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 それは月が輝く夜にだけ、見る事の出来る夢。
 そして月光の生み出す優しい現実。
 少女の願いと、少年の願い。
 叶えられるのは、月の輝く夜にだけ。



『月天』




 白く輝く結晶が降る。
 優しく、無音の世界が広がっている。
 そこにあるのは、ただ降り積もる雪の世界だけ。
 そんな風景をシンジは窓を開けて眺めていた。彼の耳に届くのは、雪の降る
しんしんとした音だけである。
 ぼんやりとそれを眺めると、今度は部屋の中央に置かれた椅子に座りチェロ
を取り出した。
 そして弦の調子を見、弓を当てる。
 ゆっくりと引かれる腕と共に、音色が引き出される。
 何度もそれを繰り返し、そしてシンジは顔を上げた。
 そこには一人の少女の姿があった。
 蒼銀の髪と、背後の雪に溶け込むかのような白い肌。そして深紅の瞳がじっ
とシンジを見つめている。
「…いらっしゃい」
 シンジの声に少女は微笑み返す。
「…お邪魔します」
 だがその表情は苦しそうだった。
「…具合、悪いの?」
 そんなシンジの問いにも、少女は何も言わずに首を横に振るだけである。
 ゆっくりと、シンジの傍に近付くと少女はシンジを抱きしめる。
「あ、綾…波?」
 そんな少女の行動に、シンジは思わずそう呼んでしまう。
「…ごめんなさい」
 少女はそう告げると、ふっと消えた。
 一陣の風を残して。


***


 カラン、とドアの上部に付けられた小さな鐘が鳴る。惣流・アスカ・ラング
レーという名の少女はその音に振り向いた。
「ごめん、遅れちゃって」
 そこには実にすまなそうな表情で、頭を下げている少年の姿があった。両手
には大きな紙袋が抱えられている。
「遅〜い!」
「だから、ごめんってば。人出が多くて、遅くなっちゃったんだよ」
 そう言いながら少年はコートを脱ぐ。
 手に持った荷物をテーブルに置き、少年は周囲を見回した。
 品の良い、小奇麗な造りの喫茶店である。カウンターが奥に在り、周囲に
テーブル席が三つあるだけの小さな店だ。
「やあ、済まないね。頼んだものは、買ってきてくれたかい?」
「ええ、これだけですよね?」
「…ああ、有り難う。寒かったろう?」
 無精ひげを生やした男がカウンターの奥から出てきて、少年がテーブルの上
に置いた荷物の中身を点検している。
「いえ、そんなに。今年も雪は降りそうも無いですね」
「ははっ、まあこの土地は、元々雪が降りづらい土地だからな」
 男は軽く笑うと、少年の目をじっと見詰めた。
「シンジ君は降ったほうが良いのかな?」
 ちらりとアスカの方に目配せを送る。
「加持さん」
 少年、碇シンジは苦笑しながら肩をすくめた。
「僕よりも、彼女たちの方が楽しみにしてるんですよ」
 シンジはそう言って店の奥に視線を向けた。
 そこには二人の少女が並んでキッチンに向かっている。
 赤みがかった金髪の少女と、蒼銀色の髪の少女である。
 金髪の少女は先程シンジに遅いと言った少女、アスカである。
 クォーターらしい、日本人離れしたプロポーションと整った目鼻立ち。内面
の活力が表面にまで溢れ出ているのが分かる。そして彼女はシンジにとっては
幼なじみになる少女だった。
 ぱっと見はお嬢様だが、実際はかなり口が悪い事をシンジは十数年の経験で
知っていた。
 蒼銀色の髪の少女は、綾波レイという。
 転入生としてシンジの前に現れた少女である。
 透き通るような白、とすら言える白い肌はアルピノという先天的な物の産物
であり、その紅の瞳もそれゆえだと説明された。
 あまり喋らず、表情も少ない彼女だが今の彼女は真剣な表情で包丁を操って
いた。
「指、切らないように気を付けろよ」
 加持の声に二人はそれぞれの方法で答える。
 アスカは「はーい」と返事をし、レイは包丁さばきが慎重になる。
「ところで、どうして二人がキッチンにいるんです?」
「何か作りたいんだとさ。良かったな、男冥利に尽きるじゃないか」
 にやにやと笑って、シンジの耳にささやく加持。シンジは一瞬頬を赤らめ、
それから加持を上目遣いに睨み付ける。
「加持さん」
「冗談だよ。それはそれとして、時間はまだ大丈夫だよな?」
「えっと…ええ。まだ大丈夫です」
「よし、それじゃ手伝ってくれ」
「はい」
 二人はそう言うと、並んでキッチンに入っていった。

