TOP 】 / 【 めぞん 】 / [VISI.]の部屋に戻る/ NEXT


私立第三新東京幼稚園A.D.2007



第十四話 甘えること


「ママぁ,テーブルふいたわよー.つぎはどうするの?」
「じゃ,ここのお皿,並べてくれる?」
「はーいっ.」
食堂での母親と幼い娘.ある夏の日の昼下がりの惣流家,アスカは母キョウコの家事をせっせと手伝っていた.ここ数日,アスカはいつにも増して上機嫌だった.5月末に渡米したアスカの父ゲンイチロウの帰国が迫っていたからである.

『♪〜パパがかえってきたら3人でおでかけするの♪』
ゲンイチロウは仕事の都合で海外に出張することが多く,一年を通して日本にいる日数より海外にいる日数の方が上回っていた.母娘二人きりになることが多いこともあってアスカは同年の他の子よりもずっとしっかり者に育っていたが,それだけに父が帰ってくると人一倍甘えん坊さんにもなっていた.

「いっただきまーすっ.」
「いただきます.」
料理を盛り付け,キョウコとアスカは席について食事を始める.母娘二人きりの食事.明後日にはそれは二人ではなく三人になる予定だ.

「ごちそうさまーっ.」
「はい,ごちそうさま.」
食事を摂り終え二人して後片付けをしている所へ電話のベルが鳴る.キョウコは手を休めて電話に出た.

「はい,惣流です.あ,あなた.」
電話はゲンイチロウからのものだった.

「はい.あ,はい.え?…そうなの….分かりました.くれぐれも体には気をつけてくださいね.アスカには?…はい.今,代わるわ.」
電話でのゲンイチロウとのやりとりでキョウコの顔が少し曇る.電話の用件は仕事上の問題でゲンイチロウの帰国が延期になったことを知らせるものであった.

「アスカ,電話よ.パパから.」
「パパから?」
アスカはキョウコの表情に気づかず嬉しそうにスタスタと電話の方に駆け寄る.そして,キョウコから受話器を受け取った.

「もしもし,パパぁ?…うん…うん,もっちろんげんきよ.いま,なつやすみなの.パパぁ,あさってのいつごろこっちにつくの?」
父と幼い娘の会話.近況を尋ねるゲンイチロウにアスカは嬉々として答える.そして,アスカは父にいつ家に着くかを尋ねた.

「…え?うそ…でしょ?」
ゲンイチロウの答えにこれまで明るかったアスカの表情が曇り出す.電話口でアスカに宥めるように謝るゲンイチロウ.

「…ううん.パパ,おしごとたいへんなんだもん.…それにおくれるといっても2,3日なんでしょ?」
寂しそうな顔をしながらも健気に応えるアスカ.それから,希望をつなぐかのようにアスカはゲンイチロウにどれぐらい延期になるか尋ねた.

「…ちがうの?…それじゃ,1週間なの?…わからない?」
ゲンイチロウの返答を聞くにつれてアスカの顔は青ざめていく.

「なつやすみにかえれるかわからない?…3人で『おでかけ』できないの?….」
期待を裏切っていくゲンイチロウの言葉に,アスカは唇を噛み頭を下げて黙り込んでしまう.

「…ウソツキ….」
しばらくの沈黙の後,アスカはぽつりと一言つぶやく.

「パパのウソツキ!!パパなんてダイッキライッ!!」
「アスカっ!!」
「アタシ,わるくないもん!わるいのはパパだもんっ!!」
次に口をついて出たのは痛い言葉.そんなアスカをキョウコは咎める.だが,アスカは受話器を放り出して部屋に引きこもってしまった.

「パパに謝りなさいっ.アスカ.」
「いやよっ.」
「アスカっ!」
受話器を放り出して部屋にたてこもったアスカにキョウコはいつになく声を荒げる.

「なによっ,ママまで!」
「パパだって辛いのよ.分かってあげて,アスカ.」
「そんなの…そんなの…わからないっ!!」
そう言ってアスカは部屋の扉を乱暴に開ける.アスカの目には怒りと悲しみが入り混じり,その目はキョウコを睨み付けていた.

「アスカっ!」
「パパもママもダイッキライッ!!」
そう言ってアスカは玄関の方へと駆け出していく.が,キョウコはそんなアスカの襟首をつかまえて引き止める.

