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朝焼けに染まった海は夕べまでの時化が嘘のように静かだが、時折吹く風は容赦なく冷たかった。
十二月に差し掛かろうとするのだから無理もない。

ダークグリーンの分厚い防寒着の襟を立て、足下に置かれた携帯ヒーターの出力を最大にしても気休めにもならなかった。
ナイロンの手袋に吐きかける息は昨日より白く感じられる。

「・・・・西異常なし、東異常なし、北も南も異常なし・・・・定時報告終わり」

手をかざして周囲を見回すが赤く輝く海面に動く影は何もなく、彼の目前に太古の昔と同じ姿を見せていた。
海上保安庁所属高速巡視艇「しきしま」はプロトニウム輸送船の護衛を無事終え、基地のある浜松港へ帰港する途中だった。
予定表通りだと朝の八時に到着し、そのまま「しきしま」の船員は休暇に突入するので早起きも寒さもさほど苦にはならない。

水筒から熱い紅茶をすすりながら天下太平の海を眺めていた。

今のところ一度も使われていない二連装の機銃が波の静かな海を見つめている。

「さてと休みのデート何処に行くかな・・・・何処がいい?」

その銃身に寄りかかり陸に上がった後の予定を訓練以外で使ったことのない機銃に相談を持ちかける。
他の船員達は寝室で徹夜麻雀を繰り広げていた。

任務は無事終えたし後数時間で帰れば休暇、気が少々緩んでも責められるようなことではない。
タバコの煙で薫製の出来そうな部屋から逃れ、朝の冷たい空気を胸一杯に吸い込む。

上陸後の楽しい予定が彼の頭を埋め尽くしていた。

「車洗車しなきゃ・・・・・時間間に合うか・・・・ん?」
「オーイ野分、勝ち逃げするつもりか!戻ってもう半チャンやれ!!」
「ばーか、お前らから巻き上げた金は明日のデートで使い果たしてやるよ」

互いに中指を立て表面上は険悪な朝の挨拶を交わす。
四六時中顔を付き合わせている仲間だ、その程度の下品さは気にもならない。
再び甲板で一人になった野分一等航海士は恋人の待つ浜松市方面を眺めた。
まだ影も形も見えない距離がもどかしく、後数時間は退屈な航海を続けなければならない。

退屈な航海だった筈だ。
だが未だ見えるはずのない海岸線が彼の目前に浮かび上がってきたのだ。

「な・・・・・何だ?」

船は浜松基地を目指し北上しているはずだったが、彼の見た陸地は巡視艇の後方に位置していた。
そして追いかけてくるようにその「陸地」はその姿を巨大化させていった。

野分は慌てるように腕の方位計を覗き込むが船は正常に陸地を指している。
それを見つけてから「陸地」ではないことが判明するのに一分も掛からなかった。

「・・・・・・起きろ!!非常事態だ!!」

緊急用ワイヤレスマイクを取り出し艦内放送で、寝ている者起きている者問わず怒鳴りつけた。
たとえ寝ていようが徹夜麻雀で頭に霧が掛かっていようが「非常事態」と聞けば瞬間的に体の機能を覚醒させられる。
甲板、操舵室が一斉に賑わいだす。
そして非常事態を想定して訓練されている誰もが半分ほど口を開けたまま、その物体をただ見つめた。

二十メートルいや、三十メートルをゆうに超す巨体は海面から数メートル浮いて巡視艇から僅かに離れた場所を「飛行」している。
避けたと言うよりはたまたまそれの進路上に船が居なかっただけだろう。

「野分、ありゃ一体・・・・何なんだよ・・・・」
「そ、そんなこと俺が知るかよ・・・・・こ、こっちに来るぞ!」

野分の右手が自動小銃を掴むと無意識のうちに訓練通り身構え、そして発砲した。









26からのストーリー


第二十二話:芽生え





『・・・・です。これ以上は作戦区域になるため自衛隊による非常線が張られ一般市民、警察、報道問わず足を踏み入れることは許されません。再び第三新東京市を襲う巨大生命体、一体何の目的でこの地に訪れたのか、或いは単なる偶然なのか・・・・ああ!!今自衛隊のヘリが攻撃を開始した模様です!!その様子は伺いしれませんが爆発音が数回響き・・・・・』

わずか数インチのブラウン管で叫ぶレポーターの数百倍は冷静な様子で、赤木リツコは朝のコーヒーを啜った。
自販機よりは五倍ほど美味いインスタントコーヒーだ、現状では満足すべきだろう。

「始めたらしいわよ。マヤ、サンプリングが終わったら三分で解析結果出しなさい」

それだけを簡潔に告げると再び小さな画面に集中する。
彼女の側には大画面が現在得ることの出来る情報を事細かに映しているが、それよりもレポーターの必死な表情がリツコの興味を引いたようだ。

酷く旧式なハンディTVは様々なチャンネルのレポーター達を映し出すが、真剣な表情と裏腹に全体的に現実感が欠けていた。
まるで遊園地のイベントを中継するのと何ら差のない雰囲気だ。

・・・・TVが一度だって現実的だったことなんか無いか・・・・

皮肉な笑みを浮かべ若い女性アナウンサーが何も知らないまま白々しいほどの緊張した顔で何かわめき散らしているのを眺めた。
彼等の持ち合わせている情報などこの発令所に転がっているモニター一画面にすらおよびもしないだろう。
それでもありったけの放送機材を持ち出して派手な「見せ物」を中継している。

リツコの皮肉はTVにでは無く、この出来事の中心にいて面白そうに虚構の事実を眺めている自分に向けれられてるのかもしれない。

さっき自分が口にした時間が知らぬ間に経過したのだろう、背後から伊吹二尉が声を掛けた。
手にしているデータ用紙はさっき自分が指示した解析結果だろう。

わざわざ用紙に打ち出させたのはモニターを見続けたせいで目の疲労が酷かったからだ。
眉間を指でマッサージしながらそれを受け取り目を落とす。

「ATフィールドはスタンダードレベル、攻撃特性は自衛隊の攻撃程度じゃ解らない・・・・まるで相手にされてないものねえ」

使徒の張り巡らせたATフィールドが極めて高い攻撃力を無効化していた。
ミサイルの欠片一つその身体に触れることすら出来ないのでは使徒の相手としては役者不足も甚だしい。

使徒が自衛隊を驚異と認識しなくても無理無かった。

・・・・考えた?まさかね・・・・

頭を振り額に落ちてきた髪を払うとマヤの手渡したデータを頭の中で構築していく。
そこからの結論は特に驚異になりそうな記述はなく、今まで殲滅してきたのと同レベルと考えて良かった。

「ミサト・・・・?・・・・」

作戦本部長にそのことを伝えるべく葛城三佐に声を掛けるが何かに熱中しているようで返事はもらえない。
彼女のそんな様子にさっきより皮肉さを込めた笑みを浮かべ、モニターに張り付いている同僚に目を向けた。








通信モニターの中に映っている二人の少年少女。
そこには緊迫感も真剣みも何もなく、仲のいい同級生が教室で話しているようにすら見える。
とても人類の命運を抱え出撃直前の『最終決戦兵器』のコクピット内部の様子とは思えなかった。

「・・・・・・ずいぶん余裕かましてんじゃない」

周囲の大人達は殺気だった緊迫感を纏って走り回っているというのに、最前線の当事者としては信じられないほどだ。

あれほどエヴァのパイロットであることに屈託を見せていたシンジが何の危機感もない顔でプラグスーツを着ている。
そして何よりあの綾波レイがにこやかにシンジと話をしている様子が、ミサトに違和感を感じさせた。

「まったく・・・・このくらいの子は解んないわね」
「あん・・・・何なんだかって感じね・・・・あたしゃぁついてけないわよ」

背後から声を掛けたリツコにミサトは驚きもしない。
実のところさっきから呼ばれていたのは知っていたのだが、それよりも二人の様子が興味を引いていたのだ。

「余裕が出来たってことは自分なりに決着ついたのかしら、この間までグズッてたんでしょ?」
「そうなんだけどさぁ・・・・そんな簡単なものな訳?ちょっと言われたくらいで納得できるようなこと?」
「理解できないのは世代の違いでしょ?あの子達には現実感がなさ過ぎるのよ。ごく身近に感じたこと以外はね・・・・」

苦笑を浮かべながら同僚の科学者はモニターを覗き込む。
自分の半分しか生きていない子供達は置かれた立場には不釣り合いな笑顔だった。

「さて二人とも、そろそろお喋りやめてくれる?これから作戦説明するから」

どことなく苛立ちの混ざった声がミサトの口から発せられる。
実際時間はあまりないし、目の前では自衛隊の特別編成部隊が派手に花火を揚げていた。
何時までも無駄話をしている暇は何処にもないはずだった。

「じゃあこれから現場の地図転送するからモニタに出して頂戴。装備だけどレイはポジトロンライフル、シンジ君は・・・・」
「解ってる、B装備で近接戦闘だろ?どうせそれ以外じゃどうにもならないし。綾波バックアップよろしくね」

シンジは殆ど見向きもせず火器制御検査を行うと浮かんでいた笑みを消し去る。
そして呆気にとられたミサトの前で無機質なまでの表情を見せながらメインスクリーンの脇に流れる情報を見つめ、それに合わせ設定を続ける。

「ミサトさん、アクティブソードとパレットガンも付けて。ナイフだけじゃ不安だから」

おおよそシンジの口から発せられたものとは思えない台詞だ、彼がエヴァに乗る際ここまで前向きな姿を見せたことなど無かった筈である。
作戦概略はミサトに一任し、装備など何一つ関わろうとすらしなかった彼が今日はやけに積極的だった。

「そういうことはこっちから指示するから勝手なことは言わないでくれないかなぁ」
「何で?戦うのは僕だよ?やりやすいようにやらせてよ」

不真面目というわけでもなく反抗的とも違う、それでいて真剣みのないどこか淡々とした冷め切った顔だ。

「指揮はあたしが執るんだから言うこと聞きなさいよ」

半オクターブ程低くなった声がマイクを通り聞こえてくるがエヴァのパイロット達にそんなことは気にもならないようだ。
恐らくミサトが強制的に決めればそれには従うだろう。
だが彼女には面白くないことにシンジの言っている事が的外れではなかったので、ミサト自身が改めて指示をしたとしても似たような内容にしかならなかった。

「随分立ち上げに手こずってるじゃない。あの子また駄々こねてるの?」
「・・・・・・そういう訳じゃ無いけどね。シンジ君良いわね、もう何か言ってる暇無いから作戦通り動いてよ」

