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Project E

第十三話

「主役が最初からリードしている恋愛物語は演出不足」




 その日、街は灰色のヴェールで覆い尽くされていた。やがて来る梅雨の前触れか、第三新東京市の上空にはどんよりとした雲の絨毯が敷き詰められている。
 止めどなく降り注ぐ雨はアスファルトを濡らし、道には即席の小川をつくっていた。まとわりつくような湿気は、街とそこに住む人々の心に無言の鎖を掛けているようで、せっかくの週末だというのに空気は暗くよどんでいた。

 勿論、気象条件に全く左右されない人間も存在する。大きく分類して仕事の都合などで天候などかまっていられない人物か、それともただ単に何事にも無頓着な人物かに分けられるだろう。碇ゲンドウは自他ともに認める後者であった。
 ゲンドウの行動を制止できるものは妻のユイくらいのもので、雨だろうが、うっとおしい湿気だろうが、古来より受け継がれてきた倫理観だろうが、日本国憲法だろうが、彼の前ではいかなるものも無力同然だった。

 この日のゲンドウは外の天気とは裏腹に上機嫌であった。いつものように新聞を読んだ後、ラジオ体操をしたまでは普通だったが、天窓のセントポーリアに水をやり、台所の掃除まで始めていた。夫の奇特な行動には慣れているユイでさえ怪訝な目でゲンドウを見ている。

 「・・・あなた何か悪いものでも食べたんですか?」

 「っふ、問題ない」

 磨いていたワイングラスの最後の一つを戸棚にしまい終えたゲンドウは、眼鏡を中指で押し上げると、身につけていたエプロンをはずして椅子にかけた。
 ユイがいつもつけている白いエプロンは、一時的とはいえ髭眼鏡親父の所有物になったことに不満タラタラのように見える。椅子の背もたれにだらしなく掛けられていて、腰のところで結ぶための紐はフローリングの床につくくらいに垂れ下がっている。
 その時ゲンドウが家事を終了させたのをみはからうようにして、息子のシンジがリビングに姿を現した。

 アンティークの柱時計は8時45分をさしている。部活もない休日にシンジが起きてくる時間ではない。こんなに早く起きてきたのは先週の日曜に続いて今春2度目の出来事だった。ゲンドウは再び新聞をとって表情を隠すと、口元だけでニヤリと笑い、ほくそえんでいた。

 「シンジ、今日は早いわね」

 「うん、おはよう母さん。お風呂使うよ」

 シンジは寝癖で跳ね上がった髪をさすりながらバスルームに消えた。シンジが朝風呂にはいるのは、これまた珍しいことである。外見を余り気にしないシンジは、朝は顔を洗って軽くブラッシングで髪を整えるくらいのことしかしたことがなかった。


   「シンジは出かけるのかしらね?」

 「っふ、ユイ。シンジは今日デートなのだ」

 「あら、それは良かったわね。最近アスカちゃんと妙によそよそしくなっていたから心配だったのよ。またデートするくらいなら仲直りしたんでしょうね?」

 「甘いなユイ・・・。シンジの今日の相手はアスカちゃんじゃない・・・」

 ゲンドウは会心の笑みを浮かべていた。全てを見透かしたような顔をしているユイを驚かせるのは、並大抵のことでは不可能である。ユイの目が驚きで大きく見開かれているのを確認したゲンドウは、心の中でガッツポーズを決めた。

「しかも今日の相手はアスカちゃんに負けずかわいい子なのだ。勝ち気なアスカちゃんとはまた違うが、少し控えめで、清楚な魅力というものに溢れている。日本風美人というやつだな、今では死滅してしまったと思っていたが」

 ユイの顔は更に困惑の度合いを深めていた。
 親友のキョウコに何ていいわけすればいいのだろう?シンジにアスカ以外の女の子に手を出す甲斐性などあったのだろうか?なぜゲンドウはそんなことまで知っているのであろうか?自分のクローンであるはずのレイの髪の色はどうして空色なのだろう?鈴原トウジは名字が海や軍艦関係でないのにどうして適格者に選ばれたのだろうか?

