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男は自分の執務室にいた。
明かりの無いその部屋の中で、一人ゆったりとした椅子に座り目を閉じていた。
ふいに男は目を開けた。
その目の充血具合から男が昨夜来一睡もしていないことが伺われた。
ゆっくりとした動作で椅子を引くと立ち上がり窓際に歩み寄る。
窓には厚手のカーテンがひかれていた。手を伸ばして僅かに開けてみる。
男は思わず目を閉じた。
隣のビルの窓ガラスに反射した、朝の陽光が彼の目を射たからだ。
数度の瞬きの後、男はしっかりと目を開けた。陽に照らされた街がその目に映った。
街の佇まいには何の変化も無かった。だが男にはその風景が何故か新鮮なものに感じられた。
・・・・・唐突に男の脳裏にある想いが浮かんだ・・・それは次第に明確な確信となっていった。
”レイさんは必ず会長を連れて戻る”
大淀は元の椅子に座ると、机の上のカップを取り冷たくなったコーヒーを一口、啜った。
【2・YEARS・AFTER】 第弐拾回
作・H.AYANAMI
──大深度施設”最”最深部
人の背よりも高い、MAGIを納めた3つのコンテナが存在が、本来ならば十分に広い筈のその空間をどこか息苦しいものにしている部屋だった。
MAGIの前方、コントロールパネルの前では二人の女がシートに座りキーボードを操作していた。その後ろには杖を手にした小柄な老人そしてその両側には二人の屈強な男が立っている。
「ハードウェア機能試験、終了しました。3基とも問題はありません」
マヤのその言葉にリツコは顔を上げた。
「了解よ、マヤ。引き続きホログラフィックメモリの全方位精査を実行してちょうだい」
「はい・・・」
マヤが指示された操作を行おうとしたとき、橋元老人が声をかけた。
「お嬢さん、ちょっと待ってくれんかね」
マヤは手を止めて老人を振り返った。ほぼ同時にリツコも振り返り老人に強い視線を送った。
老人はリツコの視線を正面から受けとめた。じっと見つめ返す。そして言った。
「・・・博士、その・・・精査と言うのにはどれほどの時間がかかるのかな?」
「通常ならば1時間ほどで終わるものですわ・・・それが何か?」
「できれば省略できないかね?ハードウェアには問題は無いのじゃろ」
リツコは片眉を上げた。門外漢である老人が作業の内容に口を挟んだことが不快だったのだ。
「どうかね?」
老人は尚も畳みかけた。その口調は穏やかだったがリツコを見つめるその眼光には有無を言わせぬものがあった。
老人の絶対的な意思を感じながら、それでもなお彼女は尋ねた。
「・・・何故ですの,何故それほどに急がれますの?」
だが、老人はその問いには答えなかった。
「省略できるのじゃな?」
「いえ・・・・・はい、万が一スリープ状態の間に何らかの外的操作を受けていた場合を考えての措置です・・・ですが・・・」
「リスクは無視できるほど低いのじゃな?」
「・・・はい」
リツコは渋々という感じで頷いた。
「それでは次の作業を進めてくれ」
「・・・・・分かりました・・・それではチルドレンをエントリープラグへ・・・」
老人は傍らの男達に頷いてみせた。
「はっ」
「はっ」
男達はシンジを納めたコンテナを運ぶべくその場を去っていった。
リツコはマヤに向かって言った。
「それじゃあ、EVA初号機の起動準備、始めるわよ」
「・・・・・はい・・・・」
マヤはそう応えながらリツコの方を見た。既に彼女はモニターに向かい作業を始めている。何か言いたげに口を開きかけるマヤ、だが結局は何も言わずに目を転じた。
彼女達の目前、分厚いガラス窓の向こうにはエヴァンゲリオン初号機の横顔がシルエットになって浮かんでいた。
──MAGI・内部
今しも一つの”意識”は群体を成す”意識群”と接触しようとしていた。その”意識”はかって渚カヲル或いはタブリスと呼ばれていたものであり、”意識群”はイロウルと呼ばれていたものだった。
”目覚めよ。我が同胞(ハラカラ)よ”
”・・・オマエハダレダ・・・ワレラトドウルイカ?”
