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『願いはかないますか?』
第2話 転校生は天災少女  Bパート



「おはよう、トウジ、ケンスケ」
 朝。レイとシンジはいつも通りに登校した。
 昨夜の落ち込んだ雰囲気も、シンジからは微塵も感じられない。
「おはよーさん、シンジ」
「や、おはよう。二人とも」
 ケンスケがカメラを向ける。シンジとレイ。その背後にもう一人の姿があっ
た。
「あれ?惣流さんじゃないか」
「どないしたんや。自分ら」
 シンジとレイの背後には、アスカが立っていたのだ。
「いや、アスカの家がさ。僕らと同じマンションの同じ階だったんだよ」
「ええー!?」
 トウジとケンスケが同時に叫び、アスカを見る。
「何よ」
 不満気な表情で二人を睨み返すアスカ。
「シンジも大変やなぁ。こーんな性格ブスが同じマンションやなんて」
「な、な。シンジ。彼女の部屋ってどんなだった?彼女の普段着姿とか、見た
のか?」
 まさに肉迫、とでも言う程二人がシンジに迫る。レイはそんな二人をシンジ
の背後からじっと見ている。
 その表情は動かない。その視線は揺れない。
「そう言えば…シンジ。『アスカ』って呼ばなかったか?」
 ケンスケがふと、思い付いたように口にした言葉に、トウジが頷いた。
「せや。昨日までは惣流さん言うてたやろ。なして急に『アスカ』になるん
や?」
 二人はしばらく考え込み、そしてトウジがふと顔を上げた。
「まさか……昨日何かあったんか!?」
「…そう言う事か!つまり、昨日二人で出かけた後……」
 二人が勝手にエスカレートして行く。その様をシンジは半ば呆然とした形で
見ていた。
 だが、さらにその背後で不穏な空気が動いた。
「あんたら!何好き勝手な事言ってんのよ!!」
 アスカである。
 すでに可憐な美少女の仮面は捨てたものの、彼女自身が掛け値なしの美少女
である事は事実である。
 そんな彼女が怒りに形相を歪ませ、トウジとケンスケを睨み付ける様は、
中々に豪快であった。
「なんや、もうブリっ子はお終いかいな。ふん、そっちが本性なんやろ!」
 トウジが毒づく。瞬間、パシィッと乾いた音が教室に響く。
「な、な、な、何すんねん!!」
 アスカはちょっと赤くなっている右手をぷらぷらと振りながらトウジを睨み
付けた。
 トウジの左頬には見事な程真っ赤な紅葉が貼り付いている。
「レディーに失礼な口をきいた罰よ!当然の報いよ!」
 アスカが悪びれない表情でトウジを見返した。
「何やとぉ!?」
「鈴原!今のは鈴原が言い過ぎよ!」
「ひ、ヒカリまで、そないな事言うんか?」
 突如、トウジとアスカの睨み合いの間に割り込んできた少女。トウジはその
少女の言葉にアスカへの攻撃の中断を余儀なくされる。アスカに向けていた剣
呑な雰囲気は即座に打ち消され、どことなく情けない、逆らえない雰囲気を漂
わせる。
「ナイス。委員長」
 シンジが呟いた。二人の間に割って入ったのは洞木ヒカリであった。
「そーよ、そーよ」
 ヒカリの援護に気を良くしたのか、アスカは余裕の表情で相槌を打っている。
「惣流さんも、いきなり手を出す事は無いじゃない」
 が、ヒカリに睨まれ慌てた表情でヒカリに喰ってかかる。
「ちょ、ちょっと。あたしの味方してくれた訳じゃ無いのぉ!?」
「私は、委員長として揉め事を仲裁しているだけよ!」
 ヒカリの視線にアスカはしばらく対抗しようとし、そして敗北した。何を言
おうとも、手を先に出してしまったのは自分なのだ。
「わかったわ…確かに、手を出したのは悪かったわよ…」
「鈴原!」
 ヒカリはアスカが謝るのを確認すると、そっぽ向いていた少年を向き直らせ、
催促する。
「…わーったわい。悪かったな、失礼な事言うて」
 トウジとアスカが渋々、本当に渋々謝りあう。
「それでいいのよ。ね、惣流さん。私の事はヒカリって呼んで」
「え?」
 突如変わる態度にアスカが一瞬呆然とする。
「さっきはゴメンね。でも委員長としてはどちらかに偏るのっていけないから…」
 ヒカリが謝っている事にアスカは気付く。そして、自分にも謝らせた理由に
も気付いた。
「ううん、確かにそうよね。あ、あたしの事はアスカでいいわ。惣流って言い
辛いでしょ?」
「え…うん、ちょっと、ね」
 アスカの親しげな言葉に少し戸惑ったものの、ヒカリはすぐに彼女と打ち解
ける。
 そして、それは他の女子と打ち解けると同義語だった。
 昨日までの美人に対するブーイングはどこ吹く風。さばさばしたアスカの性
格に、同性は好感を抱いた様子である。
 異性は…アスカの性格に難を感じ引く人間と、それでもあのルックスは捨て
難い!とあきらめない人間。そして、我関せずを実行する三種に分類された。
 碇シンジという少年は、…無関心に分類された。