 ユイの混乱を見て取ったゲンドウは調子に乗って後を続けた。

 「中学生で二股かけるなんてシンジもやるものだな。そのうちいきなり子供ができたなんて言いかねんぞ、まったく。もてる男はつらいな、ユイ・・・」

 「誰に似たんでしょうね?あ・な・た?」

 ユイのセリフの語尾には皮肉以上のものが込められていた。ゲンドウは自分がやりすぎたことを悟って避難を開始する。

 「さて、月曜日の会議の書類に目を通しておくか。冬月も副業で忙しいしな」

「どこに行くんですか?」

 新聞を片手にリビングを出ていこうとしたゲンドウであったが、絶対零度とも思えるユイの一言に足は凍り付いた。

 「あ、あれは仕方がなかったんだ!ユイ!遠大なる目的のためには必要なことだったんだ!それに<ネルフ誕生>でナオコ君の口紅の色を見たか?ワシもあんなに趣味の悪いバアサンとするのは苦痛だったんだ!」

 かろうじてまだ凍っていない口を動かして弁解を試みるゲンドウだが、ユイの表情は不気味に凍り付いたままである。

 「じゃあ、リツコちゃんはどうなんです?」

 「あ、あれは一時の気の迷いだ!それにリツコ君は男性経験があまりないようだったから、いわばボランティアみたいなものだ!」

「一時期というには長すぎやしませんか?リツコちゃんとの関係は。それにリツコちゃんは陵辱って言ってましたよね?どんなひどいことをしたんです?・・・」

 「ひ、ひどいことって・・・ワシはただお医者さんごっこをしていただけだ!リツコ君に白衣が似合うようにしてやったのはワシなんだ!あとセーラー服を着せたりもしたことがあるが、リツコ君も結構喜んでいたぞ・・・。し、しかしこの話ではそんな設定はなかったはずじゃないのか?君もナオコ君も生きているではないか?!」

 「都合のいいときだけ設定を持ち出さないで下さい。それに設定という観点から言うとあなたは私に決して逆らえないということになっているんです・・・」

 ゲンドウは迫り来る死に神の足音を聞いた。戦いの女神アテネのごとくにじりよるユイに対抗する手段は、ゲンドウにはなかった。
 ゲンドウはどうせにお仕置きされるなら、ユイにセーラームーンに変身して欲しいと思ったが、ユイにはそういう趣味はないようであった。
 ユイの言語に絶するお仕置きはシンジがバスルームから出てくるまで続けられた。アスカとのデートの時のように、念入りに2度シャンプーをしていれば、ゲンドウの生命はこの世にはなかったかもしれない。




 結果的にゲンドウの救出に成功してしまった(?)シンジは、そうとも気づかず食卓についた。碇家ではしっかりとした朝食をとる主義である。
 この日の朝は、骨切りにした鰻をカラリと揚げてじゅんさい・冬瓜・だし汁とともに煮こごりにしたもの。紫蘇・桜海老・胡麻・レタスをのせて中華風ドレッシングをかけた豆腐サラダ。ハマグリ・イカ・赤貝をいれて八丁味噌とミュウガで香り高くしあげた魚介雑炊である。
 食欲が減退しがちなこの季節に、様々なものから少しづつ必要な栄養をとってもらおうというユイの配慮が伺える献立であった。
 ユイは朝から旺盛な食欲をみせる息子を複雑な表情で見ている。朝から食欲があるのは喜ばしいことなのだが・・・。

 「シンジ、今日デートなんだって?」

 ユイは少し強い口調で言った。

「うん、そうだよ。音楽教室で一緒の女の子とコンサートに行くんだ。晩御飯までには帰ると思うよ」

 シンジは一瞬箸を止めてユイの顔を見たが、よどみなく答えると煮こごりに手を伸ばした。
 ユイはアスカのことに言及しようと思ったが途中で止めた。言葉はのどまで出かかっているのだが、シンジの受け答えに後ろめたさが感じられなかったのでわざわざ言う必要性を感じなかった。
 ユイはシンジに聞こえないように溜息をつくと、雑炊をすすっている息子の顔をまじまじと見つめた。子供は親の知らないところで成長するものだった。


