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「アスカ!!」
突然、シンジが魂切る様な声を上げる。

「!」

アスカがふりむくと、

「やあ、はじめまして、キミ達。話は終わったのかい?でも、そう簡単に逃げられちゃ困るな、僕等の立場がないじゃないか」

二人の目の前−屋上の鉄柵の向こう側の空間−に少年が一人浮いている。
「ちっ。チルドレン!」
アスカはそれに気付くと、シンジの手を掴み、
「とにかく、「跳ぶ」わよ!」
そのまま、アスカは「跳躍」の体勢に入る。





EPISODE
少年−シンジ−の場合


stage 3 胎動





第三新東京市。
現在急ピッチで都市整備計画が進められている。
もともと、この都市は国連常任理事国である日本政府が国連本部を誘致する為に計画された。
15年前の混乱期にアメリカ合衆国(現北米合州国連邦)のNew Yorkは、旧国連本部もろとも海に沈んでいた。
それ以来、国連本部はとりあえずGenevaに仮に移転され、2015年現在もそのままGenevaにある。立ち消えになった国連本部新設計画の為、宙吊りになった誘致計画は、しかしそのまま第三新東京市都市整備計画として進められ、既に残り一期工事分を残すのみとなっている。
そして、この第三新東京市の地下に潜る格好で、国連直属秘密組織「ネルフ」の本部、兼日本支部がある。
ちなみに、ネルフという組織は当然国連の組織図には出てこない。「直属」とは言うものの、現在その組織に国連が関与しているのかは、その組織の全体像と共に全くの謎となっている。そもそも、この組織には設立当初から謎が多く、創設に関与した関係者は、当時の国連事務総長を含めてそのほとんどが死亡、もしくは行方不明となっており、当時の記録もその全てが消去されている。当然、各常任理事国の諜報機関がその存在を証明するべく暗躍しているが、数々の研究機関、施設、大学のネットワークやダミー企業にカモフラージュされたこの秘密組織の姿を、彼等の能力をもってしても未だにかいま見る事すら出来ずにいるのだ。


そのネルフ本部。その地下14階。
それほど数の多くないネルフの常勤スタッフの間から「綾波の間」と呼称される一室がある。
畳にして20畳ほどの広い空間には備品も窓もない。ただ一つ、この部屋の主が腰掛ける椅子がほぼ中央に置いてあるだけ。そして、今も、その主はその椅子に腰掛けている。
綾波レイ。
年齢14歳。
恐らく、人類が産み出した最高の能力者。
その能力は全て視覚と聴覚をカバーする事にのみ使われている。
彼女は、生まれた時からその肉体に視覚と聴覚を持ち合わせていなかった。しかし、彼女には生来より類稀なる「力」がその体内に宿っていたのである。まるで、肉体の不備を補う為に。それ以上の物を見つめ続ける様に定められたように。
そう、神は彼女に余りにも好意的過ぎたのかもしれない。時にはそれが残酷な仕打ちであるにしても。
肉体の不備を補う為のその能力は、日本のこの自室にこもりながら、地球の反対側で針が落ちる微かな音すら聞き取ることが出来るほどに研ぎ澄まされているのだ。
その彼女が、今自身の能力を集中させているのは、新武蔵野市。
セカンドチルドレンがサードチルドレンの保護に赴いている。
脳裏に浮かぶその一部始終が、発令所のオペレーターや作戦部長の元にダイレクトに送られて行く。
「あれが、間宮シンジ。サードチルドレン。まだ、覚醒していない。……このまましない方が彼の為にはいいのかも……でも、他のチルドレンの為には、彼の力はきっと必要になる」
綾波レイは一人で考える。でも、もし間違った方向に向かったら……
その答えは、彼女自身にも分からないのだ。








