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風が、身をかすめた。
ここの風は、来る度にその印象を変える。
ある時は生温かく、身体に纏わりつくようであり、
ある時は身を切るように厳しい冷たさを持っていた。
僕は顔を上げた。そのまま空を見上げる。
ここの空は、けして晴れ渡る事はない。
常に雲に覆われ、真昼でも暗く、湿った印象を持たせる。
・・・・・これが、かつて栄華を誇った巨大都市のなれの果てなのだ。
見渡す限りの廃虚を見つめ、僕はそんな感慨にふける。
・・・・・旧東京。
かつての日本の首都に、僕は居た。
今僕が居るのは、”池袋”と呼ばれていた地域。
駅。
デパート。
電器店。
書店。
雑居ビル。
いかなる建物も、”震災”の魔手から逃れる事は出来なかった。
人々の阿鼻叫喚。
瓦礫の下敷きになった者。
業火に焼き尽くされた者。
その地獄絵図がほんの15年前にこの地で展開されたのだ。
一瞬、過去の幻影を垣間見たような気がして、僕は慌てて頭を振った。
そして手元の本に再び目を落とす。
けして読んでいて楽しい物ではないけれど、読まないわけにはいかない。
これは僕の義務だった。
僕の、碇シンジの、義務。
もしも神が居るとすれば、何故彼は僕にこの運命を与えたのだろうか。
何度も、何度も、繰り返す疑問。
けして、答えの出ない問題。
思考の袋小路に入り込み、そして再び気を取り直して本の方へと意識を移す。
その時、僕の意識が何かの気配を捕らえた。
さほど遠くない所に感じる、人外の気配。
僕に対する敵意を、はっきりと感じる。
やがて僕の目が、気配の正体を映した。
かろうじて原形をとどめた、かつての証券ビル。
そこの屋上に、それは居た。
それは、僕の予想と違わず、悪魔だった。
しかし以前僕が襲われ、”覚醒”のきっかけとなった悪魔達とは、
微妙にその姿を異にした。
その体は150センチぐらいだろうか。
頭部は猛禽のもの。
人間に酷似した胴体と、両腕の鉤爪、巨大な翼は、あの悪魔と同様だった。
”悪魔”といっても皆同じ姿をしているわけではない。
悪魔の中でも様々な種が存在し、その能力、外見も様々だ。
あの時の悪魔は、一般的に、こちらの世界で”下位悪魔”(レッサーデーモン)
と呼ばれる種で、召喚師に従えられる事も多い。
今僕の見ている悪魔は、今迄に見た事の無い種だ。
しかし外見から判断するに、下位悪魔よりも能力は劣るようだ。
僕はそれだけ確認すると、本に目を落とす。
それきり悪魔の事を意識から追い払う。
「グケッ、ケーッ!」
悪魔が、奇妙な叫びをあげながら、ビルの屋上から身をおどらせた。
ばさっ、ばさっ。
その翼を羽ばたかせ、重力の束縛から逃れる。
自分の事を無視した僕に対して腹を立てたのか、それともチャンスと
思ったか、意外なほどの速度をもって地に縛り付けられた僕へと接近する。
来たか。
尋常な人間なら恐怖に身を震わせる状況も、僕には何の感情も与えなかった。
「ケェェーッ!」
再び大気を震わせる怪鳥の叫び。
それと共に振るわれる右の鉤爪。
悪魔は、血飛沫をあげて倒れる僕を想像しただろう。
しかし。
キィィーン!
瞬速をもって振るわれた爪は、僕に触れる直前で停止していた。
不可視の壁。
十分すぎる余裕をもって完成した僕の魔術が、あっさりと敵の
第一撃を弾いていた。
そして第二撃を放つ事は出来なかった。
そいつには、半端な物ではあったけど、知恵があった。
その知恵が、命取りとなった。
野生の獣なら本能が危険を伝える相手とはけして戦わない。
しかしそいつは、なまじ知恵があったために、僕の外見に騙され、その本能に
身を委ねる事が出来なかった。
そうして、自らが絶対に敵わない存在に手を出してしまったのだ。
視線を本に置いたまま、僕は右手を伸ばす。
そして人差し指で、
ちょい、
とそいつに触れた。
それだけで、そいつは肉体の全ての原子結合を崩壊させ、塵と化した。
悲鳴をあげる暇さえない。
僕は何事もなかったように、黙々と本を読み続けた。




