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【温泉物語】

作・H.AYANAMI  


僕と綾波が、ひとつ屋根の下で暮らすようになってから、既に四年余りが経った。


僕達は去年、十八になったばかりだが、二人の関係は既に長年連れ添った夫婦のようなものではないかと、僕は思っている。


互いの存在は当然のことであり、それが失われることなど想像もできない。


自慢ではないが、僕はこの四年間、綾波以外の異性に心を寄せたことなど、ただの一度もない。


僕の自惚れかもしれないが、多分、綾波もそれは同じだと思う。


僕達は、互いを見つめ合い、認め合い、愛し合ってきた。


・・・そうすることで、僕達は、互いの寂しさを忘れようとし、孤独を補おうとしてきた。




”人は寂しさをなくすことできないよ”

”でも、寂しさを忘れることはできる”

”忘れることができるから、人は生きてゆけるんだよ”





僕は一人の少年の顔を思い浮かべる。僕が殺してしまった、あの少年の顔を・・。


・・・夢に見るのだ、今でも。あの時の光景を・・・。


僕の手は、血で汚れている。どんな言い訳をしようとも、その事実は変わらない。


生きてゆく限り、僕はその事実を背負ってゆかなければならない。


・・・僕は改めて思う・・・僕の傍らに綾波がいてくれることの幸福を・・・。


もしも綾波がいてくれなかったら、僕を愛してくれていなかったら、僕は今頃どうなっていただろうか。


心の重圧に負けて、狂ってしまったか、あるいは・・・死んでしまっていたかもしれない。






部屋の戸が開けられた気配がした。 


タオルで髪を拭きながら、綾波が入ってきた。


「おかえり、綾波。お風呂どうだった?」


『・・良いわね、やはり温泉のお湯は。・・お肌がすべすべよ』


浴衣の袖をめくって、肘の辺りをさすりながら言う。




僕達はいま、自宅から車で二時間ほどの、山間にある温泉場に来ている。


先月、僕は免許を取ったので、自分で車をドライブして、綾波と二人ここへ来た。


高校の卒業を一週間後にひかえた今日、綾波の発案で、僕達は二人だけの”卒業旅行”をしに来たのだ。


僕達の今夜の宿は、築百年近いという木造の日本旅館で、部屋は当然、畳敷きの和室だ。


部屋の中央には、既に二組の布団が敷かれている。





僕は、庭に面した板の間に置かれている籐の椅子に座り、部屋に備え付けの姫鏡台の前に正座して、髪をとかしている綾波の後ろ姿を眺めている。


鏡の中を覗き込むようにして、振り返ることなく綾波が僕に向かって言った。


『碇君も、一緒に入れば、良かったのに・・』


(いきなり、何てことを言い出すんだ)


しどろもどろに僕は言う。


「えっ、僕は、べ、別に・・いいよ。夕食前にゆっくり入ったし・・・」


多分、僕の顔はのぼせたように真っ赤になっていたと思う。時として綾波はとんでもないことを言い出す。


綾波が、僕の方を振り返る。


『ここの露天風呂は、混浴なんだから・・・別に構わないでしょ?』


「・・それはそうだけど、そ、そういうことじゃなくて・・・」僕は答えに窮してしまう。


『・・碇君。私と一緒じゃ、いやなの?』その言い方はとても寂しげだった。


僕は、真顔になって答える。


「そ、そんなこと、ある訳ないよ! 綾波が、望むんだったら、僕は何でもするよ」


僕の答えに、一瞬きょとんとした顔になり、次に真顔になってこう言った。


『ごめんなさい。今のは・・冗談のつもりだった、の』


僕は驚く。以前はあれほど無口で、必要なこと以外話すことさえしなかった綾波が”冗談”を言うなんて。


「ひ、酷いや、綾波」思わず”泣き”を入れてしまう。


「・・本当に、ごめんなさい」綾波が真剣に謝ってくれている。




僕の気持ちは既に収まっている。むしろ綾波が”冗談”さえ言えるようになったことが嬉しく思えてきた。


僕の顔は自然に和らぎ、口元が緩んだ。


僕が微笑んだのを見て、綾波の表情も和らぐ、やがて、いつもの暖かい微笑みになる。


『・・許してくれたの、ね』


「もちろんさ」









カーテンの隙間から、月の光が差し込んでいる。


(・・・今夜は、満月だからな)


