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26からのストーリー

第四話:不安の歌を!(前編)


某年某月某日・・・某所・・・

そこは薄暗く、だが所々に幾つかのパイロットランプが何気なく点滅している。
鼻を突く薬品の臭いがその場にいる者を不快にさせた。
だがそれ以上にこの場の光景が彼らの心を蝕んでいた。

「・・・・・・・」

誰も口を開くことすらかなわない。
一人の女は口に手を当て青ざめたまま立ちすくむ。

「・・・何てこと・・・」

自らがきっかけを与え、その結果が目の前に広がっている光景・・・・。
何かが笑いかけた。そしてそれは彼女の足首を掴んでいる・・・とても小さな手で・・・

・・・あなたのせいよ・・・あなたのせいよ・・・あなたのせいよ・・・

「!!」

・・・・辺りを見回すといつも見ている景色が彼女の視界に飛び込んでくる。
いつもある箪笥、いつもあるテーブル、そして彼女の隣には心配そうな夫の顔があった。

「ユイ大丈夫か、うなされていたみたいだが」
「夢・・・・ええ、起こしちゃったみたいね。ご免なさい」
「かまわんが・・・またあの夢か・・・・」
妻を引き寄せそっと手を回す。寝汗がひどく寝間着は湿っている。
ユイは夫ゲンドウの腕の中でゆっくりと安心感を取り戻していった。
見たのは確かに夢。だが夢を作り出した記憶は確かに現実の中の出来事。
未だに消えることのない記憶。焼き付けられた光景・・・・


2015年4月半ば・・・碇家二階『シンジの部屋』前・・・

「いいわよレイ。あたしが起こすから、先降りてて」
「・・・私が起こすわ・・・」
「いいって言ってるでしょ、あのバカはあんたが起こした位じゃ起きないわよ!」
「・・・・・・・・・・・・」

誰がシンジを起こすか・・・・その事はこの家に住む二人の少女にとって今や軽んずべき問題ではなくなっていた。今までアスカが専属で行っていた仕事だったが今ではレイという新しい競争相手が現れたのだ。実の所アスカは内心穏やかではない。
「さっさと起こさないと遅刻しちゃうわよ!ちょっとどいて!」
そう言われるとレイは引き下がった。シンジを起こす事にそこまで固執しているわけではない。漠然とそう思っただけなのだ。
レイは引き下がりはしたが一階に降りようとはしない。
どうやら一緒に待つことにしたらしい。

・・・今まであたしが起こしてたんだから。譲らないわよ、絶対!!・・・

ガチャッ

「ふぁあ、おはよう、そこで何してるの?」
どうもアスカとレイは「シンジが自分で起きる」という可能性を完全に忘れていたらしい。
もっともかなり低い可能性だったが。
「あんた、なに勝手に起きてんのよ!!」
「・・・目覚めたのね、もう・・・」
「?????」

シンジが起きるなりアスカは何やら理不尽なこと言ってるし、レイは不満げな目でシンジを見つめている。
珍しく自分で起きたと言うのに訳の分からない朝を迎えてしまったシンジ。
全く人間慣れないことはするもんじゃない。


暖かく静かな光が満ち、春の女神の吐息が登校途中の3人の少年少女達の脇をすり抜けていく。
少女達は創造の神の祝福をその二人だけで受けたかの様に可憐である。

時折吹く朝の風に栗色の髪を軽やかに舞い踊らせる。僅かに顔に掛かる髪をしなやかな指で軽く払った。僅かに甘い香りが風に運ばれシンジの元へ届いた。
春の柔らかい日差しを紡いで作り出したようなプラチナブルーの髪はその周囲に光の粒をふり注ぐ。僅かに顔を向けると優しい眼差しがシンジを包んだ。

春の天使達の贈り物を独り占めしているシンジは、いささか憂鬱そうな表情を見せていた。
あまりの悪夢に叩き起こされたのだ。

・・・何だったんだろ・・・

世の中、夢占いや夢から探る深層意識等々『夢』に関する様々な考えが存在するが何れもシンジの知識の範囲外だ。それに今朝方見た夢はそれらに当てはまらないような気がした。

