングから追い立てる。

「ポケットの中のモン、全部出して置きなさいよ。この間もチラシ入ったままだったんだから」

そのお陰で一緒に洗っていたアスカの洗濯物が洗濯機の中でチラシまみれになってしまい、えらい目にあったことが過去幾度もある。
その辺りに気を使えないところが、普段いかに手伝いをしていないかという証だろう。

「手間ばっかり掛かるんだから!」

まだ何かブツクサ言っているシンジをけっ飛ばしてリビングから追い出すと手にしていたカードをTVの上に置いた。

さっき「TOP取ったんだ」と自慢していたがゲームぐらいで大げさな話だ。

・・・・ホント、トップなんて似合わないくせに・・・・

小さい頃からなぜか世話を焼くのが当たり前になっている。
幼稚園時代、小学校時代共に常にアスカが先頭を切ってシンジを引っ張り回した。

学校でも遊びも家の中でも。

勉強にしてもスポーツにしても常に優秀で性格も積極的だった彼女の後をシンジは付いて廻った。

そんなことが「トップなどシンジに似合わない」とアスカに感想を抱かせたのだろう。

リビングの扉が閉まるのを見届けると標的を再びレイに戻す。
さっきから黙々と料理テキストを読みふけっている。

ただでさえ影が薄いのに黙って本など読んでいると、其処にいることすら忘れてしまいそうだ。
居なければいないで気になるのだが。

レイの赤い瞳に突然栗色の髪が現れアスカの顔がUPになった。

「ところでレイ、そんな本読んでて余計にお腹空かないの?」

「とても空いてるわ・・・・・」

本当にお腹が空いているのだろう、明らかに仏頂面だ。
やがて本を閉じるとヒカリの焼いたクッキーの最後の一個を手に、ユイの元へと立ち去っていった。





お風呂の防水時計は夕方の六時半を差している。
カラスの行水なシンジは簡単に全身を洗うと約3分ほどお湯船に浸っていた。

「トップかぁ・・・・」

頭の中でゲーム機から出てきたことを反芻する。
トウジとケンスケの驚いた顔が印象的だった。
滅多に挙がらないシンジへの賞賛の声が心地良い。

『それ普通の撃墜数じゃないぜ』

そう、普通じゃない。
シンジに出会った敵機は全て破壊された。

技術的なことではなくパイロットの資質の差による結果だ。

「普通じゃないよなぁ・・・・こんなの」

かつてリツコから身体の変化があるだろう事は聞いていた。

フィードバックと呼ばれるスピード感覚の鋭敏化だ。
戦闘時にシンジ自身の動体視力や反射神経はエヴァのそれと同調する。
プロのスポーツ選手など足元にも及ばない能力を得るのだ。
でなければ使徒の攻撃など避けようがない。
普段普通に生活する分には何の変化もないがちょっとした拍子でそれが蘇る。
そんな彼相手に普通の反射神経しか持ち合わせていない他のゲームプレーヤーなど敵ではない。
シンジには今日のゲームがスローモーションで映っていたのだ。

・・・・まだ体の中に残ってるんだな・・・・

知らず知らずの内に染みついた戦いの残像。
日常の中に居座り始めたエヴァ。
非現実のような事実が体にその証として刻まれている。

紛れもなく現実の事として。

なぜそうなるかはシンジには理解できない。説明は一応受けたがシナプスがどうの、下垂体がどうの、海馬が何とかと理解できる物ではなかった。

「エヴァは機械じゃないんだ・・・・何なんだろ」

よく判らないモノに乗ってよく判らないモノと戦う。
そもそも自分がなぜエヴァのパイロット足りうるのかすら判らない。

何れについても説明はして貰えなかった。

ただ一つ今の生活はあの得体の知れないエヴァに乗ることで維持しうる、ひどく脆い物と言うことだけだ。

体を交わらせ操るエヴァ。

だが心は?




