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26からのストーリー

第十一話:誰が為・・・・・




海辺から吹き付ける風が蝶番の外れた扉を揺らしている。
廃墟、そう言っていいかも知れない。
十数軒並んでいる民家はいずれも崩れており、以前人が住んでいた形跡を残しているだけだ。

セカンドインパクト以降から廃棄地区と地図に明記されている。
その由来のためか滅多に人の立ち入らないこの場に彼は立っていた。

カーキ色のサマージャケットを軽く腕まくりした姿に、後ろでくくった長髪。同僚からは加持リョウジと呼ばれている。
彼も用事がなければ此処を訪れることもなかったろう。

「遅くなってすまんな、此処は判りにくい」
彼にその用事を作らせた張本人は、『廃棄地区』に場違いな夏用スーツを着込んでいる。
一見サラリーマンにも見えるがその目つきとやや下がった左肩、上着のボタンを閉めない辺り加持と同業の者であることを伺わせる。

「暇だから構わないさ。・・・・ほら・・・」
サマースーツのポケットからマイクロチップをケースごと彼に手渡す。
『彼』の名前は知らない。だがこの時間この場所に来る人物にそれを手渡す、加持の用事はその一件だけだ。
「何処まで入っている?」
「施設概要、主要装備一覧、兵装ビル配置図、地上からの連絡路・・・・そんなとこだ」
加持の上げた項目はいずれも極秘事項だが、昼食の献立程度の軽さで口にした。
「化け物に関しては?」
「まだ無理だ、さすがにセキュリティーがきつい」
その返答は予測していたのかさして失望した様子もなく、さも大切そうにそれを上着のポケットにしまい込むと周囲を一瞬だけ見回す。
無論誰も居ない。足音も話し声も聞こえず波の音だけが時間の流れを感じさせていた。

「後は追って連絡する・・・引き続き頼む」
「鐘実長官はご壮健かな?」

加持の問いかけは無視された。その表情があまりにもふてぶてしかったからかもしれない。
幾重にも思惑を塗り混んだ表情に笑みを浮かべると、緊張感をみなぎらせながら立ち去る『彼』を見送った。

そして加持一人が海を眺めている。

・・・・知らないと不安になる、か・・・・

以前誰かが口にした言葉を思い出した。
さっきまで此処にいた公安職員を見てではなく、人の住んだ後しか残していない廃墟に居るからだ。

終焉の景色。
誰も近寄ることのない全てが終わった街。
此処の住人だった人々は何も知ることは無かった。
そして知らないうちに消えていった。

「華やかな偽りの街か。真実は必要なかったのに事実だけが押しつけられたのか・・・」

独り言ではない。
一言だけの話し相手になってくれた拾ったばかりの人形の埃を払うと、廃屋の窓辺に丁寧に座らせる。

人形は生まれた時から続けている笑顔で、以前は東京都と呼ばれていた海を飽きることなく眺め続けた。


「で、シンジは何か予定あるンかいな?」
「今のとこ無いけど・・・・どっか行くと思うよ」
「俺は新横須賀、空母の特別公開やるからな」

恐らく日本全国の中学で彼らのような会話がされて居るであろう。
この三人の周囲でも海、山、川、プール等々の言葉があちこちからこぼれ落ちてくる。
後数日を無事過ごせば待望の夏休みが手ぐすね引いて待っているのだ。

誰もが少しでも楽しい夏休みを過ごそうと必死に予定を立てており、特に『友人と遊ぶ』と言う項目は決して外すことは出来ない。
誰と約束しておくか、誰を誘うか、このクラスの人間関係が如実に表されている。
大抵、普段仲の良い者同士がグループを形成し、遊びに行くときはそのメンバーで誘い合い共に行動するのだ。
自分が仲間外れになっていないことを確認するように、誰もが夏の予定の話題で盛り上がっている。
一人きりで過ごすには夏休みは長すぎるようだ。

シンジも当然そんな内の一人であった。

「だけどシンジの場合、惣流と綾波が居るからそう好き勝手出来ないだろ?」
ケンスケが幾分同情を含んだ目をシンジに向ける。
幼稚園の頃からの幼なじみであるトウジは傍らでうんうんと頷いていた。
彼の知る限りシンジの予定はアスカのそれに準じている様である。遊びに誘うと「ちょっと待ってて、アスカに聞いてくる」と言う台詞が必ず聞けた。
その度に・・・・情けないやっちゃ・・・・と思い、せめて自分だけは男らしくせにゃいかんと心に固く誓ったものだ。

そして今年はレイも一緒だ。
トウジとケンスケの見る限り、アスカに劣らずレイも気が強そうに思える。
アスカの場合、表情に出る分判りやすいがレイとなると正直何を考えているのか判らない。
だがその氷のような顔の下に溶岩のような圧力を時折感じ取ることが出来る。

いずれにせよシンジ固有の予定と言った物は立ちそうにない。

「それで結局水着は買えなかったんだ」
「ホント、ヤンなっちゃう!!このあいだも洋服が駄目になったし、あの化け物あたしに何か恨みがあるんじゃない!?」

アスカは先週襲ってきた使徒に対して個人的に恨みを持っていた。
楽しみにしていたショッピングを物の見事に潰されたのだ。できればアスカ自身の足で力一杯踏みつけてやりたいがその役目はあの『紫色の化け物』が代行したはずだ。
他人に任せるのは不本意だがそれは仕方がない。

「でもまた行けばいいじゃない。きっと碇君一緒に行ってくれるよ」
慰めるような口調でヒカリは言った。
買い物そのものより誰と行くのかの方が重要であることを彼女は知っていたし、気持ちも分かる。
「シンジなんかおまけよおまけ」
などというアスカの言い訳はすっかり見透かされている。