やはり無機質な表情は変わらないが反抗する様子もなく大人しくミサトの指示に従った。

「ところで分析見たけど自衛隊辺りの攻撃じゃなんにも解らないわね。やっぱ直接やり合うしかないか・・・・行き当たりばったりね」

自笑気味な顔でデータシートをリツコに返すとメインモニターに目を向けた。
3D表示された第三新東京市地図、その尤も南に位置するセカンドインパクトと同時に出現した二十一世紀の海岸線。
民間建造物は全くなく、聖域のごとく隔離された常時立入禁止の場所だ。

開発区と名付けられた特務機関NERVの直轄する使徒迎撃専用戦闘区域でもあるそのポイントに、赤い点で使徒が表示されていた。
迎撃のために10棟の兵装ビルが指示を待っている。
ここで戦う分には取り敢えず被害は出ないはずだ。
何しろ使徒が何処から来るのか、それが解らないものだからどうしても迎撃専門になる。
こうして礼儀正しく戦闘予定地区に来てくれるのだからミサトとしては感謝したいくらいだ。

・・・・・何の用で来るんだか教えてくれればもっと感謝したいんだけどね・・・・

皮肉に満ちた笑みが彼女の紅い唇に浮かぶ。
多分今回も何も解らないまま終わりだろう。
負ければそれまで、勝てば何時になるか解らない次のために足掻く日々が始まる。
「馬鹿馬鹿しいわ・・・・っと。さて二人とも準備良いわね」

モニターの中で二人が頷く。

「零号機、初号機をS18リフトに移動・・・・・・」
「移動終了、各装備安全装置解除、リフトコースオールグリーン。いつでも出せます!」

いよいよ「聖域」を守るべく、人間の作り出したテクノロジーで塗り固めた守護神達が胎動を始める。

「エヴァ両機、出撃!!」








シンジがプラグスーツに付いている腕時計を覗き込むと9:04を表示していた。
本当なら一時間目の国語を教わっている筈の時間だ。
だがこうして得体の知れない乗り物の中で得体の知れない相手と向き合っている。
無論シンジが望んだことでも納得している事でもない、必要性だけを理解していた。

こういう状態の時どうやって現状を受け入れるか、その術を彼は体得していた。

「仕方ないんだ・・・・」

諦めるしかない、今までやってきたように。

改めて自分の身体と繋げられた映像を見回す。
開発区は相変わらず殺伐とした様子で初めて見た時と何ら変わりはない。

規則的な旋回運動をしながら飛び回る自衛隊の戦闘ヘリが如何にもひ弱そうに見える。
それでもなお果敢にミサイルを発射し、ロケット弾を打ち込み、機銃が咆吼するが全て無意味な行為になっているのがシンジにも解る。

だからこそ自分の役目が浮き彫りにされているのだ。
通常兵器では歯が立たないから通常でない兵器を操る彼が戦場に立たねばならない。
そこには理屈も道理も無くただ仕方のない必要性だけが存在していた。

『レイ、早速ATフィールド展開させて中和開始ね。シンジ君は陸自のヘリが退いたらパレットガンで掃射開始、合図はあたしが出すわ』

通信機からミサトの指示が伝わる。
作戦というにはあまりにも大ざっぱだが40メートルを超す身の丈を持つ巨人達の戦いに、細かな作戦など出来よう筈もない。

青と白のカラーリングを施された零号機の周囲が一瞬歪み、見えない何かが前方に向かって広がっていった。
発令所の観測器のグラフは派手に踊り狂っていることだろう。

「綾波、そのまま続けて。今穴開けるからそこに介入して一気に広げるんだ」
「了解・・・・気を付けて・・・・」

シンジとレイの間で簡単な作戦が交わされる。
戦術的な指揮はミサトが執るが具体的な方法論となるとレイとシンジだけにしか解らない。
何しろエヴァに乗れるのはこの二人だけなのだ。

シンジは静かに突入のタイミングを伺う。
それを知ってか知らずか使徒はただ悠然と宙に浮かんでいた。
まるで宙に浮かぶ長大なスプリングを思わせる形状でゆっくりと回転しながら第三新東京市の中心部を目指している。

その外観からはシンジとレイにどんな攻撃をするのかは見当が付かなかった。
徐々に縮まってくる間合いに圧迫感を感じながらも初号機はその場から後退しようとはせず、パレットガンを抱え巨大な銃口を向ける。

やがて葛城三佐からの指示が陸上自衛隊特別編成部隊のヘリに伝わり、蜘蛛の子を散らすように遠ざかった。
これから行われる凶宴はあの巨大な者達だけが参加できるのだ、いかに戦闘ヘリといえどそんなモノに巻き込まれたらひとたまりもない。
ほぼ安全と思われる距離まで退避すると、決められた作戦通り零号機の背後に展開する。

『シンジ君、準備良いわね・・・・・・・突撃用意!』

エヴァ初号機の抱えたパレットガンが猛然と咆吼する。
それを合図に七機の戦闘ヘリが抱えていた弾薬を一斉に放ち、零号機のポジトロンライフルが光槍を投げつけた。

巨大な使徒の身体は一瞬にして爆炎の渦の中に沈む。

辺りを埋め尽くす轟音と閃光、それらはシンジに何の違和感もなく当たり前のように映った。
それだけ自分が慣れたと言うことだろう、漠然とそんなことを考えながら目前での光景を眺めていた。
かつては恐怖だけしか見いだせなかったこの場を今では冷静に見つめている。
次に自分が何をすればいいのかが自然に浮かんでくる。

初号機は撃ち尽くしたパレットガンを地面に置くと肩のアタッチメントからアクティブソードを引き抜き、教わった通りに構え剣先を使徒に向けた。

・・・・突撃、か・・・・

大きく息を吸い目標を見据えると、リアクションレバーを引き絞って出力を上げる。

目の前の敵に恐怖しか感じなかった身体は、今弾けそうなほどの熱気が満ちていた。

・・・・やらなきゃ、しょうがないんだよ・・・・

諦めと酷似した思いはシンジという少年を一層冷静に、そして好戦的にさせていった。

『後10秒後に砲撃やめ、シンジ君はそれに合わせ突入よ・・・・・・秒読み開始!!』

ミサトの指示と同時にカウンターが表示され正確に時を刻む。
そしてカウンターが0を示したとき、鋼鉄のオーケストラはその派手な演奏をやめた。

幕の代わりに黒煙が凶暴な楽隊を覆い隠す。
暫し静寂の後、アンコールに応えたのは長大すぎる剣を掲げたシンジと初号機のデュエットだった。










「アスカ、今日はそっち誰も居ないわよ。シャッター締めて立入禁止になってるから工事中みたいね」
「ふーん・・・・・いいわ、戻ろう」

弱々しく点滅する蛍光灯を頼りなさげに見上げながら、薄暗い廊下を二人は自分達の部屋へと向かった。

「・・・・・・今日は何か慌ただしいわよね。学校来てすぐ避難命令だったし・・・・」
「やんなっちゃう!何でここにばっか来るの!?たまには余所に行けばいいのに!」

思いっきり蹴飛ばされた空き缶が勢い良く壁にぶつかり、軽そうな音を立て無軌道に転がった。

碇家の3人が学校に到着した途端発令された避難命令。
おかげで比較的学校から離れている登校途中だったクラスメイトの半数ほどは、他の避難所に逃げ込んだらしく姿が見えなかった。
だがヒカリはいつも早く教室に来ているのでアスカは人口密度の低い避難所で退屈な思いをせずに済んだ。

何しろ一緒に来たはずのレイとシンジの姿が今回も見あたらなかったのだ。
勿論避難時のドタドタ騒ぎではぐれたのだろうとは思うが確信はない。

「でもこの辺のブロックは閉鎖中のDブロックで全部よ。下の階層に入ったんじゃない?碇君も綾波さんも」
「だって同じ教室にいたのよ?AブロックじゃなくてもBかCブロックに居るはずなのよ」

アスカ達の居る「佐鳴台北区避難所」はAからDブロックの第一層、EからHの第二層から構成され、それぞれのブロックは細分化され長期避難用の寝室や浴室、食堂、貯蔵庫などが備わっている。

第一層のA、B、C、Dブロックのうち、アスカ達が最後に見回ったDブロックは工事中とやらで閉鎖、医務室に割り当てられているCブロックは幸いなことに使用者が居らず閉鎖中。
現在最も人が居るのはA,Bブロックだった。
にもかかわらずそこに二人の姿はなかった。

「・・・・やっぱり第二層に行ったのかなぁ。どうせエレベーター乗り違えたのよ、きっと」

どことなく気落ちした色が青い瞳を翳らせる。
ヒカリはそれを励ますように大きく頷き居住区のドアを開けた。

彼女達の通う第一中学校と佐鳴台小学校、そして周辺住民が避難するこの指定避難所はかなり閑散としていた。
元々相当余裕を持って作られていたが、今回は朝からの避難命令のためか前回よりさらに余裕がある。
アスカの見知った顔もごく数名しかいない。

避難人員確認のため第一層と第二層の通用エレベーターは閉鎖されている。
人数が確認されないうちに動かれては管理側もたまった物ではないからだ。
もし長期避難になれば現在は封鎖されている各階層ならびに他地区への通路が解放され、蟻の巣のように繋がる。
そうなれば互いに行き来することが出来るのでシンジ達に会うことが出来るだろうが現状では避難して30分、分厚いシャッターは閉じられたままだった。

避難所に入ってからずっとシンジとレイを探し歩いたが結局徒労に終わった。
居住区の長椅子にヒカリと並んで腰掛けると大きく息を付いた。
周囲を見回せば彼女達と同じように避難命令に従った人々が壁に埋め込まれたTVを見つめている。
どの顔にも悲壮感は無くむしろまたかと言うような気怠そうな表情が浮かんでいた。

今まで幾度も巨大生命体の攻撃を受けたが、その物々しさの割に都市部へは被害もなく、死傷者も公式発表では居ないのでどこか緊迫感が欠けているのかもしれない。

それぞれ備え付けのティーポットからお茶を注ぎ近所の主婦同士雑談に華を咲かせている。

「アスカ、電話は繋がったんでしょ?」
「うん、でも何処にいるか聞く前に切れちゃった」
「Dブロックの工事で回線状態が悪いんだって職員の人が言ってたわ・・・しょうがないわよ」

紙コップに緑茶を注ぎアスカに手渡す。
廊下に行けば缶ジュースが売っているがお互い買いに行くのが面倒だった。

アスカは少し薄目のお茶を一口啜ると指を折り何かを数え始める。

「二・・・三回目、四回目・・・・・これで六回目、今気が付いたんだけどあたしシンジやレイと一緒に避難所にいたこと一度もないのよね」
「そんなの偶然よ、それに避難するときっていつもゴタゴタするから」
「そう思うんだけど・・・・」