 今日はクリスマス・イブ。シンジ達の小さい頃からの知り合いである加持
リョウジは、自分の店でパーティーをやろうと言い出していた。
 無論、その中には多少なりの心積もりがあるのだが。
 シンジ達の学校の担任は葛城ミサトという女性だった。そして彼女は加持と
は大学時代からの付き合いなのである。
 そんな彼女との時間を作ろうにも、彼女は「忙しい」の一点張りで逃げ回り
加持の誘いには一度たりとて乗るそぶりを見せなかった。
 ならば、生徒をダシに葛城を誘おうとするのも仕様が無いだろう。
 無論アスカ達はアスカ達で、そんな事情を知っているので見事に協力し、ミ
サトの出席を了承させたのだった。

「……はい、出来上がり!」
 シンジは慎重に最後のデコレーションを置き、手を挙げた。
「ご苦労様」
 加持がそう言ってシンジの肩を叩く。
「あんた、本当に上手ね。こういう事」
 アスカが呆れたとも感嘆したとも取れる口調で、完成したばかりのケーキを
覗き込んでいる。
 レイは無言でシンジに布巾を渡す。
「ありがとう」
 シンジはそう言って布巾を受け取ると、クリームで汚れた手を拭く。その間
にアスカの問いにも答える。
「慣れだよ」
 シンジの笑顔にアスカは一瞬詰まり、そして呆れた声を出す。
「あんたね。少なくとも料理とお菓子作りは別物よ」
 アスカは自分が作る菓子類の失敗策を思い返しながら、そう決め付ける。
「そう?」
「どんなに本のレシピ通りに作っても、その通りに出来た事なんか、一度も無
いんだから!」
 そう力説するアスカを見、それからシンジは自分の傍らに立つ少女に視線を
移す。
「そうなの?」
 苦笑気味のシンジの顔を見て、レイは、こくん、と肯いた。
「…学校の調理実習の時間、いつも失敗するもの」
 レイの口元に微かだが笑みが浮かんでいるのを、シンジはじっと見ていた。
 不意にレイがシンジの顔を見上げる。
「…何?」
 それはじっと自分を見詰めるシンジに対する問いだった。
 シンジはふっと微笑み、すっと指をレイの頬に当てる。そして軽く拭くよう
に動かすとレイの目の前に指を持ってくる。
「クリーム。付いてたよ」
 レイの頬にさっと朱が走る。
「……ありがと」
「どういたしまして」
 シンジはそう言うと指に付いたクリームを舐めとった。
「あ……」
 一瞬、レイの声が上がる。
「え? 何?」
 シンジがそう問いかけた時、レイは何事も無かったように無言で頭を振った。



