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 ごめんね。アタシ、邪魔かな?

 そんなことないわよ。

 アタシ、勝てなかったんだ、EVAで。
もうアタシの価値なんてなくなったの、どこにも。

 キライ、だいっきらい。みんな嫌いなの。
……でも一番嫌いなのは、自分。

 もう、どうでもよくなっちゃった。何もかも。

 私はアスカがどうしたっていいと思うし、
何も言わないわ。
アスカはよくやったと思うもの。

 


こんなにも不甲斐ないボクら

第3話  Stray Sheep


 

 

「……その後、アスカは……泣きじゃくってました。 何だか、親とはぐれた、迷子みたいに……」

 ヒカリが言葉に詰まり、両手を膝の上で握り締める。ミサトは彼女の向かいの壁に身体を預けたまま、横目でレコーダーのテープ残量を確認する。

 

 前回の戦闘から3日。保安部から「セカンドチルドレン ロスト」の報を受け、「少しでもアスカ捜索の手掛かりになれば」と、ミサトはヒカリを本部に呼び寄せて事情聴取を行なっていた。

 

「いいわ、続けて」

「芦ノ湖の方で爆発があった日、アスカ達が戦った日ですよね?……夜遅くになって、アスカが家に来ました」

 

 


 

 

 玄関の前にいたのは、憔悴しきった様子のアスカだった。以前の、身体から溢れ出すような気迫と自信は消え去り、どこか怯えた眼でヒカリを上目遣いに見上げていた。
 その姿は彼女があれだけ嫌っていた、他人の顔色を伺う時のシンジに良く似ていた。

 

 ここ数日に渡り、アスカはヒカリの家で寝起きしていた。

 学校にも行かず、ミサトのマンションにも帰らず、アスカはヒカリの家で日がなTVゲームに没頭していた。楽しんでいる訳ではない、ただ作業としてパッドを握り、ボタンを押す。一日中それが繰り返される。

 ヒカリが呼べば、すぐにでも電源を消して話に応じるが、少しでも沈黙が続くとそれを振り払うように画面に向かう。

 それの繰り返しだった。

 

 ヒカリはアスカを自宅へ招き入れた。

 

「アスカ……ほんとに御飯いらないの?」

「ごめん……アタシ、今……食欲無いから」

「そう……アスカの分も残してあるから、食べたくなったら言ってね」

「ありがとう。でも……どうせ食べる気起きないから」

 視線はTVに固定されたまま、パッドの上の指捌きにも揺らぎがない。

「アスカ、お風呂入ってきたら?」

「いいの。最後に入るから」

「じゃあ、私先にお風呂もらうね」

 ヒカリが風呂から上がってきても、アスカは先程と変わらぬ姿勢でTVに向かっていた。変わっているのは画面のスコア表示だけ。

「アスカ、お風呂空いたわ」

「……うん」

 

 浴槽に身体を沈める。

  ―風呂は命の洗濯よ―

 ミサトの親父くさい発言が頭に浮かんでくる。

 

気持ち悪い

―あいつの使ったお湯なんかに、誰が入るもんか―

気持ち悪い

―あいつが下着洗った洗濯機なんか、誰が使うもんか―

気持ち悪い

―あいつの使ったトイレなんて、誰が座るもんか―

気持ち悪い

―あいつと同じ空気なんて、誰が吸うもんか―

気持ち悪い

 

 じっと自分の手を見詰める。

 もう片方の手を見る。

 視線を自分の身体に降ろす。

「洗わなくちゃ」

 

 風呂から上がり、バスタオルで水気を拭き取っていく。ふと前の鏡に眼が行く。

 鏡の向こうでは、覇気の無い顔がこちらを見つめていた。

 鏡の向こうの自分の目は、何の光も返して来なかった。

 視線を自分の身体に降ろす。

「まだ汚れてる……洗わなくちゃ」

 

 ヒカリは家の戸締まりを一通り確認した後、自室に戻る。アスカはまだ戻ってきていない。

「もうすぐ2時間……」

 アスカはそんなに長湯をする方ではない。

「湯あたりでもしてなきゃいいけど……」

 心配になってきたので、様子を見に行くことにした。

 