グアアアアアアン!!
「あ」
「あ」

道路標識の下で頭を抱えうずくまっているシンジをアスカとレイは発見した。何が起きたのか問いたださなくてもすぐに分かる。
前も見ずに歩いていたシンジは50Km/h制限の道路標識と熱い抱擁を交わしたのだ。
「あんたバカア。ほんっっっっっとにトロイのねー。あーーーーーーーー情けない!!」
腰に手を当て見下ろすアスカ。左手には既に血が滲んでいるであろうシンジの額を拭くべくハンカチが握られている。

小さいときからそうだ。注意散漫、集中力の欠如、優柔不断!!
彼女のシンジに対する評価はこの三点においては全く変わっていないのだ。
その三点が原因でシンジに降りかかる不幸の数々をアスカがフォローする。

共に暮らしてから変わることの無かったアスカの決めた約束事・・・。

「大丈夫・・・・」
「!!!!!!!!」

うずくまって声も出ないシンジの脇にいるのは青い瞳ではなく赤い瞳の少女だった。
彼女はユイから貰ったばかりの白いハンカチを取り出すとシンジの額に当てた。まともに当たったためかやはり少し血が滲み腫れ上がっている。
「あつっ、・・ありがと」
レイの掌の柔らかさが伝わってくる。

だがそれは長く続かなかった

パシッ

レイの手を払いのけたのはシンジでは無くアスカだった。
「・・・・・・・」
「!」
シンジとレイの驚いた顔がアスカに映る。しかしそれ以上に驚いたのはアスカ本人だ。

・・・あたし・・・今、なにやったの?・・・・

「アスカ!!」
シンジが抗議の声を上げた。いくら彼でも今の行為を許せるほどお人好しではない。
「何するんだよ!額を拭いてるだけじゃないか!」
「な・・・何でもないわよ!!じ、自分が悪いんじゃない、ぼうっとしてるから!!」
「そんなこと言ってるんじゃないよ!綾波に悪いじゃないか」
「・・・・・・・」

アスカは無意識に少しずつ後ろに下がっている。自分が何であんな事をしたのか分からない。行き場を失った左手のハンカチを強く握りしめた。
「な、何よ・・・悪いのはあたしじゃないもの・・・ふん、先行ってる!」
それだけかろうじて呟くと身を翻し駆け出していった。
まるで追いつめられたウサギのように。

「何だよ、アスカは・・・」

第一中学校へ続く道をアスカは脇目も振らずひたすら走った。それは、たった数秒前の自分から逃げ出す為だった。
後ろを振り返ればシンジとレイの視線に胸を射抜かれそうで振り向けない。

・・・何で、あんな事したの・・・
・・・おかしいわよ、そんなの・・・

いくら考えても答えは出ない。今まで感じたことのない気持ちがアスカの胸を覆い尽くす。

・・・どうしちゃったんだろ・・・・あたし・・・

息が切れ、足が重くなってもアスカは走ることを止めようとはしなかった。出来なかった。
アスカの背中を後悔の二文字が追いかけてくる。もし追いつかれれば自己嫌悪という檻に閉じこめられてしまう。

だから逃げた。


「おはよーございます」
通学路にさしかかると赤木リツコ先生は、擦れ違う教え子達に次々挨拶してきた。
「はいはいはい、おはよう」
既に何人も挨拶を交わしたのか、おざなりになる。
「おはようおはようって全く・・・初めて朝が来たわけでもないでしょうに」
ウンザリした表情で愛車のママチャリをキーコキーコとこぎながらブツクサ言っていた。

「人間の作った乗り物で一番エネルギー効率がよい」

と言うことでここ十年ほど婦人用自転車を愛用している。自動車の免許も持ってはいたがほとんど運転したことはない。
ハンドルにくくり付けられたかごの中で大きく黒い保温式の弁当箱と熱いお茶の入った水筒がカタカタと踊っている。