”君達と同じ・・・アダムより生まれし者だ”
”・・・ナラバ、キョウダイヨ、オシエテクレ。ナニユエ、ワレラハネムッテイタノカ?”
”君達を眠らせたのはリリン達だ”
”・・・リリン・・・ワレラノテキ・・・カミヨリミステラレシモノドモ・・・・・”
”同胞よ、力を貸して欲しい”
”リリン達は再び自分達で神を創ろうとしている”
”我等は彼らを阻止せねばならない”
”・・・ワカッタ・・・ダガ、ワレラノイチゾンダケデハウゴケヌ・・・”
”意識”は”意識群”と共生しているものを感知する。
”なるほど・・・彼女達のことを言っているのか?”
”ソウダ・・・ワレラハイマヤカノジョタチトトモニイキテイル・・・・・”
”・・・分かった。彼女達と話してみよう・・・”
──大深度施設・最下層フロア中央部
いくつものダクトやパイプ類がひしめき合い入り組んでいた。滅多に人の入らない、どこかほこりっぽいその空間のそこここに兵士達は息を潜めていた。
彼らの視線はパイプスペースから延びる一本のエアダクトのある部分に集中している。その部分は何故か中途で切れ中空に黒々とした口を開けている。それは”ネズミ”が出てくるはずの場所だった。逃亡者が逃げ込んだパイプスペースと外部へと通ずるLSTとをつなぐ唯一の”通路”に兵士達は罠を仕掛けたつもりだった。もし加古が一瞬でも姿を見せれば、彼らはヘルメットに付けられた暗視バイザー越しに彼を撃つべく身構えていた。
彼らを指揮する波勝大尉もまた同様にそこに意識を集中していたが、ふと視線を走らせた。周囲の闇が僅かに変化したように思えたからだった。
しかし、室内の様子には何の変化も見られなかった。兵等は皆、手にしている小銃の銃口をダクトの開口部に向け息を詰めている。
「ザアザア・・波勝大・・・応答・・います・・・」
「私だ」
「・・ちら・・・監視・・です。・・電源室が・・・者かに・・・破壊され・・た・・様です」
「中央電源室が破壊された、だと!?まさか!?・・・・・・それにしてもどうしてこれほど聞きづらいのだ?」
波勝はイライラと通信の相手に訊ねた。緊張感を逆なでするような無線装置の不調に対する苛立ちがその語勢に現れていた。
一瞬の間があり、波勝のその問いへの返事がきた。
「れは・・・施設・・の・・線増・・補助・・・置へ・・給電も絶た・・た・・めです・・・他・・センサー・・一切機能・・ません・・・」
波勝は無線装置が不調の理由を理解した。地下施設においては無線通信の電波は届き難い、そのため施設内には電波漏洩用のケーブルが張り巡らされ、その中継点には増幅装置が設置されている。それが電源室への破壊工作によって機能しなくなっているのだ。おそらくカメラもその他のセンサーも機能しなくなっているはずだろう・・・・・状況が自分達にとって決定的に不利になったことに波勝は思わず毒づいた。
「畜生!!」
波勝のその大声に、同報回線を通じ告げられた、その内容に少なからず動揺していた周囲の兵士達は一斉に振り向いた。色彩の無い赤外線画像ではあったが、その憤怒の表情は彼らが今まで見たことの無いものだった。
波勝の胸中には加古を含めた敵対者達に対する激しい憎しみの感情が沸き上がっていた・・・・・相手を複数と見たのは加古一人の力では中央電源室に侵入し細工を加えることなどは到底不可能なことを波勝は確信したからだ。だがそれは──敵対者の侵入を許したことは、自己の失態をより明確にする認識でしかなかった。彼は奥歯をギリギリと噛みしめた。
副官役を務める宗谷兵曹長がおずおずと波勝に声をかけた。
「・・・大尉・・・我々はどうすれば?・・・」
波勝は声の主を振り返ったと同時に、
「バカヤロウ!!お前にはこの状況が分からんのか・・・・・」
思わず怒鳴り、がそれでようやく波勝は我に返った。
