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26からのストーリー:第十九話:隠した戦い






雨の日は時間が長く感じられる、それは雨音が周囲の音を隠すからだ。
一体何処でそんなことを聞いたのか、幾ら記憶を探してもリツコには思い出せなかった。
雨音など聞こえるはずもないジオフロント、なら此処にいる限り時を忘れるなどと言うことはないのかもしれない。

長く感じようと短く感じようと一時間は一時間だ。
水道の蛇口を閉じながら、まだ一日の半分も経っていない時計を見つめた。

「まだこんな時間・・・・か・・・・」

雨はまだ降り出さないが今日はやけに時間が長く感じる。

「歳はとるのにね・・・・どんなに遅く感じたって・・・・」

鏡の中のリツコに話しかける。
当然何も言い返してこなかった。
諦めているのかもしれない、流れる時間の中にいることに。

「このバカ!!あんた一体何考えてんのよ!!」

鏡の張り付いた扉の向こう側から響きわたる怒声が誰の物か、何で怒鳴っているのかリツコにはよく判った。
それ故抱く感想は一つしかない。

・・・無駄なことを・・・・

「これじゃあ作戦がまるっきり無駄じゃない!!レイ、何とか言いなさいよ!!」

ベンチに座っている少女に向かって投げつけた言葉は彼女を素通りしてしまったらしい。

「ちょっと、返事ぐらいしたら!?」

ミサトの苛立ちはほぼ頂点に達しているのか顔が赤らんでいる。
無理もない。

さっきから何を言っても窓の外を見つめたまま何の反応も示さないのだ。
反省して無口になっているのでも、ミサトの剣幕に驚いて声が出ない訳でもないらしい。
その様子はまるでミサトなど此処にいないとでも思っている様だ。

「あんた・・・・自分が何したか判ってんの?」
「・・・・・・・・・・・」
「あんた一人が死ぬだけじゃ済まないのよ!!シンジ君だってあんた救うために危ない橋渡ったんだから!!」

シンジだけではない。
攻撃ヘリという脆弱な乗り物に乗った自衛隊員達もそうだ。

「そう・・・・」
「そうって・・・・・この!」

余りにも平然としたレイの様子にミサトの手がうなりをあげた。
乾いた音が廊下に響き、蒼い髪が揺れる。

「・・・・・・・・」

赤い瞳は全く感情を浮かべず赤くなった右頬に手を当て、グレーに塗り上げられたジオフロントを見つめていた。

「ダンマリ決め込んで済むなんて思わないでよ・・・・」

誰もいない廊下に静寂が満ちた。
ライトグレー一色の廊下が白々しく思える。
この先の行き止まりの所には『治療室』の赤いランプがついさっきまで点灯していた。

レイが反抗するならそれでも良かった、文句の一つ、不満の一つでも言ってくれるのならそれで良かった。
何かあるのならそれを解決するべく幾らでも話し合えた。

・・・・無視されてるとはね・・・・・

レイにとってはミサトの存在は無視できる、無価値な物なのだろう。
彼女はそれを強く感じさせていた。

「・・・シンジ君にお礼でも謝罪でも言っておきなさい。言う気があるならね」

ミサトもこれ以上何か言うこともできなかった。



恐らくベンチに座る前と座った後で表情にも態度にも変化はなかっただろう。
ジオフロントを眺めながら時の過ぎるのを待っているだけだ。

「綾波・・・・具合どう?」

恐らく誰が声を掛けても振り向かなかっただろう。
だがその声は彼女の耳を無視させなかった。

「大丈夫・・・・何ともないの」
「そうなんだ、取り敢えず良かったね」

声の主は隣に腰を降ろすとその心配した箇所に目を向けた。
白い首筋には何の変化もない。

「・・・・・碇君は・・・・大丈夫なの?」
「うん、直接攻撃されてないから・・・でもアクティブソード置いて来ちゃった。リツコさん怒るかなぁ・・・」

愚にも付かない心配を口にしながらも、シンジの視線は白い首筋に向けられていた。

「ゴメン・・・顎の下見せて」

その言葉に素直に顎が上がる。

「傷も跡も付いてないや。でも苦しかったよね」

神経接続されたエヴァンゲリオンのパイロットは機体と共にダメージを受けてしまう。
その事はシンジ自身良く知っている。
だからこそレイのことが心配だった。

「何であんな無茶したんだよ。あれじゃあどうしようも無いじゃないか」

シンジの質問は内容は今後の打ち合わせのために立ち去ったミサトと同じ事だ。
だがレイの返した答えはまるで違った。

「ごめんなさい・・・勝てると思ったから・・・」
「謝んなくてもいいけど・・・零号機だけじゃ出力安定しないし無理だよ」
「迷惑掛けたのね・・・・」
「そんなこと無いけど危ないよ」

相手を見ようともしない、それだけはさっきと同じだが窓の外を眺めているわけではなく、俯いてグレーの床を見つめている。
赤い瞳はシンジがかつて見たことがないほど悲しげだった。

「ごめんなさい、危ない目に遭わせて・・・・」

彼女にとって謝るべき事だった。
レイの目的からは大きく逸れた現実、それを自身で引き起こしてしまった。

「いいよ、そんなの・・・・・二人とも怪我なかったんだし、今のところ」

苦笑いを浮かべるシンジ。
思い返してみれば率直に謝罪の言葉を聞くことなど今までなかったような気がする。
少なくともアスカからそんな言葉を聞いた覚えはない。
それだけに照れくさかった。

「でも、無茶は止めなよ。みんな心配するし」

自分達のやることはいつでも無茶なことだ。
得体の知れない敵を得体の知れない乗り物で戦うのだ。
少なくともシンジは何も知らない。
それでも戦わなければいけないことが無茶だと思う。

そんな中でも生きて帰らなければいけない場所がある以上、必要なことはしておきたい。

「ミサトさんの作戦で少しでも帰れる確率が高くなるなら従おうよ。多分、その方がいいと思う」

およそ「らしくない」言葉だと自分でも思う。
今まで他人を諭すような事を口にしたことはなかった。
人より優れた物など何もなかったシンジに言えるわけがない。

自分にしかできないことが彼の自信になっているのかもしれなかった。

「碇君・・・・その方が安全なの?」
「その方が安全だよ、僕も綾波の心配したくないし」

シンジの言い方が悪かったのだろう、申し訳なさそうな顔のレイに慌てて言い直す。

「あのさ、心配するのが嫌なんじゃなくて・・・・違う・・・えっと・・・・その・・・」

上手く言葉が出てこないでオロオロするシンジを真剣な眼差しが見つめている。
彼の次の言葉を待っているのだ。

「綾波を心配するような状況にならない方がいいんだ、うん、綾波も安全な方がいいんだよ」

レイは回収されエントリープラグから出たときに見たシンジの顔を思い出した。
今にも泣きそうな、何処か痛みを感じているような、そして怒っているような顔だった。

・・・・あたしを心配していた?・・・・

その必要はないはずなのに。

・・・・あたしは心配されているの?・・・・

エヴァのパイロット、それだけの存在。
だが自分にとってシンジとアスカは特別な意味がある。
だからこそ無茶でもやれるのだ、自分が死ぬ事への恐怖心など微塵も感じずに。

「碇君・・・・・あたしを心配しているの?」

尋ねたと言うより頭の中の疑問が口から出てしまったようだ。
思いがけない物を見つけたような顔ですぐとなりの少年を見つめたが、彼女の呟きは届いていなかったようだ。
ぶら下がっているプラグスーツの袖を腰で縛っていた。

「あ、そうだ綾波喉乾いてない?」
「え・・・・すこし・・・でも・・・」
「大丈夫だよ、缶ジュース一本ぐらい。飲もう」

Tシャツを取りに行ったときに財布も持ってきたらしく、小銭を取り出すと早速背後の自販機で二本のレモンスカッシュを買い込んだ。

リツコに搭乗時は飲食を避けるようにと言われている。
パイロットとしては当然だろう。
トイレの問題もあるし神経接続されているのだから機体がダメージを受ければフィードバックにより嘔吐感をもよおすこともある。

