【 TOP 】 / 【 めぞん 】 / [綾波 光]の部屋/
─―第二新東京・内務省長官秘書官長執務室
男は執務机をじっと見つめ続けていた。彼の顔面は紅潮し目にはあからさまな怒りの色があった。
もしいつもの彼を知っている者が見たらまるで別人に思えただろう・・・・・それほどに彼の表情は激変していた。
それは”恩人でありそれ以上に尊敬の対象であった義父の死が確実である”との諜報部長からの知らせの故だった。
どれくらいの時間が経ったのだろう・・・・・男は自分の携帯を取り出した。PDAから番号を選択するとダイヤルトーンを発生させる。
”ピポバポ・・・・・・トゥルルルル・・・・・・・・・カチャッ”
長い呼び出し音の後、ようやく相手が出た。
「はい、震洋興業・・・・・」
「私だ。龍田だ」
「これはこれは・・・・・秘書室長自らのお電話とは・・・・・こりゃ雪でも降るんじゃないですかね?」
男は怒鳴り出したいのを堪え押さえた声で言った。
「軽口はいい・・・・・実は頼みたいことがある。無論礼はする」
龍田の放つ気を感じたのか急に相手の態度が変わった。
「分かりました。伺いましょう・・・・・・・・」
【2・YEARS・AFTER】 第弐拾参回(最終話)
作 H.AYANAMI
──排水トンネル内
『もう目を開けても良いわ』
その言葉に従い、シンジはゆっくりと目を開けた。エントリープラグと同様に光の乏しい場所だったが遙かに広い空間だった。
シンジは抱き合ったままのレイに訊ねる。
「ここはどこなの?・・・・・僕たちは一体どうやってここに?」
『・・・・・排水路・・・・・出口へ通じているわ』
「・・・・・出口?」
『そう、地上への・・・・・』
「でも・・・・・どうやって?僕たちはさっきまでエヴァの中に居た筈なのに!?」
『碇君・・・・・どうしても、知りたい?』
「・・・・・うん」
『・・・・・・・・分かったわ』
レイは少しけだるそうにシンジから身体を離し起きあがった。シンジもまた半身を起こす。
レイはシンジの顔をのぞき込むようにして話す。息づかいがシンジにも感じられた。
『碇君、私は人間よ・・・・・』
シンジはその意味をすぐにははかりかねる。それでもレイがこれから話し出そうとしていることが何か容易ならざることであるのを感じ取った。
シンジは小さく頷いてみせる。が、暗闇の中にいることに気づきあわてて声を出す。
「・・・・・う、うん」
レイはゆっくりと話す。
『私は人間・・・・・だけど・・・・・普通の人間には無い力も持っているの』
「・・・・・普通の人間には無い・・・・・力?」
『そう・・・・・・・その力で碇君をここまで運んだの・・・・・』
「・・・・・・・・・・そうなんだ」
それきりシンジは黙り込んだ。レイもそれ以上は語らなかった。
闇の中、僅かに二人の息づかいだけ聞こえていた。
”ゴォーォー・・・・・”
突然、排水路のトンネル内に轟音が響き渡った。シンジとレイは同時に振り返る。
「何の音だろう!?」
『これは・・・・・・・・水だわ!』
「・・・・・水?」
『碇君!走りましょう!!』
言いながらレイは立ち上がった。シンジの手を引き立ち上がらせる。
シンジには状況が飲み込めていない。
「ええっ!?走るって・・・・・どっちへ?」
『こっち』
レイはシンジの手を引いたまま走り出した。シンジも否応なく走り出す。
「ねぇ、水って何なの?」
『分からない・・・・・でも多量の水が来るのは間違いないわ。あの水に流されたら・・・・・』
『この排水路の出口は断崖なの・・・・・流されるままに落ちたら、死ぬわ』
「・・・・・死ぬ!?」
『そう、だから水が来る前に・・・・・ここから出ないと』
「でもさ・・・・・」
シンジは僅かに口ごもったが思い切って言った。
「綾波の・・・・・その、力で、脱出できるんじゃ・・・・・」
『・・・・・ごめんなさい・・・・・ここまで碇君を運ぶのに力を使い切ってしまったの・・・・・だから、しばらくは駄目なの・・・・・』
「ああ・・・・・そうなんだ・・・・・」
奇妙なことにその口調には安堵の響きがあった。
”ゴォーォー・・・・・ザザザザザ・・・・・”
音は次第に大きくなってきた。波立つ音さえも聞こえた。
シンジとレイは再び息を切らしつつあった
「ハアハア・・・・・だ、駄目だ!!・・・・・もう、間に合わ、ないよ!」
『・・・・・あきら、めないで・・・・・ほら、もうすぐ、出、口よ』
レイは指さした。その先には丸く縁取られた白い光があった。
シンジはそれを見た。心の裡に勇気のようなものが沸き上がるのを感じる。
「うん!!」
シンジの方が前に出た。レイの手を引いて懸命に走った。
”ドドドド・・・・・”
水音は間近に響いてきた。だが出口は未だ遠かった。
”もう間に合わない”
シンジはそう思ったとき、身体が自然に動きレイを引き寄せた。
排水路の壁面にレイを押しつけるとその上に覆い被さった。
”ドヴァーッーァー”
次の瞬間、濁流がシンジとレイを襲った。
「綾波!!」
『碇君!!』
二人は互いの名を呼び合いながら水流に逆らいそれに抗おうとした。
だがそれは虚しい行為だった。二人は忽ち流れに飲み込まれた。
水の中でシンジはレイの腕を逸してしまった。二人は別々に流されていく。
「あーやーなーみー!・・・・・げほっげほっ・・・・・」
