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【2・EARS・FTER】 第九回


作・H.AYANAMI 


 

 僕は、自分の部屋に戻るとパジャマを脱いで、ベッドの上にたたんで置いた。

 Tシャツとジョギングパンツを取り出して着る。ベルトポーチに携帯端末と財布を詰め込むと腰に付けた。

 

 玄関を出ようとして、ヨシエさんに伝言を残して置くことを思いつく。

 「今日からまた、ジョギングを始めることにしましたから・・・」

 玄関のインターホンを使い”ヴォイスメモ”にそう吹き込んでおく。

 ヨシエさんは朝起きると、玄関の掃除から始めるから多分気づいてくれるだろう。

 外に出てみると、既に明るくなり始めていた。

 玄関前の庭で軽いストレッチを始める。

 (久しぶりの、ジョギングだからな)

 1年ほど前から、僕は朝のジョギングを始めていた。

 ご隠居様が病の床に付かれてから今日まで、ずっと”お休み”していたが、今日から再開することにしたのだ。

 別に身体を鍛えることが、綾波に愛される資格を得るための条件となると思った訳ではない。

 ただ虚弱な身体では、何を為すこともできないと思うから、今の自分に出来ることやっておきたいと思ったに過ぎない。

 それに今日は・・・他の目的もあった。

 (たしか、あの店の前にあったはずだ)


 入念なストレッチを繰り返しながら、僕は、以前タケヒコの言っていたことを思い出していた・・・。

 ”・・・愛し合っている者同士が、からだの関係を持つのは自然なことだと思う

 ”けれど、望んでもいない子供を作ってしまうのは不幸なことだ。特に女性にとってはね。

 ”だから、ちゃんと避妊の為の措置を講ずることは、男として優しさだと思うんだ・・・”

 タケヒコは、いつも堂々と店に入り”それ”を買っていると言っていた。

 他のクラスメイトたちの多くにとっても”それ”を買いに行くことは、それほど特別なことではないらしい。

 僕達の学校の女子の中には、大胆にも制服のまま堂々と買いに行く者がいるらしいことを聞いたこともある。

 (だけど僕には・・やはりできそうにもない)


 僕は再びあの自販機のことを思い浮かべる。

 (古びてはいるが、あれはまだ”現役”のはずだ)

 ストレッチを終えて僕は門を出た。門の前の路上にはいつものように、IHKSのワゴン車が停まっている。

 普段なら、乗っている人と目が合っても軽く黙礼するだけなのだが、今日は挨拶をすることにした。

 僕が近づくと、ウィンドが開けられ、中から知った顔が現れた。屋敷の警備主任の三隅さんだ。

 「会長、おはようございます。ジョギング、また始められるんですね。お供しましょうか?」

 「お、おはようございます、三隅さん。僕は大丈夫ですよ」あわてて僕は応じる。

 「・・そうですか?警戒を強化するよう指示を受けているのですが」

 三隅さんはまじめな人だ。元は戦略自衛隊の下士官だったとかで、上からの指示に対しては忠実にそれに従う。

 ・・・だが今日はついてきてもらう訳にはいかない。

 「・・ぼ、僕のことより、綾波・・いえ屋敷の方をお願いします」

 「そうですか・・わかりました。”携帯”はお持ちですね?念の為”ビーコン”をオンにしておいて下さい」

 「はい」僕は腰のポーチから携帯端末を取り出して言われたとおりに操作する。

 三隅さんが車内に視線を向けなにやら操作すると、僕の方に視線を戻し、こう言った。

 「OKです。それじゃあ、気をつけて。いってらっしゃい」

 「いってきます」


 僕は三隅さんに別れを告げて、走り出した。

 僕が走るコースは、屋敷の近所を回る”周回”コースだ。距離はおよそ4キロほどだ。

 しかしこの辺は丘陵地でもあり、アップダウンは結構ある。

 久しぶりなので、僕はあまり飛ばさないことにした。特に最初は緩い下り坂が続くので、ここで飛ばすと後で膝に来る。

 今朝の”目的地”はこの坂を下りきった所にある。今のペースで走っても15分ほどだ。

 太陽はまだ登り始めたばかりだ。一日の内でもっとも涼しい時間、それでも走るうちには汗ばんでくる。

 坂を下りきった。目的の店が見えてくる。僕は少しずつ速度を落としながら周りの様子を窺う。

 幸い、近くには人影は見えなかった。

 (余り時間はかけられない。買うところを他人には見られたくないからな)

