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=悔恨と思慕の狭間で=

 




−第九章 彼女と彼等の事情−

 

 

 翌日、まだ日が天頂に届かない頃に、カヲルは花束持参でアスカの病室を訪れた。

 アスカは歓迎も邪険にもしていないとばかり、無愛想にカヲルを招き入れた。

 自分を見舞ってくれること自体は嬉しくない事ではないのだが、カヲルとは知り合って間もないのだから、男一人で来訪したという所に何か不鮮明な要素を感じたのだ。

 「そう荒立たないでもいいよ、今日は君と話しをしに来たんだ。入院生活もなかなか退屈だろうし、会話のリハビリも必要だと聞きつけた物でね」

 聞きようによっては口説き文句とも言えなくはない。

 「お生憎だけど、今から唾付けようったってそうは行かないわよ」

 「はは、これは手厳しいね。そんなつもりじゃないんだってば」

 カヲルはこんな返答を全く予想してなかっただけに、かえって会話のきっかけを掴んだ。

 「僕にはちゃんと意中の娘がいるんだ。君も良く知っている娘だよ」

 

 

 

 何日振りだろうか、303号病室に盛大な笑い声が木霊した。

 

 

 

 「あっははは・・・・。あ、アンタ、もしかして本気でファ・・・・レイの事好きなのぉ!?」

 「い、いけないかい? ここまで笑われるとは心外だね」

 この口調がおかしいのか、それともカヲルの本気を知ってしまったからか。

 あるいは両方が理由で、アスカはもう一度笑い転げ、最後には噎せてしまった。

 「く、苦しいジョークだわ。まさかあのレイが片想いされるとはね。そんな奴あの・・・・」

 ふとアスカの顔が暗転したのを、カヲルが見逃すはずがない。

 「・・・・レイを好きになった人が、僕がネルフに来る以前にもいたんだね」

 カヲルは横から割り入る形で、アスカの心を紐解く事にした。

 「・・・・そうね。アイツは多分そうだった。レイじゃなくて、ファーストが好きだったのよ、アイツは」

 「ファースト? でもそれってレイの事だよね」

 「少し違うわ。レイは喜怒哀楽に富んでいるけど、ファーストはまるで別人だもの。いつも顔色一つ変えない妖しい女だった。滅多に口は開かないし、感情も希薄だったけど、シンジの事となると躍起になって擁護する。・・・・ある意味、思い合っていたのね。きっと」

 「その、シンジ君って子もチルドレンだったんだろう? 彼の話も聞きたいな、或いは僕のライバルになるかも知れないからね」

 カヲルは流石にわざとらしい振りかと一瞬後悔したが、アスカの方が気付かなかったようだったのでそのまま続けた。

 「シンジ? ・・・・そんな奴知らないわ」

 こうなってはアスカの台詞の方が余程白々しい。

 「知らないって・・・・今話していたじゃないか。是非その子の事も聞きたかったんだけど・・・・」

 アスカの顔は意気消沈も甚だしい。

 カヲルは気の毒になった。

 (多分、葛城さん達に存在を否定された事で記憶その物に対する疑問が湧き起こっているという赤木さんの推測通りだろうな。『シンジ』を否定してはいけない、それが条件なんだ)

 「・・・・話したくなければそれでもいいよ。何か別の話にしようか」

 (時間を掛けてゆっくりと見届けてあげればいいんだ。焦ることはない)

 

 

 

 ―――アスカはゆっくりと口を開いた。

 「構わないわ。聞いて、アタシの話・・・・・・」

 

 

 

 その頃、司令室に訪れたユイは血相を変えていた。

 開口一番、

 「あなた、これは一体どういう事なの!」

 

 ユイは試験管を生物実験室に持ち込み、そこでリツコとマヤと共に観察し、結果、ゲンドウの精子とユイの卵子を交配した受精卵である事が判明した。

 勿論ユイにそんな物を別途に保存しておく理由などなかった。

 一人娘のレイ以外に、自分達が子供を授かった記憶などない。

 ならばゲンドウの差し金で何かしでかしたのかとユイが疑うのももっともである。

 リツコは真っ先に首を横に振っていた。

 