・・・・おまけが目当てでお菓子を買うことだってあるよ・・・・

そんな考えを胸の内にしまい込み別の事を口にした。
「あ、鈴原、黒板消しなさいよ。日直でしょ」

今週の日直は鈴原トウジと洞木ヒカリだ。
トウジは名簿順、ヒカリは理由もなく忙しいアスカのピンチヒッター。
「いいんちょやっといてなー。わい今忙しいン・・・・いっつう!」

いつの間にか側に来たヒカリに耳を引っ張られトウジは連れ去れていく。
巨大な黒板の前で二人は作業に取りかかる。
渋々と言った様子のトウジに比べヒカリの方は何処か楽しげであった。

「なあ・・・トウジの奴、今年の休みは予定立たないかもな・・・」
「うん・・・・洞木さんて意外に怖そうだし・・・」

夏休みは目前だった。


学校近くの喫茶店にはこの曜日この時間になると大抵くる常連客が居る。
スーツの上下に長い黒髪、10人中9人は美人と認める顔立ち。
年の頃は25、6位に見えるかも知れない。
時折きつめの表情は見せるが大概のほほんとした表情だ。
そして今日もやって来てロイヤルティーとチーズクリームケーキを頼んでいた。
ただ今日はその向かいの席にもう一人の女性が座っている。

やはりスーツの上下に短めの髪。染めているのだろう金髪だが今時珍しくはない。街にでれば赤や緑や青など華やかだ。
恐らく向かいの女性と同い年位だろうが表情は冷たい感じがする。
美人ではあったが。
彼女のオーダーはブレンドコーヒー。ケーキは頼まなかった。

この店のウエイターは窓際に座っている二人の女性を観察し以上の結論を導いた。
窓際に美女二人の構図は彼の美的感性を十分満足させている。もっとも彼はまだ十代後半の大学生なので声を掛けるには二の足を踏むが。

それが幸運であることを知るわけもなかった。

「あなたはいつもこんな所でサボってたわけね・・・」
ブレンドコーヒーの香りとコクに満足したのか満足そうな顔をしていた。
ただそれだけに自分だけサボっているミサトが許せない。
せめて誘う位してくれたってばちは当たらないだろうに。
「まあまあ、だからこうして誘ったんじゃない・・・・・睨まないでよう・・・」
今まで一人でこっそり来ていたミサトだけにリツコの視線が痛い。

二人共授業の予定はこれから午後までないのでこうしていられるのだ。
ミサトなどはそれをいいことに常連になれる程、此処に来てはお茶の時間を過ごす。

「まあ、いいけど・・・・あれの改修作業これから入るわよ」
紙のように薄いカップを厚い木のテーブルに置きながら手にした週刊誌に目を落とす。
『ベテラン大女優、ホストクラブに出入り!!お相手は23歳!!』
大衆紙らしい見出しが彼女の目に飛び込み、耳にはミサトの問いかけが入ってくる。
「そうねえ・・・・2週間は見て貰える?結構中までイッてるから手間が掛かるのよ」
何か言いたげなミサトだったがロイヤルティーを口に含む。

第四次使徒迎撃戦は都市部に何の被害ももたらさず終わったが、零号機は被害どころの話ではなかった。
第一次装甲はほぼ融解し、電装系は殆ど壊滅状態。『本体』に被害がなかったのが幸いである。
以前から予定されていた『零号機改装計画』も予算の通過で実行されるが、それに加え新たに『零号機補修計画』も同時に進行させなければならない。
それらを取りまとめるのはリツコだ。
あまり急かすのも大人げないとミサトは思ったのだろう。

「よろしくね。・・・・そう言えば加持君見ないけど何か知ってる?」
以前ここで紅茶を飲んでいたとき、何処からともなく現れた男をつい思いだしてしまった。
「仕事でどっかいったわよ、例の公安関係で。・・・・昨日ダミーのチップ取りに来たから」
やはり週刊誌から目を離さずに答えたが記事に興味があったわけではない。
「ふーーん昨日って・・・日曜日にあんたの所行ったの?」
「ええ、別に呼んだ訳じゃないけど」
二人は同時にそれぞれのカップを口に運んだ。

『加持』と言うキーワードを口にすると二人共どこか口の滑りが悪くなる。
互いに牽制しあうようなそんな空気が漂う。

「それ程忙しいわけでもないのに・・・相変わらず迷惑な奴ね」
「そう?忙しいんでしょ、加持君なりにね」

実際の処本当に忙しいかどうかはリツコには判らない。だが『忙しい』は便利な言葉でそう言うと大抵の場合納得して貰える。

そしてミサトには納得して欲しかった。


「納得いかんなあ!わいの何処が尻に引かれとんのや!」
いきり立つトウジにケンスケは冷静に答える。
「納得がいかなくても引かれるもんは引かれるのさ」

昼休みに至るまでヒカリにあれこれ用を言いつけられては渋々とそれをこなしていた。
勿論日直の用事だ。
黒板消しから次の授業の教材準備。日直簿の記入に教壇の拭き掃除。
彼らしからぬマメさでそれらをこなしている姿はケンスケならずともおかしいと思う。
一方ヒカリの方は全てをトウジに押しつけているわけでは無論無く、当然一緒に作業している。
手分けしてやるのではなく一つの仕事を二人でやる辺り、アスカにやっぱり代わって良かったと思わせている。

「せやけどしゃーないやろ、いいんちょあれで結構おっかないんや・・・・」
トウジの意見に「トウジにだけおっかないんだよ」とケンスケは口にしたかったがやめた。これ以上からかうと不快になる。適当にやめておくべきだ。