少なくとも胃の中は空の方がいいのだ。

「!!」

レイの体がびくっと跳ね、驚いたような顔でシンジを見やった。

「冷やした方がいいよ・・・・・少し赤くなってるから」

頬に当てられた缶ジュースはよく冷えていた。
ミサトに殴られ熱く感じていた頬から熱が引いていく。

レイとミサト、二人のやり取りは着替えに行っていたのでシンジは見ていない。
だが怒鳴り声は階段のところで聞こえた。

「心配してるから怒る人もいるんだよ・・・・きっと。アスカもそのタイプだし」
「そう・・・・ありがとう・・・」

ミサトとのことを気になどはしていない。
レイにとっては無価値でどうでもいいことだ。
だがその事を慰めてくれるシンジの言葉が胸の奥の方へと染み込んでいく。

コップに水滴を溜めるように少しずつ、蒸発することなく。

「こっちの方が・・・気持ちいい・・・」

シンジの持っていた缶ジュースを受け取りその手を頬に押し当てる。
彼の手にはなめらかで柔らかい暖かさが、レイの頬にはひんやりとした手の感触が伝わった。

「綾波・・・・」

呼ばれた自分の名前を今度は無視して、その感触を心地よさそうに感じていた。





「目標本部に向けて侵攻再開、地中を進んでいます!!」

伊吹マヤ二尉の報告に発令所の面々は一斉にメインスクリーンに注視した。
其処には地上の様子が映し出されている。
ついさっきまで弾丸飛び交う戦場だったのだが、深緑のヘリが慌ただしく飛んでいる以外は何時も湾岸開発区と変わらない。

そう、使徒の姿も消えていた。

「モグラじゃあるまいし・・・・」
「映像切り替えます」

ミサトの半ば疑っているような呟きに答えるようにサブモニターに映像が送られる。
ジオフロントの断面図には地上から一本の筋のような物が地下に向かって斜めに描かれていた。

「天井部に取り付けたレーダーの処理映像です。地上から進入するつもりらしいですね」
「図々しいわね・・・・ちゃんとノックぐらいするべきだと思わない?」

マヤもそう思うが生憎と使徒にそのつもりはないらしい。

「地上じゃ卵、地下に潜ってミミズ・・・・節操ないわねぇ」
「本当ね。あなたのお友達じゃない?」

この発令所の中に置いて作戦本部長、葛城ミサト三佐にそう言えるのは一人しかいない。司令、副司令はこういった場合除外されるべきだろう。

「リツコの妹じゃない?あの図々しさはそっくりよ」

およそ不毛な会話が現場の最高幹部たる二人の間で交わされているが、それを注意する勇気溢れる仕事熱心な者は居なかった。

何れにせよどうにかしなければならない。
金色の色に染め上げた髪を掻き上げると赤木博士は側にいたシゲルに声を掛けた。

「青葉君、熱源モニター出して頂戴」

青葉の指がパネルを叩く。

「何かしら、この先端やけに熱源が集中してるわね・・・・詳しいデータは作戦室に転送して。ついでにトータルで画像処理して映像を頂戴」

使徒の分析はリツコの役目となる。
特性、強度、移動速度等、勝つために知らなければいけないことは幾らでもあるのだ。
その全てを任されているのだがさしたる重圧感も見せることなく淡々と彼女は作業を進めていく。

「マヤ、零号機、初号機の調整、装備点検終了までどれくらいかかるのかしら?」
「30分ですね。初号機はともかく零号機が・・・」
「20分で終わらせなさい。主要部分の確認だけでいいから」

それは事態がそれほどのんびり出来ないことを示していた。

本部へ向けての使徒侵攻、決して軽んじていい状況ではなかった。
その認識はミサトも同じらしく、各部署からの報告を受け数秒頭の中でまとめると口を開いた。

「関係者は五分後作戦室に集合、今度の対応を説明します。日向君あの二人呼んできて、レイが嫌がったら首に縄付けてでも引っ張ってきて」

マコトは先の二人のやり取りを何も知らないので困惑の色を浮かべたが、口にしての質問は何もなかった。





第一作戦室。
使徒侵攻の際この部屋を多用するのは発令所からさほど離れていないからだ。
さして広い部屋でもないがコンピュータも引かれており、MAGIとのアクセスも可能なので不便さを感じないで済む。
もっとも迎撃戦が始まってからこの部屋を使うこと事態、初期の作戦が上手くいかなかったと言うことなのであまり使いたくない部屋だ。

実用一点張りの長机が一つとパイプ椅子が少々、正面には発令所のメインスクリーンと連携した液晶画面が設置されている。
その脇にはホワイトボードが申し訳なさそうに置かれており、あまり高級感のない部屋だ。

「レイってよく判らないわぁ・・・・」
「部下の状態把握は上司の仕事よ、それが出来ていないって事は指揮官失格ね」

他のメンバーより先に入室していたリツコとミサトは長机を挟んで椅子に腰を下ろしていた。

「失格でもいいけどさぁ、あんなレイって初めて見たわよ。命令に従わないやらやたら好戦的やら」
「そう、あの子も思うところが色々あるんじゃない?それにあの位の年齢の子って命令聞かせる方が難しいわよ」
「普通の子はね」

ミサトの中でレイは普通の子ではないのだ。
少なくともミサトが着任して初めてレイに出会ったときからそう思っている。
今まで指示に従わなかったことなど彼女にはなかったのだ。

椅子をつま先で軽くけ飛ばすと安っぽい音が響く。

「それにあの戦い方は何?まるで死ぬ事なんて怖いと思ってないみたいじゃない」
「だからあの子なりの価値観で動いてるんでしょ?」
「命より大事って何?」

答えあぐねたようにリツコの眉が微妙に動いた。
数瞬思考をめぐらせたがいい答えは浮かばないようだ。
白衣の胸ポケットからタバコを取り出すと誰かがここに来る前に煙で見たそうとしているかのように白煙を吐き出す。

「レイは・・・・まあいいわ、とにかくあの子にもやって貰わなきゃいけないんだから何とかして頂戴。必要なら土下座でも裸踊りでもやってね」

冗談めかしているが反面事実も含まれている。
『何かしてくれれば乗る』と言うのなら『何か』をしてやらなければならない。
レイにしろシンジにしろエヴァに乗って貰わなければ戦う手段が何もないのだ。

だからこそ二人は中学校教師という一面を持たされている。
あの二人には伝えていない任務だった。

「レイは・・・多分全てを無視していられるのよ。あの子は普通のことは違うわ」

今まで感じていたことがミサトの口からこぼれ落ちるのと同時に「関係者」達が作戦室へとやって来た。
とにかく仕事はあるのだ、何時までも無駄口叩いている暇はなかった。





「使徒は現在16番装甲壁を突破している最中で一直線にこちらに向かっています」

壁に設置されている大型の液晶画面にコンピュータで映像化されたその様子が映し出されている。
地上監視カメラによって撮影された使徒の「変形」の様子も同時に披露していた。

使徒が見事シンジ達を「撃退」し、自衛隊の戦闘ヘリには目もくれず本体の下半分を紐のように変形させると地下に向けて穴を掘り始めたのだ。
勿論ヘリも攻撃は加えたが再展開したATフィールドに阻まれ、何の効果も与えられなかった。

結局無力な人間達を後目に地上から消えた。

「先端から陽電子砲のような物を射出して進んでますね。これで装甲壁に穴開けてますよ・・・・」

以前にも陽電子射出機能を持った使徒が現れたのだからそのこと自体はさして驚かない。
だが不味い事態に陥っていることはリツコもミサトも直感的に察知した。

「ミサト、対応策はあるの?」
「なければこの商売やってられないわよ、日向君、外壁構造図出して」

画面から映像が消えミサトの指示した画像に切り替わる。

「このまま装甲壁の中にいたのでは手の出しようがないですね、顔出すのを待たないと・・・」

マコトの愚痴にも似た呟きがミサトの耳に入った。
自分達の身を守る為にある頭上に広がった三十層からなる装甲壁。
それが今最大の邪魔者となっていた。

「正面投影面積がこれだけ小さいと顔出しただけじゃ一方的にこっちがやられるわね」

画面に映っている構造図の角度を変え正面を向ける。
紐状の使徒は正面から見ると点のように小さくなった。

それが天井から顔だけを出しジオフロントを陽電子砲で攻撃したらどうなるか・・・・・・

「ミサトさん・・・これじゃあ撃っても当たらないよ・・・・・」

現場の強みか、それとも自分の射撃能力を良く知っているのか。
この部屋に入ってずっと無言だったシンジがおずおずと口を開き最大の問題を訴えた。
「そう言うこと。でも向こうは撃ってくるわよ、遠慮なんかしないでね」
「天井じゃ手も届かないし・・・・」