「いやっ,はなしてっ.」
「…アスカにはよく言って聞かせます.…いいえ,気にしないで.それじゃ,また後で.」
アスカの拒絶の言葉をよそにキョウコはゲンイチロウとの電話を終わりにする.

「アスカっ.」
「…わるいのはパパだもん….」
アスカはすっかりへそを曲げてしまっていた.ふだんしっかりしていて両親に対して物分かりの良い分だけ一度かたくなになるとなかなか言うことを聞こうとはしなかった.

「アスカ….」
かたくなになってしまったアスカを見てキョウコはアスカの頭が冷えるのを待つことにした.

…アスカがキョウコの隙を衝いて惣流家から姿を消したのはそれから約30分後のことだった.


−*−


「アスカ?きょうはみてないです.」
「家には来ていませんが….アスカちゃんがなにか?」
碇家の玄関口,アスカがいなくなったことに気づいたキョウコが訪ねていた.玄関にはシンジとゲンドウが立っている.ユイは研究所での仕事のため家を空けていた.

「いえ,それならいいんです.失礼しました.」
そう言ってキョウコは碇家の玄関を辞去する.

「どうしたのかな?アスカ?」
「さあ…?」
「ちょっと,そといってくるね.」
「ああ.アスカちゃんに会ったらキョウコさんが探していたって伝えてくれ.」
「うん!わかった.」
シンジは外履きを履き,玄関を飛び出していった.


−*−


「あ,あの…シンジくんいますか?」

シンジの家を訪ねたレイの声は少し震えていた.レイの目の前には色眼鏡を掛け髭をたくわえた190cm近くの大男が威圧感たっぷりに立っていたからである.レイがゲンドウと顔を合わせたのは今日が初めてだった.

「シンジなら,さっき外に出ていっていないが.」
レイの問いにゲンドウは顔を下に向けて答えた.ゲンドウの返答にレイの顔からは落胆の表情が表れる.

「シンジくん,いないんですか…おじゃましました….」

シンジがいないことを知ってレイはゲンドウにペコリと頭を下げて碇家の玄関から立ち去ろうとする.

「綾波レイちゃんだっけ?」
「?」
てくてくと立ち去ろうとするレイをゲンドウは呼び止めた.不可思議さと不安と緊張の入り混じった表情で振り返るレイ.

「…これからも,シンジと仲良くしてやってくれ.」
ゲンドウの意外な言葉にレイの表情は和らぐ.レイはもう一度ゲンドウに向かってペコリと頭を下げるとその場を立ち去っていった.

『シンジくんもアスカちゃんもどこいっちゃったのかな….』
仲良し二人に会えなくてがっかりするレイ.この日,レイは二人に会うことはなかった.


−*−


「ここにいたんだ,アスカ.」
シンジに呼びかけられてアスカの肩がビクッと震える.ここは,第三新東京市の約半域を見渡せる高台の公園.以前,シンジがゲンドウと親子ゲンカになった時にアスカと一緒に来た所である.アスカは公園のブランコに座ってやや俯きながらそれを軽く揺すっていた.

「シンジ….」
「キョウコおばさんがさがしていたよ,アスカ.」
「そう….」
「かえらなくていいの?アスカ?」
「いいの….」
「でも….」
「いいったら,いいのっ!」
事情を知らないシンジに対してアスカは声を荒げる.そんなアスカの態度にシンジは目を白黒させた.

「どうしちゃったの?アスカ?きょうのアスカへんだよ.」
「べつに….」
「そんなことない.やっぱりへんだよ,きょうのアスカ.ほんとうにどうしたの?」
いつもとは違う仲良しの態度を前にしてシンジは不安の色を浮かべながらアスカに尋ねた.

「…かんけいないわよ….」
「え?」
「アンタにはかんけいないっていったのよっ.」

詮索するシンジに苛立ったアスカが怒鳴り声をあげる.凍り付くシンジ.プイッと横を向くアスカ.…しばらくの沈黙の後,聞こえてきたのは啜り泣き声だった.その声に思わずアスカは振り返る.見ればシンジが涙をボロボロ流していた.