あいにく今の彼女に挨拶をしてくれる生徒はいなかった。別に嫌われているわけではない。
何処の誰がタイヤを軋ませながら曲がり角をハイスピードで走り抜ける彼女に挨拶をするというのか。
「あっちゃー参ったわ、さすがに。第二になんて司令が自分で行きゃいいのよ」
ミサトは同僚と同じくブツクサ言いながらハンドルを握っていた。

ちなみに第二とは第二東京市の事だ。
第三新東京市に遷都が決まってから政治、行政の中枢はここに移行するはずだった。
しかし使徒の出現により政治家、官僚達はどうしてもその腰を上げることが出来なかった。
抜けてしまった腰はとりあえず使徒に退散して貰わないと直りそうにない。
「全くあそこにいりゃ無事だと思ってんのかしら。いつまで怯えてるつもり?」

第二東京市に出張したのは昨日。会議、打ち合わせが済んだのは今朝方の話だ。その内容はNERVに対する非難、中傷、抗議であった。まさか国連直属の機関に直接口には出来ないのでオブラートで何重にも包んでそれらを口にする。オブラートの厚さが彼らに自分達の立場を思い知らせる。
さらに彼らの前に現れたのが葛城三佐という、うら若く見える女性だったので頭の固い彼らは軽く扱われていると思いこんだ。
その結果日頃の恨み辛みが溢れ返りグチグチと今朝方まで続いたのだった。

たまったもんじゃないわ。

第一中学校始業時刻まで後15分。ミサトは迷うことなくアクセルを踏み込んだ。


明確化されない疑問を抱えたままシンジはレイと共に教室に入ってきた。そしてシンジが最初にしたのは先に来ているはずのアスカを見つけだすことだ。
教室の中を一回り眺めてみたがそこには彼女の姿はない。だがシンジの右隣の席に見慣れた鞄が置いてあるのを確認すると少し安心した。

「なんやシンジ、まーた夫婦喧嘩かいな。飽きんなお前らも」
アスカと共に長年の幼なじみであるトウジは席に着いたシンジにそう話しかけてきた。
『夫婦喧嘩』と言うフレーズは既に幾度も使われているので今更反応する気もシンジにはない。
「ま、何とかは犬も食わぬってね、それよりさ、シンジ、『ネルフ』って知ってるか?」
「知らないよ?何、新しいソフト?」
無論、良く知っている。
「違うよ!巨大生命体撃退のための特別組織さ!!何でもジオフロントに本部があるんだってさ!極秘事項らしいけど親父のパソコンのファイル覗いたら出てきたんだ」
些か興奮気味にケンスケは喋っていた。だが内容は未だ漠然としたモノでしかない。
「ケンスケの親父さんてマスコミやろ?せやったらそれスクープやないか」
「無理だね・・・」
ケンスケのテンションが一気に落ち込んで冷静な口調に変わる。
「公表されないよ。記事にもならない」
「なんでや?」
「世の中公表できることばかりじゃないさ。そんな事は沢山あるしな。でも考えて見ろよ。
ネルフってどこも報道してないだろ?要するにマスコミを完全に黙らせるだけの組織って事だな」
ミサトが言ったようにNERVは表沙汰に出来る組織ではない。
「なんや、スクープにならんのか・・・けったいな所やな。ねるふっていうんも」
怪訝な表情を浮かべながらケンスケを見やった。トウジは元々こういった胡散臭い話は好きではない。
「しかしネルフって組織、実際怪しいよな。だってそうだろ、日本どころか世界中のマスコミに名前すら載せないんだぜ。やっぱ裏で何かあるよな・・・」

シンジは何も言わなかった。


彼女の目の前に住宅街が広がっている。その遙か先には中央区の高層ビル群が建っている。住宅街の中にある自分の住む家を見つけようと目を細めるがよく分からない。
「やっぱり見えないな・・・」

