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 鈍い振動が響いてくる。
 遠くで響く銃声。
 そして、悲鳴。
 だが少年はそれに頓着する事は無かった。
 ただ、頭を抱え、無気力に座り込んでいる。
 その瞳には何も映ってはいない。
 ただ、居るだけ。
 少年は自問しつづける。
 何故、僕は生きている?
 何故、僕はここにいる?
 何故、カヲルを殺した?
 何故、僕が生き残った?
 そして答えは返ってこない。
 ただ、思う。
 もうどうでもいい。
 生きているのも嫌だ。
 いっそ殺して。
 少年は望む。
 閉塞と、絶望と、虚無の世界を。




  『翼音』 Ver.S






 戦略自衛隊の部隊がNerv本部に突入して、まだ数分しか経っていない。
 だが、すでに職員の大半は射殺され、本部接収は時間の問題である。それ程、
この施設は対人防衛システムを持っていなかった。
 そして、今。
 葛城ミサト三佐は走っていた。
 セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーは弐号機に乗せて湖に隠し
てある。時間の問題だろうが、運が良ければ助かるだろう。
 戦自は初号機を確保しようとしているらしい。
 だがパイロットはまだ確保していない。
 パイロットがいなければ、初号機だけを確保しても無意味である。だが彼ら
は、チルドレンの抹殺を至上命令にしている節がある。
 だから走っていた。
 現状を打破する力。エヴァを動かす事の出来る少年を求めて。



 もういやだ…。
 なぜ、僕が生きているの?
 カヲル君…。
 君が生きるべきだったんだ。
 僕には何の価値も無い。
 君の方が、ずっと生きるべきだったんだ。
 どうして殺した?
 僕が、なぜ殺した?
 アスカも、綾波も、ミサトさんも。恐い。
 僕は生きるべきじゃ無いんだ。
 もういやだ。
 もういいんだ。
 早く殺して。
 僕を殺して。
 ここから僕を消して。
 僕がここにいる意味なんて無い。
 もう何もしたくない。
 放っておいて。
 僕はもうどうでもいいんだ……。



「奴等、初号機との物理的接触を断とうとしている?」
 携帯している無線機から時折入ってくる情報。ミサトはそれを頼りに、状況
を把握しようとしていた。
「早いとこシンジ君を見つけないと、やばいわね」
 マガジンを替え、ミサトは走り出した。



 シンジはただ座り込んでいた。
 何かをする気力は沸かない。
 時折聞こえてくる悲鳴と銃声。
 それすらも、彼の心を動かさない。
 そして彼の頭部に冷たい、硬い何かが押し付けられた。
「サード発見。これより排除する」
 事務的な言葉。感情を感じさせない、最後の言葉。
「悪く思うなよ、坊主」



【葛城三佐!弐号機機動!!アスカちゃん生きてます!!】
 無線機の向こうから聞こえてくるマヤの声。
「アスカが!?」
 ミサトは一筋の希望が見えた。そう思った。



 ジオフロントでは巨人が暴れていた。
 エヴァ弐号機である。
 そしてその内部では、チルドレンたるアスカが快哉を叫んでいた。
「あんたらなんかに!!負けないのよ!!!」
 求め続けた母が居る。傍にいる。
 それが分かった時、アスカは目覚めていた。
 戦自の武装では弐号機にかなう訳も無い。
 それが分からない訳でも無いはずなのに、彼らは弐号機に挑み、そして破壊
されていく。
 すべてが沈黙に包まれる。
 アスカは空を見上げた。
 そこには9体の白い鳥が宙を待っていた。
「エヴァシリーズ…完成していたの?」
 それがエヴァだと、アスカには理解できた。
 そして、それが自分の敵だという事も。



「こんのぉぉぉ!!」
 アスカは叫んでいた。
 内臓電源はあと1分で切れる。
 そうなればエヴァは動かない。それまでに、9体の量産型を叩き潰さなけれ
ばならないのだ。
 エヴァは全力で動く。
 そして順調に数体を破壊していた。



「シンジ君!」
 ミサトはシンジのいる場所に走り込んだ。
 アスカが生きている。
 そして戦っている。
 そこに初号機が参加すれば、この現状を打破できるかも知れない。
 だが、そこで彼女が見たのは倒れているシンジの姿だった。