多量の水を飲み咳き込みながらもシンジは必死にレイの腕を掴もうとする。
『碇君!!』
レイもまたシンジの名を呼びながら流れに逆らい必死に泳ごうとした。
だが二人の距離は容易には縮まらない。あれほど遠いと感じられた出口が見る間に近づいてくる。
『碇君!!』
ようやくレイがシンジに近づきその腕を掴みかける。
「あ、や、な、み・・・・」
シンジも半ば溺れながらレイの腕にすがろうとした。
遅かった。二人の手が互いの手首を捉えた瞬間、排水路は尽きていた。
”ドッドッドッドッ・・・・・”
激流は滝となって谷底へと落ちていく。その水音が谷間を響き渡った。
太く逞しい腕がシンジのもう一方の腕を掴んでいた。
「頑張れ!シンジ君。レイちゃんを離すんじゃないぞ!」
シンジは上方を見た。シンジの腕を掴んでいたのは加古だった。
「か、加古さん!?」
「頑張ってシンちゃん!すぐに引き上げるからね!!」
「えっ?ミサトさん!?」
排水口の反対側の壁面にはミサトもいた。崖の上にいるシゲルに声をかける。
「青葉君!!シンちゃん達を掴まえたわ!リョウちゃんのロープを引き上げて!」
一拍遅れて返答がかえる。
「分かりましたぁ!!」
少しずつ少しずつ加古の掴んでいるロープが引き上げられる。それにつれてシンジの、そしてレイの身体が上方へと運ばれる。
まったくの偶然だった。ミサト達は大深度施設への再度の侵入を試みてこの場所に来ていた。そして流されてきたシンジ達を掴まえたのだった。
やがてレイはミサトのいる高さまで上がってきた。ミサトが手を伸ばして自分の元へ引き寄せた。
レイの重さが無くなり、加古もシンジを自分の元へ引き上げることが出来た。
四人は間もなく崖の上まで這い上がった。
ミサトが訊ねる。
「あんた達よくあそこから出てこれたわね?・・・・・レイ、一体どうやったの?」
『それは・・・・・』
レイは口ごもった。その様子を見てシンジはあわてて話を逸らそうとする。
「そ、それよりミサトさん、それに加古さんや青葉さんもどうしてこんな所にいたんですか?」
ミサトは呆れ顔になる。
「なに言ってんの!?みんなシンちゃんを助け出すために苦労してたのよ!」
「ご、ごめんなさい」
シンジは反射的に詫びる。
加古がミサトをたしなめる。
「葛城、みんな疲れているんだ。話は後にしてここを引き上げよう」
「・・・・・分かったわ。そうしましょう」
それでその場は収まった。五人はマコト達の待つ山荘に向かい歩き出した。
──松代近傍、山荘内の一室
あれから二日が経った。加古さんは僕達の無事を知らせるためと今回の事件への政府の対応を知るために第二新東京へ行った。ミサトさんとマヤさんはリツコさんのお骨を持ってリツコさんの郷里へ行っている。
僕達は状況が分かるまでは第二新東京に戻るのは危険だと言うことでここに留まっている。
いまここにいるのは綾波と僕とそして青葉さん日向さんの四人だけだ。
僕達二人は二階にある二部屋をそれぞれ占め、青葉さんと日向さんは下にいて僕達を護衛してくれている。
僕は窓の外を見ていた。いつものように午後の雨が降っている。
”トントン”
扉がノックされた。
「はい・・・・・」
扉が開いて入ってきたのは綾波だった。
『碇君・・・・・お茶をいれて来たわ』
「・・・・・うん、ありがとう・・・・・」
『・・・・・・・・・ここに置いてゆくわね』
レイはカップの載ったトレイをサイドテーブルに置いて立ち去ろうとする。
「・・・・・あっ、ちょっと待って・・・・・その、あれから、ゆっくり話す機会も無かったね・・・・・」
『・・・・・ええ、そうね・・・・・』
「それでその・・・・・もし良かったら・・・・・少し話さないかい?」
綾波は小さな笑みを浮かべた。
『・・・・・ええ』
「それじゃあ、ええと・・・・・」
言いながら僕は綾波の座ってもらう場所を探した。けれど部屋に椅子は無い。
『ここに座っても良い?』
綾波がベッドを指さした。
僕は何故か顔が赤らむのを感じた。
「う、うん!・・・・・べ、別に構わないよ」
綾波はすぐにベッドの端に浅く腰掛けた。
「碇君も座ったら?」
「う、うん・・・・・」
綾波の言葉に従い僕は隣に腰掛けた。だがそうした途端、何から切り出したものか分からなくなり下を向いてしまった。
綾波は僕の表情を窺っている、明らかな視線を僕は感じていた。
僕は思いきって綾波の方に顔を向けた。やはり綾波は僕をじっと見つめている。
「あの・・・・・綾波・・・・・あのね・・・・・」
『・・・・・何?』
「うん・・・・・ほら、僕は綾波に助けてもらったのに、ちゃ、ちゃんとお礼を言って無かったから・・・・・」
『・・・・・・・・』
「だ、だから・・・・・本当にありがとう」
僕がそう言うと綾波は頭を振った。
『いいえ、私こそ碇君に感謝してるわ。あのとき碇君が私を掴まえていてくれなかったら私・・・・・谷底まで落ちてたもの』
「そ、そんな・・・・・」
僕は苦笑を浮かべる。綾波に比べれば僕のしたことなど取るに足らない事だと思った。
『それに・・・・・』
綾波は続けた。
『本当に碇君を助けたのはユイさんだと思う』
「・・・・・母さんが?」
『そう・・・・・あの時、碇君の意思は初号機との融合を強く望んでいたの。それを必死に押し留めたのはユイさんの意思よ。それが無ければ私の力でも碇君を呼び戻すことは出来なかった』