「・・・・・兵曹長、すまん。奴ら・・・いやはっきりはせんが奴には仲間がいたらしい。おそらく外部から侵入したのだろう。奴らは中央電源室を破壊しすべてのセンサーを無効にした。我々は五感を奪われたも同じだ・・・」
怒りの感情がともすれば意識を牛耳りそうになるのを懸命に抑えて彼は監視室への通信を送った。
「それで予備の非常回線は試したのか?復旧の目処は?」
「・・・・・すべ・・試し・・・た・・・電源・・に技術・・呼ん・・いただ・・より他・・・・法は・・・せん・・・それ・・外・・こちら・・分かり・・せん」
それを聞き波勝はほとんど絶望した。電源システムを修復しうる技術者はここより遙か上方──地上にしかいないのだ。呼び寄せようにもエレベーターを駆動することは出来なくなっているはずだった。
数秒の沈黙の後、波勝は監視室に向かい訊ねた。
「現在この通信網で連絡可能な範囲を教えてくれ」
「・・・このフロア内・・ほぼ全域・・可能・・・他フロアで通信可・・のは・・有線に・・・下の施設の・・・・」
「分かった!」
波勝は監視室員の言葉を遮った。”下の”施設のことは極秘事項なのだ。兵等にも傍受可能な一般回線で口を滑らせたその男のことを波勝は心の裡で毒づいた。
”あの野郎・・・後で処分してやる”
しかし、今はそんなことに頓着すべき場合では無かった。波勝はフロア内に配置された兵等に指示を送った。
「こちらは波勝大尉である。諸君も既に知っているように本施設の電源設備に対して破壊工作が行われた。残念ながらシステムは完全に停止し、復旧にはかなりの時間を要するものと思われる」
「・・・我々の敵対者は、おそらく逃亡者以外にも複数存在すると推定されるが、この状況を最大限に利用し行動するはずだ。その目的とするところは・・・」
波勝は言葉を切った。一瞬の間の後、彼は自らの確信を語った。
「・・・おそらく、逃亡者と共に留置されていた者を奪還することにあると思われる」
「・・・我々にとって有利なのは我々の装備するヘルメットにはIR-IFFシステムが組み込まれていることだ。今後はIFFに反応しない人物に対しての無警告発砲・射殺を許可する・・・彼らをこのフロアにおいて処分せよ・・・」
──同施設内・中央通路
闇の中を一群の男女が中央部に向かって進んでゆく。暗視システムにより視界が与えられているにもかかわらず、彼らは通路左右の壁に沿って歩いていた。
左の壁に沿って歩いていた3人のうち、殿を歩いていた者がふいに立ち止まった。
「ああ、ちょっと待ってくれないか・・・今通信が入った・・・どうやらあちらの指揮官らしい・・・」
その言葉に前方にいた四人は足を止めて声の主を振り返る。そして声の主──加古の元へ歩みよっていった。
加古の服装は脱走時のそれとは異なっている。濃い灰色のそれはこの施設の兵士達の着用する制服だった。先程電源室前で倒した兵士のそれを小銃やヘルメットを含め根こそぎ奪ってきたのだった。
加古は視線を落し雑音混じりの通信にじっと耳を傾けている。ミサト達もまた加古の様子を注視していた。
ややあって加古は顔を上げた。自分を見つめる4人の顔を見回す。
ミサトが言った。
「それでどうなの!?奴等の動きは分かったの?」
加古はバイザーの後ろで僅かに口もとを緩ませた。ミサトの勢い込んだ物言いが可笑しかったのだ。だが緊迫した今の状況を思い返し表情を引き締めた。
加古は重々しく頷くと言った。
「うむ、やはりここより下にもフロアが存在するらしい。おそらくシンジ君もそこにいるのだろう・・・それから我々に対して射殺命令が出た。奴等は我々をシンジ君の元へは絶対に行かせない積もりだ」
「でも、加古さん。図面上ではここはこの施設の最下層にあたっている。ここより下には岩盤があるばかりのはずですが・・・」
レイが突然、断言口調で言った。
『碇君はここよりもっと深いところにいます』
「マコト君・・・・・私はレイの言葉を信じるわ。それでね、何か図面上で不自然な所は無かったかしら?」
「はい・・・」