 「わ、私は知らん。レイの事でおまえに隠している事はもうない、本当だ」

 すっかり腰の低くなったゲンドウだったが、少なくとも彼のこの言葉は本音である。

 「じゃあ、あの受精卵はレイを細工した挙げ句に出来た代物ではないのですね」

 ゲンドウは首を縦に振った。

 「ならば、説明して貰いましょうか。それならばどうしてあの受精卵の染色体がXY―――男―――なのか、どうしてあの試験管のラベルに私の字で『Dear My Son  Shinji』と銘打ってあるのかを」

 

 

 ゲンドウの顔色が変わった。

 「・・・・ユイ、今なんと言った?」

 

 

 その頃、リツコは中身を丁重に移し替えて、空になった試験管を無意味に蛍光灯の光に翳す。

 傍らでは事情を知らないマヤが訝しがって様子を見守っている。

 「ユイさんや司令でさえ覚えのないこのラベルの文字の―――『Dear My Son Shinji』―――これはこの受精卵が司令とユイさんの子供であるという事よね。それにしても、アスカの言っていた少年の名前も『シンジ』・・・・。ゾッとしない話ね」

 「あのう・・・・先輩、いいですか?」

 傍らからマヤが恐る恐る問いかけた。

 「なあにマヤ?」

 「その受精卵・・・・ユイさんは身に覚えがないって言ってましたよね?」

 「そうね」

 「・・・・不潔」

 どうしてそうなるの。リツコは一人愚痴た。

 

 (でも、あの部屋に収納されていたという事は、司令や私が一切手を加えていない事を考えれば、確かにユイさんが知らないでいるのは不自然だわ。でも当然あの人には11年間のブランクとアリバイがある。そしてその間にユイさんの記憶が欠乏していた兆候は見られなかったはず。ならば、知らないのではなく・・・・忘れさせられたと考えるのが自然だわ。やはりここにも補完計画が絡んでいる気がして仕方がない。一体補完計画を仕掛けたのは誰なの? ゼーレとも司令のとも異なる補完計画を発動させた第三者がいるのは明白。ならばそれは誰?)

 

 

 

 アスカの眼差しはカヲルの手元にじっと注がれている。

 「林檎を剥く少年が、そんなに珍しいかい?」

 むしろ今の常夏の日本では林檎そのものが珍しいのだが、カヲルはミサトから教わった、

 「やっぱお見舞いといったら林檎でしょう」

 という台詞を真に受けたか、それとも胃腸の優れないアスカに気遣ってか、二個用意した林檎の内の一つを手に取り、皮を丁寧に果物ナイフで剥いていた。

 「今時の中学生はこれが出来ない人が多いみたいだね」

 その言葉は、今の中学生世代がセカンドインパクトで親を失っている場合が多い事に起因しているのか、はたまた只の時勢風刺かまではアスカの知る所ではなかった。

 やがて切り揃えられた林檎は楊枝を刺され皿に載せられた。

 ミサトならば「なっつかしいわねぇ〜」とでも感嘆するであろう。

 そしてそれはアスカにとっても懐旧の思いを抱かせる物であった。

 

 

 ―――「アスカ、起きたんだ。どう、熱は下がった?」

 ―――「まだ計ってないわよ、うっさいわねぇ・・・・」

 ―――「林檎剥いたんだけど、食べられる?」

 ―――「そこに置いとけば勝手に食べるから、いいからあっち行きなさいよ!」

 ―――「具合悪くなったらいつでも言ってね」

 ―――「いいから出て行け、このバカシンジ!!」

 

 

 (・・・・一度重い風邪ひいた時、シンジに看病させた事あったよね・・・)

 「・・・・どうしたの、具合が悪いのかい?」

 ハッと気付くと、カヲルの顔が間近に迫っていた。

 「な、何でもないわよ、ちょっと考え事していただけ。林檎頂くわ」

 と、さっきの自分を誤魔化すかのようにそそくさと振る舞い、林檎を一つ手に取る。

 シャリシャリとゆっくり噛み砕きながら、アスカは更に思い起こしていた。

 (あの時、生理も兼ねていたから、機嫌の悪いままに目一杯シンジに八つ当たりしてた。たしか第十三使徒と戦う直前の頃だった。今思えばあの頃から、シンジと擦れ違っていたのよね・・・・)