僕は、綾波の髪を撫でながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。


『・・碇君・・』耳元で、綾波が僕を呼んだ。


「・・うん・・なに?」僕は我に還る。首を回して綾波の顔を見る。


『・・・赤ちゃん、きっとできたわ・・・』


「・・うん・・」僕は、綾波の言葉に曖昧に肯く。








・・・僕は、先ほどの綾波とのやりとりを思い出す。




僕は、いつものように用意していた。


それを取り出そうとしたとき、あえぎながら綾波は、僕の延ばした手を押さえて言ったのだ。


『・・・碇、くん・・・今日は・・・使わない、で、して・・・』


僕は驚いた。だって今日あたりは・・・”危ない”日のはずなのに・・・


『・・お、ねが、い・・・』


「う、うん・・」


結局、僕は、綾波の望み通りにした。




白状するが、それは今までにない快感を僕にもたらした。


様子から見て、綾波もそれは同じだったに違いない、と思う。







『・・・碇君、赤ちゃん欲しくないの?』真剣な声で、綾波が僕に尋ねる。


「・・そんなことは、ないよ」呟くように僕は答える。


それは本当のことだ。僕は綾波に、僕の子供を産んで欲しいと思っている。


・・・でも、不安なのだ、自分自身が。


幼くして母を亡くし、父とも、世間一般のような親子の絆を持てなかったこの僕が、果たして人の親になどなれるのだろうか?


『・・・不安なのね・・』


綾波に隠し事はできない。僕の表情からたいていのことを読みとってしまう。


正直に僕は答える。


「・・うん、そうなんだ。僕は、自分自身が不安で仕方ない。僕のような人間が、果たして人の子の親になんかになれるのかって・・・」


『・・・それは、私も同じことよ・・でも、人は生まれながらにして親になれる訳じゃないと、思うの』


「どういう意味?」僕には綾波が何を言っているのかよく分からずにそう聞き返す。


『・・・人は、子供ができれば自然に親になれる訳じゃないと思うの。子供と共に生きることで、むしろ子供に”育てられて”次第に親になってゆくんじゃないかしら・・』


「・・・そうだね」何となくではあったが、綾波の言いたいことは分かった。僕は聞いた。


「・・綾波、綾波はいつからそんな風に考えるようになったの」


『・・ごく最近・・私たちの卒業が近づいてきてから』

『・・・碇君、約束したでしょう。あの日ヨシエさんに、赤ちゃんのことを言われて・・・』


(約束?・・・そうか!)


