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2・EARS・FTER】 第七回

作・H.AYANAMI




−旧第三新東京市跡地。戦略自衛隊、仮設司令部内の一室

 室内にいるのは、既に八〇歳を越えているとおぼしき小柄な老人と、三〇代とおぼしき女性の二人

 戦略自衛隊の野戦用テーブルを間にして、二人は向かい合って座っていた。



 窓から差し込む夕陽が老人の顔を照らし出している。

 その老人はこの国の人々にはよく知られていた。

 少なくともセカンドインパクト後の混乱期を生き抜いた者にとって、その顔を忘れることは出来ないに違いない。

 ある者にとっては救国の”英雄”として、別の者にとっては史上最悪の残酷な”施政者”として。

 老人の名は・・・橋元リュウイチロウ。





 セカンドインパクトは、この国にも多大な影響を与えた。

 当時、経済・流通の中心は旧東京や旧大阪とそれぞれその周辺地域に集中していた。

 海水面の上昇により、これら地域の大部分は水没し、事実上この国の経済・流通の機構は壊滅した。

 もちろん、こうした状況はこの国だけのものではなかった。世界中がほぼこれと同様な状況であった。

 何よりも問題となったのは、世界の流通ネットワークが崩壊したことであった。

 よく知られているように、この国は既に数十年前から国民の食糧のかなりの部分を輸入に頼っていた。

 従ってネットワークの崩壊は即、この国の”飢餓”を意味したのだ。

 食糧を求める人々は暴徒と化し、全国各地で争乱を生じせしめた。 既存の警察力でこれを抑えることは不可能だった。


 当時、この国の首相であった橋元リュウイチロウは、こうした暴徒達に対し断固たる措置を取った。

 すなわち自衛隊の投入による暴徒の鎮圧である。

 戦略自衛隊はその圧倒的な実力によって暴徒を攻撃した。もともと烏合の衆であり、”軍隊”に対して有効な対抗手段を持たない暴徒達はまもなく鎮圧された。

 橋元が行ったのはこればかりではない。

 緊急の対策として、この国に残されたすべての輸送機関−船舶、航空機を動員して食糧の緊急輸入を行う一方、恒久的対策として、この国の”農業国化”を強力に推進した。

 幸いにしてと言うべきか、セカンドインパクトによる地軸の移動は、この国全体をほぼ亜熱帯性気候に変えていた。その為、かってのような多量のエネルギーを投入せずとも食糧生産を飛躍的に増大させることが可能になっていた。

 橋元は耕地面積の増大を国策の第一に掲げ、これを実行した。更に農業人口の不足を補うため、一定の条件の下で都市の住民を強制的に農村に移動させることさえした。一時的にではあるが、この国の農業人口は全体の25%を越えるまでに至った。

 後年、こうした強権的諸措置に対する批判を受けて、橋元は政界の”表舞台”からの引退を余儀なくされたが、彼の行ったことが誤っていたと言い切ることは誰にも出来ないであろう。

 事実、セカンドインパクトから5年を経ずして、食糧自給率は118%に達した。現在においては余剰の生産物は、未だ食糧の不足に悩む国々への援助物資として”輸出”されている。