 カヲルは、自分一人の世界に陥ったアスカを見守るように、今度は声一つ掛けなかった。

 ただじっと、アスカの心境の変化を看取るように、静かにアスカの傍らに座っている。

 やがて、アスカが二つ目の林檎を手に取るのを見計らって、言葉を投げかけた。

 「温暖化のせいで、今の日本では林檎はなかなか取れないらしいんだよ。外国出身の僕はついさっき知ったんだ。これは、赤木さんが故郷のつてで手に入れた物らしいよ」

 「・・・・そうなんだ」

 アスカはそう呟くと、手元の楊枝に刺さった林檎をまじまじと見つめる。

 (シンジも手に入れるの苦労したのかな。そう言えばあいつも器用に皮剥いてたっけ)

 

 「・・・・今さ」

 「え?」

 カヲルは一瞬自分に問いかけられているという事に気付かなかったが、

 「今さ、これって普通の店で手に入るのかな?」

 「そうだね、少なくとも僕は日本に来て間もないけれど、見かけた事はないねぇ。葛城さんや赤木さんに聞いた所では、市場には殆ど流通してないんだそうだよ。普通の人は滅多に手に入らない貴重品だって言われたからね」

 それを聞いたアスカの瞳から、一筋の涙が流れる。

 だが、アスカ自身はそれに気付いていないようだ。

 「ふふっ、それじゃ、いかにも『僕は貴女の看護の為に、頑張って林檎を手に入れてあげたんだ』って言わんばかりじゃないのよ」

 アスカはからかうようにカヲルに詰め寄る。

 カヲルはそのギャップを、あくまで心の中で推測しながら、明るく答えに努めた。

 「残念でした。貰った林檎は四個なんだ」

 「残りの二個は?」

 「自分でゆっくりと味わう事にするつもりだよ」

 「分かったわ、後でレイの方に問い詰めるから」

 「分かった白状するよ。実はレイにも食べさせるつもりだったんだ」

 「最初からそう言えばいいのよ」

 ふふっ、と二人揃って笑う。

 

 

 「・・・・要は、アタシの視野が狭かったって事なのかな」

 「そうだね。隠れた所で努力してそれを表に現さない人は、稀だからね」

 不思議と同調しだした二人の会話が、いつしかアスカの過去回想へと移り変わる。

 「アタシはいつも才能だけで人を判別してた。だけど、シンジはシンジなりの努力だってしてたと思う。あいつは人との距離ばかりを測って自分を保身する嫌いがあって、アタシはそんなシンジを一番嫌ってた。でも、それはアタシにだって言えた事だった。今ようやく気付けた事だけど、アタシは気付けた事だけど、あいつは・・・・」

 アスカはそこでカヲルから視線を外し、窓の外を見やる。

 「あの頃は良かった。シンジと気兼ね無しに話せた頃、シンジと二人で暮らし始めた頃・・・・」

 

 

 アスカの話、いや独白は長くなった。

 シンジと初めて出会った時の事から、使徒を倒す為に一時同居して「ユニゾン特訓」した事、そのまま居座ってシンジとミサトと三人で暮らしていた時の事、エヴァとのシンクロ率を抜かれた事をきっかけにシンジとの関係が破綻していった事、自らのシンクロ率が急落し自分を見失っていった事、そして精神崩壊を招いてしまう直前の話までを、初対面同然のカヲルに向かって、長々と淡々と話し続けていった。

 アスカは勿論そんな自分に疑問を持たなかった訳ではない。

 どうして出会って間もないこの少年にこんなに打ち解け、自らの過去の苦悩を打ち明ける事が出来るのか。

 そしてそれはかつてシンジも行った行為であった事を知る者はいない。

 一方のカヲルもまた、それがアスカの心の病を取り除く術になれば良いと願い、アスカの「架空の」はずの話に真剣に耳を傾ける。

 そして彼はその合間に、史実とアスカの話との誤差を埋め合わせるのに一心に勤しんでいた。

 