「シンジー。手伝ってよー」
 アスカがシンジにそう頼む風景は珍しく無かった。だが、シンジはそれらを
やんわりと断っていた。すべて。
「それ位、一人でできるだろう?」
 実際、ゴミ捨てに行くだけの事なのに、何故手伝いが必要なのだ。
 シンジはそう思っているし、他の女子もそう思っていた。
 特に、アスカはシンジに必要以上に近づきすぎである。女子の反感はないが、
それでもシンジに近づかれるのは面白くない。
「何よー。いいじゃないの」
 頬を膨らませ、むすっとした表情でシンジを睨む。そんな顔をしても、彼女
の美しさは損なわれない。むしろ、可愛らしさが出ていた。
「そんな顔しても駄目だよ。行ってらっしゃい」
 シンジはそんなアスカににこやかに笑って手を振るのだった。



 朝。碇家ではいつもと違った風景が展開されていた。
「…レイ?準備は出来た?」
 シンジがレイの部屋のドアをノックする。
「…ええ」
 ドアが開き、レイが姿を現した。シンジは制服に身を包んでいるのだが、レ
イの姿は私服だった。
 薄青色のワンピースを着、手には小さなハンドバッグを持っている。
「…じゃあ、行こうか?」
「…ええ」
 シンジとレイはエレベーターを降り、マンションのポーチをくぐる。そこに
は一台のタクシーが待っていた。
「…駅までお願いしますね」
 レイを乗せ、シンジは運転手に向かって告げる。
「駅までですね?わかりました。…君は乗らない?」
「ええ。彼女だけです。それじゃ、お願いします。レイ?気を付けて」
「…行ってきます」
 レイの言葉はそれだけ。だがシンジはにこりと笑うとドアから離れた。
 ばたむ。と閉まるドア。そして、窓が開く。
「…お母さんによろしく」
 シンジの言葉に、レイは頷いた。
 そろそろとタクシーが動き出す。シンジはその姿をじっと見送った。


 自分が一人で学校に行くのは、いつ以来なのだろう。
 シンジはそう考えながら登校路を歩いていた。
 彼の側には、いつもなら必ずいる深紅の瞳の少女はいない。
 理由は、少女の月に一回の慣行。母の見舞いの為だった。
 彼女はその時だけ、シンジの傍を離れるのだ。シンジも、その時だけはレイ
の傍から離れる。彼女と母親との少ない触れ合いの時に、その場にいられる程
無神経なつもりは無かった。
 のんびりと、傍らに寂しさを感じながら歩くシンジ。
 そんな彼は、いつもよりも気を抜いていたのだろうか。彼の背後を付ける車
がある事に気付かなかった。