「・・・・・・・・・・」
僕には綾波の言ったことはよく分からなかった。僕が初号機との融合を望んでいたなどと言われてもそんな実感はまるで無かった。
記憶にあるのは綾波に呼ばれる前に何かとても温かい柔らかなものに包まれていたと言う感触だけだった。
『碇君・・・・・・』
綾波が僕を呼んだ。僕が黙ってしまったので心配になったらしい。
「ああ、ごめん。ちょっとあの時のことを思い出していたもんだから・・・・・」
あわてて言い訳をする。
綾波は真剣な顔で僕に訊ねた。
『碇君・・・・・それでね・・・・・私のことをどう思ってるの?』
「えっ!?どう、って?」
『私の中の・・・・・力の事よ』
「・・・・・それは・・・・・ええと・・・・・」
僕は言葉に詰まってしまった。この三日間考え続けて未だに結論の出ていない事だったからだ。
『・・・・・私のこと・・・・・嫌いになった?』
僕にとってそれは想いもかけぬ言葉だった。そんなことは一瞬でも考えたことは無かった。
「な、何を言い出すんだ!?そんなことは・・・・・綾波は・・・・・綾波は僕にとって一番大切な人なんだから・・・・・」
綾波は不安そうに訊いた。
『本当?』
「も、勿論さ!!・・・・・たとえ、綾波の、その力が・・・・・使徒の持つ力と同じものだったとしても・・・・・・」
そう言ってしまって・・・・・僕はこの事に結論を出している自分を知ることができた。
”綾波は僕を助けるためにその力を使ってくれたのだ。僕は綾波のその気持ちを信じることができる”
そう思った。
『私を信じてくれるのね?』
「・・・・・うん」
僕は深く頷いて見せた。
『・・・・・嬉しいわ』
そう言いながら綾波の顔は笑っていなかった。彼女の双眸はみるみる潤んで、涙がひとすじこぼれ落ちた。
「ど、どうして!?・・・・・どうして泣くの?」
綾波は頭を振った。尚も泣きながら
『・・・・・嬉しくて・・・・・本当に、嬉しくて・・・・・』
それを聞いて、僕は綾波のことが愛おしくて堪らなくなった。
「僕も嬉しいよ・・・・・綾波のことが大好きだから・・・・・」
『碇君!!』
綾波は僕の胸に飛び込んできた。
僕は綾波の背中に手を回して抱き留めた。
「だから、もう泣かないで・・・・・お願いだから笑ってみせてよ」
言いながらゆっくりと彼女の身体を抱き起こした。
綾波は既に泣いてはいなかった。僕に向かって微笑んでみせてくれた。
『綾波・・・・・』
僕は嬉しくて彼女に口づけた。彼女の唇はそれを待っていたように開かれた・・・・・。
長い長い口づけだった。
互いに惜しむように唇を離した後で僕は真っ赤になりながら訊いた。
「あの・・・・・い、良いかな?」
綾波はすぐに僕の気持ちを察してくれた。恥ずかしげに頷くとベッドに横たわった。
「あ、愛してる・・・・・」
言いながら僕は綾波の身体に覆い被さった。
翌日、リツコさんの葬儀を終えたミサトさんが一人で戻ってきた。
僕達三人はテーブルをはさんでお茶を飲んでいる。
ミサトさんによれば、マヤさんは当分の間リツコさんのお祖母さんと一緒に暮らすことになったそうだ。
ミサトさんはしみじみと言った。
「いま二人は同じ心の寂しさを持っているから・・・・・多分それを埋め合う事が出来るはずよ」
或いは訊いてはいけなかったことかもしれない。でも僕は思わず訊いてしまった。
「でもミサトさんも同じように寂しいんでしょ?」
ミサトさんは意外そうな目で僕は見た。
「・・・・・シンジ君がそんなことを訊くなんてね」
僕はあわててあやまった。
「ご、ごめんなさい」
ミサトさんは笑った。
「良いのよ・・・・・ただシンジ君がそんな風に他人の心に関心を持ったのが不思議だっただけよ」
「はあ・・・・・やはり僕らしくなかったですね」
「でもそれは良い傾向よ。口に出すかどうかは別にして他人の心を思いやると言うのは」
「・・・・・そうでしょうか?」
「そうよ。貴方、この二年間で随分成長したんじゃない!?」
僕にはそんな自覚はほとんど無かった。
「僕にはよく分かりません。でも・・・・・」
「でも?」
「もし僕が少しでも成長しているとしたら・・・・・それはご隠居様やヨシエさん、そして綾波がそばにいてくれたからだと思います」
そう言いながら僕は隣に座る綾波に視線を送った。彼女は僕の言葉のせいか顔を赤らめて俯いていた。
ミサトさんがそんな綾波を見て言った。
「そう言えばレイも随分変わったわね・・・・・体つきも仕草も女らしくなって・・・・・シンジ君のせいかしら?」
僕は自分が耳まで赤くなるのを感じた。
「ミ、ミサトさん!!止めてくださいよ」
けれどミサトさんは尚も茶化すように言った。
「どうやら図星だったみたいねぇ。二人共ちょっと会わないうちに”大人”になったのねぇ」
僕は何だかとても腹が立った。
「もう止めて下さい!!僕はともかく綾波が可哀想です!!」
僕の剣幕にミサトさんは少したじろぐ様子をみせた。
「ご、ごめん・・・・・別に悪気は無かったのよ」
その時、部屋の扉が開いて人が入ってきた。加古さんが第二新東京から戻って来ていたのだった。
「会長、どうしたんです?大きな声を出して」
「ああ・・・・・いえ・・・・・つい興奮してしまって・・・・・」
ミサトさんがフォローしてくれた。