 やがてアスカの話が一通り済んだ時、アスカは自嘲的に漏らした。

 「どうしてアタシにはこんな記憶が存在するのかしら。碇シンジなんて少年はこの世界に存在しないのにねぇ」

 ねぇ、そう思わない? と問いかけられたカヲルは、一つ苦笑すると、

 「僕はシンジ君という少年に会った事はないから何とも言えないけれど、でもその少年は聞く限り、好意に値するね」

 カヲルの笑みは無尽蔵に沸いてくる。

 アスカにはそれが不思議で仕方なかった。

 「どうしてよ?」

 「繊細な少年なんだなって事さ。心の繊細な人は綺麗で純真な心の持ち主とも言い換えられる。そしてそれは君にも当てはまる事だよ」

 途端にアスカの顔が耳朶まで紅く染まるのを見て、カヲルはまた微笑んだ。

 「あ、アタシはそんなご立派な人間じゃないわよ!!」

 「いや、そういう君も繊細な心の持ち主さ。だからシンジ君とはかえって傷付けあってしまったのかも知れないね。繊細な心の持ち主が鏡同然に向かいにいたのだから、お互いに自分に似た者を恥ずかしがって隠そうとして、それが出来なくてせめて遠ざけようとしたのかも知れないさ」

 「・・・・そんな穏やかな物じゃないわ。アタシはシンジの存在そのものを否定しようとした」

 「それは君自身を否定する事と同じだよ」

 「そう、だからアタシはこんな所に来てしまったのよ。アタシは世の中にいらない人間、誰からも必要とされない人間だと思いこんでしまった。もしもそうなってしまったら、自分の居場所はないと信じ込んでいたから。かつてのアタシは、セカンドチルドレンとしての居場所しか持とうとしなかった」

 「だけど、使徒はもう襲来しない。エヴァに乗って戦う事はもうなくなったんだ。それでも君はここにいる。何故だと思う?」

 「それは・・・・それでもまだアタシは生きているからよ」

 「そう。それで十分じゃないか。君は生きている、生かされているのではなく、自分の意志で呼吸をし、食事をし、睡眠をして生きている。それだけで十分に幸せな事だと思うよ。生きている事に無理に価値を見いだす事よりも、生きている事そのものの価値を大事にして生きていける。それが人間さ」

 「それが・・・・人間・・・・」

 神妙な顔をし出したアスカを見て、饒舌になっていた自分を知るカヲル。

 「なんか随分説教くさい話になってしまったね。こんな堅い話をする為に来たんじゃないんだけれどな」

 

 カヲルがそう言ったきり、病室からしばし声が消えた。

 急に間が持たなくなったアスカは、数時間ぶりに林檎を口に運ぶ。

 だが、時間が経って肌色に酸化した林檎は、味が落ちていた。

 「塩水に浸けないと味が落ちるのが早いって聞いていたのを忘れていたよ」

 カヲルは恥ずかしそうに言い訳しながら、残りの林檎をまとめて口に運んだ。

 「もう一つの林檎はここに置いていくよ。冷暗保存しておけば日持ちするから、また後で食べればいいさ」

 ふと時計を確かめると、すでに午後四時となっている。

 「早い物だね。五時間近くも話していたのか、そう言えばお腹が空いたな」

 昼食を抜いていたカヲルの意識は、すでに夕食に飛んでいた。

 一人暮らしのカヲルは自炊もするが、夕食は常に碇家に招かれるのだ。

 純和風で彩られた碇家の食卓は、常にカヲルの嗜好そのままの食事が並べられる。

 そして、何よりレイと共に食べる夕食が楽しいという年相応の楽しみもあるのだろう。

 もっとも、食事中から二人の間には痴話喧嘩もどきが絶えないが。

 カヲルがその事をアスカに話すと、アスカもまた笑って聞いていた。

 だが、そんな話の端々にも、かつての葛城家の光景が思い起こされて、そんな時アスカは郷愁的な感覚にさえ襲われる。

 そしてそんな時は、限ってアスカの表情に陰が射す。

 カヲルはそんなアスカの心境を察すると、

 「良かったら、退院したら君も碇家の夕食に招いてあげるようにユイさんに頼んでみるよ。彼女の作る純和風の食事が君の口に合うかは分からないけど、味は一度食する事をお勧めしたい程の絶品だよ」