「全く、いくら金かけてるのか知らないけど、「力」が機械で捉えられるの?どっちかっていったら感情に近いもんじゃない?これって」
ネルフ作戦発令所。
一人で興奮してしゃべりまくっているのは、作戦本部長の葛城ミサト。ダークブルーの長髪、深い瞳、見事なプロポーション。29歳という年齢に似合わない若さを合わせ持つ美女。
首元にいつもかけている十字架のネックレスがポイントとなっている。ちなみに、彼女も能力者である。もっとも、本人曰く「歳と共に弱くなっていく」そうだが、一説では彼女の過度の飲酒癖がそうさせているらしい。飲酒と能力の因果関係はまだはっきりしていないが、大部分の者が説得力がある説だ、と受け止めている。
そのミサトが相手にして話しかけているのが、その横にいる赤木リツコ博士。技術部門統括者にして生体理論から、超心理学まで修めた天才。彼女は、生憎その天才の頭脳以上の能力は持っていない。本人もその辺は全く気にしていないようで、飄々としてかつ凛とした態度を崩す事がない。ちなみに、ネルフの職員は、仕事柄約半数が潜在的能力者であると言われている。しかも、その大部分はミサトやレイ同様顕在した能力者なのだ。通常の人間にとって、それと知った上で能力者に囲まれて生活を送るのは非常にストレスの溜まるものである。一応ネルフの職員は全て自己の能力を自己でコントロールし、且つモラルを守る事を義務づけられている事もあり、むやみに他人の頭の中を覗き込む様な破廉恥な輩はいないのであるが、それでもお世辞にも心地良い環境とは言えない。はずなのであるが、赤木リツコ博士は全く頓着しないのである。よくよく人間が出来ているのか、腹が座っているのか、とにかくその態度に尊敬の念を集める人物。
そのリツコ博士が声を掛ける。
「どう?何か動きは?」
声を掛けられたオペレーターが振り向いて返答する。
「今の所は、何も」
「そう」
と、リツコ。
「レイによると、未だアスカは接触してないみたいよ」
ミサトが言う。

ビーッ

シグナルが反応し、ブザーが突然鳴り響く。
「E反応。新武蔵野市です!」
それと同時に綾波レイからの映像がそこにいる能力者に伝わる。
正面のモニター−作戦地区の地図が表示されている−の該当地区に赤丸が示されている。
アスカが突入したのだ。
「反応喪失!」
「相変わらず派手にやるわねぇ、アスカ」
ミサトが半分呆れたようにつぶやく。
「しかたないわよ。あの娘の持ち札は「跳躍」のバリエーションがほとんどだから。あれは相当に空間を歪ませるものなのよ」
ミサトに答えるリツコ。
そのまま暫くの沈黙が流れる。
やがて、綾波レイから全員に報告が入る。

<ビーナスがシマリスの保護に成功。状況を次の段階に移行>

室内にほっとした空気が流れる。
「予想よりもスムーズに行きそうじゃありませんか、先輩」
後ろから声を掛けるのは、リツコの大学の後輩、伊吹マヤ。
「まだわからないわよぉ、そんなの。何しろ、こうやって作戦行動に出たのは今回が初めてだからねー。まあこのままアスカが「跳んで」帰って来てくれればいいんだけど」
マヤに振り向かず、ミサトが答える。その瞬間、
そこにいる全員に綾波レイから、突然の爆発のイメージと、目標の学校の周りに集まる10人を超える能力者の影が叩きつけられる。ネルフ施設にいる他の能力者ではない者にもこのイメージは届けられた。いかに綾波レイの力がもの凄いかを見せつけている。
一瞬遅れて再びシグナルが反応する。
「強力なE反応!!物理的変化しています。こ、これは!「力」による攻撃です!」
「だいぶ集まってきてるな。反応個数11、いや、12です!」
次々とオペレーターが状況を報告する。
だがそれを聞くまでもなく、平行して、そこにいる全ての者にレイからの現場中継が流され続いている。音、色、匂い、まるでその場にいるかの様な印象が五感を圧倒する。押し付けられる様な、胸をじわじわ浸食されて行くような感覚が全ての者を包む。
(これは、殺気?やつら、本気なの?)
ミサトは無意識のうちに胸の十字架を掴んでいる、祈るように。
何も出来ない無力感。ただ状況をモニターするしかない。やるせない自己喪失感。それらが葛城ミサトの心に重くのしかかる。
能力者同士が一旦遭遇し対峙してしまえば、後は本人達に任せるしかない。外部の干渉は全く何の役にも立たない事を、彼女はこれまでの経験から痛いほど身体で知っているのだ。
だが、チルドレンに対する責任感が、思考に沈みかける彼女を、むりやり水面上に引き上げる。
(信じるしかない。アスカなら、きっと切り抜ける)
そして、わざと軽めの声を無理やり唇から押し出す。
「ちょっちこれはきついかな、でも、アスカ頼んだわよ」