「あたしが悪かったのよ。仲の良い二人をちょっとからかってみたからなの」
加古さんは呆れ顔でミサトさんを見た。
「変わってないな・・・・・学生の時とまるで同じだな、葛城は」
「何言ってんのよ!あんたも一緒だったでしょ、そういう時は」
「そうだったけかな・・・・・」
加古さんは視線をはずしてとぼけた。
「そうよ!大体あんたは・・・・・」
ミサトさんはむきになってきた。けれど加古さんは急に表情を引き締めて僕達に言った。
「今回の事件に関する政府の対応がある程度掴めたので報告します」
その場の空気が急に張りつめたものになったように僕には感じられた。
僕も綾波もそしてミサトさんも表情を引き締めた。
加古さんに拠れば政府は今回の件を兵器実験中の事故として公表したものの、その後の詳細については国防上の機密として情報が規制されていた。
戦略兵器研究所については現状のまま閉鎖される方向で秘密裏に検討が進められているとの事だ。
僕は訊いた。
「それでエヴァは・・・・・初号機はどうなるんですか?」
「公式には既にエヴァは存在しないことになっています・・・・・二年前から」
「それじゃあ!?・・・・・」
「戦兵研が閉鎖、大深度施設がこのまま放置されると言う事は・・・・・当面は地下に埋没させたまま、と言う事でしょう」
「そうですか・・・・・」
ミサトさんが訊いた。
「私達の事はどうなってんの!?警察や戦自の動きは?」
「まさか全国指名手配とかにはならないでしょうね!?随分気をつけてリツコの所に行ったけど結局何事も無かったわ」
加古さんは僅かに首を振った。
「いや、警察や戦自に我々を捜索している兆候は無い。内務省諜報部もこの周辺に人を送り込んでいるが戦兵研周辺の警戒活動以外に目立った動きは無いようだ」
「どういうことかしら?」
「・・・・・大淵首相は今回の件をあくまでもエヴァとは無関係な事故として処理したい意向のようだ」
「・・・・・それじゃあ私達の事は”お構い無し”と言うことになる訳?」
「少なくとも今のところはそう見える・・・・・」
加古さんは僕の方に向き直った。
「会長はどうなさりたいですか?」
突然重大な決断を迫られて僕は困ってしまった。
「・・・・・えーと、加古さんのご意見は?・・・・・出来ればヨシエさん達に会いたいですし・・・・・家に戻って・・・」
その時、綾波が何かに驚いたように顔を上げた。何事かと視線を向ける。
彼女は何だかとても悲しそうな表情を浮かべていた。
僕には綾波の気持ちが分かるような気がした。彼女は燃やされた碇家屋敷の事に想いをはせたのだ。僕はあわてて言い直した。
「・・・・・だ、第二新東京に戻って大丈夫でしょうか!?」
「第二新東京に戻ることにまったくリスクが無いとは言えませんが、会長達を警護する為にに多くの人員をここに配置するのは目立ち過ぎますし・・・・・」
加古さんは他にも言いたげ見えたがそこで口を噤んだ。
僕は決断した。
「・・・・・それでは第二新東京に戻ることにします」
加古さんは頷くと言った。
「既に第二新東京ホテルに部屋を確保してあります。当分はそこで過ごしていただく事になります」
第二新東京ホテルは碇家の一族が経営するホテルの一つだった。
「それでは夜を待ってここを出ましょう」
「・・・・・分かりました」
夕食後、僕達はミサトさんの運転する車に乗って第二新東京に向かった。
──第二新東京ホテル最上階
そこは実質的に一つの邸宅と言える空間だった。専用厨房や一度に十数人が利用できそうな浴室、遊戯室まである広大さで、四つの広い寝室にはそれぞれキング&クイーンサイズのツインベッドが置かれていた。
その寝室の一つに葛城ミサトがいた。彼女はバスローブ姿でドレッサーの前で髪を乾かしていた。
”ピピピ”
通信機が呼び出し音を発した。
ミサトは腕を伸ばした。手前に置かれたMPの向こうの通信機を手に取る。
「はい、私よ・・・・・リツコのとこに侵入者!?・・・・・それで二人は無事なの!?」
通信の相手は加古だった。
「ああ、奴らが家に入る前に捕獲できた。マヤちゃん達は気づいていないはずだ」
「・・・・・で、これからどうするの?」
「捕獲した連中を叩いたら簡単に指令した者を白状した。これから排除に向かう」
「そいつは誰なの?」
「後で話す。そちらは葛城に任せるから・・・・・それじゃあ」
加古は通信を終わろうとした。
「あっ、待って・・・・・」
「うん・・・・・何だい?」
「気をつけてね、リョウちゃん」
「・・・・・大丈夫だ・・・・・明日会おう」
「それじゃ」
”コンコン”
通信を終えたミサトが、着替えの為にクローゼットに向かった時、部屋の扉がノックされた。
──第二新東京・龍田邸
内務長官秘書室長、龍田マサユキは一人眠っていた。このところ彼が妻と同じベッドに眠ることはほとんど無かった。
この家の者達はみな熟睡していた。当主の突然の死とその後の諸々の事が一段落し、まともに眠ることのできた最初の晩だったからだ。
その部屋に光はほとんど無かった。厚いカーテンを通して庭の常夜灯のもたらす僅かな”薄闇”があるばかりだった。
そのカーテンがゆっくりと形を変えて膨らんだ。が、それは風の所為などではなかった。
一人、二人・・・・・三人の男達が次々と室内に侵入した。
闇と同じ色の服を纏った男達は音を立てぬまま龍田のベッドを取り囲む。