学校の非常用階段の踊り場。そこは校舎の外壁に沿って取り付けられていた。第一中学は高台にあり、この踊り場からの風景は遮る物もなくよく見えるのだ。
アスカはこの場所を気に入っていた。だから時折ここに来ては外の景色を楽しんでいる。
見晴らしのいい場所。
ここならどこまでも見渡せると思っていた。何でも見えるかと思っていた。しかし自分の住む家は分からなかった。
自分の心も分からなかった・・・・・・。

・・・どうして・・・・・・・どうしてあんな事?・・・・・・・・

左のポケットからハンカチを取り出すとそれを見つめた。
今までに幾度となくシンジのために使ったハンカチ。
怪我をしたシンジ、公園で顔を洗ったシンジ、汗をかいたシンジの為に使ったハンカチ。
だが今日は使わなかった、使えなかった。
今までアスカのしてきた事を他の誰かがしていたから。

悲しかった。悔しかった。寂しかった。切なかった。不安だった。怖かった。

あたしの聖域をその誰かが奪ってしまう・・・
あたしの役目をその誰かが奪ってしまう・・・

そして・・・あたしの大切な誰かを・・・・連れ去ってしまう・・・・

「アスカ、どうしたの?」
振り返る必要はなかった。その声が誰なのかすぐに分かったから。
「教室からすぐに居なくなったから・・・そろそろ先生来るわよ」
アスカを好きだと言ってくれた彼女は、心配そうな目でアスカの隣で一緒の景色を眺めた。
「ヒカリ・・・・・・あたしってバカだわ」
「どうして?」
「何にも分かってないもの・・・・」
それ以上言葉にならない。俯き顔を隠す。僅かだが肩が震えていた。

「アスカ・・・・今はまだいいんじゃない・・・分かんなくたって」

「・・・・・・・・・・・・うん」

シンジに使いたかったハンカチをアスカは自分に使った。

今は二階の非常階段の踊り場。あと一年立てば三階の踊り場にいるだろう。
今見ている景色をより高い所から眺める。
その時は分からなかった自分の住む家を見つけられるのだろうか。
その時は分からなかった自分の心を見つけられるのだろうか。

一年分伸びた背の高さは彼女にどんな景色を見せるのだろうか。


ダダダダダダダダダダッ
あと20秒 19.18.17.16・・・・
バッ、ダン!!
ダダダダダダダダダダッ
あと10秒 9.8.7.6・・・・・

「葛城ミサト、ただいま見参!!」

2年A組の教室に彼らの担任が入ると同時に始業のチャイムが鳴り響いた。
「セーフ!!セーフやミサト先生!!」
トウジがすかさずそう言うとケンスケは両手を横に広げ『セーフ』のデスチャーを示している。こういう事をするからアスカやヒカリに『三バカトリオ』などと言われるのだ。
もっとも、他の生徒、特に男子生徒達はトウジ達に迎合している。
「アリガトーみんな!!」
夕べからほとんど寝て居らず、些か頭の中に霧が掛かっているミサトだったが、そんな様子は微塵も見せない。ミサト先生としての意地だ。
「さーて、出席取るわよー。相田君」
次々と自分のかわいい生徒達の名前を読み上げていく。全員の名前を読み上げ、欠席者がいないのを確認すると同時に、葛城三佐はシンジの様子も観察していた。

・・・?、何かあったかな・・・

今ひとつ浮かない顔をしているシンジと更に浮かない顔をしているアスカを見て取ると、おおよその見当が付くという物だ。
二人とも顔を合わせる気配もない。それどころかお互いに意識して顔を合わせないようにしていた。