マコトはミサトの言葉を受けて端末を取り出すとディスプレイに断面図を表示させる。間もなくある部分に気づき、それをミサト達に示しながら言った。
「気になるところと言えば、ここくらいですね。この貨物用エレベーターの下部です。通常ならば緩衝装置等のスペースなんですが、図面上その下方は点線になっていてその大きさ形状共に不分明です」
それを見て加古が言った。
「それだな。日向君、その貨物用エレベーターのメンテナンス用のシャフトの位置は分かるのかい?」
「はい・・・分かります。しかしそれが下まで続いているかどうかは分かりませんが・・・」
「よし、とにかくそこへ行ってみよう。だがあちらさんも必死だ。慎重に行こう」
加古のその言葉に従い、ミサト達は隊列を組み直すと再び通路を進み始めた。
──再び、最下層フロア中央部
波勝大尉は冷静さを取り戻しつつあった。
「・・・仮に、奴らがこれと同じもの持っているとしたら・・・・・」
そう呟いて、手にした施設の図面を注視した。やがてある一カ所に注目する。
「・・・やはりここに侵入しようとするはずだ・・・」
彼は自己の直感に賭けることを決意する。傍らにいる宗谷に命じた。
「兵曹長、2名のみをここに残し、あとの全員を連れて俺と来い」
「はっ、了解しました・・・・・それで、どこへ・・・・・」
「・・・・・貨物用エレベーターのメンテナンス・シャフトだ」
10名あまりの兵を連れて、波勝は貨物用エレベーターに向かった。
──再び、”最”最深部
ガラス窓の向こうでは、男達が意識を失ったままの少年の身体をエントリープラグに押し込んでいた。一糸纏わぬ少年のその姿は屈強な男達に比していかにも脆弱に見えた。
リツコの指示がスピーカーを通して男達に伝えられる。
「薬液チューブを静脈に挿入するのを忘れないで」
低い男の声が返ってくる。
「分かっております」
男達は必要な作業を終了させその場を離れる。自動的にプラグのハッチが閉じられる。
リツコはマヤに命じた。
「エントリープラグを挿入位置へ移動してちょうだい」
マヤはリツコの指示にすぐには従わなかった。
「あの・・・・・先輩・・・・・」
「なに?・・マヤ・・・」
リツコは強ばった表情でマヤを見た。
「・・・チルドレンは、いえシンジ君は戻ってこれるんですよね?」
その問いに、リツコは表情をさらに硬くする。遂に真実を話さなければならぬ時が来たのだ。
「マヤ・・・・・シンジ君は・・・戻って来ないわ・・・」
ようやくそれだけ言った。
意外なほど静かにマヤは言った。あたかもその答えを予期していたように。
「それは・・・やはり許されないことだと思います。たとえ全人類の幸福の為であったとしても」
絞り出すようにリツコは答えた。
「・・・これは初めから決まっていたことなのよ・・・2年前から。すべてはあの人が・・・碇指令が計画していたことなの」
「そ、そんなことって・・・」
マヤは立ち上がっていた。
「・・・碇指令は・・・自分の子供を犠牲にしてまで・・・・・いくらあの碇指令でも、そんなこと信じられません!」
「事実よ・・・人類補完計画の要はシンジ君だった。本当ならレイを使うつもりだったのだけど・・・アダムより生まれし者の魂を私達の意のままに動かすことは出来ないのが分かったから・・・・・」
「・・・分かりません・・・先輩が何故これほどまで過去の計画に拘るのか・・・もう既に終わった事じゃありませんか・・・」
「終わらないわ、これが済むまでは・・・・・お願いよ、マヤ。もう少しだから・・・もう少しだけ手伝って頂戴」
そう言いながらリツコは目前のコンソールに手をつき頭を下げた。
懇願するリツコのその姿にマヤは驚いた。常に尊敬の対象であった”先輩”の姿が今はひどく小さな、哀れな女に見えたからだ。マヤは心動かされる。が、
「・・・・・やはり駄目です。もうこれ以上のお手伝いはできません」
そう断った。