「……さーってと、今日はご飯どうしよっかなー」
 アスカは軽やかなステップを踏みながら登校路を歩いていた。両親は今日は
早く帰れると言っていた。ならば、今夜の夕食は少し手の込んだ物を作ってあ
げようか。
 そんな事を考えている時、彼女の前を歩いている人影を見つけた。
「あら、あれ…シンジじゃない。」
 彼女の目の前には、一人の少年がのんびりと歩いていたのだ。それは碇シン
ジだった。
「…あの女がいないなんて珍しいわね」
 声でもかけてみようか。
 アスカがそう考え、そして実行に移そうとした時。
 シンジの横に静かに車が横付けされた。そしてドアが開き、黒服の男達が出
てくる。
 シンジはそれに気付き、離れようとしたらしい。
 だが、男達の腕はそんなシンジを掴まえ、そして車中に引きずり込もうとし
た。
「ちょ、ちょっと!あんたら!何やろうとしてんのよ!!それって誘拐じゃな
いの!!!」
 アスカが大声を出し、走り寄る。男達はその大声に振り向き、そして赤毛の
少女を認識した。
 無言でアスカに近寄る男達。
「あ、アスカ!逃げ……」
 男達の間から、シンジの声が飛び出る。だが、すぐにその声は覆い隠されて
しまう。
「ちょっと、あんた達!!大声出すわよ!!」
 アスカは車のナンバーを横目に、男達にそう告げる。後ずさりしながら牽制
していた。
 男達の足が止まったのを確認すると、アスカは走り出そうとする。そんな少
女の体をやんわりと抱きとめた者がいた。
「え?」
「ごめんねぇ。お嬢ちゃん」
 どすっ。
 アスカの腹に拳が吸い込まれ、アスカは意識を失った。
 アスカが意識を失う瞬間、人のよさそうな顔の男がアスカを見下ろしている
のが見えた。
 それが、彼女にとって最後の光景だった。


「…どうするんだ?…」
「仕様が無いでしょう…大声出されても困るんですから…」
「…ま、確かに仕様が無いんだが…」
 アスカはうっすらと覚醒する意識の中で、そんな会話を聞いていた。
 だが、明瞭な思考は頭にかかったぼんやりとした霧のような物に阻害され、
会話の意味にまで意識が及ばない。
「……ん……」
 猿ぐつわをかまされている事に今更ながら気付く。
 喉からうめき声が出る。自分の手も、足も紐か何かで縛られているのだろう
か。思うように動かせない。
 そこで初めて彼女を囲んでいる男達に気付いた。
「…んん…」
「おや。お目覚めですか?お嬢ちゃん」
 そう言って笑いかける男の顔。それはアスカに見覚えがあった。
 意識を失う最後の一瞬に、彼女の網膜に映った男の顔…!
「んんー!んー!!んんんー!!」
 怒鳴ろうとするのだが、猿ぐつわをかまされた状態では、何も言葉に出来な
い。
「ああ、あんまり騒がないで。大丈夫、お嬢ちゃんには手出ししないから」
 にこにこと笑うその男の顔は、むしろ人好きのする表情だった。
「白井。お前は黙ってろ。ようお嬢さん」
 白井、と呼ばれた男は黙って引き下がる。それ程もう一人の男の声は不機嫌
そうだった。
「…お前の命には興味は無い。こっちの用事がすんだら解放してやる」
 そう言って笑う男。
「…新城さん。笑っても恐いですよ」
 白井の茶々が入る。実際、アスカもそう思っていた。
「白井!」
「うわ、すんません」
 二人が漫才をしている間、アスカは二人の言葉を反芻していた。
(…終わったら解放してやるって、言ってたけど…信用は出来ないわね…)
 自分は彼らの顔を見ているのだ。誘拐犯人ならば、顔を見られるのは最大の
禁忌のはず。
(……誘拐…そうよ!そう言えばあいつは!?)
 アスカは自分がこうなった事の、間接的要因であったシンジの姿を必死に探
す。目を動かし、部屋中を見る。
 だがシンジの姿は見当たらない。
(…どこ?…)
 ドアがいくつか見える。もしかしたら、そのどれかに居るのかも知れない。
だが、それを確かめる術は無い。
「お嬢ちゃんには悪いんだけど…男と相部屋になってもらうから」
 白井がそう言うとアスカを抱き上げた。
「んんー!んー!んんんー!!!」
「あ、暴れないで。運ぶだけだから!落ちるって!」
 白井は暴れるアスカの体を落とさないようにバランスを取りながら叫んだ。
 ぴたり、とアスカの抵抗がやむ。さすがに受け身もとれない今の状態で下に
落ちるのは勘弁して欲しい。
「はい、良い子だね」
 白井は一つのドアを開け、その中にアスカを置いた。
「…一緒の部屋だからって、襲うんじゃないよ?」
「……そんな度胸無いですって」
 苦笑気味の言葉。そして、聞いた事のある声。
 アスカは視線を動かし、そして一人の少年の姿を見つけた。
 その少年は両手を背後のポールに縛り付けられているのか、不自由そうな姿
勢で座り込んでいる。
「…せめて、このロープを解いて欲しいな」
「お嬢ちゃんに頼みなよ」
 白井はそれだけを言うと、部屋を出ていく。
 がちゃり。鍵のかかる音。
「…アスカ、大丈夫?」
「んんんー!んんー!」
「ああ、忘れてた」
 ドアが開き、白井はアスカの口にかけた猿ぐつわを外す。そして手のロープ
だけを解く。
「不自由ごめんね、お嬢ちゃん」
「これだけやって、ごめんは無いでしょうが!!」
 外れると同時に怒鳴るアスカ。白井はにやにやと笑うと、そのまま外に出て
いってしまった。
 無論、鍵は締めて。