「そんな事無いよ・・・いつも通りよ・・・」
「へえーーーそれにしちゃ随分楽しそうよー」
アスカは何が嬉しいのかチシャ猫の笑みを浮かべていた。
彼女の言うように今日のヒカリは朝から何処か浮かれている感じがする。
何故、などとアスカが聞く必要など無い。

「それより今度の金曜日来るんでしょ」
以前話のあったヒカリ宅での宿泊は今のアスカの楽しみにしている予定の一つだ。
「うん、そしたら次の日買い物行こう!今度こそ水着買うんだから!」
「なら碇君も誘おうよ。みんなで行こう」
話を変えたヒカリに気づくことなくアスカは待ちどうしそうに金曜日に想いを馳せた。
何持っていこうか、お菓子はどれがいい?、好きな曲の入ったMDをいっぱい持っていこう、あのカタログも持っていこう。
「じゃあ、シンジに話とく。レイ、そう言うことだからあんたも泊まりに行くのよ」
いきなり話しかけられぼうっと窓を眺めていたレイは何のことか判らないような顔で振り返った。
「・・・・何の話?」
「ヒカリんち泊まりに行く話よ、レイも行くんでしょ。次の日買い物だから洋服選んで置きなさいよ」
問答無用と言う単語をレイは知っていたが間近で見たのは初めてだった。
そして彼女が何か答える前に四時間目開始のチャイムが鳴り響いた。


大体後数日で夏休みなのだから授業などに身が入るはずもない。 そんなことは教師も熟知していて殆ど消化授業だ。予定の範囲は殆ど終わっており、気の利いた教師は談話の時間に当てたり体育館で適当に過ごさせたりしている。

2年A組はまさにそうで社会科の授業は休み時間の延長になっていた。

「シンジ、今年はうちどこか行くの?」
隣の席のアスカが夏の予定を切り出した。
「さあ?・・・・・行くと思うけど多分近場だよ。泊まり無しの」
「何よそれ、海とか行かないの?去年は北海道まで行ったじゃない」
去年は北海道、なら今年は沖縄とごく短絡的な予想を立てていたアスカにシンジの返答は彼女を満足させなかった。
「おじさまそんなこと言ってたの?」
「ううん・・まだ言ってないけど多分そうなると思うよ・・・父さん忙しいみたいだから」
いつ来るか判らない敵を持つシンジが、そう簡単にここを離れられるわけがないのだがそんな事は説明のしようがない。
よってこの場は『父さん』の仕事のせいにした方が無難だろう。
「ほら最近なんか忙しそうだし、・・・帰りも遅いし休日出勤してるみたいだし・・・」

確かに碇家の家長であるゲンドウを家の中で見ることが少なくなった。
「でもさー・・・シンジ、何とかしなさいよ!」
アスカの口からは何となく『旅行に連れていけ』とは言いづらい。とは言うものの毎年の家族旅行は夏の一大イベントだ。
ここは一つシンジに頑張って貰うしかないとアスカは思った。
「いい、連れて行かなきゃグレるとか家出するとか何なら2学期テストで一番になるからとか・・・そうすれば大丈夫よ!」

・・・・何が大丈夫なんだよ・・・・

あの父親にそんなこと言った日には「グレるならグレろ、家出?大歓迎だ。」とぐらいは平気で口にするだろう。もしかしたら実践させられるかも知れない。
因みにテストで一番が無理なのは本人が良く知っている。
「・・・まあ、その内言っておくよ・・・・でも期待しない方が・・・」
「弱腰にならないでよ!当たって砕けろ、玉砕覚悟よ!もし駄目だったら・・・・シンジ判ってるわね・・・・」

アスカがここまで言うのもしょうがない。自ら言い出せない以上シンジに言わせるしかない。
とは言うものの当たって砕けるのも玉砕するのもシンジなのだが。
「碇君・・・去年は旅行行ったの?」
嫌な予感がして振り向くとレイが見つめている。こう言うときの予感は的中するのが世の常だ。
「あたしも・・・旅行・・・行きたい」
明らかに真剣な顔でシンジを見つめる。
「あのさあ・・・・綾波だって・・・・」
「行きたいの。だから誘って」

シンジの事情を良く知っているはずの彼女がこうまで言うのは珍しい。
普段は欲求など無いような顔で過ごしているのに。
「ほら、レイだっていきたいのよ。家に来てまだ旅行なんてしてないんだし。シンジ、あんた責任重大だかんね!!」

・・・・何だよ綾波まで・・・・

シンジには判らない。
アスカににとって旅行がどんなに楽しみなのか。
レイにとってどんなに期待に満ちたものなのか。
あの家の中で『両親』を持つシンジには判らない。

もはやシンジに何も言えなかった。


「鈴原!帰っちゃ駄目でしょ!・・・・あ、逃げるな!!」
扉からこっそり廊下への脱出を計ろうとしたトウジだったがあえなくヒカリに発見された。が、まだ拘束はされていない。
「悪いな、いいんちょ。わい忙しいよって・・・・わ!!」
目の前に良く見知った顔が鞄を頭上に構えていた。
「鈴原・・・そこから一歩でも外に出てみなさい。このアスカ様の正義の一撃があんたの脳天かち割るわよ!」
ニヤリと笑みを浮かべたアスカに逆らうことは出来ない。長年の付き合いだ、冗談ではなく本当に鞄を振り下ろすことぐらいトウジは良く知っている。
「わ、判ったがな・・・ほんま凶暴なやっちゃで」