「シンジ…君?」
 ミサトは自分の声が遠く聞こえた。
 恐る恐る近寄っていく。
 シンジの体の周囲は紅い液体で満たされていた。
 それが血だという事にすぐに気付く。
「シンジ君?」
 それがシンジだと、ミサトは確認した。
 そして、彼女が遅かった事にも。
「シンジ……君」
 碇シンジ。サードチルドレンは頭部を撃ち抜かれ、完全に絶命していた。
「いやぁぁああぁぁぁああぁぁぁ!!!!!!!!!」
 ミサトの絶叫が響く。



「あと一体!!!!」
 アスカが絶叫とともに量産型が携えていた槍を投げつける。
 槍に貫かれた量産型。
 そして同時に弐号機が停止した。
「…間に…あった…?」
 アスカはほうっと安堵の息をついた。



「シンジ君…?シンジ君!シンジ君!シンジ君!シンジ君!シンジ君!シンジ
君!シンジ君!」
 ミサトは呆然としながらシンジの名を呼び、そして体を揺すっていた。
 しかしシンジの体は既に人間から『物』へと変化していた。どこか重たい、
ただの肉塊に。



 大地に這いつくばる量産型。
 だがその口元が卑らしい笑みに彩られた。
 起き上がる。
 再生する。
 それはエヴァ本来の姿。
「なっ!?」
 アスカはその様を見た。
 そして動こうとする。しかし弐号機は動けない。
 宴は始まったばかりだった。



 シンジの頭部は完全に破壊されていた。
 脳だけでも取り出して延命する手段はある。それを警戒したのか。
【量産型がまだ動きます!アスカちゃんが!!】
 マヤの悲鳴が無線機から響く。
 だが、もうどうしようもない。
 シンジは死んだのだ。
 だがその時。ミサトの耳に『声』が聞こえた。

 もういやだ…。
 なぜ、僕が生きているの?

 生きていたい…。

 カヲル君…。
 君が生きるべきだったんだ。
 僕には何の価値も無い。

 それでも生きていたい。

 君の方が、ずっと生きるべきだったんだ。
 どうして殺した?

 彼が望んだ。

 僕が、なぜ殺した?

 彼が望んだ。

 アスカも、綾波も、ミサトさんも。恐い。

 でも、懐かしい。

 僕は生きるべきじゃ無いんだ。

 でも生きていたい。

 もういやだ。
 もういいんだ。
 早く殺して。

 でも生きていたい。

 僕を殺して。

 でも生きていたい。

 ここから僕を消して。

 いやだ。

 僕がここにいる意味なんて無い。

 でもここにいたい。

 もう何もしたくない。

 何も出来なかった。

 放っておいて。

 僕を愛して。

 僕はもうどうでもいいんだ……。

 僕は…。


「なに!?これは…何!?」
 ミサトが叫ぶ。


 僕は誰?
 僕は何?
 何故ここにいるの?
 僕は誰?
 僕は何?
 僕は誰?僕は何?僕は誰?僕は何?僕は誰?僕は何?僕は誰?僕は何?僕は誰?
 僕は何?僕は誰?僕は何?僕は誰?僕は何?僕は誰?僕は何?僕は誰?僕は何?
 僕は誰?僕は何?僕は誰?僕は何?僕は誰?僕は何?僕は誰?僕は何?僕は誰?

 どうして僕はここにいたの?



「ここはもういい!次に行くぞ!」
 初号機はベークライトで覆われていた。
 人の力ではもはや排除する事は出来ない。
 そして今は、その機械を利用する事も出来ない。
 どうしようも無い。
 その筈である。
 だが巨大な震動が彼らを襲う。
「何だ!?」
「ぶ、分隊長……あれ…」
 隊員の一人がベークライトの固まりを指差す。
「な!!」


【初号機起動!!葛城さん!!】
 マヤの叫びにミサトはようやく我に返った。
「初号機起動!?どういう事!?チルドレンは乗ってないのよ!!」
【分かりません!プラグも挿入されてないのに……う、動きます!!】
 鈍い震動をミサトも自覚した。