勿論二人がただの同級生ならそういう事も言えるだろう、実際避難所で一度も見ていないクラスメイト一人や二人ではない。
だがあの二人は違う、偶然で片づけるにはあまりにも互いの距離が近すぎる。

分厚い装甲板を通し聞き慣れてしまった爆撃音と振動が伝わり、天井から積もった埃を振り落とす。

「ねぇアスカ、多分気にすること無いよ。綾波さんも碇君も別にワザとそうしてる訳じゃないんだから」
「そんなの・・・・・解ってる・・・・・」

自分だけのけ者にされている、そう思うには普段の生活に変化がなさ過ぎた。
朝はいつもと同じようにシンジとレイを起こし、学校から帰るときは大抵一緒に帰る。
そして家では同じ夕飯を食べ、時折喧嘩しながら同じTVを見る。

何一つ変わったことなど無かった。
なのに何故か胸の奥が空っぽになってしまったような虚無感を感じるのだ。

「でもうちのクラスも今日はホントに人居ないわね・・・・・」

学級委員長のヒカリはこの避難所にいるクラスメイトをチェックして回り、35人中17名しか居ないことを学年主任に伝えていた。
残りの18名についてはシンジやレイ、担任のミサトを含め全員の安全が確認が携帯電話で確認されていた。
恐らく他のクラスも同様で、各担任の忙しさが思いやられる。

「ヒカリ・・・あの化け物いつまでここに来るんだろう・・・・」
「わかんないわよ・・・・・でも自衛隊が出てるし大丈夫よ」

アスカは素直に賛同できなかった。
以前間近で見たあの巨大ロボット、あれが自衛隊の持ち物とは思えなかったのだ。
自分を守ったように見えたあの巨大ロボット、多分偶然そこに居合わせただけだろう。
あんなロボットと知り合いじゃない。

考えてみれば奇妙な話だ。
あのとき見たロボットは一度もTVで映されていないどころか話題にもならないのだ。

避難命令が出された後は一切の外出を禁止され表の様子はうかがうことが出来ない、もし出歩いているのが見つかれば厳重に処罰される。
また他地域からも閉鎖されているため街の中はさながらゴーストタウンだろう。
そのためこれだけの出来事ながら一般に流れる情報は驚くほど少ない。

恐らく関係者以外であの巨大ロボットを目にしたのはアスカぐらいなものだろう、マスコミも巨大生命体出現時には閉め出されてしまうのだ。

少なくともあの化け物を倒すのは自衛隊じゃない、あの紫色のロボットだ。

「ねえヒカリ、一緒に外出てみない?何やってるのか興味在るし」
「駄目よ、危ないし怒られるわよ・・・・・一緒にここに居よ、何かあったら碇君に怒られちゃうし」

放っておけば自分一人でも外に出てしまいそうな様子だった。
地下に埋設された籠の中の鳥となったアスカは、どことなく危うげな無謀さが垣間見えた。










兵装ビルから発射された炸裂弾は使徒の本体に着弾し激しい火花を上げた。
堰を切ったように光の粒が「空飛ぶバネ」に襲いかかり、その黒い螺旋状の躯を派手に彩った。

「レイはATフィールドで介入し続けて!!全砲塔は弾が無くなるまで攻撃!!」

もはや使徒は無敵じゃない、最強の鎧たるATフィールドはエヴァ2機によってはぎ取られていた。
人の手による効果的な攻撃がようやく開始され、火薬庫にある弾薬を全て使い切りそうな勢いだ。

・・・・無駄だろうな・・・・

一歩離れたところからシンジは目の前の光景を眺めていた。
派手にまき散らされる閃光と爆音はこの少年には虚仮威しにしか思えなかった。
幾らATフィールドが無くなったところであんなもので倒せるわけがない、それは実際に戦っているシンジには手に取るように解る。

長大なアクティブソードをもてあそびながら再度突入の時機をうかがう。

「綾波、どうする?一旦砲撃やめさせて片づけようか。お昼までには終わらせたいし」
「・・・・・あのままでは倒せないから・・・・・あたし達がやるしかないと思う・・・・」

レイの目にも事態の推移は読みとれる。
このまま幾ら大砲を撃とうがミサイルを破裂させようが結果は変わらないだろう。

「じゃ決まりだね、パターンDの奴で行こう」
「・・・・・了解、パレットガン貸して。これでは重すぎるから・・・・」

大口径のポジトロンライフルを地面に突き立てると初号機から小型のパレットガンを受け取る。
その様子は各部署の指示に走り回っていたミサトの目にも映った。

「何勝手なことしくさってんのよ!!」

慌ててモニターにかぶりつくとマイクを手にする。

「あんた達こっちの指示を聞いてなかったの!?命令が在るまで待機でしょーが!」
『知ってるよ、だからまだ何もしてないじゃないか。それより砲撃一旦中止させて』

ミサトに比べシンジは遙かに冷静だった。

『パターンDのフォーメーションで終わらせようと思うんだ。このまま続けても倒せないし』

ミサトもそれは気づいていた。
ゆっくりではあるがその侵攻速度を落とすことすら出来ずにいたのだ。
勿論攻撃に手加減などして居らず、惜しげもなく弾薬を注ぎ込んでもその有様だった。

『お昼までには終わらせたいんだ、砲撃やめさせて』

多分それは正確な判断だろう。
問題はそれがシンジの口から発せられたことだ。
指揮官としてのメンツの問題ではなく、彼の資質とは大きく違う行動がミサトを躊躇させた。

彼女の知る少年はそんな積極的なことを口にするような事はなかったはずだ。
そこまでの変化がミサトには理解できない。

「やる気があるのは良いんだけど焦っちゃ駄目よ、こっちの指示を待ちなさい」
『そんなこと言ってたら終わらないよ・・・・・・もう行くよ』
「あ!ちょっと待ちなさい!こら!!」

モニタの中の巨人達はその指揮官の指示を待たずゆっくりと巨体を動かし始めた。

「ちっ!砲撃中止!!・・・・・やめろって言ってんでしょうが、ボケナス!!」

葛城三佐の怒鳴り声と共に戦場は静まり返った。
さっきから騒ぎ立てていたのは一方的に人間の方で、使徒は何一つ物音を立てていなかったのだ。

それが力の差であることは誰の目にも明らかだった。
ミサトにはそれが解りきっていたが出来ればエヴァを使わずに仕留めたいと考えていた。
そうすればエヴァのパイロットをわざわざ引きずり出さなくて済むのだ。

・・・・人の気も知らないで・・・・

苦り切った顔の彼女を余所に事態はどんどん変化していった。








「綾波タイミングとって。それに合わせて突入するから」
「・・・・・了解・・・・5.4.3・・・・・・」

初号機はアクティブソードを構え、零号機はパレットガンを構えそれぞれが臨戦態勢をとる。
ゆっくり進む使徒に変化はない。

「2.1.0」

最初に跳躍したのは零号機だった。
パレットガンは激しく震え弾倉に詰め込んだ劣化ウラン弾を吐き出す。
その背後を初号機が追走し一直線に目標に向かう。

人間達の攻撃に何一つ変化を見せなかった使徒はこのとき初めて牙をむいた。

スプリングのような螺旋状の躯が先端からほどけていき、鋭い先端が零号機目がけ槍のように延びる。
だがそれは左右にステップを踏んだエヴァを掠めただけだ。

「綾波!」

その呼びかけに応えるように弾倉を交換し、再び使徒目がけ掃射する。
攻撃の効果などあってないようなものだが目眩ましにはなる、それで良かった。
土煙を上げながら二機は左右に展開し回り込み、両方から攻撃を始めた。
零号機のパレットガンと初号機のハンドガンが咆吼し、使徒の身体表面で爆ぜる。

使徒の攻撃は左右どちらのエヴァに仕掛けるか迷っているようにも見えたが、やがてパレットガンで攻撃をしている単眼の機体へとその矛先を向けた。

一瞬蛇が鎌首を持ち上げるようにうねると零号機をその標的にとらえ、凄まじい勢いで空気を切り裂き串刺しにしようとその先端が突き出される。
だが機体の装甲を貫くどころか触れることすら叶わなかった。

「このおおおおおおお!!」

初号機の振り下ろした長大な剣は光沢を持つ黒い身体に食い込んだ。
激しい火花をまき散らし耳障りな高周波音を発する。
アクティブソードの刃を構成する分子が高周波により振動し、その発熱により紅く発光していた。

「バネ」は空中で「く」の字に折れたが切断するには至っていない。
それでもシンジは重要な情報を得ることが出来たのだった。

「綾波、中心部分にコアがある!!」

折れた身体の隙間から覗いた紅い宝石、それを目にしたシンジの瞳が輝く。
次からその紅球を集中的に攻撃するのだ、過去五回の戦いにおいてそれが最も効果的な戦い方だった。

使徒の先端が零号機から初号機にその目標を変え鋭角な先端を突き出す、が、破壊力に変換される前にその反対側からの攻撃を受けた。

単眼の巨人は殆ど距離の無い位置でパレットガンを斉射したのだ。
弾倉1つ分を全て命中させるとバックステップを踏み、少し離れた位置で弾倉交換を行った。
本当ならもっと安全な場所でするべき行為だったがレイには何の不安もない。

彼女の向かい側ではシンジの操る初号機がレイを援護するように攻撃を再開した。

「意外と息が合ってるじゃない、このまま押し切れるんじゃないの?」
「これで六戦目、その程度出来なきゃこっちが困るわよ!」
「あら、葛城三佐はご機嫌斜めね」

発令所で見る二人の「巨人」の戦いぶりはいっそ鮮やかだった。
レイとシンジの連係プレーは実に息の合ったもので、互いを援護しあいながら確実に効果ある攻撃を繰り返している。
リツコが楽観的に見るのも当然だった。

「このまま行く相手じゃないでしょーが!人の言うことも聞かんとあのガキ共はぁ・・・・」

初めよりさらに苦々しい顔で話しかけた同僚を睨んだ。
一旦後退して体勢を立て直してからと言うのが彼女の作戦構想だった。
陸自の戦闘ヘリ、兵装ビルと連動し総力を挙げ、より有利な状況で決着まで持っていきたかったのだ。

一見すると確かに両機の呼吸は息が合い理に適った攻撃をしているが、その実陸自のヘリとの連携攻撃が上手く出来ないから遠ざけただけだ。
何度もシミュレーションを行ってはいるが、レイとの同時攻撃は上手く行っても他の要素が絡むと途端にシンジのリズムが狂う。
ミサトは幾度も矯正しようと試みたがどうしてもシンジは上手くできなかった。
その苦手意識の結果だと思うと、幾ら見事な連係プレーを見せられても素直に喜べない。