「なんで,アンタがなくのよっ!?」
「…エック…ヒック…わかんない…わかんないけど…かなしくって….」
「シンジ,アンタはべつにわるくないのっ.これはアタシのもんだいなのっ.」
「…ヒック…でも…いつもの…ヒック…アスカじゃない…そんなのイヤだよぉ….」
「だから,アンタのせいじゃないんだからなくんじゃないのっ!」
「…でも…でも…エック…なみだが…とまんない….」
「ああっ,もうっ.」
泣き続けるシンジにアスカはブランコから飛び降りる.そして,シンジのもとに駆け寄って左手でシンジの髪を撫でた.それはまさに泣きじゃくる子に「よしよし」をする様そのものだった.

「…ヒック…アスカぁ…ぼくにはなにもできないの?…きょうのアスカへんだよぉ….」
「もう,なかないのっ.シンジ.」
「そりゃ…ヒック…ぼくは…アスカみたいにしっかりしてないし…いっつもたすけられてばっかりだし…エック….」
「だから,ちがうのっ!」
「…でも…でも…いまの…アスカみてると…ヒック….」
アスカは泣きじゃくるシンジを鎮めようとするが,シンジは既に興奮状態に入っていてアスカの言葉は耳に入っていなかった.

「もうっ,いいかげんにしてよねっ.」
「い,いはい(い,いたい).」
業を煮やしたアスカがシンジの両頬を押さえつける.

「わかったわよっ.ぜんぶはなすからなくのだけはやめなさいっ!シンジ!」
「う,うぬ(う,うん).」
シンジの両頬を押さえつけたままアスカはまくしたてる.アスカの勢いに思わずうなずくシンジ.シンジが落ち着くのを待ってからアスカは昼間における家での出来事を話し始めた.

『まったく,なきたいのはアタシのほうよ.』


−*−


「…ということよ.シンジ.」
「それでどうするの?アスカ?」
今までの経緯を聞いたシンジがアスカに尋ねる.しばしの沈黙.シンジに話したことでアスカは落ち着きを取り戻しつつあった.

「…ゆうがたになったらかえるわよ….アタシがワガママいったって…パパがはやくかえれるわけじゃ…ないもん….」
シンジに語るアスカの顔にはどこか寂しげなものがあった.

「アスカぁ….」
「なーに,ヘンなめでみてんのよっ.バカシンジ!こうなったらアンタもアタシにつきあってもらうわよっ.こないだのかしもあるしね.」
「う,うん.」
「そうだ!ここからちょっとあるいたところにさいきんおおきいみせができたのっ!そこへいこっ!シンジ.」
「うん!」
アスカの表情から先程までの憂いはすっかり無くなっている.そんなアスカを見てシンジは心が安らいでいくのを感じていた.

「まずそのかお,なんとかしなさいよっ.ひっどいかお.」
「だれのせいだよ〜.」
「もっちろん,アンタがなきむしだからよ.」
「ひどいや…アスカ.」
言葉とは裏腹に二人の表情は明るい.シンジは公園の水道で顔を洗った.

「あ,アスカ.」
「なに?」
「キョウコおばさんにれんらくしたほうがいいとおもうよ.」
「そうね.」
二人は公園内に設置されている公衆電話に向かう.以前アスカは一人でユイに電話したことがあったが,ここの電話は一人で掛けるにはボックスの位置が高すぎた.

「シンジ!かたぐるま!」
「う,うん.」
「しっかりささえてよね.」
「うん.」
アスカはシンジの両肩に足を乗せる.せーので持ち上げるシンジ.アスカに比べて非力なシンジだったがそこは状況が状況なので必死に踏ん張ってアスカが電話を済ませるのを待っていた.アスカはどうにか受話器を取って持ち合わせの小銭を投入して家の番号をプッシュする.

「あ,もしもし.ママ?アタシ,アスカ.」
「いま,たかだいのこうえん.シンジといっしょなの.」
「さっきは…ごめんなさい.あした,パパにあやまるわ.…ううん,いいの.」
「レイがきたの?わるいことしちゃったな….うん.ゆうがたにはかえるね.それじゃっ.」
キョウコと電話を終えた後,二人はその新装開店の大型店に向かって歩き始めた.


−*−


シンジ達が向かった大型店は全国で名の知れたグループの系列店である.そのグループは元来はスーパーのチェーンで,扱っている品物は食料品や日用雑貨だけだった.が,規模が大きくなるにつれて建屋の中に専門店のテナントを入れて多種多様の商品を取り扱うようになっていた.新装開店のその店もご多分に漏れず店内には様々な商品が並んでいた.