 …守りたいんだ。
 …逢いたいんだ。
 …生きていたいんだ。
 …傍に居たいんだ。
 …でも生きているのが嫌なんだ。
 …どうでもいいんだ。
 …どうして?
 どうしてそう思える?
 ここが僕の世界。
 ここは僕の世界。
 ここが僕のあるべき場所。



「い、いやぁぁぁあ!!!」
 エヴァシリーズ達が続々と立ち上がる。
 そして卑らしい笑みを口元に浮かべ、近づいてくる。
 本能的な嫌悪を抱かせる、その姿。。
 だがアスカの願いむなしく、弐号機は動かない。
 エヴァシリーズは羽を広げ宙に舞った。



 バキバキバキバキバキ。
 すでに硬化しているベークライトを砕き、初号機は立ち上がる。
 そして歩き出した。


【初号機が射出口に向けて進行中。…MAGIが勝手に発射システムを起動さ
せています!!】
 マヤの叫びが無線機から漏れてくる。
 だがそれを聞くべき存在。葛城ミサトは自身を覆う現実にまだ呆然としてい
た。
 目の前には血まみれになり、頭部を破壊された碇シンジの遺体がある。
 だが声はまだ聞こえる。


 いやだ。もう生きているのはいやだ。

 でも生きていたい。

 どうして僕がこんな目に遭うの?

 僕にしかできなかったから。

 もうどうでもいいんだ。

 そんな事無い。

 みんな死ぬんだ。

 そんな事無い。

 僕がなくなればいい。

 ここにいたいんだ。

 もう、どうでもいい。

 良くはない!

 良くは無いんだ!


【初号機が射出されました!!】
 マヤの絶叫。
 それはミサトを包む声の絶叫と同時だった。



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!!」
 アスカは絶叫していた。
 電源が落ちているエヴァだが、彼女は今限界までシンクロしていた。
 つまり、エヴァに与えられたダメージは現実的に彼女を苛んでいるのだ。
 白いエヴァシリーズは弐号機の体をついばもうとしていた。
 すでに両腕に食らいつかれている。骨が露出しているのが自分でも分かる。
 そして激痛。
 だがアスカはそんな中でも、闘志を失ってはいなかった。
 いや、激痛に対し、強烈な復讐心が芽生えていたのかも知れない。
「殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してや
る。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺して
やる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺し
てやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺
してやる!!!!!!!」
 アスカの絶叫。
 エヴァシリーズは卑らしい笑みを浮かべたまま、空から急降下する。
 弐号機を喰らう為に。
「殺してやる!!!!!!!!!!」
 再び響くアスカの絶叫。
 エヴァシリーズが弐号機に触れようかという瞬間、それは吹き飛ばされた。
「エヴァ………初号機?」
 アスカは呟く。
 紫色の機体。それは見慣れた初号機の姿だった。



【初号機、エヴァシリーズと接触!】



 アスカの目には、あの初号機が映っていた。
 シンジが乗っているだろう、初号機。
 また、助けられた。
 それが彼女に屈辱感を与える。
 くちびるを強く噛む。
 腕が震える。
「何よ!!何しに来たのよ!!あんたは!!!」
 だが初号機からは何も反応が返ってこない。
「あたしを無視しようっての!?いい度胸じゃない!!バカシンジのくせ
に!!!」
 初号機は弐号機を見た。
 そして上を見る。
 エヴァシリーズは滑空を始めていた。
 迫るその姿。
 一瞬の間。
 そして槍が初号機を貫いた。
 動かない初号機。
「シンジ!!!!!」
 その時、初号機は吠えた。



 たわむ足。
 引き伸ばされる体。
 初号機は飛んでいた。
 体中を槍に貫かれながら。
 その高度は空を飛ぶエヴァシリーズすら超えた。
 空を飛ぶエヴァを捕まえると、そのまま地上に引きずり落とす。
 咆哮はやまない。
 そしてシリーズの体を引き千切った。
 血が、初号機を赤く染める。
 その体の中心にあるコア。初号機は躊躇う事なく、それを潰す。
 アスカは気付く。
 初号機の目が笑っている事に。
 その口元に、笑みが彩られている事に。
「シンジ……?」
 アスカは知らない。
 初号機には、誰も乗っていない事を。
 アスカは知らない。
 シンジがすでに死んでいる事を。