***



「おー、遅れてすまん!」
 その声と同時にドアが開き、数人の人影が店内に足を踏み入れてくる。
「おっそーい!」
 アスカの声が間髪入れずに飛んだ。
「ごめん、アスカ。準備に手間取っちゃって」
 そう言って手をかざして謝るのは、おさげ髪の少女だった。洞木ヒカリとい
う名の少女で、アスカにとっては無二の親友と言えるだろう。
「ヒカリぃ」
 アスカがそう言って駆け寄る。
「ほんまやて。ほれ、この荷物を見いや」
 そう言ってヒカリの背後から現れた少年は、両手に抱えた荷物で正面が見え
ていないようだ。
「なに? この大荷物」
 さすがのアスカも思わずそう聞いてしまう。
「あ、料理作ってきたの」
 その問いにあっさりと答えるヒカリ。そして振り返り、背後でその大荷物を
持っている少年に話し掛ける。
「鈴原も、荷物持ちに付き合ってくれてたの」
「まあ、なあ。委員長の作る飯は美味いさかいな」
 少し照れたような口調でそう答えたのは鈴原トウジ。年中ジャージしか着て
いないような印象を与えるが、今日の彼は実に普通な格好をしていた。
「トウジも委員長には敵わないよね。いっつも」
 にこにこと笑いながら、シンジが奥から出てくる。
「女にこないな大荷物、持たせる訳にはいかんやろ」
 ため息と共にトウジは、荷物をテーブルの上に置いた。
 それが照れ隠しだと言う事を、全員が分かっていた。



***



 ゆっくりと目が開く。
 蒼い瞳がぼんやりと暗い天井を映し出している。
 まどろみの中からゆっくりと抜け出し、少女は身体を起こした。
「……今…何時くらいだろ」
 豊かな金色の髪を手で整え、音を立てないようにベッドから抜け出す少女は、
アスカだった。
 夜だと言うのに、外からは明るい光が射し込んでいた。
 昼とはまったく別種に銀光だが、それでも地上は優しく照らされていた。
「…晴れたのかしら」
 そう呟き、アスカは部屋の中を透かし見た。
 ヒカリがシーツにくるまり眠っている。その奥には伊吹とか言う赤木先生の
連れが眠っている。
「あれ…?」
 そこでアスカはようやく気付いた。
 一人、足らない事に。
「…あの子、何処行ったの?」
 そこに眠っている筈の綾波レイの姿は、何処にも見出す事は出来なかった。


 廊下の暗がりの奥に、明るい部屋があるのが見える。
 きっとまだ、加持やヒカリ達の後からやってきた葛城ミサトや赤木リツコ達
が飲んでいるのだろう。
 眠り込むまでのばか騒ぎを思い出し、アスカは口元に微笑を浮かべる。
 ゆっくりと、足音を立てないように歩き出した彼女は廊下にかかる鏡に気付
いた。
 そっと、自分の姿を映し出してみる。
 そこにはお世辞抜きで美しい、少女の姿が映っていた。
 均整の取れたプロポーションも、サラサラの髪も、白い肌も、蒼い瞳も、間
違いなくトップクラスの美少女だろう。タレントのスカウトに会う事も珍しく
ない程の。
 だがアスカは一度たりとて、それらの誘いに肯いた事は無かった。
 彼女はたった一人の少年に振り向いて貰えれば、それで十分だったからであ
る。
 碇シンジ。
 彼女にとって幼なじみであり、そして最も意識する異性。
 だが、彼は一度として彼女を恋愛の対象に見た事は無かった。
 そして転機が訪れる。
 ある日転入してきた少女、綾波レイとシンジは急速に親しくなっていった。
 今までも、彼に好意を寄せる少女は少なく無かった。だがシンジはアスカか
らの好意にすら気付かない程の鈍感振りで、それらの好意に気付く事も無かっ
た。
 しかし、綾波レイと言う少女にだけは、彼から近付いていったとすら言える。
 アスカは不安だった。
 今まで、アスカが知らないシンジは存在しなかったのだ。
 しなかった筈だった。
 だが、今。シンジはアスカの知り得ない部分を急速に増やしている。
 それが不安だった。



***



 シンジはぼんやりと屋上に立っていた。
 雪が降り終わり、雲一つ無い空には澄み渡った空気があり、そして銀に輝く
月があった。
 月光の下に、彼は立ち尽くしている。
 その美しさに心奪われるように。
 そしてその傍らには一人の少女が立っていた。
 そっと、寄り添うようにして。
 それは綾波レイという少女だった。
「…綺麗だね」
「…ええ」
 二人はそれ以上何も言わずに、ただぼんやりと月を見上げる。
 シンジは傍らに置いてあったケースからチェロを取り出した。
 レイは傍らに置いてあったケースからバイオリンを取り出した。
 そして二人は何も言わずに、目すら合わさずに己の楽器をかまえ、そして弾
き出す。
 本来なら、なんのタイミングも取らずに二人の音色が合う事は決して無い。
 だが、今の二人はそれを可能にしていた。
 重なり合う二人の音色は、ゆっくりと、優しく二人を包む。
 そしてその音は加持の店を包んでいた。



