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singles




Written by だいてん


  3  


 山の向こうに隠れてしまいそうな太陽が、弱い西日を、綿雲が折
り重なる夕空へ投げかける頃になると、セミもようやくその声を静
め、代わりに草むらの虫たちが、なにやらひそひそと囁き始める。
 その声は裾野の風に乗って辺りへ運ばれ、ライトのにぎやかな市
街へも届いた。わずかな鈴の音は人の声と足音にまぎれてしまうが、
耳を澄ませば、遠く、夏の虫たちの夕べを聴くことが出来た。
 しかしゆかたの裾をつまみ、小股で駆けるアスカには、涼しい音
色をゆっくり聴いている余裕はなかった。
「あ〜ん。もう、走りにくい〜」
 マンションを出るとき、すでに6時を過ぎていた。待ち合わせの
場所まではどんなに急いでも20分近くかかる。大遅刻だ。
「まずいなぁ。久しぶりなのに」
 碇シンジの顔は、もう2週間以上見ていない。
 家でも、学校でも、いつでもでもどこでもウンザリするほど一緒
だった昔の生活からは、考えられないことだった。
 お互い働くようになり、別々の生活リズムを持つようになってし
まうと、会う機会は作りづらかった。住む場所も別。働く場所も別。
今のアスカにはシンジと結びつくものは何もない。それがアスカの
足を急がせた。
 からんころんからんころん。下駄がリズムよく、乾いた音を立て
る。
 アスカは振り返る男たちの視線を背中に受け、人混みの中を縫う
ように走り抜けた。
 ようやく、どうにか待ち合わせの場所までたどり着くと、アスカ
は辺りを見回した。花壇の縁に所在なく腰掛けているシンジを見つ
けると、胸に手を当て息を整え、ゆかたの裾と襟を正し、よじれて
しまった巾着の麻ひもを直した。最後に、わずかに姿が映っている
ビルのウインドウで髪留めを確認すると、アスカは、シンジの後ろ
から近付いていった。
「お待たせ」
 背後からの声に、シンジはぴくっと反応して振り返り、すぐに表
情をくずした。
「アスカ」
「ごめんね。待ったでしょう?」
「いいよ、仕事でしょ」
 まるで怒った様子もなく、シンジは立ち上がった。
「久しぶりね。元気だった?」
 アスカは側によると、頭半個ぶんぐらい高いシンジの顔を、あご
を軽く突き出して見上げた。
「元気だよ。アスカは?」
「うん、元気。……ねえ、歩きましょうよ!」
 アスカが手を出すと、シンジはその手を取り、指を絡めた。
 日はすっかり落ち、青黒い空にはわずかにオレンジ色に染まった
綿アメの様な雲が流れている。夕立の気配はない。人々の出足はよ
く、片側三車線のメインストリートは昼間のスクランブル交差点な
みの混雑ぶりだった。
 人波は芦ノ湖の方に向かっている。アスカとシンジは、その流れ
に乗ってのんびりと歩いていった。
「シンジ。どう? 仕事の方は。順調?」
「うん。独立してすぐにトウジが仕事をくれたからね。とりあえず、
今は毎日が忙しいよ」
「じゃあ、軌道に乗れそうなんだ」
「うーん。まだわからないよ。最初の仕事を失敗したら、それで評
判が決まっちゃうんだ。トウジたちの家を完璧に仕上げて初めて、
うちの事務所はこんな仕事をしました。って、言えるから。今が肝
心な時かもね」
「ふーん」
 アスカは隣を歩くシンジを上目使いで見た。
「なに?」
「なんでもない」
 たった二週間だというのに、アスカはなんだか、ずいぶんと長い
間シンジと会っていなかったような気がした。握る手の感触、話す
口調、ぱりっとした白シャツの下の体温。何もかもが懐かしく、つ
いつい嬉しくなって、アスカは言葉を重ねた。
  「ねえ。ふたり、元気だった?」
「元気だった。全然変わっていなかった」
「でも、驚いたわよねー。あのヒカリが、本当にあの熱血バカとくっ
つくなんて」
「僕も驚いたよ。しかも、子供までつくっちゃってさ。あのトウジ
がお父さんだよ」
「よく会うの?」
「打ち合わせで、何度か会ったんだ。あ、そうだ。来週の火曜日、
また打ち合わせがあるんだ。それで夜、トウジたちのマンションに
行くけど、アスカも来る?」
「ほんと? 行く!」
「仕事は平気? 忙しいんじゃないの?」
「うーん。大丈夫。あたしの権限でなんとでもなるから」
 得意顔のアスカを見て、シンジは嬉しそうに笑った。
「すごいよね、アスカは。たくさんの仕事と、たくさんの人たちを