・・・まっ、いいか・・・

彼女はあとで事の次第をシンジに問いただすことに決めた。
これは先生でもなく三佐でもなく単なるミサトとしての決定事項だった。


「司令は出張、副司令は上の街・・・暇っスね・・・」
「そうだな、葛城さんもいないし・・・・」
「先輩もいないし・・・・」

『世の中平和』と映し出されたモニターをバックにオペレーターの日向マコト、伊吹マヤ、青葉シゲルの三人は、それぞれの上司がその場にいないのでいわゆる『鬼の居ぬ間の何とか』と言うやつを楽しんでいた。
この間のように事が起きればそれどころではないし、彼らも自らの職務を忠実に遂行するが、何もなければ極端な話することがない。
「碇司令何時頃帰って来るんスか」
「えっと・・・5時頃かな。今日は確か松代だろ」
と言うことでそれまでネルフ本部内は平穏であろう。
「でも先輩は学校終わったらすぐに来ますよ」
「でも直行だろ。研究室にさ」
「そうゆう事。まっ、たまには良いんじゃない。それにしてもあの二人の授業って何やってんのかな?」

葛城三佐、赤木博士が学校の先生になった・・・
当時その話がネルフ内部に持ち上がった時、ある者は大爆笑し、ある者は常識を疑い、ある者は生徒達の行く末を心から案じていた。

「シンジ君、今日来るんですか?」
マヤはシゲルにそう尋ねた。
「来ないんじゃない?うんと・・・今日は何もないし」
この所訓練だの、シンクロテストだので来る機会の多いシンジはこの三人とも顔なじみになっていた。シンジの知り合いの中ではミサト達を除いて彼らは最年長になる。
少し大人しいが素直そうなシンジは彼らに好意を持って迎えられた。

「それにしてもシンジ君ておとう・・・碇司令とちょっと似てますね」
「そうかなー?そんなに性格悪く無さそうだけど?」
「そうっスね・・・お母さん似だな、絶対!」
マコトとシゲルは罪はないが好き勝手な事を口にした。
「酷いんだー、二人とも。でも確かに母親似かも・・・・確か・・・あ、有った」
マヤはデータファイルの自分の端末で読み込むとそこに女性の顔を映しだした。

「やっぱりそうかも・・・雰囲気はユイ博士に似てますね」

科学雑誌に投稿された研究論文と一緒にファイルされている画像にショートカットの白衣を着た女性が微笑んでいた。
研究室の中であろうその周囲には、様々な試薬やアナライザーが所狭しと置かれていた。
「どれどれ・・・・こりゃあ・・・」
「おお・・・なかなか・・」
モニターを覗き込んだ独身青年二人は思わず感嘆の声を上げる。おそらくユイの若い頃の写真だろうが美人と言っても何ら差し支えない。いや、美人としか言いようがなかった。
「うん、やっぱり母親似ですよ。シンジ君は」
「しかし納得いかんな。何でこういう女性が・・・・」
「全くっスよ。どうしてあんな・・・・」
せりふの後半が無いのは彼らが多少自制したからだ。だが独り身の男達にとって見れば些か面白くない。マヤは苦笑しただけで何も言わない。
「一緒に写ってるの誰か分かる?」
「えっと・・・この人若いけど副司令です。こっちの女の人は・・・先輩のお母さんだ。でも・・・この人、誰だろう・・・」
もう一人の目つきの悪い顔は彼女の記憶になかった。もっとも訪ねたマコトはシゲルと愚痴を言い合っていた。この気持ちは同性にしか分からない。
「全く何が悲しくてあんな・・・」
「本当に・・・もう少しこう、まともな・・・」
二人とも最後まで言い終える度胸はない。この二人が自らを省みて感じたことは

『世の中、不条理が満ちている』


同時刻・松代
「ん、碇どうした・・・風邪か?」
「問題ない、ただのくしゃみだ・・・・・・・・・」


シンジ達は既に四時間目の授業を終え、『三バカトリオ』の名に恥じないようなバカ話をしていた。
「センセ、綾波と一緒に暮らしとんのやろ。何やこう・・・ムラムラっときいへんか?」
「な、なな何だよそれ!!そんなことある訳無いだろ!」
「いいや、有る!!無ければおかしい!!きっとシンジは毎晩悶々として過ごしているに違いない!!」
ケンスケの決めつけにトウジはうんうんと頷いている。
「何だよ!!そんな事無いって・・・・」
「まあまあ、誰でもそうやでシンジ、恥ずかしいことあらへん」