「シンジ!「跳ぶ」わよ!!」
シンジの右手を左手で握り、アスカが振り返らずに叫ぶ。
だが、次の瞬間、アスカの膝がガクッと崩れる。シンジとアスカには今度は何も起こらなかった。
(ちっ、ブロック……)
何とか気を静めて辺りに集中する。
二人の目の前に……
一人、また一人と人影が浮かび出てくる。
(……子供だ、僕達と同じくらいの。)
シンジは眼を見張る。
まるで現実感の無いその光景。
シンジとアスカのいる中学校の屋上、その何も無い空間に子供達が浮かんでいる。
ある者は漂うように、ある者は身じろぎ一つせず、ある者は胡座をかいた姿勢のままシンジ達の頭の上を浮遊し、見下ろしている。全部で12人のチルドレン。
(こ、これもそうなのか。この子達もアスカと同じ……)
つながれたシンジの手を通して、彼の思考がアスカに流れ込んで来る。
一寸寂しそうな色を瞳に浮かべ、しかしすぐに目の前に集中する。
「悪いけど、キミの「跳躍」、ブロックさせてもらってるよ。手荒な真似は出来れば避けたいんだ。その少年を渡してくれるかい?」
先程の少年が二人の眼前に飛び降りる。猫を思わせる軽やかな動作。体重が無いかの様に床に着地する。
アスカはそれに答えず、自分の背後にシンジを隠す。
「さすがに教室内で仕留める事は出来ないだろうとは思ってたけどね、なるほど、噂通りだね、キミは。惣流・アスカ・ラングレー君」
見た所、高校生くらいだろうか。上背のある、しかしほっそりとした体格。銀色の髪が風になびく。優しそうな笑みを浮かべている。いや、口元だけ。眼は、笑っていない。深みのある、黒い瞳が二人を射る。
「あら、どんな噂なのかしら?アタシの噂って。どうせ内閣情報局特務班に回ってる噂なんて高が知れてるとは思うけど」
まるで世間話の様にアスカが口をきく。
「いやいや。キミは、有名だからね、この世界じゃ。知らない奴がいたら、それこそモグリってもんさ。国連直属秘密組織「ネルフ」所属のセカンドチルドレン。世界最高の能力者の一人」
「ドイツが産んだ天才美少女、っていうのも付け加えてくれるかしら?」
しれっとしてアスカが言う、笑顔で。しかしアスカの瞳も笑っていない。
(こいつ、誰?今までの資料にはこんな奴いなかった……)
それをおくびにも出さず、アスカは目の前の少年を笑いとばす。
「でも、それだけじゃねぇ。アタシの事知っているとは言えないわよね。しょせん、噂は噂よ」
「確かに、出来るだけ正確な情報を集める事が今の時代において最も優先される、重要な事さ。しかし、キミも知らない訳じゃないんだろ?少なくとも、キミの過去は資料に残っているんだよ。何処で、何をしていたのか。何をされたのか、もね。キミを知ろうと思えば、まずは誰でもそうするんじゃないかな?」
「な……」
(心理戦?アタシを動揺させようっての、コイツ?)
しかし、アスカの心は少年の次の言葉に敏感に反応してしまう。

「かつて、道具である自分自身を否定しておきながら、今また他人の道具として存在している。矛盾だらけだね、キミの心は」

アスカが笑う。嘲る様に。内心の動揺を隠す様に。
過去には、触れて欲しくない。そう叫びを上げる自分が分かる。瞬時に心の「壁」を張り巡らす。壊れそうな自分の心を大事に抱きとめる様に。