  ザァァァァァ

 風呂場には灯が燈っており、中からはシャワーの音がしている。

「アスカ、まだ入ってる?」

 磨りガラス越しに 人影が動いているのが見えるが、返事はない。

「アスカ……どうしたの?」

 返事はない。只ならぬ雰囲気を感じて風呂場に踏み込む。

「アスカ、アス……」

 アスカは風呂場のタイルに座り込んで、スポンジで体を擦り続けていた。いつからそうしていたのだろうか、無理に擦り過ぎて全身が真っ赤に腫れ上がっている。

 ヒカリに気が付いてこちらを振り返る。無表情だった顔にゆっくりと恐怖の色が刻まれていく。自分の内側から滲み出す 恐怖。

「ヒカリィ……。ねえ……落ちないの。……汚れが、どんなに洗っても落ちないの……」

 アスカの裸体がガタガタと震え出す。ヒカリにしがみ付いたその手は、氷のように冷え切っていた。

 

 


 

 

「その後 ベッドに入ってからも、眠れなかったみたいでした。

 夜中の、3時ぐらいに背中がスースーするんで目が覚めたんです。そうしたら、隣で寝てた筈のアスカがいなくなってて……

 アスカは、洗面所にいました。何かブツブツ呟きながら、ずうっと手を洗い続けてました。……私、怖くなって……」

「その後も、アスカはひっきりなしに手を洗い続けました。いくら私が汚れていないことを伝えても、アスカは、手を洗うことを止めようとはしませんでした。……だから……

 ……怖くなって碇君に電話したんです、アスカの様子がおかしいから早く来てくれって……」

 耐え切れなくなってヒカリがとうとう泣き出す。ミサトの視線は肩を震わせる少女の上に無感動に乗せられている。

  ―パニック状態に陥ってるわね、主観的な情報が多すぎて到底判断材料にはならないし、これ以上は時間の無駄ね―

「それを、本人に聞かれてしまった訳ね」

 ヒカリが小さく肯く。

「アスカは、私を突き飛ばして、そのまま……」

「……そう、もういいわ、帰りなさい。アスカもすぐ見つかるわ、そしたら連絡するから。後でアスカの荷物も引き取りに行くわね」

 

 ミサトはひとしきりヒカリに溜まっていたものを吐き出させると、とっとと聴取を打ち切る。ヒカリを保安部の黒服に送らせて、先程録音した聴取のテープを巻き戻す。

  ―家に寄り付かなくなった挙げ句、とうとうロストか……それにしてもどこへ?―

 

 


 

 

 シンジはベッドの寝転がって自分の部屋の天井を見つめていた。SDATのイヤホンを差しているが、テープは回していない。耳栓代わりに外界の音を遮断し、思考の淵に足を踏み入れていた。

 

 綾波が、僕の知っていた『綾波レイ』が、いなくなってしまった。

  僕のせいだ

   僕が弱くて綾波を守れなかったせいだ。

 

 アスカが行方不明になった。NERVの方でも行方は掴めていない。

  僕のせいだ

   僕がアスカの心に気が付けなかったせいだ。

 

 

全部、僕のせいだ

僕が弱かったせいだ

僕が何もしなかったせいだ

僕が逃げていたせいだ

 

僕が悪い。

 

 

 でも、仕方がないじゃないか、

 僕だって精一杯やったんだ。

 辛かったけど頑張ったんだ。

 それでも、駄目だったんだ。

 もう、いいじゃないか。

 

 

僕は悪くない

僕のせいじゃない

僕が悪いんじゃない!!

 

 

 

 

でも、僕のせいだ

全部、僕が悪いんだ。

 

 

「……どうしろって、言うんだよ……」

 

 

  (……そうじゃないだろ)

 自分の何処かで声がする。

  (……今考えるのは、何をするべきか)

  (……今必要なのは、行動すること)


  (……違うか?)

 

 

そうか

なんでアスカの家出を止められなかったのか、

なんで綾波が消えてしまうのを助けられなかったのか、

分かったような気がする。

 

「立ち止まってちゃ駄目だ」

 初めて会った時の、黄色のワンピース姿のアスカ。

 ユニゾン訓練で、ペアルックを着せられた時のアスカ。

 デート帰りのカッコのまま、チェロを褒めてくれたアスカ。

 患者服姿のまま、枕を投げつけて来たアスカ。

「探さなきゃ」

 シンジはイヤホンを耳から引っこ抜くとSDATごとベッドの上に放り投げた。

 

 


 

 

 NERV本部内、第四隔離施設。

 狭い室内に一人椅子に座って俯いているリツコ。その背後でドアのエアの抜ける音がする。

 独特の足音と雰囲気、誰が入ってきたのかは振り向かなくても判る。

「碇司令……猫が死んだんです。おばあちゃんのところに預けていた……

 突然、もう会えなくなるんですね……ずっと構ってあげてなかったのに」

「――何故、ダミーシステムを破壊した?」

 全く噛み合っていない会話。お互いの思考の隔たりが顕わになる。

「ダミーではありません。破壊したのは、人形ですわ」

「今一度問う。何故だ」

「貴方に抱かれても嬉しくなくなったから」

 先程までの冷静さをかなぐり捨ててリツコが爆発する。

私の身体を好きにしたらどうです!あの時みたいに!!