渋々と教室に戻るトウジの後ろでアスカが親指を立てヒカリに向けた。

・・・・サンキュー、アスカ・・・・

「机並べちゃお。そっちからやって、あたしもやるから!」

トウジ達が日直作業に従事している頃アスカ、シンジ、レイの三人は帰宅途中に本屋に寄っていた。
『ブックセンター西町店』は通学路から少しはずれた場所だが歩いていける範囲では最大である。
その店のウインドウから覗くとシンジはゲーム本を、アスカとレイは旅行ガイドを立ち読みしていた。

「レイ、どこ行きたいの?やっぱり沖縄?」
「知らない・・・『旅行』に行きたいの 」
呆れ顔で彼女の顔を眺めたアスカだったがそれ以上の質問はしない。多分しても無意味だろうと思った。
それに気持ちは分かる。
別に沖縄に行きたいのではない、『家族旅行』に行きたいのだ。ただ近場では余りにも期間が短すぎる。それ故遠くの沖縄へと目標を定めたのだ。
因みに去年の旅行もアスカの提案である。

いずれにしろ早く手を打たないと宿のこともあるし飛行機も取らなければならない。

「シンジ、今夜言うのよ」
ゲーム本に熱中しているシンジに向かって告げる。
「わかったよ・・・・でもあんまり期待・・・しないで欲しいと・・・思うんだけど・・・・」

そんなシンジの言い訳に耳を貸さずアスカは3冊、レイは2冊の旅行ガイドブックを買い込み本屋を後にした。



「鈴原って夏休みどこか行くの?」
「わいか・・・さあなぁ、判らへん。せやけど妹が行きたがるやろな。ここんとこお父が忙しゅうてな」
既にクラスメイトはみんな帰宅しトウジ達もようやく日直の仕事が終わった。

時折風が窓の大きなカーテンを揺らす。すっかり整頓された教室内はどことなく簡素だ。
さっきまでの賑やかさが嘘のように静まりかえっている。
グランドの方から陸上部のかけ声が時折耳に飛び込んでくる。
「多分その辺の日帰り旅行やろな・・・・妹は怒るやろけど。いいんちょはどっか行くンか?」
誰かの机の上に腰掛け、ビニールボールを手の上で転がしながらヒカリに答えた。
これだけ静かだと何となく手持ちぶさただ。
「うん、おばあちゃんちに少し・・・・でもすぐ帰ってくると思うよ」
「ええなあ、わいん所はお父しかおらんから・・・・わいがどっか連れてってやらんといかんし」
「お母さんは?」
「妹生んだその日に死んでもうた・・・・あ、そないな顔せんでもええ、昔の事やし」

聞いた内容、話の内容をヒカリは後悔したが詫びる間もなくトウジが笑顔で手を振った。
だが簡単に彼女の口が開きそうにもない。
「ん・・・そのな、あ、せや、この辺で小さい子遊べるとこ何か知らンか?わいよう判らンのや」

知らないわけではない、今まで妹を連れあちこちに遊びに行っているのだがヒカリの顔が陰ってしまったので慌てて会話のネタに持ち出したのだ。

ヒカリも少し考え込んだ後、幾つかプールのある遊園地の名を挙げた。
それはトウジの良く知っている場所だったがそんなことはおくびにも出さず礼をいう。
「さよか。ほなその内行ってみるわ。ありがとな」
「ううん・・・・・・その・・・」
手を後ろに回したまま、まだ何か言いたげなヒカリに気づくことなくトウジは鞄を担ぐ。
「ほな帰ろうや。もう終わりやろ?」
「・・・・・あのね・・・うん・・・・あ、お土産買ってくる。ほら妹さんの分とか」
「ええよ、そない気ぃ使わンでも」
「そんな事無いよ・・・・アスカの分とか買ってくるし、気なんか使ってないわよ」
もしかしたら自分の顔が真っ赤になってるかも知れない、そう思うほど胸が熱い。
知らないうちに自分の手を握り締めていた。
「ほうか、ほな楽しみにしとるわ。なんか美味いもんがええな」
ヒカリの顔がほころんだ。
手を振りながら教室を出るトウジの背中を眺めバカと小さく呟いた。
それが誰に向けた物か彼女にも判らないだろう。

・・・・大切なこと・・・言えなかったな・・・

遊園地の入場券二枚は渡すべき相手に渡すことなく鞄のなかにしまい込まれた。



「世の中夏休みに向けてまっしぐらだな・・・・」
「そうっすね・・・・・俺達は関係ないけど」
「去年まで休み取れたけど今年は無理ですね・・・・絶対に」

自虐的な笑みを浮かべ目の前のコンソロールパネルを眺めながらマコト、シゲル、マヤの三人は今日も仕事に励んでいた。
既に覚悟しているとは言え、やはり世間から夏休みという言葉が聞こえる度羨ましく思ってしまう。

「全く警察だって夏休みがあるって言うのにな」
「本当ッスよ。たまに休暇だって待機状態だし・・・何の因果で・・・」

この話題に関しての愚痴は尽きることがない。使徒が来てからこっちまともに休んだ記憶がない。ゴールデンウイークなどいつ終わったのか知らないほどだ。
確かに自分で選んだ仕事だがそれはそれという奴だ。
「でも先輩や葛城さん達も殆ど休んでませんよ・・・」
「マヤちゃん、あの人達はそれだけの給料貰ってるの。俺たちゃそんなに貰ってないでしょ」

ひねた目をした20代後半の二人に、もはや何を言っても無駄だと言うことをマヤは感じ取った。

「休みをやりたいがここの人手は足りないのでね。おいそれと補充する訳にもいかんし、困ったものだな」
引きつった顔を三人が振り向かせると冬月が苦笑しながら立っている。
「お互い来年は休めるよう祈るとするか」
「はは・・・は・・・そうですね。それがいいと思います・・・・」
NERV本部副司令、冬月コウゾウは三人を何ら責めることはしない。愚痴ぐらい誰だって言う権利はあるはずだ。
彼らの年齢がそう思わせているのかも知れない。