 数体のエヴァが初号機を囲んだ。
 そして食らい付く。
 食いちぎられる初号機の身体。
 だが初号機はそんな事に構わずに別のエヴァシリーズを捕らえる。
 そして引き千切る。
 それを繰り返す。
 さながらそれは共食いの様相を呈していた。



 既に初号機はその肉体の大半を食われていた。
 骨は各所で露出し、筋肉の大半を失っている。
 だが、それでも初号機は立っていた。
 そして、咆哮していた。



「…レイ」
 ゲンドウがセントラルドグマに立っていた。
 傍らには綾波レイが。
「役目を果たせ。お前はこの時の為に生まれた」
 ゲンドウの低い声。
 レイは頷き、そして歩みを進めた。
 だが、その歩みが止まる。
「……レイ」
 ゲンドウは見る。
 レイの身体が崩れるのを。
「……時が無い。お前の身体を形造るA.Tフィールドが弱まっているのだ」
 レイは頷き、そして磔にされているリリスを見つめる。
 その時、背後から声がかけられる。
「あなたがここに居るのは分かっていましたわ」
「赤木博士」
 ゲンドウはゆっくりと振り向き、そして自分に銃口を向けている女性を見つ
めた。
「…今は忙しい。何の用かね」
「何を今更!私の用件は理解なさっているはずですわ。司令」
 吐き捨てるような口調でリツコは銃を向ける。
「計画は最終段階に入っている。君は何を望む」
 ゲンドウは冷たくリツコを見下ろしていた。
「私の望みは、あなたの死ですわ!!私を利用し、そしてもうその価値が無い
から、あっさりと棄てる!!だから、殺すの!!」
 リツコがゲンドウに向けた拳銃の引き金を引いた。
 発射される弾丸は、ゲンドウの胸に向かって飛んで行く。
 ゲンドウの体に弾丸がめり込む様を、リツコは夢想した。だがそれは叶わな
い。
 輝く不可視の壁が弾丸を弾いたと知った時、リツコはゲンドウの横に立つ少
女を睨み付けていた。
「レイ!!」
 リツコの憎しみの目にも、レイは何の表情も浮かべない。ただリツコを見下
ろしていた。
「…赤木君。君には失望した」
 ゲンドウの言葉と同時に、発砲音が響く。
 そしてリツコの体は崩れ落ちた。
「…レイ、時間が無い。始めろ」
 肯くレイ。
 だが、突如その足が止まった。
「……碇君?」
 レイはじっと上を見上げた。
 そこには何も見えない。
 だがレイはじっと上を見ていた。
 静かに宙へと舞い上がる。
「レイ!!」
「駄目…碇君が…呼んでる…」
「レイ!!」
 ゲンドウの叫びも聞こえないのか、レイはそのまま上昇を続けていた。
「お前の役目はこれからなのだ!!何をするつもりだ!!」
「最後のシ者が顕現したんですよ」
 ゲンドウの背後からかけられた、皮肉混じりの声。
「誰だ!!」
「最後の試者」
 にこりと笑って一礼する人影。
「ば……馬鹿な!!貴様は……」
「そう。渚、カヲルです」
 そこには確かにシンジの手によって殺された17使徒、タブリスの姿があっ
た。



 突如エヴァシリーズの動きが停止した。
 次々と膝を折り、初号機を中心に跪く。
 いや、跪いている相手は初号機では無いようだ。
 初号機も跪き、その上に光り輝く者が浮かんでいるのが見える。
「…なんなの?」
 小さくアスカは呟く。
 既に息は絶え絶えになっていた。
 失血が彼女の体から力を奪っていた。
 ただ見る事しか出来ない。
 その光り輝く者を見た時、アスカは自分が涙を流している事を気付く。
「どうして…泣いているの?」



「最後の試者だと?」
 ゲンドウが小さく呟く。
「ええ、そうです。そして綾波レイ、彼女は顕現した最後のシ者に引かれてこ
の場を去ったんです」
 皮肉な笑みを浮かべ、カヲルは言葉を続ける。
「あなたのシナリオでもなく、ゼーレのシナリオでもありません。これは、あ
の方のシナリオです」
 にやりと笑うとカヲルも上昇を始める。
「何処へ行く」
「あの方の所へ」
 短い言葉のやり取りの間に、ゲンドウは上の状況を理解した。
 そして呟く。
「…馬鹿な。サードチルドレンを殺したと言うのか…老人達は」
 それは彼にとって予想外の事態であった。
 唇を強く噛む。
 それは、彼の望んだシナリオの崩壊を意味していたから。