 僕は、その自販機に近づいた。これがここにあるのは知っていたが、こうしてじっくりと”対面”するのははじめてだった。

 その機械には透明のカバーがあり、中にサンプルらしい箱があった。”発売中”を示すランプも点いている。

 なにやら説明書きもあったが、全部を読まずに値段だけを確かめ、僕は財布から数枚の硬貨を取り出した。

 (こうしてリアルマネーを使うのは何ヶ月ぶりだろう)

 電子マネーがごく普通の現代においては、こういう、直接硬貨を受け入れる機械自体が珍しいのだ。

 (そのうち、この機械も博物館に飾られるかもしれないな)

 そんなことを思いながら、僕は硬貨を投入した。

 「ガシャ」

 鈍い音がして”商品”が落ちてきた。手を入れてそれを取り出すと、よく確かめもせずにポーチに詰め込んだ。

 

 その時だった。僕は自分の後ろに人の気配を感じた。

 (見られてしまった)

 別に悪いことをしていた訳ではないのだが、悪戯を見つけられた子供のような”おびえ”を感じた。

 おそるおそる後ろを振り向く。

 そこには二人の男が立っていた。同じような濃い色合いのスーツを着ていた。二人とも僕より背が高かった。

 しかし背の高さをあまり感じなかったのは、二人が服の上からでも分かるほどのがっしりとした体格をしていたからだろう。

 本能的な恐怖を感じた僕は、この場から”逃げだそうと”、彼らに背を向け走り出そうとした。

 けれど僕は動けなかった。僕が背を向けた瞬間、男達は両側から僕の腕を取った。

 僕は思わず叫んでいた。

  「な、何をするんです!」

 左側の男が言った。

 「静かにしたまえ、碇シンジ君。さもないと・・・」

 僕の脇腹に何か堅いものが押し当てられた。それが何を意味するのか鈍感な僕にもすぐに分かった。

 僕は恐怖に震えながらも尋ねた。

 「・・あなた方は、一体・・・僕を、どうする、つもり・・ですか?」

 今度は右の男が言った。

 「大人しく我々と一緒に来てもらおう」

 この状況ではどうすることもできない、と思った。

 男達が嘘や冗談で言っているわけでは無いことは明らかだった。

 「・・・わかりました」

 「いい子だ・・・」

 左の男が軽く手を挙げ、誰かに合図した。みると黒いセダンが僕達の方へゆっくりと近づいてきた。

 車は僕達の前に停まった。運転していた男はすばやく降りてきて後ろの扉を開けた。

 両腕を掴まれたまま僕は車に乗せられた。扉が閉められ、車はすぐに動き出した。

 右側の男が僕を呼んだ。

 「碇シンジ君」

 僕は男の方に顔を向けた。

 「君にはしばらく眠ってもらうよ。どこに向かうのか知られたくないのでね」

 「えっ!?」

 次の瞬間、僕は首の後ろにチクリとした痛みを感じた。それきり僕の意識は途切れた・・・。

 


 

 三隅タカオは、ワゴン車の中で自分の携帯端末に先ほど送られてきた”朝刊”を読んでいた。

 今朝のトップニュースは年金制度に関するものだった。

 ”政府与党、年金支給開始年齢の引き上げを提案か。支給開始は75才から”

 三隅は郷里にいる老いた母親のことを思った。彼女は現行の制度ならばあと2年ほどで年金を受け取れるのだが・・・。

  (・・・要するに、俺が頑張って働かなくてはならないということか)

 三隅は小さなため息を漏らした。

 

 セカンドインパクトとその後の混乱により、多くの就業年齢世代の人口を失ったこの国にとって年金制度は重い”足かせ”となっていた。

 度重なる保険料率の引き上げにより既に租税公課の総計は給与の60%にも達していた。制度そのものを大幅に改革しない限り、真の解決はあり得ないことはもう誰の目にも明らかなのだが・・・。

 

 三隅は自分の端末から目を離し、何気なく車載のモニターを見た。シンジの位置を示す”光点”は移動していた。

 (ずいぶんと速いな)

 光点は急速に移動していた。三隅はいくつかのボタンを押した。瞬時に移動速度が表示される。

 S=29.2m/sec.