そんな我が儘を聞いてやれるほど余裕を持って戦える相手とは思えなかったのだ。
さらには妙に自信を見せ指示に従おうとしないシンジもまたミサトにとって懸念の種だった。

勿論ミサト自身精神論を持ち出すつもりはない、ただほんの少しでも彼等自身の生存率を高めるために従って欲しいだけだ。

「日向君、陸自を左右に展開、青葉君は予備武装を上げてやって。どうせこのまま調子に乗ってればにっちもさっちもいかなくなるんだから」

軍事的専門訓練を受けたミサトには現状がそれほど優勢には見えなかった。

「葛城さんやけに機嫌悪いっすね。結構上手くやってると思うんすけど」

部下である青葉二尉の疑問に答えたのはリツコだ。

「ガキ大将って言うのはね、自分が中心にならないと機嫌が悪いのよ」








シンジはそれが「先端」だと一方的に決め込んでいた。
だからその動きには注意を払っていたがその反対側、最後尾の方から「バネ」が解け掛かってることなど気付きもしなかった。
夢中になってアクティブソードを振り回す初号機の背後から、使徒の反撃が始まる。
蛇のような身体の一部が首に巻き付き軋みを上げ締め上げてきたのだ。

一対二と言う優位はこの時点で崩れ去ってしまった。

レイは防戦一方となり、シンジは使徒の攻撃を耐えるだけとなり攻守がすっかり入れ替わっていた。

「言わんこっちゃない!陸自に連絡して」

別に予想が当たったからと言って嬉しくも何ともない。
本来ならそうなる前に手を打つべきだったのだが、シンジが協力しない以上どうすることもできなかったのも事実だ。

ミサトの指示は深緑のジープに乗っている一等陸佐の耳に届く。

「ほれ出番だ。野郎共、しっかり給料分働いてこい!でないと税金泥棒っいじめられるぞ」

陸上自衛隊特別編成部隊を預かる香山一等陸佐は事態の緊迫さなど何処吹く風だ。
この部隊は使徒迎撃戦用独立部隊として編成されており、装備、人員ともに通常のそれとは毛色が違う。

第一次使徒迎撃戦で大きな被害を被った自衛隊が、それでも外交的な理由で設立した部隊でかつて香山自身が語ったように「建前部隊」という位置づけだ。
残存兵力の寄せ集めと言った様相はどうしても拭えないが、そう言った部隊だからこそ由につけ悪しきにつけ指揮官の性格が色濃く反映される。

ヘリのパイロット達が音楽ディスクを持ち込んだり機体にドクロのマークを書き込んだりF1カー宜しく自動車メーカーやパーツメーカーののステッカーを張り付けたり、挙げ句の果てにはアイドル歌手のロゴを書き込んだりしてあるのは明らかに悪しき部分の反映だ。

だが指示を受けてから僅かな時間で編隊を整え、波状攻撃に移る技術も指揮官の反映だった。

蜂のダンスのように宙を舞いながら炎で作った針を的確に刺していく。
光沢を帯びた身体はその表面にシンジによって刻み込まれた無数のヒビをうっすらと浮かび上がらせていた。

これだけ巨大な目標だと滅多に外すようなことはないが、それだけに何処に攻撃を集中するかが問われる。
そしてもっとも効果的な攻撃を行えるのも彼らだった。
初号機のアクティブソードが一番激しく食い込んでいた身体の中心部に向け、抱えていたありったけの弾薬を叩き込んだ。

「さすがプロだな。動きに無駄がない」

モニターの中である程度の規則性を保って飛び回る戦闘ヘリの様子に、NERV副司令冬月コウゾウは感心したような感想を漏らした。

「・・・・・・・所詮番犬だ、その程度の芸が出来なければ餌を貰えん」
「連中はここの監視役かね?」
「わざわざ新鋭の空挺団を松代に引き上げて旧式装備のやつを持ってきたんだ、使い捨ての番犬だよ」
「籠もった役人がやりそうなことだ・・・・・」

碇ゲンドウと冬月コウゾウはある前提の上でこの戦いを見守っていた。
必ず使徒を倒す、それが大前提でその他の仮定しても何の意味もない。
エヴァがその仮定を事実にするはずだ。

「しかしあの二人も良く戦う・・・・」
「ふん、やらざる負えんさ。誰かが代わってくれる訳じゃない」
「まだ14歳だぞ、14歳の子供に縋って生き残ろうとする俺達はいっそ醜悪だと思わんか?碇」

どこか責めるような口調は自身の不快感をゲンドウに被せただけかもしれない。
だが答えは沈黙でしか帰ってこず、ただモニタの中で戦っている息子を見ているだけだった。
それが心配してのことなのか単に状況を見つめているだけなのか計りかねるが、少なくとも目をそらすことはしないようだ。

そんなゲンドウの視界に巻き付いた身体をふりほどき始めた初号機の姿があった。








自衛隊の攻撃にどれほど効果があったのかは不明だが、無力というわけでもないらしい。
少なくともシンジは首に絡みついた胴体を解くのにさして労しなかった。

さっきまで感じていた首の痛みと息苦しさから解放されるといつもとは違う感覚が残っていた。
エヴァに乗っていれば大半が緊張と恐怖心だけで埋め尽くされる。
だがそれらは消え去り、言いようのない苛立ちだけが残った。

腹が立つのだ。

まだ痛む喉をさすりながら再び攻撃をしようと伺っている使徒を睨み付ける。
今まで使徒を憎いと思ったことはない。
単なる必要性だけで特に敵と認識したこともないまま恐怖の中、無我夢中で戦っていただけだ。

「チクショウ・・・・何なんだよ・・・・」

ミサトに問うても答えは得られなかった。
必要性だけを説かれそれに納得するしかなかった。

・・・・・チクショウ・・・・・

抱えた山ほどの疑問が恐怖心を取り除き、今までになかった苛立ちを生みつける。

・・・・お前が来なければこんな事しなくて済むのに!・・・・・

アスカに嘘を付くこともなく、それが何時ばれるかという罪悪感を感じることもなく、怖い思いも痛い思いもすることもなく済んでいた筈だ。
それが何のために来るのかすら解らない「使徒」に押しつけられたのかと思うと、感じることの無かった憎しみまで沸き上がってくる。

・・・・おまえなんか!・・・・・

過剰な感情はシンジを取り込んでいる初号機をも狂気の固まりへと変えた。

「ブレーカー解除されました、シンクロ率最大深度に到達!!」

伊吹二尉の報告を合図に初号機は大地を蹴り使徒へと突撃した。
右手に握ったアクティブソードを無造作に振るい、甲高い高周波音をまき散らしながら使徒の攻撃を払いのけ一気に接近する。
そして左腕を伸ばし零号機に攻撃を仕掛けていた先端部分を掴みその動きを停止させた。

生物的な印象は全くない使徒の表面、どちらかというと金属的な冷たさを感じる。
かといって機械で出来たロボットなどでは絶対にない。

生物でもなく機械でもなく・・・・・正真正銘の「正体不明」だった。

「お前なんか来なければ良かったんだよ・・・・・そうすれば何も変わらなかったのに!!」

使徒の身体がその意志に反した形で宙に浮かぶ。
まるで背負い投げのように使徒を地面に叩き付けるとありったけの力で踏みにじった。
それだけでは足りない、幾度も幾度も踏みつけ地面までも大きく窪ませる。
アクティブソードを逆手に持ち所構わず使徒の身体に突き立てる。

尽きることなく沸き上がる苛立ちを全て叩き付けるまでやめられない。
高周波音が響きわたる度にシンジの顔に満足げな笑みが浮かぶ。

鋭い刃先が黒い身体に突き刺さり、ダメージを受け脆くなっていた表面を易々と切り裂き体液を辺りにぶち撒いた。

幾度も幾度も刃を突き立て返り血を浴び初号機を染め上げる。

その様子は発令所内にいる大人達を慄然とさせた。

「あれ・・・・シンジ君ですか?・・・・・」

どこか怯えた顔のマヤに比べミサトの表情は遙かに冷静だった。

「そうよ、間違いなく彼ね。今までの暴走まがいとは違うわ・・・・冷静なままで望んであれをやってるのよ・・・・」

過去にシンジが恐怖の裏返しに初号機を半暴走状態にしたことはあった。
だが今回は違う、自分で望んで目の前の惨状を演出しそれを喜んでいるのだ。
それを止められる者は何処にもいない。
彼の気が済むまでそれは続けられるだろう。

使徒に対して抱いたより質の悪い恐怖を感じた大人達の視線を浴びながらシンジは「役目」を果たしていた。
巨大な足が抵抗を続けた使徒を地面に押さえ付け、螺旋状の身体を力ずくで引き伸ばす。
全身に大小の傷が刻み込まれた身体は激しく軋む。

身体の隙間が見る見るうちに広げられその相田からは深紅の宝石が顔を覗かせた。
それを目にしたシンジに狂喜に似た笑みが浮かぶ。
無数のワイヤーのような物に支えられ胴体の中心部に浮かぶ宝玉を略奪者のような顔で見つめ、そして殺人者のようにアクティブソードを振り下ろす。

およそ耐えられない非音楽的な狂音が眺めていた全ての者達を打ちのめした。
ヘッドフォンを付けていたマヤに悲鳴を上げさせ、リツコを顔をしかめさせ、青葉、日向に耳を塞がせた。

そしてモニタに映ったシンジの様子はミサトを今までにないほど困惑させている。
それは恐怖を高じて破壊衝動を露見させていたシンジではなく、目の前で破壊を楽しむシンジだった。

同じ場所から眺めている紅い瞳の少女は言い様のない不安に背中を押されていた。

・・・・飲み込まれていく・・・・

目前の光景に半ば呆気にとられていたレイだったがやっとパレットガンの弾倉を交換し攻撃態勢を取る。

一刻でも早く使徒を倒してしまいたい。
さっき感じた危機感はレイを焦らせた。
レイは躊躇無く零号機を突入させコアに全弾打ち込んだ。

第六次使徒迎撃線は九時四十五分、コアは紅い閃光を放ちヒビ割れ、どす黒く濁って勝負は決した。
使徒の身体はゴムチューブのように力無く地面に横たわる。

「碇君・・・・もう良いの」

それでもなお初号機は使徒を攻撃し続けた。

「もういい・・・・もう終わりなの」
「此奴が来なきゃこんな事しなくても良かったんだ!!チクショウ!」

零号機に中にシンジの荒れた感情が反響する。

「碇君・・・・帰るの・・・・みんなが待っているから・・・・・」

アクティブソードを振るう度に突き抜ける快感に酔ったシンジに、レイの言葉は届いたのだろうか。
彼にとってここは解放区なのかもしれない。
普段隠していた部分を全て解き放つ、それを許される唯一の場所なのだろう。