***



「…ん?」
「何よ、突然」
「いや…何か聞こえないか? ほら」
 加持が唐突に黙り、そして窓を開ける。ミサトはその横に並び、そして耳を
傾ける。
「…バイオリンとチェロの二重奏…かしら」
「そうだな。…家の屋上という事は、シンジ君か?」
「チェロはシンジ君だとして、バイオリンは誰よ。アスカは楽器は駄目だし」
「…綾波君…だな」
 加持の言葉にミサトは暫く無言でいた。
 そして肯く。
「…そうね」
「…こんな深夜に、密会か。シンジ君も隅に置けないな」
 そう言って笑う加持をミサトは呆れたように見る。
「これだけ堂々とした合奏を、密会と言うの? あんた」
「密会さ」
 加持は自信たっぷりにそう告げる。
「ここまで綺麗に重なる音なんて、そうそう無いぜ」
 加持の言葉は確かにその通りだった。
 確かに、この音色にはただの二重奏とは思えない、何かが感じられる。
「…ま、若いうちに色々経験しておくのも良い事さ」
 加持はそう言って窓を閉める。
「大人には、大人の経験ってもんがあるしな」



***



 アスカの耳にも、この音は届いていた。
「…これ、シンジのチェロと……」
 その先に気付き、アスカの足が止まる。
 この考えの先を認めたく無いのだ。
 レイのバイオリンの音、だと。
 …あたしは…。
 アスカの顔があがる。
 そしてアスカは歩き出した。
 屋上へと。



***



 二人の合奏は未だ終わらない。
 二人とも、己を包む互いの音に身を任せ、確かな何かを感じているようだっ
た。
 互いの音が、互いの心に染み込む。
 互いの想いが、言葉ではなく音となって伝わる。
 それは確かな心のつながりなのかも知れない。
 月光によって生み出された影は、黒々と屋上に広がり、そして二人の影をつ
ないでいた。




 アスカは目の前の屋上のドアを開けられずに、立ち止まっていた。
 開ければ、恐らくそこにはシンジと、そしてあの女、綾波レイがいるだろう。
 それを見るのは、嫌だった。
 それを見て、そして認めるのは嫌だった。
 シンジが自分以外の女と一緒にいるのを見るのは、嫌なのだ。
「……よし」
 意を決し、アスカはドアを少しだけ開ける。
 外にいるだろう二人に気付かれないように、そうっと。
 そしてそこから覗き見る。
 そこには、確かに二人いた。
 碇シンジと、綾波レイの二人が。
 だが、それは本当に綾波レイだろうか。
 彼女は『宙』に浮いていたのだから。
 それはまるで化生に魅入られた男の昔話のようだった。
 美しい姿をした化生と、それに魅入られた男がその化生に命を奪われるとい
う寓話。
 だが、かつて幼い頃に聞かされた童話とは違い、そこには静寂しか無かった。
「…シン…ジ」
 思わず言葉が漏れる。
 綾波レイ。彼女は何者なのか。
 アスカは初めてその事を気にしていた。