 かたや男の方はいつも通りに沈黙を押し通す。

「きみには失望した」

失望?最初から私には、期待も望みもしなかったくせに!!

 私には何も! 何も!! 何もくれなかったくせに!!

 リツコの叫びはやがて鳴咽に変わる。これ以上の問答は無用、とばかりにドアが閉まる。結局男は、室内に一歩も足を踏み入れる事無く立ち去った。

 

 


 

 

 レイはすぐに退院することが出来た。元から何処を怪我をしている訳ではないし、ゲンドウの勅命があるので、細かい検査や面倒な手続とも無縁である。与えられた命令と情報にしたがってアパートに向かい、その一室の前で足を止める。

  ―402号室、私に与えられた部屋。夜眠る場所、必要とされて呼ばれるまで待機する場所―

 錆付いたドアを開けて中に入る。

 

 飾りも何もない部屋。

 打ちっ放しのコンクリートの壁。

 病室にあるような鉄パイプのベッド。

 そこに取り付けられた読書スタンド。

 ベッドの脇にはパイプ椅子。

 窓際には小さなチェスト。

 壁際には冷蔵庫。その上に載っている薬の袋。瓶。錠剤。ビーカー。コップ。

 そしてその上の壁に小さな鏡。

 

 それは「綾波レイ」にとって ある筈の無い記憶を連想させる、既視感を感じさせる光景だった。ただ、その中に一つだけ 違和感を覚えるものが置かれている。

 レイはチェストに歩み寄ると、その違和感を手に取る。レンズにヒビが入り 鼈甲フレームも歪んでしまっていて、顔に掛けることの出来ない眼鏡。

  ―眼鏡:視力矯正に使われる器具。でも私の視力に障害はない―

「これは私には必要無い」

「これは私のものじゃない」

「だから要らない」

 そのまま握る手に力を込める。徐々に加えられていく圧力に、フレームが悲鳴を上げ始める。

 

 だがそれも半ばで止まる。レイの手が何かに怯えたように細かく震え始める。

 

「駄目」

 

「壊せない」

 

これは私じゃない私のもの

これは私が手に入れたものじゃない

だから私が壊すことは許されていない

 

 手に、眼鏡にこぼれおちる滴。

「これが、涙?」

「はじめて見るはずなのに、はじめてじゃないような、気がする」

 涙は止まらない。

「私、泣いてるの? なぜ泣いてるの?」

 答えを返してくれる者はいない。

 

捨てることの出来ない、絆

自分のものでない、絆

いらないもの

 

「いいえ、ちがう」

 

いらないのは、私

 

 鏡を見る。

 鏡の向こうの自分が涙を流している。

 

ムネガ クルシイ


ココロガ イタイ






サビシイ



 

「……どうして……?」

 己が内を迷走する未知の感情に、彼女はただ 立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 


 

 

「また一からダミーの作り直しか?」

「いや、もうレイの身体はコピーには耐えん」

「情報の劣化が激しすぎるか……どうするつもりだ碇。ダミー無しに計画を実行することは不可能だぞ」

「止むをえまい。最良な形での補完計画の履行はもはや不可能だが、ダミー無しでもヒトを補うことは出来る。我々が望むのは停滞でもなければ滅びでもない。SEELEと同じ轍は踏まんよ」