 


僕のために、泣いてくれますか

 

第七話


 

 

左手首の腕時計は、午前二時を示していた。 丑三つ時。 逢魔が刻と同様に、人に非ざるものに出会う時間。 いつのまにか僕は、深夜になるとこの旧東京へと来る事が習慣になっていた。 何冊かの魔道書をその手に抱えて。 第三新東京市と、この旧東京とを隔てる距離は、僕にとって何の意味も 持たなかった。 何百キロ離れていようと、それどころか何光年離れていようと、僕の身体は あっさりとその距離を飛び越える事が出来る。 万が一にも他人に、自分が魔法使いである事を知られる訳にはいかない。 しかし魔術の訓練は僕に必要不可欠だった。 その点、この旧東京は訓練場として最適の場所だった。 僕は毎晩ここで、魔術の学習をしていたのだ。 睡眠欲は、なかった。 魔法使いとして目覚めたあの日から、僕の肉体は睡眠を必要としなくなった。 それのみか、飲食までも不要になった。 いかに魔法使いでも、人間には違いない。 本来なら睡眠も、飲食も人間の生理として必要なはずだ。 ミサトさんも、惣流も、人並みに、いや人並み以上によく食べ、よく眠る。 しかし僕にはそれらは不要のもの。 身体に満ち満ちた魔力が、僕の正常な人間としての肉体を限り無く不死者のそれへ 変質させていた。 首を刎ねられても死なず、即座に再生し得る人間が、ここにいる。 これが喜ぶべき事なのかどうか、いまだに僕には分からない。 ともかく僕は、毎晩毎晩この旧東京で魔術の訓練を----正確に言えば 魔力を制御する訓練を行っていた。 他人に見つかる心配は皆無で、しかも魔術の練習相手は豊富にあり、居た。 瓦礫を集めて生き人形(ゴーレム)を作る事もあった。 炎の魔法で襲い来る悪魔達を蹴散らした事もあった。 旧東京中の空を飛びまわった事もあった。 本を読んで、そこにある魔術は全て試し、悪魔達が用いた魔術は全てすぐ その場で再現した。 その繰り返しで僕の魔力も、魔術も、日増しに高まって行く事になった。 すでに自分が本気になった時、どれだけの力を引き出せるのか想像も つかない。 自分で言うのもなんだけど、まさに天才としか言いようがなかった。 ぺら。 ページをめくる。 難しい単語や言い回しが幾つも出て来て、僕の頭を悩ませた。 どんなに魔術師として天才的でも、IQそのものは以前と変わらない。 人並み以下ではないと思うけど、僕は特別頭が切れるというわけでは なかった。 ・・・・・・なになに? うんどうまさつりょく?、せいしまさつりょく? せいげんは?、いそう? りそうきたい?、もるひねつ? ・・・・・・・・・・・・・・・。 魔術を使う際には、物理学の知識をもある程度は必要とされる。 そして僕が、英語の次に苦手なのが、理科の授業だった。 何故科学と全く相反する学問である魔術に、物理学の知識が要求されるのかは、 説明すると長くなる。 しかし、出来るだけ簡潔にまとめてみよう。 それには魔術、というものがどういうものなのか、という事から理解する 必要がある。 まず、僕達の住んでいるこの世界というものは、様々な”法則”によって 成り立っている。 いわゆる物理法則、というやつだ。 重力によって引っ張られているから林檎は木から落ちる。 空気中を波が走るから音というものを聞く事が出来る。 子供でも知っている理屈だ。 しかし魔術、というものは、この物理法則そのものを無視してしまうものなのだ。 もう少し違う言い方をしよう。 魔術というものは、物理法則そのものを、一時的、局所的にではあるものの、 書き換えてしまう力なのだ。 普通の人間にとって、物理法則とはけして覆す事の出来ない絶対のものだ。 例えば飛行機の発明によって人は重力の呪縛から脱したが、それとても ”浮力”という法則に従い、利用した結果に過ぎず、重力そのものを封じた訳ではない。 人は大宇宙の定めた法則にのっとり、いわばルールを忠実に守りながら 生き続けている。 ところが魔法使いは違う。 彼らにとっては宇宙の法則すらも絶対ではない。 質量保存の法則を無視して(書き換えて)無から有を作り出す。 