「さかなやさんのとなりにくすりやさんがあるなんてちょっとへんだね.」
「アンタ,バカァ?こーゆーみせもあることしらなかったの?」
「アスカはしってたの?」
「もっちろん.」
「どうして?」
「それは,こーゆーみせにパパとママにつれてもらったことが….」
シンジの問いにアスカが答えかけて二人共はっとする.アスカが家を飛び出した原因が出てきたからである.

「ご,ごめん.」
「…べつにあやまらなくたっていいわよ.それより,うえのかいにいこっ.」
気まずさの余り,シンジはアスカに謝る.アスカはそれはもういいからっという感じで話題を切り替えた.

シンジとアスカが現在いるフロアは一階.この大型店は三階建てで一階は食料品と日用雑貨・酒類を扱っており,他に薬品類を売っている.二階は衣類と装飾品,三階は電化製品・家具・寝具・書籍・CD・文房具・ギフト用品等々日用消耗品とはやや離れた商品が売られており他に飲食店・ゲームコーナーが設置されていた.

シンジとアスカは二階に上がり…別に試着とかしたわけではないのだが…なかなか動こうとしないアスカにシンジは少しばかり辟易とさせられていた.

「アスカぁ,うえいこうよー.」
「…もうちょっとだけ.シンジ.」
ようやくアスカが二階を離れた時,時計の針は5時を回っていた.

「アンタにとれんの?それ?」
「やってみなきゃわかんないよっ.」
アスカの懐疑の言葉に口を尖らすシンジ.三階に上がった二人はゲームコーナーのクレーンゲームの前に立っていた.ちなみにシンジ達がやろうとしているのは1990年代に主流となった人形を取るものではなく,それより昔から存在していたキャラメルとか飴玉とかを取る小型の筐体のものだった.シンジは一枚しか持っていない百円玉を投じてスタートボタンを押す.動き出すクレーン.

(ウィーン)

「…てやっ.よしっ.」
タイミングを見計らって捕獲ボタンを押すシンジ.クレーンはガラス筐体の中の飴玉をいくつか掴んでいた.

(ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ウィーン・カシャッ)

「やったぁ.」
電子音と共に排出口に戻っていくクレーン.そして,掴むために閉じていたクレーンが再び開く.落ちていく飴玉.シンジは見事に飴玉を獲得した.

「やるじゃない,シンジ.」
「うん!」
アスカに褒められてシンジは嬉しそうだった.

「…そろそろ,かえろうよ.アスカ.」
「うん….」
シンジは景品をポケットに詰め込んでアスカと一緒に店を出た.


−*−


アスカがシンジと一緒に帰ろうとしていた頃,キョウコは惣流家のリビングで夕食の支度をしていた.そこへ電話のベルが鳴る.

「はい,惣流です.」
「もしもし,ゲンイチロウだ.」
「あ,あなた.もうそちらは真夜中じゃありません?」
「ん?ああ,そうだけど.それよりアスカはどうしている?」
「それが…」
キョウコはゲンイチロウに今までの経緯を簡単に説明する.

「…そうか.アスカにはいつも気を遣わせちゃっているな.」
「気にしないでください.それより,戻ってきたらアスカに構ってやってくださいよ.」
「それは,もちろん.それじゃ,くれぐれもアスカによろしく.明日,また電話するよ.」
「わかりました.おやすみなさい,あなた.」
「おやすみ.」
電話を切るとキョウコは夕食の支度を再開した.


−*−


「へんねえ,こっちのはずなのに?」
「アスカぁ.」
日の暮れかかった第三新東京市のとある通りでのこと,シンジ達は道に迷っていた.新装開店の大型店周辺を歩くのはシンジもアスカも今日が初めてである.行きは日も高く案内ボードもはっきりとあって容易に辿り着けたのだが,帰り道は分かりづらかった.実際のところ,シンジ達は通りを一つ間違えているのに過ぎないのだが二人共まったくその事に気がついてなかった.

「こっち…よね.」
「まってよぉ,アスカ.」
周囲が暗くなるにつれてアスカ・シンジの足も速まる.この辺りの通りは路地が入り組んでいるということは無いのだが通りごとの風景に特色が無く,初めての人間にとってはなんとも戸惑う所だった.