使徒に対してどんなに感情を発露させても誰からも責められず、何をしても責められる聖域。

唯一自分自身でいられる場所・・・・・

「主電源切断!・・・・・止まったら回収部隊出して。あたしも行くからジープ一台用意させて」










第三新東京市国道403号環状線を普段なら滅多に走ること無い車が疾走していた。
深緑の車体の脇には白文字で「陸上自衛隊」と書いてある。
普段なら渋滞寸前で40km/hすら出せない道なのだが彼等の前には一台も車は走っていない。

「一佐・・・・あたし達帰ってきても良かったんですか?」
「いいんじゃない?あちらさんにしたって俺達がいたんじゃ隠し事もできねーだろ?」

壊したまま修理していない電動幌のジープではきつい季節なのだろう、香山一佐は防寒服の襟を立て寒さに耐えていた。

「一応報告書にはいつも通り書いておきますけど・・・・今回は結構早く終わりましたね」
「結構だね、俺残業嫌いだしさ。そりゃそうと最初に発見した海保のバカが89式で使徒に喧嘩売ったんだと。笑っちまうな、船は当て逃げされて今救助待ちだとさ、悲惨だよなぁ」
「はぁ・・・・まあ・・・良いですけど・・・・こちらには被害ありませんでしたし」

山科二尉の言うとおり過去の迎撃戦も今回の迎撃戦も被害は全くなかった。
その割に戦闘自体は「派手」なので山科にはある意味奇異に思える。

「あの紫色の奴のお陰だよ、イヤァお疲れお疲れ」

戦場だった開発区に向け適当に手を振る。
実のところ香山はそれほど「あの紫色」をありがたがってはいなかった。

・・・・ありゃ人の力じゃねーなぁ・・・・

自分達の操っているのは人が造って人が動かす武器だ。
それ故限界もあり必ずいつかは壊れる、無限の道具ではない。
だからこそ制御が利いて使う者の意に添って動くのだ。

だがアレはそれらとは違うように香山には見えた。
今のところ無敵の力を見せている巨人は果たして人が造った物だろうか。
少なくとも自分達自衛隊では逆立ちしてもあの巨人を取り押さえられない。
他国の軍隊にしても、それらが結束しても無理だろう。

武器ならどんなに強大でも何れは力尽きる、限界が存在するからだ。
だがあの巨人からは「限界」がどうしても見て取れなかった。

「なあ・・・・あの連中何考えてあんなモン動かしてるんだろうな・・・・」
「あれしかないからでしょ?実際あたし達じゃ援護しか出来ませんし」
「・・・・もしあのパイロットの気が変わって敵になったとき一体誰が止めるんだ?」

ハンドルを握る山科二尉の険しい顔がバックミラーに映る。
強い力を無条件で受け入れる危険性は彼女も良く知っていた、だが拒否したところでその代わりになる物は存在しなかった。

「どうにもならないんですよ、きっと。それに結果は同じだと思います、あの使徒って言う化け物に滅ぼされるのもあのパイロットに滅ぼされるのも」

開き直りにも似た言葉が風に靡くセミロングの髪と共に香山に届く。

「ま、どっちにしても得体の知れんモンに頼らざるを得んか・・・・そうだ、アレのパイロットにお歳暮すっか?世界征服するときはお手伝いしますんでヨロシクって」

これは開き直りではなく戯言だ。

「あたし思うんですけど・・・・香山一佐だけはみんなが滅んでも生き残ると思いますから心配いらないですよ・・・」

そしてこれは本音だった。








第三新東京市自体に被害は全くなく、景色は一時間前と何一つ変わらない。
それが当たり前だと言わんばかりに高層ビル群がそびえている。
まだ何れの建造物も無人のままで二本足の主が戻ってくるのを待ちわびていた。

最新鋭のゴーストタウンと化した第三新東京市最南端にあるゲートから一台のジープを先頭に、大型トレーラー数台と特殊ワゴン、兵員輸送車両が出現した。
どの車輌にも深紅の葉を半分に斬ったマークが刻み込まれている。

一般市民と呼ばれる人々には馴染みも用もない刻印だった。

「さてとお片づけ・・・・ところで陸自のおにーさん達は帰ったの?」
「あなたの所に連絡行ってないの?さっき急いで帰ったわよ。用が済んだらすぐ帰る、気が利いてるわホント」

ハンドルを握るミサトは苦笑を浮かべながらあまり路面の良くない舗装路を加速する。
確かにリツコの言うように何時も彼等の引き際は見事ではあるが、どことなく単に面倒くさがってさっさと帰っているだけのようにも彼女には見えた。
実際ミサトもそう思うことが多々あるのだ、特に今日などはその色合いが濃い。

「シンジ君なんだけどさぁ・・・・・」
「見事使徒を殲滅、それで何か問題あるの?」
「独断専行、命令無視・・・・・これが問題にならなきゃうちは組織じゃないわよ」

路面の陥没にタイヤを取られ車体が大きくバウンドする。
戦闘区域に指定されてるだけあって大小さまざまなクレーターが大地に描かれていた。

「それでも使徒を殲滅・・・・・あなたメンツだけで言ってない?」
「あたしのメンツなんてどうでも良いわよ!彼が勝手にエヴァを動かしたことが問題だって言ってんの!!」

勝手に動かして良い代物ではない。
何十にも掛かったチェック、確認事項、過剰なまでの警備は全て『エヴァ』の危うさを浮き彫りにしている。
だからこそ自身と周囲の安全のために指揮には従って貰いたかった。

暫し無言のまま殺伐とした開発区を眺めながらハンドルを操る。
「ほら、あなたの恋人が待ってるわよ」

巨大な人影の足下に小さな影が二つ、寄り添う様にリツコの指先にたたずんでいた。

「二人ともお疲れさま。怪我とか具合が悪くなったとかはない?」

殆ど義務的なミサトの口調はシンジの神経を逆撫でした。

「まあ、あれだけ好き勝手にやったんだから具合悪い訳ないか。だったらどういうつもりか答えられるわよね」

不機嫌さをまったく隠そうともせず、腕組みしたままシンジの返答を待った。

「いいだろ、使徒は倒したんだし・・・・・」
「何が良いのよ?あんた自分が何に乗ってるか解って言ってるの?」
「エヴァだろ!エヴァに乗って使徒を倒したんだ、何で文句言うんだよ!」

エヴァ搭乗後の為か、平時に比べシンジの神経は高ぶっている。
全身の神経が剥き出しになったかのようにあらゆる事に対して過敏で、ミサトの態度にも極度に感情が激高した。

「エヴァがどんな物か解って言ってるの!?その辺に転がってる自転車とは違うのよ、好き勝手に動かして良い物じゃないくらい解るでしょ!!」
「ちゃんと指示に従ったろう!!使徒を倒せって言ったのはミサトさんじゃないか、それに従っただけだ!!」










『あ、たった今情報が入りました!午前11時ちょうどをもって第三新東京市の第一種避難命令が解除された模様です。防衛庁の発表に寄りますと第三新東京市に出現した巨大生命体は・・・・・』

丁寧に結われたお下げが小刻みに揺れる。

「アスカ、もう終わったみたいよ。今からエレベーター動くみたい」
「そうみたいね、ちょっと待って、今支度するから」

アスカは暇つぶしに持ち込んだ雑誌を鞄の中にしまい込むと慌てて友人の後を追う。
急がないと昇りのエレベーターが混むからだ。
避難するときの第三新東京市市民は常に整然としており、海外のマスメディアからは尊敬と気味悪さをもってその様子を良く放映されている。
だが、避難命令が解除されいざ地上へと言う段になると、その混み方は尋常ではない。

押し合いへし合いと言った様子で我先に地上に向かおうとするのだ。
さすがに怪我人がでるような混雑はないがそれでもバーゲンセール一歩手前と言った様子だった。

逆に言えばそれだけ急がなければならない用事が幸いなことに第三新東京市に残っていると言うことだろう。

「早く早く!」

子供を引っ張る母親、先を急ぐサラリーマン、喋りながら歩いている小学生の群を軽いステップで交わしながら一人の少女が抜け出してきた。
淡い栗色の髪は元気良く跳ね、グリーンのスニーカーはリズミカルに前後する。
そしてエレベーターに飛び乗るとそこでちょうど定員となり自動的に扉は閉じられ上昇した。

「よかったぁ、間に合って」
「もうアスカったら何やってたのよ?」
「ちょっとね・・・・いろいろよ。それよりヒカリはすぐ家に帰るの?」

軽く髪を整えながら午後からの予定を聞く。
学校は勿論休校だ、しかし働く必要のある人々はそう言うわけには行かずそれぞれがそれぞれの職場に戻るだろう。

「うん、さっき電話したらお母さん達戻ったみたいで早く帰ってこいだって。お姉ちゃんもノゾミも帰って来るみたいだから」
「ふーん、じゃあ後で電話するね、あたしも一回帰るし」

どの親もきっと同じ事を言っているのだろう。
幾ら被害が無くてもその後フラフラ遊び歩かれたのでは親としてはたまったものではない。
やがてエレベーターは地上出入り口に着き、乗った人々を吐き出した。
かなり大型だが全ての人々を地上に出すにはまだ何回も上下しなくてはならず、これから数十分は忙しく働かねばならないだろう。

「アスカ?どうしたの?」
「シンジ達待ってるから先に帰って良いわよ。さっき電話してここで落ち合う事にしたから」

お陰で最初のエレベーターに乗り損なう寸前だった。
互いに別れの挨拶を交わすと急いで帰宅する友人を見送った。
やはり幾ら被害がなかったと言ってもその目で家族を見るまでは心配だろう。
それはアスカも同じで蒼い瞳で人混みの中からその目で確認すべき相手を捜す。

「・・・・あ!バカシンジこっちこっち!!」








「ただいまぁ!!」
「お帰りなさい。三人とも怪我はなかったわね」
「大丈夫、それよりおばさま聞いてよ!シンジもレイもまた避難所にいなかったんだから!」

帰り道でずっとその件について激しい討論が交わされていた。
それというのも自分と一緒に居なかった二人が何処にいたか明確に出来なかったからだ。
すっかりむくれたアスカはその続きをユイに訴えたのだ。
だがこの家の主婦が何かを言うより説得力のあるモノが三人の胃袋に染み込んでくる。