男の一人の手には消音器の付いた拳銃が握られている。筒先がそっと龍田のこめかみに押し当てられる。
鋼の冷たさに、龍田はようやく目を覚ました。一瞬の後、彼は自分のこめかみに押し当てられた物の”正体”に気づいた。
「だれ・・・・・」
思わず叫びそうになるのをようやく堪える。周囲を見回す。闇の中に複数の男達がいることを確認する。
小声で龍田は訊いた。
「な、何の、用だ?」
拳銃を押し付けたまま男が低く答えた。マスクのせいか声がくぐもっている。
「何故、伊吹マヤを襲おうとした?」
それで龍田は悟った・・・・・彼の放った刺客はものの見事に失敗し、あまつさえ指令した自分の名を漏らしてしまったこと・・・・・そして今自分を脅している者達の正体を。
男はたたみかける。
「答えろ・・・・・諜報部付きでも無いお前が、しかも素人紛いの者を使ってまで・・・・・誰の指示を受けた?」
「・・・・・違う・・・・・私の一存だ・・・・・」
「理由は何だ?」
龍田はしばらくの間沈黙したままだった。が、銃の筒先が強く押し付けられるのを感じてあわてて口を開いた。
「ふ、復讐だ・・・・・」
「復讐!?・・・・・誰の復讐だ?」
「決まっている・・・・・父だ。私の恩人であり尊敬に値する唯一の方だった」
「龍田氏が死んだのは我々の責任では無い」
「違う!皆貴様達が悪いのだ。元はと言えば貴様達がエヴァンゲリオンなどという代物を造ったからだ!!」
興奮の為か龍田は次第に大声になった。
「静かにしろ!」
言いながら男は再び銃を強く押し付ける。龍田は沈黙する。
男は言った。
「お前は間違っている。エヴァンゲリオンが無ければ人類は滅びていただろう・・・・・だが今はそれを論じている暇は無い。どうだ?今後、我々に手を出さないと言うなら命だけは助けても良い・・・・・」
龍田は絞り出すように声を発した。
「・・・・・分かった・・・・・殺さないでくれ・・・・・」
「では、しばらく大人しくしていてくれ・・・・・」
別の男が素早く、龍田の腕を毛布から引き出した。もう一人がその腕に注射器を突き立てた。
龍田マサユキは急速に意識が遠のくのを感じた。
──第二新東京ホテル最上階・ミサトの部屋
僕はミサトさんと向かい合って座っている。深夜にも係わらず彼女の部屋を訪ねたのはどうしても話したいことがあったからだ。
けれどいざとなると何から話したらよいか分からなくなってしまった。
遂にしびれを切らしてミサトさんが言った。
「シンジ君どうしたの。話したいことが有ったんでしょ!?」
僕はあいまいに頷きながら答えた。
「ええ・・・・・そうなんです・・・・・でも・・・・・」
「男の子でしょう!はっきりしなさい!!」
そう言われて僕は思い切った。
「はい・・・・・実は話と言うのは綾波のことなんです・・・・・」
「レイのこと・・・・・?」
「ええ・・・・・ミサトさん、僕達がどうやって地下深くから脱出できたかを知りたがってましたよね?・・・・・あれは綾波の力だったんです・・・・・なんて言うか・・・・・特別の力で僕を運んでくれたんです」
ミサトさんの表情が急に険しくなった。
「特別の力!?・・・・・それはどういうこと!?」
「ええ・・・・・ですから・・・・・」
「レイには人間では無い力があるってことね・・・・・」
「いえ、そう言う意味では無くて・・・・・」
けれどミサトさんは確信したような言い方をした。
「やっぱり、そうだったのね・・・・・レイは使徒だったね。あの少年・・・・・渚カヲルと同じように」
僕は必死に抗弁した。
「違います!・・・・・綾波は人間ですよ!!」
ミサトさんは言った。
「シンジ君、使徒は人類の敵・・・・・そして私個人の敵でもあるのよ」
僕はミサトさんがそう言うであろうことを予期していた。だが僕は綾波への僕の想いを伝えようと決意していた。
「ミサトさん!僕は綾波を信じています。綾波は必死に僕を助けてくれたんです・・・・・今度は僕が綾波を守る番です」
「それはあたしを敵に回しても、と言うこと!?」
僕は深く頷いた。
「・・・・・そうです!たとえ誰であっても綾波を傷つけようとすれば、僕はその人を許しません!」
”コンコン”
扉がノックされた。
「今度は誰!?」
言いながらミサトさんは席を立って扉の所へ歩いた。ロックを外す。
扉の陰から顔を出したのはパジャマ姿の綾波だった。僕はそれを見てあわてて席を立って二人に近づいた。
ミサトさんが綾波を傷つけるのではと危惧したからだった。
怒気を込めてミサトさんは訊いた。
「何の用なの!?」
『はい・・・・・碇君が部屋に居ないので・・・・・こちらではないかと・・・・・』
僕は二人の間を割るように身を乗り出した。
「あ、綾波!ど、どうしたの!?」
綾波は小さく笑みを浮かべると言った。
『何となく碇君の事が心配になって・・・・・・』
「えっ、僕の事が・・・・・・?」
不思議だった。僕は今後の綾波とミサトさんの関係が心配でここに来たのだけれど、綾波はそんな僕の事が心配で来てくれたと言うのだ。
僕は赤面しながら言った。
「あ、ありがとう・・・・・」
そんな僕達を見てミサトさんが言った。
「二人の仲の良いのは、もーーよぉーーく分かったから!!今夜はもう帰って。私もいろいろ忙しいのよ」
僕はミサトさんの語調が変わったのを感じた。