「アダムとリリスの禁じられた融合 か、……お前にとってはその方が都合がいい訳だからな」

「『あれ』はまだアダムではない。その点では我々の方がまだ分がいい。……あとは」

「どこまでリリスを欺けるか……か」

「そうだ」

「全てはお前の思惑通りか……碇、何故そうまで自分を欺こうとする?……そこまでして彼女に逢いたいか?」

「………………」

「自分が怖いか?」

「………………」

「他人が怖いか?」

「………………」

「まあいい、もはや立ち止まることも叶わん。……しかし……本当にいいんだな?」

「……ああ、犠牲は少なければ少ないほど良い」

「自分の息子に触れることすら、出来なくなるとしてもか?」

「もはや私にそんな資格はない」

「それは資格ではない。親の義務だ」

「私は親であることを捨てた。失うものは何も無い」

「何を言っても無駄ということか?」

「そうだ」

「変わらんな、お前は」

「……変われないのだよ」

「シンジ君にはいつ告げる?」

「まだだ。最後の使者を退けねば、何も始まらん。その後は時間との勝負だ。今から準備をせねばなるまい」

「備えは幾つあっても足りんか……」

「冬月、後を頼む。しくじったらドグマごと熱核処理してくれ」

「そうならないことを願うよ」

「当たり前だ、ここでしくじれば15年間が無駄になる」

 明かりが消え、二人のうち片方の姿が床下へと消えていく。残された方が誰とも無しに呟く。

「果たしてこれが本当に君の望んだことだったのか……今となっては聞くことも叶わぬか、ユイ君」

 

 


 

 

 EVA零号機の自爆によって第三新東京市の南端、芦ノ湖に隣接する区画は巨大なクレーターと化し、芦ノ湖からの湖水で水没した。以前にミサトが冗談のタネにした第三芦ノ湖が縮小化されて実現した訳だが、それを笑える余裕のある者はいなかった。

 EVA弐号機専属パイロット・惣流 アスカ ラングレーは、その湖岸に残された廃虚の中をあても無くさ迷っていた。

 

今まで彼女は自分を輝かせ、他者に認めさせることに、自分の存在価値を見いだして来た。

誰にも負けられない。

誰も彼女を見てくれなくなるから。

彼女の存在が失われてしまうから。

 

 今の彼女に以前の面影は微塵もない。生気の抜けた瞳には、何も写っていなかった。

 足場を読み損ねてバランスを崩す。咄嗟に体勢を立て直すだけの体力は、彼女の中に残っていなかった。

  べちゃ

 泥濘の中に手をついてしまう。立ち上がって自分の手を見詰める。

「汚れた。洗わなくちゃ」

 辺りを見回し、廃虚の一つに入っていった。

 

 

 少々潔癖症のキライのある彼女にとって、使徒の侵蝕の記憶はおぞましい以外の何者でもなかった。頭にこびりつく不快感、どこかに汚物でもへばり付いている様な嫌悪感、それを拭い去ろうとする強迫衝動。いくら洗っても落ちない『汚れ』。いくら拭いても消えない『穢れ』。

 

洗浄強迫

 

 横になっても眠れる訳ではない。眠れば悪夢が襲ってくる。夢の中で、何か得体の知れないものに襲われ、犯される。抵抗しようにも体が動かず、為すがままに蹂躪され尽くされる。汗だくになって目が覚める。また自分が汚れたような気がする。

 そのうち、食事も摂れなくなった。食べ物が汚いものに見え、それが自分の中に入ることで、さらに自分が汚れるような気がする。

 

 何回も何回も、体を洗った。それでも汚れは落ちなかった。

 肌が擦り切れるまで拭いた。それでも汚れは消えなかった。

 まるで体の内側から、心の闇が吹き出してくるようだった。

 まるで自分の身体が、汚れそのもので出来ているように感じた。

 

 

 手を洗う。

  ……バシャバシャ……

 そこに意味はない、只の作業。

  ぴちょん……

 シャワーの首から水滴が落ちる。

  ……ぴちょん

 その音を追って、横のバスタブに視線が移動する。

「……身体も、キレイにしなくちゃ……」

 バスタブの水が澄んでいるかどうかなど、どうでもよかった。

 自分の身体が汚れている、汚れは洗って落とす。彼女の思考にはそれしかなかった。

 着ているものを脱いでキレイにたたむ、脱ぎ散らかすとキタナイから。

 

  ちゃぷん……

 

 

アタシ、キタナイの

キタナイから、誰もアタシのこと、見てくれないの

キタナイから、誰もアタシのこと、イラナイの

 

アタシ、イラナイ子なの

 

 

  ぽつっ……

 

 水滴が彼女の痩せこけた頬に落ちる。サビ混じりの赤茶けた水は、そのまま頬を滑り落ちる。それはまるで彼女の心の流す、血の涙のように見えた。

 

 


 

 

 NERV本部、ターミナルドグマ。早朝から本部へ呼び出されたレイにあてがわれたのは、MAGIの直通端末。そこにあるのは、目を通して記憶しておくように言われたNERVの概要と、自分に関わりのある人間の個人データ。

 端末にケーブルを繋ぎ、ラップトップのキーを操作してデータをスクロールさせていく。

 