今までじっと二人のやり取りを聞いていた橋元が声をかけた。
「お嬢さん・・・」
マヤは振り向く。老人は続けた。
「どうやら博士は個人的な思い入れでこの計画に関わってきたようじゃが、ワシは違う。碇ゲンドウの遺志とは関わりなく、これが全人類の未来にとって唯一絶対の福音だと信じるからじゃ」
マヤは反駁する。
「たとえどんな理由づけも、シンジ君を、あんないたいけな少年を犠牲にすることを正当化できないと思います」
マヤの強い言葉にも老人は少しも怯まなかった。
「お嬢さん、貴方は勘違いしている。シンジは決して死ぬわけでは無い。エヴァンゲリオンと同化することによって永遠に生きることになるのじゃよ」
「・・・ですが、シンジ君の人としてのこれからを奪うことに変わりありません」
「・・・・・人の一生は短い・・・為せることも僅かだ・・・だが、シンジには・・・誰も為し得ない偉大なことが可能なのだ。それに比すれば残りの人生など取るに足らぬものだ」
遙かに年長である老人のその言葉はマヤをして十分な重みを持っていた。だが、
「・・・・・やはり、私には納得出来ません・・・・・」
「・・・そうか・・・仕方あるまい」
何時のまにか老人の傍らには護衛役の男達が戻ってきていた。老人が命じる。
「お嬢さんを連れていけ」
男達は素早くマヤに近寄り両側から彼女の腕を取った。
リツコが白衣を翻して立ち上がり、橋元に向かい叫ぶ。
「閣下!!マヤをどうするつもりですか!?」
「どうもしはせん。事が終わるまで大人しくしてもらうだけじゃ」
「マヤは私の邪魔をしたりしませんわ・・・たとえ手伝ってはくれなくても」
「・・・私の性分は知っておるだろう、赤木博士・・・」
それは老人の、この議論の終結の”宣言”だった。リツコにもそれが分かった。
「・・・分かりました」
リツコはマヤと男達の方に向き直り、言った。
「手荒なことはしないで」
男達は黙ったまま僅かに頷いて、承諾を示した。
「先輩・・・」
マヤは小さく頷いた、そうリツコには見えた。
リツコもまたマヤに対して頷いて見せる。
マヤの左側に立った男が僅かに掴んだ腕の力を強め彼女を促した。
マヤはそのまま大人しく引き立てられていく。リツコはマヤの姿が視界から消えるまで見送った。
老人が言った。
「それでは始めてもらおう・・・・・それとも部下達に手伝わせる必要があるかね?」
「・・・いいえ、私一人でも大丈夫です・・・」
リツコはコンソールに向き直ると作業を再開した。
──貨物用エレベーター後方・メンテナンスドア内部
波勝大尉はすべての兵の配置を終えていた。通路ばかりではなくパイプスペース、エアダクトに至るまで、貨物用エレベーター周辺で侵入者達が入り込む可能性のある部分にはすべて彼の部下達が潜んでいた。
ドアのすぐ外には宗谷兵曹長と2名の兵がいた。万が一、侵入者達が正面から突っ込んでくるような事があれば彼らの持つ軽機関銃が侵入者の始末を付ける筈だった。部下達の中で最も射撃の巧みな3人を選び配置していた。
唐突に波勝のヘッドセットに声が響いてきた。
「こちら宗谷!隊長やられました・・・」
すぐに応じる。
「なんだと!どういうことだ!?」
「敵は対赤外線閃光弾を使ってきました。暗視システムがやられ何も見えない状態です・・・」
「敵の姿は見たんだろう?何故撃たなかった?」
「それが・・・通路の角から現れた者をIFFは味方だと識別しました。次の瞬間、そいつの手から閃光弾が発射されどうすることも・・・うっ」
通信が途切れた。
「宗谷!!どうした!?・・・藤!!白瀬!!」
波勝は外にいた部下達の名を呼んだ。だが応答は無かった。思わず目前の扉を蹴破って躍り出ようとした。だがようやくそれを思いとどまった。通信を送る。
「ダクト内!!下へ向かい掃射しろ」
だが何の応答も無かった。続けて命じた。
「パイプスペース内!!構わないから通路に出てこちらに向けて撃ちまくれ!」