 毎秒29.2メートル。時速にすれば100キロ以上だ。

 三隅は助手席で仮眠していた同僚を揺り起こした。

 「香取、起きろ!緊急事態だ。会長の身に何か起こったらしい。ただちに本部へ連絡」

 そう言い放つと、シンジを追うべく車を急発進させた。

 


 

 −ほぼ同時刻、レイの寝室。

 

 レイは夢を見ていた。

 シンジに抱きしめられている夢だ。

 唐突にシンジが言う。

 「綾波・・・僕は行かなくちゃならない」

 『・・・碇君・・どうして?』

 「・・・君を守るために・・・」

 『・・・いや、ずっと側にいて・・・』

 「ごめん、綾波・・・」

 『・・いや・・』

 レイはシンジを逃がすまいと両腕に力を込める。にもかかわらず、シンジの身体は次第に希薄になり遂に消え去ってしまった。温もりの記憶だけが残った・・・。

 ・・・温もりの記憶だけが・・・。

 

 『碇君!』

 レイは目を覚ました。首を回して自分の隣をみる。シンジの居るはずの場所を。

 夢の中と同様に、シンジの姿は消えていた。

 (自分の部屋に戻ったのだろう)

 一瞬、レイはそう思った。だがすぐにその考えをうち消した。


 レイは起きあがるとパジャマのまま部屋を飛び出して,、シンジの部屋へ向かった。

 

 『碇君!』シンジの名を呼び、しかし返事を待たず、レイは部屋の扉を開ける。

 シンジの姿はなかった。ベッドはきちんと整えられ、シンジのパジャマがきちんとたたまれ置いてあった。

 レイはきびすを返すと、階段を駆け下りて厨房へ向かった。

 

 レイが厨房にはいってゆくと、そこには朝食の準備を始めていたヨシエさんがいた。

 『・・・碇君が居ないの・・』

 レイのその声に、ヨシエはゆっくりと振り返った。

 「・・お早うございます、レイ様。・・どうなさったんですか?着替えもなさらずに・・」

 ヨシエのその言葉に応じることなく、レイは繰り返した。

 『・・碇君が・・いなくなってしまったの』

 今にも泣き出しそうなその声に、すこし驚きながらも、それでもにこやかに答えた。

 「お坊ちゃまなら、ジョギングに出かけられました。玄関の”ヴォイスメモ”に伝言がありました・・もう、直に戻られると思いますけど」

 「・・それより、レイ様。早くお着替えになってください。碇家の”嫁”たる者は・・・」

 ヨシエがそう言いかけた時、

 「ぴぴぴ、ぴぴぴ・・・」

 厨房の電話が鳴りだした。この音は”外線”からのものだ。

 「・・誰でしょう?朝早くから・・」

 そう呟きながら、ヨシエが受話器を取った。

 「はい、碇でございます・・・」

 話しているヨシエの顔がみるみる青ざめていった。

 「・・・わかりました。・・連絡を・・お待ちします」

 そう言って受話器を戻す。しかしそれきり手を受話器から離さず固まってしまう。じっと電話を見つめている。

 レイが聞く。

 『・・ヨシエさん、どうなさったの?』

 レイの声に、ヨシエはようやく我に還る。振り返りレイを見た。

 「・・・お坊ちゃまが・・」

 『・・碇君が・・どうかしたの?』レイが先を促す。

 「・・お坊ちゃまが・・誘拐されました

 


 

 (畜生、”奴ら”また動き出した)

 三隅アキラは心の中で毒づく。

 ほんの2分ほど前、シンジの位置を示すビーコンは第二新東京市街で停止していた。

 シンジを拉致した者たちがその”アジト”に着いたのだと三隅は思った。本部へもそう連絡した。

 (人数が揃ったところで踏み込もう)

 三隅はそのように考えていた。ところが彼の考えに相違して、発信源はすぐに移動し始めた、それもかなり高速に。

 (奴らの車は”エンジン”を装備しているに違いない。しかも直接駆動するタイプだ)

 三隅はそう結論づけていた。

 2017年の今日、街を走る車の大部分がEカーになっている。環境保護のため市街地では内燃機関を使用する車が禁止されていることもあり、その種の車はほとんどない。

 しかしこの高速を長時間維持できるバッテリーが開発されたとは、三隅はまだ聞いたことがなかった。

 助手席の香取が声をかけた。

 「三隅さん、このスピードではこちらのバッテリーがもちませんよ」

 ”ビーコン”は西へ移動していた。既に市街地を抜けつつある。どうやら第二中央高速に乗るつもりらしい。

 「よし、高速に乗ったらこちらもガスタービンを使おう。一気に追いつめるぞ・・・それから、本部へ連絡して第二新名古屋支社からも応援を出してもらえ」

 「了解」

 


 