相手が天井にいるのでは近接戦闘は無理だ。
このままでは一方的に陽電子砲の攻撃を受ける羽目になる。
絶望とは言わないまでもその親戚ぐらいの気分が周囲に広がっていく。

だがミサトは意地悪そうな笑みを浮かべシンジとレイに目を向け口を開いた。

「だから二人とも、悪いけど屋根裏でミミズ退治してくれる?」

再び構造図の角度が変わった。





地上は地下の慌ただしさに比べ、遥かに静寂が満ちていた。
いつもは人で溢れかえる駅前も物音一つしない。

「死んだようになってるなぁ・・・」

灰色の空の下に灰色の街、だからこそ彼はそんな感想を抱いたのだろう。
中学二年の稚拙な言い方だがそうとしか思えない。
手にしたDVDカメラを覗きながら誰もいない第三新東京市を暫し周囲を眺めた。
景色は同じなのに人がいないだけでこうも違うものかと半ば感心してしまう。

「さてと化け物は消えちゃったし・・・・・もう撮すモンはないかぁ」

辺りを歩いても自分の足音以外聞こえてこない。
さっきまで飛び回っていた戦闘ヘリも巨大ロボットもいつの間にか姿を消してしまった。

せっかく避難所を抜け出して来たというのに。
並大抵の努力ではない。
地上警備の自衛官と警官の目をかいくぐってきた苦労は並大抵ではない。
最も好きでした苦労なのだが。

「帰るか・・・・これ以上進むのはさすがに不味いしな・・・・」

今いる道路を南に直進すれば平時も立入禁止になっている湾岸開発区の入り口に到達する。
彼が第三新東京市に住んで十年近く経つが未だに開発区のままだ。
そう言った場所がこの周囲には幾らでもある。

行けない場所、見られない場所。

子供の頃はそれを疑問に思わなかった。

「とにかく撮影できたし・・・・って・・・・おおおおおっ!!」

すぐ側だった。
500メートルほど先の地面突然開き、それは昇ってきたのだ。

「あのロボットだ・・・・一つ目の方か・・・・・」

無我夢中でハンディーカメラを構えそのロボットの顔にズームする。
長大な剣を携えた単眼の巨人はまるで生き物のような滑らかさで地面に足を降ろす。

・・・・確かネルフとか言ったな、やっぱりジオフロントに・・・・

かつて父親のパソコンを覗いて見つけだした情報が頭の中でパズルのように填め込まれていく。

化け物退治の秘密兵器。
その登場の瞬間を初めて見て急に実感がわいた。

自分達の足の下で得体の知れない何かが動き回っていることを。

・・・・親父の仕事って、そう言うことなのか・・・・

漠然としたモノしか判らないが、父親を真似ただけの行為が意味有るように見えたような気がした。

ファインダーの中に映る名も知らないロボット。
何かを探すように、少しでも多く撮すように必死で撮影する。

単眼の巨人、それを操る者は彼の良く知っている人物なのだがそんなことはカメラのモニターからは判るわけもなかった。





「シンジ君、準備いい?レイはもう上に上がってるから」
「・・・はい、でも失敗したらどうするんですか?」
「失敗?そのときは此処が半分ぐらい灰になるだけよ。気にすることはないわ」

地上に上がるための射出エレベータに乗っているエヴァ初号機は拘束具に固定されておらず、いつでも動ける状態になっていた。

「打ち上げタイミングはこっちで取るから後はよろしくね」

ミサトとの通信が切れるとシンジは大きくため息を付いた。

・・・・無茶だよなぁ・・・・

10分ほど前に作戦室の会議でミサトから作戦の概要を聞いたとき真っ先にそう思った。






「使徒がこのまま直進してくれれば此処にぶつかるのよ」
「これって・・・・エヴァの三番射出口?」
「当たり。そんでもって使徒が顔を出した瞬間にこいつを引きずり出して潰す。簡単でしょ?」

作戦室で受けた指示はそれだけ聞けば確かに簡単そうだ。
エヴァンゲリオンを地下格納庫から地上部へ打ち出すため三十枚の装甲壁をくりぬいて作られた射出口。

現状のまま使徒が侵攻してくれれば其処を通過するはずだ。
この射出口が今となっては被害をもたらさず使徒に接触できるポイントだった。
ATフィールドを纏い、更に装甲壁の中にいられたのでは文字通り手も足も出せない。

「こいつが間抜け面さらした途端に首根っこ引っこ抜いてやんなさい!」

ミサトの調子のいい言葉が重苦しい作戦室を駆け巡る。
しかし五回もの迎撃戦を経験したシンジはどうしても言葉通りには受け取れなくなっていた。
疑い深くなった、あるいは悲観的になったと言ってもいいだろう。

「もし・・・・顔を引っ込めたら?」

使徒に顔があるのか?そう言おうと思ったが気分的に言えなかった。

「そん時は諦めましょ。でもまあ、一回ぐらいは顔出すっしょ・・・」
「一発勝負ですか・・・・」

顔を出した瞬間に捕まえる。

ミスが出来ないのだ。
普段の生活の中でそうせっぱ詰まった状況に陥るとすればテストぐらいなモノだ。
それだってミスしたところでせいぜいアスカに叱られるくらいだし、少なくとも誰かに迷惑がかかるわけでもない。

ミサトの口調の軽さも虚しく緊張と重荷が一気に増した。

「でも登ってる間に逃げられ・・・・」
「射出エレベーターを使うのよ。顔を出すタイミングに合わせて打ち上げるわ」

横から口を挟んだリツコの口調は有無を言わせるような隙間はなかった。
誰も他に方法が思いつかないのだ。
通常兵器での迎撃は役に立たず、ジオフロントに出現してからでは本部の被害が大きすぎる。

言ってみればようやく見つけた糸口なのだ。

まるでロケットでも打ち出すようなスピードで上昇する射出エレベーターが今回の作戦の要らしい。

「綾波は?」

我関せず、馬の耳に念仏、馬耳東風と言った面もちで此処にいるレイに変わってシンジが彼女の役割を尋ねた。
その内ミサトから言い出すだろうとは思うが出来れば「こちら側」から聞いた方が印象がいいだろうと算段したらしい。

ミサトのレイに対する態度が何処か刺々しく思えたので、気遣いと言うほど大げさなモノではないがそれなりに気を使ったのだ。

「彼女は地上部で待機。合図があったら上から突入。以上」
ごく簡単な指示が出された。
ミサトの腹づもりでは初号機単体でカタを付けるつもりだったのだろう。

レイの方は小さく頷いただけで表情も変えずシンジの後ろに隠れるように立っているだけだった。

「そう言うことでいいわね。A級職員以外は総員所定の避難所に待避、実施5分前には各ブロックの隔壁閉鎖。じゃあみんな、準備かかって頂戴。」






シンジの指が耳元のボタンを押す。
プライベート回線を零号機との間に繋げたのだ。
作戦中は禁止されているがまだ7分前なのでいいだろう、そう理由を付けた。

「綾波・・・・緊張してる?」
『何で?・・・・していないわ』
「そう、強いね。僕なんか駄目だよ、手が震えちゃって・・・・プレッシャーに弱いのかな」

雑談するために繋いだ。
彼は今、緊張が硬直に直結する寸前だった。
たった一人だけのエントリープラグの中では話をする以外どうしようもなかった。

「綾波、怖くない?」
『大丈夫、碇君は・・・辛いの?』

正直に答えるにはシンジの中の虚栄心が邪魔をした。
出来ることなら自分の知らない誰かに変わって貰いたい。
押しつけられるのなら自分の知らない誰かに押しつけたい。

此処にいることが出来るのは自分だけ、その事が重くのし掛かる。

失敗もできない、周囲からの期待、成功のみを望まれている自分。

・・・・失敗したくなければ自分達でやればいいじゃないか・・・・・

その反面、自分にしかできない事、自分だけが出来る事への自尊心もあった。

エヴァに乗り込んでから幾度となく浮かぶ葛藤。

「辛くないよ・・・・」
『そう・・・・捕捉したらすぐ其処に行くわ』
「アリガト、もう通信切るね・・・あ、そうだ、クッキー作るの今日はもう無理だね」
『そうね。でもまたいつか作れると思う・・・』
「うん。楽しみにしてるよ」