 にこやかに話しかけるカヲルに、アスカは一つ頷いて見せた。

 「それなら早く体調を整える事だよ。もうすぐ九月だけど、レイや洞木さんも、君と一緒に新学期から登校したいって常々願っている事だしね」

 「そうね。学校がある事すっかり忘れていたわ」

 「なら、早く元気になる事だね。それじゃ今日は僕はこれで失礼するよ。今度はレイと洞木さんが来てくれるだろうから、あんまり寂しがらなくていいよ」

 「そんな弱虫じゃないわよ、アタシ」

 アスカはごく自然に言って見せたつもりが、

 「君だって14の女の子なんだ。少し弱虫で気弱なくらいの方が、今よりもっと可愛く見えるんじゃあないかな」

 「よっ、よっ、余計なお世話だわ!!」

 紅くなって抗議するアスカが面白くて、カヲルはケタケタと笑った。

 それが悔しいアスカも意地になって、

 「もしかして、それレイにも言った口説き文句?」

 

 

 アスカはこの世で初めて渚カヲルの「狼狽えた」顔を見た人物であろう。

 

 「ばっ、ばっ、バカな事を言わないでくれないかい? それじゃまるで僕がプレイボーイか何かみたいじゃないか」

 「あら図星じゃないの?」

 「べ、別に口説くために言ったんじゃないよ、素直にそう感じたからレイにはそう言ったまでで・・・・」

 「ふふっ、それってレイにぞっこんって事なんじゃない」

 「うう・・・・」

 最早カヲルはぐうの音も出なかった。

 「そ、そうだよ。さっきも言ったけど、レイを好きになるのがそんなにおかしいかい?」

 「別にそんな事もう言わないわよ。せいぜいレイの事大事にしてやんなさいよ」

 「なんか励まされている気がしないんだけれどな・・・・」

 クスクスと笑い合う事数秒。

 やがて帰り支度を整えたカヲルは、最後は締めていきたいという若干の見栄も手伝って、

 「だけれど、もう君を縛る呪縛は何にもないのだから、もっと羽根を伸ばして大らかな生き方してもいいと思うよ。肩を張って生きるのにはいい加減疲れただろう? もうこれからは何にも遠慮する事なく君の気儘に生きてもいいのだから」

 これがカヲルのアスカに対する助言の集約であった。

 「・・・・わかったわ。そう出来るように努力してみる」

 「良かった。それじゃ、僕はもう行くから」

 「そう。それじゃあね・・・・」

 カヲルは丁寧にドアを締め303号病室を立ち去った。

 

 

 

 「・・・・もし、アタシのシンクロ率があのままで、使徒を順調に倒し続けて、代わりにシンジのシンクロ率が下がってそのせいでエヴァを降ろされていたら、もしかしたらここに伏せる事になったのはシンジのほうなのかもしれない。不思議よね、正反対の性格だとばかり思っていたバカシンジ、本当はアタシと紙一重の存在だったなんて・・・・」

 アスカは夕焼けが差し始めた窓の外を呆然と眺めながら、今は亡き少年に思いを馳せる。

 「アタシは周囲を否定する事で自我を保とうとして、シンジは周囲と距離を置くことで傷付け合う事を避けて生きていた。・・・・アタシ達近すぎたのかな? だからこうして離れてみて初めてシンジを客観的に見据える事が出来る・・・・。そんな考え方が出来るのも、世界が補完されたから、だからアタシ達の気性が穏和になった為だってミサトが言っていた。つまり補完されない限り、アタシは永遠にシンジを見直す事はなかったって事か・・・・」

 夕焼けが、余計にアスカの寂しさを引き立たせる。

 アスカは夕日が嫌いではなかったが、今日だけは見るに絶えなかった。

 「・・・・他人にあそこまで打ち解けてアタシの事話したの、初めてだな。ヒカリにだって言えなかった事なのに。そして、気付けばこの街に来てからの事ばかり話していた。そしてアタシはアタシだけの話をしようとしてたのに、なぜか必ず話す話全てにシンジが絡んでしまう。そして、憎んでいたはずのシンジが・・・・いなくなってから初めてそんなシンジを赦せるアタシがいる。・・・・シンジはアタシを赦してくれているのかな? ・・・・それとも、もう遅いの・・・・かな・・・・」

 

 頬を伝った涙を拭っても、次々と流れてくるのが無性に哀しくなって、ベッドに潜ってしまうアスカ。

 そして、そのままアスカの意識は昏睡していった。

 