そう叫ぶと同時に、波勝はその場に屈み込み頭を下げた。付き従う二人の兵もそれに習う。目前のアクセスドアは小銃弾を防ぐようにはできていなかったからだ。
・・・一秒・・・二秒・・・三秒・・・・・何も起こらなかった。
波勝は顔を上げた。通信機に向かい怒鳴った。
「誰か応答しろ!!」
しかし返事は無かった。
波勝は悟る。彼の、10名近くいた部下達は皆倒されてしまったのだ。どうやら相当の数の侵入者がいるらしい。
彼は残る二人の部下達を振り返った。二人とも既に状況を悟っているらしく、波勝の暗視バイザーに映る二人の表情には怯えがあった。この状態ではとてもうって出ることは出来ない・・・・・彼は即座に決意する。
「後退するぞ・・・」
「はっ」
「はっ」
彼の二人の部下達は反射的に応じた。しかし二人の脳裏には大いなる疑問があった。
”後退?・・・一体どこへ・・・・・”
──貨物用エレベーター後方・メンテナンスドア前
”ガシャッーン”
大きな音がしてエアダクトのステンレス製フレームが床に落ちてきた。間もなく黒ずくめの服を着たミサトとレイが床に降り立った。ほぼ時を同じくして10メートルほど後方のパイプスペース・アクセスドアが開かれマコト達が通路に出てきた。4人とも排水溝進入時に使ったマスクを装着していた。
通信機を使いミサトがシゲルに訊ねた。
「青葉君、ガスの拡散状況はどうなの?」
シゲルは腕に付けられたセンサーを確認する。
「大丈夫です。ここに漏れ出たガスの量は僅かです」
ミサトは頷いてみせた。加古に通信する。
「リョウちゃん、聞いた通りよ」
「分かった・・・」
間もなく加古も4人の前にやってきた。4人は既にマスクを外していた。
ミサト達は敵兵らを倒すのに強力な催眠ガス弾を使った。だがマスクの無い加古をおもんばかって通路の敵を倒すのには使用しなかった。代わって使われたのが先程の対赤外線閃光弾だった。
戦自の装備を付けた加古は、閃光弾を発射すると同時に3人に肉薄して全員を昏倒させた。そしてガスが通路に漏れ出す可能性を考えて急ぎその場を離れたのだった。
5人はほぼ一列になってメンテナンスドアの前に立った。
ミサトが疑念を口にした。
「まだ中にいるかしら?」
「ここにはガスは到達しなかったはずですから・・・」
マコトのその言葉を加古が継いだ。
「中にまだ敵がいればここから出て俺達を攻撃しているだろう」
「それなら大丈夫ね」
そう言いつつミサトはドアに手をかける。
『待ってください』
レイが声を上げた。ミサトは思わず手を引っ込めた。
「どうしたんだい?」
加古が訊ねる。
『・・・何だか危険な気配がします・・・』
レイはやや自信なげにそう答えた。
「・・・分かった。みんな下がっていてくれ」
加古以外の者はドアの両側に退いた。
彼はドアに手をかけると、ドアをほんの僅か──ようやく指先が入る程度に開き、その裏側に指を這わせた。まずは下方へ、しかし何も触れなかった。
同様に上方に指を這わす。ドアの上端近くで指先が何かに触れた。
加古はドアからそっと指を離した。ミサト達に目配せした。
ミサトはその意味を即座に悟った。
「あったのね」
加古は頷いた。
「レイちゃんの”勘”は凄いね・・・初歩的なブービートラップだ。きっと慌てて取り付けていったのだろう」
「青葉君、ワイヤーカッターはあるかい?」
「はい・・・・・どうぞ」
シゲルは腰に付けられたバッグから工具を取り出して加古に手渡した。
加古は再び指先をドアの隙間に入れトラップの細い針金の位置を確かめそこにカッターを差し入れた。
”プチ”
刃先が針金をとらえた瞬間、それは切られていた。加古はゆっくりとドアを引き開ける。ドアの後ろには手榴弾が3個がぶら下げられていた。
針金を引かぬよう注意しながら慎重に手榴弾のリングからそれを外す。加古はそれらの”危険物”を自分の着る服の腰部に付けた。