シートに身体を預け目を瞑り上を見上げた。

・・・・落ち着け、今日はこれで終わらせるんだ、家に帰るんだ・・・・

シンジの耳に鼓動だけが聞こえた。





「総員待避確認、隔壁閉鎖終了」
「目標予定通り進行中。MAGI試算時間と誤差有りません」
「射出レール第三ゲート接続終了」

発令所に緊張感が張りつめる。
静けさが彼らNERV職員に突き刺さった。

一発勝負なのだ。

この本部に被害が及べば今後の使徒迎撃戦に置いてどれほど不利になるかよく知っている。

「・・・・シンジ君、準備はいいわね」

鼓動だけしか聞こえなかった彼の耳にミサトの声が届けられた。

「・・・・ハイ、準備OKです」
『じゃあ、カウントダウン始めるわよ』

刻まれる時間に合わせるように鼓動が伝わる。
気持ち悪くなるような、目の眩むような緊張がシンジの全身を支配した。

息が苦しい。

染みわたっているはずのL・C・Lがまるで足りないような錯覚を覚えた。

『10・9・8・・・・・・』

早く終わらせたい。
一分一秒でも早くこの重圧から逃れたい。

『6・5・4・・・・・・・』

喉の奥で唾液が落ちきれないでいた。
意識して思考を空にする。

全神経をメインスクリーンに集中しリアクションレバーを目一杯の力で握りしめる。

カウントを読み上げる誰かの声が耳の中で反響していた。

『3・2・1・・・・・』

シンジの目に映る景色が白くなった。

『0!!』

全身が下に押しつけられる。
衝撃が彼を襲う。

白い景色は滝のように流れ去っていった。

「あああああああああああああああ!!!」

シンジの意識から何かが解き放たれた。
緊張をうち破り、重圧を踏みつぶし、恐怖をなぎ倒し、研ぎ澄まされた攻撃心が一直線に昇っていく。

・・・・・もうすぐだ!!・・・・

凄まじいまでのスピードで上昇する中、シンジの網膜は何かを見つけだした。
先端の光る細長いモノ。

・・・・あれだ!!・・・・

リアクションレバーを引き絞り身体を浮かせる。
更に神経を集中させた。

それは細長く、先端は丸い穴が開き、その奥には照射すべき陽電子が充満している。
茶色で節くれ立ちゆっくりと自分の方に向き始めた。

・・・・やっぱり顔なんてないじゃないか・・・・

今シンジは使徒の外観全てを高速の中で見つめている。
ほんの一瞬の中でも彼には可能だった。

触手の攻撃をかいくぐれたシンジには可能だった。

彼の意志が初号機に伝わる。
巨大な腕が伸び目標と交差するコンマ一秒にも満たないで過ぎ去る時間を堰き止める。

衝撃と金属の擦れる悲鳴が射出口の壁に反響した。

「このおおおおお!!」

使徒を抱きしめるように掴むと無我夢中で力を込める。
暴れる者と取り押さえようとする者の鬩ぎ合いが狭い場所で繰り広げられた。

ほとばしる陽電子が初号機の頭部装甲を、肩部装甲を解かす。

壁に幾筋もの黒い線がその度に描かれていく。

蒸発し発生した煙が充満した。

「この!大人しくしろ!!・・・・チクショウ!!」

両腕に力がこもり、使徒の身体に初号機の指がめり込む。
皮を破りヌメッとした感触が指先に伝わったが気付く余裕もない。

「引き出さなきゃ・・・コアを・・・」

初号機は射出エレベータに腰を下ろすと使徒の這い出してきた場所をめがけ思いっきり蹴り飛ばした。
壁は歪み振動で亀裂が走る。

だがそれと同時に使徒の本体が引きずり出された。

ミサトはミミズと称したがどちらかというと興奮したコブラの様であった。

大きく膨らんだ部分には深紅の光玉が怪しく輝いている。

絶対無敵を誇る使徒にとって唯一の弱点。

シンジが叫んだ。

「綾波!!今だ!!」





零号機に備え付けられている通信機からシンジの呼び声が響いた。
間違えようもない自分を呼ぶ声。

零号機の腕に握られているアクティブソードが鈍い光を放つ。

「待っていて・・・・」

躊躇もなく眼下に深く広がる射出口に巨人の身を躍らせた。
シンジとは逆の感覚が落下する彼女を包む。

自分は呼ばれたのだ。
頼りにされ、心配され、そして役に立てるのだ。

躊躇いなど何処にもない。

手にした剣を逆手に持ち目標へ見えない線を一本引く。

バーニアによる減速もすれ違う陽電子の奔流も避けることなくシンジから委ねられた役目に向かって落下する。

・・・・倒さなければいけない・・・・

単眼が輝きを増す。

時間にすれば数秒、自分の瞳と同じ色のコアが近づいて来る。

リアクションレバーに力を込め血のように赤いコアだけを見つめた。

そして衝撃と共に何かを突き破る感触がレイの細い腕に伝わる

「うぅっ!」

耐え難いほどの衝撃が全身を貫き、白色化した視界の中でレイの意識は急激にしぼんでいった・・・・・・










「アスカ、どうする?まっすぐ帰る?」
「うん、学校に行ってもしょうがないし・・・・シンジ達ももう家に帰ってる筈だし」

避難命令が解除された、そう学年主任の教師が伝えたのは今から2分ほど前だった。
結局街中への被害はなかったらしく、一同は胸をなで下ろした。

「ヒカリはどうするの?まっすぐ家に帰るの?それとも・・・」
「え?ちょっと用事あるから・・・・」

時計の針はお昼を過ぎており、食事をしていない生徒達は空きっ腹を抱え帰路に就く者が大半だ。
アスカもその中の一人でヒカリもそうだと思ったのだがどうやら違うらしい。

「用事って何よ?まだお店なんか開いてないわよ」
「うん、家には帰るけどその後の話」

まだお昼。
考えてみれば街に被害は全くなかったし、誰かが怪我をしたという話しも今のところ聞いていない。
だとすれば半日で学校が終わったことは喜んでもいいのではないだろうか。

自由な時間の半日、何をして過ごすか頭が急激に回転し始める。

「レイとクッキー作るつもりだったけど・・・この後じゃあ何かねぇ。本屋でも行こうかな、映画でも借りてみようかな」
「そうね・・・・・・」

ヒカリの反応は今ひとつ鈍かった。
この後の用事のことで頭がいっぱいらしく時折指を折ったり顎の下に手を当て、何かを思い出す素振りを見せたりと心はどこかに行っているようだった。

興味がわくがアスカ自身午後の予定を立てるのに意識の大半を使っているので、特に何か聞くことはしなかった。

暫くして気が付けばこの避難所B−502室にいた大半の生徒達は手荷物をまとめ部屋を出ていった。

「其処の二人、何やってるんだ?もう帰っていいぞ」
「あ、はい!アスカ、行こう」
「そ、そうね、バッカみたいだったわね」

見回りに来た学年主任に急かされ慌てて部屋から出ていく。

兎にも角にもアスカとしては本屋に行くより映画を借りるよりやるべき事があるのだ。

「とになくあの二人に文句言わなきゃ!こんな時にノコノコ彷徨くなんて非常識にも程があるモノ!!」

ピントの合わない映像の中にぼんやりとした人影があった。
それが誰なのか判らない。
判らないが側にいることだけは確かだ。

僅かな視界はゆっくりと広がり今自分が何処にいるのか教えてくれる。

白い部屋だった。

壁も天井も白く塗られまるで宙にでも浮かんでいるような気がする。

其処に見える人影はゆっくりと自分に近づいてきた。

不安も警戒心も抱かせない。
「気が付いた?」

穏やかな声はこの人影が誰であるのかすぐに悟らせる。

「・・・・・碇君・・・・・ここは?」
「本部の病室。綾波、気を失ってたんだ」
「気を?・・・・そう・・・・・あ!」
「使徒は綾波がとどめ差したよ。一撃で。でもそのときの衝撃でね、脳震盪だけど検査の結果異常ないって」

