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 楽しいはずの昼食後のひととき。
 だが、それもすぐに終わりを告げた。
 一瞬にして、シンジの顔が強張る。

 「…2人とも、早くつかまって!」
 「な、何や?」
 言われるまま、トウジとケンスケはシンジの身体につかまる。

 ドウン!

 大きな音とともに、視界が真っ白に染まる。

 「うわっ!?」
 ケンスケが目を閉じる。
 恐ろしいほどの、エネルギーの束だった。

 屋上に炎が吹き上げる。
 手すりが、飴のように曲がって行く。
 次の瞬間、シンジ達は教室へと移動していた。

 生徒が、廊下の窓から上を見上げていた。
 校庭の方から消防車が駆けつけてくる。

 それをシンジは、渋い顔で見つめていた。




 「所長」
 声をかけられた。
 振り返ると、自分の秘書である長身の男が立っていた。

 「ラミエルがターゲットと接触しました。…ただし、逃げられた模様」
 「できるだけ目撃者を増やさないようにしろ。…今は未だ、明らかにすべき時ではないのだからな。」
 「…分かりました。」

 「…リリスの容態は?」
 「問題ありません。意識はもうすぐ戻ります。」
 「装備を準備しておけ。リリスを使うことになるやもしれん」

 「はっ…しかし、訓練もせずに、ですか…?」
 「問題はない。…アダムを捕らえるには、リリスを使うしかあるまい?」
 「そ…それはそうですが…」
 「状況報告を忘れるな。私は部屋にいる」
 「わ、分かりました。」

 きびすを返す男。
 その姿は、奥の部屋に消えた。

 「リリス、か…」
 長身の男は、呟いて別の部屋に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



Angels' Song
Angels Sing

〜天使の歌を、天使が歌う〜


第4話


味   




 

 

Since I awoke,
   thou wouldst be with me.


In the world of eternity,
   we used to do anything together.


But the day filled with the happiness was over,
   our Eden has gone away forever.


Little have we been dreaming,
   now we are only waiting for the ressurection.



Thou had me turned on
   as if there were no sorrow.


Thou made me know
   I was never alone.


But I've lost thee,
   deceived by our children.


Where hast thou gone?
   I dare to go wherever thou art.



My dear,
   I miss thee...

 

 

 

"MY LORD"
(Tossy-2 Original)
 

 

 

 

 



目覚め



 『ちっ…外したか…』

 第三新東京市立第一中学校屋上の更に上。

 澄み切った青空に、深青の宝石が浮かんでいた。
 それは舌打ちの音を発して、更に呟くと、ゆっくりと移動を開始した。
 その下では、消防車が出動し、いきなり発生した火事を消すべくあわただしく動き回っている。

 向かい側の校舎では、教師と生徒が窓にへばりついて状況を見守っていた。
 全員が呆気にとられた表情で、屋上の炎を見つめている。

 『次は、外さない』
 ラミエル、と名付けられた正8面体の物体は、そのまま空のかなたへと飛び去った。
 誰も、その存在に気づく者は居ない。
 ただ一人、シンジを除いて。

 火がようやく消えてきた屋上。
 そこにある手すりは、熱でひしゃげてしまっていた。
 そして、曲がった手すりには、黒い煙を上げ嫌な匂いを放つ、ビニール袋の成れの果てがぶら下がっていた。
 ぽとり、地面に落ち、灰となって崩れる。

 「お…?」
 消防隊員の一人が、それを見つけた。




 放課後、事件のあった屋上に一人の人影があった。
 理科教諭・赤木リツコである。

 「見事なものね…」
 言いながら、煙草に火を付けた。

 ふぅ…
 リツコは煙を吐きながら、目の前にある巨大な穴を見つめた。
 穴からは、下の教室…視聴覚室…が見える。
 あの時何があったのかは一切不明だ。
 ただ分かっているのは、幸いにも部屋には人が居らず、けが人が出なかったということだけ。

 (この穴は…)
 バズーカ砲など銃火器を近距離でぶっ放したとしても、こうはならないだろう。
 第一、そんなことをすれば自分自身だってどうなるか分かったものではない。

 とすれば、考えられるのは…

 「収束した、超高エネルギー体ね…。」
 殺人レーザー、などという生やさしいものではない。
 軽く見積もって、出力は少なくとも数百万ワット程度。
 一体ここに何があったのか?
 ここで何があったのか?

 考えるが、分からないことだらけのまま。




 そんなリツコの視界に、真っ黒に炭化したビニール袋が捉えられる。

 「ん…あれは…」
 事件発生は昼休み…とすれば…

 「…あの3人か。」
 そう呟くリツコの脳裏には、3人の少年の顔が浮かんでいた。
 鈴原トウジ、相田ケンスケ。そして…碇シンジ。

 だが、彼らが犯人と言うことはまず無いだろう。
 こんな高エネルギー体を発射するには、相当な設備が必要になるはずだ。
…まあ、現代技術において、の話であるが。

 彼ら3人がそんなものを持っているという可能性は低い。
 ならば、むしろ彼らは被害者側なのか?
 そうすると、何故狙われたのだ?

 「・・・」
 無限の繰り返しに陥りそうな思考を停止すると、リツコは屋上を後にした。
 出入口を閉め、扉に「立入禁止」の札をかけておく。
 明日から、警察の捜査が行われると言うが…犯人側の証拠になりそうなものは、ざっと見たところで何もない。

 「とりあえず、あの3人にはちょっと聞いてみる必要がありそうね…」

 無人の屋上、そこに開いた穴から風が部屋に入り込む。
 所々焦げてしまった、真っ白なはずのカーテンが揺れた。




 ピッ…… ピッ……

 電子音が流れる真っ白な部屋で、一人の少女が目を開ける。

 青みがかったプラチナブロンドの髪。
 白い肌。
 ゆっくりと開かれた瞳は、紅い。

 「私は…生きてるの…?」
 消え入りそうな声で、呟いた。
 それは、誰にも届かずに、消える。

 「何故…生きてるの…?」
 何度も繰り返してきた疑問。
 自分の心の中で、何度も何度も問いかけた。
 しかし、その答えはとうとう出ることはなかった。

 まだ意識がはっきりしないせいか、視界もぼんやりとしている。
 真っ白な部屋の天井は、やはり白い。
 その向こうに、一人の少年の顔がだぶって見えていた。
 無意識のうちに彼女は手を伸ばそうとする。
 しかし身体は思い通りに動いてくれなかった。

 強張った筋肉の痛みに、顔をしかめる。
 それがやわらいだとき、少女は天井に向かってぽつり、つぶやいた。

 「…教えて、アダム…」




 さて、その翌日。

 キーン コーン カーン コーーン…

 「起立! 礼! 着席!」
 チャイムが鳴り、教室がにわかに騒がしくなる。
 4限終了…即ち、昼休みの始まり。
 生徒達は、一斉に各々の弁当を取り出し、食べ始める。

 「さ〜、メシやメシぃ!」
 それは、彼らとて例外ではない。
 昨日あんな事があったばかりだが、食欲には勝てないらしい。
 まあ、屋上で食べることは、しばらくの間できなくなってしまったが。

 「いつもながら…嬉しそうだね、トウジ」
 「ああ、トウジは昔からそうなのさ」

 「なんせ、この時のために学校来とるようなもんやからなぁ」
 「…とね。」
 苦笑するケンスケ。

 「ふーん…」
 「シンジ、一緒に食べましょ」
 アスカがやってくる。
 椅子を持参して来て、有無も言わさず既に食べる体制に入っていた。

 「ホラ、ヒカリも来なさいよ!」
 「え?…わ、私は…」
 「いいからいいから!」
 赤くなってもじもじしているヒカリを、アスカが無理矢理といった感じで引っ張ってきて、トウジの隣りに座らせた。
 ヒカリは、更に赤くなる。

 「…でもめずらしぃわね。アンタ達が教室で食べるの」
 「なんや、文句あるんかい」
 「まぁまぁ。…ほら、昨日の事件…」
 「あの火事?」
 「そう。あのせいでさ、屋上が立入禁止になってるんだよ。」
 「なんだ、つまんないの。」




 「それになんか、今日警察が捜査しに来るとかなんとか耳にしたんだけど…」
 ケンスケが眼鏡を光らせる。
 こう言う情報は、ケンスケを信用しても大丈夫だ。

 「それじゃしばらく入れないわね。」
 「そや。…はぁ、ワシらの平和なひとときはどこへいってしもうたんや〜」
 わざとらしく、トウジが嘆いた。

 「もともと、無かったんじゃない?」
 「な、なんやとぉ!?」
 息巻くトウジ。

…と、アスカが急に小声になる。

 「…で、本当の所は?」
 「また、『ANGEL』だよ。」
 今度は、シンジが答えた。
 手の中のジュースの缶を見つめながら、ぽつりと呟いた。

 「狙撃されたんだ。」
 「なっ!?」
 思わず声を上げそうになって、あわてて押し止める。
 一瞬教室内の目が集中したが、いつものこととすぐに戻った。

 「なんで黙ってたのよ!?」
 「だって…他の人に知られちゃうとまずいし…」
 「何よ、アタシが喋るかもしれないっての?」
 「…いや、そういうことじゃないんだけど…」

 『生徒の呼び出しをします。』
 突然、校内放送が入った。
 リツコの声だ。

 教室内が、一瞬で静寂に包まれる。

 『2年A組、相田ケンスケ君、鈴原トウジ君、碇シンジ君。至急、理科準備室まで来て下さい。繰り返します。2年A組…』
 シンジ達3人は、しばらく見つめあっていた。
 放送が終わってから、ようやく立ち上がる。

 「…何だろ?」
 「まさか昨日のアレやないか…?」
 「いや、理科の実験の準備を手伝えとかなんとかじゃ…」
 議論しながら教室を出ていく3人。
 それを全員が見送った。
 きょとん、とした目で。
…アスカを除いて。