「ミサトさん・・・・・!?」
ミサトさんは微笑みを浮かべていた。
「信じるわよ・・・・・・あんた達の事を」
「・・・・・あ、ありがとう」
僕は礼を言った。
「・・・・・それじゃ、お休み」
『お休みなさい』
「お休みなさい」
僕達はミサトさんの部屋を後にした。
──シンジの寝室
僕の部屋に二人して戻ってきた。ソファに座るなり綾波は僕に訊いた。
『葛城さんと何を話してたの?』
「えっ、何って・・・・・別に、その・・・・・」
僕は何となく口篭もってしまった。綾波に相談せずに”力”のことをミサトさんに話してしまった事を言い出しにくかったからだ。
綾波の表情が翳った。
『・・・・・私には話せないようなことなの?』
僕はあわてて言った。
「ち、違うよ!・・・・・実は、綾波の事を話したんだ・・・・・綾波の・・・・その、力の事を」
綾波はさして驚いたふうでも無かった。
『そう・・・・・』
「ご、ごめん!綾波には予め話しておくべきだったよね・・・・・さっき突然に思いついたものだから・・・・・」
綾波は小さく首を振った。
『良いの・・・・・碇君は私の為にそうしてくれたんでしょ?』
僕は黙って頷いた。
『・・・・・・・それで葛城さんはなんて言ってたの?』
「・・・・・それが最初は・・・・・綾波の事を使徒だと決め込んだみたいなんだけど・・・・・」
『・・・・・ええ、それで?』
「うん・・・・・綾波も聞いたよね、ミサトさんが最後に僕達を信じるって言ったのを?」
『ええ・・・・・』
「多分、ミサトさんは分かってくれたんだと思うんだ・・・・・綾波は使徒なんかじゃ無い、人を滅ぼしたりしないって」
『・・・・・そうね・・・・・そうだと思うわ』
僕は僕の考えを綾波が肯定してくれたので少し自分に自信が持てた。
「実はとても不安だったんだ・・・・・ミサトさんが綾波を殺そうとするんじゃないかって・・・・・でも、もう大丈夫だと思う」
綾波は少し考えてから僕に訊いた。
『・・・・・もしも・・・・・もしも葛城さんが私を殺そうとしてたら・・・・・碇君はどうしてた?』
「も、勿論、綾波を守るつもりだった」
『・・・・・ありがとう・・・・・嬉しいわ』
言いながら、綾波は僕に身体をあずけてきた。
綾波の重みを感じながら、僕は今の自分の幸福とそれを守ることの重大さを感じていた。
──第二新東京ホテル最上階・専用厨房
朝食の準備の為に三人の料理人が上がってきて仕事を始めていた。
今朝のメニュウは和食らしく、厨房内には鰹だしの良い香りが漂っていた。
みそ汁の鍋を前にした一人の料理人の目が急に鋭くなった。他の二人の様子を窺っている。
二人の料理人はそれぞれ煮物、焼き物にかかっていてこちらを見てはいなかった。
男は胸ポケットから透明な液体の入った小瓶を取り出した。
男はもう一度周囲を見回す・・・・・・彼に注意を向けている者は誰もいなかった(少なくとも彼にはそう思えた)。
素早く瓶の蓋を開けて中身を鍋に注いだ。色も匂いも無いその液体はすぐにだしの中に溶け込んだ。
その時だった。男の後頭部に冷たい物が押し付けられた。男は反射的に振り向こうとした。
「動かないで!!・・・・・あんた、鍋に何を入れたの!?」
ミサトだった。彼女は三人の作業を陰からじっと窺っていたのだ。
男は自分の頭に押し付けられて物の正体を悟った。にわかに震えだしながらか細い声で言った。
「な、な、何ですか?わ、私はべ、別に・・・・・」
ミサトは銃を押し付けたままもう一方の手で傍らの玉杓子をつまみ上げた。
「それじゃあ・・・・・これで鍋のお味見をしてもらえるかしら?」
「そ、それは・・・・・」
男は言葉に詰まった。
「出来ないの?」
「い、いえ・・・・・・で、できます」
男は震えながら玉杓子を手に取ると鍋に入れて引き上げた・・・・・しかし口元にまで運んだときその手が止まった。
ミサトは意地悪く訊いた。
「どうしたの?自分で作った物を、まさか口に出来ない訳じゃないでしょ?」
”パタッ”
次の瞬間、男は玉杓子を取り落としていた。そのまま床に崩れ落ちた。
「ゆ、許してください・・・・・わ、私は頼まれただけなんです・・・・・こ、これが済めば十分な報酬が得られると言われて・・・・・そうなれば借金が返せると思ったんです・・・・・つ、つい出来心だったんです」
言いながら男は泣いていた。よく見ればあまりに小心そうな中年男だった。
そこへヨシエが入ってきた。銃を構えたままのミサトを見て驚いたようだった。
「まあ、どうなさったのですか!?」
ミサトは少しだけ笑みを浮かべながら答えた。
「ああ、ヨシエさん・・・・・下にいる警備の人に連絡してください。ネズミを一匹捕まえましたって・・・・・」
──第二新東京ホテル最上階・ミサトの部屋
昼過ぎ、加古がやってきていた。
ミサトが訊いた。
「・・・・・それで黒幕は誰だったの?やっぱり大淵首相?」
「いや、違うようだ・・・・・催眠暗示を使って見たが誰の名も出なかった」
「・・・・・本人の言うとおり個人的復讐だったってこと?」
「そういうことになる。龍田マサユキは幼い頃に両親を失い、その後はずっと龍田氏の庇護を受けて育ったと言っていた」
「・・・・・だけどこのまま放っておいて良いの?またあたし達の命を狙うかもしれないのよ」
加古は笑みを浮かべた。