「取り敢えずお昼食べてからにしたら?すぐに麺が茹で上がるから」

分厚いテーブルの上にはいつもの席にそれぞれの箸が三つ並び、大きめのどんぶりが同じ数湯気を立てていた。

「早く食べないと延びちゃうわよ、胡椒はそこにあるわ」

言うまでもない、まるで鎖から放たれた犬のように三人はどんぶりにしがみつき口の中に麺を詰め込んだ。
ラーメンが伸びる間などありはしない。

「ふぁから何処にいたか聞いたらけじゃない!ズズッ・・・・はぁ、胡椒とって」
「だから避難所にいたって言ったろ・・・・ズズズッ・・・・・ほら胡椒」
「ズズズズズズズズズッ・・・・・・・」

腹が満足の悲鳴を上げるまで麺はおろかご飯一杯、スープまで飲み干すと満足のため息をもらす。
アスカやレイは自分の体重が気になる年頃なのだが体質なのだろう、平均より若干低めの体重のままなので食欲には何のブレーキも掛けられていない。

目玉焼きにご飯のラーメン定食はあっと言う間に片づくと香りの良い緑茶がそれぞれに注がれる。

「ふう・・・・ねえシンジ、レイこの後どうするの?何かやることある?」

お腹が一杯になったためかアスカの表情は柔和だ。
さっきまではなんとしても問いつめようと言う意気込みがあったが、今はお昼ご飯に埋没していた。

「別に用事はないけど・・・・部屋で寝てるつもり」

シンジの言い様は如何にも気怠そうで精根尽き果てた様子だ。
たった今腹一杯お昼ご飯を食べたのでそのせいもあるのかもしれない。
その隣でレイもどこか眠そうな目でボワッとした中心点のない顔をしていた。

共に柔らかいソファに身体半分ほどを埋め込んだままてこでも動きそうにない。

元気なのはずっと地下に閉じこめられて体力を使っていなかったアスカだけだった。
それだけに同じ状況下にいたはずの二人がこうもだらしない状態で居るのには呆れる限りだ。

「何よ、どっか遊びに行こうと思ったのに。ねえどっか行こうよ、何だったらゲームセンターでも良いわよ」

長い午後を家の中だけで過ごすのは余りにも勿体なく、腹ごなしにどこか出かけたいのだが二人の反応はまるで芳しくなくチラッと目を向けただけで返答は全くない。

黙りこくっているのか寝ているのかは不明だ。

「もう、レイはどっか行きたい所とか無いの?洋服買うとか本を買うとか、散歩でもいいって言ってるでしょ」
レイの半分ほど閉じた瞼がピクッと動いたが、やがてうっすらと目を開けただけの状態に戻った。
どこか赤ん坊の寝姿にも見えるような気がしないでもない。

結局どちらもアスカの退屈しのぎに付き合う気はないらしく、脳味噌を半分ほど休ませていた。

彼女はむくれっ面で向かいのソファにドスッと腰を下ろし、マガジンラックに挟んであった今日の新聞を広げる。
さして面白みのある番組のない時間帯だ、ましてや今日は深夜まで特集番組が組まれているだろう。
毎回言うことが同じなので今更そんなモノを見る気にもならなかった。
あっと言う間に新聞を放り出すとソファの上でひっくり返る。

「あぁ〜あ!すっごい退屈!脳味噌腐っちゃいそう!!」

聞こえよがしに愚痴をこぼしてみるが反応はやはり死にかけのナマコのような状態だ。

「しょうがないわね、そんなに暇なら買い物でも付き合う?」

ついさっきまで台所で片づけをしていたユイが見るに見かね出てきた。
何しろひっくり返りすぎて床と天井が逆さまになっている。

「この後洗濯物干したら買い物行くんだけど一緒に行く?」
「うん!じゃああたしが洗濯物干すからおばさまは準備して」

まるでユイが救いの女神のように見える。
アスカの足首を掴み始めた退屈の魔の手はどこかに消えていった。








避難命令が解除されて丸一時間経過した第三新東京市は、いつもの姿を取り戻し始めていた。
全てが、と言うわけには行かないもののバスは臨時便を増発して午後からはフル稼働するらしい。
特に公共機関の復旧は何時も早く、市民が不便を感じるようなことはまず無かった。

さすがに住宅地周辺部の小さなスーパーなどはまだ再開する様子はないが、駅前のデパートは既に店を開いているらしい。
そのような大規模店舗などは普及マニュアルが整備されており、建造物さえ壊されなければいつでも再開できる。

「アスカ、タクシー拾わない?」
「えー?勿体ないわよ。えっと・・・・後5分でバス来るからそれに乗ろう」

何時も用を足すスーパーがまだ開いてなかったので結局駅前まで足を伸ばすことになったのだ。

グレーのコートにロングスカート、首にはスカーフを巻いた出で立ちのユイ、そしてレットブラウンのハーフコートにグリーンのスカートとブーツ、そして同じように首にはスカーフを巻いているが柄は幾分子供っぽい。

本当なら普段着のままだったのだが、駅前まで行くのだからと二人とも慌てて着替えたのだ。
家には居眠りから目覚めようとしないシンジとレイは毛布を掛けたまま放り出してある。

「ふう、寒くなったわね。もう少ししたら雪でも降るのかしら」

見上げる空はうっすらと曇り、気が向けば雪でも落としそうな雰囲気だ。

「このままならクリスマスには雪が降るかな?降るといいなぁ」
「いつかみたいに当日になって熱を出さないようにしなさいよ。アスカははしゃぎすぎるから」

ユイの脳裏に少々昔の光景が蘇る。
クリスマス・イブの前日に大雪が降り、それにはしゃいだとある小学生の女の子は保護者の忠告も聞かずに一日中雪の中で遊び回った。
そしてイブ当日は風邪による熱と腹痛でせっかくのご馳走も何も口に出来なかったのだ。
さすがにその子の家族達もクリスマスイブは大人しく普通のご飯を食べる羽目となった。

あれから何年経ったのだろう、ユイは思わず吹き出してしまった。

「おばさま、何笑ってるのよ。もう雪ぐらいではしゃいだりしないわ」
「そうね、あれから随分経ったものね・・・・・あ、バスが来たわよ」

外観だけは古めかしいボンネットバスが予定通りの時刻にやってきた。
タクシーは「勿体ない」と言ったアスカだったが、実のところ買い物はバスで行きたいという妙なこだわりがある。
碇家は車を所有していないので小さい頃からバスに乗って買い物に連れていって貰った。
ユイに手を引いて貰い、敷き詰められた色とりどりの煉瓦の上をポンポンと飛びながらユイと並んで歩いた。

この街にちりばめられた様々なオブジェに自分の欠片が混ざっている。

「おばさま、ここは大丈夫よね・・・・・あんな化け物来ても・・・・・」
「当たり前でしょ、その為に・・・・誰かががんばってるはずだから・・・・」








ほんのちょっとした物音だった。
時計の針が進んだ音だったかもしれないし、危なげに積まれた古新聞の束が滑った音だったかもしれない。
何れにせよ一人の少年が居眠りから目を覚ますきっかけにはなったらしい。

妙な呻き声を発しながら思いっきり背伸びをして中途半端な眠気を追い払った。

「・・・・・・アスカ・・・・・アスカ?母さん?母さん、アスカ!!」

名を呼んだ人たちからの返答はない。
薄暗いリビングの中を彼の声だけが空しく抜けていく。

・・・・・出かけたのかな・・・・・

昼御飯を食べ終えてソファでお茶を飲み・・・・そこからの記憶が怪しい。
知らぬ間に眠り込んで目を覚ましたら誰も居なかった。
子供の頃迷子になったときと似たような心細さが一瞬頭の中をよぎる。
だが似ているだけだ、今のシンジにはもっと別の心細さを感じた。

戦い終わってエヴァを降り、そして見渡せば誰も居ない。
守るべき者が姿を消し、自分だけしか残らない。

「母さん!アスカ!何処にいるんだよ!!」

背中を無数に寒気が走り抜ける。
何一つ変わらない景色なのに根拠のない喪失感がシンジの中を埋め尽くされ、本当の迷子のように辺りを見回しながら部屋の中を歩き始めた。
そしてテーブルに置かれている紙切れには見知った文字がでかでかと書かれていた。

「・・・・買い物に行ってくるからそれまでに目を覚ませ!!・・・・買い物か、だから静かだったんだな。ったく、一言言ってから出かけろよなぁ」

ようやく状況を飲み込むと大きく欠伸をしながら絨毯の敷かれた床に腰を下ろす。
寝てる間に渇いた喉を冷蔵庫にあった缶ジュースで潤し、首を大きくひねると軽く音がした。

・・・・・いない訳無いんだよなぁ、勝ったんだから・・・・

アスカと同じように新聞のTV欄を眺めるがやはり付ける気にはならない。
今更中途半端な事を聞かされても面白くも何ともなかったし、第一自分達が映っているわけじゃない。
辛うじて映っているのは使徒の影と飛び回るありふれた戦闘ヘリだけだ。

何一つ変わらない世界がまだシンジの周りには何もなくならずに残っていた。

「・・・・・碇君、どうしたの?」

シンジの声で目を覚ましたのだろう。
柔らかい毛布を頭から被ったままシンジより小さな欠伸を一つして彼女も居眠りから目を覚ました。

「?・・・・・アスカは?」

シンジの手渡したメモに目を落とすとホッとしたように一息つく。

「・・・・・・・・だから静かだったのね・・・・一言ぐらい言えばいいのに」

どことなく不満そうにつぶやいた。
本当はアスカも二人を起こそうとしたのだが余りにも良く寝ているので、武士の情けで見逃してくれたのだ。

「綾波、飲むだろ?」

メモをソファの上に置くと、代わりによく冷えた缶ジュースを渡された。
いつもならエヴァを降りた後すぐに休憩室でシンジと一緒に飲むのだが、レイが何か言う間もなく彼はさっさと更衣室に籠もってしまったのだ。

その後はミーティングにも顔を出さず殆ど口を利かないまま本部を後にしていた。
レイも何か話しかけようと思いはしたのだが、元々饒舌の対角線上に位置しているし何よりシンジの様子がそれを躊躇わせた。

結局彼女が普通に話し掛けられたのは帰りのバスの中だ。

その後は良く覚えていない。
帰ってお昼を食べて・・・・・そして目を覚ましたら今になっている。

「・・・・・と思わない?」
「・・・・え?」
「ミサトさんだよ、何にも壊さないで使徒を倒したんだから少しぐらい誉めてくれてもいいと思わない?」

アスカが居ないせいか苛立ちが残っているせいか、声が少し大きめだ。

「終わった途端に文句言うんだモンな、こっちだって一生懸命やってるのに」
「・・・・そうね・・・・」

どう言っていいのか解らない様子ながら辛うじて相槌を打つ。
実のところ彼女はミサトが何を言おうが何も言わなかろうが気にしてなどおらず、記憶には「情報」としてだけ残り、そこに含まれる感情的なことなどその瞬間に消去されている。
それ故シンジの苛立ちが理解できない。
レイが口に出来たのは単なる相槌に過ぎなかったが、それでも理解しようと言う努力の現れだったかもしれない。