今から二年余り前、僕達が碇の家に引き取られてから、はじめて一夜を共に過ごした日の翌日、

僕達は話し合い、少なくとも高校在学中には子供を作らないことにしたのだった。


僕は、綾波の意思を理解した。僕達の”約束の日”が到来したのだ。




「うん!?」綾波の手が”僕”にそっと触れてきた。


それだけで、僕は”僕”が”膨らんで”ゆくのを感じる。


「あ、綾波?」


僕の問いかけに、綾波は黙って肯いた・・・。









『・・碇君・・・起きて・・・』


「う、うん・・・」


僕は、綾波に揺すぶられて目を覚ます。朦朧としたまま体を起こし、窓の方を見る。


カーテン越しではあったが、外の暗さから見てまだ夜明けには間がある時間のようだ。


「・・綾波、どうしたの?こんなに早い時間から・・」僕の声は半ば虚ろだ。


『碇君、一緒にお風呂に入りに行きましょう』


「・・・うん、でもこんなに早くから!?」


『早いから良いの。今なら他には誰も来ないはずよ』


「う、うん」僕が尚も躊躇う素振りをすると、綾波は言った。


『・・・碇君。碇君は私の望むことなら何でもしてくれるんでしょ?』


昨日の晩、確かに僕はそう言った・・・。


「・・・うん」


僕は身支度を整えると、綾波と共に露天風呂にむかった。






外は寒かった。いくら”常夏”の日本だと言っても、この山中の、しかも日の出前の時間だ。


震えながら僕は言った。


「さ、寒いね。綾波」


「お湯に入れば、暖かくなるわ」


綾波は、脱衣場に入るや否や、着ていた浴衣を脱ぎ捨てる。薄明かりの中に白い体が現れる。


綾波は浴衣の下には何も付けていなかったのだ。僕は呆然と綾波の裸身を見つめてしまう。


綾波は僕の方を振り向いて言った。


『先に行くわね』彼女は、脱衣場の戸を開けると、小走りに行ってしまった。


あわてて僕も、着ているものを脱ぐと、綾波の後を追って露天風呂へ向かった。






露天風呂は、冷たい空気のためか、もうもうと湯気を立てている。


「綾波、どこにいるの?」声を掛けてみる。


『ここよ、碇君』


天然石を組み合わせて作られた、この風呂の底はでこぼこしている。

僕は、転ばないように慎重に足で探りながら、声のした方に近づいてゆく。


突然、湯気の中に、綾波の白いうなじが見えた。


「・・綾波」


綾波がゆっくりとこちらを振り向く。なぜかその視線は僕の下半身に注がれた。


綾波は僕から視線を逸らし、そして言った。


「・・碇君、お湯に浸かったら・・」


「うん」そう答えながら、僕は何気なく下を見た。お湯の深さは、立っている僕の膝の上辺りまでしかない。


「わー」思わず声を上げてその場にしゃがみ込む。


僕は”僕”自身を綾波の目前に曝してしまっていたのだ。


僕は、綾波の方を見ないようにしながら言った。


「ご、ごめん、綾波。・・わざとじゃないんだ・・」


綾波は、何も答えてはくれない。


(綾波をよほど怒らせてしまったのだろうか?)


「!」


僕は背中から、綾波に抱きしめられていた。


僕は、反射的に振り向こうとした。


『動かないで・・じっとしていて』


僕は、綾波の言葉に従った。僕の背中に柔らかい感触が伝わってくる。


(こ、これは、綾波の・・・)


僕は、綾波の白い乳房を思い浮かべる。


さほど大きいとは言えないが、形の良い二つの半球。


その頂上には薄い色の可憐な乳首があり、僕の愛撫によってそれは・・・。




『碇君・・・』


「・・うん」僕は綾波に呼ばれ、我に還る。


綾波は、いつのまにか僕の背から離れて僕に並んでいた。僕の横顔を見つめている。


僕も綾波の顔を見る。夜はようやく明け始め、互いの顔をはっきりと見ることができる。


『碇君。私、あなたを愛しているわ・・・碇君は、私を愛してくれている?』


(そ、そんなこと・・・当たり前じゃないか。何で今更・・)


照れくささも手伝って、僕は綾波に何も言葉を返すことができなかった。


『・・碇君。お願い、答えて』綾波が真剣に言う。


(綾波は、真剣だ・・僕もそれに応えなくては)


僕の心にためらいは消えた。真顔になって僕は言う。


「僕は、綾波を愛している、世界中の誰よりも」

「・・僕がいまこうして生きていられるのも、すべて綾波がいてくれたおかげだと思ってる」

「・・これからもずっと、死ぬまで綾波を離したりはしない」

「・・だから綾波も、僕から離れないで」





『・・ありがとう、碇君』


綾波はそう言うと、僕の肩に頭を持たせかけてきた。


僕は、左手を綾波の右肩に添えてそれを支える。




どれぐらいそうしていたのだろうか。

空は東から急速に明けはじめ、遂に山の端から太陽が顔を出した。


僕は綾波を抱き起こして言った。

「・・綾波、そろそろ上がろうか」


もう上がらないと、そろそろ”朝湯”を楽しみにくる老人達がいるはずだ。


『・・ええ』

『・・碇君・・私が上がるまで・・向こうを向いていてくれる?』


「・・うん、わかったよ」僕は脱衣場のある場所とは反対側の山々の方を見る。


綾波が湯から出る水音がして、やがて音が遠のいていった。


そっと振り向いてみる。丁度、綾波が脱衣場に姿を消す所だった。


(少し、惜しかったな)


僕は”不謹慎”なことを考える。”ばか”心の内で自分を叱りつける。




・・・それにしても、綾波はどうして”言葉”にこだわったのだろうか?


(僕が何も言わなくても、たいてい僕の表情から気持ちを読みとってしまう綾波なのに)


綾波は、僕の綾波に対する愛に何らかの”証”を求めているのだろうか?・・・




突然、僕の心に一つの言葉が浮かんだ。


(綾波に、言わなければ・・・男としての”けじめ”だ)


僕は立ち上がり、脱衣場へと向かった。






僕が脱衣場を着くと、綾波が浴衣を着終えたところだった。


綾波がこちらを振り返った。


「あ、綾波。先に部屋に戻っていてくれる? 服を着たら、僕もすぐに行くから」


首だけを出して、そう言った。


『・・ええ』綾波は僕の言葉に肯くと、脱衣場を出ていった。




僕は、タオルで体をふきながら考えていた。


(なんと切り出したら良いだろう?)

(やはり、一言で”決める”べきだろうか?)

(いつ言うんだ?これから部屋に戻ってすぐにか?)

(しかし何の準備もしていない)

(普通は指輪とかを贈るんじゃないのか?)

(・・もし、断られたら?)