(ドンッ)

「あいたた.」
「いたっ.」
「あ.」
速足で駆けていたシンジとアスカが何かにぶつかった.二人が見上げるとそこには170cmぐらいの眼鏡を掛けた青年が紙袋を手に立っていた.青年のいでたちは下は普通のジーンズだが上は真夏だというのに春物のジャンパーを羽織っていて暑苦しそうだった.青年は二人に視線を向ける.それはまるで二人を睨み付けているかのようだった.街灯を背にしていることがその迫力を増していた.

「「ご,ごめんなさーいっ.」」
青年が次に声を掛ける間もなく,シンジ・アスカの二人は同時にそう言うと一目散に来た方向へと逃げ去っていった.

『やっぱ俺って目つき悪いんだろうか?』
いきなり見知らぬ子供達に逃げられてその青年は少しばかりショックを受けていた.

「はあ,はあ.」
「ふぅー.」
シンジ達が逃げ出したのはその青年の顔のせいばかりではないのだがそれはともあれ,二人は高層マンションが立ち並ぶ敷地内の緑地に入り込んでいた.その高層が旧公団のものなのか民間のものなのかは不明だが確かなのはシンジもアスカもここがどこなのか全く分からないということだけだった.

「ねえ,アスカ?」
「なあに?」
「ここ,どこなんだろう?」
「わからない….」
シンジの質問に答えるアスカにいつもの元気さが無い.周囲はすっかり闇に包まれて街灯の明かりが点灯している.昼間はあまり気にも止めなかった虫の声も,緑地内にいることもあってよく響いていた.真夏だけあって寒いということはなかったがそれでも涼しい風がそよそよと吹き始めている.

「ごめんね…シンジ.」
「え?どうしたの?アスカ?」
「アタシがワガママいわなければこんなことにならなかったのに.」
「なにいってるの?アスカ.いつものアスカらしくないじゃない.」
「アタシだって,おちこむことぐらい…あるわよ.」
自分が原因とあって,いつになくアスカは気弱になっている.シンジもまた非常に心細かったのには違いないのだが先にアスカが落ち込んでしまっていて自分が落ち込むどころではなかった.

「ねえ,アスカ.」
「なに?」
「おなか,すかない?」
「と,とつぜん,なにいいだすのよっ.」
シンジの質問に戸惑うアスカ.とたんにアスカのお腹から腹の音が鳴り響く.たちまちアスカの顔が真っ赤になっていった.

「アンタがヘンなこといいだすからなっちゃったじゃないっ!」
「いや,あの,その,さっきのあめだま…たべない?」
「…せっかくシンジがとったのにいいの?」
「うん.だってたべるためにあるんだもん.それに,おかーさんが『はらがへってはたくさんできぬ』っていってたし.」
「それをいうなら『いくさはできぬ』でしょっ.」
「そうなの?」
「そうよっ.」
アスカにいつもの調子が戻ってきてシンジは安堵していた.シンジはポケットから景品の飴玉を取り出し,アスカと二人で分ける.そして,二人は包装紙をはがして口の中に放り込む.飴玉の甘みが口の中全体に広がり二人の空腹感を少しばかり和らげていた.

「シンジ….」
「なに?アスカ.」
飴玉を一つなめ終わった後,アスカはシンジに話し掛けた.

「とにかくでんわをさがしましょっ.ママにれんらくがつけばなんとかなるとおもうし.」
「うん…そうだね.」
「それじゃ,しゅっぱつよっ.シンジ!」
アスカはそう言うとすっと立ち上がった.

「うん!」
「シンジ!」
「なに?」
「ありがとうっ.」
アスカは感謝の言葉と共に飛びっきりの笑顔をシンジに向ける.シンジはその笑顔を前にして棒立ちになっていた.

「なーに,ぼーっとしてんのよっ.シンジ!いくわよっ.」
「う,うん.」
アスカの言葉で我に帰るシンジ.二人は再び緑地内を歩き始めた.


−*−


「二人共,どうしちゃったのかしら?」
「大丈夫よ,キョウコ.きっと時間を忘れて遊んでいるだけよ.」
惣流家のリビングにはキョウコと仕事から帰ってきて二人のことを聞いたユイが座っていた.