 シンジは自室に戻ってくると着替えを始めた。アスカとのデートの時にはさんざん悩んだものだが、1回経験したことで少し慣れたのか、動作には余り無駄がない。シンジは麻でできた涼しげな白い半袖シャツとズボンを着ると、水牛の茶色い皮に黒いベゼルの機械式時計を腕にはめ窓の外を見た。
 雨は街の景色を隠すカーテンのように降り注いでいる。半袖では少し寒いかなと思ったシンジは、クローゼットの中を見回して薄いブルーのシャツジャケットを引っぱり出した。鏡の前で自分の姿を確認したシンジは、シャツジャケットと中に着ているものの素材感が合っていないように感じて、シャツとズボンをサテン地のものに変更し、再び鏡の前に立つ。
 アスカがその格好をみたら「70点」といいそうであったが、シンジにそれ以上のことは不可能だった。財布の中を確認すると、先日ゲンドウからもらったAVEX・GOLD・CARDが入っている。アスカとのデートから帰ってきた時シンジは父親に返そうとしたのだが、ゲンドウは受け取ろうとはしなかった。

 「そのカードの名義はおまえの名前に書き換えた。月100万程度なら自由に使ってかまわん」

 視線も合わせずにぶっきらぼうに言うゲンドウに、どう対処していいのかわからずシンジがオロオロしていると、ユイが近寄ってきて「受け取って起きなさい」と耳打ちした。シンジは父親がかなりの高給取りであることは知っていたが、月に100万なんて言われるとさすがにビックリした。
 渡されてから1週間経ったが、買ったものといえばチェロの楽譜と部活帰りのジュース3本に、お昼のヨーグルトにチーズケーキが1つづつ。父親の言った額の100分の1にもみたない買い物しかできない自分に、シンジは少しだけ身をすくめた。

 鏡に映った自分の顔はどこか怖がっているように見えた。さきほどまでは何とも思ってなかったのだが、準備が整いあとはでかけるだけという段階になって、加持の言葉が鮮明に思い出されてくる。

 「後はシンジ君が自分で考えて決めろ。誰も強制はしない。というより、これはシンジ君にしか決められないことだからな」

 自分にしか決められないこと。
 自分は一体誰が好きなのか、それとも誰も好きじゃないのか。
 シンジは軽く自分の顔を叩くと、大きく深呼吸をして部屋の扉を開けた。


 傘をさして駆け出して行くシンジを上から見ている影があった。

 別にシンジが見たくて窓際にいるわけじゃない、ただすることがないから外の景色を眺めているだけなのだ。
 自分にそう言い聞かせると、茜色の髪の少女はカーテンを引いた。カーテンの隙間から漏れてくる弱々しい光が部屋の中に少女の影を写す。朧げな自分の影を見ながら、少女は誰にも聞こえないように小さく呟いた。家の中には少女の他には誰もいないというのに。最も聞かれたくないのは自分自身だったのかもしれない。


 「バカシンジ・・・」






 カスミは待ち合わせ場所に、約束の時間よりも30分も早く来ていた。場所は間違えるはずがない。シンジを誘ってから3回も試しに来ているのだ。
 カスミは手首を返して時計を見る。9時40分。まだ約束の時間まで20分ある。カスミには待っている時間が異様に長く感じられた。シンジは来ないのでは?という不吉な考えも頭をよぎる。
 隣の男性のポケットから電子音が鳴った。同じように待ち合わせをしていた若い男は携帯電話を取って大声で話し始める。周りの人間は眉をひそめるが、カスミにはほとんど気にならなかった。

 カスミは自分の鞄をさぐる。携帯電話は持ってきていなかった。シンジとの2人きりとの時間に他の人間から電話がかかってくるのは嫌だったし、もしかしてシンジから断りの連絡が来るのはもっと嫌だった。
 カスミは思わず顔を伏せて下を見た。アスファルトに当たった雨が靴の先を濡らしている。雨はまだ止みそうになかった。


 「ごめん、待ったかな暁さん?」
 「ううん、私も今来たところ」

 お互いに様々な思いを秘めながら2人はありきたりの挨拶をかわした。思いを言葉にだせるほど神経が丈夫ではなく、さりげなく行動でみせられるほど人生経験をつんでいないシンジとカスミにはそれが精一杯だった。