 この人、碇司令。

私を作った人、私を生き長らえさせた人。 

 この人、冬月副司令。

碇司令の補佐をする人、まだ会ったことない。 

 この人、赤木博士。

私の身体を管理する人、あれから一度も見ていない。 

 この人、葛城三佐。

私が指揮下に入る人、まだ会ったことない。 

 この人、碇シンジ。

EVA初号機のパイロット、病院で私を見て泣いた人。 

 この人、惣流・アスカ・ラングレー。

EVA弐号機のパイロット、会ったことない。現在入院中。 

 この人、綾波レイ。

EVA零号機のパイロット、前の綾波レイ、私じゃない綾波レイ。
他の人が知ってる綾波レイ、私の知らない綾波レイ。

 

他の人が見ているのは、私じゃない私

他の人が話し掛けるのは、私じゃない私

 

私は誰?

綾波レイ

いいえ違う

 

他の人の見ている綾波レイは私じゃない

他の人の覚えている綾波レイは私じゃない

この身体の持ち主は私じゃない。

 

私は誰?

わたしはだれ?

ワタシハダレ?






わからない





 

 

 


 

 

 セカンドチルドレンの身柄の確保は、すぐに本部の発令所にも伝えられた。報告を受けたマコトの顔がほころぶ。シゲルはダウンした通信網の再敷設作業、マヤは初号機の修理に掛かりっきりになっている。リツコも欠勤が続いている今、第二発令所にはミサトとマコトしかいなかった。

「しかし、アスカちゃん、保護出来て何よりです」

「そうね」

 同居人のミサトの顔は浮かない。

「葛城さんも心配だったでしょう?」

「……そうね」

「早く回復するといいんですが」

「…………そうね」

「お見舞い、行ってきてあげたらどうです?」

「……今は、それどころじゃないわ」

「葛城さん、行ってくるべきです。貴方が行かないでどうするんですか」

 少し強く出たマコトの言葉に、ミサトが爆発する。

どの面下げてあの子の顔を見に行けって言うのよ!?

 あの子をあそこまで追い詰めたのは私なのよ!

 あの子を解ってやれなかった私に、今更何が出来るのよ!!

 アスカの過去を知りながら、彼女が壊れるまで、ついにどうする事もできなかった。アスカの心を理解し、安息を与え、心の空洞を満たしてやる事はできなかった。使徒のため……時間のため……自分のため……全て逃げる為の口実に過ぎない。

  ―アスカは私のせいでこうなったのだ―

「それに……悪いけど今、あの子にかまけてる暇はないのよ」

「………… シンジ君はどうします、伝えますか?」

「今のアスカに会ったら 彼、使い物にならなくなるわ。駄目よ、この情報は伏せておいて」

「……分かりました。……でも、いいんですね?」

「他に……どうしようもないのよ」

 

 気まずい沈黙が流れる。その内、アスカの診断終了の報が伝えられる。監視カメラで彼女を確認したマコトの顔が歪む。ミサトは壁にもたれ、モニターに近付こうともしない。

「しかし、ロストしてから7日後に発見……ですか」

「ロクな仕事しないわね、ここの保安部は」

「ワザと、でしょ。嫌がらせじゃないんですか?作戦課への」

  ―アスカがいない間にフィフスの受入れ態勢も整ってしまった。
   SEELEが直接送り込んで来る適格者……出来過ぎね―

  ―SEELE、何処まで諜報部にも食い込んでいるのかしら?
   加持君のこともあるし、嗅ぎ回っていて鉢合わせ、ってのだけは御免被りたいわね―

 

 そんなミサトを、アスカの病状に心を痛めていると診たマコトは、かける言葉を見つけられなかった。

 そして……常に一人の男の影が彼女の側に見え隠れする。

 ミサトがあれだけ邪険にしながらも、どこかで全幅の信頼を置いている男、加持リョウジ。ミサトと加持の関係は、本部内のゴシップ好きの間でそれなりの噂になっていた。

  ―自分は「信用」されているが、「信頼」されてはいない―

 マコトにとってはそれが歯痒くてならなかった。何か少しでもミサトの為に……振り向いてもらう為に……何か出来ることを……。そう思って彼女の無茶な要求を飲み、八方手を尽くして必要な情報の収集に当たっている。

  ―アスカちゃんが回復することが、葛城さんにとってプラスになるなら―

 彼にはそれで十分だった。

 