シンジが不思議そうな顔をする。何故かシンジには、今彼女が少しうろたえているのが自分の事の様に分かるのだ。隣で立つ美少女の心が固く収縮して行くのが。
何故?そんなシンジの思考のかけらをアスカが捉え、はっとする。
ゆっくりシンジに振り返り、シンジの眼を真直ぐに見る。不安なはずなのに、状況について行けないはずなのに、彼のその瞳にはアスカを思いやる色が手に取るように浮かんでいる。
サイキックなつながりが二人の心を瞬間、一つにまとめ、そしてそれはすぐにほどけてゆく。
アスカの心の中で、何かがゆっくりと溶けて行く。母親に抱きとめられる様な安心感が、アスカの中に次第に大きく浸透して行く。 −−アタシは、大丈夫。アタシは今の自分を自分で肯定出来る。そう、自分が自分の意思で決めた自分の歩き方。大丈夫。アタシは、やれる。

アスカの内心の動きに気が付いたのか、シンジの眼に安心の笑みが浮かぶ。時間にしてほんの1秒にも満たないサイキックな接触。
静かに、落ち着いた声でアスカは答える。

「……哀れね。気が付かないなんて。アタシ達、それにアンタ達だって、人間なのよ。みんなと同じ。アタシは、はっきり言える。今のアタシは、道具なんかじゃない。アタシ達は道具としてではなく、人間として生きて行ける。自分の意思で、自分の道を決められる。アンタだって、アンタのその仲間だってそう。存在理由なんて、視点を変えればいくらでも変えられるのよ」

少年は、その深い瞳を細め、ささやく様に言う。
「アスカ君。キミは、福音を得たんだね。たとえ、それがかりそめのものに過ぎないとしても。福音を得、それを広める伝道者。Evangelist……だが」
辺りに突然緊張が走る。空気が膨れ、屋上を包み込む。
「今の僕等にはこれしか選択肢はないんだ。悪く思わないでほしい」
「そう。分かったわ」
あくまで落ち着いて、アスカは答える。
「最後に、もう一度言わせてもらうよ……間宮シンジ君を渡して欲しい」
「それは出来ない。シンジは、アタシのもの」
アスカは身じろぎもしない。そっと、眼を閉じる。
二人を取り囲む様に、12人のチルドレン。
その24の瞳が二人につき刺さる。








屋上に、もの凄いエネルギーの力場が発生し、衝突する。
高まる圧力に屋上の鉄柵が音を立ててひねり曲がる。空気が裂ける様な感覚。余りの気圧変化に耳の奥に不快感が籠る。風が、二つに裂ける様に走り、彼方の貯水曹に穴を穿つ。音を立ててあふれる水が屋上の床を這い始める。しかし、その水も屋上に立つ二人には届かない。二人の立つ直径約3メートルの範囲をまるで避けるかの様に床が水で覆われて行くのをシンジはただ呆然と見つめている。

シンジには何も感じない。足元を見なければ、気圧の変化で起きた耳の奥の不快感がなければ、何が起きているのかにも気付かなかったろう。

ふと、校課を知らせるチャイムが鳴るのが耳に入る。遠く、消防車のサイレンが近づいて来るのが聞こえる。高く昇った太陽の日差しも、遠くに見える木々が風に揺れているのも、いつもと同じ風景。視界の端に、小鳥がそばの鉄柵に止まるのが見える。

だが、シンジのすぐ周りでは、目に見えない強力な力と力のぶつかり合いが行われている。周囲の12人のチルドレンが、二人を圧し潰す力場を形成している。そしてその中心で、相手の力場を押し返す為の力を、アスカが展開している。圧し合い、押し返す力場の衝突は、その場の空気に変化を与える事なく、また二人を圧し潰す事もなく既に拮抗を保っている。
12人の力による力場を一人で抑えながら、しかしアスカは涼しげな顔をしている。焦りも力みもない。眼を閉じたまま静かにゆったりと立っている。

「ふっ、さすがは惣流・アスカ・ラングレー君。12人掛かりの攻撃にもびくともしないとは。成程これがキミの自慢の「シールド」か。恐れ入ったよ」
少年がさも感心したようにつぶやいている。彼にも、全く力んだ所がない。
「でも、これだけだよ、キミに出来るのは。いまも「跳躍」はブロックしてある。キミ達に逃げ場は無いんだ。まあ、いつまで保つのか、ゆっくり見物させてもらうよ」