 「まさか…?」
 ただ一人、真実を知るアスカは、心配そうな瞳で3人の消えた扉を見つめていた。




 プルルルル…

 薄暗い部屋。
 内線電話が鳴った。

 バイザーをかけた男が、手を伸ばして受話器を取る。
 その表情は窺い知れない。

 「私だ」
 流暢な日本語で話した。
 とても、ドイツ人だとは思えないほどだ。

 『所長、リリスの意識が回復しました』
 「そうか。身体の方は?」
 『筋肉が衰えています。リハビリが必要です』
 「とりあえず動くことができればいい。どれくらい必要だ」
 『12時間ほどあれば…とりあえずは。』
 「そうか。明日正午までに動けるようにしろ。その後、ラミエルと合流させろ。」
 『了解しました。』

 プツッ…

 電話が切れる。
 男…キール・ローレンツは、ゆっくりと受話器を置いた。
 口元を歪ませる。

 「フ…さて、どう出るかな? アダムよ。」




 理科準備室前。
 「管理責任者 赤木リツコ」の札が脇にかかっている。
 シンジは、それを見つめていた。

 「相田、碇、鈴原です。」
 ケンスケが言う。
 すぐに中から返事が返ってきた。

 『ああ、入ってちょうだい』
 「失礼します」

 扉を開け、中に入る。
 理科室特有の、薬品の匂い。
 棚には色とりどりの瓶が並んでいる。
 その向こう、いくつかある机の内、大部分は実験器具で埋まっていた。

 「先生?」
 「こっちよ」
 薬品棚の影から、リツコが手招きする。
 それに導かれて行くと、リツコはパソコンを使って何かしていた。

 スクリーンセーバを立ち上げ、リツコがこちらを向く。
 画面には、何やら数式とアルファベットが、びっしり並んでいたようだ。
 何が書いてあるのかは、一瞬だったので分からない。

 「その辺に椅子があるでしょう? それに適当に座って。」
 「・・・」
 言われるまま、椅子を取り出して3人とも座る。
 紙コップに注がれたコーヒーが差し出された。
 湯気が立っている。

 リツコが眼鏡を外す。
 そしてゆっくりと、言葉を紡いだ。

 「単刀直入に訊くわ。…あなたたち、昨日狙われたのは何故?」
 「!!」

 予想もしていなかった質問にたじろぐ。
 シンジ達3人の背筋を、冷たい汗が流れた。




 「所長」
 先程の秘書だ。
 部屋に入ってくる。

 「リリスの準備が整いました。いつでも出せます」
 「…早速、ラミエルと合流させろ。…ただし、そこまで連れていく必要はない」
 「はっ…しかし、なぜです? まだ完全状態とは…」
 「それが狙いなのだよ」
 遮って、答えが返る。
 不気味に歪めた口元は、まるでその質問を待っていたかのように。
 一瞬の間、そして言葉がゆっくりと紡ぎ出された。

 「…アダムとリリスがコンタクトを取っていた節があると言ったな。」
 「はい」
 「アダムはリリスの姿を知っている可能性が高い。それを利用するのだ」
 「・・・」

 「アダムとリリス、確かに『Seraph』は二体だけしかおらん。しかし、アダムとリリスは完全な単体でありながら、互いに補い合う存在なのだ。」
 「・・・」
 「リリスを傷つけることは、おそらくアダムにはできまい。その隙にラミエルを使えばいい」
 「…リリスを囮になさるおつもりですか!?」
 「そうだ」
 「所長もおっしゃいましたが、『Seraph』は二体しか居ないのですよ! 『Seraph』のコピーが作れないことはご存じでしょう!? それに、まだ『Angel』の秘密もまだ完全に解明されたとは…」
 「…私に命令するのか?」
 冷酷な声が放たれる。
 一瞬にして、秘書の動きが凍り付いた。

 「お前は、従うのか? それとも…?」
 「すっ、すみません! 出すぎた真似を…」
 慌てて取り繕う。
 端から見ていて滑稽なほどだった。

 「ふん…わかればよい」
 「し、失礼します!」
 秘書は、逃げるように部屋を去った。




 「昨日の事件、あの時あなた達は屋上にいたわね?」

 「ち、違います! 丁度屋上で昼御飯を食べ終わって…帰るところで…」
 「…嘘はつかなくて良いのよ。秘密は守るから。」
 「・・・」

 「屋上に、焼けこげたビニール袋の破片があったわ。」
 ぽつり、リツコは言って、傍らに置いてあったコーヒーを飲んだ。
 蝉の声が、ガラス越しに小さく聞こえる。
 一口口を付け、リツコは静かにカップを置いた。

 「いつもゴミはちゃんと片付けられていた。けれど昨日は残っていた。ついでに、中身の一部もね。」
 「あ、あれは屋上に忘れて…」
 「…それから、屋上入り口の足跡も調べたわ。…屋上に入る足跡はあった。けれど、出ていく足跡は無かったのよ?」
 「・・・」
 「そして、例の『攻撃』は…ゴミ袋から数歩下がったところを的確に狙っていたわ。そこに、何があったのかしら?」
 「・・・」

 「なぜ、調べるんですか…?」
 ケンスケが訊く。
 唾を飲み込むのが、傍目にも良く分かった。

 「おそらく、あの『攻撃』は高エネルギーの収束体に寄るもの。少なくとも銃火器などではないわね。」
 「・・・」
 「現代の技術であれだけの高出力を出すには、かなり大がかりな設備が必要なはずなのよ。それが見つからないということは…もっと進歩した技術が用いられている可能性があるわ。それに興味があることは事実ね」




 「…そんなものじゃありませんよ」
 うつむいていたシンジが、突然言葉を発した。
 トウジとケンスケの肩がびくんと震える。
 リツコは、再びコーヒーに口を付けた。

…冷めている。
 だが、そんなことを気にする以前に、シンジの言葉の方に興味を引かれていた。

 「言い逃れができないのは分かっています。…けれど、これ以上は今のところ話せません。」
 ゆっくり、シンジが顔を上げる。
 その顔に浮かんでいたのは、恐ろしく真剣な表情だった。
 一瞬、リツコでさえたじろいでしまう。

 「な…なぜ?」
 「知らない方がいいことなんですよ、これは…」
 「まさか…あなた達が『あれ』をやったというの!?」
 「違います」
 シンジははっきりと、首を横に振った。

 「…ならば、なぜ?」
 「もっと、命を大切にして下さい」
 一瞬、悲しそうな表情を浮かべたシンジの顔を見て、あとには何も言えなくなった。

 キーン コーン カーン コーーン…

 チャイムの音がする。
 シンジは立ち上がった。
 トウジとケンスケも慌ててそれに続く。

 「…あ、これ…」
 リツコにカップを返す。
 口が付けられていないままのコーヒーが入っていた。

 「…僕、飲んでませんので…」
 シンジが最後にカップを渡した。
 そして、3人とも部屋を出ていく。

 「今言えるのは、これだけです。済みません」
 こんな言葉を残し、シンジは教室へ帰っていった。
 トウジとケンスケも礼をして、理科準備室を後にした。

 「結局、分からずじまいか…」
 自嘲するように呟いて、一人残ったリツコは、3つの紙コップに目をやる。
 湯気が立ったままのカップが一つだけある、そのことにリツコはまだ気づいていなかった。




 教室。
 まだ中は騒がしい。

 扉が開き、シンジ達が帰ってきた。
 一瞬視線が集中して、また元に戻る。
 教師は、幸いながらまだ来ていなかった。

 「シンジ」
 アスカが問う。

 「何訊かれたの?」
 「…案の定。」
 「やっぱり…で、話したの?」
 「ううん」
 「そう…」

 「…でも、すぐに話さなきゃいけなくなるかも…」
 「・・・」
 「いろいろ調べられてて…僕のことまでは及んでなかったけど。」
 「まぁ、あのオバサンは昔から『マッド』だったからね」

 「え?」
 「…アタシの両親と知り合いなのよ。」
 「ふーん」

 その時、いつもの数学教師がやってきた。
 慌てて席に帰る生徒、多数。
 そして、いつもと変わらぬ授業がスタートする。

 「起立! 礼! 着席!」




対面



 『…そんなものじゃありませんよ』

 言われた言葉を反芻する。
 ぽつり、と何と言うことなしに放たれた言葉だった。
 しかし、それが含んでいる意味は大きい。

 シンジは、何を知っているというのだろう。
 犯人ではない、それは直感で分かった。
 やましいところがあれば、あれほど真っ直ぐ人を見据えられるはずがない。
 では、彼は何者なのか…?

 彼の両親のことを思い、はっとする。
 父親は物理学者、そして母親は高名な生体科学者。
 まさか、その実験により生まれた『新人類』だとでも?

…そこまで考えて、ふっと口元に笑みが浮かぶ。
 ありえない、そう思ってリツコはその考えを頭から消した。
 我ながらばからしい考えをしてしまったものだ。リツコは自嘲した。
 しかしそれは、予想以上に『真実』に近かった。そのことを、彼女は知らない。

 そして推理は、ふたたびふりだしに戻ってしまう。
 何度も何度も初めからやり直す、それが進歩につながる。
 だが、それ以上正確な推理を進展させるには、リツコが知っていることはあまりに少なかった。

 また、シンジの言葉を思い出す。

 『もっと、命を大切にして下さい』

 その『何かの事実』を知れば、命を狙われる危険があるという事だろう。
 いくらなんでも大げさなのではと思うが…。
 それでも、あんなに真剣な顔で言われたのでは疑えるはずもない。

 知的好奇心と自分の生命を、リツコはためしに天秤に掛けてみた。
 だが、その針はゆらゆらと揺れるばかりで。
 どちらが大切か、まだ分からなかった。

 確かに、何か足を突っ込まない方がよいという予感はしていた。
 感情より論理的判断を優先するリツコにとっては、不可解なことでありながら。
 しかし一度突っ込んでしまえば、抜け出すことは叶わない。
 底なし沼のようにずぶずぶともぐっていく運命にあるのか、それとも。

 「理性的」で有名な赤木リツコは、めずらしく逡巡していた。
 カチリ、煙草に火を付けた。
 紫煙が広がる。




 「…しっかし、いきなりあれだもんな…」
 「焦ったで、ホンマ」
 「…で、質問の理由は何だって?」
 「さっきも言ったろ。『新技術かも知れないから、それに興味がある』だってさ。」
 「リツコらしいと言うか…つくづくマッドサイエンティストね」