 

 

 カヲルはアスカの病室を去った後、技術部第一実験棟に向かっていた。

 そこにある技術部長室―――つまりリツコの部屋のドアを二つノックした後、応答を待たずにカヲルは中へと入る。何故かドアロックはされていなかった。

 中では、いくつかのモニターのうち一つだけが、アスカの病室を監視する為に映されていた。

 とは言え、以前と違い、監視の為にモニターしていたのではなく、アスカの精神状態の推移を診察する為に撮影されていたものであって、映像に目を通せる人物も非常に限られていた。

 その内の一人赤木リツコが、食い入るように映像を眺めていたが、カヲルが来訪したのとアスカが睡眠に入ったと思われるのがほぼ同時であったために、入室して来たカヲルの方に向き直った。

 「ご苦労様。貴重なデータが随分取れたわ」

 「しかし、常に監視されているというのもあまりいい気分はしない物ですね」

 カヲルの正直な言い分は、リツコとて持っている要素だ。

 「そうね、アスカの心理状態に不安も見られないし、とりあえず今後の監視予定は見据えなくてよさそうね。監視カメラは今日限りで一端封印するわ」

 「そうしていただけると嬉しいですよ」

 カヲルは傍らにあった椅子に腰掛けると、やおら顔を真面目に型作ってリツコと対峙した。

 「それで? 惣流さんの心理状態に対する考察は?」

 「前にも言ったけど、私は心理学や精神分析学は齧っただけだから、専門医との相談もいるけれど、今のところ確信した事が一つあるわ」

 「それは何ですか?」

 「それはね――――――」

 

 

 その夜、カヲルは意気揚々と碇家のインターホンを押していた。

 碇家はネルフ近辺に新たに用意されたごく一般的な家屋である。

 カヲルの住まいからは歩いて十分程であった。

 「何だ、来たの」

 応対に出たのはレイである。

 「何だとはまたご挨拶だねぇ。そんなに歓迎されていないのかい、僕は?」

 「来ても来なくても一緒って事よ」

 「どうせ一緒なら、来てもいいじゃないか」

 「わたしは別に来てなんて・・・・」

 ふとレイの後ろから人影が覗く。

 「あら渚君いらっしゃい。夕食ほとんど出来ているから、上がって待っていて。レイもそう邪険にしないの、渚君が来なかったら来なかったで一晩中愚痴だらけの癖にねぇ」

 「お、お母さんてば!」

 レイの真っ赤になる顔を見て、やっぱり僕はプレイボーイ気取り屋なのかな、と少し考え改めるカヲル。

 「仕方ないわね、上がって待っていなさいよ。食べたらとっとと帰りなさいよ」

 「レーイ!」

 ユイの叱咤が飛ぶ。

 

 カヲルが居間に寄ると、既に碇家の一家は勢揃いしていた。

 一通りご飯を装い終わって席に着くユイ。

 一家揃った食事の為に、定刻に強制的に帰って来させられるユイの夫、ゲンドウ。

 とりあえず座布団に座って食事を待つユイの娘、レイ。

 カヲルは正面にゲンドウを、右手側にユイ、左手側にレイを見据える位置に座する。

 ここがカヲルの指定席であった。

 だが密かにカヲルはこの席配置は好かなかった。

 正面にゲンドウを配置すると、常にゲンドウの威圧を受ける気がするからだ。

 ネルフ司令としての威圧感に重圧を感じる気弱なカヲルではないが、「碇レイの父親」としてのゲンドウはその限りではない。

 カヲルはやはり今夜も僅かながらの冷や汗に悩まされていた。

 

 しばらくは静かに箸も進み、ユイとレイと三人で他愛もない世間話に興じていたが、ふと話が中断したところを突いて、思い立ったようにゲンドウが口を開いた。

 「・・・・渚君」

 「何でしょう?」

 

 

 

 「娘は渡さんぞ」

 

 

 

 味噌汁を吹き出したのはレイであった。

 

 「あなた!!」

 激昂したのはユイであった。

 その声に少しだけ怯えるゲンドウ。

 涼しい顔をしているのはカヲル本人だけであった。

 「それじゃ渚君を食事に誘っている意味がないじゃありませんか。将来舅と婿との不和がないようにと折角私が用意したお膳立てを、わざわざひっくり返すのですか、あなたは?」