アスカはそれに何も答えない。ただ眼を閉じている。

そっ、と心配そうにシンジがアスカの顔を覗き込む。
その時、つないだアスカの左手から、シンジに何かが流れ込んでくる。
アスカが、誰かに声を掛けているイメージ。アスカの中にある、あるイメージに語り掛ける姿。
「!」
驚いてアスカの顔をもう一度覗く。
アスカの相手は、広い公園の真ん中に立つ大木の根元に座り込んでいる少女。


(あの娘だ!)








薄暗い部屋。
間接照明の灯りが、その二人を映し出している。
デスクに両肘をつき、口の前で両手を組んでいる男。
短く刈込んだ黒い頭髪、もみあげからつながる顎髭。
赤色の色眼鏡の奥の瞳は何を見つめているのか。

その男の斜め後ろにたたずむ初老の男。
すっと背筋をのばし、後ろ手に組んだ胸を張る姿勢。
「やつらも本気だな、碇。どうする、これから?」

二人が見つめているのは、発令所の様子を伝えるモニター。次々と状況の変化を知らせるオペレーターの声がスピーカーから聞こえる。

碇と呼ばれた男は、組んだ両手の下で笑う、唇だけ。








新武蔵野市第2中学校、校舎屋上。
アスカは黙ったまま。ただ眼を閉じている。

シンジは右手でアスカの左手を握ったまま彼女の横に立っている。
自分の周りで、何かとんでもない事が起きていることは推測出来る。
相手の少年の言うことがぼんやり頭の中に浸透していた。
アスカにより発生される力場は強力で、そのため相手の力はシンジには何の圧力も不安も与えていない。冷静に考えれば圧倒的な力関係であるはずの目の前の状況は、しかしアスカの能力にとっては何でもない事なのだろう。
だが、相手の少年の言葉には確かに嘘はない。アスカの得意な「跳躍」はいまだブロックされている。

(第三新東京市まで「跳ぶ」つもりだったけど……)

恐らく、現状ではまず無理だろう。それはアスカ自身がよく分かっている。
同じ能力者同士が接触し対峙した場合、その能力を中和し無効化するのが戦闘時において最も重要かつ有効な手段なのだ。アスカ自身、自分がそうであれば真っ先に取るであろう戦法。もちろんこの場合、能力のレベルの差が物を言う事はいうまでもない。その意味では、惣流・アスカ・ラングレーは世界でもトップレベルの能力者なのだ。相手が二・三人ならば、まず間違い無くアスカに分があったであろう。
しかし。だからこそ12人掛かりの力場を軽々受け止めながらもアスカには分かるのだ。自分の「跳躍」を「ブロック」しているのが一人や二人では無い事が。彼等が全力で自分達を阻止している事が。そして、このまま膠着状態に陥る事の不利を、数々の経験からアスカは悟っている。

アスカの左手を握ったまま。シンジはこの状況にはとても似合わない、緊張感の無い表情で辺りを伺っている。それが分かったところで、もちろん、彼には何も出来ないのだが、なにしろ相手は12人もいるのだ、自分達二人を相手に。いくらなんでも、常識的に相手に分がありすぎるのは間違いない。シンジは、もう何度目になるか自分でも分からないが、隣の少女を覗き込む。