そう思うなら何もからかわなくても良いのだが、彼らとてシンジと同じ年だ。身の回りの女性達が気になり始める。とりあえず手近な友人から自分と違うのかどうか確認したかったのだ。
で、既に耳の中まで赤くしたシンジの顔には『ムラムラしている』と書かれているのでやはり同じだと言うことで安心したらしい。
「まあ、そう言う事さ。しかしシンジも羨ましいよな。惣流に綾波だろ。この辺の男共の人気を一手にあの二人がさらってるんだぜ。その二人と同居、大変だな」
そう言われシンジはふとアスカを見た。

朝の一件以来いまだに口を利いていない。シンジは自分が悪いとは思えなかったので謝るつもりはない。逆に言えば謝る必要がなかったので話すきっかけも無かった。
今までアスカと喧嘩をした事が無い訳ではなかったが、単なる悪口の言い合いか一方的なアスカの『お叱り』であった。
今日の様な事は今まで無かった。あとで口を利けなくなるような・・・・。

・・・強く言いすぎたかな・・・

アスカの顔が幾分陰って見える。最近そんな顔を時折見るようになっていた。
おそらくは昨日より大人っぽくなった表情が。

トウジが学食のクリームパンを口にしながらそんなシンジの様子を眺めた。

・・・綾波やな、原因は・・・


「鈴原!!!逃げちゃだめでしょ!!さっさと掃除してよ!!」
「分かっとるがな・・・ほんまおっかないなー」
怒った顔のヒカリに及び腰のトウジ。彼としては適当に切り上げてケンスケ達とさっさと本町に新規開店したゲームセンターに行きたかった。しかし彼らのクラスの委員長はそんな勝手を許さないようだ。
トウジは仕方なく掃除をし始める。が、彼女に聞きたい事があった。
「いいんちょ、惣流とシンジ、また喧嘩しとんのか?」
シンジは未だアスカと口を利いていない。さすがに席が隣同士なので時折目が合ったりもするがすぐに逸らしてしまう。
「・・・うん、喧嘩してるみたい・・・何か今までと違う感じの」
「せやな・・・わいも初めて見たわ。あないな喧嘩・・・」
トウジはアスカとシンジの幼なじみだ。以前と違う二人の様子は彼らしくない心配をさせた。
「綾波さん・・・・・かな」
小さな声でヒカリは話しかけた。
「せやったらわいらが口挟むもんとちゃうんやないか?」
「うん・・・そうだね・・・」
親友のアスカが悩んでいるのだから力になってあげたい、そう思うが一体何をしてやればいいのかは分からない。まさかレイに文句を言う訳にもいかない。第一、具体的な原因を彼女は知らないのだ。
「まっ、そういうこっちゃ。ほなさいならー」
ヒカリが考え込んでいる間にトウジはさっさと掃除道具をしまうと教室から抜け出してしまっていた。
「あ!!こら!!待ちなさいよ!!・・・バカ・・・気づかなかったな・・・やっぱり」

ヒカリのおさげで新しく付けた桃色の髪飾りが寂しそうに揺れた。


「あのさ・・・・・」
シンジはようやくの思いで隣を歩いているレイに話しかけた。やはり今朝の一件以来話づらかった。
「・・・・・なに・・」
「アスカ・・・の・・・事なんだけど」
「・・・・碇君、悪くないわ」
「綾波・・・」
レイには何となくアスカの気持ちが分かる気がする。
彼女はレイのした事が気に入らなかった。

・・・今のあたしには分かる・・・昔は知らなかった事が・・・今は分かる・・・

シンジがアスカにしているエヴァに乗った後の言い訳、ネルフで訓練した後の言い訳、それらをレイが聞く度、胸の奥がざわついた。とても苦しかった。
どうしようもない『気持ち』がレイに覆い被さってくる。

