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『ある1つの可能性』

方向づけ1


 部屋の中では,髪を束ねた男がモニタに向かってキーボードをたたいている.

無精ひげをはやしているが,男臭さと優しさを感じさせるなかなかの男前,

この部屋の主,加持リョウジである.


コン,コン,

「加持さん,いる?」.

言うが早いか,腰まである長く柔らかい赤毛を揺らし,少女がドアを開けて現れた.

その青い瞳を持つ少女は,”絶世の”と称してもよいほどの美少女で,しなやかに

伸びた肢体は活力にあふれている.その少女の名は,惣流・アスカ・ラングレー.

エヴァンゲリオン弐号機パイロットであり,セカンドチルドレンと呼ばれている.


 普段,シンクロテストの指揮を執る赤木博士が,碇シンジのサルベージ計画に

係りっきりのため,今回のシンクロテストは通常より早く終了していた.空いた

時間を利用して久しぶりに加持と会うためにアスカはネルフ内の加持リョウジの

部屋を訪れたのだった.


 アスカは,後ろから加持の首に抱き着いて少し甘えた声で,

「ねぇ,加持さ〜ん,どこか遊びにつれてって.」

「おいおい,アスカ,まだ勤務時間中だぜ.」

 アスカには予想できた答え.しかし,かまわず.

「いいじゃない,仕事なんかやめて,遊びに行こう.」

 さらに強く抱きつくアスカ.

 加持は,苦笑いしながら答える.

「悪い,本当に忙しいんだ.また今度な.」

「ちぇ,つまんない.」


 アスカは,すねて見せるために加持の顔から視線を机の上の書類に移した.書類上の

”第14使徒・・・”,”・・・復旧”という文字が目に入った.

 思い出したくもない屈辱がアスカの脳裏に蘇る.

 先の使徒との戦闘で,アスカの乗るエヴァ弐号機は,なす術もなく一方的に破壊され,

弐号機は大破,アスカのプライドにも浅からぬ傷を残していた.さらに,アスカが

勝てなかった使徒を,碇シンジが乗る初号機が倒したという事実が,アスカのプライドに

より深い傷をつけていた.この戦闘の際,初号機は3度目の暴走を起こし,シンジ自身は

エントリープラグ内に溶け込んでしまっていた.

 その戦闘から1週間が過ぎ,本部の復旧も本格的に始まり,シンクロテストも再開さ

れていたが,シンジはいまだ初号機に取り込まれたままである.アスカ自身の心の傷も

癒されず,むしろ今日のシンクロテストによってより深くなっていた.シンクロ率が

低下していたのだ.訓練初期の頃には,シンクロ率が変動したこともあったが,ここ

数年は揺るやかながらずっと上昇して来ていたのにだ.


 加持の前で明るく振る舞っていたアスカは,思い出したくなかった記憶のために

部屋をノックする前のアスカに戻ってしまっていた.

 アスカは,加持の背中に顔を埋めてつぶやいた.

「また,負けちゃった・・・,使徒にも・・・,シンジにも.」

 加持は,無言で首にまわされた腕を優しく解き,立ち上がってアスカの肩に手を

添えて椅子に座らせ,自分も元の椅子に座り直しアスカと向き合った.

 しばらくの沈黙の後,加持は静かに優しい口調で問い掛けた,

「アスカは,シンジ君のことをどう思っているんだい?」


 予期せぬ質問に,アスカは驚いて顔を上げ,真正面から加持と向き合った.

 アスカは,とっさに答えが見付からず,頭の中にいろいろな言葉を浮かべている.

(シンジ,バカシンジ・・・,サードチルドレン,初号機パイロット,仲間,同居人,

シンジは使徒を倒せる,私のプライドを傷つけるやつ,・・・嫌い)

「嫌い,シンジなんて大嫌い!」

アスカは,頭を振り,すべてを否定するように叫んだ.そして,はき捨てるように,

言い放った.