 「しゅ、舅とは私の事か、ユイ?!」

 「他に誰がいるのですか」

 冷ややかな視線でゲンドウを睨めつける。

 「れ、レイが大事な一人娘だと言ったのはお前ではないか、ユイ」

 「そうですね、その一人娘の幸せを願うのは親として当然ですわ」

 「だ、だからと言って今から婿探しか、しかももう目星まで付けて。気が早くはないか?」

 「あなたはレイに変な虫が付くのは嫌だなんて言っていたじゃあありませんか」

 「べ、別に渚君の事を言っているのではない」

 「当然です、彼は虫ではないのですよ。第一気が利いて立派な少年ではないですか」

 「お、お前は日頃から渚君と話が合うからそれでいいかも知れんが、私が認めた覚えはないぞ」

 「あら、それなら今すぐ認めればいいだけの事ですわ」

 

 叩き付けられた卓袱台が浮いた。

 

 「お父さんもお母さんも、わたしの知らない所で下らない会話を進めないで!! カヲルは只の友達よ、どうして何時の間にわたしの婿候補に昇格しているの!?」

 ユイ以上に激昂しているレイ。

 ただし真っ赤になった顔では迫力に欠ける。

 「あっ、そう・・・・」

 ユイはあっさり引いた。

 「そうね、レイが渚君の事を何とも思っていないのならば、元も子もないわね。ご免なさい渚君、今日限りで夕食はご一緒出来なくなるわ。それと、レイとも今後一切会わないでちょうだい。どうやらレイはあなたの事嫌っているらしいから」

 今度はレイの顔から血の気が引いて真っ青になった。

 全くもって忙しい顔である。

 「そ、そんな事一言も言ってないじゃない!! 勝手に絶縁しないでよお母さん! カヲルとは只の友達、それでいいじゃないの!」

 「いいえ、そんな中途半端な交際はお父さん共々許しませんよ!」

 ユイはぴしゃりと言ってのけた。

 「とりあえず恋人してお付き合いするか、それとも金輪際縁を切るか、二つに一つ。さあどうするの、レイ?」

 「そ、そんな極端な話が・・・・」

 レイは頭を抱えた。

 「簡単だ、レイ。渚君にはお引き取り願うんだ」

 「あ・な・た!!」

 その時のユイの顔は、不動明王もかくやと言わんばかりの形相であった。

 それに怯えたゲンドウの表情は傑作とも言えるほどであったが、生憎レイにはそれを見やる余裕はなかった。

 「・・・・カヲルとは友達、今はそれでいけないの・・・・?」

 レイの消沈した表情に、ユイは真面目に答えた。

 「自分に正直になりなさい、と言っているのよ。今から関係を深めても、何も怖い事はないんだから」

 「・・・・お母さん・・・・」

 

 ―――数瞬後、レイは精一杯の赤面と共に、一大決心をした。

 「渚カヲル、あんたをい、一応、こ、こ、恋人『候補』として碇家に迎え入れます。たっ、ただし、た・だ・し・よ!! ちょっとでも変な気を起こしたり、図に乗ったりしたら、即刻この話は御破綻ですからね、分かった!?」

 「素直じゃないわねぇ」

 「お母さん!!」

 カヲルの表情は、やはりあの人懐っこい笑顔であった。

 「分かった、これからも宜しくね、レイ」

 カヲルが手を差し出す。

 レイは渋々ながらも、それでいてしっかりと手を握り返す。

 

 「そのまま押し倒しちゃいなさい、カヲル」

 「決まった途端もう呼び捨てか。しかもそんな事ここでしようものなら、私は逃げるぞ」

 「別に構いませんわ。これから碇家の大黒柱はカヲルになるだけですから」

 「・・・・本気か、ユイ」

 「私は大真面目ですわ」

 「ユイーーー!!」

 

 

 とある家庭の、とある幸せな物語―――。

 

 