零号機のエントリープラグが引き出され、その中で糸の切れた人形のようにシートに転がっている少女は、今にも朝露のように消えてしまいそうだった。

だが今ベットには寝ぼけ眼な子ながらもハッキリとその存在が判る。

「無茶だよ・・・・減速しないなんて・・・・もう止めろよな」
「怒っているの?」
「うん、少し・・・・・危なっかしいよ」

怒っていることを認めたシンジを見て、静かに伏せ陰った顔には意志があった。

・・・・危ない目に遭わせたくないから・・・・・

それを言葉にしてしまうと想いその物が消えてしまうような気がするのだ。
戦う理由、それはまだ自分の中にしまっておきたかった。

「ごめんなさい・・・・」

今口に出来る精一杯の言葉。
言い訳も反論も持ち合わせない彼女が精一杯の想いを込めて紡ぎだした言葉だ。

「でも、無事で良かったよ・・・・本当に・・・・そうだ、気分悪くない?」
「ええ・・・・何ともないわ・・・」

ホッとした表情がシンジの顔に浮かぶ。
それはレイにとっても嬉しく思える表情だった。

「心配・・・させてしまったのね」
「そうかもしれない・・・・でもそれは僕も同じだし・・・だから、上手く言えないけど一緒に帰れるようにしようよ」

この異常な戦場から一緒に帰る、その事が大事だと思う。
まだ全ての考えはシンジの中でまとまらない。

隠蔽され、誰にも知らされない戦い。
前線にいるシンジにすら目の前のこと以外は何も判らない。
納得できない、理解できない、だがやらなければならない、その事だけが強制される。

・・・・だけど帰る場所は有るんだ・・・・

今唯一理解できるのは、自分の帰る場所があり帰りを待つ者がいてそれを守るために戦う、そして共に戦った者と其処へ帰る。

今はまだその理由だけで戦えた。

「綾波、着替えて早く帰ろう。遅くなるとアスカが本気で怒り出すし・・・・」
「そうね・・・・また怒られてしまうわね・・・・」

レイの口調はむしろそれを楽しみにしているようでもあった。

任務の事ではなく、自分を心配して叱る人間がいる。

不満など何処にもなかった。










灰色、と言うより黒に近い色の雲が禍々しい様相で空に広がっていた。
もう抱えきれないほどの水分を含んでいるのだろう、今にも雲ごと落ちてきそうだった。

今も泣き出しそうな暗澹とした曇り空のためか、湿気を大量に含んだ空気は身体にまとわりつき、まだ去りきっていない夏の気温と相まって不快感を高めていた。
少し動けば滝のように流れ出す汗がそれに拍車を掛ける。

そんな中を栗色の髪を揺らしながら駆け抜ける影が一つ。

後少し、もう帰るべき我が家は見えていた。
傘を持っていなかった彼女にとって家に帰り着くまで根性のなさそうな雨雲と競争だった。
「日頃の行いがいいからよね」

果たしてそうなのかはともかく雨が降る直前の独特の雰囲気が立ちこめる中、何とかびしょ濡れにならず帰り着くことが出来たようだ。

「ただいまーーーーー!!お腹空いた!!」
「あら、お帰り。怪我はなかった?」
「うん、ぜんぜーん!それよりシンジとレイは帰ってきてる?あの二人また避難所にいなかったのよ!」

碇家の玄関を勢い良く開けリビングに飛び込んできたのは栗色の髪をなびかせた少女だった。
下駄箱に彼らの靴がなかったので想像は付いていたのだが一応ユイに聞いてみたのだ。

「そうなの、まだ帰ってこないけどすぐ来るでしょ。こら!つまみ食いしないで手洗ってきなさい!」

シンジの母親であるユイには「怪我無く無事に終了」と既に連絡が来ていた。
だがそれまでは心配の度合いはアスカより多かったかもしれない。
より多くを知っている分、より多くを隠している分。

だから避難所にも行かなかった。
夫から数回に渡る電話も聞き入れず、この家でひたすら子供達の帰りを待っていた。

そんなことに何の意味もないことはよく判っている。
ただお腹を空かせて帰ってくる子供のために自分に出来ることをしていたかっただけだ。

そんなことは知りもしないが目の前のおにぎりの有り難みはアスカによく判る。

「おむすびの中身何?鮭?」
「さあ、適当に作ったから。それより早く着替えてきなさい」

二言三言会話している間に一つしっかり食べ終えると鞄片手に二階へと上がっていった。

・・・・・バカシンジにバカレイ・・・・バカばっかり!・・・・・
机の上に今日は殆どつい買わなかった教科書を放り出すとその上にブラウスとスカートを脱ぎ捨てる。

エアコンの風を素肌に当てながら窓の外を眺めた。
やはり雲が抱えきれなくなった水分を落とし始めている。
雨音はより激しくなりアスカは慌てて窓を閉めた。

吹き付ける風は窓に雨を叩き付ける。

「あの二人傘持ってるのかなぁ・・・・ふん!自業自得よ!」

避難命令の最中にウロウロ出歩く方が悪い!

Tシャツから出てきたアスカの顔には傘を持って迎えに行くのを取りやめる決意が現れていた。

・・・・この間も二人ともいなかったんじゃない?・・・・

ジーンズに足を通し終えるとアスカ自身にとって奇妙な疑問が頭の中にささくれ立つ。
前回前々回・・・・過去四回、今日で五回の避難命令の中でシンジと共に避難所にいた試しがないのだ。
何時もレイと二人でどこかに消えている。

・・・・偶然なんだろうけどさ・・・・

それ以外に思い当たる節は彼女にはない。

・・・・いや、もしかしたらあの二人あたしが知っている以上に・・・・トロイのかな・・・・

偶然という言葉よりその理由の方がしっくりくるような気がする。

・・・・そうよ!きっとそうよ、普段からボケーーーーーーっとしてるからなのよ!!・・・・

そしてそれを証明するかのように、窓の外でずぶ濡れになりながら頭を抱えて走り込んでくる二つの人影を見つけた。

「日頃の行いが悪いからよ!」

くるっと窓に背を向け一歩でドアを開け二歩目で階段の降り口にたち、飛び降りるように一階に降りる。

柔軟な肢体で音も立てず着地させ、洗面所でタオルを数枚鷲掴みにすると目的地までダッシュした。
そして良く通る大きな声で目の前にいる日頃の行いの悪い濡れネズミを叱りつけた。

「あんた達何やってるのよ!!」





「雨だ・・・・・・・・・」
「そうね・・・・」

リビングの窓から碇家の庭を眺めながら止みそうにない雨をただ見つめていた。
時折庭から聞こえる雨蛙の鳴き声が今家にいることをシンジとレイに教えてくれる。

雨音がこの二人には何故か心地よく聞こえた。
何処か波の音にも似ているような、優しい音色に聞こえた。

「いつまで・・・・降るのかな」
「知らないわよそんなこと。ほら、ちゃんと頭拭きなさいよ!まだ滴落ちてくるじゃない」

アスカの手が伸びシンジの頭を左右に振る。
少々乱暴だったが大人しくソファに座り彼女に頭を任せていた。

「何で鈴原なんかについて行ったのよ?」

虚ろな頭の中にアスカの声が届く。
家に帰ってきた、その筈なのに何処か心、此処に在らずといった様子だ。

「・・・・・え?あ・・・・何か手伝えるかなと思って・・・でも途中ではぐれちゃって」
「バッカみたい!そんではぐれたんじゃ何にもならないじゃない・・・・」

トロイ!

その単語がアスカの頭の中を駆け巡る。
それは逆に自説を補強する結果となったのだがあまり楽しくない。
こんな事ではあの大きな化け物にいつ踏み潰されるか知れたものではなかった。

「レイ・・・・もしかして・・・あんたもそうなの?」
「ええ・・・・碇君が走り出したからついて行ったの・・・・そしてはぐれてしまって・・・」

補強された自説は更に強固なものとなった。
これ以上は無いという呆れ顔がアスカに浮かぶ。

これでは次に化け物が来たときに二人ともまとめて踏み潰されるのではないか?