苦痛を感じるようにシンジの片手が顔を掴んだ。
指の隙間から覗くと鏡には険しい自分の顔が湯気の中に浮かび上がる。

「赤い景色だ・・・・・」

何か得体の知れない物がいつの間にか自分の体にまとわりつき、それが知らない間にアスカや周りの友人達にも忍び寄るような不快感。

シンジの中で現実すらも脆い物に感じ始めていた。






「何だってこうも散らかせるのよあいつは!!」

アスカの手には脱ぎっぱなしの学生ズボンが吊されていた。
本当ならちゃんと籠に入れ洗濯に出す「お約束」なのだが予想通りほったらかしでお風呂に入ってしまった。
その他にもコミック、ゲームソフト、雑誌等々が賑やかに床に散らばっている。
その中にはアスカの部屋から持っていったコミックもあった。
さながら「シンジの王国」と言った感じだ。

さてその王国への侵略者は脱ぎ散らかしてある衣類をまとめて洗濯籠に放り込む。
黙っていればベットの下か押入の奥にいつの間にか潜り込んでしまうのだ。
そして数日後に「母さん、ズボン(もしくはシャツ)がないよ!」などと朝になって騒ぐ事となる。

「何でこーなんだろ?レイもそうだし・・・・」

部屋を見渡し、もう落ちている洋服がないことを確認する。
洗濯も手伝う彼女にしてみればこんな有様を見逃せるはずもない。

風呂から上がったらもう一度文句を言ってやるつもりだ。

「財布も入れっぱなし・・・・ホント、何も進化してないんじゃない?」

いつの間にか自分で決めていた『世話焼き』
誰にも何も言われずこの家のことを手伝うようになって、いつの間にかシンジのことを構うようになって、だがそれがなぜかは自分でも判らない。

答えを出そうと思ったこともない。
不満は何処にもないし探したこともない。
この家の中の自分は今のままでも良いと思う。

・・・・それだけじゃ・・・・

知らぬ間に唇を指でなぞっていた。
いつの間にか付いた癖。

記憶に残るたった一歩分進んだ証。

暫し立ったままだったがやがてユイの呼ぶ声が聞こえた。

「今行くわ。バカシンジの奴洗濯物凄い貯めてるんだモン」

慌てたようにズボンから引き抜いた小物類を机の上に並べる。
確か小学校の頃から使っている机だ、あちこちにシールを張り付けた跡が残っていた。

「この写真まだあったんだ・・・・」
小学校初登校の日に家の前で撮った写真が透明なカッターマットの下にあった。
まだ小さな2人の写真。
何も考えずじゃれあえた頃の写真だ。

「あの頃とは違うモン」

部屋の中に転がっている誰かの残像にそう呟く。

そんな写真の下から何かはみ出している物に気が付いた。
早速引っぱり出す。
さっきのゲームカードと同じような物らしが色は違うようだ。

「?・・・・またゲームのカードかな、ネ・・・ルブ??・・・・・どうせロボットのゲームじゃない、あんなモン乗って何が面白いんだろ、バッカみたい」

鮮やかな赤のカードを元あった位置に戻すと、山のように洗濯物の詰まった籠をぶら下げて階段を駆け下りていった。










「綾波って何処から来たの?」
「・・・・ずっと此処にいたと思う・・・」

シンジの部屋にあるベランダからは明かりの消え始めた住宅街があった。
また明日、日が落ちれば思い出したように明かりが灯る。

この街が出来てから繰り返されている人の作り出す景色。

寝間着姿の3人はそんな何時もと同じ光景をそれぞれの思いで眺めている。

「この街って僕らと同じ歳なんだよね。セカンドインパクトのすぐ後に作った街だって・・・」
「えらそー、そんなのみんな知ってるじゃない。シンジが此処に来たのって三歳の頃でしょ?」

シンジが此処に来たとき自分も一緒にこの地に来た。

・・・・この子と仲良くして上げてね、これからは一人じゃないわよ・・・

焼き肉を食べ過ぎた胃袋もようやく落ち着き、今こうして3人で夕涼みをしていた。
時折静かに通り抜ける夜風に蚊取り線香の煙が運ばれてくる。

「シンジ、あたしの事初めて見たときどう思った?」

ずっと昔だ。
三歳の頃初めてあった水色の瞳の少女。

とても冷たい目だった。

「うんと・・・・良く覚えてないや」

ジッと自分を見つめる深い蒼の瞳、その奥には何かが映っているように思えた。

「相変わらず適当な答えね」

それ以上深く聞くこともない。
適当でも良かった。
そのときどう思おうと今も昔も仲良くやっているのだ。
少々一方的な部分はあるにせよ。

そう思えるほど今の生活に満足していた。

3人とも膨れたお腹を抱え何となく星を眺めている。
まだ寝る時間でもなく、かといってTVで面白い番組をやっているわけでもない。
最初はレイの部屋で、次はアスカの部屋で何をするでもなく「たむろ」していた。
そしてシンジの部屋でMDなどを聞いていたのだが、窓の外がエアコンの利いている室内より気持ちいいことが判ると早速ベランダに這いずりだした。