 「じゃあ、行こうか?」

 「は、はい・・・」

 コンサート会場の入り口に向かいながら、シンジは唐突にゲンドウの恋愛の36箇条を思い出した。「デートの前には女性の服装をさりげなく誉めろ」ニタニタ笑っているようなゲンドウの顔が思い浮かんだシンジの思考は更に混乱した。

 「わ、私の顔に何かついてる?・・・」

 呆然としたままカスミの顔をみていたシンジにカスミが赤らめた顔で聞く。

 「あ、い、いやそういうわけじゃ・・・」

 カスミの言葉に思考の海から舞い戻ったシンジは改めてカスミを見つめた。

 (かわいい・・・)

 シンジは素直にそう思った。いつもは束ねている髪を今日は下ろしているせいか、長い黒髪は一層艶やかに見える。
 カスミは白いシルクのAラインコートにチェックのミニスカートといういでたちで、胸もとにブルーのリボンをしていた。スカートから延びている足はスラッとしていて優美なラインを描き出している。
 唇に薄く塗られたピンクのリップとほのかに薫る草原のような芳香は、非常に控えめであるが、カスミの可憐な容姿を一層引き立てていた。

 「どうしたの?シンジ君・・・」

 「あ、いや、何でもないよ。早く行こうよ。開演時間はすぐだよ」

 完全に舞い上がってしまったシンジは照れ隠しのように言うと、無意識の内にカスミの手を引っ張って会場の中に入っていった。カスミはちょっと大胆なシンジの行動に頬を赤らめながらも幸福感で一杯だった。





 「すごく良かったね。あのモーツァルトなんて良かったな。先週のハイドンもすごかったけど今週も聴きに来たかいがあったよ」

 演奏会が終わった後、2人は音楽談義に花を咲かせていた。もっともシンジが一方的にしゃべり、カスミは相づちを打つだけであったが。シンジに手を握られて席に着いたカスミは全ての思考が吹っ飛んでしまっていた。
 シンジは席に着くと手を離したが、カスミは手に残った感触をいつまでもかみしめるようにしている。

 演奏が始まってもシンジのことばかりが気になって、耳にはうまく聴くこえてこない。身を乗り出すようにして聴き入るシンジの肘が触れるごとに、カスミは顔を赤くした。
 照明の落とされた席でカスミの顔の赤さを確認できる人間はいなかったが、カスミは周りの人間全員が自分を凝視しているような気がしてうつむくことしかできなかった。


 「暁さんまだ時間ある?良かったらお昼食べに行かない?」

 演奏会の話が一段落したところでシンジはそう言った。

 「う、うん。今日はこの後何も予定ないの。だから全然大丈夫・・・」

 カスミは即座に答えるとシンジの斜め後ろに、寄り添うようにしてくっついていった。お互いに傘をさしているので、手をつないだり、腕を組むなんてことはできなかったが、カスミにはそれで十分だった。
 永遠に時が止まればいいのに・・・。カスミの心の声は、小降りになってきた雨に溶かされてしまいそうなくらい小さかった。


 「いらっしゃいませ」

 席に着いてから一拍の呼吸を置いて、老ウェイターがテーブルにやってきた。足取りは静かでメニューを差し出す動作にはよどみがない。経験というものが研磨した老人の所作には、一分の隙もなかった。
 それでいて客を圧倒しないのは、客と絶妙の間と距離をを保っているせいだろうか?家族でよく利用し、先週アスカとも立ち寄ったリストランテとは顔見知りになっている。しかしそういった様子をみせず、他の人と同じように接客しながらも、包み込むような雰囲気を醸し出すこの老ウェイターは、今日も心地よい風を送ってくれた。

 「暁さんは何がいい?」

 「うーーん、迷っちゃうな・・・」

 カスミはメニューをのぞき込んだまましばらく考え込んでしまった。シンジの脳裏には先週同じ席に座って、てきぱきとオーダーした茜色の髪の少女が映し出される。

( 女の子といっても色々な人がいるな・・・)

 シンジは僅かな時間で考え込むように独白した。アスカは何でも自分で決めてシンジを引っ張っていってくれる。カスミは一歩下がって、普段余り使うことのないシンジの積極性を引き出してくれる。どちらが優れているというわけではない。人間の個性に優劣はつけられないのだから。
 しかしどちらといた方が、ありのままの自分でいられるのだろうか?シンジの中に答えはまだなかった。