「催眠暗示で奴の本心を聞きだすついでにある暗示を与えておいたんだ」
「暗示って・・・・・どんな?」
「今後、奴は我々やエヴァンゲリオンの事を見たり聞いたり考えたりする度に猛烈な頭痛に襲われることになる」
「そんなことで本当に大丈夫なの!?」
「勿論、奴の通信は最大漏れなくモニターしている。何か動きがあればすぐに分かる」
「ああ、そう・・・・・」
ミサトは頷くとテーブルの上のカップを手に取り一口啜った。
「ところで、シンジ君達なんだけど・・・・・」
「うん!?」
「二人とも学校に行きたがっているみたいなの」
「ああ、そちらの方も大丈夫だ。既に社の者を数人、職員として送り込んである・・・・・今のところ不審な動きは無いようだ」
「そう、それじゃあ明日から行かせても良いのね・・・・・もうあの二人のいちゃつきを見なくて済むわ」
ミサトはそう言って、再びカップを口元に運んだ。
加古は苦笑した。だが次の瞬間、表情を崩して言った。
「葛城・・・・・そう言えば俺達もしばらくいちゃついていないよな?」
「プハッ・・・・・な、何言ってんのよ!!まだ昼間じゃないのよ・・・・・」
ミサトは口内の液体を半ば吹き出し、怒りの表情を浮かべる。
だがその時既に加古は立ち上がりミサトの傍らに滑り込んでいた。次の瞬間、加古の唇はミサトの唇を捉えていた。
「や、止めなさいよ・・・・・」
ミサトは拒絶の言葉を発した。が、彼女の瞼はゆっくりと閉じられていった・・・・・。
──市立第二高等学校
一週間ぶりの学校だった。
僕と綾波は屋敷が焼失してしまった為、しばらくの間遠方の親戚の処に行っていた事になっていた。
加古さんからもミサトさんからも、事件の事は一切他人には話さないように言われていたので友人達にもそれで通した。
タケヒコが休んでいる間の僕達の生活について訊いてきたのには困った。仕方が無いので”やることが無いから寝てばかりいた”と答えた。それは僕について言えばある意味正しい事だったので幾分かでも嘘をつくことの後ろめたさを感じずに済んだ。
放課後、僕はいつものように教室で綾波と待ち合わせて校門に向かった。そしていつもの様に二人が離れていた時間に有ったことなどを話していた。
”カキーン”
それは金属バットがボールを打った音だった。次の瞬間、僕達に向かって叫ぶ声がした。
「危ないぞ!!」
僕達は反射的に振り向いていた。まっすぐ僕達の方に向かって飛んでくるボールが視界に入った。
僕は反射的に手を伸ばして綾波を押しのけようとした。しかしそれより早く綾波は一歩前に出て僕を庇う位置に立っていた。
「あ、危ない!!」
叫びながら僕は尚も綾波を押しのけようとその肩に手をかけた。
その時、僕は見た。僕達に向かってまっすぐに飛んできたボールは、突然、空中で跳ねて僕達の頭上を飛び越していった。
野球部の連中は皆呆然として僕達の方を見ている。
『行きましょう・・・・・』
半ば呆然としていた僕を綾波が促した。
「・・・・・う、うん」
僕達はきびすを返して再び歩き始める。
僕は小声で言った。
「あまり人前では力を使わない方が良いと思うんだけど・・・・・」
綾波は少し意外そうな表情を僕に向けた。
『私は何もしなかったわ・・・・・でも碇君が私の肩に触れた途端フィールドが発生してボールが空中で跳ねたのよ』
「ええっ!?」
つい声が大きくなってしまう。あわてて声を顰める。
「どういうことなの?」
綾波はこともなげに答える。
『いまのは碇君の力だったのよ』
僕には俄に信じられなかった。今まで僕はごく普通の人間だと思っていたのに突然に”力”を持ってしまうなんて。
僕は綾波に訊いた。
「何故だろう?・・・・・どうして僕は急に力を持ってしまったんだろう?」
『それは私にも分からないわ・・・・・だけど・・・・・』
「・・・・・だけど?」
綾波は僅かに頬を染めて言った。
『あの瞬間、碇君は私を守りたいと・・・・・その想いを強く感じたの』
「うん、それはそうだよ。確かにあの時、何とか綾波を助けたいと強く思った・・・・・」
『・・・・・ありがとう』
「そんな・・・・・お礼なんて・・・・・当たり前の事だよ」
言いながら、僕は何故か自分の顔も赤らむのを感じた。
──第二新東京ホテル最上階・シンジの部屋
僅か一週間しか経っていないのに授業は随分進んでいたので(少なくとも僕にはそう思えた)、夕食の後、僕はノートPCに向かいテキストを開いていた。だけど様々な事が脳裏に甦ってきてあまり捗らなかった。
”コンコン”
扉がノックされた。
「はい」
僕は立ち上がって扉を開ける。立っていたのは綾波だった。
『お茶を持ってきたわ』
「うん、ありがとう・・・・・一緒に飲んでいくでしょ?」
『ええ・・・・・』
僕達はソファに向かい合って座った。
綾波はポットから熱いお茶を注いでくれた。それを飲みながら今日の放課後のことを話した。
「今日の・・・・・僕の、力の事なんだけど・・・・・その事で思い出した事があるんだ」
『ええ・・・・・』
「・・・・・ご隠居様が最期に、僕がいつか本当の力に目覚める。その時に碇家に生まれた事の意味も分かる・・・・・そう言ってた事を思い出したんだ・・・・・」
「多分、ご隠居様の言ってた本当の力と言うのは、この事だったと思うんだ・・・・・」
『・・・・・そうだったの』
綾波のその言葉は少し寂しそうに聞こえた。