ついさっきまでは食べ過ぎで部屋を移動するのも辛かったぐらいだから、余計に外が気持ちよく感じるのかもしれない。

「シンジ、あの家の向こうの建物何か知ってる?」
「知らないなぁ・・・綾波は?」
「確か・・・・スパーだったと思う」

何の意味もない会話だが何処か落ち着く。
1人なら退屈な時間が3人でいると心地良い。

暫し夜空を見上げている。
吸い込まれそうなほど純粋な黒が広がり無数の小さな星が無限に広がり、目眩にも似た感覚がシンジを包む。

「宇宙人・・・・・なのかな?」
「へ?大丈夫あんた?」
「使・・・・・・あのおっきな化け物だよ。この星のどれからか来たのかな・・・」

アスカの前でのシンジは「使徒」などと言う呼び名を知っていてはいけない。
もっともそんな心配を余所に彼女は腹を抱えて笑い転げている。

「あんたバカァ!何でそんな子供っぽいこと言ってるのよ、それじゃあ何?ヒーローか何かが宇宙からやって来て倒してくれるって言うの?・・・・く、苦しい・・・」

満腹のお腹で大笑いしているモノだから呼吸が怪しくなってくる。

「じゃあ、何処から来るって言うんだよ」
「へ・・・・へ・・・・・き、きっと・・・地下帝国に悪い悪人がいるの・・・へへへ・・・苦しい・・・」

悪いから悪人というのだが窒息寸前まで笑い転げているアスカに気が付くはずもない。
そんな様子にシンジは面白くないモノを感じながらも口にするのはよした。
どうせまた笑い転げるに決まっている。
それにアスカが『使徒』の出所を知っているわけがない。

「だ、大丈夫よ、しし心配しなくっても・・・・・はぁ・・・はぁ・・・だってシンジってえーすぱいろっとでしょ・・・・今度来てもちゃんと倒してね・・・ハーーーハハハハッ!!!死ぬ・・・・苦しい・・・レイ、助けて」