「アスカちゃんから電話,あったんでしょ?なら,帰ってくるわよ.」
「え,ええ.」
昼間のこともあって心配げなキョウコに対して楽観的なユイ.内心どう思っているかは別にしてユイは動揺を隠せないキョウコを落ち着かせようとしていた.ちなみにゲンドウは碇家で夕食の準備をしている.

「もうしばらく待ちましょ.それで戻ってこなかったら警察に連絡することも考えるということで.」
「…はい.」
「もしかして『駆け落ち』だったりして.」
「ユイ!」
「冗談よ,キョウコ.シンちゃんにそんな甲斐性無いわよ.」
ユイはおちゃらけながらキョウコの不安を逸らしていた.


−*−


「…こっちかなあ?アスカ.」
「そうねえ….」
シンジとアスカは赤レンガで舗装された敷地内の道路を歩いていた.いざ電話を探そうとするとなかなか見つからない.飴玉で空腹感は和らいだとは言え二人は歩き疲れていた.ここの高層マンションの敷地はちょっとした庭園風になっていて幼児の足で隅から隅まで歩くと結構時間がかかった.

「あ,アスカ.だれかいるみたい.」
「どれどれ…そのようね.」
シンジが前方の人影を見つける.その人影は街灯を背にしていて顔などは影になって見えなかった.ただ,左手に紙袋を抱え右手にポリ袋を下げているのが見て取れた.買い物帰りといった所だろうか.

「こえをかけてきいてみる?アスカ.」
「こっちくるわよっ.シンジ!」
アスカに尋ねるシンジ.だが,アスカがシンジの問いに答える前にその人影はこちらに気づいてシンジ達との距離を急速に詰めてきた.それはあたかも獲物を見つけた狩人の様だった.

「ど,どうしよう?」
「どうしようといわれたって…にげるわよっ.」
アスカの言葉を合図に二人はその人影に背を向けて走り出す.すると,その人影から叫び声があがった.叫び声は女性のものだった.

「待ちなさいっ!シンジくん!アスカちゃん!」
動きを止めるシンジとアスカ.その声に二人は聞き覚えがあった.二人して同時に振り返るとTシャツにジーンズ姿の買い物帰りの女性が立っていた.先程まで遠かったのと逆光で顔が分からなかったが今は目元のほくろまで見て取れた.

「「あ,あかぎせんせい….」」
二人揃ってその女性の名を呼んだ.その声には驚きと安堵が入り混じっている.リツコはここの高層マンションの一室を借り受け住んでいた.

「こんな遅い時間まで何ほっつき歩いているのっ!」
リツコはやや鋭い口調で二人に言い放った.すると二人はリツコに駆け寄り,シンジは右足にアスカは左足に抱きつきいきなりわんわんと泣き出した.緊張の糸が切れたようだ.

『わ,私,そんなにキツいこと言ったかしら?』
二人の事情を知るわけもなく,いきなり泣く子を二人も抱えて途方に暮れるリツコだった.


−*−


「…ええ.今,こちらに.迷子になっていたようで.今からそちらにお送りいたします.…いえ,お構いなく.かなり心細かったみたいですからあまりキツく叱らないでやってくだい.…はい,お願いします.」
二人に泣かれてそのままと言う訳にもいかず,リツコは自分の家に連れ帰って名簿から電話番号を調べてシンジ達の家に電話を入れていた.

「…ええ,この道をまっすぐですか?…はい.…右に曲がって.…わかりました.では後程.」
リツコはシンジ達のマンションまでの道のりを聞き出し,電話を切った.

「シンジくん,アスカちゃん,家まで送るから準備しなさい.」
「「はーいっ.」」
先程までの大泣きがまるで嘘であるかのように元気な返事が返ってきた.

『まったく子供って…わからない.』
それが今のリツコの正直な感想だった.


−*−


「せんせーい.」
「…なに?シンジくん.」
「せんせいはひとりぐらしなんですか?」
「…そうよ.」
駐車場までの道中,シンジはリツコに質問を浴びせていた.リツコはやや胡乱げに事務的口調で答えていた.

「ひとりでさびしくないんですか?」
シンジの質問に深い意味は当然無い.だが,リツコは先程とは打って変わって少し間を置いてから答えた.