その時、つないだ手を通して、アスカの思考がシンジに流れ込んでくる。サイキックなつながりはまだ続いている。

<大丈夫。心配しないの。安心してまかせときなさい、バカシンジ>

「わ、分かったよ。アスカ」
シンジは声に出して言う。
アスカはそれには答えずに彼方に「声」を掛ける。
そして、そのやりとりが同じ様にシンジにも流れ込んでくる。

<レイ……ちょっとそっちには「跳べ」そうもないわ>
すぐに、「声」が帰ってくる。
<……無理よ。7人掛かりでブロックしてるもの……>
(なんで人数まで分かるのよ。そんな事まで「見える」の?本当に謎だらけね、ファーストって。)
<とにかく。このままいる訳にもいかないわ。どっかで、体勢を立て直さないと。いくらアタシでもいっぺんに12人の相手は無理だもん。どこかいい場所ない?長距離は無理だから、この市内でいいわ>
綾波レイの答えは帰ってこない。アスカは、じっと彼方に意識を集中する。仕方なく、アスカが透視しようとした刹那、綾波レイの「声」が帰って来る。
<葛城部長が、ここがいいだろうって……>
そういってレイから送られてきたのは、場所を示す作戦コードナンバー。
<ちょっと!こんな番号なんか送られてきても分かる訳ないじゃん!!んもう、これだから困るのよ、ミサトもいいかげん「跳躍」しやすい指定の仕方を覚えてよね、全く!!レイ!アンタの「眼」貸しなさい!!>
憤慨したアスカが叫ぶ。それに答えて、
<まって。今、アスカに送るから……>
該当する場所を探っているのだろう。レイの「声」が少し途切れ、今度はしっかりしたイメージが送られてくる。
新武蔵野市の西方のはずれ。再開発地区。取り壊しを待つ廃ビル。その映像まで届けられる。アスカはそのイメージを心にクリッピングする。いつでも、それに意識を向ければ「跳べる」様に。
<オッケー。ここに「跳ぶ」わ>
<でも、ブロックが……>
<平気よ、レイ。一秒だけ干渉お願い>
<干渉?>

レイが聞き返す。それに自身満々にアスカが返す。
<そう、一秒でいいわ>
<分かったわ>


言下にそれは起こった。
二人を取り囲む12人のチルドレン。その中の一人の少女が突然スイッチの切れた人形の様に屋上の床に落下し、水音を立てる。そのまま身動きもしない。
「!」
やりとりの全てを、つないだ手を通して聞いていたシンジがまたしても目を見張る。
綾波レイが、その少女に「思考の塊」をぶつけたのだ。
「思考の塊」−そのほとんどが、街で拾った雑念である。
それを自らの能力で圧縮し、相手の頭に直接投げつける。
ちょっとしたいたずらの様な攻撃。
ちょっとしたトラップ。
通常の人間ならばいざ知らず、本来、訓練を受け経験を積んだ能力者ならば、まずかかる事の無い幼稚なトラップなのだ。
だが、その少女は12人の中で一番年齢が幼く、経験も未熟だった。攻撃に対する集中と仲間との同調に心をとられ、他の事に気をまわす余裕が無かったのだ。綾波レイは、過たず敵の一番弱い部分を見抜き、そこを衝いたのである。
ぶつけられた少女は、突然頭にあふれたその雑念にショックを受け、一瞬気が緩んだ。
緩んだと同時にアスカとシンジに向けた彼女の力場が消失する。水が一杯に溜まった容器の水底の水栓を抜いた様に、元々12人分の力を受け止めていたアスカの「力」が抵抗のなくなった隙間を通りその少女に集中してぶつかったのだ。無防備では、ひとたまりもなかったろう。

(多分)
綾波レイは一人つぶやく。寂しそうに、顔をしかめる。
(この娘はもう、駄目かもしれない……)

そして、それはシンジだけでなく敵の残り11人にも影響を与えた。
何が起きたのか瞬時に理解できず、落下した少女を全員が見つめ、そのほんの瞬間、アスカへのマークが緩む。「無くなった」のではない。「緩んだ」のだ。
待っていた瞬間。
自分の「力」へのブロックが薄くなる瞬間。
ほんの瞬き一つの間だったかもしれない。
しかし、惣流・アスカ・ラングレーにとっては、それだけで充分だったのだ。
<サンキュー、レイ>
レイに「声」を掛けると同時に。11人がそらした意識を二人に戻した、その目の前で。