生きていれば同じ歳だ。

「ん?あの二人はどうした。今日は来てるのかね?」
「はい、赤木博士の部屋に居ると思いますが・・・・連絡してないんですか?」


「なんで連絡してこないのかしら!全く昔っからいい加減なのよ!」
恐らくこの場に居らず出張したまま連絡をよこさない同年代の男性のことについてだろうが、リツコは一切聞こえない振りをした。
「で、どうするの。聞くの聞かないの?」
使徒の分析データをヒラヒラさせながらミサトを睨み付ける。効果はあったらしくその軽口をつぐむとようやく聞く体制になる。

「使徒の特性における考察?」
分析データを眺めながら訝しげに聞く。
相変わらずここの主に似て無愛想な部屋、相手に軽い緊張を強いる。
「ええ、最初は発生した周囲の環境要因によって変化してると思ったけど、どうも使徒の間で情報伝達があるみたいね。まだ仮定に過ぎないけど」
仮定と言った割には自信たっぷりな声で語る。

「何よそれ、話し合いながらどうするか決めてるって言うの?」
言いながらミサトは記憶を掘り返し今までの迎撃戦を再現してみた。
最初は光の槍、次は光の鞭、そして触手の刃で今度は陽電子砲とバラエティに富んでいる。
その外観、特性の変化の幅は大きく、その事が作戦立案を難しくしていた。

「そんな事は判らないし全ては仮定の話だけど一つだけ確かなことがあるわ。変化の範囲は無限ではないわね。一定量以上の変化は行えないようよ」

前回の使徒は攻撃力、ATフィールドの強度ともに大した物だが、それ以上に機動力に欠ける。計測データによれば地上の移動速度は時速10Km、かなり極端だ。
あの使徒に機動力があれば勝率などはじき出すのが馬鹿馬鹿しいくらい低くなる。
だが実際にはそうはならず、高速で駆け抜ける二体のエヴァで殲滅してのけた。

「結局どこか強化すればどこか弱まるって言うこと?」
「と言うより総エネルギーが一定なのよ。それをどこに振り分けるかでしょうね。もし無限のエネルギーがあるならこのあいだの奴なんか機動力を高めたはずよ」

確かに特性の決定が偶然ではなく、そう言った意志の元で行われているなら、リツコの言う通りになるだろう。

「そうなってくると勝てない相手じゃないわね・・・・エヴァがあれば」
「汎用決戦兵器エヴァンゲリオン、人類に唯一残された武器ね」

そしてそれを操る14歳の少年少女に全てを託すしかない。
万物の霊長たる人類は想像以上に非力なのだ。
大人が子供に頼るほどに。

「ところで夏休みの計画立てたの?」
「あたし達に休みがある訳・・・あ、シンジ君達?訓練計画はばっちりよ。いい機会だからみっちり仕込まなきゃ」
のほほんとTVを見ているシンジは嫌な予感がしたかも知れない。
「全くどっから湧いてくるのか知らないけど予定表くらい欲しいわ。いい加減なところは同じね、加持君も使徒も」
「ホント、リツコなんか知らない?いつ頃出るとかどの辺から湧いて来るとか・・・」
まさか加持のことではあるまい、使徒のことだろうとリツコは思ったが果たして。
いずれにしても彼女の知るところではない。
「あなたこそ知ってるんじゃない?ミサトって人間以外に好かれそうだし。知り合いの中にいないの?」
ムスッとした顔のミサトだったがすぐに山ほど含みのある笑みを浮かべ言い返した。
「居るわよぅ、レイケツゴウヨクカガクシャって言うのが一匹。たち悪いんだからぁ」
リツコは新たに入れたコーヒーカップに砂糖を一さじ放り込むとグルングルンと掻き混ぜる。

そこには黒い渦が出来た。


「ほらバカシンジ、コーヒーしかないわよ。砂糖はどうするの?」
三つのカップを丸いお盆に乗せTVの前まで運んできた。
本当はお茶が良かったが棚を漁っても切れているらしく、ユイが買い物から帰ってくるまで飲むことは出来ない。
「・・・あたし一つ」
「僕二つ」
TVで夕方のニュースをシンジは見ているが今の時間はどの局もそれしかやっていないからだ。
青のサスペンダー付きカーゴパンツに白のデニムシャツに着替えたレイ。
今までは床に散らばっている洋服を適当に着込んだだけだったが、今日は箪笥の中から引っぱり出している。

「碇君・・・どこに行くの?」
テーブルの反対側に座っているシンジの目の前に本屋で買った旅行ガイドブックをバッと広げた。
沖縄の青い海や新鮮な鮮魚料理のいっぱい乗ったテーブルがこれ見よがしに飛び込んでくる。
「どこったって・・・・そんなの判らないよ」
すっかりその気のレイに閉口してしまう。
彼女だって知っているのに。
自分達の時間がそんなに自由にならないことくらい。
そう言ってやりたかったがアスカが側に居る以上そんな訳にも行かない。
そして恐らく行けない理由も言えない。

「シンジ、あんたしっかりおじさまに言いなさいよ。あたし達期待してるんだからね」
激励と脅迫半々のような台詞をシンジに手向けた。
何も知らないでとアスカを責めることも出来ない。
結局全ての貧乏くじをシンジが一手に引いてしまったようだ。