 「暁さん、シーフードは好き?」

 「う、うん。好きだけど・・・」

 「じゃあ、魚介類の紙包みパスタを2人で頼まない?前に母さんと来た時に食べたんだけどすごくおいしいんだ。とても香ばしい匂いがして食欲を刺激するんだ。2人分からだから嫌だったら他のにするけど」

 「ううん。全然嫌じゃない。シンジ君にまかせる・・・」

 あくまで控えめなカスミである。シンジはメニューは全部自分できめた方がいいのかな、と思い直し老ウェイターの顔を見上げた。

 「あと何かおすすめの前菜とデザートのようなものはありますか?」

 「そうですね。前菜は夏野菜のモッツアレラサラダなどはいかがでしょうか?モッツレラチーズにアボガドを混ぜてドレッシング代わりにいたしまして、トマト、黄ピーマン、クレソンなどにかけてお出ししております。さっぱりしていて人気がございますが?」

 「デザートではケーキバイキングはいかがでしょう。8種類の自家製ケーキと本日のアイスクリーム又はシャーベットにエスプレッソか紅茶がつきます。とてもお得ですし、よく出ていますが」

 「暁さんもそれでいい?」

 「う、うん・・・」

 カスミは少し頬を赤らめてシンジの様子を眺めていた。学校ではアスカの尻に引かれているシンジを見かけることが多いのだが、意外にてきぱきとした一面も持ち合わせているように見える。自分の一歩引くような仕草がシンジの積極性を引き出しているのだが、カスミはそこまで気が回らなかった。

 料理が運ばれてくるまでの間、たわいもない世間話を続けるシンジの心はどこかしっくりいかなかった。話題を探す必要もなく、自然と言葉が出てくるアスカとの会話と違ってカスミとの会話は、気を付けないと途切れてしまいそうなくらいもろかった。
 つき合い始めて間もないカップルによくあることだが、恋愛経験の乏しいシンジが会話を続けるには多少の労力を要した。ただ照れているだけのカスミの心を解きほぐす手段はいくらでもあるのだが、シンジにはカスミの胸の内を見抜くことはできなったし、それほど器用でもなかった。





 「ね、ちょっと買い物がしたいんだけど、暁さんも一緒に行ってくれる?」

 昼食を終えて店を出た後、シンジはそう言った。
 シンジはアスカかカスミか、今日中にどちらかを選ばなければならないという強迫観念に駆られていた。加持がそれを見ていれば「おいおい、シンジ君。そんなに急ぐことはないんだよ」と苦笑したであろう。
 それでも実は頑固なシンジは、昨晩自分で決めたことをしなければならないと堅く心に決めていた。モヤモヤした今の状況から逃げ出したかっただけなのかもしれない。だが誰もシンジを笑うことはできないであろう。中学生とは最も不器用で、多感で、ほほえましい時期なのだから。
 いつの間にか雨は上がっていた。雲の切れ間からさしてくる光は、誰の心を輝かせるのであろうか?



 シンジとカスミは高台の公園に来ていた。夕方過ぎまでカスミと街で遊んだシンジだが、結局何も分からなかった。ただアスカとの思い出の場所に来れば何かがはっきりするのではないかと思った。
 シンジとカスミの眼下には1週間前と同じ様な紅のパノラマが広がっている。そして1週間前と同じ招かれざる観客がいた。
 相田ケンスケが2人を見つけたのは偶然であった。新横須賀に来ている新鋭空母を見学に行っていたケンスケは、帰宅する途中でよりそうように歩くシンジとカスミを見かけたのである。ケンスケは2人の後をうけたのはもはや習性のようなものである。もし、シンジとカスミがくっついたら?と思うと胸が締め付けられるように痛かったが、生来の好奇心は不吉な思いを勝っていた。

 「きれい・・・」

 カスミの言葉は期せずしてアスカと重なった。あの時次にシンジの口から出てきた言葉は、「アスカにこの景色を見せたかったんだ・・・」だった。シンジの頭の中には不意に同じセリフが浮かんでくる。その瞬間シンジの脳は一週間前にトリップした。
 目の前にいるカスミがアスカに思えてくる。真紅に染まった夕陽が、カスミの髪を茜色に染め上げていたからかもしれない。シンジの脳裏はアスカの顔で埋め尽くされてしまった。怒った顔、すねた顔、自慢げな顔、Kissする寸前の神妙な顔、そして1回だけみたことがある泣いた顔・・・。