二人は屋上から姿を消していた。








さっきまで二人を取り囲んでいたチルドレンは、呆然として二人の消えた痕を見つめる。
まさか12人対一人の圧倒的な攻撃の最中に、しかもブロックしたはずの「跳躍」で逃げられるとは、彼等は思いもよらなかったのだ。
能力者は、ともすればその持てる能力の為に自我が増大しやすい。力が大きければ大きいほど、強力であればあるほど、その能力に対する自負も強くなり、それが自身の存在理由を肯定するための後押しをする。特に彼等少年少女の年齢ならばなおの事その依存度が高まる。
それだけに今眼前の結果が、相手との圧倒的な能力の差が、彼等にショックを与えた事は想像に難くない。

だが、リーダー格の少年は違った。彼は瞬時に我に返り冷笑を浮かべ、すぐさまチルドレンに指示を出す。彼等に緊張感を戻す為の、少し強めの口調。
「サチコはトレース、急げ!残りは結界を張れ!新武蔵野市全域だ。どうせやつらはこの市内にまだいる。同時に「跳躍」のブロックも続けろ!それからノブ、お前はミチエを診ろ」
全員に声を掛けた後、少年は空を見上げ、薄く笑う。
「……どうせ、袋の鼠だよ、アスカ君」

「渚」
背後から少年を呼ぶ。振り向かなくとも、それがノブであることが知れる。
「どうだ、ミチエは」
ノブは抑揚の無い声で報告する。
「だめだな。生きてるだけでも儲けもんだろうよ。チルドレンとしてはもう使えないな」
少年−渚カヲル−はノブに振り返る。
「そうか。まあいいさ。とりあえず、後方に「送って」おけよ」
「分かった。……ところで渚、あいつは何者なんだ?」
「間宮シンジ君の事かい?ふふ。気になるか?」
見ようによっては非常に中性的な魅力に溢れる笑顔。しかし、仲間の誰もがその笑顔の意味をよく知っている。獲物を見つけた猫科の動物の笑み。そして、渚カヲルがこの笑みを浮かべるとき、彼がその獲物を逃した事は一度も、そう今まで一度としてないのだ。
ノブはその渚カヲルの笑みから目をそらし、答えない。だが、それを気にすること無く、
「さすがはネルフのチルドレン。さすがは世界のトップレベルだよ。惣流・アスカ・ラングレーも素晴しい。そして……」
次第に目を細める。
「ファーストチルドレン、綾波レイ。干渉したのは彼女だね、恐らく。ふふ……ふ、素晴しい。全く気が付かなかったよ、あれだけの力場に、僕に気付かれる事なく楽々入り込んでくるとはね。そして、覚醒していないとはいえ、サードチルドレン。素晴しいね、全く。そうは思わないかい?」
改めてノブに振り返る渚カヲル。
「?」
ノブにも、残りのチルドレンにも、彼の意図するところは掴めない。
再び空を見上げながら、彼は誰にともなく言う。
「間宮シンジ君、か。僕は、キミの思考が全然読めなかったよ。無意識の結界か、よほどの精神力の持ち主なのか……全く、驚愕に値するよ。能力者でない人間に自分の思考波がはじかれたのは、これが初めてさ……シンジ君、後で会えるのを楽しみにしているよ」

そしてその笑みを浮かべたまま、振り返る。



「どうだ、見つかったかい、ふたりは?」






NEXT
ver.-1.00 1997-09/08公開
ご意見・感想・誤字情報などは ishia@hk.nttdata.net まで。



次回予告
ついに切って落とされるチルドレン同士の戦闘。
圧倒的な戦力差にアスカが取る戦法とは。
そして起動される決戦兵器とは。
傷つきながらも戦うアスカを見てシンジの中で何かが起る。
次回、Episode/少年−シンジ−の場合 Stage 4
「戦闘」



 ishiaさんの『Episode/少年−シンジ−の場合』 Stage 3、公開です。
 

 まず序盤戦。

 精神面ではシンジの、
 戦いではレイのサポートを受けて、アスカの判定勝ち。

 Stage 4ではいよいよ本格的な力のぶつかり合いになりそうですね。
 

 アスカが・・・
 シンジやレイのサポートを受け入れていますね(^^)

 ”自分”の勝利に固執していた本編EVAのアスカと異なり、
 余裕を感じます・・・

 シンジとの出会いがアスカの心に安心感をもたらしているのも(^^)です。
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 国境を越えての感想メールを送りましょう!


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