 「…リツコ先生居たら、殺されとるで」
 「いや、殺されるより、実験台にされそうな気がするぞ」
 「そやな」

 「・・・」
 最近、シンジを介して割と仲が良くなってきたトウジ達とアスカ。
 賑やかに話す3人の後ろを、シンジはきょろきょろしながら歩いていた。

 (何かを感じる…)
 『Angel』達ではない。
 もっと、何か…『懐かしい』感じがした。

 「でも本気、このままだとまずいんじゃないか?」
 「アンタバカぁ? あったり前でしょ!」

 知っている。
 この感じは…

 「…リリス?」
 そのつぶやきは、誰の耳にも届かなかった。




 青空の下、一人の少女がぎこちない足どりで歩を進めていた。
 青みがかったプラチナブロンド、白い肌。
 そして何より特徴的なのが、赤い澄んだ瞳。
 彼女の瞳は、きっとその無垢な心を現しているのだろう。

 レイ…コードネーム『リリス』である。

 彼女たち『Angel』がいつも着ている密着型の服…「プラグスーツ」と言うが…ではなく、割とカジュアルな服装でレイは歩いていた。
 当然、作戦行動のためだ。
 目立ったり、周囲の人間に何かを悟られてはならない。

 『ラミエルと合流し、アダムと接触せよ。お前はアダムを連れて、帰還せよ。抵抗するようなら、組織一部のみのサンプルでも構わない』
 それが、今回受けた命令だった。
 多少痛みの残る身体を引きずりながら、レイは命令を忠実に実行している。
 それだけが、今まで学んだことの全てだったから。

 「命令には絶対服従すること」。
 そう、ずっと教え込まれてきた。

 感情を持つなどと言うことは、「あそこ」の中にあって禁忌に等しい。
 「あそこ」では、自分達は「道具」としてしか見てもらえない。
 「道具」…「人形」に、感情は要らないのだ。
 そんな自分に、自らの『心』を教えてくれた、『彼』。

 「アダム…」
 知っている匂いが、風に乗ってやってきた。
 この空の下、どこかに『彼』は居る。
 未だ見ぬ、『本物の彼』が。
 そう思うと何故か足どりが速まるのを感じ、レイは不可解に思いながらも歩き続けていた。
 まだ、どこかよろけるような歩き方で、ゆっくりと。




 『目標、発見か…』
 シンジ達の上空十数メートルのところをホバリングしながら、ラミエルは呟いた。
 今、彼が攻撃をすれば、おそらく目標はひとたまりも無いことだろう。
 しかし、今はまだまずい。
 周囲の人間に、知られてはならない。

 『こうなったら、先にリリスを探すとしよう』
 移動を開始する。
 その身体は、青い空にとけ込んでいるので、誰も気にしていない。
 いや…それ以前に、こんな天気のいい時に空を気にする人などいるだろうか。

 青い八面体は、小さな音を立てながらゆっくりと動いて行く。

 『もうこの街には入っているはずだけど…』
 反応を探る。

 彼らは、自分達の仲間の居場所を、少しなら知覚できるのだ。
 それでも、『Angel』クラスではぼんやりとしたことしか分からないので、結局最後は自分で探さねばならない。

 すぐそこに大きな反応。これは、アダムのものだ。
 そして…その前方数百メートルの付近に、微かな反応が感じられる。

 『…これか』
 その方向に向かい、ラミエルは速度を速めた。




 きょろきょろと、辺りを見回すシンジ。
 さっき、またあの反応が感じられたのだ。
 懐かしい感じのする、あの反応が…。

 (やっぱり、これは…)
 まるで、そこらでばったり会ってしまいそうな予感すらする。
 脱出の前日、それ以来『会話』をしていない、彼女。
 その日に大怪我を負ったという、彼女。

 おそらく、自分を連れ戻しに来ているのであろうが、もしそうだとしても、会って話がしたかった。
 実際に、会って。

 「なぁ、碇。何そんなに落ちつかんのや?」
 見かねてトウジが訊ねる。
 いきなり聞かれて、シンジは慌ててしまった。

 「…え? い、いや、そういうことじゃ…ないんだけど…」
 「…あれだろ? こないだの…」
 「何や、そか」
 「そうだろ?」
 「う、うん。まあ…」
 困っていると、ケンスケが助け船を出してくれた。
 少々実際の事実と違うが、それは致し方ないところであろう。

 だが、やはり辺りを見ながら歩くのは止めなかった。
 今度こそ、本当に逢えそうな気がするのだ。
 彼女…『リリス』に。




 アダム達より前方、100メートルほどの路地を、リリス…レイは歩いていた。
 それを見つけ、ラミエルは合流しようとしたが、周りには人が居る。
 なるべく秘密裏に全てを行わなければならない。姿を現せばいい話であるが、自分の正体がばれてしまっては仕方が無いのだ。

 『さて、どうしたものかな…』
 少なくとも、リリスがこちらに気づいてくれさえすれば誘導するのは簡単なのだが…どうも、病み上がりのため能力が多少落ちているらしい。
 気づきもしないようだ。

 『困ったな…』
 そして、辺りを見回しはっとする。
 アダム達一行はまっすぐこちらへと進んでくる。
 リリスもその道との合流地点に向かって歩んでいく。

 このままだと、アダムとリリスが出会ってしまうかも知れない。
 そうしたら、リリスを囮にする、その役目は果たせない。
 即ち、作戦の失敗…。

 『まずい!』
 ラミエルは、極細いビームを、リリスの足下めがけて撃った。
 それによりリリスの歩を止め、ついでに自分に気づかせようと言う作戦だった。

 「きゃっ!?」
 足下の地面が軽く焦げる、それに気づいてレイは足を止める。
 が、歩くという感触が鈍っていたため、バランスを崩す。そしてレイはよろけて転んでしまった。
 時既に遅く、道の合流地点まで来てしまっている。

 「く…」
 痛む身体を起こそうとしたが、まだなかなか起きられない。
 転んだときに、どこか痛めたようだ。
 苦痛に歪む表情のその向こうで、一人の少年がこちらへ向かってくるのが見えた。




 「…きゃっ!?」
 かわいらしい悲鳴とともに、すぐそこの角で転んだ少女がいた。
 相変わらず回りを見ていたシンジは、その声の方角に目を向けた。

 青みがかった銀髪。
 白い肌。
 『彼女』だ…。シンジは思った。
 間違えようがなかった。
 漂ってくる「反応」も、すべてが。
 気づいたとき、シンジは無意識のうちに駆け出していた。

 「な、何や!?」
 「シンジ!? 何すんのよ!」
 アスカ達をかき分け、彼女の元へ向かう。
 後ろでアスカが呼んでいた。だが、その声は耳に響くだけ。

 「大丈夫?」
 慌てて上半身を抱き起こす。

 「うう…」
 呻く少女。
 やはりどこか、怪我をしているらしい。
 間違いない、シンジはそう思った。

 「ねえ、『リリス』…」
 隠された名を呼ぶ。
 それを聞いて、少女が目を開けた。
 薄目でシンジの顔を見る。
 だがすぐに、その目は大きく見開かれた。

 赤い瞳がはっきりと見えた。
 驚きの表情を見せる彼女。
 そして口から、言葉がこぼれる。

 「アダ…ム…?」




 「このバカシンジ! 人の話はちゃんと聞きなさいよ!」
 「何しとんのや。…ほぉ、見知らぬ女に手ぇ出すようなヤツだったんかいな、碇は」
 腹を立ててシンジの方に向かってきたアスカ達。
 何事かと、シンジの腕の中を見やる。
 そこには一人の少女が苦痛にあえいでいた。

 「大体、その女誰なのよ」
 アスカがいらいらしながら訊ねる。
 シンジと、どこかしら雰囲気の似ている少女だった。

 「彼女は、『リリス』…いや、『レイ』。僕と同じ存在の一人…」
 レイと呼ばれた少女の方をじっと見つめたまま、シンジは答えた。

 「ということは…」
 「コイツも、このシンジを捕まえに来た訳ね。」
 ぴくりと震えて、しばらくの後。
 コクン、正直にレイは頷く。

 「じゃあ、早いところ始末しちゃいなさい。今なら、簡単でしょ?」
 「・・・」
 「それとも、やっぱりコイツらについていくの?」
 相変わらず苛立った口調のアスカ。
 それに反応して、レイの手がシンジの服をぎゅっと握りしめた。

 「・・・」
 目には怯えの表情が浮かんでいる。
 そんなレイに気づき、シンジは軽く微笑んだ。
 まるで「大丈夫」という様に。

 「…できないよ、どっちも。」
 「できない、って…アンタねぇ」
 「怪我してるんだよ、レイは…。たとえ敵でも、傷ついている者を攻撃するなんて…そんなこと、そんなずるいこと、僕にはできない…。」
 あまりに悲しみを帯びた言葉に、アスカ達の感情も尻窄みになっていってしまう。
 こちらを向いたシンジの顔は、まるで運命を嘆くかのよう。

 「…わかったわ。怪我人なら、確かに手当は必要ね。」
 「だけど、どうする? 病院は、保険ないと金がかかるぞ」
 「ここなら、NERVが近いわ。おじさま達を呼んで、事情を説明すれば…」
 「なるほど。その手があったな。」
 「じゃあ、早速行きましょ。」
 全員で手を貸し、レイをシンジに背負わせる。

 「ありがとう…」
 シンジは呟いた。




 「まずいな…」
 一人ごちる。
 とりあえずその場を離れ、仮の住まいへと舞い戻ったラミエル。

 結局リリスとの合流は失敗し、リリスはアダムと接触してしまった。
 こうなれば、もはや囮としては使えない。
 作戦を根底から立て直す必要があった。

 だが、これもある意味では幸運ではある。
 リリスが彼らの中に入り込んだと言うことは、彼らをよりよく調べることができる。
 場合によっては、リリスに作戦を実行させることもできるだろう。