「どういうつもりでウロウロしているのよ!何かあったらどうするつもりよ!」
「ごめんなさい・・・・」

アスカの声が耳に心地良い。
どことなく嬉しそうに今だ怒りの収まらないアスカを眺めていた。

「其処までボケボケッとしてるなんて想像と理解の遥か向こう側だったわ!今度避難命令が出たらあたしの側にいなさいよ!」

そうすれば少なくとも心配をしなくて済む。
心配などしたくはないのだ。

潰れたシンジもレイも見たくなんかない。

あの時目の前で圧倒的な力を誇示した「化け物」
死というものがアスカにとって初めて身近なものになった瞬間だった。

あの時の立場をシンジやレイ、「おばさまやおじさま」と置き換えただけで充分自分の心臓が凍っていく。

そんな可能性は少しでも消しておきたかった。

「ゴメン・・・・・もう後にしてよ、今度は気を付けるから。それよりシャワー浴びてくる」
「ちょっと!まだ話は・・・・・バカシンジ!」

一瞬振り返ったシンジの横顔は病人と思えるほど青ざめていた。










雨は夕暮れになっても降り続いた。
上がりそうな気配はまるでなく、天気予報でも今夜夜半まで降り続くと言うことだ。

湿度は変わらないだろうが下がった気温が幾分過ごしやすく感じられる。
だが気分は地獄だ。

少し気を緩めると数時間前の光景がシンジの目の前に浮かぶ。

うねる触手、引き倒される零号機、そして限界まで緊張した一瞬の勝負。
それを思い出す度に身体を流れる血液が早くなるのを感じる。

・・・・家に帰ったんだ!・・・・

もう何もかも忘れて休んでいい筈なのに身体が言うことを聞かない。

全身が震えている。
残暑厳しい9月初旬なのに極寒の中に放り出されたかと思えるほど体が震える。
自分の部屋の隅で膝を丸めても震えは止まらない。

「碇君、疲れてるの?」

扉が開き、シンジの耳に聞き慣れた声が届く。

「綾波は・・・・何ともないんだね・・・」
「・・・・・此処は家だもの・・・・今は休んでるの・・・」

其処にいるのは無茶な突撃を繰り返した零号機パイロットではないのだろう。
普段のレイは雪解け水のように感じる。

「駄目だよ・・・・まだ・・・・時間が経つたび怖くなって来るんだ

エヴァパイロットとして自分の身体的能力を遥かに超えた物を要求され、それに答えた。
反動は必ず来る。
シンジ自身には出来もしないことをやってのけた代償は、神経の高ぶりとなって彼をひずませる。

もし失敗したら?
あの時の恐ろしさを反芻してしまう。

冷静になった今、VTRを巻き戻すように恐怖を感じてしまう、重圧を思い出してしまう。

「手・・・・体中の震えが止まらないんだ・・・・今までこんな事なかったのに・・・」
「大丈夫・・・ここは家だもの・・・・もう休んで・・・」

レイの手がとても冷たく、頬に心地よかった。

さっきから何度も言い聞かせている、此処は家だと。
なのにどうしても納得してくれなかった。

「・・・・・・・あたしは・・・・側にいるわ・・・」

シンジの傍らに腰を下ろし両手で震えるシンジの顔を包む。
あの時彼の手がとても気持ちよかった。

自分の顔に触れたシンジの手。

・・・・心配はもう要らないの・・・・

レイの指先からは強張って小刻みに痙攣している筋肉の動きが伝わる。
それを少しでも和らげてやりたかった。

「大丈夫だよ・・・・疲れてるだけだから・・・・」

途切れることのない雨音が二人を包んだ。
安まらない心を抱えた少年と安らぎの与え方が判らない少女、その二人の戸惑いを暫し雨音が埋めた。

レイの手がスッと離れ、その数秒後にシンジの部屋は新たな客を迎えた。

「さっきから呼んでるのに!おむすび食べるんでしょ?下降りて来いって言ってるのに」

客と言うには余りにも馴染んだ少女だった。

「具合悪そうだったけど・・・・今も悪そうねえ。大丈夫?」

蒼い瞳に微かながら心配の色が混じる。

「熱ないんでしょ?・・・・・おむすび持ってこようか?」
「いいよ・・・・今食べたくない、それに具合も悪くないよ」

原因は言えない。
これはただの疲れなのだ。
隠した戦いによって生じた結果も隠さなければならない。

「ふーん・・・・あ!それあたしのTシャツでしょ?どっから持ってきたのよ?」

納得したのかどうか判らないがアスカは、突然シンジを指さした。
ブランドメーカのロゴの入ったTシャツは明らかに自分の持ち物だった。

「あ・・・・リビングに干してあったから適当に・・・・」
「ちゃんと返して置いてよ。すぐその辺にほったらかすんだから」

どうも文句でもないらしく「ただ言ってみた」だけらしい。
アスカとシンジの背格好はさほど変わらない。
Tシャツやトレーナーのような物は時々混ざってしまうこともある。

何しろ同サイズの洋服が三人分だ、無理もない。
よほど特徴的でもなけれなユイも時々間違ってしまう。

何れはサイズが違ってくるだろうが今はまだ共有出来るらしい。

ちなみにレイの今着てる長袖のTシャツもジーンズもアスカの物だが今更言う気にもならない。

「あんた達、まだあたしのシャツほったらかしにしてないでしょうねえ・・・・」
「うん、大丈夫だと思う・・・・たぶん、だけど」

あまり信頼性のない答えに辺りを見回す。

今更ではあるが結構アスカの持ち物がこの部屋に入り込んでいる。
シンジが持ってきた物、自分が置いていった物。

漫画本にMD、雑誌にTシャツに参考書。
何より自分がこの部屋にいる時間が意外に長いのだ。

それでも何故か混ざり合った部分と時間を分離しようとは思い浮かばない。

むしろそうして置こうとさえ思う。

「そのシャツ汚さないでよね、気に入ってるんだから」

汚したら怒りはするだろうが恨まないだろう。
それ以前にシンジが自分の服を着ていることに嫌悪感が全くなかった。

もし着ているのがシンジでなければその服を二度とは着ないだろう。
その差が何処にあるのかアスカ自身不思議だったし見いだせないでいる。

大きな蒼い瞳はすぐ隣に腰を下ろした少年を見つめその答えを出そうと試みるが今ひとつ判らない。

初めて逢ってから十年同じ時間を過ごした少年。

これからどれくらい同じ時間を過ごすのだろうか。

小さな銀色のスピーカーからゆったりした音楽が流れてくる。
赤いパイロットランプが灯りグラフィックイコライザーの液晶パネルがワルツのように踊り出す。

シンジは自分の部屋で好きな音楽を聴き、レイとアスカはシンジの部屋で同じ音楽を聴く。
アスカにとっては当たり前の景色が、シンジにとっては何故か染みる。

いつもの光景、そう思った途端、全身が鉛を詰め込んだように重く感じた。

耐えきれないほど、もう身動きが出来ないほどに。

「ちょっと、何寄りかかってるのよ」
「疲れたから・・・・・」

肩にシンジの重さが伝わる。
洗ったばかりの頭からは石鹸の匂いがした。

「あんた何に疲れたて言うのよ?」

避難所にいたシンジがこんなに疲れている事に疑問がわく。

「・・・色々だよ・・・・少し寄りかからせて・・・・本当に疲れたんだ・・・」
アスカの背中に顔を押しつけるように寄りかかる。
柔らかい髪に顔を埋め、静かに目を閉じた。

何かが自分を解きほぐしていく。

緊張の糸が音を立てて切れ体中の筋肉が弛緩し、神経細胞は一斉に休眠状態へ突入する。

いつも感じている淡く甘い香り。
いつの頃からか、記憶に刻まれたアスカの鼓動。

全てがシンジを解きほぐしていった。
疲労し固まってしまった心がゆっくりと彼女の体温で溶けだしていく。

・・・・家に帰ってきたんだ、もう終わったんだ・・・・

言い聞かせなくても自然とそう思えた。

「少し寝るね・・・・晩御飯になったら起こして・・・・」
「・・・・うん、判った。レイも寝ちゃったみたいだし・・・・」

暫し無言だったので気が付かなかったがすぐ側で寝息が聞こえた。
まるで警戒心の欠片もないような寝相でシンジの脇に転がっている。
右手はしっかりとシャツの裾を握って、離そうとはしない。
水色の髪にそっと手を乗せてみた。

柔らかい感触が指の間をすり抜けていく。

・・・・変な子・・・・

赤ん坊のような寝顔を眺めた。
たった数ヶ月共に暮らしただけなのに、いつの間にか自分達の間に溶け込んでいる。

このまま彼女も此処にいるのだろうか。
このまま一緒に居たがるのだろうか。

そんなことを考えているうちに肩に重みが加わった。
シンジが本格的に眠りに入ったのだろう。

「この二人今日何やってたんだろ・・・・良く此処まで寝れるわね・・・・」
リモコンでオーディオの音量を絞りながらシンジをベットに寄りかけるとその隣に座る。
レイと同じように無警戒な寝顔がアスカの肩に寄りかかっていた。
規則的な寝息がゆっくりと、そして深くなっていく。