 コンソールを操作して、アスカの診断書を表示させる。医師の所見には「重度の心身症、縁故者による介助を」とあった。

 アスカの両親はどちらもドイツだ、日本に親類縁者はいない。強いてあげるなら、同居していたミサトとシンジが唯一の「家族」だった。

 アスカが望んでいたのはトップの座だ。それを奪い取ったのはシンジだ。彼がそう望むと望まざるに関わらず、NERVとEVAは彼を選んだ。アスカは選ばれなかった。

 アスカをここまで酷使したのはNERVであり、EVAへの搭乗を強いたミサトだ。だが、サードインパクトという未曾有の脅威から人類を守る為には、それ以外に手はなかった。ミサトが己を責めているのは彼女の責任感からくるもので、マコトには無用の苦痛を抱え込んでいると見えた。

 いくらか事情を知っているマコトは、状況証拠からある判断を下した。それは全く正しかったが、致命的な見落としがあり、彼はそれに気付かなかった。

 

 マコトはミサトとシンジを天秤に掛けた。……彼は片方を選んだ。

 

 


 

 

 ラウンジで缶コーヒー片手に放心しているシンジを見つけたマコトは、彼を食事に誘った。ミサトから、彼が最近あれだけこまめにやっていた家事にも手を付けなくなり、彼女が帰宅しない日はロクに食事も摂っていないと聞いていた。

 初めシンジは興味なさげに断っていたが、アスカの名前が出ると無言でマコトの後ろに付いた。ヒカリの家に行って無駄足を踏み、一日じゅう歩き回っても結局収穫の無かったシンジは、マコトの見せたアスカの手掛かりに縋り付きたかった。

 

 食後のコーヒーを啜りながらマコトは切り出した。

「アスカちゃんの家出の原因、わかってるかい?」

 

 マコトのこの質問は、シンジにとってキツイ一撃だった。自分がアスカのことを分かっていない、アスカを理解していない。その事実を眼前に突き付けられた。

「いえ……分かりません……」

「最近アスカちゃんのシンクロ率が下がってきていたのは知っているよね?」

「ええまあ、なんとなく……」

「アスカちゃんは小さな頃からずっと厳しい訓練を積んで来てEVAのパイロットになった。だからEVAのパイロットであることに、チルドレンの中でもトップであることに高いプライドを持ってたんだ」

「はい」

「でもシンジ君はいきなりEVAを動かした。今やシンクロ率もトップだし、使徒撃退数も一番多い。君のおかげでNERVは保っているようなもんだよな」

「はぁ・・・」

 こののお世辞は 色々な人間にいつも言われていることだが、今のシンジには苦痛しかもたらさない。

  ―誉めてもらう資格なんか無い。僕は綾波を助けられなかったのに―

「だからアスカちゃんにとって、シンジ君がライバルだったんだよ」

  ―アスカはいっつも僕のこと格下扱いしてたけど―

「いつも近くにいる同居人が自分の最大のライバル、葛城さんはシンジ君とアスカちゃんが一緒に暮らすことで、いがみ合う事無くお互いにいい刺激になると考えていたんだ」

「そうだったん、ですか……」

「まあアスカちゃんに家族を体験させてあげたい、ってのもあったんだけれど。アスカちゃんも今の御両親と仲があまり良くな……ぁ、まあ、そういう事だ」

 ついマズい話題をシンジに披露しそうになり、マコトは慌てて言い繕う。

「その話はいいです。なんとなく分かりますから」

「……ああ、そうか。まあ、そんな訳で、彼女はずっと気を張って生きてきた筈だからね」

 日本に来てからの彼女しか知らないが、アスカはいつもどこか張り詰めていた。気が強いだけではない、何かに追い立てられるように生きていた。

 いつもたった一人で生きて、常に自分をトップに押し上げなければならない。そんな思いを抱えて生きていたのだろうか。

 アスカにとって、気を休める時はあったのだろうか……

 

「ここ2回の戦闘でシンジ君にお株を奪われて、アスカちゃんは自分に自信を無くしちゃったんだよ。最近体調も精神状態も不安定だったし、間が悪い時に悪いことが重なっちゃった訳だけれど」

 常に張り詰め続けた糸に、限界が来てしまったのだ。

 シンジは気がついた。その糸を切ったのが、他でもない自分であることに……。過程はどうあれ、EVAに関して彼はアスカを超えてしまったのだ。

 