「何をしているんだい?」
 不意に背後からかけられた声にアスカは凍り付いてしまった。
「…な…渚…?」
「どうしたんだい? アスカちゃん」
 そう言って笑っているのは、渚カヲルだった。不思議そうに首を傾げ、アス
カを見ている。
「…あんた、いつ来たのよ」
「今さっきさ。眠れなくてね」
 そう言って笑うカヲルを不審そうに見つめ、そしてアスカは当面の問題を思
い出す。
「…シンジが…」
「シンジ君がどうかしたかい?」
 カヲルの言葉に、考えがまとまらないままにアスカは言葉を口に出す。
「えと…、そのレイが…」
「綾波さんが?」
「レイが…空を飛んでて…シンジが…」
 不意にカヲルがアスカの目を見た。
 紅の瞳に、アスカは一瞬見とれる。
 静かな、だが確かな意志がその瞳には込められていた。そして何処か夢幻な
瞳に射竦められる。
「夢を見たんだね」
「…夢? そんな、夢なんかじゃ…!」
「夢だよ。それは夢さ」
 カヲルの瞳から、目が離せない。そしてアスカはぼんやりと呟く。
「夢……夢だったの…?」
「そうさ。それは夢だよ……月の夜が見せる幻だよ…。さ、もうおやすみ」
 カヲルがそう言うと、アスカの身体がふらりと倒れ込んだ。
 彼女の身体を軽く支え、カヲルはアスカを抱き上げる。
「……おやすみ、アスカちゃん」
 そしてドアをじっと見つめる。
「…おやすみ、シンジ君。綾波さん」
 そう言うと、カヲルはアスカを抱きかかえ、部屋へと戻っていった。





 シンジは無言でチェロを弾く事に没頭していた。
 だから、彼をじっと見つめるレイの視線にも気付かない。
 そして最後の音色が弾き出された。
 息をつき、シンジは初めて顔を上げた。
 視線が初めて合う。
 一瞬、シンジの頬に朱が走る。
「……綾波、やっぱり上手だよね」
 そう言うと、レイは何も言わずに首を振った。
「…違う。碇君とだから…」
「え?」
「あなたとだから……この音色は出せるの…」
 レイはゆっくりとシンジに近付く。
 そして、その繊手がシンジの頬に触れる。
「綾波…?」
「私だけじゃ…きっとこんな音は出せない…」
 レイはそれだけを言うと、そっと離れる。
「…そう…、きっと…」
 それ以上、レイは何も言わなかった。
 無言の時が続く。
 ゆっくりと白い何かが、二人の視線の中を横切っていった。
「あ……」
「え?」
「…雪が…」
 シンジがそう言って空を見上げる。
 月はいつしか隠れ、そして雪がちらつき始めていた。
 レイが無言で手を差し伸べる。
「……綺麗」
 そう言って手に乗っては溶ける雪の中に、レイは立ち尽くしていた。
「…うん」
 じっとレイを見つめ、シンジはそう呟いた。
 ただ、それがレイの言葉の指す物とは、違ったものに対する言葉だったのか
も知れない。
 少女はバイオリンをケースにしまい、ゆっくりと屋上を走り出す。
 踊るように、ステップが踏まれる。
 シンジはそんなレイをじっと見つめていた。



***



 少女は走っていた。
 息が切れるが、それすらも彼女は楽しんでいる。
 長い坂を登り続ける。
 金色の髪が、階段を登る度に跳ね踊っている。
 その先に、彼女の目的地はあった。
 少しだけ薮の中を突っ切る。見通しの悪い中を通り抜け、その先に進むと突
然視界が開ける。
 それはまるで、厚い雲を抜けたようだった。
 少女はこの展望台からの眺めが好きだった。
 自分の住む家も、ここからだと、とても小さく見える。
 開放感と、そして空中にいるかのような錯覚を与えられる。
 そこは彼女の特等席だったのだ。
 誰もいない、寂れた展望台。
 誰にも忘れられた場所。
 そこを見つけたのは、ほんの偶然だった。
 だが、少女はそれ以来、毎日のように此処に来ていた。
 ここは誰にも教えてはいない。
 ママにも、パパにも、そしてあの子にも。
 だが今日はいつもと違っていた。
 少女が近づくと、人影がそこに立っていたのだ。
 少女よりも年上らしい少年。
「…だれ?」
 少女の声に、人影は初めて気付いたような表情で振り向く。
「やあ、どうやらここは君の特等席らしいね」
 にこりと笑う少年。
 それはとても綺麗な笑顔だった。
 沈む夕日に照らされ、彼女から少年の顔は良く見えない。
 でも、その笑顔はとても綺麗だった。それだけは分かった。
 そして少女は気付く。
「あれ…?…お兄ちゃんの目…」
 それはとても美しい『紅』の瞳。
 良く見れば少年の髪は銀色で、赤い夕日に照らされて赤く映えている。
「ふふっ。変かな?」
 柔らかい笑み。
 少女は首を横に振る。
「ううん。すごくきれい」
「そう?ありがとう」
 もう一度、少年は微笑んだ。
「お嬢さん、お名前は?」
 すこし気取った少年の声に、少女は答える。
「そうりう・あすか・らんぐれえ!」
「そう、アスカちゃん。良い名前だね」
 少年の答えに気を良くしたのか、アスカは尋ね返す。
「お兄ちゃんの、なまえは?」
「僕?僕の名前は……………」
 にこりと笑う少年。その顔は………。