 アスカ アスカ アスカ


 シンジはアスカで一杯になった。


 「シンジ君・・・私・・・シンジ君が好き・・・」


 唐突なカスミの言葉にシンジは現実に戻された。驚いて横のカスミを見ると、思わず口を押さえたカスミがいた。カスミも言うつもりはなかったのだろう。無意識の内に心から出てきた言葉だった。
 しかし、いったん口にしてしまった言葉は取り消すことができない。静かな湖面に落とされた波紋は時が経つにつれ大きくなり、2人の心臓の音は次第に高まっていった


 「ごめん・・・」


 シンジはしっかりとした口調で言った。カスミは耳をふさぐこともできなかった。大きい声ではないが、ふさいでも聞こえてきそうなはっきりとした口調だった。

 「僕には好きな人がいるんだ・・・。ちょっと乱暴なところもあるし、よく喧嘩したりもするけどとっても、とっても大切な人なんだ・・・」

 「惣流さん?・・・」

 シンジは少しうなずくと目でカスミに答えた。

 「やっぱりそうだったんだ・・・」

 カスミの消え入りそうな声に泣き声が重なった。我慢して押さえているような泣き声は大きくなかったがシンジの胸に強烈に響いた。しかし、シンジはカスミの身体に触れることも声をかけることもできなかった。ただ立ちつくすのみであった。

 「少し1人にして・・・後は自分で帰れるから・・・」

 しばらくの間をおいてカスミは顔を両手で覆いながら言った。シンジは何もできない、いや何もしてはいけない自分がつらかったが、一旦目を伏せてから身体のむきをかえ何度か振り返りながらその場を去った。走り去りたい気分だったが、それだけはしてはいけないような気がした。
 下を向きながら公園の出口まで来たシンジは、呆然と立ちつくす影を見つけた。

 「ケ、ケンスケ・・・」

 「シンジ・・・」

 2人はしばらく何も言えないでいたが、やがてケンスケが歩み寄りシンジの肩に手を置いた。ケンスケの手からは何ともいえない思いが伝わってくるようだった。
 シンジはもう一度ケンスケと目を見合わせると家の方に歩き出した。ケンスケはやさしい瞳をしていた。


 ケンスケはいつのまにかカスミの近くまで歩み寄っていた。ようやく泣きやんで顔を上げたカスミもケンスケの存在に気づく。

 「見てたの?・・・・」

 少しためらいながら頷くケンスケ。それ以外のことはできなかった。
 カスミはケンスケに背中を向けて、沈み行く夕陽を眺めると自分に言い聞かせるように言った。


 「私ね、ふられちゃった・・・」

 「僕もさっきふられちゃった、君に・・・」

 言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。カスミは思わず振り返ると涙を浮かべながら少しだけ笑った。ケンスケもつられて笑った。はにかんだような表情を浮かべて。2人は少しの間顔を見合わせて笑っていた。


 「脇役のくせに、なにラブコメしてるの?」


 ようやくなごんだ雰囲気を凍り付かせるような声が響きわたった。振り返ったケンスケの背後には、仮面をつけたような表情をした綾波レイが立っている。

 「そ、そんな言い方はないだろ!脇役がラブコメしちゃいけないっていうのかよ?!」

 「そうよ、ページの無駄使いだわ」

 珍しく激昂するケンスケを全く意に介さず、レイは冷淡な口調で返した。

 「脇役にも人権をくれたっていいだろ?!」

 「脇役にも人権を・・・いいセリフね。でもそれは題字にはならないのよ。発言者があなただから」

 生ける彫像と化したように、動けないでいる2人の脇を通り過ぎるとレイは腕時計にある赤いスイッチを押した。しばらくするとけたたましい機械音が静寂に包まれた公園に向かってくる。

 「ハインドD・・・旧ソ連の最強ヘリ・・・」

 ケンスケがやっとの思いで絞り出した言葉もレイには、全く聞こえていないらしい。レイは何も言わず、ヘリから下ろされている縄梯子に足をかけると上に向かって合図を送る。嵐のようなレイが去った後には、ただ呆然とヘリを見つめるケンスケとカスミが残された。





 碇シンジは強烈な自己嫌悪に襲われていた。結局自分はカスミの思いを利用しただけなのか?アスカとカスミを比較することで自分の気持ちを確かめただけなのか?