「寂しくないといえば…嘘になるわね.でも,大きくなれば多くの人が経験するものなのよ.」
「そうなんですか?」
「そうよ.」
「ぼくもそうなるのかな?」
「…そうなるかもね.」
「ぼく…じしんない.」
「シンジくんはまだ子供だからそんなこと考えなくたっていいわよ.」
リツコは自分でも戸惑うくらい饒舌になっていた.アスカは黙って二人の会話を聞いていた.

「それにね,シンジくん.」
「はい?」
「一人暮らしといってもまったく一人と言う訳じゃないの.近くにはマヤ…じゃなかった…伊吹先生がいるし,休みになれば親元に戻るんだし.」
「そーなんだあ.」
「ま,その時になれば何とかなるものだから心配しなくていいわよ.シンジくん.」
「はいっ.」
シンジはにっこりとリツコに微笑んで応える.リツコもまたぎこちないがらも笑みを返していた.アスカは二人の方を見ずに何やら考え込んでいた.

「あ,シンジくん,アスカちゃん.」
「はい?」
「は,はい?」
次に言葉を発した時,リツコの口調は事務的なものに戻っていた.

「運転中は話し掛けないで.気が散るから.」
「「はーい….」」
それからシンジ達のマンションに着くまで三人は無言だった.


−*−


「本当に,どうもご迷惑をおかけいたしました.」
「どうぞ,お茶でも召し上がっていってください.」
「いえ,もう遅いですし.やることがありますのでこれで失礼します.」
「それでは後日,あらためてお礼にうかがいます.」
「いえ,本当にお構いなく.失礼します.」
碇家・惣流家の玄関口,二人を送り届けたリツコが帰ろうとしていた.

「「せんせいっ.」」
帰途に就こうとしたリツコを二人の声が引き止める.リツコは振り返った.

「どうもありがとうございました.」
「めいわくかけてゴメンなさい.」
シンジ・アスカ,別々の言葉を発すると二人は同時に頭を下げた.それに対しリツコはにっこりと笑みを返す.そして,二人の親達に一礼するとその場を立ち去った.

『本当に何やってんのかしら…私.』
帰りの運転の車の中,リツコの頬には赤いものが差していた.


−*−


「おそくなって…ごめんなさい.」
「…うん.今度からは気をつけなさい.シンジ.」
「早く夕食にしよう.もう出来てるぞ.」
以上が今日の「事件」についての碇家での会話だった.


「ごめんなさい,ママ.しんぱいかけて.アタシ,アタシ….」
「もういいから,アスカ.」
惣流家ではアスカが半べそ顔でキョウコに謝っていた.

「アタシ…わるいこだよね.パパやママにあんなひどいこといっちゃたり,シンジやあかぎせんせいにめいわくかけたり….」
「アスカ….アスカはパパやママのことが嫌い?」
「ううん.パパもママもだいすき.」
「それならいいわよ.パパには明日ちゃんと話しましょうね.」
「うん….」
「シンジくんや先生にもお礼言わなくちゃね.」
「…うん.」
半べそになっていたアスカの顔が和らいでいく.キョウコの顔に笑みが浮かぶ.

「…ん.それじゃ今日のことはこれでおしまいっ!食事にしましょ.」
「うん.ねえ,ママ?」
「パパもひとりでさびしいのかな?」
アスカの問いに驚くキョウコ.キョウコは目を丸くした後,慈しむような目で我が娘を見ていた.

「そうねえ…一人は寂しいかもね.だから,パパには優しくしてね.アスカ.」
「うん!ママ!」
雲一つ無い青空のような表情でアスカはキョウコに応えた.


−*−


「アスカちゃん,いまごろどうしてるかなあ?」
「きっとたのしんでいるとおもうよ.」
あの「事件」から10日程過ぎた日のこと,アスカはどうにか帰国できた父ゲンイチロウと一緒に「お出かけ」していた.シンジとレイは二人で碇・綾波両方の家から中間距離にある公園で一緒に朝から夕方まで途中昼ご飯を挟んで砂遊びをしていた.二人共汗だくになりながらいろんな物を作っては壊し,壊しは作っていた.

「きょうはこれでおわりかな?レイちゃん?」
「…うん.トンネルとおるかな?シンジくん?」
「とおそうよ.ここまでやったんだし.」
「うん….」
二人は大きな砂山を作って下に横穴を掘ってトンネルを作ろうとしていた.実のところ,午前中にも同じ事を試みたのだが山が小さくて上手くいかなかったのである.