 「碇シンジを確保したのか」 秘話装置を通して聞こえてくる声はどこかくぐもっていた。

 「はい」

 「それで、彼らの動きはどうだ」

 「少年の所持していた”ビーコン”を追尾している模様です」

 「・・・大丈夫、だな?」

 「はい」

 「それなら、碇シンジをこちらに連れてこい」

 「はっ、しかし当初の指示では・・」

 「閣下がお会いになりたいそうだ」

 「・・・了解しました」

 電話を切った男は、部屋にいるもう一人の男に言った。

 「計画が変更された」

 「どのようにですか?」

 「彼を”お屋敷”に連れてゆく」

 「・・・何故でしょうか?」

 「・・・さあな」

 


 −追跡開始後、約2時間。第二中央高速。

 

 「三隅さん、発信源が停止してから、もう5分以上経過しました」

 「場所は特定できたのか?」

 「はい、発信源は”二ツ森SA”の位置と一致しています」

 「よし、あと10分で着ける」 三隅はモニター上の”デジタル表示”を一瞥すると、アクセルを踏み込んだ。

 


 

 −碇家応接間。

 ソファに座っているのは、ヨシエ、運転手の田中夫妻、そしてIHKS社警備部長の加古だった。

 

 加古がこの屋敷に来たのは、状況説明の為だった。

 そして”状況”は最悪だった。

 シンジを追っていた者たちが発見したのは、サービスエリアの洗面所に置かれていた携帯端末だけだった。

 シンジの行方、そして拉致していった者達に関する手がかりは何も残されてはいなかった。。

 

 一応の状況説明の後、加古が言った。

 「・・何かご質問は?」

 その言葉に田中の妻が応じた。

 「・・あの、もう警察には知らせたのですか?」

 「いいえ、まだ通報してはおりません」

 田中の妻が驚きを露わにする。

 「まあ!それは何故ですの?」

 「それはですね・・・」 加古が答えようとすると、代わってヨシエが答えた。

 「お坊ちゃまの無事が第一だからです。犯人の目的が”身代金”ならば警察に知らせるのは危険です」

 加古が後を継いで言った。

 「・・そう言うことです。今は犯人からの連絡を待つべきです。それに現在IHKSが、全力を挙げてシンジ君の行方を追っています。少なくとも警察よりは役に立つと思いますよ」

 (・・・犯人からの連絡などあるはずもないが)

 「・・そうですね。分かりましたわ」田中の妻は、とりあえず納得したようだった。

 その後しばらくの間、誰も話さなかった。

 

 おもむろに加古がヨシエに尋ねた。

 「・・ところでレイさんはどうなさったのですか?」

 「レイ様は、ご心痛のあまり貧血を起こされて・・今はお部屋で休んでおられます」

 「お会いできますか?宜しければ、私の口から状況をご説明したいのですが」

 「はい?・・・それではご様子を見て参りますわ」

 怪訝な表情ながら、ヨシエは席を立つとレイの部屋に向かった。

 

 10分ほどしてヨシエが戻ってきた。

 「お会いになるそうです。まだ少しふらつかれる様でしたのでお休みのままでいただいてますが・・」

 「結構です」

 加古は立ち上がった。

 



つづく ver.-1.00 1997-6/14

ご意見・感想・誤字情報などは iihito@gol.com まで。


 【後書き、または言い訳】

 最後までお読みいただいてありがとうございました。

 ・・それから拙作に「投票」いただいた方へ改めまして御礼申し上げます。有り難うございました。


 うーん、どうもいけません(^^;。話に詰まると新しいキャラを登場させてしまう癖が付いてしまって・・・。

 今まで作り出したキャラももっと動かしたいと思うのですがうまくいきません。そのことを考えすぎると一行も書けなくなってしまって・・・改めて作者の「筆力」の無さを痛感します。

 ・・・ですが、拙作を支持して下さる方のある限り、微力を尽くし「最後」まで書かせていただきたく思います。

 今後とも宜しくお願いいたします。

 

 さて次回予告(予定)です。


 レイの前で、加山は自分の正体を明らかにする。

 一方、シンジはあの老人と会う。

 シンジは再びレイの元に還ることができるのか・・・。


 綾波光さんの好評連載【2・YEARS・AFTER】第九回、公開です。  

 迂闊な行動が招いた危機。
 シンジの運命は?!

 アレを買いに行くシンジ君・・・可愛いです(^^)
 

 しかし・・・三隅さん、アンタ判断甘いよ・・・・・
 ビーコンを闇雲に追っていくなんて・・・・素人以下だぜ。
 そもそも保護命令が出ている対象を単独で行動させるだなんて・・・

 なんちゃって(^^;
 

 さあ、訪問者の皆さん。
 順調に回を重ねる作品の感想を綾波さんに送って下さい!


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