今までいつも見てきた寝顔だ。
時折大人びた顔を見せても、今自分の側にいるシンジは昔と変わらなかった。

「シンジ・・・・夏の旅行のこと・・・・覚えてる?」

返事はない。

「あたしは覚えてるわよ・・・・」

アスカの手がシンジの頭をそっと撫でる。
自分の肩でぐっすり寝てしまったシンジは当分目を覚まさないだろう。

雨音だけが部屋を包み込む。
彼女の中で時間は速度を落とし、ゆっくりと進む。

アスカはほんの数秒息を止めた。





ヒカリは息が止まりそうだった。
覚悟していたはずなのに心臓が飛び出しそうなほど跳ね上がる。

「何しとんのや?こないな所でつっ立って」

鈴原と表札のかかった家から出てきた少年は出会いざまそう質問した。

「・・・その・・・・うん、ちょっと通りかかっただけだから・・・」

用意した台詞は鉛色の景色の中にすっ飛んでしまった。
慌てたように微かに残った台詞を適当につなぎ合わせ、目の前にいる同級生に此処にいる理由を話し始める。

「きょ、きょ、今日避難所にいなかったでしょ?何処行ってたのかなと思って。それで此
処に来たんじゃなくて此処は通りかかっただけなんだけど」
「その事なら後にしてや、これから夕飯の支度せにゃいかんのや」
「別に怒ってなんかいないわ・・・・あ、夕飯でしょ・・・・その忙しそうだし」

一言を告げるのにどれほどの勇気が必要なのだろう。
断られたら、そう思うと躊躇いが重く足を引っ張る。

「これでもカレーぐらいやったら作れるよって。ほな・・・・」
「妹さん風邪でお腹壊してるんでしょ?ほら、あたしオジヤとか作れるしお粥の方が良ければそっちも作れるし・・・」
「ほうか・・・・今度おせーてな。こないな事あると何ぞ作れるようになっとかんといかんわ」

母親がいればしなくてもいい心配だったのだがそう言うわけにも行かなかった。
誰かを恨みようがないのならその事によって生じる事態に対応した方がよっぽど建設的だ。

「あ、あの良ければ何か作ろうか?お腹壊してるのにカレーじゃ可哀相だしそれにあたしたまたま買い物した材料持ってるし。それにお父さんもお母さんも今日は遅いからあたしの家夕飯準備しなくてもいいし」

洞木ヒカリの両手には、たまたま家から遠く離れたスーパーでたまたまお粥やオジヤの材料を買ったらしくビニール袋をぶら下げていた。
お粥だけでなく豚カツも作れるらしくその材料も入っている。

「悪いがな。ええよ、イインチョも忙しいやろうし何とかするさかい」
「忙しくないわよ。うん、たまたまこの近くに寄っただけだし」

忙しくないことと近くを通りかかったことに因果関係があるのかどうかはともかく、時間と材料があるのだから彼に断る理由は見あたらなかった。
遠慮しようと思ったが実際お粥など作ったことがないので助かることは間違いない。

ヒカリにとって此処で引くわけにはいかない。
拒否させたまま終わらせるわけにはいかない。

トウジの想像など遙か越えた次元での戦いなのだ。

「今日はお父さんもお母さんも帰り遅いし問題ないの。うん、それにあたし料理得意だからすぐ出来るのよ」

表現しがたい迫力がトウジを捕らえていた。
「そ、そうか、ほんま、悪いなぁ・・・・せやったらお願いしてええかな。その方がわい助かるよって」
「うん、じゃあ、早速準備するね。鈴原は何食べるの?お粥じゃ足らないでしょ?豚カツ食べられる?」

好き嫌いがないことなど百も承知だ。
ヒカリの言語中枢が矢継ぎ早に台詞を組み立てていく。

「ついでだから明日の分のお弁当何か作っておくね。冷蔵庫入れておけば保つから」
「ほ、ほうか、悪いなぁ・・・・そない気ぃ使わせて・・・・まあ、宜しゅうお願いしまっせ」

自分がどことなく圧倒されているのが判る。
何故其処までしてくれるのか?そんな疑問はあったが、路地から玄関までの距離は余りにも近すぎて聞いている間がなかった。

ただ夕日に照らされたヒカリの笑みはそんな疑問をうち消してしまうようだ。

「じゃあ、おじゃまします」










電気店のショーウィンドウに飾ってあるTVからは特番らしい番組が流れている。

『第三新東京市東京市、被害はゼロ』

その事だけで満足した視聴者はさっさとその場から離れていった。
何しろもう5回目なのだ。
「謎の巨大生命体」の特番ばかりでケーブルTV、衛星放送、地上電波、何れも局のどの番組からも『謎』という文字が消えたことはない。

謎なら謎でいいじゃない、それより今は夕飯の献立の方が大事なのよ!

そんな主婦達からは見向きもされない。

だが、彼女達の足の下にいる面々はそれでは済まないらしい。

「今日も上手く撃退・・・・相変わらず薄氷の勝利ですがね」

不敵な笑み、そう言うには邪な物が多く含まれているように思える。
無精ひげを生やしたまま此処にいるのは目の前の人物に「尊敬などしていない」と言葉に寄らず伝えるためか。

「薄氷だろうと薄紙の上だろうと勝てばそれで良いとは思わんか?負けてでは此処にいることすら出来んぞ」
「そりゃそうですがね。綾波レイ・・・・彼女の変化は予想の範囲内で?」

問いかけられた男は表情も姿勢も変えず執務室にいるこの不躾な男を見つめるだけだった。

「目的からすれば些か違うんじゃないですか?あれでは制御できなくなる」
「構わん・・・・貴様には関係のない話だ」

友好という言葉からは500万光年ほど離れた感情が覆い隠した口元から放たれた。
広い執務室を一瞬で狭く感じさせる。

重厚な机に肘をついている男はそう思わせるだけの雰囲気をまとわりつかせていた。

「・・・・・ゼーレは構うでしょうな」
「老人は些細な変更を嫌うからな。世の中予定通りに進まない、その事が未だに学べない連中だよ」

吐き捨てるように呟いた冬月の表情はゲンドウと同じぐらい「剣呑」な物だった。
小うるさい目の前の男が気に入らなかったのかもしれない。

「この件は知らせないつもりで?」
「知らせるさ。零号機は小破、射出エレベーター破損、外壁装甲一部損壊・・・・以上だよ」
「・・・・なるほど、現実だけをね・・・・」

暫し沈黙がこの部屋を支配した。
だがその重苦しい雰囲気に辟易とした者は三人の中にはいなかった。

馴れているのだろう。

「第五次使徒迎撃戦は問題なく終わった。貴様が首を突っ込む事は何もない。下がれ」

中世の国王が騎士に向かって告げるように退室を促した。
ただそう例えるには片方は余りにも邪悪そうで、片方は余りにも野心が溢れ過ぎているようだ。

「では失礼しますか・・・・・ああ、それとご子息のことですがね」

微かにゲンドウの身体が動く。

「公安が動いてますよ。一応注意しといた方がいいですね」
「下がれと言っている・・・・」

加持リョウジは終始不敵だった。
その男が部屋を出るのを見計らったように冬月は口を開く。

「碇、いつまで彼を好きにさせて置くつもりだ?この間の一件もそうだぞ、奴に余計なことを知られるのは不味い」
「・・・・・放っておけ、何れ使い道が出来る。その時何も知らないのでは役に立たん」

その言葉の中に感情らしき物は何もない。
あるのは実務的なことだけらしい。
切り捨てることを前提とした実務のようだ。

全ては自分の手元にある、その自信があるのだろうか。

半ば呆れたような冬月に構うことなくゲンドウは言葉を続けた。

「ゼーレにはどのみち此処しかないのだからな・・・・全てが整うまで何も出来んよ・・・」
「レイのことはどうする?」
「あれはただのパイロットだ、それ以外の何者でもない」