 橋元が”英雄”なのか、稀代の”悪人”であるかを決めてしまうのは時期尚早である。やがて”歴史”がそれを判断しくれるのを、今は待つしかない・・・。






「・・・博士。私は未だすべてを信じきれてはいないのだがね・・・」

 微笑みを浮かべ、老人が話し出す。


 博士と呼ばれた女性は、僅かに眉を動かす。

「・・何がですの?」じっと老人を見る。


 鋭い視線を受けて、老人の表情に一瞬の変化が生じたように見えたが、すぐに元の表情に戻った。

「・・君の言う、エヴァの力なるものがだよ」


「閣下」博士と呼ばれた女性は、老人にそう呼びかけた。

「それにつきましては、実際にEVAの復活がならない限り、実際にお目に掛ける事はできません」

「それまでは、私を信じていただくより他はございませんわ」


 老人は女性から視線を外した。しばし黙考する。やがて視線を女性に戻すと言った。

「・・・わかった。ところで作業の進捗状況はどうかね。博士は先ほどまで”下”にいた、と聞いたが」


「はい、自分の目で直接”無事”を確認したかったものですから」


「・・・それでどうなのかね、その、マギとかいうコンピュータは」


「無事です。”健やかな寝息をたてて”眠っていました」



 老人は、女性の言った”比喩”が一瞬、理解できなかったらしい。が、すぐに

「・・で、”起こしてやったのかね”」と応じる。


「まだですわ、ここでは、MAGIを活動させるための電力が得られませんから」

「再起動は、松代に搬入された後のことですわ。計画書にある通りです」


「・・そうじゃったな。どうも年のせいか物覚えが悪くなってな・・・」

 老人は照れたような”笑み”を浮かべる。

「・・・それで、搬出計画の方は、予定通りかね」


「はい、既に地上への搬出のための準備は完了しました。松代への搬入は明後日。予定通りです」


「・・うむ」


「ところで、閣下」女性は老人に尋ねる。

「チルドレンの身柄の確保の方は、進んでおりますの?」


 老人は、鷹揚に頷いて答える。

「うむ、大丈夫だ。”内調”の腕利きを当てているから」


「そうですか」女性は短く応じ、そして沈黙する。



 老人はゆっくり立ち上がった。杖を突きつつ戸口へと向かう。

 女性は先に立って部屋の扉を開けて待つ。


「それではな」


「はい、失礼いたします。閣下」


 老人は部屋を出ていこうとしたが、ふと足を止め、振り向いて言った。

「赤木博士、君はなぜこうまで、ワシのために働いてくれるのかね?」


 リツコは、一瞬沈黙するが、すぐにこう応じた。

「・・閣下が、私の、命の恩人だからですわ」


「・・ふむ。そうかね」老人は一瞬、憐れみともとれる目でリツコを見たが、すぐに視線を外した。

「・・ま、よろしく頼む」


 老人は立ち去った。



 リツコは扉を閉めると、元いたイスに所に戻り、腰掛ける。

 テーブルの上に置かれていた薄緑色のパッケージからたばこを抜き出すと、火を点けた。

 そして、静かに深く吸い込むと、一息に吐き出す。



 辺りには、僅かにミントの香りを含んだ紫煙が漂う。


(・・命の、恩人・・か・・・)


 リツコは、これまでの自分の身に起こったことを思い返していた。





 NERVが自爆して消え去ったその日。リツコは、なお本部内に拘留されていた。


 しかし、橋元リュウイチロウの命を受けた一人のNERV諜報課員(実は、内務省調査部員)により、あの九体のEVAによる攻撃の直前脱出し、危うく難を逃れることができた。



 NERVの最後を、リツコは第二新東京に向かう車の後部座席で聞いた。”音”として。


「ゴゴゴゴゴゴォー」

 あたかもマグマが地表に噴出してくるようだった。


 車をゆっくりと減速し、やがて路肩部分に停車した。

 運転していた者が振り返った。

「博士、地震です・・・」

 リツコも気づいた。彼らを乗せた車が振動しているのを。

 先ほど、彼女が”音”として感じ取ったものは、この振動だったのだろうか

「博士、あれを・・・」リアウィンドの外を指さして言う。

 リツコは振り返った。

 遙か彼方に、キノコ雲が立ち上っていた。


(あれは・・第三新東京がある辺り・・・)


(ミサト達は無事だろうか、あの人は・・・)


 リツコは、自分の脳裏に浮かぶ男の顔に驚く。


(あの人は・・あの男は、私の心を踏みにじった。死んで当然の男だ・・・)


 自分が理解できなかった。なぜ私はあの男のことを心配するのだろうか 、と。



「・・収まったようですね。出発します」


 車は、再び動きだし、第二新東京への道を急いだ。


 やがて、車は第二新東京の市街地を抜けると郊外の丘陵に建つ壮大な屋敷の門をくぐった。






 リツコを待っていたのは、かの老人、橋元リュウイチロウだった。 


 リツコは橋元の顔に不思議な懐かしさを覚えた。

 もちろん、顔は知っていた。だがそれとは違う既視感をリツコは感じた。 


 橋元は開口一番に言った。

「赤木博士。無事で、何よりじゃった」

 その口調は、優しさに満ちていた。かって国の復興のためとはいえ、多くの人々に苦痛を強いた人間だとはとても思えなかった。


「・・・ありがとうございます。・・閣下」 

 リツコは、慇懃に礼を言い、そして続けた。

「閣下、第三新東京市は、NERVに一体何が起こったのでしょうか」

「・・まだ、はっきりしたことは分かってはおらん。分かっているのは複数の謎の敵性体・・君たちのエヴァンゲリオンによく似たものの攻撃を受けたことと、その攻撃中に第三新東京市が大爆発を起こして事実上消滅したことだけだ」