・・・・そんなに言うんなら自分で言えばいいのに・・・・

シンジの視線の先に居るアスカはジーパンにTシャツ姿で壁に寄りかかり、レイと同じように旅行ガイドを読みふけっている。
不平と不満が入り混じったような顔でそんな二人を眺めながらアスカの入れてくれたコーヒーを一口飲んだ。

いかにも楽しそうに雑誌を眺める二人。
勿論シンジだって遊びに行きたい、だが去年とは事情が違う。

「・・・・部屋、行ってる・・・・」

半分ほどコーヒーを残したままシンジはリビングを後にした。
結局二人にかける言葉なんか見つからないのだった。



八畳ほどの広さを持つ彼の部屋には、シングルベットが置いてある。
床には読みかけの漫画雑誌が数冊放り出され、中学入学時に買って貰った机の上にはケンスケから借りたゲームソフト、アスカがダビングしたMD数枚、赤と青の数学のノートそれぞれ一冊が無秩序に置かれている。
片づいているとはいえないがそれなりに過ごしやすい部屋。
その様子はここ数年変わっていない。

いつもと同じ毎日を過ごす為の部屋。
ベットに寝転がり見上げる天井もいつもと同じ。

・・・・好き勝手なことばっか言って、人の気も知らないで・・・・

二人に言えなかった言葉を口の中に吐き出す。

最近そんな言葉が増えた。

アスカに言えない言葉が増えた。

「何か・・・嫌だな・・・・」
何が嫌なのかまるで曇りガラス越しのようにぼやけて良く分からない。
しかし今まで無かった影がそこに現れ始めていた。



「お帰んなさーい、お茶買ってきた?」
帰ってきたユイから買い物袋を受け取り覗き込むと『やぶきた茶』と書かれた袋がアスカの目に留まった。
「うっかり切らしちゃったみたいね。でもこれでしばらく持つわよ」
ユイは大きな冷蔵庫に食材をしまい込んでいるアスカにお茶菓子も渡す。
いつか食べたプチケーキだ。
一家五人、その内食べ盛り三人の食欲を満たすだけの食材を維持できる大型冷蔵庫。
普段から手伝いをしている彼女はその中の配置も熟知しており、器用に隙間を作ると今夜のデザートをしまい込んだ。

「・・・・シンジはどうしたの?今日は一緒じゃなかったのかしら?」
「二階に行ってるわ。呼んで来よっか?」
リビングの籐の長椅子に腰掛けながらユイは手を振った。別にシンジに用がある訳ではない。
視線を前に向けると真剣な眼差しで雑誌を読んでいるレイを見つけた。
更に床に三冊ほどの旅行雑誌、飲みかけのコーヒーカップ、ユイは何となく事の次第を悟りやれやれと言った表情を浮かべる。
「あ・・・・お帰りなさい・・・・」
ようやくこの家の主婦が帰ってきたことに気が付いたレイは部屋からシンジが消えたことにも気が付いた。
「・・・・碇君は?」
シンジの行方を知っているはずのアスカに尋ねる。
「さっき二階に上がったわよ。ほら夕飯の支度するんだから手伝いましょ」


「みんな夕飯どうします?食べに行くなら車だしますけど・・・・」
「焼き肉もいいな。青葉はどうする?」
「上に行くんっしょ?だったらスパゲティー食いません?」

午後七時になるといい加減お腹も空いてくる。本部にも食堂はあるがメニューは全て制覇した。
残業に次ぐ残業のお陰だ。
その為NERV本部作戦司令室のマコト、シゲル、マヤの三人は上、つまり第三新東京市に目新しい夕飯を求めて徘徊するようになっていた。
そのせいで下手なガイドブックよりこの辺の『お食事処』に関しては詳しい。

「そうですね、イタリア料理もいいですね。あたし車取ってきます」
「じゃあ副司令、食事行って来ます」

書類を眺めていた冬月にマコトが挨拶する。
このまま帰れるのなら良いのだが生憎とまた戻ってきて仕事をしなければならない。
「ああ、こんな時間か・・・・・・後詰めはB班に任せるから構わんよ」
そう言いながら電話を取り待機中の交代要員に連絡をする。
正式要員はこの三人で『A班』と呼ばれ、『B班』はそのバックアップ要員だ。
その違いの一つはスーパーコンピュータ『MAGI』へのアクセス権限。
とは言うものの夕飯を食べに行く時間位ならそんな物はさほど関係ない。

マコトとシゲルは上着だけ着替えるとマヤの運転するフィアットに頭をかがめながら乗り込み、予定通りイタリア料理を求め明かりが一際派手な方へ向かって走り去っていった。

彼らがたまには家庭料理が食いたいと思いながら食事している頃、アスカ、シンジ、レイの三人はいつも通りユイの手料理を堪能し終えた。

「ごちそうさま・・・父さんは?」
食卓に居ない父親の帰宅時間がシンジには気になった。
ゲンドウに滅多に用事など無いシンジだが今日はそう言うわけには行かない。
不本意ながら二人の少女の期待を無理矢理一身に背負わされているのだ。
「11時頃帰ってくるわよ、何か用なの?」
「うん・・・まあ・・・・」
シンジを青と赤の瞳が見つめる。
その中に期待の光を見いだすと途端に憂鬱になった。
「上に行ってる・・・・」

トボトボといつもに増して淀んだ顔で二階に上がっていくシンジを眺め、アスカは首を捻る。
喧嘩した覚えもないし無茶を言った記憶もアスカにはない。
そしてレイにもシンジの様子が不可解であった。