 しばしの沈黙が流れる。
 アスカは苛々としていた。どうしてこうなったのか、それすら分からないと
言うのに、こんな状態でのうのうとしている趣味は彼女には無い。
「ちょっと。シンジ」
「…何?」
 一人、ぼんやりとしている少年。碇シンジに声をかける。
「どうしてこうなったのよ」
「多分…と言うより、これ以上無いくらい僕が狙いだったみたいだけど?」
 アスカは足を拘束しているロープを解こうとしているのだが、なかなか結び
目が解けない事にも苛立っていた。
「アスカは間違いなく、ついで、だよ」
 にこりと笑うシンジ。アスカはその笑顔に一瞬頬を朱に染める。だが、すぐ
に別の感情によって顔を真っ赤にした。
「ついでって何よ!」
「狙いは僕だったよ。確かにね」
 シンジは軽く自嘲すると、アスカをじっと見つめた。
「アスカも、僕に構わないで逃げるべきだったんだ。そうすれば、別の手段
だってあったのに」
 シンジのその言い様にアスカの表情が変わる。
「あんたね!そんな言い方無いでしょう!!」
「でも、そのせいでアスカまで捕まってる。事態が悪化してるんだよ」
 アスカがシュンと俯く。シンジの言葉はある意味事実である。その事はアス
カにも分かっていた。
 キッドナップ(誘拐)に対処する方法は、ドイツでもよくレクチャーされて
いたはずなのだ。だがアスカはそのレクチャーの内容を、完全に無視した行動
を取っていた。
「…悪かったよ。言いすぎた」
 俯いたままのアスカに気が咎めたのか、シンジが謝る。シンジはアスカが足
のロープを解いたのを確認すると、体をすこし捻る。
「とりあえず、同じ部屋に閉じ込められたのは好都合だよ」
 シンジが後ろ手に縛られているはずの腕を前に回し、解しているのを見て、
アスカは驚く。
「あ、あんた!縛られていたんじゃ無いの!?」
「昔から良くさらわれていたからね。縄抜けは得意なんだ」
 シンジが事も無げに笑う。そしてポケットからガムを一枚取り出し、かみ始
めた。
「良くさらわれていたって…あんた何者よ」
 アスカは初めて、シンジを胡散臭げに見た。
「あんたみたいなぼけーっとした奴が、どうして誘拐なんかされるのよ!」
「…僕がぼけーっとしてるとしても、僕がNervグループの会長子息である、
という事実には何の関係も無いからね」
 シンジは視線を逸らし、吐き捨てるように告げた。
「Nervグループ……?って、あんた!」
「そう言う事。僕の父と母は学園の最高理事長と理事だよ」
 シンジはそれだけを言うと笑った。


「レイがさらわれていないのが、せめてもの救い…か」
 シンジの呟きにアスカが思い出したように尋ねる。
「そう言えば、あの女はどうしたのよ。いつも一緒にいるのに」
「レイは、個人的用事だよ。だけど、今回はそれが幸いした」
 心底ほっとした表情を浮かべるシンジに、アスカは不思議な物を見るような
視線を向ける。
「…なに?」
「あんた、自分の心配はしてない訳?」
「ああ。僕ならどうとでもなるからね」
 にこりと笑うシンジ。
「それよりも、レイを人質にされる方が痛いよ。こちらの行動が制限される」
 ドアに耳を当て、外をうかがうシンジにアスカはもう一度尋ねる。
「あんた、本当に慣れてるの?」
「………去年だけで3回。未遂を含めると20回はあったよ」
 事も無げに告げるシンジ。
「アスカ。まっすぐ、僕についてきて」
 シンジはドアの鍵の周囲に先程噛んでいたガムをくっつける。そして、時計
のリューズの一つを押した。

 ボム!