エネルギー保存の法則を無視して何もない空間に炎を生み出す。 いわば”ルールの外”に生きる存在なのだ。 どうしてそんな事が出来るのか、何てことは僕にはわからない。 というよりも、歴史上その命題に答えを出した人物は居ない。 結局、答えなどないのだろう。 [1+1=2] を証明する事が不可能なのと同じ事だ。 ともかく、魔法使いは物理法則を自在に書き換える事が出来るのだ。 そして書き換える以上、その書き換える対象である物理法則をある程度は 知っておくに越した事はない。 これが、魔術の学習に物理法則の知識が必要となる理由だ。 拙い説明ではあったけど、少しは分かってもらえたろうか? ついでだからこの際、もう少し魔法について掘り下げて説明しよう。 魔法は、このように凄まじい力を持つものだ。 しかし、僕達のこの世界では、魔法は一つの文化を形成してはいるものの、 文明を形成するまでには至っていない。 僕達の文明は、科学をその基とする物質文明だ。 人々の生活を支えているエネルギーは魔力ではなく電力であり、高度に 発展した工業は、地球全体に深刻な被害をもたらしている。 何故か。 それは、魔術という学問の、その閉鎖性にある。 前にも説明した事と思うけど、学びさえすれば誰にでも扱える科学の力とは 異なり、魔術はそれ自体を学んでもその力を振るう事は出来ない。 魔法を扱うには、基本となる魔力が必要不可欠なのだ。 そして、その魔力を有しているのはごく一握りの人間だけ。 これが、魔術が科学に駆逐された理由だ。 ちなみに、ここで魔法に関する用語を説明させてもらうと、 ”魔術”という言葉は、魔法を扱うために学ばなければならない知識の事を 言う。 ”魔法使い”という言葉は魔法を使う才能を持っている者、すなわち魔力を 有する者の事を言う。魔術を知らず、魔法そのものを扱う事が出来なくても こう呼ばれる事になる。 ”魔術師”という言葉は魔力を有し、そして魔術を学んだ者の呼称となる。 ただしこれらの言葉は法律によって厳密に定められた定義であって、 一般的にはさほど区別して使われる事はない。 キュン! 突如として、鋭い音が大気を震わせた。 反射的に身を翻す。 一瞬間に合わず、僕の身体は槍に貫かれていた。 光の槍。 魔術によって作り出された、眩く光る槍状の武器が、正確に僕の心臓を 刺し貫いていた。 「ちっ!」 舌打ちすると同時に消滅する槍。 傷は一瞬にして再生した。 振り向いた僕の目に映る、4体の魔影。 僕に気配を悟られずにここまで接近するなんて・・・・・・・・・・。 敵に対するちょっとした感嘆の念が頭をかすめる。 先程倒した悪魔の仲間ででもあったろうか。 巨大な鳥を思わせるそいつらは、魔術による攻撃をきっかけとして、いっせいに 僕に襲い掛かって来た。 「・・・・・・・・。」 す、と僕は目を細める。 僕は喧嘩とか、戦いとかは嫌いだ。 少なくとも14年間、ずっとそう思っていた。 しかし今僕の血は熱くたぎり、心の奥底から歓喜が湧き上がる。 男というものは皆こういうものなのかもしれない。 きゅう。 無意識の内に唇の端が吊り上がる。 こんな自分を嫌悪しながら、止められない自分が居る。 「ケェェーッ!」 最も早く僕の元へ辿り着いた一体の悪魔が、先程の悪魔の如くその爪を 振るう。 ボン! 爪が僕の身体に傷を付ける直前、悪魔の腕はその肩口から爆発、消失した。 苦痛に悶えるそいつ。 僕に近づこうとしていた他の三体の悪魔達は、それを見て恐怖を覚えたか、 空中で急停止をかけた。 そして3つの口から奇妙なイントネーションの言葉が漏れた。 肉弾戦を避け、魔術による攻撃に切り替えたらしい。 お手並み、拝見といこうかな。 僕は悠然と敵の魔術の完成を待った。 魔術の一つが、完成した。 足元にこそばゆいような感触が現れた。 しだいにそれは足の裏から足首へと到達する。 束縛の魔法か。 そいつは僕の足を大地に縛り付けようと試みていた。 「・・・・・・・・・。」 ちょい、と右手の人差し指で右足の太股に触れた。 僕の両足の束縛は解けた。 次の魔術が、完成した。 何も起こらない。 いや、起こらないように見える。 