 一週間後。

 碇夫妻の掛け合い漫才は、何故か司令室にまで持ち込まれていた。

 「あ、あれから二人の間に変な事はあるまいな?」

 「変な事とはどんな事ですの?」

 「な、渚君がレイに不謹慎な行為を働いていないかという事だ」

 「あら、恋人同士で何を遠慮する事がありますの?」

 「ま、まさか知っていて黙認しているのではあるまいな、ユイ!!」

 「さすが若い者同士、激しかったわねー」

 「ユイーーーーーーッ!!」

 「まったく・・・・冗談です。あなたの親バカが過ぎるからですよ!」

 恐れ多くも自覚のないユイ。

 

 冬月だけが、数歩離れたところで二人の漫才に一笑している。

 (なるほど、確かにこうしてみるとあの碇も可愛いものだな。まさか碇夫婦がかかあ天下とは思いもしなかった)

 冬月だけが呑気にも、大学ゼミ時代以来の平和に浸かっていた。

 

 突如、司令卓のインターホンが鳴る。

 「私だ」

 突然強面になるゲンドウに、ユイは冬月共々失笑した。

 「赤木です。例の報告書が出来ました」

 「惣流君の件か。よかろう、入りたまえ」

 「葛城三佐も同伴してよろしいでしょうか」

 「構わん」

 

 司令室に入ってきたミサトとリツコの表情は堅い。

 ユイと冬月も今度ばかりは一様に神妙な面持ちになる。

 口火を切ったのはリツコだった。

 「セカンドチルドレンの精神状態は良好です。他のチルドレン達が積極的に介護しているのも好感的に受け止めているようです」

 「そうか、ならば今回は報告書の提出だけで済ませても構わん」

 「・・・・但し付きですが」

 「何かあるのか?」

 ミサトが一冊の冊子を司令卓に提出した。

 「これは?」

 深い事情を知らぬ冬月が問う。

 「セカンドチルドレン、惣流=アスカ=ラングレーの精神状態から考察された別途要項です」

 「我々は補完計画に対するこれまでの推察を、全面的に改めなければならぬかと思われます」

 付け加えられたリツコの注釈に、一同は沈黙した。

 

 ゲンドウは冊子を手に取る。

 その報告書の表題と、リツコの言葉にゲンドウ達は息を飲んだ。

 

 

 ―――『サードチルドレン「碇シンジ」に関する報告要綱』―――

 

 

 

 

 

 「『サードチルドレン』碇シンジ。彼は実在すると思われます」

 

 


TO BE CONTINUED・・・
ver.-1.00 1998+03/25 公開
感想・質問・誤字情報などは こちらまで!

 第九章をお届けします。

 えっと・・・・今回ちょっと悪ふざけに取られそうな文章で申し訳ないです。

 本来重めな話の中の、数少ないコメディ部分だと割り切って思って明るく笑い飛ばして貰えれば・・・・。

 こんなレイやカヲルは違う、という方は多数でしょうが、これはあくまで「外伝的」である事を了承していただけると幸いです。

 

 「余り物発想」という物がSSには存在するという話を聞いた事があります。

 例えばLAS小説では、シンジとアスカが結ばれる。するとレイは大体失恋という形を取ってしまう。

 エヴァ小説界では、こうなったレイにカヲルやケンスケ等が恋人候補になる事が多いというのが私見です。

 ラブコメと違って、まかりなりにも「シリアス」と銘打たせて頂いている以上、安直な恋愛展開はしたくはないな、ならば結ばれるのにどう言った理由があるのかな、と考える事しばし。

 上の文を見る限り、そんな大層な見解は通らなさそうに見えますが、レイとカヲルの関係は上のような簡単な話で済ませるつもりは毛頭ありません。

 そこが第二部の核心の一部でもありますので、おいおいご説明出来るかと。

 尤もそんな大風呂敷を広げておいて、期待度の高い話に出来る自信は・・・・善処したいと。

 

 最近後書きに危険発言が多いとようやく自覚し始めた私です(^^;

 それでは、今回はここまでで。

 





 彩羽さんの『悔恨と思慕の狭間で』第八章、公開です。



 緊張感溢れる『狭間で』

 ちょっと一息つけたよね(^^)


 カヲルとレイの
 ぎこちない交流〜


 「余り物発想」ではすまさない

 彩羽さんのお手並み拝見!
   です〜(^^)



 シンジ絡みもしっかり進んでいて、
 手抜かり無し! ってかんじです♪



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