笑みというには余りにも禍々しい。
全てを抱え込んだ男からは、いつその重みで潰れるかもしれない危うさが見え隠れしていた。

・・・・その時誰が巻き込まれるんだ?・・・・
頭の上に広がる第三新東京市、それは決して軽い物ではないはずだった。

閉じられた扉の向こう側の会話など加持には知る由もない。
だがその事を面白がるように数秒目を向けた。

「・・・・司令、起きたことは隠蔽できても隠蔽したことは隠し通せませんぜ」

隠したこと、そのこと自体が事実となるはずだ。

顔に張り付いた皮肉な笑みは消えることなく窓の外に広がるジオフロントを眺めた。
赤く染まっていないところを見ると、どうやら上は本格的に降り出したらしい。

「使徒が此処を目指した事実、どう決着付けるつもりかな?」





恐らく今日はどの会社でも残業の文字とは無縁だろう。
誰でもこんな日は仲間内で飲むか、早く帰って家族と一緒に食事をとりたい。

いつもなら16時45分に「残業」の二文字を口にする上司も今日ばかりは彼も帰りの支度をしていた。

ところが世の中それでは済まない者もいる。
特に真実や事実とやらをより多く知っている者はそれなりにやらなければいけないこともあるようだ。

「このエレベーターもう使えないんじゃない?」
「そうですね・・・・底板歪んでますから。使徒の残骸も回収しないとどうにもならないですし報告してから撤去しちゃいますか?」

ミサトの目前に横たわる使徒。
長大な身体は一本の剣により射出エレベーターに縫いつけられていた。
マコトがあれこれと調べながら零号機の飛び降りたエレベーターがもはや使い物にならないことを確信すると修理項目の作成をやめた。

「こりゃぁ・・・・シャフトまでイッてますねえ、突貫工事で全治一週間ですかね」
「予備ルートの立ち上げ今日中にかからせて」

ごく事務的な口調でミサトの指示が下される。
使徒が来たときに『エヴァが外に出られない』ではお話にならないのでエヴァのケイジからは数本の射出ルートが供えられていた。

今日レイが使徒もろとも叩き壊したルートはメインに使用している部分だった。

「早速連絡します」

日向マコト二尉はこれから報告書を書き、それを碇司令に了解を得て技術設備三課という部署に持っていく。
特務機関だろうと何だろうとその手の煩わしさは付いて廻るらしい。

「よろしくねぇ」

立ち去るマコトの背中に投げかけた言葉は「君に仕事押しつけたけどよろしく」を略した物かもしれない。

どのみち彼は今日家に帰れないことぐらい覚悟しているので不満にも思わなかっただろう。

「さてと・・・・・」
「あんな無茶な作戦でよく勝てたわね。被害も少なかったし、悪運だけは昔から強かったわね」

マコトも立ち去り誰もいないはずのケイジ内に良く知っている声が響いた。

「悪運だって勝ちゃいいのよ。格好付ける余裕なんてないじゃない」

苦笑がリツコの目に映る。

「割り切ってるわね。一応言って置くけど穴塞ぐのに一ヶ月は見て頂戴。予算の関係もあるしね」

ケイジ内に転がっている手頃なコンテナに腰を下ろすとタバコに火を付けた。
殊更禁煙区域と指定されているわけではないが彼女以外此処でタバコを吸う者はいない。

「司令の方でも予算は掛け合うそうだわ」

ミサトの右手が前髪をかき上げる。
指の隙間から零れた分は音もなくもとの位置に舞い降りた。

「予算が決まる前に使徒が来ないことを祈りましょ」

些か皮肉を混ぜた言葉だった。
人類存亡の戦い、ご大層な呼び名の割にこう言うところは、その辺の役所と何ら変わりがないように思える。

扱う額の桁が違うだけでやっていることは一緒だ。

NERVのマークが刻まれているブルゾンのポケットから缶コーヒーを取り出すと一息で半分ほどを飲み干した。

この時間になって言いようのない虚脱感が全身に染みついているようにミサトには思える。

「リツコ、これで5回目よね」
「使徒の襲来?・・・・・そうねえ、5回目よね。6回目があるのかないのかは知らないけど」

静かな笑みを浮かべたリツコに比べ、かき上げたミサトの前髪の隙間から覗く目は、険しさを増していった。

「来るわよ、次も必ずね」

断定的な口調だった。
今までとは違う、確信を持った口調だった。

リツコは無言でその理由を吐き出した煙越しに促す。

「あたしさぁ、なんで此処に使徒が来るのかずっと考えてたんだけど今日やっと判ったわ」
「今更、エヴァがあるからじゃない。唯一使徒に対抗できる物が此処に有るんだから・・・」
「最初はそう思ったわ。唯一の敵を倒すためにここに来る、そう思ったけど違うのよね。エヴァじゃない何かが此処にあるのよ」
「此処って第三新東京市?」
「違うわ・・・・・NERV本部よ。リツコ、一体此処に何があるのよ!」

固い壁はミサトの声を反響させリツコの耳に確実に届けたはずだ。

「使徒は此処へ来ようとしたのよ。第三新東京市でもなくエヴァでもなくこの本部へね!一体何を隠してるのよ」
「あたしに聞けばそれが判るというの?」

槍のように鋭く突き出された質問は尋常ならざる厚みを持った冷静さの盾で跳ね返す。

表面上は。

「セカンドインパクトによるその後の使徒出現を想定して作った組織NERV、確かその初期メンバーにあなたのお母さんもいたはずよね。そしてその跡を継いだリツコ、そのあんたが何も知らないなんて言わせないわよ」

有無を言わせない調子でリツコという名の永久凍土にシャベルを突き立てた。

「赤木ナオコ博士はただ此処のシステムの基本を作っただけよ。あたしはそのシステムアップをしただけ。知りたければ司令にでも聞いてみたら?」
「悪いけどさ、何も知らされないでハイそうですかって言うほど子供じゃないのよ」
「なら大人の意地で探してみなさいよ・・・・此処がどういう組織かは良く知っているはずだとは思うけど」

特務機関NERV。
その名に今は禍々しさを感じる。

其処に所属する人間も含めて。

「ミサト、あなたの仕事は事実の詮索ではないはずよ。お互い自分の職分以上のことは関わらないようにしましょう」

白衣が舞った。
これ以上はない拒絶を残しハイヒールの軽い足音だけが規則的に遠ざかっていく。

やがて唯一残ったミサト追い払うかのように廊下の電灯は奥から順に消えていった。
自分の頭上のライトが微かな音と共にその役目を一時中断する。

・・・・・リツコ、あなたが何かを隠した事実、消えないわよ・・・・
そして廊下の電灯は全て消え、この二人を見つめていた初号機は闇に沈み、数分の会話はケイジ内に隠蔽された。

続く


Next

ver.-1.00 1998 05/17公開

何かありましたらこちら!!お気軽にどうぞ

・・・・・あ、後書きは久しぶりですね。書き方忘れました(笑)
ディオネアです。 26からのストーリー、隠した戦い如何だったでしょうか?
相変わらずオリジナル使徒が暴れてます(笑) 朝食のゆで卵を見て思いつき・・・・つい・・・・だって・・・ゆで卵嫌いだし・・・
ついでに病理衛生で寄生虫なんちゃらなんて本も読んでたし・・・・皮膚を食い破って進入する寄生虫・・・・・・
レイ「とっても素敵ね・・・・・」



それはともかくとしてアスカ、シンジ、レイ一生懸命やってるみたいです(^^;;
ミサトとリツコ様・・・・・ああ・・・もめ事が・・・・
さて、今回からファイルを二つに分けました。 両方合わせて一話分なのですが「最後まで表示されねーぞ!!」というご指摘を数件頂きましたので今回から長くなったときはこのように分けようと思います。


ご指摘下さった方々、有り難うございました。m(__)m
ついでと言っては何ですが、「アドレスがないけれども感想送ります」とメール下さった方へ。
感想有り難うございました。本来なら変身・・・じゃなくて返信したかったのですがそのような訳でこの場をお借りしてお礼申し上げます。
(ということは実に一月遅れのお礼・・・・・ああ・・・・酷い(^^;;)
てな訳で長くなりながらも何とか書いています。
今回もお読みいただき有り難うございました。次回「日曜日はリツコ様の日(当然のことながら仮題です)」で、お会いしましょう。
ではまた。                                  ディオネア



 ディオネアさんの『26からのストーリー』第十九話、公開です。




 5匹目 

  5体目、と言った方が良いのかな
  5使徒目とか
  いつつ目とか

   関係ない話ですね(^^;



 深まるモノとか、
 開いちゃうモノとか、

 お互いを思う気持ちも膨らんでいっているけど、
 疑惑もね。


 ミサトから、リツコ・NERVへのモノと
 アスカから、シンジ達へのモノとか。


 微妙で怖いね、
 いつか爆発しそう・・・・




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