 「僕って最低だ・・・」

 家路に向かうシンジの足取りは重かった。空を見上げるといつの間にか月が顔を出している。夕陽が完全に姿を消していないため、月の光はまだ薄いものだった。シンジには月が何だか怒っているように見えた。
 身をすくめたシンジは再び歩き出す。家の前についたシンジはアスカの家の窓を見上げた。カーテンの隙間から電灯の明かりが漏れている。深い溜息をついたシンジは意を決してマンションの中に入っていった。

 碇家の手前にある惣流家のドアでシンジは立ち止まる。アスカが好きだってわかったら告白しよう。そう心に決めていたシンジだったが、いざその場になってみるとなかなか勇気がでなかった。
 最低な自分にその資格があるのだろうか?という思いも頭をかすめる。シンジは大きく深呼吸をして、気分を落ち着かせるとアスカの家のブザーを押した。

 アスカは一日中ボーっとしていた。何もやる気が起きずただソファで寝転んでいる。玄関ノブザーが鳴っても居留守を使おうと思ったくらいである。だるそうに身体を起こしたアスカは、あくびをしながら扉のところまで行き、除き穴を通して玄関の外を見た。
 そこにはうつむきかげんの幼なじみが立っている。アスカは急に心臓の音が高鳴ってくるのを感じた。玄関の脇にある鏡を見て、手節で髪をとかす。胸に手を当てて目をつむると、意を決してドアを開けた。

 「アスカ・・・」

 「シンジ・・・」

 2人は玄関のところで立ちつくしている。シンジは玄関に入って後ろ手でドアをしめたものの、何も言葉を口にすることができず、無口なシンジに感化されたアスカも突っ立ったままである。

 「アスカ・・・。今日暁さんとデートしたんだ・・・」

 先に口を開いたのはシンジである。シンジは視線を下に向けたまま、まるで独り言でも言うかのように喋りだした。

 「演奏会に行って、食事して、ショッピングして・・・それであの高台の公園に行ったんだ・・・。そしたら暁さんが僕のこと好きさって・・・」

 アスカはもう聞きたくなかった。こんなに言いにくそうにしているのだ。よほど自分に言えないことに違いない。もうやめて!アスカはそう叫びたかった。

 「でも僕の心の中には他の人が浮かんできたんだ・・・。その人はいつもそばにいてくれて、僕を励ますように引っ張っていってくれて・・・よく殴られたりもするけど、とても、っても大事な人なんだ」

 「ア、アスカ!ぼ、僕はアスカの事が・・・」

 シンジが顔を上げた瞬間、シンジとアスカは目があった。吸い込まれそうなアイスブルーの瞳にシンジは心臓がバクバクいっているのが分かった。全身の血が顔に集まったように顔を赤くしながら言葉を続けようとする。
 それはアスカも同じであった。顔を髪の色に負けず劣らず赤く染め上げたアスカも、シンの次に来るであろう言葉を今か今かと待ちこがれている。


 バラバラバラッ
 


 全てを破壊するような金属がこすれる音が響きわたった。ベランダの方を振り返ったアスカの目には縄梯子に捕まって降りてくる綾波レイの姿が目に入る。
 レイはアスカの家のベランダに降り立つと、上に手を振って、マンションの上をホバリングしていたヘリを退避させる。レイは換気のために半開きになっているベランダのドアを無造作に空けると、靴を脱いで中に入ってきた。