 小さいが、確かな爆発音がする。
 ドアは鍵の部分を破砕され、ゆらりと開いた。
 無言でシンジは外に出る。
 先程の爆発音に、男が駆け込んでくる。
「お前ら!」
 それが新城、と呼ばれていた男である事にアスカは気付いた。
「…すいませんが、学校がある物で…。これで失礼させて頂きますね?」
 シンジはにこやかに笑うと一歩進み出た。
「逃がすと思うか?」
「白井さん…でしたか。彼がいないのなら」
 シンジの顔に不敵な表情が浮かぶ。
「…彼女を一緒にしたのは間違いでしたよ。僕に弱みは無い」
 シンジの体がすべるように進む。
 新城が懐から何かを取り出す。
 シンジの腕が動いた。

 新城は腕に伝わる鈍い痛みに顔をしかめていた。
 懐からナイフを取り出そうとした瞬間、目の前にいる少年から先制攻撃を受
けてしまったのだ。
 ナイフは既に下に落としてしまっている。
 少年は不敵な表情を浮かべたまま、自分を見ている。
 その事が新城の癇に障った。
 殴りかかろうとした瞬間、自分の腕が何かにからめとられるのが分かる。
 少年はどこからか取り出した革の紐のような物で新城を攻撃し、そして防御
しているのだ。それは少年のベルトだった。
「すいませんね」
 シンジの体が目の前で回る。
 鋭い突きが新城の眉間に入った。


「行くよアスカ」
 シンジは新城のズボンをひざまで脱がし、ベルトで締めると、落ちていた針
金で後ろ手にした両手の親指を縛り付ける。
 それから立ち上がる。新城は気絶していた。
「あ、あんた…一体…あの爆発は…なんなのよ」
「携帯型の小型爆発物さ。リモコンで爆破できる」
 シンジの事も無げな言い方に、アスカは呆然としてしまった。
「さ、急ぐよ。白井が帰ってくる前に行かなくちゃ」
 シンジは少し焦った口調でアスカを促す。
「どうして?」
「彼が一番手強いからさ。彼がいるから、僕は逃げられなかった」
 アスカの腕を掴む。シンジはこれ以上、ここにいるつもりは無かった。
 どこかの廃工場だったのだろうか。荒廃しきった感を与える廊下をシンジと
アスカは走っていた。
「仲間はいないの!?」
「あと数人。でも今はいないよ。それに、白井より恐い人はいないようだし」
 アスカの問いにシンジは面倒くさそうに答える。
「それより急いで」
 シンジはスピードを上げる。アスカは渋々速度を上げた。


「見えた」
 シンジがそう呟く。アスカはその言葉に視線を動かした。
 そこには外へと続く出口が見える。
 この不自由な状態から脱却するための、自由への扉。
 気を抜いたのだろう。アスカが速度を落とす。
 シンジとアスカが外に出ようとした瞬間、アスカは自分の腕を掴まれた。
 見知らぬ腕が、通路の横から伸びていた。
「シンジッ!」
「え!?」
 シンジが驚いて振り向く。それ程アスカの声は切羽詰まっていた。
 そして見る。アスカの腕を掴む、見知らぬ男の手を。
「いやぁ。こんなにあっさり逃げ出されるとは、思わなかった」
 にこにこと通路から出てきたのは中年の、人の良さそうな顔をした男。
「白井……さん」
 シンジが呟く。白井はにやにやと笑ってシンジを見つめていた。
「さ、お嬢ちゃんは私が預かってますよ。どうします?」
 シンジは白井の目を見ていた。
 顔は笑っている。だが、彼の瞳には笑みは浮かんではいない。
 それは、何も映さない暗い瞳だった。
「…離してくれませんか?彼女」
「駄目なんだよね。僕らの目的は君なんだけど、顔を見られている以上、彼女
を解放する訳にもいかないんだよねぇ」
 満面の笑みを浮かべている白井。シンジはアスカに視線を移した。
 アスカは、少し青ざめた顔色だが、それでもシンジをじっと見つめていた。
 ここで泣き叫べば、シンジの選択肢を狭めてしまう。
 彼女はそれを知っていた。
「さ、どうする?」
「……………投降しろと?」
「そうだねぇ」
「……わかりました」
 シンジは最後の賭けをするつもりだった。
 白井は知らないはずだ。
 だから、これを逃せばチャンスはもう無い。
 シンジは高まる心拍数を押さえようと、必死に心を静ませようとしていた。
 深呼吸をし、目を閉じる。
 そして、脳裏に浮かべる。
 シンジにとって大切な少女の顔。深紅の瞳が自分を見ていた。
 ………必ず帰るよ。
 心が一瞬のうちに澄み渡る。一点の曇りも無い、水鏡のように。
 目を開き、一歩ずつ白井に近づいていく。
「はい、良い子だね」
 白井がシンジの腕を掴もうとした瞬間、シンジは左の手首に右手を当てた。
「アスカ!!」
 シンジはそう叫び、アスカはその意図に気付く。