「いやああああああああああああああああ!!」

 がばっと起き上がる。
「な、なんで、あたしの夢にあいつが出てくるのよ!!」
 少女の名前は惣流・アスカ・ラングレー。現在14歳の彼女はベッドの上で
そう怒鳴っていた。
 枕をばんばんと叩き付け、自分の見た夢に対する怒りをぶつける。
「冗談じゃ無いわよー!!」
 現在5時13分。
 まだまだ早朝である。
「しかもこんな朝早くに!!渚の馬鹿ーー!!」
 アスカの絶叫はその後、しばらく続いていた。
 隣ではヒカリがアスカの怒声に、目を覚ましていた。
「ど、どうしたの…? アスカ…」
「あ、な、何でもないの。うん、ホントにごめん。起こしちゃって」
 そう言い繕いながら、アスカはそっと視線をずらす。
 そこには綾波レイがシーツにくるまって眠る姿あった。
「…本当に良く寝るわね。昨日からずっと、寝っぱなしじゃないの? あの娘…」
 陽光が彼女達を照らすには、まだ時間が必要な朝であった。



***



 屋上で空を見つめる少年の姿があった。
 銀の髪の少年。
 紅の瞳が、じっと空を見ている。
「…今日は良い天気になりそうだね」
 渚カヲルはそう呟くと、そっと微笑んだ。
 屋上は何も無かったように、新しい雪が降り積もっている。
 カヲルは無言で屋上のドアを開き、そして屋内に消えた。
 立ち去り際に一度だけ振り返る。
 そこには一人の少女の姿があった。
 蒼銀の髪と深紅の瞳の少女。
 彼女は無言でカヲルを見つめていた。
 カヲルも、無言で彼女を見つめ返す。
 そして微笑む。
 カヲルがドアを閉めると、少女の姿もまた消えた。
 一陣の風と共に。





『月天』 Fin



NEXT
ver.-1.00 1997-12/24公開
ご意見・ご感想、誤字脱字情報は tk-ken@pop17.odn.ne.jp まで!!

ども、お久しぶりのKeiです。本当に久しぶりかも知れませんが、再開第一回は『月』シリーズ
にて飾らせて頂きました。
も、色々あったんです。マシンがトラブルわ、最後にはお釈迦になるわ…。
そんな訳でクリスマスネタ…とは言えないような気はしますが、とりあえず舞台はクリスマスなの
でこの時期に公開です。
読み切りとか言いながら、中途半端な引きが入ってますが、あんまり気になさらないで下さいね(笑)
それでは、また(多分)来年お会いしましょう。

1997.12 Kei

 Keiさんの『月天』、公開です。
 

 幻影・夢幻。

 そういう感じだった「月」シリーズに
 なにやら不思議な動きが・・・
 

 シンジと会う綾波。

 その空に浮かぶレイをアスカも目にして、
 カヲルがあやしげな術を−−。
 

 カヲルは幼少のアスカにもあっているようですし・・・
 

 謎が〜
 

 

 さあ、訪問者の皆さん。
 苦難を乗り越えたKeiさんに感想メールを送りましょう!


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