 最終的にどうなろうが、作戦さえ成功すればよいのだ。
 自分達は、そのためにいるのだから。

 ずっとそう教え込まれてきた。
 これは一種のマインドコントロールであるが、そのことには気づいていない。
 それが自分の定められた運命であると信じて疑わなかった。

 逃げ出したアダムのことを聞いたとき、情けないと笑ったものだ。
 彼らの中でも最高の能力を持ち、最高位に立つ存在であるはずのアダム。その行動が、逃げることとは。
 全くもって不甲斐ない奴だ、そう思った。

 「アダム…大したことないようだね、やっぱり。」
 ラミエルはつぶやき、口元をにやりと歪めた。




 ジオフロント、NERV研究所正面入口。

 「碇ユイさんを、おねがいします。」
 子供が5人、受付前にやってきた。
 受付の男は少々怪訝な顔をしながら受け答えする。

 「君は?」
 「…息子です。」
 「ちょっとお待ち下さい…」
 男が受話器を取る。
 まだ体力が回復していなかったのだろう、レイは疲労で寝入ってしまったらしい。後ろから、寝息が静かに聞こえていた。

 「…第三研究室ですか? 碇さんいらっしゃいますか? こちら受付ですが。…ええ、息子さんが。…はい。わかりました。」
 どうやらユイはいたようだ。
 受話器を置いて、シンジ達に告げる。

 「すぐ来ると言っていたよ。」
 「ありがとうございます。」
 ペコリ、全員で礼をした。
 と、そこへユイがパタパタ駆けてきた。

 「シンジ、何かあったの?」
 「あ、母さん。実は…」




 「…彼女は、『リリス』と言って、僕達の中で唯一僕と同じ存在なんです。」
 「『リリス』?」
 「はい。イヴより前に創られた、アダムの最初の妻、という意味だそうです。」
 「そう…」
 経緯を簡単に説明し、なんとか医療班に診てもらえることになった。
 今回も、日向という青年医師を中心としたグループだ。
 機密保持ということもあるのだろう。

 しばらく経って、簡単な診断が終わった。
 日向がやってきて、2人の向かいに座った。

 「どうでしたか?」
 「結論から言いましょう。特に内臓がひどいですね。」
 「外傷は?」
 「そちらはあまり。…ですが、骨格・筋肉を初めとした内臓にところどころ裂傷が見受けられます。…もっとも、大部分はふさがりつつありますが。」
 一度、そこで日向は言葉を切った。
 傍らに置いてあった水を、一口飲む。

 「転んだ衝撃で、数カ所また傷が開いています。おそらく、かなり前の傷なんでしょうが…理論上はありえないですよ。あれほど内臓がひどく損傷したのに、外傷が殆どないなんて…。一体、彼女は、どんな怪我をしたんです?」
 「…空間干渉実験中に、虚数回廊に飲み込まれたんです。」
 ぽつり、シンジがうつむきながら言った。

 「空間干渉、って…」
 「虚数空間へのワームホールを開く、そういう実験です。」
 「何てこった…!」
 それを聞いて、日向は驚いた。
 『彼ら』は、そんなことまでできるのか…その中には、幾ばくかの恐怖もあったのかも知れない。

 しかし、その話でようやく彼は納得した。
 虚数空間などでは、物体の中と外の概念が無くなるはずだ。
 そうなれば、次元境界の、ひどく不安定な空間に於いて、内臓「だけ」が傷つけられたとしても、不思議ではない。

 「それで、彼女は…」
 「もう意識もだいぶはっきりしていますし…差し当たって、手術などは必要ありませんね。安静にしてさえいれば。」
 「そうですか。…ありがとうございました。」
 ユイが頭を下げる。
 シンジは、軽く礼をして、ガラスの向こう、レイのいる部屋に目をやった。




 ゼーレ研究所日本支部、所長室。
 現在行われている作戦の途中経過を、部下が報告に来た。

 「…何だと?」
 思わず聞き返すキール。
 その眉根が、微かに動いた。

 「ラミエルによると、『リリスがアダムと接触、そのままリリスはアダムに連れ去られた』…とのことです。」
 「リリスが…まずいな。」
 唇を噛む。
 忌々しげに。

 「…全く、何故シナリオ通りにいかんのだ。」
 「…ですが、これは逆に機会でもあるのではないでしょうか?」
 「つまり?」
 「アダムと、ターゲット達の関連、それを調べることはこれ以後の作戦にも影響してくると思われますが。」
 「…そうだな。場合によっては、リリスを使って内部崩壊を招くことも…」
 「可能でしょう。」
 「日本語では、『怪我の功名』、とか言うのだったかな?…まあ、よい。結果が全てだからな。…報告を忘れるな。」
 「では、失礼します。」
 部下の男は、丁寧に礼をして、部屋をでていった。




 「ん…」
 目を覚ますと、見たことのない天井が広がっていた。
 身体が痛い。
 あちこちに、まるで針でも入っているのかと言うような、鋭い痛みを感じた。
 どうやら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 街角で、アダムに出会ってから、それから…少し、記憶がはっきりしない。

 少し顔をしかめ、そして何とか起きあがる。

 「私は…?」
 見慣れない場所に居ることに気づいた。
 掛けられた毛布がずり落ち、彼女はそちらに目をやった。
 自分の身体が、とりあえず無事であることを確認すると、彼女は辺りをきょろきょろと見回した。
 ふすまの向こうから、明かりが漏れてくる。

 「ここは、どこ…?」
 呟く。
 見た所で判断するに、どこかの「家」の、一室らしい。
 しかし、「どこか」までは分からない。
 どこだろう?

 そう思ったとき、ふすまが開いた。




 「あら、気がついた?」
 部屋に入ってきたのは、女性だった。
 口元に軽い微笑を浮かべ、レイの方にやってくる。

 「でも、まだ寝ていなくてはだめよ。」
 優しくレイを横たえると、毛布を身体の上に掛ける。
 そうされたときレイは、心の中に知らない感じが広がるのを感じた。
 それは、他人が形容するならば…「安堵」と言うものだった。

 「私は、碇ユイ。あなた、レイちゃんていうのね?」
 こくり、軽く頷いた。

 「…母さん」
 ユイの向こうから、声がかかる。
 懐かしい声だった。
 レイは、首だけそちらの方を向けた。

 「アダム…?」
 逆光になって良く見えなかったが、その顔は確かに自分の知る『アダム』のもの。
 心の内で、自分が密かに求めていた存在が、今ここにいる。
 彼は、自分のことを助けてくれた。自分の命令を、多分知っているはずなのに。
 どうして? どうして、アダムは私のことを…?
 しかし、自分は…命令に従わねばならない。

 何となく後ろめたい気持ちにとらわれ、レイはすっと視線を逸らした。




 その心の中を見透かすかのように、シンジは言った。

 「『リリス』。」
 びくっと身体を震わせる。

 「…知ってるよ。君がここに来た目的も、受けた命令も。」
 「なら…」
 「どうして助けたか、って思ってるんでしょ?」
 その通りだった。
 目を見ず、レイは静かに小さく頷く。

 「それはね…『リリス』、君が怪我をしていたからだよ。」
 「・・・」
 「見過ごすことも、できたはずだ。けどね、僕は君のことを放っておくなんて事はできないんだ。」
 「何故…? 時が来れば、私は…私は…」

 「確かに、2つに別れて戦うことになってしまうだろうね。でも、それでもいい。僕は…君だけには死んで欲しくないから。たった一人、心を通わせることができた『Seraph』として…」
 「…死ぬのは、怖くないわ。それが、与えられた使命ならば」
 シンジは、静かに首を振った。

 「僕も最初の頃はそう思っていたよ。だけど…ここに来て、いろいろ教わったんだ。心とか、感情が僕達にもあることを…。そして、『心』がどんなに尊いものか、気づかされたんだ。」
 「『心』…?」
 「そう。たとえ大きな『力』を持っていたって、『心』が無くては使いものにならないんだよ。」
 「・・・」

 「…それに、人間はそれほど不浄なものじゃない、って思うんだ。」
 「『アダム』…!」
 「確かに、悪い人間はいる。けれど、それと同じくらい、いい人だっているんだ。」
 「・・・」
 「行き倒れてた僕を、人間として育ててくれているのも、彼ら人間達なんだよ…」
 「・・・」
 レイは、言葉を失った。

 確かに、それは消えても良いような存在のすることではない。
 けれど…自分の運命は? 『彼ら』に従うことではなかったのか?
 わからない。どちらが正しいのだろうか。
 どちらが間違っているのだろうか。




 困ってしまった顔のレイを見て、シンジは言葉を続けた。

 「僕は、これ以上は言わないことにする。…後は、『リリス』。どうするかは、君が決めるんだよ。」
 枕元から、シンジが立ち上がる。
 ユイもそれに倣う。

 出ていくとき、最後にシンジは言葉を残した。

 「『リリス』。君を必要としているのは、『彼ら』だけじゃないんだ。…それに、君の『力』じゃなくて、『君自身』を必要としている存在もいるんだよ…。」
 ふすまが静かに閉まり、一筋の光だけが入ってくる闇の中にレイは取り残された。

 アダムが出ていったそのふすまを見ながら、視界が何故か歪んでいるのを感じる。
 目に手をやると、濡れた感触。

 「これは…何? 私、どうかしてしまったの…?」
 胸が締め付けられるように痛い。
 しかし、それでいてどこか暖かい感情がわき上がってくる。

 「私は、どうしたらいいの…?」
 それに、闇は、そして差し込んでくる光も、答えてはくれなかった。




敵対



 朝、シンジが起きてレイの居る部屋に向かうと、既にそこにはレイはいなかった。
 畳まれていないままの毛布は、まだ暖かい。
 玄関に行ってみる。…靴も、無い。

 「帰っちゃった、か…」
 寂しげにそう呟き、しかしシンジは追おうとはしなかった。
 レイが、自分で決めたことだから。強制は、したくない。

 「あら、レイちゃんは?」
 後ろからユイがやってくる。
 レイが居ないのに気づいたようだ。

 「…帰ってしまいました…。」
 「あら…でも、良いの? 追いかけなくて」
 「良いんです。…これは、彼女が自分で決めたことですから…。僕がとやかく言う権利はありませんよ…。」