 ぼむっ!!

 白井は背後からの圧力に意識を向けた。
 その瞬間、アスカを捕らえていた腕の力が抜ける。
 人間は気を抜いているときの刺激には、無意識に反応するものである。
 そして、その一瞬があれば十分だった。
 アスカは白井の腕を振り払って走り出す。
 そしてシンジは白井の鳩尾にその拳を繰り出す。
 白井の意識が混濁し、シンジは初めて一息ついたのだった。



「…さすがに…危なかった」
 シンジは近場にあった電話ボックスから110番通報をし、ため息をついた。
 横を見ればガードレールに腰かけ、アスカがジュースを飲んでいる。
「アスカ。大丈夫?」
 シンジの言葉にアスカはじっと視線を動かした。
「…なに?」
 怒られるのだろうか。そんな事を考えながらシンジが尋ねる。
 それ程、アスカは静かだった。先程から。
「………なんでも無い」
 いつもよりしおらしいアスカに、シンジはクエスチョンマークを頭に浮かべ
た。
「アスカ?やっぱり、恐かった?」
 シンジの言葉に、アスカはふっと顔を上げた。
「あんた…いつもあんな目に遭ってるの?」
「いつもって…まあ、遭遇率は高いけど」
 シンジの言葉にアスカがじっと彼を見つめる。
「…あんた、普段はぼけーっとしてるけど、いざとなると頼りになるのね」
 少し照れた口調。
「そうかな」
 シンジは、アスカの言葉の意図を掴みかねていた。
 だから気付かない。アスカの頬が朱に染まっていたのを。


 ママの国……結構良い男もいるじゃないの…。
 アスカはシンジをもう一度、こっそりと見上げてみた。
 そこには、いつもの茫洋とした表情の少年がじっと道路の先を見つめている
だけだった。
 ……うん。
 アスカは心の中で何かを認めた。そして、嬉しそうに笑う。
 シンジはそんなアスカを見て、不思議そうに首をかしげていた。



「ただいまー」
 シンジがマンションに帰り着いたのは結局18:00過ぎだった。
 警察に事情を説明し、二人の男達を逮捕。仲間の男達も芋蔓式に逮捕したの
は16時を過ぎていたのだ。
 その後、事情聴取と検査。その他諸々の機関への対応でシンジとアスカが解
放されたのはついさっきなのだ。
「ご苦労様、アスカ」
 シンジは自分の後ろを、何か妙な表情のままで歩いている少女に向かって笑
いかける。
「…あ、あのさ…!」
「ん?」
 何かを言いたげなアスカに、シンジは聞き返す。
「あの……」
 そのまま言葉を飲み込むアスカ。シンジが不審げにそんな彼女を見つめる。
 見つめられている事に気付いたのか、アスカはますます真っ赤になっていく。
「アスカ…?」
 シンジが声をかけた時、背後のドアが開いた。
「……シンジ…!」
 それは綾波レイだった。
 いつもの彼女とは少し様子が違っていた。決して乱れる事の無い、と思われ
ていた彼女の呼吸はひどく乱れ、頬は紅潮している。それは部屋からホールま
で、全速力で走ってきた事を暗に示していた。
 シンジの姿を確認すると、深く息をつく。
 そして、彼の体に触れてくる。
「…レイ。ただいま」
「……おかえりなさい」
 レイはそれだけを言うと、シンジに抱きついた。
「レイ?」
「…よかった」
 レイが何かを堪えるように、呟く。
「警察から連絡があって……それで………」
 ぐっと、レイが顔をシンジの胸に押し付ける。
「…怪我が無くて…無事に帰ってこれて…よかった」
 シンジはそんなレイに微笑みかける。
「…レイ……ただいま」
 もう一度、優しい声で。
 レイの腕に力が込められる。
 シンジはそんなレイを優しく見つめていた。
「…じゃあ、あたしは帰るわ」
 アスカはそんな二人を置いてエレベーターに乗り込んでいった。