・・・・・判らないよ、そんなの・・・・

何が不満なのか、何が嫌なのかシンジの自問自答に答えは出ない。
ただ何故か苛立つ。
誰かに無理矢理背中を押されるような、何かに急かされている時のような苛立ち。

・・・・変わるっていい事じゃないのかな・・・・

足下の大地がゆっくりと動きシンジを今までと違う場所に運んでいく。
抗うことは出来なかった。
見たことのない景色、聞いたことのない言葉の羅列、名も知らない人々。
それらがシンジの前に現れ、無理矢理彼を取り囲んでいく。

望んでいないのに、今までの生活に何の不満もなかったのにシンジの世界は変わってしまった。

どれくらい天井を眺めただろう。
廊下から足音と二つの扉の閉じる音が聞こえた。
真面目に夕飯の後片づけを手伝っていたアスカ達が部屋に戻ったのだ。

シンジはムクッと起き上がるとレイの部屋の前に立つ。彼女には言っておかなければならないことがある。
若干の緊張を胸にノックをする。
アスカの部屋には数え切れないくらい入ったことがあるがレイの部屋は初めてだった。
何か思うところがあった訳ではなく単に用事がないのと照れくさかっただけだ。

軽く乾いた音が二回響く。

扉が開くと緊張と警戒心を纏った赤い瞳が現れたが、それはすぐに消え去り穏やかな声がシンジを出迎えた。
「どうしたの・・・・何か用?」
出迎えたと言うには余りにも無愛想な言い様だがシンジは慣れている。
それにシンジの来訪を拒まない意志表示のように、床に散らばった洋服を押しのけ座れるだけのスペースを作り彼に顔を向けた。

そこに座るよう促したのかも知れない。

・・・・・少し片づけたら?・・・・・

そんな言葉がシンジの喉から出かかったが無理矢理押し込める。
彼の部屋だって似たり寄ったりなのだ。それにそんな事を言いに来た訳ではない。
「あ、あの、ちょ、ちょっと話があるんだ・・・・」
部屋のあちこちに置かれている白い下着になるべく目を向けないよう努力しながら腰を下ろす。
レイはシンジに顔を向けたまま微動だにしない。彼女の目に少しだけ緊張感が戻った。
彼をこの部屋で出迎えたのは初めてだ。

「話って・・・・何?」
「旅行のことなんだけど・・・・何であんな事言うんだよ、僕らが行けるわけ無いじゃないか」

口にするには辛かった、だが一人で抱え込むのは余計に辛かった。
そんなシンジを無言のまま見つめる。

「綾波だって判ってるんだろ?」
やはり無言のレイ、ただその視線は見つめるというより睨み付けるといった物に変わっていた。
「あたし旅行、行きたいの・・・・」

シンジの期待した答えは返ってこない。
彼女に判っている事を望んだ、自分と同じ考えである事を望んだ。
唯一同じ立場に居る彼女の共感が欲しかった。

「あたしは行ってはいけないの?」
レイの不意に開いた口から不安げな言葉がこぼれる。
「え?」
「あたしは一緒に行ってはいけないの?・・・・・あの娘と違うから?」
今のレイの瞳をシンジは以前見た覚えがある。

悲しい赤。

「あの娘は今まで碇君と一緒に行ってたのに・・・・あたしは駄目なの?」
不安なのはシンジだけではない。
変わったのはシンジだけではない。
淡々とした口調だがその言葉に無数の影が揺らめく。
新しく胸に抱えた想いの数だけの不安。

・・・・あなたには受け容れて貰えないの?・・・・

今、目の前にいる少女も変わった事への不安を抱えていた。
そしてシンジに期待する答えを言って欲しかった。
「綾波・・・・もう・・・いいよ・・・」

レイも期待に応えて貰えなかった。

二人の感じたことのない様な沈黙が覆う。
重く、辛い静寂。

・・・・怖いんだ、変わっていくのが怖かったんだ・・・・

『エヴァンゲリオン』と言う名を聞いてから、それに乗り込んでから今までと何かが変わった。
それはシンジに力を与え、守らなければならない者を生み出した。

力はシンジに今までにない自信を産み付ける。
そしてその反対側に今までにない孤独と責任を刻み込んだ。
力の代償のように。
それはエアヴァのパイロットという役目に染まって行くほど濃く、強くなっていく。
自分の色が変わっていく度に周囲の景色の色も変わっていった。

・・・・このまま変わって・・・誰か側にいてくれるのかな・・・・

「レイ、入るわよ」
ノックの音と共に栗色の長い髪が二人の目に入ってきた。
「ねえ、何の話してんの?旅行の話?」

明るい口調、さっきまでレイの部屋の前をウロウロしていたとは思えない。
だが少なくとも扉をノックするのには少なからぬ勇気が必要だったが。

「アスカ・・・・旅行のことなんだけど・・・・」
「どこ行くか相談してたんでしょ。別に沖縄じゃなくったって良いわよ、でも・・・・お魚食べたいわね」

明るい調子だがシンジには判らない。
彼女がそうするのに過大な努力が必要なことを。

・・・・何でレイの処で相談してるのよ・・・・

今まではアスカの部屋だった。
シンジが部屋に来て「どこ行く?今度は・・・・がいいな」と言いながら二人でガイドブックを覗き込んでいたのだ。
そこには楽しい思い出しかなかった。