(まさか、綾波は断ったりしない)

(でも、万が一・・・)


裸のまま、僕は考え続けていたが、突然・・・


「ハ、ハッ、ハックション!!」


僕はあわてて浴衣を着ると、自分たちの部屋へと戻った。






僕が部屋に戻ると、綾波は姫鏡台の前に座っていた。


何をするわけでもなく、じっと鏡の中の自分の顔を見つめているようだった。


その様子に、僕は声を掛けることが躊躇われた。そのままその場に佇んでしまう。




綾波が振り返った。


『碇君・・・座ったら?』


綾波は、僕の戻ってきたことには気づいていたらしい。


「う、うん」僕は、綾波の横に座る。


『・・・ごめんなさい』


綾波が唐突に、僕に詫びる言葉をつぶやく。


「綾波?・・いったい何をあやまるの。僕には何も・・・」僕には思い当たることがなかった。


『・・私には分かっていたはずなのに・・碇君の心が・・』

『・・それなのに、聞かずにはいられなかった・・・』

『・・碇君の心を・・疑ったのと同じことだわ・・』

『・・本当に、ごめ、ん、なさい・・』


いつのまにか綾波は泣いていた。泣きながら僕の膝に倒れ込んできた。


僕には、綾波の心が痛かった。


綾波がこんな風に思い詰めたのは、みんな僕のせいだ、と思った。


僕の心は、言わなくても綾波にすべて伝わる・・・それは僕の傲慢が思わせていたことだったのだ。


(謝らなければならないのは、僕の方だ)


僕は、綾波の両肩に手を添えて、そっと抱き起こす。綾波の両目は涙で潤んでいる。


「・・綾波。綾波は少しも悪くないよ・・」

「謝らなければならないのは、僕の方なんだ」


僕の言葉に、綾波は少し驚いたように僕を見つめた。


僕は続けた。

「・・僕は傲慢だった。僕が何も言わなくても、僕の心は綾波にすべて伝わると思ってたんだ」

「・・僕が、どんなに綾波のことを愛しているかなんて、今更言う必要があるなんて考えてもいなかったんだ」

「・・改めて言うよ。僕は綾波のことを愛してる・・だから・・・」


唐突に、僕の心の内にあの”言葉”が浮かぶ。


(いま、言ってしまって良いのだろうか?)


僕は綾波の顔を見る。僕の次の言葉を待って、綾波は僕を見つめ続けている。


「ふーぅっ」僕は深呼吸をする。覚悟を決めた。


「綾波・・僕と・・僕と結婚してくれないか」


綾波の顔に満面の笑みが浮かんだ。


『嬉しいわ。碇君』


「それじゃあ!?」僕は声をうわずらせる。


綾波は肯いてくれた。


僕は綾波に顔を近づける。綾波は僕を見上げるようにして、目を閉じた。


僕は綾波に口づけた。それは僕達の”誓い”の口づけだった。




僕は、今日という日が、僕達二人にとって忘れ得ぬ日になるだろうと思った。




・・・・実際この日は、僕達夫婦にとって永く忘れ得ぬ日になったのだった。

【温泉物語・了】  

ver.-1.00 1997-5/12

ご意見・感想・誤字情報などは iihito@gol.com まで。



【作者後書き】

最後まで読んでいただきありがとうございました。作者自らが赤面しながら書いたもの(笑)ですので、お読みになった方もさぞかし・・・。

本当は、連載【2・YEARS・AFTER】の方を頑張って書かねばと思っているのですが、どうもそちらは筆が進まず、こんなものを書いてしまいました(^^;。

これはシンジ君がレイちゃんとの結婚を決意するお話なんですが・・・18歳で結婚するなんて早すぎるとお考えのむきもあるかとは思いますが、作者の他の物語と整合性を取るため致し方ない事でして・・・その辺はまあ、お許しいただきたいと思います。

シンジ君偉いですね。ちゃんと男としての”けじめ”をつけました。もっともレイちゃんにうまく誘導されているような気もしますが(笑)。


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綾波光・愛のポスト迄

 綾波 光さんの短編【温泉物語】公開です。

 静かな時の流れの中で生まれた大きな決意、
 結婚という大きな方向付けをしたシンジ君、かっこいいですね。
 人生に、レイに、責任を負う決意・・・立派です。

 ひとつの区切り、ひとつの始まりですね・・・・

 互いの存在を生きる力に替えてきた二人にまたひとつ確かな絆が生まれたようです。
 これから二人はさらに強くなって行くでしょう・・・

 1つの世界を連載・連続短編・SS・番外編と
 色々なアプローチで書き進めている綾波さんにぜひ、貴方の感じたことを伝えて下さい!


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