「・・・それで、生存者は・・」

「それもわからん。既に”戦自”に出動命令が下っているから、やがて彼らからの報告があるだろう。そうすればもう少し詳しいことを知ることが出来るだろう」


 リツコの心に疑念が生じる。


(おかしい。この老人はすべてを知っていて・・そうでなければ、このタイミングで私を脱出させること無かったはず)


「・・・閣下。なぜ私を、私だけを脱出させて下さったのですか・・ご存じだったのでしょう?攻撃があることを」


 橋元の口元から一瞬笑みが消えた。しかしすぐに元の表情に戻った。

「博士。なかなか鋭いな。確かにワシは、事前に”彼ら”の攻撃を知ってはいた。・・・しかし、誤解のないように言っておくが、NERVを爆破させたのはワシではない」

「・・君を助け出すために準備はしていた。だが今日、攻撃することを知ったのは、つい数時間前のことだ。・・・ぎりぎりだった」

「君を助けられたのは、運が良かったからだろう・・・」


 リツコは疑問を繰り返す。

「・・閣下。もう一度お尋ねします。なぜ私だけを脱出させて下さったのですか」


 老人はしばらくの間、じっとリツコを見つめていたが、やがてこう切り出した。

「・・博士。ワシはな、知りたいのだよ、エヴァンゲリオンの秘密を」

「君がすべてを知っていると、ワシは確信しておるのだ。・・・すべてを知っていて、それを話してくれるのは、君しかおらんと、そう思ったのだよ」 


 橋元の顔から、いつのまにか笑みが消えていた。その目は、鋭くリツコを見据えていた。

 かっての冷酷な”施政者”の目だった。


 橋元に見据えられ、リツコの体に戦慄が走った。震えを抑えつつ、やっと答える。

「・・閣下、に、お話しする、こと、など・・・何も、ありませんわ」


 橋元は、元の穏やかな表情に戻ると、こう言った。

「・・そうかね・・まあ、良い。・・そのうち話してくれる気になるじゃろう」






 「!」 指先に違和感を感じて、リツコは回想から、現実へと立ち返っていた。


 見ると、指に挟んでいたたばこは、既にリツコの指先近くまで短く燃え尽きていた。

 長くのびた灰が落ちかかっていた。慎重に腕を動かし、灰皿に持って行くと残り火をもみ消す。


 何気なく窓の方を見やる。何時のまにか太陽は山の彼方に去っていた。夜が空を覆いつつあった。


 日中の作業の喧噪は既に去っていた。いま、リツコの周りにあるのは”恐ろしいほどの”静寂だった。


(私が、いまやろうとしていることは一体、誰の為だと言うのだろうか)


(・・・あの老人の為?。老人の”大いなる”野望を叶える為に、私は働いているのか?)


(・・老人の野望・・・それは人類という”種”とっての一つの”福音”に違いない)


(・・・しかし、老人の野望は・・・結局、あの男が望んだ事と同じ事ではないのか?)


(・・・私は、未だにあの男の”亡霊”に操られている!?)

 

「・・・私は、2年前と少しも変われてはいない・・」リツコは一人呟いていた。

 


つづく ver.-1.00 1997- 5/31 公開

ご意見・感想・誤字情報などは iihito@gol.com> まで。


 【後書き、または言い訳】

 最後までお読みいただいてありがとうございました。今回のお話はいかがだったでしょうか。

 シンジ君もレイちゃんも登場させてあげられませんでした。本当は赤木リツコの行動と、対比させながら二人を描くつもりだったんですが・・・単に作者の力不足によるものです。二人のファンの方すいませんでした。

 ”橋元リュウイチロウ”は読者の皆さんにはどのように映ったでしょうか?真の悪人は決して悪人面をしていないと言うのが、作者の考えなのですが・・・。


 それでは次回予告(予定)です・・・。

 眠れぬ夜。シンジはレイの部屋を訪ねる。

 一時の温もりは、不安を忘れさせるくれるが・・。


 綾波 光さんの連載【2・YEARS・AFTER】第七回、公開です。

 リツコが生きていましたね。
 それも怪しげな人物の手引きで・・・・

 リツコを助けた[橋元リュウイチロウ]
 彼は本当に”知りたい”だけなんでしょうか?
 一筋縄で行きそうにない老人です。


 綾波を狙っている”敵”の正体が現れましたが、
 次回以降の展開はどうなるんでしょうね。


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