僕はこのご隠居様の言葉を綾波には話していなかったことに気づいた。あわてて言い訳をした。
「ご、ごめん・・・・・ぼ、僕も今日までその事を意識してなかったから・・・・・べ、別に隠していたわけじゃないから」
綾波は僕のあわて方が可笑しかったのだろう。少し笑みを浮かべた。
『・・・・・気にしないで良いわ』
綾波の笑顔に安心して僕は話を続けた。
「・・・・・・・うん・・・・・碇家に生まれた事の意味なんて言う、難しいことはいくら考えてもよく分からないけど・・・・・・」
「だだ、これだけは言えると思う・・・・・僕のこの力は僕が本当に大切に思っている者を守る為にあるんだと思う・・・・・綾波は・・・・・」
僕は言葉に詰まってしまった。やはり本人にめんと向かって言うのは気恥ずかしかった。
『私が・・・・・どうしたの?』
綾波にそう促されてようやく僕は話を続けた。
「うん・・・・・綾波は・・・・・僕にとってかけがいの無い、本当に大切な人だから・・・・・だからあの時、僕は力を出すことが出来たんだ」
『・・・・・ありがとう・・・・・とても・・・・・嬉しいわ』
綾波は言葉を区切りそう言った。言葉以上に綾波の想いが伝わってくるような気がした。
僕は頭を振った。
「いや、お礼を言われる資格は僕には無いよ・・・・・僕は自分の綾波への想いに今日まで自信が無かったんだ・・・・・綾波は僕の事をずっと想い続けていてくれたのに・・・・・」
「だけど今日は・・・・・今日からは違うよ。僕はひたすらに君を想う。僕は自分のこの気持ちを疑わない」
『・・・・・・・』
綾波はゆっくりと立ち上がった。ティーセットを乗せてきた銀のトレイを手にしている。
僕は少し焦って訊いた。
「もっ、もう行ってしまうの!?」
『ええ・・・・・』
「・・・・・あっ、ああ・・・・・そうなんだ」
僕はひどく落胆した。まるでもう二度と綾波に会えなくなるような気持ちになっていた。
綾波は僕に歩み寄った。僕の耳元に口を寄せた。心なしかその顔は赤みを帯びていた。
『今日はまだお風呂に入ってないから・・・・・すぐに入って、また来るわ』
それを聞いて、僕は安心した。
「う、うん・・・・・待ってる」
『なるべく早く来るから・・・・・』
はにかんだような笑みを残して綾波は部屋を出ていった。
一人になるとご隠居様のあの言葉が再び脳裏に甦った。
”時が来ればね、シンジ君。あなたは自分の本当の力に目覚めるわ。そのときに碇家に生まれた事の意味も分かるはずよ”
それと重なるように何故かあの老人──僕の祖父だと言う──の言葉も・・・・・・・
”シンジよ、碇の家の者には確かに神の血とも言うべきものが流れている。それは人々の意識に、直接に働きかけることのできる力じゃ”
今日発現した僕の力がそうした偉大な力なのかどうかは、いくら考えても自分では分からなかった。
”ご隠居様が言った通り、時が来れば分かる事なのかもしれない”
今はそう考えることにした。
闇の中で綾波レイは目を覚ました。ゆっくりと首を巡らせる。すぐ傍らには規則的な寝息をたてるシンジの顔があった。
闇に目が慣れるにつれてその表情さえも見えるようになったきた。とても安らかな寝顔だった。
それを見て、レイの中に不可思議な感慨が湧いた。それは”この安らかな表情は私がここにいることで生み出されている”というものだった。
それは理屈では無かった。レイ自身の内奥から生み出された確信だった。
ふと、かってご隠居様に言われた言葉が、レイの中にも甦った。
”シンジ君、レイちゃん。あなた方が出会ったことは、運命だったのよ”
だが、今のレイは”運命”と言う言葉にすこし反発を覚える。二人の出会いをそのような曖昧な言葉で片づけるのは哀しい気がした。
”私が碇君と出会ったのは私自身の想いの力によるもの”
・・・・・そう思いたかった。
”ウウウン・・・・・”
シンジが身じろぎした。腕がシーツをはみ出しレイの前に置かれた。
その掌に彼女はそっと自分の掌を重ねてみた。するとシンジの手がレイの手を握りしめた。
レイはハッとしてシンジの顔を見る。しかし彼が目覚めた様子は無かった。元の様な安らかな寝顔のままだった。
綾波レイはこの瞬間を至上の幸福の時だと感じた。
”碇君・・・・・貴方は眠っていても私を求めてくれるのね”
”私・・・・・とても・・・・・とても、嬉しいわ・・・・・・・・”
レイは再び眠りの世界に入っていった・・・・・その顔に”天使”の微笑みをたたえながら。
【2・YEARS・AFTER=了】
ver.-1.00 1999_ 10/30
ご意見・感想・誤字情報などは iihito@gol.com まで。
【予想外に長き(!?)連載を終えて】
最後までお読みいただき誠に誠に有り難うございました。
本連載が今日までかかってしまったのは多少のアクシデント(いろいろ言い訳すべき「材料」はあるのですが(*^^*)・・・・・)も有りました。
が、ここまで遅れた最大の理由は、実を言えば自分の力を越えた”世界”を展開させてしまった事に依るものです。
それでも何とか今日の「完結」(?)を迎えられましたのは、単に読者の方々の暖かい励ましとご教示そして作者の遅筆をお許いただく広い御心があったればこそです。
改めて深く深く御礼申し上げる次第です。本当に有り難うございました。