「……僕の、せいなんですね……」

  ―お笑い種だ、アスカを追い詰めた張本人が、アスカを解ってあげたい、だなんて―

「僕がEVAから降りたら……」

「それは彼女のプライドを逆撫でする結果にしかならないよ。彼女の今までの人生は全てEVAに捧げられてきたんだ。その犠牲の上に今の彼女はある。そこに泥を被せるようなもんだ」

  ―トウジを殺しかけた後、僕はEVAから降りた。でも加持さんの言葉に押されてもう一度乗った。あれは、アスカから見たら、すごくイヤな行動だったんじゃないかな―

「じゃあ、 じゃあ僕はどうしたら……」

「一緒に居てあげることだよ。どんなに嫌われても、すげなくされても、彼女から離れないことだ。……アスカちゃんのお母さんが亡くなっているのは知っているよね、今のあの子には頼れる人が誰もいないんだ」

「アスカは僕のことを、許してくれるでしょうか?」

「アスカちゃんだってシンジ君のことが嫌いな訳じゃないさ、今までだって上手くやってきたじゃないか」

  ―そうじゃない。僕はアスカに逆らわないようにして流されていただけだ―

  ―アスカに嫌われたくないから、アスカの顔色を伺っていただけだ―

  ―でもアスカははっきり僕を拒否したんだ―

「シンジ君、よしんばアスカちゃんが君を嫌っていたとしても、きみには彼女を立ち直らせる義務があるんだ」

 それは全くの偶然だったが、まるでシンジの心を読んだような言葉が出てきて、シンジの顔が跳ね上がる。

「アスカちゃんがこうなってしまったのは、君に責任がある訳じゃないが、彼女は諸悪の根元は君だと思ってる。

 彼女の考え違いは正さないといけない。これからの関係にしこりを残さない為にも、そこをはっきりしておかないと、ね。

 お医者さんの判断では、誰かつきっきりで彼女に接してあげる必要があるそうなんだ。アスカちゃんにとって、ここで家族と言えるのは君と葛城さんだけだ。葛城さんはいろいろ忙しいらしい、これが出来るのは君しかいないんだ」

 マコトの言い分は熟慮されたものではなかったが、シンジはそれを自分の責務であると溜め込んだ。ミサトにも省みられなくなり、無力感に苛まれていた彼は、自分に出来る仕事に飢えていた。

 

「加持一尉なら上手くやるんだろうけど、最近監査部の調査が忙しいらしくて見てないしなぁ」

 マコトは加持が内務省のスパイ嫌疑を掛けられ、保安部にマークされていると聞いていた。無意識に彼のことが口に出たのは、ミサトとの仲に対する嫉妬と、今や彼が追われる身であるという嘲笑が混じっていたからかもしれない。

日向マコト、彼は加持の死を知らない。

 加持の名を聞いてシンジはびくっと肩を震わせる。机に突っ伏して泣いていたミサトの姿が思い出される。

 マコトはそんなシンジの様子を自信の無さの表れと勘違いした。

「大丈夫、アスカちゃんが加持一尉を追っかけていたのは年頃の子特有の憧れからさ。今までずっと一緒にいたんだし、同年代の君の方が彼女のことを解ってあげられる筈だよ」

 

 マコトは気が付いていなかった。今のアスカの精神状態の酷さに、アスカの抱えているものがシンジの手に余ることに、シンジもまた重い荷物を背負っていることに。

 

 


 

 

第二発令所

 

「ミサトさん、アスカが見つかったって聞きました。今どこですか?」

「誰に聞いたの?」

「誰でもいいじゃないですか、アスカはどこですか?」

「あなたが知る必要はないわ」

「ミサトさん、アスカが心配じゃないんですか?」

「今はそれどころじゃないの」

「ミサトさん、僕たち……家族でしょ?」

「お願い、解って……」

「……逃げるんですか?」

    パァンッ!

 ミサトがシンジの頬を張る音が、がらんとした室内に虚ろに響く。

アッ、アンタなんかに何が分かるのよ!逃げ続けてたのはアンタの方でしょ!!

「そうですよ。だからもう逃げないって決めたんです。ミサトさん、アスカはどこですか?」

 シンジはそれでも表情を崩さず、冷やかな眼でミサトを見上げている。ミサトにはそんなシンジが自分の知らない、何か別の生き物のように見えた。

「……脳外科病棟の303号室よ。でも今は面会謝絶、衰弱が激しすぎて会わせる訳にはいかないわ」

「分かりました。元気になるまで待ちます」

「無駄よ。重度の心身症「強迫神経症」と診断されたわ、意識的にこちらへ何かしてくることは無いそうよ。今の所、回復の兆しも無いわ」

「じゃあ、治るまで待ちます」

「……好きになさい」

「はい、そうします」

 シンジは踵を返すと、そのまま誰とも視線を合わさずに作戦司令室から出て行った。その後ろ姿を横目に見ながら、果たして自分の選択が正しかったのか、マコトは早くも後悔していた。

 

 


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ver.-1.00 1998+06/13 公開
感想・質問・誤字情報などは こちらまで!