・・・・シンジって・・・変わったの?それともあたしが変わったの?・・・・・

アスカにとってレイが来たことが変化をもたらした。
その事に対する想いは今、必死になって心の奥に押し込んでいる。

口にしてはいけない。

「ね、今年も楽しくなるわよぅ。レイも来たし三人でいっぱい遊ぼ!」

その為に心を押し込む、同じ筈の毎日にするために感情を押し込む。
今年も夏休みが去年と同じであるために。

・・・・そうだ、アスカが居なくなるのが怖かったんだ・・・・

アスカとの距離が広がってしまった、『エヴァ』が広げてしまった。
変わっていく日常で共に過ごせる時間が消えていく。
真実を告げられないことが心の距離を広げていく。

そうしてみんなとも離れてしまうのだろうか・・・・。

「うん、楽しくなるよ。父さんに頼んでくる。行けるように頼んでくる」

それが嫌ならあがくしかない。
変わるのが怖いなら怖くなくなるまでもがくしかない。
エヴァに乗ったときだって選ぶ余地はなかった。

逃げ道はなかった、逃げればみんなを失ってしまう。

「がんばんなさいよ!あたし達の夏休みはあんたに掛かってるんだから!!」

シンジの首に後ろから腕を回し締め上げるが力は込めない。
むしろ抱きついているようにも見えた。
シンジの宣言はアスカの望んだ物。同じ毎日を過ごすための宣言。

「く・・・る・・し・・・い・・・ブハッ・・・あ、綾波も一緒に行けるよ。その方が楽しいよ」
どうも力がこもっていないのはアスカの主観のようである。
若干青くなりかけた顔で、それでもレイに笑いかける。

「うん・・・あたしも一緒に旅行行くの」

レイの望んだ言葉、聞きたかった言葉。

・・・・一緒に行こう・・・・

「じゃあ、父さん帰ってくるまで下で待ってるよ」

アスカの腕からするっと抜け出すと彼女の腕が一瞬名残惜しそうに宙をさまよったが、大人しく引っ込める。

そして二人の視線を受けシンジは部屋を後にした。
少しでもあがくために。


「ん、そろそろ帰るのか?」
「ああ、いても仕方あるまい」

午後10時半になった司令執務室ではゲンドウが帰り支度を始めている。
忙しい割には差し迫った用事がないのか冬月も『将棋ファン』を眺めていた。
帰る家庭があるゲンドウと違って冬月にそれはない。

「加持が公安と接触した。例のダミーを渡したらしい、これで当分大人しくなるな」
大したことでもないように本から目を離さずにそう告げる。
「彼らに事実など必要ない、何か与えておけばそれで喜ぶ子供と同じだよ」

詰め襟の制服から普通の背広に着替え、何の変哲もない鞄を手にした。
「そうだな・・・だが下の連中に休みは必要だぞ。ローテーションはどうする?」
冬月に管理職としての表情が浮かぶ。特務機関だろうが中小企業だろうが事、雑務に関しては変わらない。
人事権はゲンドウにあるが副司令として言わねばならないこともある。
最も本来ならゲンドウが考えねばならないのだが。
「好きにしろ、別に問題はない」

・・・・また押しつける気か、面倒は全て押しつける気だな・・・・

慣れている、そんなことは以前からだ。
「そうか、明日にでも葛城君に話そう・・・・ん、なんだ?」
「これも頼む」
冬月の渡された書類には「休暇届」と書かれている。
「休みか・・・ああ、旅行か。今年も行くのか?」

シンジと同じ感想を胸に抱く。いつ来るか判らない敵を抱えているのだ。
代わってくれる者はいない。
ゲンドウはそんなことを構う様子もなく着々と帰宅の準備を進めた。

「ああ、使徒は来ない。予定にないからな」
「そうか・・・死海文書か、いいだろう。彼らにも教えてやったらどうだ?」
ほんの少し嫌みを込めそう口にする。
死海文書の本当の意味を知っているのはこの二人だけだ。
「必要はない、真実など彼らに意味はないからな。戦って勝てばいい・・・それだけを望むよ」

NERV本部における彼の今日最後の言葉だった。

自分も墓参りくらいは出来るかと冬月はカレンダーをめくると8月まで後わずか。
『死海文書』の記述に使徒の襲来は記されていない。

・・・・まあいい。どのみちやらねばならんからな・・・・

この40分後、シンジがその父親にいい様にからかわれる事は冬月の知ったことではなかった。

続く


次行くわ・・・・

ver.-1.00 1997-07/27公開

何かありましたらこちら!!お気軽にどうぞ

言い訳

映画の話題で持ちきりの中、みなさん如何お過ごしですか?
暑さに耐えてるディオネアです。

という訳でお約束の「夏休み」ネタです。
当分この手のネタで行くと思います(^^;;;;

少し話を進めたい部分もありますし・・・・

マコト、シゲル、マヤの三人も何かの形で絡めたいですね。

それにしても死海文書の何と都合の良い事か!!
まあ一応理由はあるんですが。

ゲンドウ:「夏は腐りやすいからな、初号機が腹をこわすと困る」

だそうです。

さて今回もお読みいただき有り難う御座います。
映画も終わり『エヴァンゲリオン』も一段落付いた感じですね。
でもこの話はまだ当分掛かりそうです。

暫く付き合っていただけると嬉しいです。
では次回「アスカとレイがヒカリの家で泊まる話と買い物に関する話」でお逢いしましょう。

ディオネア


 ディオネアさんの『26からのストーリー』第十一話、公開です。
 

 近づく夏休み。
 夏休み・・・・なんて魅力的な言葉でしょう(^^)

 シンジは毎年アスカと一緒に出かけていたんですね・・・
 同居しているんだから、今更羨ましがる事ではないか(^^;

 今年はレイも同行。

 この新しいメンバーは今までの旅行をどう変えるのかな。
 

 変えたい事、
 変わってしまう事、
 どの様な道を選ぶかは・・・
 

 では、忙しいのでこの辺で(^^;
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 ディオネアさんは映画を見ていないそうですので、
 感想メールではネタバレに注意しましょう(^^)


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