顔を半分ほど毛布で隠し、じっと白い手で包まれた缶ジュースを見つめる。

無事終わらせれば何時も飲んでるジュースだ。

「・・・・・・何も変わらなければそれでいいと思ってる・・・・使徒が来てもこうして帰れるから・・・・」

シンジやアスカ、それと彼等が大切にしている人々、そして自分、そして全てが集う場所。
まだ同一の世界上にありそれは明日も続くだろう。
その結果さえ出ていれば後の些細なことなどレイは何の気にもならなかった。










「だからその考え方は間違ってるって言ってんでしょうが・・・・・あーん」
「あらそう?別にいいけどあたしは酔っぱらいの相手はしない事にする主義なの。程々にしておきなさいよ」
「解ってないわねえ、お酒ってのは酔わなきゃ意味がないってさっきから口を酸っぱくして言ってるでしょー!」

特務機関NERV所属の技術部主任、赤木リツコ博士に支給された賃貸マンションの一室には酔っぱらいが一人クダを巻いていた。

激務から一時的に解放され翌日は午後から出勤、彼女に飲まない理由は何処にもなかった。

友人リツコの所有物である冷蔵庫を我が物顔で漁り、つまみだビールだと次々引っぱり出しては見る見る間に消費している。
「こいつ」と後一年付き合いが短ければ問答無用で最上階の窓から放り出した、この部屋の主は心の中でそうため息を付いている。

「まったく男に冷たくされた女の見本ね。ミサト、シンジ君の家に押し掛けないでよ、後始末大変だから」
「そうよ!リツコ電話貸して!!ここに呼んで説教しなきゃ!!」

怪しげな目つきは本当にそれを実行しそうだったので、リツコはそっと電話線のコードを抜き、代わりに新しい缶ビールを渡す。

「使徒は倒したし被害も事実上ゼロ、これ以上望むことはないでしょ・・・・・欲張りすぎると痛い目に遭うわよ」
「もう遭ってるわよ・・・・痛ったぁ・・・・テーブルに小指ぶつけちゃって・・・・」
「・・・・・・・・バカね」

リツコも3本目の缶ビールの飲む。
久しぶりだ、一人で居るときは滅多に口にしないのだが今日はミサトにも引きずられ飲んでいる。

絨毯の上に散らばったサキイカやカシューナッツの袋をゴミ箱に放り込みながら同様に放り出してあった書類を拾い上げた。

「第六次使徒迎撃戦緊急作戦立案書・・・・・この案だと随分陸自と兵装ビルの稼働率が上昇するわね」
「あん?・・・・・まーね、何もあの子達だけで喧嘩する必要はないからね。使えるんなら親でも司令でも何でも使うつもりだったのよ」

足の小指を押さえながらつまらなそうにミサトが今日実行されるはずだった作戦を披露した。

「まあ、ATフィールドはあの子達に任せるしかなかったんだけど・・・・その後こうして包囲網敷いてここで十字砲火する予定だったのよ、必要なら国連なり空自なりに爆撃要請してね」

二等辺三角形に切られたチーズをバターピーナッツが取り囲む。

「でもあの火力じゃ殲滅は難しいでしょ?ダメージ与えられれば御の字って所かしら?」
「だから足止めさせて要所要所は零号機の支援砲火・・・・倉庫に寝てる大口径のポジトロン使って・・・・それをあのガキャ・・・・無茶と無理は違うってまだわかんないのかしら、自分一人で突っ込んで・・・・」

振り下ろされた楊子がチーズを貫きミサトの口に運ばれ、これ以上はないほど良く噛んだ後飲み込む。
安物なので味の方はさしたことはない。
ついでにまとめてピーナッツも寄せ集め口の中に入れた。

「失敗したら死ぬ・・・・・それが解ってないんかしら?」
「解ってるけど理解出来てないんでしょうね、あの子達って人が死ぬのなんて目にしてないもの。平和な時代の生まれだから・・・・」

リツコは見てきた。
目の前で死んだ親友や路上で藻掻いて死んでいった街の人々、空き缶より多く転がっていた死体の数々。
それと同じ光景をミサトも見ている。

だからもう見たくはなかった。

「見てからじゃ遅い、そのことだけは理解して貰いたいんだけどね・・・・調子に乗ってないでさ」
「調子に乗る、か・・・・ミサト、あなたにしてみればその方が都合がいいんじゃない?どんな形にせよ今日みたいに前向きでエヴァに乗ってくれるんなら」
「あれが前向きな態度?冗談じゃないわよ、アレは単に諦めたのよ。いろんな事考えて答えを出せなくて・・・・開き直っただけよ、そんなのすぐに破綻するんだから!」

最後の一本の缶ビールを一気に煽る。
後は冷蔵庫にも台所の床下にも残っていない。

だがアルコールの精はすぐそばに来ており、コンビニの袋をぶら下げて入ってきた。
「うーーー寒いなぁ、ほらつまみとビール買ってきたぞ。リッちゃんはライトの方でいいんだよな?」








第三新東京市の上空には不釣り合いなほど巨大な月が浮かんだ。
影を全て消し、何もかもさらけ出すような容赦のない冷たい月光を放ち続けている。
電気自動車普及と人口減少による工業生産量の減少により都市部でも空気が妙に澄んでいる。
ただシンジやアスカにとってはそれが当然のようでセカンドインパクト前の人々のように複雑な感慨に耽るようなことはない。

「バァカ、早く窓閉めなさいよ、寒いわね」

いつものように夕飯後TVを見ようと思ったのだが予想通り「巨大生命体六度目の侵攻」なる特番が組まれ、何時も見ていた歌番組もドラマも潰れていた。
よって暫しTVゲームに興じた後、いつもと同じように誰かの部屋でたむろしている。
昨日はアスカの部屋、今日はレイの部屋だが順番など無くそのときの気分で決めるらしい。
ごく普通のいつもの夜だ。

「ねえシンジ、ポテチ取ってきてよ。冷蔵庫に入ってるジュースも一緒にさ。あんた達にも分けて上げるから」
「あ・・・・・・ごめん、ジュース飲んじゃった・・・・アスカ達出かけてるときに・・・・」

何気なく飲んでしまった缶ジュースはどうやら買い置きのものではなく、アスカのお小遣いで買ったモノらしい。

「えぇぇ!信じられなーい!!あたしずっと楽しみにしてたのにヒッドオオオオオオオオオオオイイ!!」

大げさに長い栗色の髪を振りながらベットの上で泣き崩れる。
余りにも芝居掛かっているのだが何か言うと今度はシンジが泣き崩れなければならなくなるので口は閉じている。

「・・・・・シンジ、今すぐ買ってきなさいよね。あたしスゴク喉乾いてるんだから」
「やだよぅ、外寒いし・・・・・明日でいいじゃんか」

空気はガラスのように冷たくとてもじゃないが出歩く気にはなれない。
「じゃあ紅茶でも入れてきてよ。まさかとは思うけどポテチまで食べてないでしょうね」
「めんどくさいからやだよ・・・・解ったってば・・・・いちいちぶつなよ」

結局追い出されるようにシンジは一階まで紅茶を入れに行った。
各部屋は暖房が入っているが階段と廊下まではさすがに空調設備は付いていない。
はんてんを羽織りとぼとぼと階段を下り、直接台所に向かう。

「母さん、インスタントの紅茶何処にあるの?」

何しろ台所に何が何処にあるかなどシンジはまったく知らないので、一々聞かないと満足にお茶一つ入れられない。

「そこの棚の3番目の奥に使いかけがあるでしょ?」
「使いかけって・・・・あ、あったあった。これどれくらい入れるの?」
「スプーン一杯半、そこに書いてあるんだから良く読みなさい」

一から十まで聞かないと入れ方すら解らないのは、彼が台所に殆ど足を踏み入れないからだ。
殆ど母親かアスカが入れてくれるのでそれに甘えきっている。

「アスカのカップは・・・・これっと、綾波と・・・・」

自分のマグカップも含め三つを並べ、不器用な手つきでインスタント紅茶をスプーン一杯半入れる。
そしてお湯を注ごうとしたとき、階段を駆け下りてくる軽い足音が聞こえた。
足音は廊下を渡りすぐそばの扉の前で止まる。
そして勢い良く扉が開くと一人の少女が立ちはだかっていた。

「あぁ!やっぱりインスタント入れてる!!すぐそうやって誤魔化すんだから。ちゃんと葉っぱの奴入れてよね!」

彼女はそう言い放つととっとと棚から四角い紅茶の缶とティーポットを取り出すとテーブルに置く。
インスタント紅茶を入れようとしていたシンジの数倍は手際よく準備する。

「ほらボッとしてないでさっさとやかんでお湯沸かしなさいよ。そしたら葉っぱを此処まで入れてゆっくりお湯入れるのよ、ポテチとクッキーが棚の一番下の手前にあるから準備できたら持ってきて」

きっちり指示を出すとシンジと同じ柄で色違いのはんてんを翻し、袖の中に手を引っ込めヒョコヒョコと二階に帰っていった。
わざわざ寒い中それを言いに来たらしい。

「・・・・・此処まで来たんなら自分で入れろよな・・・・・」








ティーポットの注ぎ口から立ち上る湯気は清涼な香りを放ってシンジの鼻を擽る。
お盆の上でカタカタと三つのマグカップが音を立てた。
いつもなら台所の出入り口から二階に上がるのだがリビングからの話し声に誘われ足を向けた。

TVの前に置かれているソファには夕飯時には居なかった姿がある。

「父さん・・・・帰ってたんだ。随分遅いんだね」

いつ帰ったのかすら子供達は誰も気が付かなかった。

「・・・・・本部にいたんだね・・・・・」

シンジの父親はごく簡単に頷き、彼の質問を肯定する。
相変わらず気難しそうな顔には一片の笑みも浮かんではいないが、それが不機嫌故なのかどうかシンジには判別できない。
専用のコーヒーカップを傾け砂糖の入っていないコーヒーを啜る。

「あの・・・・・今日の・・・・見たんだろ?」

一瞬母親の影が動いたように見えた。
重苦しい沈黙の中にいる父親と息子の間にTVのレポーターが割って入ってくる。

『今日の迎撃戦、相変わらず詳細は不明ですが現在解っている範囲で軍事評論家の・・・・』

リビングにいる3人は誰も見向きもしないが無関係に解説が始まる。

「今日戦って・・・・勝ったんだ・・・・」
「そうだな」

背後から聞こえる司会と解説者との応対とは正反対に簡潔すぎる返答、そして再び広がる沈黙。
一瞬お盆の上のマグカップが小さく揺れた。
発令所から自分達の戦いを見た上での返答だった。