 翼音が響く。
 『彼』はその背に、6対の翼を羽ばたかせていた。
 静かな表情を浮かべたその瞳は、まだ開かれてはいない。
 まるで何かを待っているかのように、じっと佇んでいる。
 ゆっくりと下から上昇してくる者がいた。
 綾波レイである。



「…まさか…彼が死んだのか…?」
 冬月は小さく呟いた。今、彼の目の前に広がるモニターに移る『光り輝く者』。
その姿はかつて『碇シンジ』と呼ばれた少年の姿をしていた。
 その背に6対の光り輝く翼を持ち、瞳は閉じられている。
 そしてそんな彼の周囲を、王者に対するかのように、エヴァシリーズが跪い
ている。
「…最後の…シ者…か」
 彼は一人呟く。
 あの『光り輝く者』の存在は、彼らが15年の年月をかけて変えようとして
いたシナリオが全て、崩された事を示しているのだから。



「…碇君……」
 レイは彼の正面にまで上昇していた。
 そして対峙する。
 今彼女の目の前には、かつて彼女が守ろうとした少年の姿をした『何か』が
いる。
「…綾波」
 その瞳が開く。
 そこにはレイと同じ、紅の瞳があった。
「我が前に最初の試者あり」
 口調が改まり、レイを呼ぶ。
「我が前に最後の試者あり」
 さらにそう告げる。と、レイの横にカヲルが現れる。
「…我が周囲に使者あり」
 エヴァシリーズが一斉に頭を垂れた。
「……そして、我、最後の至者なり」
 シンジ、いや、最後の至者の双眸が真紅に輝いた。



「最初の試者…か」
 冬月は思う。
 かつて、人が世界の覇者として君臨していた15年前。
 その時人類は南極で『最初の使者』と出会ったのだ。
 そしてセカンド・インパクトを起こす事によって使者を葬り去り、時間を稼
いだ。
 『最初の試者』を生み出す時間を、である。
 使徒は試者であった。
 次世代を担う生命体の代表。それが試者である。
 そして最初の使者を模り、生み出されたエヴァシリーズ。
 彼らは試者に対する為の人類の牙であった。
 かつて、他の可能性が人類に試者を向けたように。
 18番目の可能性。それが人類。
 だが人類はこの地上にその版図を広げた。
 人類こそ、次世代を担う生命体であった筈だ。
 そう信じたからこそ、碇ゲンドウのシナリオにも乗ったのだ。
 ゼーレのシナリオに乗り、ユイすらも失って。
 生み出されたレイは、人類の試者としては不完全だった。
 その力は不安定であり、最初の人類に近すぎた。
 アダムより生み出された18の可能性。
 その最初の人類に近付きすぎたレイは、力こそある物の人を人たらしめる心
に乏しかった。
 そして人類は同時に、もう一つの計画を進めていた。
 人類の未来を決める者を、目覚めさせない事。
 もしくは、自分達の意志で操れるようにする事。
 碇ゲンドウは発見した。
 『至高なる者』を。
 情報を徹底的に操作し、彼は至者を己の息子として育てる事にしたのだ。
 記憶を操作し、植え付ける。
 それにより、最後の至者は『碇シンジ』として行動していたのだ。
 イレギュラーだったのは、ゼーレにそれを報せなかった為にサードチルドレ
ンを殺害させてしまった事か。
 彼は人間としての死によって、その本来の意志を取り戻してしまったのだか
ら。
 いや。
 元々、人間に御しきれる者では無かったのかも知れない。
 冬月は静かにそう考え、自嘲した。




「…最後の試者よ。汝が答えを」
 至者の言葉に、カヲルが答える。
「…継続を」
 その言葉に頷き、至者はもう一人の試者を見る。
「…最初の試者よ。汝が答えを」
 その言葉に、レイが答える。
「……継続を」
 一瞬、その紅の瞳が揺れる。
 だが、至者は無感動にそれを見ているだけだった。
「……我、至者が最後の選択をせん」
 静かな言葉。
 だがその言葉は、凄まじいまでの威を周囲に与える。
 かつて、人であった頃の碇シンジとは比べ物にならない程の意思の圧力。
 至者が言葉を発する。