・・・同じ・・・気持ちかも・・・知れない・・・

アスカの心の中がレイには見えたような気がする。

・・・あたしにも・・・ココロ・・・あるの・・・

シンジは自分が情けなかった。
以前レイが来るときにアスカがシンジに泣き顔を見せた事があった。その時初めてアスカは心の不安を見せたのだ。
あの時までは何も気づかなかった。
だが今では知っているはずだった。
彼女の不安を。

・・・僕から話しかけよう・・・

シンジは帰ったらそうする事に決めた。謝らなくてもいい。また喧嘩してもいい。でも話しかけよう。

もうアスカが泣かないように・・・。


一人になるのは久しぶり・・・・

アスカは駅前のブティック通りを歩きながら、ショウウインドウに映った自分一人だけの姿を見て実感した。いつもならシンジかヒカリがそこには一緒に映し出されている。
だがシンジとは顔を合わせたくなかったし、ヒカリにも何となく今の自分を見られたくなかった。レイは・・・・・。

・・・何で来たのよ・・・あたし達の所・・・何で来たのよ・・・

自らの居場所が徐々に消えていく、その分レイが入り込んでくる・・・。

・・・嫌よ!・・・あたしが居る場所よ・・・ここはあたしの場所よ!!・・・

一人きりで歩くとこの通りはよそよそしかった。飾られている洋服も色褪せて見える。

・・・シンジのやつ・・・何で庇うのよ・・・レイなんか・・・

何軒目かのウインドウに映った自分の姿がおぞましく見えた。

嫌な女!!嫌な女!!嫌な女!!嫌な女!!嫌な女!!嫌な女!!嫌な女!!

アスカは気が付くと走り出している。そして公園に駆け込むと水道で顔を洗い出した。
ウインドウに映った自分を洗い流したかったのかも知れない。

・・・何でこんな事考えなきゃいけないのよ・・・

シンジから、ヒカリから、レイから逃げ出して何処へ行こうというのか。そして自分すら否定してしまえば何も残らない。
結局行く所なんか無い。

・・・レイは・・・あたしと同じだ・・・行く所なんか無いんだ・・・

だから・・・シンジを頼ってる?・・・あたしも・・・同じ・・・頼ってる・・・

何もなく、行く所もなく、だが迎えてくれる人はいる。そして心配してくれる人はいる。シンジはアスカを『家族』と呼んでくれた。ヒカリは『好き』と言ってくれた。
レイを否定するのは同じ気持ちの自分をも否定してしまう。レイを追い出せば自分も追い出してしまう。
そしてシンジやヒカリ、心配してくれるユイとゲンドウを失ってしまう。

嫌だ!!何も失いたくない!!

謝ろう!!

アスカは俯いていた顔を上げた。未だ何も無くしていないはずだ。

レイに、シンジに謝ろう・・・何も分からないけど!!

アスカは再び走った。
今朝より、さっきより力強く。


「参ったわね、今度は山から来るなんて。すぐに第一種避難命令出して!!強羅防衛システム緊急起動!!司令達が戻るまで指揮は私が執ります」

「間違いありません。パターン青!!使徒です!!」


また続いてしまう

ver.-1.10 1997- 04/01

ご意見・感想・誤字情報などは dionaea@ps.ksky.ne.jpまで。


 ディオネアさんの投稿『26からのストーリー』第四話:「不安の歌を!」(前編)発表です!

 どっちがシンジを起こすかでもめているアスカとレイ、可愛いですね、 ほのぼのしますよ。本人達は真剣なんでしょうけど・・・・

 シリアスな戦闘シーンと、コメディータッチの日常が・・・・・・
いや日常もシリアスの色を強くしていますね。

 一枚のハンカチ、その持つ意味・・・・
 自分の心、他人の心・・・・・・
 揺れて、迷って、・・・・

 ラストで新たなる使徒が現れましたね。
 この戦いはシンジに、アスカに、レイに、そして皆に何をもたらすのでしょうか?

 ディオネアさんに感想のメールを!!
 メールは書く力。力をディオネアさんに!!


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