 ごめんなさい、ずっと更新しないでおいて復調したと思ったらこの通り、イタいまんまです。もう申し開きも出来ませんね。この上は、悉皆市中曳き回しの上 獄門磔打ち首鋸引きでもなんでも、甘んじて受けます。
 構成上、かなりキッツイ話になってしまいましたが、キャラを苛めるのはここまでで終わりです。ここがドン底ですので、これ以上悪いようにはしません。イタくする事だけが目的で、これを書いてる訳じゃないので。
 後はそれぞれに何を考えてもらって、どう行動してもらうか、どうやって立ち直ってもらうか、です。各人ともTV本編とは少ーし違った思考を持つように誘導しているので、「自滅」はしないと思います。もう少しだけ我慢して下さい。m(_ _)m

 

 アスカの陥った強迫神経症「洗浄強迫」ですが、昔ちらっと読んだだけなので、うろ覚えですが、戦争映画で兵隊さんが「血が、血が取れねえんだよぉぅ」って言う奴みたいなモンと思って下さい。アスカの眼が『死』に向かないようにするには、使徒による汚染と例のバスタブのシーンを繋げるのならこうかな、と。
 劇場版Airにあったように、アスカは死を恐れています。自分には生きる理由が無い、価値が無いと言いながら、生への執着を捨てていません。自分には何も無いから自分からは働きかけませんが、外からの働きかけには反応する筈です。後はどんな働きかけをするか、です。アスカの回復の糸口はそこにあると思っています。
 TV版24話から劇場版Airまでベッドで寝っぱなしの彼女ですが、あれは投薬によるものな訳で(投薬が中止されてEVAに乗せられたら、すぐに眼が醒めています。もっとも、「EVAシリーズ 完成していたの?」は、アスカがそんなの知ってる筈ないので、多分 制作側のミスでしょうが……)アスカの心身自体はとっくに回復してたんじゃないでしょうか? 

 関係ないけど、アスカのあのやつれ方は異常です。多分にアニメ特有の誇張を入れ過ぎたせいでしょう。軽く考察してみたので、暇な人はソースの方を読んで見て下さい。

 

 忘れちゃいけない、沢山の方から『ボクが出会いたかった彼等』のアンケートメール頂きました。ありがとうございましたぁ〜 こんなに反響あるなんて……(涙じょーっ)(T^T)
 因みに現在の集計結果ですが、アスカのCGが一番人気、レイは僅差で敗退、リクエスト一位は何とヒカリちゃんでした。情け無いのがシンジ君。未だにリクエスト数、ゼロ。どーした主人公(笑)




 鳥坂さんの『こんなにも不甲斐ないボクら』第3話、公開です。





 するする読めちゃった。

 自分でもビックリ。




 だって、

 「TV版終盤からのクラシリアス。
  シンジとかの登場人物による、
  ウダウダながなが語られる心情描写シーン」

 って、なんちゅうか、基本的に苦手なんです。


 書いている作者さん自身が”深い心理描写”している自分自身に
  ハマっているというか−−
  酔っているというか−−
 うだうだくどくどながなが
 そんなのが割と多いので(^^;


 ページを送っても送ってもずーっとそういうシーンだと、
  もうたまりません〜
  です。
 何編もそう言うのを読んでいるうちに、短いシーンにさえ・・・

 さらに、
 そういうシーンがチラとでもあると、
 作品自体をひいて読んじゃうことさえも(^^;




 そんな私なんですが、この作品はスルスル読めちゃったんですよ。



 何でだろう。

 作者さんの自己陶酔がないからかな。
 必要な物・部分をしっかり絞っているよね。

 一歩引いた目で見つめて。が、チャンと。



 うん。
 私は
 そういうシーンが嫌いなんではなく、
 そういうシーンにある作者さんの自己陶酔感が嫌いなんだ。ろう。たぶん。




 このへんて紙一重なのかな

 さじ加減でこんなに面白くなるんだ♪




 そういうことに気付かせてくれてありがとうね(^^)





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