「そうよ,シンジさえいれば,私なんて必要ないのよ!エヴァに乗れないアタシなんて,

誰も見てくれないのよ!」

 アスカは,ひざで固く握った手の上に顔を伏せ,悔しさを思い出し肩を震わせた.

 加持は,弐号機パイロットの心理状態がよくないという報告を受けてはいたが,

今,目の前にいるアスカの状態は,予想していた以上であった.

 初めての挫折,敗北か.今のアスカには大きすぎる課題だな.そんなことを考えながら

加持は煙草に火をつけた.


「少なくとも,葛城とシンジ君はアスカのことを見ていると,オレは思うけどな.」

 加持は,1口吸った煙草をもみ消した.

「はん,ミサトなんて保護者づらしているだけじゃない.シンジなんて,バカでスケベな

だけよ.それにシンジが見ているのはアタシじゃないわ,ファーストなのよ.」

 アスカは,伏せていた顔を上げ,語気を荒げて反論した.

 加持は少し困ったような表情を浮かべたが,すぐにいつもの優しげな顔に戻り,

一呼吸おいて.

「じゃ,アスカは誰を見ているんだい?」

(え!)

アスカは,それまでの怒気をそがれ,加持の顔に視線を向けたまま,頭の中が真っ白に

なった.賞賛は自分のためにあり,自分の未来だけを見続け,他人を競争相手としか

見ていなかったアスカにとって,それは今まで考えたこともない質問であった.

だが,一人,アスカの心に浮かぶ顔があった.お下げでそばかす顔の親友,洞木ヒカリの

顔である.

「ヒカリ,ヒカリっていうクラスメート,ヒカリは私を見ていてくれる・・・,だから

アタシもヒカリを見ている・・・・.」

(そう,ヒカリはアタシを見ている,エヴァのパイロットじゃないアタシを.だから

アタシもヒカリを見ている.競争相手ではないヒカリを.でもヒカリはアタシだけを

見ているわけじゃない,鈴原も見ている.アタシは,ほかに誰かを見ている?シンジ?

わからない.シンジはアタシを見ている・・・・?ええ,見ていてくれた.

でも,今はいない.)

 アスカは,加持から視線を外し,床をぼんやりと眺めながら,自分を取り巻く人々の

ことを考えていた.

 アスカが落ち着いたのを見て,加持はゆっくりと言った.

「そのヒカリって子の中のアスカが,アスカの中の自分に一番近いのさ.アスカが一番

自分らしいと思っている自分にね.」


 アスカは,加持の目を見た.部屋に入って来た時にはなかった光が青い瞳に少し戻って

いるのを見つけ加持は満足した.

「そうね,とりあえずアタシは一人じゃないのよね.加持さんの愛に包まれているもの.」

 少しおどけた調子で言うと,何かを思い出したように腕時計を見る.

「・・あ,もうこんな時間,帰らなきゃ,じゃあね,加持さん.バイバイ.」

 そう言うと,アスカは椅子から立ち上がり,部屋を小走りに出ていった.

「じゃな,アスカ.」

 加持は,アスカの後ろ姿に向かってそう言うと,また机に向かった.


(急いで帰って,ヒカリに電話しなくちゃ.話したいことがいっぱいもの,久しぶりに

長電話ね.あ,そうだ,今日もあたし一人だからヒカリに泊りに来てもらおっと.)

などと考えながら,アスカは,ミサトのマンションへの帰路を急いでいた.


次回に続く

ver.-1.10 1998+08/30

ver.-1.00 1997-03/23

ご意見・感想・誤字情報などは okazaki@alles.or.jpまで。


 ようこそ岡崎さん。「めぞんEVA」の第8の投稿者です!
  歓迎します!

  加持の大人としての余裕や、
  アスカの心の動きが実に上手く表現されていて
  物語にぐぐっと引き込まれていきました。

 壊れていこうとしていたアスカが、この加持との会話で助けられて行こうと しているのはバリバリの「アスカ派」である私にはとても嬉しい展開です。

 このままアスカの心が救われるのか、それとも・・・・・

 願わくば、アスカに平穏を・・・・


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