「ただいまー!」
 アスカは自宅のドアを開ける。
 中にはアスカの両親が待っていた。警察から連絡を受け、彼らは家で悶々と
アスカを心配していたのだ。
「アスカ!大丈夫だったの!?」
「アスカ!怪我はないのか!?」
 口々に心配の言葉をかける両親。アスカは二人に極上の笑みを返す。
「大丈夫よ!パパ、ママ!じゃ、あたしお風呂に入るね!」
 娘の普段以上の明るさに、惣流家の両親はその夜、延々と悩みつづけたそう
である。



 翌日。シンジとレイはいつも通り登校していた。
「おーセンセー。昨日はどないしたんや?二人して休んで」
「ちょっと、ね」
「惣流も休みだったよなぁ」
 ケンスケが不思議そうに呟く。
「アスカは?」
 シンジの問いにトウジがひょいっと指差した。
 その先にはヒカリ達と談笑しているアスカの姿。その姿からは昨日のショッ
クは窺い知れない。
「シンジ!」
 不意にアスカの声が教室中に響き渡る。
 周囲の視線が、シンジとアスカに注がれる。トウジとケンスケも興味深そう
に二人を眺めていた。
「な…何?」
「昨日はありがと」
 少し頬を紅潮させながらアスカはシンジの前に立った。
 そして。
「!!!!!!!!!!!!!」
 シンジは自分のくちびるに、柔らかい何かが押し付けられる感触にパニック
に陥っていた。
 目の前には瞳を閉じたアスカの顔が、目一杯アップになっている。
 しばらくの間の後、アスカが不意に離れる。
 教室中に、何か言いようの無い緊迫感のような物が漂っていた。
 シンジは呆然としてアスカを見、アスカは少し視線を逸らしながら、それで
もシンジから離れない。
「あ…アスカ……一体……」
「あたしは…あんたが好き!」
 彼女は極上の笑みを浮かべて、シンジに向かってそう告げた。

 しばしの沈黙。そして。
「何ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!????」
 教室にいた殆どの人間が大声を出してしまっていた。
 騒然となる教室。アスカに詰め寄る女子や、男子。無論シンジも男子、女子
に囲まれていた。
 だが、シンジは呆然としたまま反応は無く、アスカはにこにこと笑って何も
答えない。
 レイはシンジの方をじっと見つめ、何も言わなかった。ただ、その瞳が揺れ
ている事に気付く人間もいなかったが。
 教室の騒動は収まらず、加持が来てもそれは変わらなかった。



第2話 了


第3話「君の願いを教えて欲しい」に続く



NEXT
ver.-1.00 1997-09/12公開
ご意見・ご感想、誤字脱字情報は tk-ken@pop17.odn.ne.jp まで!!

 どうも、お久しぶりのKeiです。
 約一週間のご無沙汰でしょうか。
 「願いは…」第2話Bパートようやく仕上がりました。
 シンちゃんの秘密兵器(笑)登場。どうするんだ、この話。
 アスカの天災ぶりは発揮しきれず、期待していた方々すいません。
 第3話のアップはまた少し時間がかかると思います。気長にお待ちください。

 話はこれから佳境に入ります。一応、構成はまとまりました。最終話は多分
第5話になると思います。まあ、1話毎の長さはまちまちなのですが。
 どうか見捨てずに、最後までお付き合い下さい。
 では、今回はこの辺で

           1997年9月某日  自宅にて  Kei

 Keiさんの『願いはかないますか?』第2話、Bパート、公開です。
 

 誘拐されていることに慣れているって、アンタ(^^;

 ノホホンとした普段からは考えられない事情・・・
 激しい世界に生きているんですね・・・
 あの、おじいさんはガードしてくれないの? (;;)

 頑張れシンジ!

 辛い境遇の彼ですが、
 世の中何が幸いするか分からない。

 あのアスカ嬢のハートをGET!

 「頼りになるのね、ステキ!」
 ・・・アスカがシンジに惚れる新パターンです(^^)/
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 新しいシンジ像を築いたKeiさんに感想メールを送りましょう!


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