 「あなたたち何をしているの?」

 「それはこっちのセリフよ!勝手に人の家に入ってきて何言ってるのよ!刑法130条違反よ!アンタ!!」

 「そう、だから?」

 「アタシとシンジはこれから大事な話があるの!さっさと出ていってくれない?!」

 腰に手を当てて大声で叫ぶアスカだが、レイは全く動じた様子を見せない。ベランダで脱いだ靴を片手にスタスタとシンジとアスカのそばまで歩み寄ってくる。

 「嫌よ。私もシンちゃんに用があるもの」

 「シンちゃんなんて馴れ馴れしい呼び方しないでよ!」

 「あなたには関係ないわ」

 「関係あるわよ!アタシとシンジはただの仲じゃないんだからね!」

 「Kissしたってこと?」

 シレッとした口調で言い放ったレイにアスカとシンジは顔を真っ赤にするが、アスカの赤は恥ずかしさだけではない。かなりの怒りも含んだ赤のようだ。

 「何でアンタが知っているのよ?!」

 「8話読んだもの・・・」

 「知ってるならしょうがないわ!じゃあ分かったでしょ?!これからはアタシとシンジのラブコメオンリーよ!アンタなんかお呼びじゃないわ!」

 「甘いわね。主役が最初からリードしている恋愛物語なんて演出不足だわ」

 レイはアスカの脇を無造作にすり抜けるとシンジに抱きつきKissをした。それも驚いて何もできないシンジの口に舌をいれた濃厚なKissを。シンジの首に手を回して不気味に笑うレイを、アスカはふりほどいてシンジとレイの間に割ってはいった。

 「アタシのシンジに何するのよ!アンタ!!」

 「これであなたと私は同等だわ。いえ、シンちゃんは本編で裸の私を押し倒して胸までもんでるから、既成事実は私の勝ちね」

 「な、何よ!今のKissなんて無理矢理しただけじゃない!シンジの心は全部アタシのものよ!」

 「でもシンちゃんの唇は嫌がってなかったわ。シンちゃんの唇と心と私はどちらを信じればいいの?」

 「ア、アンタ!それは他人のセリフよ!盗作してんじゃないわよ!」

 「パクリだらけのこの話で今更盗作もなにもないでしょう?」

 「ア、アスカ・・・綾波・・・」

 それまで呆然として2人のやり取りを眺めていたシンジが蚊の泣くような声を出した。2人の愛しい相手のセリフなのだが、気が高ぶっているアスカとレイはかなり強い調子でユニゾンした。


 「「何よ!」」


 「い、いや・・・。そ、その・・・劇場版って本当にあと一回でまともに終わるんだろうか?・・・」


 「「知らないよ!そんなこと!!」」


 いつ終わるとも知れない喧嘩を続けるアスカとレイに、けり出されてしまったシンジは、廊下に倒れ込んで寂しそうに呟いた。ようやく光を放ちだした月が哀れなシンジを照らしている。

 「こんなに邪険にされて、僕って本当に主役なんだろうか?・・・」



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ver.-1.10 1997-11/19 リニューアル
ver.-1.00 1997-06/20 公開
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 Project E第十三話です。とうとうカスミはふられてしまいました。これからはアスカとレイのシンジ争奪戦が始まるのでしょうか?それともようやく次話に登場する「彼」の登場が3人の関係に変化を与えるのか?ゲンドウとキールの思惑は?脇役たちに人権は与えられるのか?
 今回は間違えて一回消してしまったので書き直しが大変でした。同じ話を2回書くというのは結構苦痛です。でも全く同じにはなりませんでした。細部ではかなりちがってきています。ではまた

 MEGURUさんの『Project E』第十三話、公開です。
 

 迷い、戸惑い、ふらついていたシンジの一世一代の決断。
 これでスッキリと決着が付き、
 次回からはシンジとアスカのゴールドカードデートが展開される・・・・と、思いきや(^^;

 レイ・・・お前は一体何者ぞ?
 

 せめてケンスケの邪魔はして欲しくなかった・・・・・

 酬われない、目立たない、居ても居なくても構わない彼。
 傷心のカスミに付け入る、ハイエナの様にして掴んだラブラブシーン。

 ・・・・・・・邪魔して正解ですね(^^;
 あのままだとカスミまで脇役地獄に引き込まれる所でした。
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 ハイペースの更新で質を落とさない MEGURU さんに感想メールを!

 

 

 鈴原。
 彼の名は、古代マケドニアの軍船「シェジュハライ」に由来しているのです。

 相田はその僚船「アイデュ」。
 ちなみにそれらの船のBackupは「ゼンビュウソディス」です。


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