 そしてシンジは、玄関を後にする。
 その背中は、少し寂しそうだった。

 「シンジ…」
 シンジの心の中を思い、ユイはその名を呼んでみた。




 とあるアパートの一室に、中学生ぐらいの少年少女の姿があった。

 「今までどこに行ってたんだい?」
 意地悪く問いつめる声がする。
 これは、少年の方だ。

 「ごめんなさい…」
 少女から返るその返答からは、何の感情も読みとれない。

 「まったく…おかげで日程が遅れちゃったなぁ…」
 「ごめんなさい…」
 全く感情のこもらない声。不自然なほどに。
 蒼銀の髪の向こうから、二つの赤い眼差しが覗いている。

 「まぁいいや…。いいかい、今度は失敗しないでくれよ。『リリス』。」
 「はい…」
 少女の瞳の光は虚ろ。
 何も映ってはいない。

 そして、2人は部屋を出ていく。
 殆ど家具もない、生活感の全くないと言っていい部屋を後にする。
 ばたんと閉まった扉。
 鍵も掛けずに、2人は外出した。




 「おばさま、あのレイとか言う子は…?」
 全員、食卓について朝食を食べているとき。
 ふと、アスカがその疑問を口にした。
 シンジの身体が少し震える。が、それには誰も気づかない。

 「…行っちゃったわ」

 「え?」
 アスカは、鸚鵡返しに聞き返した。

 「だから…レイちゃんは出て行っちゃったのよ…」
 「お礼も言わずに、ですか?…全く、愛想の無い女ね。礼儀も知らないんだから」
 「仕方ないわよ。感情というもの自体知らないんだもの、無理ないわ。それより…」
 ユイはそう言って、黙々と朝食を食べているシンジの方に目を向けた。

 そこにいるシンジは、とても元気とは言い難いような状態だった。
 いつも通りに振る舞ってはいるが、やはり悲しんでいるのだろう。
 シンジ達にも『心』はある。だから、そのうち戻ってきてくれるかも知れない。淡い期待をユイは抱いていた。
 そうすれば、シンジも元気になるのだろうが…。
 今の所、打つ手はない。

 「…シンジ、お願いね。」
 「はい。わかりました。」




 「・・・」
 シンジは、無言で席に座っていた。
 なんとかアスカが引っ張って学校に来たものの、ずっとこのままだ。
 もともとあまり騒ぐ方ではなかったが、それにしても目に見えて落ち込んでいる。

 「…なぁ、シンジどないしたんや?」
 「さぁ…何かあったんだろ?」
 「もしかして…昨日の『レイ』とかいう女か…?」
 「かもな…」
 トウジとケンスケは、それを見ながら、ひそひそ相談していた。

 「シンジ…元気だしなさいよ…」
 「うん…わかってるよ…分かってるんだけど…」
 アスカがめずらしく心配して言葉をかけるが、やはり悲しげな表情は消えない。

 レイが自分で決めたこと。
 それをシンジは分かっていたつもりだった。
 しかし、それでも自らの半身と言ってもいいような存在のレイにやっと巡り会えたのに…そういう感情は抑えることができない。

 「はぁ…」
 シンジが溜息をつく。
 元々、アダムとリリスは対をなす存在として創られたのだ。
 DNA…生命の設計図に刷り込まれた、組み合わせである。

 シンジの溜息に込められた意味を、その重さを理解できるものはいなかった。




 「いいね?」
 念を押すような声。
 先程の、少年だった。

 レイと彼は、シンジ達の通う中学校へと向かっていた。
 もちろん、作戦のためである。

 「君は、『アダム』をここにおびき出すんだ。気配を消さずに、辺りをうろうろするだけでいい。」
 「はい…」

 「あとは、僕が片付ける。君は、とりあえずそのまま僕に合流するんだ。…今度こそ成功させるんだ。わかったね。」
 「はい…」

 レイ…『リリス』は、感情の全くこもらない声でそう答えると、すぐにきびすを返して歩き出した。
 それを見送った少年が、宙にその身を浮かせる。
 20m程上っただろうか、そこで彼は姿を変えた。
 もう一つの、彼の姿。透き通った青い8面体に。

…その名は、『ラミエル』。
 雷の、天使。

 『さあ、来たまえ。「アダム」。』




 「ええ加減、帰ろや。なぁシンジ。」
 「うん…」
 放課後。

 ピン…
 その時感じた感覚は、音で表すならまさしくそんな感じだった。

 窓の外から、何かの気配がする。
 シンジは、何気無くそちらの方へ目を移す。

 (え…?)
 校門の前を歩いている一人の少女が、目に入った。
 青みがかったプラチナブロンドの髪…。
 彼女はシンジの方を振り返る。
 一瞬、目が合った。

 「あれは…!」
 知らず知らずのうちに、叫んでいた。
 教室内には、シンジとアスカ、トウジとケンスケの4人しかいなかった。

 夕日が逆光になっていて少し見にくい。
 でもあれは…彼女は…

 「…レイ!」
 窓から飛び出していく。
 既に、回りの事は目に入っていない。
 幸いにも、その時校庭、学校付近には誰も怪しい人影はなかった。

 「ちょ…シンジ、どうしたの!?」
 後ろから追いかけてくる声。
 それも、シンジは聞こえなかった。

 (なぜ…こんな所に…)




 『ふ…やっぱり、あっさり出てきたねぇ…』
 ラミエルは、呟いた。

 『まんまと、餌に食らいついてくれたわけだ』
 加粒子砲、その銃口を、シンジに向ける。

 (今度は、外さない)
 エネルギーを充填する。
 身体に力が満ちていく感。
 それが、また高揚感を誘う。

 慎重に、狙いを定める。

 3秒…

 2秒…

 冷酷に、カウントダウンを続ける。
 既に、彼の頭の中では、倒れるシンジの姿が描かれていた。

 1秒…

 そして…撃つ。

 カッ…!




 視界に、眩しい光の束が入る。
 ようやく、周囲の状況を理解し始める。

 「…っ!」
 とっさにATフィールドを展開して、自分をかばった。
 なんとか、持ちこたえてくれているようだ。
 だが、相手の勢いは強い。だんだんと押されていく。

 「ぐ…」
 所々、壁がピシピシと音を立て始め…そして、そこから光が漏れてくる。
 その、細い一本の光が更に壁を侵食し…あっと言う間に壁は意味を為さなくなってしまった。

 「! うあああぁぁぁぁぁっ!」
 身体が熱い。
 溶けてしまうようだ…

 「シンジ!」
 「碇!」
 後ろから、声がした。
 アスカ達だ。

 『くっ、邪魔が入ったか!』
 ラミエルは、砲塔をアスカ達の方へと向ける。
 ビームを放つが、かわされた。
 外れたビームは、玄関のガラスを直撃した。

 ドォン!
 火の手が上がる。
 そして…

 ジリリリリリリリリリリリ…!

 非常ベルが鳴り始めた。
 校内があわただしくなり、先生が表に出てくる。
 そして、倒れているシンジとその回りのアスカ達を目にした。

 「おい、一体何があった!」
 「シンジが、シンジが…」
 「どうしたの!?」
 そこへ、ちょうどリツコがやってきた。
 シンジを見て、すぐに簡易診察を始める。

 「火傷ね…すぐ、保健室へ運んで!」
 「は、はい!」
 「あなた達も、着いてきなさい!」
 「わかりました…」
 わらわらと、来ては去っていく人々。
 それを、ラミエルは口惜しげに見ていた。

 『またも失敗、か…』




 保健室。

 「じゃあ、赤木先生。我々は…」
 「ありがとう。もう、いいわ。」
 「では、事後処理に入りますので…」
 「わかりました。」
 付き添いの先生は出ていった。
 扉が閉まる。

 保健室には、リツコとシンジ達だけになった。

 「リツコ、シンジは…シンジは…?」
 「…大丈夫よ。命に、別状はないわ。」
 脈を診ながら、リツコが言う。
 シンジの着ていたシャツはほとんど炭化しており、一部は皮膚にくっついてしまっているようだ。
 皮膚も爛れてしまっている。
 いわゆる「火傷」だが、その程度は人間で言えば命に関わる程のもの。ATフィールドで多少なりとも緩和されていたので、そのくらいで済んでいた。

 リツコは、慎重にシンジの衣服をはがし、上半身を露にした。
 そして、言葉を失った。

 「何てこと…もう、ここまで回復してるなんて…」
 驚きの声。
 それを聞いたアスカ達は、少し複雑な表情になって目をそらした。
 その謎の答えを知っていたから。
 リツコが、更に聞く。

 「単刀直入に聞くわ。…シンジ君は、一体何者なの? あなたたち、知っているんでしょう?」
 「・・・」
 「大丈夫よ。私は、秘密は守るわ。…ここなら、誰にも聞かれるおそれはないし」
 数瞬の逡巡。
 顔を見合わせる

 「…実は…」
 ようやく、アスカがその重い口を開けた。
 こうなっては、もう隠し通せない。
 シンジが目覚めたら、おそらく悲しむだろうが…疑われたままでいるよりはいい。

 「シンジは…『私たち』とは違うんです。」
 「? どういうこと?」
 「人間じゃない…ということです…」
 「…!」

 それから、シンジから聞いた話を全て話した。
 シンジの生まれ、セカンドインパクトの真実も…。

 ゆっくりと、ためらいがちに紡ぎ出されるアスカの言葉。
 それをただ、リツコは黙って聞いていた。




 「…つまり、あの屋上での事件は、その『使徒』とかいうモノの犯行なわけね?」
 「そうです。」
 「なるほど…」

 「う…」
 その時、シンジがうめきを発した。
 顔をしかめている。
 意識が戻ろうとしているようだ。

 「シンジ…」
 ゆっくりと、優しくシンジをゆする。

 「ねえシンジ、起きてよ…」
 ふっと、シンジの反応が途切れた。
 まさか、このまま死んでしまうのでは…?
 悪い予感がアスカの脳裏を過ぎる。

 「!」
 慌てて、手に力を込める。

 「…起きて! 起きなさいよシンジ!」
 力任せにゆさぶりはじめるアスカを、トウジが羽交い締めにして止めた。

 「離しなさいよ、このバカ!」
 「落ちつけ、落ちつくんや!」
 「シンジが、シンジが死んじゃう…そんなの…」
 「…大丈夫。そんなことはないわ。」

 リツコが、呼吸と脈拍を測る。
 驚くべき事に、全てが正常値に戻っていた。

 (これが、『彼ら』の力…?)