「…再生を」




 世界がLCLに還元されていく。
 羊水の如く。
 いや、LCLは世界の羊水だった。
 人も自然も、何もかもがLCLへと還元されて行く。
 それは総てが形作られる以前の姿だった。
 そして星その物も、マントルや地殻すらも再生されていく。
 その姿をじっと見詰める3つの視線。
 至者と二人の試者である。




 無への回帰。
 それは私の願い。
 無限連鎖する私の魂を、何も無い『無』へと還元する。
 それだけが、私の望み。
 今、私の眼下には私の望んだ無がある。
 全てが還元された、無。
 命の源であり、何も無い物。
 この蠱惑に私は抗えない。
 静かに、LCLと降下していく。
 もうすぐだ。
 もうすぐ、私は無へと回帰できるのだ。
 この胸に沸き立つのは歓喜。
「…駄目だよ、綾波」
 静かな言葉。
 私は振り返る。
 そしてそこに見る。
 至者として顕現した、あの人を。だがその瞳は、私の知るあの人と同じ優し
さがあった
 私が守りたかった。
 一つになりたかった。
 そして、愛しかった。
 碇シンジという、少年。
「…碇君」
 私はそう呼んだ。
「駄目だよ、綾波」
 静かな瞳。何かを吹っ切ったその穏やかな表情は、私を止める。
「君は…人類なんだ。たとえ、人以上の力を持っていようとも」
 優しく微笑む。
 その笑顔は至者ではなく、人間だった頃の碇君の笑顔だった。
「…君は、生き残るべき存在だ」
 はっきりと、そう告げられる。
 そして私は意識を失った。





「…良いのかい?」
 背後に立つカヲル。
 その言葉の意味も、シンジには分かっている。
「…僕は……選択を間違えたかな」
 自分の腕に抱えた綾波レイを見る。
 その姿は試者ではなく、ただの少女でしか無かった。
「やり直す訳じゃない……世界を移すんだ」
 破壊の前に。
 全ては決まった。
 次世代を担う生命体は決したのだ。
 エヴァも必要無い。
 そんな未来を。
「君たちは望んだ」
 ゆっくりと微笑む。
「そして、僕も望む」
 だから、再生を。
「でも、彼女達は君を覚えてはいないよ」
 再生後は、彼は存在できない。
 人類として生まれたレイは、再生後も人類として生まれるだろう。
 人類として生まれたアスカは、再生後も人類として生まれるだろう
 だが。
 碇シンジは、いなかったのだ。
 人類と言う種の歴史の中に、碇シンジという人間は。
「……それでも……」
 LCLと化した人間や自然の願い。
 それはシンジの中に溶け込んでいた。
「…創造主としての、責任かい?」
「そうだね」
 カヲルはゆっくりとため息をついた。
「僕も別の種だから、再生は出来ない。まあ、二人でのんびりと過ごすかい?」
 その笑みは、あの時シンジに向けた笑顔と同じだった。
 人間だったシンジに向けられた、好意の笑顔と。
「永遠と呼べる程の時間を」








 翼を広げる。
 光が結晶化した翼は、不思議な音をたてて羽ばたく。
 彼は見ていた。
 ただ、無言で。
 小さな惑星のその中に、陸地がある。
 そして一人の少女がじっと、身動ぎもせずに横たわっているのだ。
 そして、泣いている。
 彼はゆっくりと少女の傍へと降り立つ。
 そして、羽ばたく。
 少女は光の翼に覆われ、そして消える。


 再生の為に。








 LCLの中にある少女の心。
 傷つき、生きる事を拒絶してしまっていた少女の心。
 少年は静かに語りかける。
「選択を」
 未来を得るか?
 何も無くなってしまった世界を生きるか。
 それとも、再生する世界を生きるか。
 そして、このまま再生せず消えるか。
 少女は拒絶する。
 少年は静かに心を溶け込ませる。
 かつて、少女を囲んだ人間達の心を。
 少女は泣く。
 そして選択する。
 少年はその翼で少女を覆い、そして消えた。