自分で言った言葉に大笑いしていながら藻掻くようにレイにしがみつく。
笑いすぎて目からは涙がこぼれ落ちていた。
レイの白い手がアスカの背中をそっとさする。

「きっと今度来ても大丈夫よ・・・・・・」

レイの言葉はまだ苦しみながら笑っているアスカには聞こえなかった。
ただ背中の心地よさだけが伝わる。

「ったく・・・・もう寝よう、そろそろ12時だよ」

部屋にあるMDデッキのデジタル時計は、もうそんな時間を差していた。
「・・・ふうう・・・・そうね、充分笑ったし」

涙を拭きながら寝間着をはたく。
大きく息を吸い込むと冷えた空気が体を内側から冷やすのが感じ取れた。

「明日また学校か・・・・あさっても明々後日も・・・・」
「そうね・・・・でも良いと思う・・・」

何気ない言葉は夜の闇に吸い込まれていった。

「ほら、エースパイロット。明日の平和のために頑張りなさいよ。そんじゃ、お休み」
「碇君、お休みなさい・・・」

またクスクス笑い始めてアスカはレイと共に部屋を後にした。

・・・・明日の平和か・・・・・

彼女の言葉に何一つ笑えなかった。

憂いの表情を浮かべ今日最後の夜空を眺めると、月はもうずいぶん高い位置に浮かんでいる。

「赤い月だ・・・・・・」

***

シンジは月曜日も嫌いだがまだ気怠さの残る火曜日も嫌いだ。
更に言うなら先の長い水曜日も嫌いで疲れのたまり始めた木曜日はもってのほかだ。

かろうじて金曜日の午後が好きになれそうな気がしないでもない。

特に今朝のようにどんよりと曇った水曜日などというのはきっとろくでもない事が起こるに違いない。

「あんたは一年中ろくでもないのよ。そうやって自分で不運を呼び込んでるのよ」
「そんなの関係ないよ。アスカは何にも悩んでないからそんなに脳天気でいられるんだ」

早速朝の通学路にシンジの頭から気持ちいい音が鳴り響いた。

「何も悩んでないなんてまるでバカみたいじゃない!大体シンジはね!・・・・」

根が暗いだとか適当に人生生きているだとか寝ぼけ頭だとか遠慮と言う単語からは無縁の言葉をシンジの耳の中に放り込む。

遠慮など必要のないこの世でたった一人の貴重な相手だ。

そんな思いを持っている少女はすぐ側にももう一人いた。

「碇君、今日は・・・・すぐ帰るの?」
「ん?多分そうすると思うけど・・・・何で?」
「今日・・・クッキー作るの教えて貰うから・・・・帰ったら作るから・・・・」

我が儘なのだろうか、自分の焼いたクッキーを食べさせたいというのは。
喜んで貰うために少しでもいろんな事を覚えておきたい。

何もできない、そう呟かなくても済むように。

「じゃあ・・・すぐ帰ろうか。アスカも用事無いんだろ?」
「勿論、あたしも一緒に焼くに決まってるじゃない!」

3人の前に何時もと同じ校舎が現れ何時もと同じ生活が始まる予定だ。

予定だった。




「で、何時からなの?」

最初に双子山観測所から連絡を受けた後、すぐさま学校に「今日は休む」と連絡を入れた。
30分かけて車を飛ばしそしてレーダーのモニターの前でこうやって釘付けになっている。

・・・・リツコが妙な事言うとこれだモンねえ・・・・

急に教師意識の目覚めた同僚に何か不吉な予兆のようなモノを感じていた。
下駄の鼻緒がきれた、黒猫が横切った、スピード違反で捕まった、それらと並ぶぐらい不吉な現象だったのかもしれない。

「はい、最初に確認したのは海上保安庁の「ゆうぎり」が30分ほど前に。こちらでの最終確認はつい先ほどです」

ミサトの表情がほんの少しだけ堅くなる。

「悪いけど後はうちに明け渡してくれる?理由は・・・・判るわよね」

勿論良く知っている。
今日の仕事がこれで終わりだ。

関わりたくないし知りたくもない。

「ではお願いします・・・・」

数人の職員しかいない小さな観測所だ。
だが設備だけはまともでセカンドインパクト後初めて打ち上げられた多目的衛生の受信データを解析するだけの設備はある。

そんな彼らが葛城三佐の指示通り退出するとこの中には彼女だけとなった。

「・・・・っと、青葉君?一応解析結果だけは聞いておきたいんだけど」
『・・・パターン青、間違いありません・・・・・・・使徒です』
「そう、ご苦労様。じゃあ後はよろしくね」

専用回線に繋いだ携帯を切ると無人の観測所で一息ついた。
狭い所内だ、後で誰かをよこして使徒の観測データは回収させればいい。
此処のメインコンピュータには既に本部からハッキングしており、データを回収後全て消去するだろう。

・・・・・正義の味方がこんなに卑屈だとはね・・・・

やっていることが正しいなら隠す必要はない。
ごく単純な発想が嫌がらせのように頭に浮かんでくる。

・・・・本当に隠したいことは何?・・・・・使徒じゃないわね・・・・

巨大な生命体の市街地での戦闘は実際の所それほど隠し通せるモノではない。
各マスメディアの取材が適当なのはそれなりの政治的圧力をかけているからだ。

そこまでして隠さなければならないことが人類を救うための組織にあるらしい。

「さてと、あたしも戻って・・・・・またあの子たちにすがるか。立派な教師だわ!」

自動作動中の機器が鳴らす電子音が耳障りだ。

・・・・隠しているモノがさらけ出された時、NERVは一体どうするつもり?・・・・

それはエヴァのパイロットである「あの子たち」も決して無関係ではいられないはずだ。

狂ったように輝く警告灯。
それはミサトとその周囲を赤く染め上げた。

既に見慣れた色だった。

続く


Next

ver.-1.00 1998 04/03公開

何かありましたらこちら!!お気軽にどうぞ





 ディオネアさんの『26からのストーリー』第十七話、公開です。



 現実と、そうでないとが、

 シンジの感じるそれらが、

 −−−


 ネットゲームの網膜に映る世界、
 プラグのモニターに見える世界
 直に触れている世界、


 いろいろ感じて考えて・・・



 あ、使徒が来た。

 迷っている暇はないね。

 うんうん    (^^;




 さあ、訪問者の皆さん。
 感想メールを書いてみましょう! 書いたことのない方も思い切って!



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