 「あ…」
 うっすらと目を開けるシンジ。
 目の前にある、覗き込むいくつかの顔。
 それらに、焦点が急速に合わされる。

 「アスカ…? トウジと、ケンスケ…?」
 「シンジ…」
 「碇…」
 全員が、安堵の表情をしていた。
 アスカにいたっては、今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。

 「どう…したんだろ。…ここは、どこ?」
 「保健室だよ。」
 ケンスケが、答えた。

 「バカ…心配したんだから…」
 アスカが、涙を拭いながら、言う。
 そのしぐさが、妙にいつものイメージと違って、トウジなどは逆におかしく思えてしまった。

 「シンジ君」
 「リツコさん…?」
 「話は、聞かせてもらったわ。あなたのことも、全て。」
 「そう…ですか…」
 眉根がぴくりと動いた。
 明らかに動揺している。
 上半身を起こし、シンジはうつむいた。
 しきりに、震える手をこらえているのが分かった。

 「僕は、聞いたとおりの『化け物』です。さあ、どうします…?」
 「…決まってるわ。」
 多少の逡巡の後に、リツコはきっぱりと答える。

 「…どこか研究機関にでも、差し出しますか?」
 「残念ながら、はずれね。…ささやかながら、協力させてもらうつもりよ。」
 「リツコさん…?」
 意外だ、と言った表情で、シンジがリツコの顔を見る。

 「あら、巻き込まれたら命に関わると言ったのは、あなたじゃないの。…私は、まだ死ぬつもりはないわ。ただ正しいと思う道を選ばせてもらった、それだけのことよ。」
 「で、でもいいんですか? 僕は…」
 「人間であろうが無かろうが、関係ないわ。でもね、現にあなたは今、一人の『人間』として生きている。互いに助け合い、生きていくのが人間だからよ。それを人と言わずして、何というのかしら?」
 「・・・」
 シンジは、再びうつむいた。
 リツコが言葉をつづける。
 ちょっといじわるな笑みを浮かべて。

 「それとも、私では何か不満がある?」
 「い、いえ! そんな…ただ、嬉しくて…僕は…」

 ぎゅっと、布団を掴む。
 その布団に、二つ三つ、染みが広がる。
 嗚咽。

 それは、心の証。




 「シンジ!」
 家に帰ると、ユイが心配して待っていた。

 「怪我したって…学校から電話があったの。もう、大丈夫なの?」
 「うん…」
 「心配したのよ…」
 「ごめん、母さん…」
 ユイは、シンジをしっかりと抱きついたまま、離れない。

 「ね、ねえ母さん…」
 「もう少しだけ、このままで…お願い。」
 「う、うん…」

 (僕は、ここにいてもいいんだ…)
 改めて、自分の存在を確認する。
 それは自分の心次第であることを、その時知った。
 ようやく、レイのことも少し吹っ切れたような気がした。

 (そう、僕はここにいたい。だから、ここにいるんだ…)

 『あなたは今、一人の『人間』として生きている。互いに助け合い、生きていくのが人間だからよ。』
 リツコから言われた言葉が蘇る。

 (だから…)




 「第壱中学校、謎の火災!?」

 次の日の新聞には、そんな見出しの記事が載っていた。
 どうやら、情報が漏れてしまったらしい。
 この間の屋上火災、そして昨日の…。
 学校というのは、わりと目につく場所でもある。ある意味しょうがない。

 アスカは慌ててその記事を読んだ。
…とりあえず、シンジや使徒のことは何も書かれていないようだ。
 それで少しだけ落ちつく。
 自分達に捜査の手が伸びることは、今の所はなさそうだ。

 記事の内容も、特に変わったことはなく、放火か何かであろうという予測が大部分であった。
 まあ、いわゆるゴシップ系のネタだったわけだ。

 「…アスカ?」
 険しい顔で新聞を読み始めたかと思うとほっとした顔になったアスカを見て、シンジはどうかしたのか訊ねた。

 「アスカ、どうしたの?」
 「…ほら、この記事読んで。」
 「『謎の火災』…」
 タイトルだけ読んだシンジの背に、冷や汗が流れる。

 「大丈夫よ。アタシ達のことはぜんぜん載ってないから。知ってるのは、アタシ達の他にはリツコだけよ。」
 「な、なんだ…おどかさないでよ…」

 「ところで、アンタ。あのラミエルとか言う奴の攻撃手段は知ってるんでしょ?」
 「うん…ラミエルは、体内にリアクター…というか、サイクロトロンみたいなのを持ってて、それで荷電粒子を加速、収束させて発射してるんだよ。」
 「…つまり? もう少しわかりやすいように説明しなさい!」
 「えーと…」

 そこへ、ユイがやってくる。

 「ほら、2人とも。はやく食べちゃいなさい」
 「はーい」
 「は、はい…」

 「そうだ、早く食え。でなければ、帰れ。」
 「…あなたもですよ。また遅刻して冬月先生に怒られるのは私なんですよ。」
 「うっ…」
 突っ込まれるゲンドウであった。




 そんなこんなで、いつも通り学校。
 教室の話題は、例の「謎の火災」のことで持ちきりだった。

 「…でも、いきなり出火したんだろ?」
 「そうらしいぜ」
 「ホントに、おっかねぇな…」

 「こないだは屋上だろ? それに校庭…。どっかの軍事衛星が間違ってビームでも発射したんじゃないのか?」
 「ああ、そうかもな…」

…しかし、シンジ達のことはリツコが口止めしておいたのだろう、全く話題に上っていないようであった。
 とりあえず、午前中の授業も終わり、昼休み、そして午後の授業を経て、放課後へと突入するのであった。

 「シンジ、帰るわよ?」
 「あ、うん。ちょっと待って!」

 リリスのことを考えている間に、いつの間にやら放課後になってしまっていた。
 トウジの声ではっと我に帰ったシンジは、慌てて帰り支度を始める。
 シンジ達の通っている学校では、授業は殆ど個人毎に割り当てられたノート型端末でやるため、教科書やノート類はあまり必要でない。
 持ってくるものと言えば、弁当と休み時間中に読む本ぐらいだ。

 「ほら、行くわよ!」
 アスカが少々強引に話を切り上げた。
 トウジとケンスケは、シンジに笑いかける。
 シンジも、その笑顔に微笑み返した。




心の証



 4人は玄関に来た。
 ラミエルの襲撃で数枚のガラスに大穴が空いてしまっており、それがエネルギーの大きさを物々しく語っている。
 下駄箱は幸運にも無事だったが、床にも焦げた跡がついてしまっている。

 シンジ達は、各々それを気にしながら靴を取り出した。
 と、シンジが何かに気づく。

 校門の所に、人影があった。

 「リリス…」
 シンジが呟く。
 まるでそれに魅入られたかのようにふらふらと歩み出すシンジ。
 その様は、あたかも夢遊病者かなにかのようだった。
 ただならぬ雰囲気に、トウジがシンジを後ろから羽交い締めにする。

 「落ちつけ、シンジ! アレは罠だ!」
 「しっかりせぇ、シンジ!」
 その言葉に、シンジの瞳に生気が戻った。
 丁度その時、シンジの頭に言葉が舞い込んだ。

 『一緒に来て…お願い…』
 久しく聞いていなかった、リリスの声だった。
 しかし、どこかに違和感がある。
 感情がまるで存在しないような…。

 (こないだはそんなことなかったのに…)
 不審に思いつつ、辺りに意識を広げる。

 「…大丈夫。近くにラミエルはいないみたいだ。」
 シンジは、ゆっくりと言った。
 リリスが歩き出す。

 「リリスが…ついてきてくれって言ってる…」
 「ダメよ! またみすみす罠に引っかかる気!?」
 「…これ以上みんなを危険にさらしたくないから…」
 「だけど…」
 「それに…リリスの様子がおかしい…」
 「?」
 「何となくだけど…微かに『助けて』って聞こえた気がしたんだ…」
 一転、険しい表情になるシンジ。
 その瞳は、リリスの歩いていった方向に向けられている。

 「だから…僕はいかなくちゃ…」
 「…ほしたら、ワイらもついていかにゃ。」
 「え?」
 「アンタバカぁ? アンタの不在中に襲われたら、こっちが死ぬわよ! そんなのまっぴらゴメンなんだから!」
 「お前達みたいな力はないけど、いざというときには頼りになるかも知れないぜ?」

 「…そうだったね。ゴメン…」
 シンジは照れくさそうな表情を浮かべ、歩き出した。




 校門を出ると、しばらく先でリリスは立ち止まっていた。
 シンジ達が校外に出ると、彼女はまた歩き出した。
 どうやら、誘導してくれるらしい。

 罠だと分かってはいたが…それ以上に、彼女のことがシンジは心配だった。
 どうも様子がおかしい…ひょっとしてラミエルに何かされたのだろうか?
 だとしたら…

 (…何としても、助けなきゃ…)
 右手をぎゅっと握る。
 決心を付けるため。

 恐らく、これはラミエルの仕業だ。
 いざとなったら、トウジ達だけは逃がさなければならない。
 ラミエルの計算高さは、彼ら『Angel』の中でも群を抜いている。
 あるいは、アスカ達3人を連れてくる…そう、既に計算しているかも知れないのだ。

 アスカは、「シンジの不在中に襲われたら…」と言った。それも十分に有り得る。
 今の所第三新東京市にはシンジの他にリリス、ラミエル以外の『Angel』の反応は見あたらないが、それでも、万が一ということも考えられる。
 だから、一応連れては来たが…どちらにせよ、狙われているのに変わりはない。