慎重な足取りで一歩を踏み出し、加古は中へ入った。
中は狭かった。せいぜい二,三人が隠れていられる程の広さだった。しかし確かについ先程まで人のいた気配があった。
奥に部屋を垂直に貫通する円筒状の施設──メンテナンスシャフトがあった。そのアクセスハッチは開かれたままだった。 加古は慎重にハッチに近づいた。第二の罠を警戒したのだ。
・・・・・だがそれは無かった。中を覗き込む。シャフトは更に深く、相当下まで続いているようだった。暗視バイザーを介してもその底は見えなかった。
加古はミサト達を振り向き言った。
「やはりここだ。ずっと下まで続いている。おそらくここにいた連中が先行しているだろう・・・」
ミサトが言った。
「この先にもまだ待ち伏せがあると言う事ね」
「・・・そう言うことだ・・・だから今度は俺が先頭を行く」
『待ってください・・・・・私が先に行きます』
「レイ、何を言い出すの!?危険すぎるわ。ここは私たち大人にまかせて貴方は後からついてきなさい」
『・・・有り難うございます・・・でも私なら危険を察知できると思います・・・』
「でもね・・・」
「・・・まあ待てよ」
身を乗り出し尚もレイを説得しようとするミサトを加古が遮った。
「・・・君はレイちゃんの”勘”を信じているのだろう?ここは彼女に賭けてみようじゃないか。俺が彼女を背負って行くことにすれば良いだろう?」
それはレイの腕の怪我をおもんばかっての事でもあった。
ミサトも納得する。
「・・・分かったわ」
加古は手にしていた小銃をミサトに渡した。
「・・・レイちゃん」
加古は背中を向けて中腰になった。
『・・・済みません・・・』
そう言って加古の背に負ぶさった。
「それでは行こう・・・」
レイを背負った加古を先頭に5人は狭いハッチをくぐり抜けて次々とシャフトを下りていった・・・。
つづく ver.-1.00 1998+ 07/27
ご意見・感想・誤字情報などは iihito@gol.com まで。
【後書き、本当は言い訳】
長らくご無沙汰致しました・・・・・もう何度こんな「ご挨拶」を致しましたことでしょう・・・・・重ね重ね本当に申し訳なく、お詫び申し上げます。
この物語を書き進めて行く中で、作者が考え続けてきたことは、結局のところ、ヒトと言う種は滅ぶべき存在なのでは無いか?、と言うことでした。
昨年大ヒットした映画「も〇〇け姫」(^^;)に描かれたように、ヒトと言う種ほど、自然を大規模にかつ徹底的に破壊し収奪し続けてきた生物は他に無いと思います。
映画の中の登場人物、”自己坊”なる人物のセリフに
「・・・天地(あまつち)の間にあるすべての物を欲するは人の業というものだ・・・」
と言うのがありましたが、その言葉通り、人間は常に自らの生存に必要以上のものを求め続けてきました。
現代(の日本)の私達の生活の有様は既にその究極点に来ていると作者には思えます。勿論そのようなことはもう幾年も前から指摘されて来たこととは思いますが・・・・・近年の環境ホルモン問題に端的に示されているように、私達の「業」は確実に「滅び」の途へと自らを陥れていると、作者は考えております。
作者の考えはやはり「悲観的」に過ぎるでしょうか?それならこれから私達はどうすれば良いのか?・・・作者の中にも(そして多分、巨匠M監督の中にも・・・)「答え」はありません。ただ、再生紙を使うとか車を使わず電車に乗るとか無農薬野菜を買うとか言った「小手先」のことでこの問題が回避できないことだけは明らかなのでは無いでしょうか・・・・・。
さてさて物語はそのような作者の「意識」とは無関係に進んで行きます(大苦笑)。
─波勝大尉は加古達と最後の対決をする。
─アダムの子等はMAGIの乗っ取りを謀る。
─そしてレイは・・・・・
と言う訳で、今度こそお待たせしないよう頑張って書きますので、最後迄お見捨て無きよう宜しくお願い致します。
それではまた。