動かしているんだから」
「色気のない仕事だけどね。……悔しかったら抜いてみなさいよ」
 アスカはシンジの体に軽く肩をぶつけた。
「無理だよ」
 シンジが同じようにやり返すと、アスカはまた小さなタックルを
決めた。しばらく小突き合っているうちに、いつの間にか腕と腕を
絡め、二人はぴったりと寄り添っていた。
 聞きたいことは山ほどあった。話したいことも同じくらいたくさ
んあった。それが二人ともだったから、話題はつきることがなかっ
た。
 しばらく離れていたおかげで忘れかけてしまったお互いの肌の感
触と体のぬくもりを、触れ合うことで想い出し、電話でしか聞けな
かった声を、顔を寄せることでもう一度確かめ合った。
 芦ノ湖までの長い道のりを二人は歩き、疲れると手頃な段差に腰
掛けて休んだ。お腹が空くと焼きそばやたこ焼きを買って食べ、暑
くなると、かき氷で火照った頬を冷ました。
 湖に近づくにつれ、人の数はどうしようもなく増え始めた。手を
しっかりつないでいないと、あっと言う間にはぐれてしまうくらい
シンジとアスカの周りはきゅうくつで、たまらず横道へそれた。
「すごい人!」
 アスカは着崩れしてしまったゆかたを直した。
「ホントだね。少し休もうか、アスカ」
 混んでいたりそうでなかったり、人の流れはよく変わる。二人は
空く頃合いを待つことにした。
「そう言えば、今日、トウジたちも花火へ行くって言っていたよ。
ひょっとしたら会えるかもね」
「無理ね。見てよ、このヒト、ヒト、ヒト! よくもまあみんな暇
なものだわ」
 途中でシンジにおねだりをして買ってもらった扇子で胸元を扇ぎ
ながら、アスカは「あつー」と、うなった。
 と、そこへ聞き覚えのある関西弁が飛び込んできた。
「おう、シンジと惣流やんけ」
「あ、トウジ!」
 人混みの中で背伸びをして手を挙げたのは鈴原トウジだった。ト
ウジがなにやら誰かに声をかけると、少し離れた沿道の出店から、
ゆかた姿のヒカリが顔を見せた。
「きゃー! ヒカリぃ!」
「アスカっ!」
 ヒカリは小さな子供を抱えて駆け寄ってきた。
「久しぶりじゃない! 何年ぶり?」
「何年ぶりかしら。アスカ、元気そうね!」
「ねえ、この子、ヒカリの子?」
「そうよ。ツバサっていうの」
 アスカは、機嫌よさそうに笑うヒカリの子供の顔をのぞき込んだ。
「かわいー! いくつ?」
「もうすぐ2歳よ」
「どうしてたのよ、いままで」
「それが、いろいろあったのよ! きいてよ……」
 再会に沸く女たちを横に、男二人も言葉を交わしていた。
「奇遇やな」
「奇遇だね」
「お前たちも花火か?」
「そうだけど、人がすごいから、休んでいたんだ」
「これじゃあ、せっかくのデートも台無しやな」
「そうでもないけど」
「湖の周りはもっとひどいで」
「だろうね」
 トウジは訳知り顔でシンジの肩に手を回した。
「なあ、センセ。ワシ、いい場所知っとるんやけど。教えたろか?」
 シンジが黙って二度ほどうなづくと、トウジは怪しい売人のよう
に耳打った。
 トウジが「いい場所」を教え終わる頃、女たちの会話も一段落付
いた。
「ねえ、碇君たちも芦ノ湖行くんでしょう? 一緒に行かない?」
 ヒカリがそう言うと、トウジは露骨に眉間にしわを寄せた。
「何アホなこと言うとんじゃい。お前が遊んどったら、誰がツバサ
の面倒見るんや。おら、いくぞ」
「そっか。そうよね」
 ヒカリはものすごく残念そうな顔を見せた。
「火曜日、アスカを連れて行くよ。……僕の仕事が間に合えばだけ
ど」
 シンジが声をかけると、ヒカリはすぐに笑顔になった。
「じゃあ火曜日、待っているから」
「バイバイ、ヒカリ」
 鈴原一家は手を振ると、芦ノ湖へ向かうストリートに消えていっ
た。
 完全に見えなくなると、シンジはアスカの顔色をうかがった。ア
スカはすこし、寂しい表情を見せていた。
「せっかく会えたのにね」
「まあ、また火曜日に会えるし。それに……」
「それに?」
 アスカは顔を背けた。
「今日は、シンジと、……二人の方がいいし」
「アスカ」
 思わぬ事を言われて、シンジは照れ笑いを浮かべた。
「ねえ、私たちも行きましょうよ」
 アスカは振り返えると手を差し出した。その顔は弾けるような笑
顔で、シンジは手を取り、引き寄せた。
「アスカ、こっちに行こう」
「え? シンジ。方向違うわよ」
「いいから」
 シンジは半ば強引に、アスカを引っ張っていった。