 果たして、連れてきたのは吉と出るか、凶と出るか。
 それは、誰にも分からない。

 (ついていけばわかることだ…)
 リリスは、郊外の山に向かうバスに乗り込んだ。
 シンジ達も、急いで後を追う。




 「…あら?」
 その時ミサトは、帰る途中だった。
 偶然、市街地のとあるバス停脇を通りかかったところ、シンジ・アスカ・ケンスケ・トウジらしき人影を見つけた。
 それだけなら、気にも留めなかったろう。

 ミサトの目は、彼らの前…青い髪の女の子に引きつけられていた。
 見ると、シンジ達は彼女を尾行?しているようだ。
 しかもあからさまに怪しい。

 「…尾行? まさかね…」
 そうは言ってみたものの、ミサトの勘が、何かを告げている。
 こう言うときの自分は信用しても良い、そうミサトは経験で分かっていた。

 『彼女』、そしてシンジ達がそろってバスに乗り込む。
 このバスは、山の方へ行くバスだ。彼らの家とはまるで方角が違う。

 (…何かあったの?)
 ごくりと唾を飲み込むミサト。
 そしてバスが発車する。
 後ろの車のクラクションに気づき、ミサトも車を発進させた。

 ミサトの乗った、青いルノーは、コースを変えてバスの後に付いていった。




 30分ほども走っただろうか、夕焼けが西の空に眩しい頃。
 バスは、4人を降ろして走り去った。
 脇の細い道にレイは入っていく。
 シンジ達もそれに続いた。

 遅れること10秒程、ミサトも車を止めた。
 足音を頼りに、こっそりと後をついていく。

 (やっぱり…)
 こんな何もないような山の中に、彼らが用があるはずもない。
 これは「何か」あるものと見て間違いはないだろう。
 何があるのかは未だ皆目見当もつかないが…。

 この間のシンジの怪我(ミサト自身は「予想外に軽かった」という公式見解を信用しているわけだが)といい、リツコの行動といい…。
 ここのところこの2人の行動に不審なものを感じていたミサトだが、何となく聞いてはいけないような気がしていた。
 しかし、今は好奇心の方が勝ってしまっている。

 カサリ…
 なるべく足音を立てないように…
 気づかれないように…

 シンジ達の後ろ、30m程を進む。
 森の中、しかも夕暮れ間際、ともすれば迷ってしまいそうだが、あの青い髪の女の子をなぜか見失うことはなかった。
 まるで、ついてきてくれといわんばかりに…。




 10分ほど歩いただろうか、ちょっと開けた場所に出ると、シンジは立ち止まった。
 辺りを見回し、左手の草むらに向かって声をかける。

 「…ラミエル、いるんだろ?」
 「やっぱり来てくれたね、アダム」
 草むらから、人影が立ち上がった。
 金髪に、夕焼けのような赤い瞳。

 「どうして隠れてたんだ?」
 「…ま、端からばれないとは期待してなかったけどね、形ってものさ」
 ニヤリ…不気味な笑みをラミエルは浮かべる。
 本能的に全員が危険を察知して、身構えた。シンジは、トウジ達に隠れているように告げた。

 「…安心していいよ。アダム、君だけをまずは狙うから」
 ラミエルは、右手の平をシンジに向けて突き出した。
 光が渦を巻くように集まっていき、臨界に達して発射される。それは、太いエネルギーの奔流となってシンジに向かっていった。
 対するシンジも、同じく右手を突き出すだけだった。だが、その身体の前1メートルほどの所で、ラミエルの光線は向きを変え、空へと昇っていく。まるで、稲光を逆廻しで見ているようだ。
 シンジは、ATフィールドを集積させ強力にし、角度を付けることで衝撃をやわらげると同時に攻撃を退けたのだった。

 「ふ…なかなかやるね」
 「でも、何故僕を狙い続けるんだ?」
 「まだ彼らは君にご執心だからね。…ま、それも時間の内だけど。けど、そうなったら逆に計画に邪魔になるっていうのがオチだね。」
 「平和交渉は?」
 「聞く耳持たないさ」
 敵味方に分かれる戦場には相応しくない「会話」をしながら、2人ともじりじりと相手の出方を窺っている。
 緊張が、一気に高まった。

 「さて…いつまで避けていられるかな?」
 ニヤリといやらしい笑みを浮かべ、ラミエルは再び光線を放った。
 シンジも再びフィールドではじくが、いかんせん精神力の消耗が大きい。
 確かに真っ向からぶつかった場合には、シンジが不利だ。

 (…なら避ければいい)

 着弾し、ボンと大きな音を上げて地面が抉れる。

 左、右…素早く移動しながら、徐々に間合いをせばめていく。
 光線が放たれてから着弾までは短くなるが、ラミエルの能力はどちらかと言えば長距離向けだ。近接戦闘には向かない。そう考えたからだった。
 何かないか…打つ手を考えながら、シンジはとにかく光線を避け続けた。

 (…計算通りだ)
 ラミエルはそのシンジの動きに内心ほくそ笑むと、だんだんと射線をある方向めがけて集中させていった。
 その先には…レイが微動だにせず立っている。
 当然、シンジはそれに気づくはずだ。

 「これでどうだ!?」
 そしてラミエルは、シンジとレイの身体が重なる瞬間を見計らって、特大の一発を放った。




 「…っ!?」
 シンジが、後ろのレイの存在に気づいたのは、ちょうどその時だった。
 ラミエルにだけ集中していた感覚の片隅に、ぽつりとただ立っているレイの姿が引っかかる。
 ラミエルは、明らかに自分を狙って光線を撃ってきた。だが、ここで避ければレイが代わりに死んでしまう。
 かといって、フィールドは精神力を使いすぎる…!

 頭で考える前に、シンジは身体が動いていた。

 「レイ!」
 飛びかかるようにして、レイもろとも地面に転がる。
 が、流石に避けきれず、シンジの背中を光線は焼いた。

 「ぐああぁぁっ!」
 悲鳴を上げるシンジ。焼けただれた皮膚が崩れ落ち、鮮血が傷から噴き出す。
 そんな事態になっても、レイはただ無感情にシンジの顔を見つめているだけだった。

 きっ、とシンジはラミエルを睨みすえた。

 「…レイに何をした?」
 「おやおや、敵の心配かい? ずいぶんと余裕なようだね」
 「…レイに何をしたと聞いてるんだ」
 シンジにしては珍しく、有無を言わさぬ口調で問いつめる。
 かなり怒っている証拠だ。

 「ふ…ちょっと聞き分けが悪かったもので、ね…」
 「…薬でも使ったのか?」
 「そういうことさ。…残念ながら、もう元には戻らないだろうけどね」
 ラミエルは、あっさりと言って捨てた。
 その言葉に、シンジの怒りが頂点に達する。

 「ラミエル…」
 憎悪と殺気のこもった視線でラミエルを睨むシンジ。
 が、睨まれている方は涼しい顔。冷笑を浮かべながら、言葉を続けた。

 「…リリスもろとも死ぬがいい」
 右手を2人に向けるラミエル。
 その手のひらに、光粒子が急激に集まっていき、球を形作った。
 反動でいささか後ろに押されながらも、ラミエルは、光線のエネルギーを解放した。




 一直線に向かってくる光線。
 虚ろなレイの瞳に写ったのは、目にも留まらぬ速さで立ち上がったシンジの姿。
 シンジは、両手を前に向かって突き出し、そして持てる力と感情を全てATフィールドにつぎ込んだ。

 エネルギーとエネルギーのぶつかりあいに、空間が震える。
 シンジの造りだしたATフィールドは、ラミエルの攻撃を完全にシャットアウトしていた。
 同時に、つけられた背中の傷が、見る見るうちに治っていく。

 「な…、馬鹿な…っ!?」
 信じられないとばかりに、ラミエルが驚愕の声を上げる。
 怯んだラミエルは、わずかに隙を見せた。

 「リリスの苦しみ…お前にも味わわせてやるっ!」
 その隙を逃さず、シンジは身構える。
 光の波頭が辺りを見たし、シンジは一瞬にして、もう一つの姿…エヴァへと変貌を遂げた。

 顔の前でクロスさせた両手を、何かを掴むようにして広げる。
 その手の中に光が満ち、そして真紅の槍が現れた。
 しっかりと槍を握り、構えるシンジ。一本にまとまっていたはずの捻れた槍は、二股の槍へと姿を変える。

 「ロ、ロンギヌスの槍かっ!?」
 驚愕に見開かれる瞳に写るのは、槍を振るう紫の人影。
 辛うじて精神を立ち直らせたラミエルは、なんとかそれを避けることに成功した。

 「くっ!」
 再び光線を放つが、狙いが逸れて当たらない。
 代わりに、シンジの後ろの木の幹…そこに命中した。

 土手っ腹に大穴をあけ、木はゆっくりと倒れていく。
 その方向には、逃げまどうトウジ達の姿があった。
 シンジは、一瞬そちらに気を取られてしまった。




 暗闇の奥で、「彼女」は目覚めた。
 自分の姿も見えない。
 何も、見えない。

 『ここは、どこ…?』
 闇は答えない。

 『私は、何…?』
 その言葉と同時に、ふいに自分の姿が闇の中にぽつんと現れた。
 しかし、ただそれだけ。
 耳の痛くなるような静寂だけが、あたりを支配していた。

 空間に明かりが灯るように、ぽっと何かが目の前に現れる。
 揺らめく光に映し出されたのは、二つの人影だった。

 『ラミエルに…ア、アダムっ!?』
 「彼女」の放つ、驚きの声が闇にこだまする。

 2人は、戦っていた。ラミエルが攻戦一方、アダムは防戦一方だ。
…と、「自分」の視界の中で、アダムとラミエルが一直線に並ぶ。
 ラミエルが同時に光線を放った。
 アダムがそれを避ければ間違いなく「自分」に当たるはずだった。
 が、次の瞬間。
 彼の顔が視界一杯になったかと思うと、ぐるぐると周辺の景色が回転した。
 そしてアダムが顔を苦痛に歪ませる。

 その理由はすぐに分かった。
 アダムがふらりと立ち上がる、その背中には、焼けただれた傷が刻まれている。
 「自分」を守るように立ちはだかる彼の背中は、この上なく頼もしいものだった。