しかし僕ははっきりと魔術の結果を認識していた。 巨大な顎が僕の目の前に迫る。 しかし目には見えない。 悪魔は、見えざる顎を生み出して、そいつに僕の身体を食らわせようと しているのだ。 その顎を消滅させようとして、僕はふと悪戯っ気を起こした。 消滅させるのはやめ、まさに僕の身体に牙を立てんとしたそいつに、僕は ”命令”を与えてやった。 次の瞬間、そいつはその身を翻し、自らを生み出した悪魔の方へと突進して 行く。 「グケッ!」 悪魔の戸惑いの叫び。 ぞぶり。ぞぶり。 悪魔は、自ら生み出した擬似生命体に、体の一欠けらも残さずに貪り 食われた。 最後の魔術が、完成した。 その瞬間、僕の視界は暗闇に閉ざされた。 僕の聴覚は失われた。 それのみか、触覚、味覚、嗅覚をも無くなった。 悪魔は、僕の五感を全て封じ込める魔術を使ったのだ。 外部との接触を全て断たれた獲物を殺すのは、容易い事であるはずだった。 しかし。 しゃらくさい。 僕は、この辺りか、と見当を付けた当たりに、左腕を突き出した。 ずぶっ! 手応えあり。 再び五感を取り戻した僕が見た物は、僕の腕に腹部を貫かれ、信じられない、 という顔をしている悪魔の姿だった。 ぱああああああっ。 貫いている左腕が、眩い光を放った。 その光に飲み込まれ、その悪魔は消滅した。 「・・・・・・・・・・・。」 僕は、無言。 残っているのは、五体満足の悪魔が一体と、片腕を失った悪魔が一体。 しかし二体とも、既に戦意を喪失していた。 その目にあるのは、先程までのぎらついたものではなく、純粋な恐怖。 彼らも、ようやく自分達が相手をした者の正体を知ったらしい。 ばさっ。 二体が同時に、その翼を羽ばたかせた。 逃げるつもりか。 果たしてその通りで、そいつらは猛烈な勢いで互いに逆方向へと飛び去ろうとする。 ・・・・・・・・・・・・。 逃がさず、とどめを刺そうと振り上げる右腕。 しかし、少しの沈黙の後、僕はその腕を下ろす。 その隙に遥か遠くへと逃げ去って行く悪魔達。 僕は、人間だ。 溜め息をつく。 すでにこちらを傷つける意志の無い相手を殺すわけにはいかない。 例え相手が悪魔でも。 僕の身も心も支配していた熱いたぎりは、憑き物が落ちたように失われていた。 「・・・・・・・・・・・。」 ふと気付くと、東の空が白み始めていた。 旧東京にも、朝は訪れる。 厚い雲に空が覆われていようとも。 そろそろ、帰ろうかな。 もう少し時間の余裕はあったけど、これ以上ここに居ても、あまり意味はないと 思った。 帰ろう。 僕は地面に転がった本を拾うと、住み慣れた第三新東京市へ帰るべく、 精神を集中させた。 「おっそーい!バカシンジ!もっと早く迎えに来なさいよ!」 「しょ、しょうがないだろ。ミサトさんがなかなか起きてくれなかったんだよ。」 「そんな事が言い訳になると思ってんの?学校に着いたらゆっくりと 締め上げてやるからね!」 「か、勘弁してよ惣流。今日のお弁当は惣流の好物ばかり入れたからさ!」 「だあめ。あんたはまだあたしの下僕としての心構えが足りないみたいね。 一度徹底して調教しないとやっぱ駄目ね。」 「そ、そんなあ!」 こうして、僕の、碇シンジの一日は始まりを告げる。


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ver.-1.00 1997-09/12公開
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 河井さんの『僕のために、泣いてくれますか』第七話、公開です。
 

 魔法の練習にいそしむシンジ。

 ぞっとする様な凄みと
 戦いへの喜び・・・

 魔力がそうさせたのか、
 元々の物が顕在したのか・・・
 

 ラストシ−ンにちょっとホッとしました(^^)
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 貴方の感想をメールに乗せましょう!


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