「うんしょっ.うんしょっ.」
「........」
シンジは声を出しながら,レイは無言でそれぞれ両側から穴を掘り進める.今度は山を大きくして適当な水気で固めてもある.次第に両側の「掘削」は進んでいき,二人の手と手が触れ合った.笑みがこぼれる二人.

「やったね!レイちゃん!」
「うん!」
砂山から顔を上げたシンジとレイは互いににっこりと微笑みあっていた.

「シンちゃーん.」
「レイーっ.」
「あ,おかーさんだ.」
「おかあさん….」
たまたま通りがかって一緒になったシンジの母ユイとレイの母メグミがそれぞれ我が子を呼ぶ.てくてくと駆け寄る幼子二人.それぞれ公園の水道で手を洗った後,自分の母親と手をつないだ.

「それじゃ,またあしたねー.レイちゃん!」
「またね,シンジくん.」
「あしたはアスカと3人であそぼーねっ.」
「うん!」
シンジとユイ,レイとメグミ,二組の親子はそれぞれ家路に就いていった.


−*−


「ごめんな,アスカ.三人で出かけられなくて.」
ベンチに座ったゲンイチロウが同じく座っているアスカに話し掛ける.今日の「お出かけ」はアスカとゲンイチロウの二人だけ.キョウコは仕事の都合で同行できなかった.

「ううん.いいの.それよりパパぁ.」
「なんだい.アスカ?」
「その,あの…だっこして.」
アスカはいつになく顔を真っ赤にしてまるでレイがそうしているかのようにもじもじしながらゲンイチロウに「おねだり」していた.

「お安い御用.よっと.」
ゲンイチロウはそう言うとアスカを抱き上げる.

「お,重くなったなぁ.」
「パパぁ!それはレディーにたいしてしつれいよっ.」
「ははっ.ごめん,ごめん.それにしても二月半しか経ってないのに大きくなったなあ.」
「もうっ.パパったらっ.」
そう言って口を尖らすアスカだがその顔に険は無い.アスカはぎゅうっとゲンイチロウに抱きつく.ゲンイチロウはそんなアスカの背中を軽くポンポンと叩いていた.

「パパ….」
「ん?」
「だいすき….」
「…パパもアスカのこと大好きだよ.」
「うん….」
夏の強い西日の下,ゲンイチロウは愛娘を抱きながら自分にはあまりにも過ぎた幸福を噛みしめていた.


第十五話に続く?

公開08/15
お便りは qyh07600@nifty.ne.jpに!!

1997/08/14 Ver.1.0 Written by VISI.



実家で「これ」書いている筆者より

連載史上最長文,最後までお読みいただきありがとうございました.(それとも前編・後編で切った方が良かったでしょうか?どうでしょう?)

今回の話の主役は言うまでもなくアスカです.いつもとは違う役回りにキャラがだだすべりしていないかちょっと不安です(汗).展開はベタなのですが(^^;).

この話を書いている途中で過去の話で物理的に無理があるエピソードがあることに気がついて冷や汗3万トン状態になりました.(第五話.筆者のポカです.m(____)m 取り敢えず,幼稚園児が一人で手の届く公衆電話が近くにあってユイはそれを知っていたということにしてください.苦しいですけど.)アスカに代表される主要登場人物が「年不相応」なことは「開き直って」いるのですが(笑).

次回からはしばらく今まで通りの「お気楽な」話が続くと思います.御意見・御感想お待ちしております.

誤字・脱字・文章・設定の突っ込み等は,

までお願いします.


 VISI.さんの『私立第三新東京幼稚園A.D.2007』第14話、公開です。
 

 迷子のアスカちゃんとシンジくん。

 その二人に出会ったリツコ先生・・・。

 いきなり泣きつかれて戸惑って、
 無邪気に頼られて照れて、
 繰り返し送られる感謝の言葉に逃げ出すように・・・
 

 ああ、ラブリィりっちゃん(笑)
 

 アカギのりっちゃんの可愛い1面が出ていましたね。
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 子供達だけではなく、大人も可愛く描くVISI.さんに感想のメールを!

 

 

 私としては、
 30KBくらいだったら1本にまとめて欲しいな(^^;


TOP 】 / 【 めぞん 】 / [VISI.]の部屋に戻る