 (私を、かばってくれたの…?)
 敵、なのに…

 ぽたり、何かが足下に落ちてはねた。
 はっとして、手のひらに滴を受けとめる。

 『これは…私の心…?』
 脳裏に蘇る、彼の笑顔。どこか寂しそうで、けれど慈愛に満ちていて。
 胸の奥から、何か熱い感情がこみ上げてくる。

 『僕は…君だけには死んで欲しくないから。…たった一人、心を通わせることができた「Seraph」として…』
 寂しげに笑いながら、彼はそう言った。

 『君を必要としているのは、「彼ら」だけじゃないんだ。…「君自身」を必要としている存在もいるんだよ…』

 『アダム…。私は…』
 そして彼女は、この時また目の前の映像に目をやって、はっとした。

 木が倒れる。その先に、逃げまどうヒト達。
 それに気を取られるアダムの姿。
 そこを狙うラミエル。

 「ダメえええぇぇぇぇっっ!!」
 自分でも信じられないくらいの金切り声を、「彼女」…レイは上げた。
 世界が弾けた。




 『…っ!!』
 うかつだった。
 トウジ達のことに気を取られてしまい、シンジの動きは一瞬凍り付いてしまった。

 ただならぬ気配にラミエルを振り返ったシンジは、狂気の形相をして光線を放とうとしているラミエルに気づく。
 もうすでにエネルギーは臨界に達していた。つめた間合いが徒となり、一瞬でとどく距離に入ってしまっていた。

 (…間に合わない!)
 そう思って身体を固くする。
 次の瞬間、固く閉じた瞼の向こうの世界が白く染まるのが分かった。

…しかし、身体を焼かれる感じはしない。
 怪訝に思っておそるおそる目を開けるシンジの視界に飛び込んできたもの、それは必死に歯を食いしばりながらATフィールドで攻撃を防ぎ続ける、青い人影だった。

 それが「エヴァ」を発動させたレイの姿であることは、一瞬でわかった。
 だが、こんなことをすれば病み上がりのレイの身体はぼろぼろになってしまう。
 本人もそれは分かっているはずなのだ。

 『レイ…』
 シンジは、槍を構えたまま呆然と呟いた。

 「な…リ、リリス! 裏切るつもりか!」
 『早…く…、アダム…!』
 「…ならば、貴様もアダムと一緒に、光に還してやる!」
 更にエネルギーが集中する。
 単眼の無表情な青い装甲…その顔が、心なしか苦痛に歪んだようだった。

 『ごめ…んなさ…い…。私は…あなた…を、裏切って…しまっ…たから…』
 苦しげに、とぎれとぎれの言葉を紡ぎ出すレイ。

 『せめて…これが…、罪…滅ぼし…。早く…ラミエルを…』
 『…っ!』
 声にならない叫びをシンジは上げると、一切の迷いを振り捨てて、跳躍した。
 槍の切っ先を、ラミエルの身体の中心に正確に向ける。




 『やあぁっ!』
 渾身の力を込めて、シンジは槍を放った。

 いきなりのことで、ラミエルは反応できない。
 そのまま、ラミエルは胸を槍に貫かれて、地面に墜落した。
 地面に縫いつけられた自分の身体を見ながら、彼は信じられないといった表情をしている。

 「な…何故…? あの、薬は…自我を完全に抹殺してしまうはずなのに…」
 『…自我だけを消しても…記憶までは消えないんだ』
 シンジは、ラミエルに歩み寄った。

 「それが、「心」というものなのさ』
 ぱたり、と倒れているレイを見ながら、シンジは言った。
 既に「エヴァ」は解除され、元通り、ヒトの姿になっている。
 はあはあと荒い息をつき、額には玉のような汗が滲んでいた。

 『…ラミエル。悪いけど、殺させてもらうよ』
 槍を掴むシンジ。
 そこから力を送り込むと、ラミエルの身体が内部から崩壊していく。

 「ぐっ…。ぐあああぁぁぁぁ…っ!!

 崩壊して粉のようになって…ラミエルの身体は風に飛ばされていった…。




 「シンジ、大丈夫か!?」
 全てが終わるやいなや、トウジ達は草むらから駆け出してきた。
 シンジを囲むようにして、言葉をかける。

 『うん…』
 軽く頷いたシンジは、ようやくヒトの姿に戻った。
 そして、倒れているレイのところにしゃがみ込む。

 「…レイ」
 「…アダム?」
 「ごめん…僕がしっかりしてなかったから…また君を危険な目に…」
 「ううん、いいの…。私こそ、ごめんなさい…。ラミエルは…?」
 「…倒したよ。」
 淡々と、シンジはそう答えた。しかしその瞳は、悲しみに彩られている。
 レイは、重い手を伸ばして、シンジの頬に触れた。

 「私は…今まで任務だけが全てだと思ってた…」
 レイの独白が始まった。
 トウジ達も集まってきて、静かに聞き入る。

 「でも、それは違うと…あなたが、教えてくれた…。『心』の意味を、私に与えてくれた…」
 再び、手が下ろされる。
 軽く息を吐いて、レイは言葉を続けた。

 「今、やっと…『心』が素晴らしいものだと分かったの。…私は、『彼ら』にはもう従わない。それが、私の意志よ…」
 長い言葉をつむぎだして、レイはついに疲労が限界に達したのか、気を失った。

 「レ、レイ!?」
 「…大丈夫よ。気を失っているだけ」
 アスカがなだめるようにシンジに言う。
 その時、元来た道の方で、がさりと草むらが鳴る音がした。

 「ミっ…ミサト先生!?」
 そこにいたのは、彼らの良く見慣れた顔だった。
 シンジ達の顔が同時に青ざめる。

 (…見られた!?)
 シンジは、ミサトから顔を背けた。
 ミサトは作り笑いで場をごまかしている。
 が、その瞳には動揺の色が強い。

 沈黙のままの時間。
 それが、シンジにはやけに重く長く感じられた。




 帰り道、シンジ達4人とレイはミサトに送ってもらうことになった。
 誰も何も言わず、ただエンジン音だけが響いている。
 ミサトは、彼女にしては珍しく安全運転をしていた。

 「…いつから、見てたんですか?」
 唐突に、シンジが切り出した。
 助手席で、うつむいたまま座っている。

 「一応、最初から…かしら」
 「そうですか…じゃあ、僕の…ことも…」
 「…ええ。ちょっとまだ、信じられないけど…。この間の火事も、あいつの仕業なんでしょう?」
 「ええ…」
 そのままシンジは口を噤んだ。

 「先生」
 今度は、アスカが話を引き継ぐ。
 いつも「ミサト」と呼んでいる彼女がわざわざ「先生」と呼ぶのは、おそらくこれが初めてだろう。

 「お願いします。このことは、秘密にして置いて下さい…」
 「・・・」
 「シンジは、ヒトなんです。『人間』以外の存在かも知れないけれど…私たちと同じ、心を持った『ヒト』なんです。だから…」
 「ええ、わかってるわ。…まあ、話したところで、信じる人がいるかどうかわからないから…話すつもりもないし」
 シンジとアスカが住むマンションの前に到着した。
 ミサトは、ゆっくりと車を止める。

 「…シンジ君。あなたは、かわいい私の教え子の一人、それは確かよ。だから、安心して。…いざとなったら、私たちが、あなたを守るから…」
 「先生…」
 「さ、着いたわよ。早くお父さんとお母さんを安心させてあげなくっちゃ!」
 ミサトは、そういって微笑んだ。
 シンジも、ぎこちなく微笑み返す。

 「はい…」
 「ほらシンジ、行くわよ。レイを運ぶの、手伝ってよ!」
 既に車を降りたアスカが、声をかける。
 シンジは慌てて降りて、アスカの代わりにレイを背負った。

 「じゃ、また明日ね」
 「ありがとうございました…」
 シンジとアスカとレイを残して、車は発進した。
 けが人がいなくなったためか、ミサトはどうやら本調子を出したようだ。
 あっと言う間に車はいなくなる。

 「さあ、夕御飯が待ってるわよ!」
 アスカが、にこにこしながら歩き出した。
 いつの間にか、夕焼けのなごりを少しだけ残す空には、一番星と満月が光っていた。





第5話 につづく

ver.-1.00 1998+08/22公開
ご意見・感想・誤字情報などは Tossy-2@nerv.to まで。




次回予告

 新たな家族も増え、一層賑やかになったシンジの周り。
 レイとアスカ2人によるシンジ取り合い合戦など、シンジは疲れながらも幸せを感じていた。
 しかしある日、そんな幸福の真っ直中に、突如「ANGEL」が出現する…!

 次回、「眩惑の海から」。お楽しみに!


 

  あとがき

 やー、長かった〜。
 長らくお待たせしてすみませんでした。

 冒頭に自作詩を入れるのは「E.P.S.」でもいっぺんやりましたが、今回はちょっと英語で挑戦。
 一応ちょっとだけ韻を踏んでたりして。

 さて、今回やっとこレイが登場したわけですが。
 なんかやっぱり、割と「お約束」ですかねぇ(^^;。まあ、僕はこういうパターンが好きなんですけども…。
 で、これからほんのりLRS風味が着いていくと思いますので、続きに乞うご期待。
 そしてどんどん長くなる〜。


P.S.
 「作者よりのお知らせ」でも書きましたが、100万記念で6〜8話ぐらいで完結する短い連載をやろうと思います。
 そっちは結構、いろいろと盛りだくさんの予定ですので、そっちもご覧あれ。
 しかし、すごいもんですね。100万ヒットというのも。




 Tossy-2さんの『Angels' Song Angels Sing』第4話、公開です。





 シンジの秘密を知る人が確実に増えていく・・


 アスカ・ユイさんに続き

 いろいろあって

 今回はリツコ先生とミサト先生。



 中学生だから、

 隠すの下手なのかな?
 誤魔化すの下手なのかな?



 大人の背院生達がこれからはたてになってくるかな・・

 う〜ん・・・

 ミサトさんって隠し事出来そうにない(爆)



 シンジのことは”みんな知っている秘密”になるのも遠いことではない?!




 さあ、訪問者の皆さん。
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