「・・・・・・・それだけ?それしか・・・・」

全くの無関心を装い息子には見向きもしない父親がいた。
まるで分厚いガラス板を隔てているように自分の声が届かないような気がする。

「使徒を殲滅、それが出来て当然だ。その為にお前をエヴァに乗せレイも使っている」
「当然て・・・・倒すのが当然なんて・・・・・・」
「シンジ、エヴァの維持調整にどれくらい掛かると思っている。第三新東京市の防衛システム、本部の設備、装備全てひっくるめれば月の維持費だけで都市一つの予算に匹敵する、倒せなかったで済むと思うのか?」

今日初めて父親とまともな会話をした。
出撃前も帰還後も顔すら合わせていない。
一日の終わりにようやく交わせた会話は暖かみと愛情の感じられない無機質で事務的な物だった。

容赦なく事実だけを見せシンジの逃げ場も反撃も絶つ。

「お前のやっている事は遊びじゃない、一つの結果しか認められない事だ」

ゲンドウの視線はシンジから外れ、それ以上の会話を断ち切った。
息子の不満や疑問など聞く耳持たないと言った様子で雑誌を広げる。

一体父親と何を話したかったのだろう?
シンジは自問自答したが明確な答えは返ってこなかった。
何かを聞きたかったわけでもなく言い争いたかったわけでもない。
ただ今日のことを話し合ってみたかった。
自分達の戦いぶりをどう見たのか、そして何か言ってくれることはなかったのか少しでも話をしたかっただけだ。

日常とは違う出来事だから、当たり前の出来事じゃないから父親の考えを知りたかった。
だが父親との距離は思っていた以上に離れ、近寄ろうにもその途中には『大人』と言う巨大な壁があり彼を寄せ付けない。

シンジは立ちつくしたまま何も言うことも出来ず、ただ父親を眺めるだけだった。

無言の父親と何も言えなくなった息子。
視線すら合わせようともしない二人をからかうかのようにTVのCMソングが流れ出した。
いかに軽く明るい曲でも二人を和ませるようなことはない。

「それだけ・・・・だよね。父さんにとって今日のことなんかそれだけの事なんだよね、僕らがどんなに怖い思いしても」

絨毯を見つめながら呟いた言葉をやるせなさと憤りを込めて静かに投げかけた。
だが、霧の中に石を投げ込んだかのごとくどこかに消えてしまった。
父親を責める気にもなれず、かといって納得もできない。
シンジの思考は迷子になったように求める物を見つけだせず、当てもなく徘徊し始めた。

秒針が半周したとき廊下とリビングを隔てていた扉が開いた。
そこにはグレーの柔らかい生地で作った寝間着を着ている母親がいた。
彼女はほんの数秒リビングの様子を眺めると呆れたように口を開く。

「シンジ、何突っ立ってるの?お盆なんか持って・・・・」

不意に彼の周りの凍てついた時が流れ始める。
シンジは大きく深呼吸をすると無理矢理顔に笑みを浮かべ、数分前を振り切るようにユイに向き直った。

「何でもないよ、今日のことでちょっと父さんと話してただけ。もう上がるからお休み」
「あらそう?今日は早く寝なさいよ、明日は学校あるんでしょ?」

ユイは乾ききらない髪をタオルで拭きながらソファに座ると息子の様子を細かく観察する。

「疲れてるんなら明日は休んでも・・・・」
「いいよ、家に居てもやることないしミサトさんとも話しあるし・・・・明日は学校行くよ」

シンジは両親に背を向けるとユイの入ってきた扉から出ていった。
それと同時にユイの目は新聞を読みふけっているゲンドウに向けられる。
殊更文句を言う出もなくただジッと睨み付けるのだ。
時計の長針が一目盛り動くまで無言の時間は流れた。

それは溶けたバターが中途半端に堅くなったような居たたまれない時間だった。








「今日一緒に来れば良かったのに。ルテアでケーキと紅茶食べられたのに残念だったわねぇ」
「良く言うよ、黙って出かけた癖に」

シンジは月光をガラスの向こう側に押し出してカーテンを閉めた。
入れ替わった新鮮な空気は壁に埋め込まれたエアコンを通り抜け、3人の中学生を再び暖める。

「しょうがないじゃない、二人ともいっくら起こしても起きないんだモン。それにちゃんとおみやげ買ってきたんだから文句言わないでよね」

食後のデザートはチョコケーキとシュークリーム、ブルベリーケーキと割と豪華だった。
それを残らず食べた以上アスカを責めるわけには行かない。

空気の入れ換えをしていたシンジは大きなクッションの上に座ると、読みかけの雑誌を再び開いた。
つい最近3人で購入したクッションでアスカもレイも一個ずつ持っている。
レイはそのクッションを抱きかかえるようにして直接フローリングの床に座り込んでいるし、アスカはお腹の下に敷いてベットで寝転がって雑誌を読んでいた。
雑誌もクッションもそれぞれの部屋から持ち込んだものだ。

何しろレイの部屋にはベットとタンス一つ、後はこじんまりとした机以外は何もなかった。
別に買って貰えないわけではなく、本人が何も欲しがらない結果なのでどうしようもない。

それぞれくつろいだ姿勢で思い思いの時を過ごしていた。

普段は聞こえない遠くで車の走る音が微かに聞こえた。
羽毛が落ちるように時間だけがゆっくりと過ぎ、心地よい気怠さの中に身を漂わせる。
互いに会話がないが四六時中顔を突き合わせて居るのだ、こうして同じ部屋で一緒に過ごすのは特別なことでも何でもない。

数時間後に訪れる明日への繋ぎ目はいつもゆっくりと過ぎていく。
そして微かに残る紅茶の香りがいよいよ消え去ると、時計の針は十二時を回っていた。

「ふぁぁ・・・・・・二人ともそろそろ寝ない?」

何の危機感もない大きなあくび一つするとアスカは目をこすりながら床に転がっている二人を眺めた。
いつまでも起きていると本当に明日の朝がつらくなる。
たとえ身の丈40メートルの巨大な化け物が襲来しても退治されれば翌日はいつもの日々だ。

学校だって休みにならない。

「そうね・・・・・そろそろ寝る・・・・だからそこどいて」

レイが読みかけの雑誌を放り出してベットに潜り込もうとしたのだがアスカは一向に退こうとはしない。
頭まで毛布を被るとそのまま就寝の体勢に入ってしまった。

「いやぁ、面倒だからここで寝る・・・・レイ、あんた足冷たいんだからくっつけないでね」

赤い瞳に困惑の色が混ざるが無理に退かすつもりもなく、彼女の隣に体を横たえた。
身長も体格もほぼ同じ二人を大きなベットと毛布は余裕を持って包み込む。

「ちょっと、足の裏付けないでって言ったでしょ。すっごく冷たいんだから」
「そう・・・・」

アスカのふくらはぎにレイの足の裏が触れる度に身をよじる。
まるで氷のような冷たさだ。
大きいと言っても元々ダブルベットのサイズではないのだ、いろいろ体の向きを変え落ち着いて眠れる姿勢を取るまで少々かかった。

その一方でシンジは紅茶セットを片づけている。

「・・・・シンジ、ちゃんとそれ流しに持って行きなさいよ。その辺に放り出して誤魔化さないでね、例えば階段脇に置いて明日の朝持っていこうって言うのは無しよ。どうせ忘れるんだから」

半分寝ていても監視の目は光らせているらしい。
毛布の中から顔を出しはしなかったが声の調子からして見逃してくれそうにない。

「うるさいなぁ、解ってるよ・・・・じゃ、お休み」

この二人が一緒に寝るなど最近は珍しいことじゃない。
どっちかが人のベットに潜り込みそのまま動けなくなって一緒に寝ることなどしょっちゅうある。
「碇君、お休みなさい・・・・」

九割方眠りに入ったレイのぼやけた声が聞こえた。
そして規則正しい寝息が彼女の口元から漏れる。
極力音をさせないようにお盆にカップなどを乗せ、静かに扉を開ける。

背後で声がした。
半分起きている頭が聞き忘れたことを思い出したのだ。

「ねえシンジ、あんた今日避難している時どのブロックにいたの?探したけどいなかったじゃない、電話もすぐ切っちゃうから聞きそびれちゃったわ」
「え?あ・・・・ディ、Dブロックだよ。綾波も一緒だったよ、その・・・・・つい通路間違えちゃって」
「ふーん、相変わらずどじ・・・・ふぁぁぁ、とにかくお休みぃ」

かろうじて半分は起きていたアスカの脳味噌は急激にその活動範囲を狭め、何か言うべき言葉も消し去っていく。
後少しで夢の国に足を踏み入れようとしたとき、小さな棘のような疑問が微かに浮かんだ。



・・・・・Dブロック・・・・って確か閉鎖してた・・・・・




続く


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ver.-1.00 1999 02/05公開

何かありましたらこちら!!お気軽にどうぞ

お久しぶりです、覚えてらっしゃいますか?(^^;ディオネアです。
今更なんですが開けましておめでとうございます・・・・・って気がついたら二月(爆)今更なに言ってんでしょうか?

昨年度中は当作品お読みいただき、尚かつメールまで送ってくださりありがとうございました。
今年も宜しければお付き合いくださいませ。
さて物語の方は今年で完結させられればと思っています。
まあ、予定は未定という奴で出張したり休日出勤したりHDDが飛んだりCPUが死んだり新しいビデオカードが出たりしなければそうなるでしょう(--) 後は自分のHPも進めたいし・・・・結構忙しいかも。
てな訳で次回『すっげー昔の話(やっぱり仮題)』でお逢いしましょう。
では今回もお読みいただきありがとうございました。



 ディオネアさんの『26からのストーリー』第二十二話、公開です。





 ジワジワンと
 ジワジワ〜っと

 変化が・・


 戦闘に臨むシンジの姿は
 ”ジワジワ”ってものじゃないくて、
 かなりの−−

 頼もしさではなくて
 危うさが見えて、、こわひ。



 家、アスカとの間は
 こちらもなんだか。

 ぼんやりとしていた不信の類が
 大きく、輪郭が確かになりつつあるようで。

 こわひよ。


 親子の関係も
 ミサトとのも



 こわひ感じ。



 ・・・どうなっちゃうんでしょう。。




 さあ、訪問者のみなさん。
 あけましておめでとう!ディオネアさんに感想メールを送りましょう!




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