* * * * * * * * * * * * * * * *

 着いたところは、芦ノ湖から少し離れた、誰もいない小高い丘の
上だった。
 周りには何もない。遠くの民家の窓明かりと大きな月の光が、元
気良く育った夏草の影を浮かび上がらせている。
 二人がそこへ腰を下ろすと、夜空に、花が咲いた。遅れて、どお
ん! という大きな音が二人の胸をふるわせた。
「わあ! きれい」
 光の花が散り、闇に融けていくさまを、アスカは目を輝かせて見
つめた。
「トウジに教えてもらったんだ。ここ」
「そうなの? ……あの熱血バカ。昔から顔に似合わず、案外気が
きくのよね。さっきだって……」
「え、なにが」
「一緒に行こう、ってヒカリが言ったら、うまく止めたでしょう」
 シンジの顔は、一面「?」だらけだ。
「あたしとシンジの邪魔をしないように、気を使ったんじゃない。
ホントにわからなかったの?」
「そうだったんだ」
「あんたって、本当に鈍感ね。昔っから」
「しょうがないだろ……生まれつきなんだから」シンジは少しふて
くされた。「そういえばさ、さっき何であんな顔していたの?」
「え?」
 今度はアスカが戸惑う番だった。
「寂しそうだった」
 アスカは一度シンジから目をそらし、しばらく花火を見上げてか
ら、想い出したようにつぶやいた。
「……子供、いいなって思って」
「子供?」
「そう」アスカは訴えかけるようにシンジの方に体を向けた。「子
供、欲しくない?」
 シンジはあまり長い間は考えなかった。
「まだ、早いよ」
 そっけない態度のシンジを見て、アスカも肩の力を抜いた。
「そうね」
 シンジは横になるとアスカの膝の上に頭をあずけた。
「今は、アスカだけがいればいいんだ」
「……あたしも」
「ねえ、アスカ。今日、泊まりにくるでしょう?」
 アスカは返答の代わりに、膝の上のシンジの頭を抱くと、熱い唇
で彼の下唇を軽く挟んだ。シンジもアスカの首に腕を回し、二人の
影はひとつに折り重なった。
 開いては消えるあまたの花火だけが、抱き合うシンジとアスカを
眺めていた。



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ver.-1.00 1997-09/06公開
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 だいてんさんの『singles』3、公開です。
 

 2週間。
 四六時中一緒の時間を過ごしていた事がある二人。

 この2人に、この2週間は長いでしょうね。
 

 お互い仕事を持って共有できる時間は減りましたが、
 お互いを思う気持ちは・・・

 夜空を照らす花火は
 二人を、二人の心を照らしているのでしょうか。
 

 さあ、訪問者の皆さん。
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