 再生の為に。











「…100年くらい、君がいなくてもどうにかなるさ」
 タブリスは呟く。
「……綾波レイも、惣流・アスカ・ラングレーも、今はただの人間だ。だから
…」
 君は耐えられるかい?愛する人間達の死に。
「僕らは永遠に在り続けるだろう。でも、彼女たちは寿命ある存在だ」
 静かなその紅の瞳。
「彼女たちは思い出すかも知れない。ずっと昔の、もう一つの自分達を」
 彼女達は、果たしてそれに耐えられるか?
「それは…誰にも分からない、か…」
 彼の眼前には、一つの巨大な水晶が浮かんでいた。
 そこに映るのは、一人の少年の姿。
「命は続いているんだ。人の想いも」
 それは、彼の口癖でもあった。
「そうだったね、シンジ君」












「で、あんたはどうしてそう、優柔不断なのよ!」
「仕様が無いだろ!どれも美味しそうなんだから!」
「…私、これ」
「レ、レイ。あんた早過ぎよ!!ちゃんと選んだの?」
「…ええ」
 小さなケーキ屋で、3人が騒いでいる。
 無論、惣流・アスカ・ラングレーと碇レイ。そして碇シンジである。
 どうって事のない、普通の時間がそこにある。
「…あ〜!」
 突然、シンジの声が上がる。
「何するんだよ!アスカ!」
「何って…ちょっとつまみ食いしただけよ」
「ちょっとって…半分以上持って行ったくせに、ちょっとだなんて…」
「………私も」
 横からレイも、ヒョイと持って行く。
「…レイまで…」
 もぐもぐと口を動かしている二人を見て、シンジは肩を落とす。
「…いーじゃないの。ほら、あたしのも少し分けたげるわよ」
 ひょい、とシンジの皿に乗せられるケーキ。
 レイもシンジの皿に乗せる。
「あ、ありがと」
「ふ、ふん」
 そっぽを向くアスカと、無表情にケーキを食べるレイ。
 だが二人とも頬が赤い。
 照れているのは、一目瞭然だろう。
 そんな二人を、シンジは嬉しそうな、優しい瞳で見ていた。





 どうして、私は彼の事を気にするんだろう。
 家族だから?
 違う。
 ずっと昔から、私は彼とこうしていたかった。
 そんな気になる。
 ずっと前から、彼を知っている。
 私は最近、そう思う。
 そう、思える。



 …どーして、あたしはこんな奴の事が気になるんだろう。
 初めて会った時から、何故か初めて会った気がしなかった。
 まるでずっと昔から、知っていたような気になる。
 そして今確かに分かる事は、あたしは、ずっとこうしていたいと思っていた
事。
 理由も無く、あたしはそう思う。





 空を見上げる。
 シンジの癖だ。
 レイとアスカには何も見えないが、シンジは良く空を見上げて泣いていた。
 理由は分からない。
 尋ねても、答えてはくれない。
 だが、泣いているシンジはとても嬉しそうに笑っていた。
 だから、それ以上聞く事も無かった。
 そして彼女たちは気付かない。
 光の翼が、自分達を優しく包んでいる事に。
 世界を包んでいる事に。






祝福を、世界に。

祝福を、彼女達に。





『翼音』Ver.S 了




ver.-1.00 1997-11/05公開
ご意見・ご感想、誤字脱字情報は tk-ken@pop17.odn.ne.jp まで!!

 ども、読んで下さった方、有り難うございます。Keiです。
 翼音もこれで終わりです。一応は。
 はあ。取り敢えずは一段落、と。
 前作であるVer.RもVer.Aも、この話の為の伏線でした。
 とは言え、本来の予定とは少し異なりますが(笑)
 私的補完もこれで終了しましたし、また読み切りの人に戻るとしましょう。
 それでは、また、いずれ。


1997年11月3日脱稿  Kei

 Keiさんの『翼音Ver.S』公開です。
 

 Keiさんの私的補完、
 いやいや、私も補完していただきました(^^)
 

 彼女達を包む光る翼。光の翼。

 最初と最後の試者の言葉と
 至者の決断。
 

 その後時間が
 また物語を感じさせますね(^^)  

 さあ、訪問者の皆さん。
 浮かんだ言葉をそのままKeiさんに贈りましょう!


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